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title: "瑜伽師地論 · 1目 廣釋"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何名善友性？謂八因緣故，應知一切種圓滿善友性。何等為八？謂如有一，安住禁戒、具足多聞、能有所證、性多哀愍、心無厭倦、善能堪忍、無有怖畏、語具圓滿。

> 善き友の資質とは何か？ 八つの条件により、あらゆる面で完全にそなわった善き友の資質があると知るべきである。その八つとは何か。すなわち、ある人が戒律をよく守り、多くの教えを学び、悟りを証し、慈しみの心が深く、教え導くことに倦まず、よく忍耐し、恐れることがなく、言葉が完全にそなわっていることである。

云何名為安住禁戒？謂安住具戒，善能守護別解律儀，如前廣說樂沙門性、樂婆羅門性、為自調伏、為自寂靜、為自涅槃，修行正行。如是名為安住禁戒。

> 戒律をしっかりと守るとはどういうことでしょうか。それは、戒律をしっかりと身につけ、細かな決まりをよく守ることです。出家者としての生き方を喜び、清らかな修行者としての道を楽しみ、自らの心を調え、静め、悟りを得るために、正しい行いを実践すること。これを、戒律に安住するといいます。

云何名為具足多聞？謂若有法宣說開示，初中後善，文義巧妙，獨一、圓滿、清白、梵行。於如是類眾多妙法，能善受持，言善通利、意善尋思、見善通達。如是名為具足多聞。

> 「よく聞くことを具えている」とはどういうことか。それは、法（教え）が説かれ示される時、その教えの始めも中も終わりも善く、言葉と意味が巧みで優れ、唯一無二であり、完全で、清らかで、聖なる行いを備えていることである。このような多くの素晴らしい教えを、よく受け止め、言葉としてよく理解し、心でよく考え、見解としてよく通達すること。これを「よく聞くことを具えている」というのである。

云何名為能有所證？謂能證得勝無常想、無常苦想、苦無我想、厭逆食想、一切世間不可樂想、有過患想、斷想、離想、滅想、死想、不淨想、青瘀想、膿爛想、破壞想、膖脹想、噉食想、血塗想、離散想、骨鎖想、觀察空想。

> 「証を得る」とはどういうことかといえば、すぐれた無常の想い、無常であるゆえに苦であるという想い、苦であるゆえに無我であるという想い、食べ物への嫌悪の想い、一切の世の中を楽しいと思えない想い、過ちやわざわいのあるという想い、断つという想い、離れるという想い、滅するという想い、死の想い、不浄の想い、青く腫れあがる想い、うみただれる想い、壊れていく想い、膨れ上がる想い、食い荒らされる想い、血にまみれる想い、散り離れる想い、骨だけつながる想い、空であると観察する想い――これらを証得できることである。

復能證得最初靜慮、第二靜慮、第三靜慮、第四靜慮、空無邊處、識無邊處、無所有處、最後非想非非想處。又能證得慈悲喜捨，或預流果、或一來果、或不還果、或神境通、或宿住通、或天耳通、或死生通、或心差別通、或阿羅漢。具八解脫靜慮等定，有大堪能，具大勢力，能善為他現三神變教授教誡。三神變者，一、神力神變，二、記說神變，三、教導神變。如是名為能有所證。

> さらに、最初の静慮、第二静慮、第三静慮、第四静慮、空無辺処、識無辺処、無所有処、最後の非想非非想処を体得することができます。また、慈・悲・喜・捨の四無量心を体得し、預流果、一来果、不還果、あるいは神境通、宿住通、天耳通、死生通、心差別通、阿羅漢果を体得することができます。八つの解脱や静慮などの定を具え、大きな能力と大きな勢力を持ち、他者のために巧みに三種の神変を示して教え導くことができます。三種の神変とは、第一に神通力による神変、第二に記説による神変、第三に教導による神変です。以上が「証得することある者」と呼ばれます。

云何名為為性哀愍？謂於他所常起悲憐，樂與其義、樂與其利、樂與其樂、樂與猗觸、樂與安隱。如是名為為性哀愍。

> ここで「本性としての哀れみ」とは何か？それは、常に他者に対して悲しみと憐れみの心を起こし、相手にとって本当に良いこと、利益となること、安らぎを与えること、身心の軽やかな安らぎ（猗触）をもたらすこと、そして安心と平安（安隠）を与えることを喜びとする心のことである。これが「本性としての哀れみ」と名づけられる。

