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title: "瑜伽師地論 · 2目 應思處(二門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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但正思惟所有諸法自相、共相。

> しかし、あらゆる諸法の自相（それぞれの独自の性質）と共相（共通の性質）について、正しく思惟（考えを巡らせること）しなさい。

如是思惟，復有二種。一者、以算數行相，善巧方便算計諸法；二者、以稱量行相，依正道理觀察諸法功德過失。謂若思惟諸蘊相應所有言教，若復思惟如前所說所餘隨一所有言教，皆由如是二種行相方便思惟。

> このように考えることには、さらに二つの種類がある。一つ目は、数を数えるようにして、巧みに理法を計算していくこと。二つ目は、はかりにかけるようにして、正しい道理に基づいて理法の功徳や過失を観察することである。つまり、五蘊に関する教えを考える場合も、前に述べたその他のいかなる教えを考える場合も、すべてこの二つの方法によって思惟するのである。

此復云何？謂言色者，即十色處，及墮法處所攝眾色，是名色蘊。所言受者，即三種受，是名受蘊。所言想者，即六想身，是名想蘊。所言行者，即六思身等，是名行蘊。所言識者，即六識身等，是名識蘊。如是名為以算數行相，思惟諸蘊相應言教。或復由此算數行相，別別思惟展轉差別，當知即有無量差別。

> では、それを詳しく説明しよう。 「色」といわれるものは、十の色の領域（十色処）と、法の領域（法処）に含まれる様々な色を指し、これが色蘊である。 「受」といわれるものは、三種類の受（苦・楽・捨）を指し、これが受蘊である。 「想」といわれるものは、六つの想（六想身）を指し、これが想蘊である。 「行」といわれるものは、六つの思（六思身）などを指し、これが行蘊である。 「識」といわれるものは、六つの識（六識身）などを指し、これが識蘊である。 このように、数を数える方法（算数行相）によって、諸蘊に関する教えを考えることができる。 また、この数を数える方法によって、一つ一つを区別して考え、さらにその違いを広げていけば、無数の違いがあることを知るべきである。

云何以稱量行相，依正道理思惟諸蘊相應言教？謂依四道理無倒觀察。何等為四？一、觀待道理，二、作用道理，三、證成道理，四、法爾道理。

> 「どのようにして、はかるというはたらきによって、正しい道理に基づいて、諸々の「蘊（集まり）」についての教えを思惟するのか？」 それは、四つの道理によって、正しく観察するからである。 その四つとは何か。 第一に「観待の道理」、第二に「作用の道理」、第三に「証成の道理」、第四に「法爾の道理」である。

云何名為觀待道理？謂略說有二種觀待。一、生起觀待，二、施設觀待。生起觀待者，謂由諸因、諸緣勢力生起諸蘊，此蘊生起要當觀待諸因、諸緣。施設觀待者，謂由名身、句身、文身施設諸蘊，此蘊施設要當觀待名句文身。是名於蘊生起觀待、施設觀待。即此生起觀待、施設觀待，生起諸蘊、施設諸蘊，說名道理瑜伽方便，是故說為觀待道理。

> 「観待道理とは何か。簡潔に言えば、二種類の観待がある。第一に、生起（しょうき）の観待、第二に、施設（せせつ）の観待である。 生起の観待とは、様々な因や縁の力によって五蘊（ごうん）が生じることである。この五蘊の生起は、必ず様々な因や縁に依存しなければならない。 施設の観待とは、名称、文章、音声といった表現によって五蘊が概念づけられることである。この五蘊の概念づけは、必ずそれらの表現に依存しなければならない。 これらを、五蘊における生起の観待と施設の観待と名づける。この生起の観待と施設の観待、すなわち五蘊を生じさせ、五蘊を概念づける働きを、道理（どうり）の瑜伽方便（ゆがほうべん）と言う。ゆえに、これを観待道理と呼ぶのである。」