云何名為心無厭倦？謂善能示現、善能教導、善能讚勵、善能慶慰，處於四眾宣說正法，不辭勞倦，翹勤無墮，起發圓滿，為性好樂，發勤精進。如是名為心無厭倦。

> どのようなことを「心に倦むことがない」というのでしょうか。それは、巧みに教えを示し、巧みに導き、巧みに励まし、巧みに喜びをもたらすことを指します。そして、在家・出家の四つの集いの場で正しい教えを説く際に、労苦や疲れを言葉に出さず、熱心に怠ることなく努め、教えを成就させ、生まれつきの性質としてそれを好み、努力と精進を起こすこと。これが「心に倦むことがない」と名付けられるのです。

云何名為善能堪忍？謂罵不報罵、瞋不報瞋、打不報打、弄不報弄、堪耐椎杵。於諸逼迫、縛錄、禁閉、捶打、毀辱、迫愶、斫截眾苦事中，自推己過，以業異熟為所依趣，終不於他發生憤恚，亦不懷恨隨眠不捨。如是雖遭輕陵毀辱，而其本性都無變改，唯常於彼思為義利。又能堪忍寒熱、飢渴、蚊虻、風日、蛇蠍惡觸，他所干犯、磣毒語言，身內所生猛利、堅勁、辛楚、切心、奪命苦受，為性堪忍，能有容納。如是名為善能堪忍。

> 善きかな忍耐とは何か。それは、罵られても罵り返さず、怒られても怒り返さず、打たれても打ち返さず、からかわれてもからかい返さず、槌や杵による苦痛に耐えることです。あらゆる苦しい状況——縛られ、閉じ込められ、打たれ、辱められ、脅かされ、切り刻まれるような出来事においても、自らの過ちを省み、業の報いとして受け止めます。決して他者に対して怒りを発することなく、恨みを抱き続けることもありません。このようにして、軽んじられ、辱められても、その本性は少しも変わらず、常に他者の利益を思って行動します。 また、寒さや暑さ、飢えや渇き、蚊やアブ、風や日差し、蛇や蝎（さそり）の害、他者からの妨害や辛辣な言葉、身体に生じる激しく鋭い痛み、心をえぐるような苦しみ、命に関わる苦受にも耐え忍び、これらを広く受け入れる心を持ちます。これを「善きかな忍耐」と名づけるのです。

云何名為無有怖畏？謂處大眾說正法時，心無怯劣、聲無戰掉、辯無誤失，終不由彼怯懼因緣，為諸怖畏之所逼切，腋不流汗、身毛不竪。如是名為無有怖畏。

> どのような状態を「怖れがない」というのか。大勢の人々の前で正しい教えを説く時に、心に臆することがなく、声が震えず、弁舌に誤りがなく、決して怯えや恐れのために、様々な怖れに迫られることがなく、脇に汗をかかず、体毛が逆立つこともない。このような状態を「怖れがない」というのである。

云何名為語具圓滿？謂彼成就最上首語、極美妙語、甚顯了語、易悟解語、樂欲聞語、無違逆語、無所依語、無邊際語。如是名為語具圓滿，言詞巧妙。

> 問う、いわゆる「語具円満」とは何か。 それは、最も優れた言葉、極めて美しい言葉、非常にはっきりとした言葉、容易に理解される言葉、人々が喜んで聞きたくなる言葉、逆らうことのない言葉、何かに依らない言葉、限りのない言葉を成し遂げていることをいう。 これを「語具円満」、すなわち言葉巧みである、と名づける。

成就如是八種因緣，善能諫舉、善作憶念、善能教授、善能教誡、善說正法。

> このような八つの因縁を成就すれば、よく諫め、よく思い出させ、よく教え導き、よく戒め諭し、よく正しい法を説くことができる。

云何名為善能諫舉？

> どのようにすれば、うまく注意や助言をすることができるのでしょうか？

謂若有餘，於增上戒毀犯尸羅，於增上軌毀犯軌則，由見聞疑能正諫舉，真實不以虛妄，應時不以非時，饒益不以衰損，柔軟不以麁獷，善友不以憎嫉。

> ある修行者が、戒律を高めるための規則を犯し、行動規範を高めるための規則を破った場合、他の修行者は、実際に見たり聞いたり疑ったりした事実に基づいて、正しく忠告し指摘すべきです。その際、真実に基づいて虚偽ではなく、適切な時に行い時期を誤らず、相手の利益を考えて害を与えず、優しい言葉で荒々しくなく、友情をもって憎しみや妬みからではなく行うべきです。

如是名為善能諫舉。

> これこそが、よく諫め、よく指摘するというのです。

云何名為善作憶念？

> 善き憶念（ぜんきおくねん）とは、どのようなものですか？

謂令憶念先所犯罪，或法、或義。

> 過ちを犯したこと、あるいは教えやその意味を思い出させることです。

云何名為令其憶念先所犯罪？

> では、かつて犯した罪をどのようにして心に呼び覚まさせるのでしょうか？

謂若有餘，先起毀犯而不能憶，善作方便，令彼憶念。告言：長老！曾於某處、某事、某時，毀犯如是如是色類。如是名為令其憶念先所犯罪。

> また、もし修行者に残された罪があり、先に違反を犯したにもかかわらず思い出せない場合、巧みな方法を用いて、その者に思い出させるべきです。「尊い方よ、あなたはかつて、ある場所で、ある時に、ある事柄について、このような種類の違反を犯しました」と告げます。これが「先に犯した罪を思い出させる」という意味です。

云何名為令憶念法？謂若有餘，於先所聞、所受正法，獨處思念。所謂契經、應頌、記別，廣說如前。彼若不憶，令其憶念，或復稱述、授與令憶，或興請問、詰難令憶。如是名為令憶念法。

> 仏法を憶念させるとはどういうことか。それは、すでに教えを聞き受けた人に対し、静かな場所で自らその教えを思い起こさせることである。いわゆる経典、偈頌、授記など、先に広く説かれた教えについて、もし忘れてしまったなら、思い出させる。あるいは繰り返し述べること、教えを授けて記憶させること、あるいは質問を投げかけ、問い詰めることで思い出させる。これが仏法を憶念させるという意味である。

云何名為令憶念義？謂若有餘，於先所聞、所受正義，有所忘失，為作憶念，宣說開示，令新令顯。

> 「記憶を促すとは何か」という問いに対して、かつて聞き覚えた正しい教えを忘れてしまった人がいる場合、その教えを思い出させるために、説明して示し、新たにし、明確にすることである。

又若有善能引義利、能引梵行，久時所作、久時所說，彼若忘失，亦令憶念。

> また、善（善巧）に義（利益）や梵行（清らかな修行）を導くことができ、長い時間をかけて行ってきたことや語ってきたことについて、もし忘れてしまっても、それを思い出させてくれるのです。

如是名為善作憶念。

> このように、善く心に留めることをいうのです。

云何名為善能教授？

> では、善く教え導くとは、どのようなことを言うのでしょうか。

謂於遠離、寂靜瑜伽作意止觀，時時隨順教授而轉，時時宣說與彼相應無倒言論。

> 遠離や静けさの中で、ヨガの修行や止観（サマタとヴィパッサナー）に専念する者には、教えに従って常に実践を促し、それにかなった正しい言葉を常に説くのである。

所謂能趣心離障蓋甚可愛樂尸羅言論、等持言論、聖慧言論、解脫言論、解脫智見言論。

> いわゆる、心が障りや蓋（ふた）から離れてゆく道となる、実に愛すべき「戒律（かいりつ）の教え」「心の統一（じょうじ）の教え」「聖なる智慧（ちえ）の教え」「解放（げだつ）の教え」「解放の智慧と見解の教え」です。

少欲言論、喜足言論。

> 欲を減らすことについて語り、足ることを知る喜びについて語る。

永斷言論、離欲言論、寂滅言論。

> 言葉によるやりとりを完全に断ち切り、欲望を手放し、静けさの境地に至るための話し合い。

損減言論、無雜言論、隨順緣性緣起言論。

> 損なうことのない教え、雑多でない教え、縁起の道理に従った教え。

如是名為善能教授。

> このようにして、よく教え導くことができるのです。

云何名為善能教誡？

> 「善く教え戒める」とは、どのようなことを言うのでしょうか。

謂於大師所說聖教，能以正法、以毘奈耶平等教誨。或軌範師，或親教師，或同法者，或餘尊重、等尊重者，如實知彼隨於一處違越毀犯，便於時時如法呵責、治罰、驅擯，令其調伏。

> 大師の説かれた聖なる教えについて、正しい教えと戒律をもって平等に教え導くこと。あるいは、指導者、教師、同じ道を歩む仲間、その他尊敬すべき方々が、もし誰かが戒律を破ったり過ちを犯したのを正しく見極めたならば、適切な時にその人を正しく叱責し、戒め、あるいは僧団から追放することによって、その人を正しい道に導き調伏させるのである。

既調伏已，如法平等受諸利養，和同、曉悟、收斂、攝受。

> すでに調伏（心を整える修行がなされたならば、法に従い平等に利益や供養を受け、和合し、共に理解し、収め、受け入れ導く。

於所應作及不應作，為令現行不現行故。於其積習及不積習，教導教誨。

> 為すべきことと為すべきでないことについて、それが行われるように、あるいは行われないようにするためです。また、身についている習慣と、まだ身についていない習慣について、教え導き、訓戒を与えるのです。

如是名為善能教誡。

> これが「善く教え戒める」ということなのです。

云何名為善說正法？

> 「よく説かれた正しい教え」とは、どのようなものを言うのでしょうか？

謂於時時能善宣說初時所作無倒言論。所謂施論、戒論、生天之論。於諸欲中，能廣開示過患出離清淨品法。

> 時に、時に応じて巧みに説くべき、当初に説かれた真理にかなった教えがあります。すなわち、布施についての教え、戒律についての教え、天に生まれるための教えです。さまざまな欲望については、その過ちやそこから離れ出て清らかになる方法を、広く明らかに示すのです。

又於時時宣說超勝四種聖諦相應言論。

> また、折に触れて、四つの聖なる真理に基づいた、この上なく優れた教えを説かれるのである。

所謂苦論、集論、滅論、道論。為諸有情得成熟故，為諸有情得清淨故，為令正法得久住故，宣說相應、助伴、隨順、清亮、有用、相稱、應順名句文身所有言論。又此言論應時而發、殷重、漸次、相續、俱有。

> 仏教では、(1)苦しみについての教え、(2)苦しみの原因についての教え、(3)苦しみの克服についての教え、(4)その実践法についての教えがあります。 これらは、すべての生きとし生けるものを成熟させ、清らかにし、正しい教えを長くこの世に保つために説かれました。 その教えは、調和がとれ、補い合い、道理にかなっており、明瞭で、実践的であり、目的に合い、すべての状況に適した、優れた言葉と表現で語られています。 また、その言葉は、時機を選んで、真剣に、段階を追って、途切れることなく、そして常に心を込めて語られるものです。

令其欣慶、令其愛樂、令其歡喜、令其勇悍、無所訶擯、相應、助伴、無亂、如法、稱順眾會。有慈憐心，有利益心，有哀愍心，不依利養、恭敬、讚頌，不自高舉、不陵蔑他。

> 彼らを喜ばせ、楽しませ、歓喜させ、勇気づける。 非難したり排斥したりせず、調和し、助け合い、乱れがなく、法に適い、大衆に調和する。 慈しみの心を持ち、利益の心を持ち、哀れみの心を持つ。 利得や称賛、敬われることに依らず、自らを高めず、他者を見下さない。

如是名為善說正法。

> このように、正しい教えをよく説くことを「善説正法」と言います。

由彼成就如是八支，於時時間善能諫舉、善作憶念、善能教授、善能教誡、善說正法，是故說彼名為善友。

> 彼がこの八つの支えを成就することにより、時を選んで適切に諫め、よく記憶を促し、よく教え導き、よく訓戒し、正しい教えをよく説くことができる。ゆえに、彼を「善き友」と名付けるのである。

如是廣辯善友性已。

> このように、善き友の性質について広く説き明かしたのである。