云何名為作用道理？謂諸蘊生已，由自緣故，有自作用，各各差別。謂眼能見色，耳能聞聲，鼻能嗅香，舌能甞味，身能覺觸，意能了法。色為眼境，為眼所行；乃至法為意境，為意所行。或復所餘如是等類，於彼彼法別別作用，當知亦爾。即此諸法各別作用所有道理瑜伽方便，皆說名為作用道理。

> 作用の道理とは何か。諸々の「蘊」（存在の構成要素）が生じた後、それぞれの原因によって、個別の働きを持つことを言う。すなわち、眼は色を見る働きを持ち、耳は音を聞き、鼻は香りを嗅ぎ、舌は味を感じ、身は触れられるものを感じ、意は法（心の対象）を了知する。色は眼の対象であり、眼が認識する範囲である。同様に、法は意の対象であり、意が認識する範囲である。その他にも、このような各々の対象における個別の働きについても、同じように理解すべきである。これらの諸々の法において、それぞれ異なる働きがあるという道理、およびヨガ（修行法）に適した方法を、すべて「作用の道理」と呼ぶのである。

云何名為證成道理？謂一切蘊皆是無常，眾緣所生，苦、空、無我。由三量故，如實觀察。謂由至教量故，由現量故，由比量故。由此三量證驗道理。諸有智者，心正執受、安置、成立。謂一切蘊皆無常性、眾緣生性、苦性、空性，及無我性。如是等名證成道理。

> 「証にかなう道理（証成道理）」とは何か。すなわち、すべての「蘊」は、無常であり、様々な因縁によって生じたものであり、苦しみであり、実体がなく、我という固定的なものがない、と説くことです。 これを、「三つの正しい認識の手段（三量）」によって、あるがままに観察します。それは、「聖なる教えによる正しい認識（至教量）」と「直接の知覚による認識（現量）」と「推論による認識（比量）」です。この三つの手段によって、道理が確かめられます。 智慧ある人は、心でそれを正しく受け止め、確かにそうだと理解し、確かな教えとして打ち立てます。つまり、「すべての蘊は無常である」「因縁によって生じたものである」「苦しみである」「実体がない」「我がない」と。このように説かれるものが、証にかなう道理（証成道理）と呼ばれるものです。

云何名為法爾道理？謂何因緣故，即彼諸蘊如是種類，諸器世間如是安布？何因緣故，地堅為相、水濕為相、火煖為相、風用輕動以為其相？何因緣故，諸蘊無常、諸法無我、涅槃寂靜？何因緣故，色變壞相、受領納相、想等了相、行造作相、識了別相？由彼諸法本性應爾、自性應爾、法性應爾，即此法爾，說名道理瑜伽方便。或即如是、或異如是、或非如是，一切皆以法爾為依，一切皆歸法爾道理，令心安住、令心曉了。如是名為法爾道理。

> では、「法爾道理」とは何か。つまり、どのような因縁によって、これらの五蘊がそのような種類となり、器世間がそのように配置されるのか。どのような因縁によって、地は堅固を、水は湿潤を、火は暖かさを、風は軽やかで動くことをその特性とするのか。どのような因縁によって、諸蘊は無常であり、諸法は無我であり、涅槃は寂静であるのか。どのような因縁によって、色は壊れゆく性質、受は感受する性質、想は対象を捉える性質、行は作り出す性質、識は分別する性質を持つのか。 それらは、諸法が本来そうあるべき性質、自ずからそうである性質、法としてそうなる性質だからである。この「法爾」こそを、道理、瑜伽の方便と呼ぶ。あるいはその通りであり、あるいはそれとは異なり、あるいはそれとは別であっても、すべては法爾に依拠し、すべては法爾の道理に帰する。それによって心を安らかにし、心を明らかにする。これを法爾道理と名付ける。

如是名為依四道理，觀察諸蘊相應言教。

> このように、この四つの道理に基づいて、諸々の「蘊」に関する教えを観察することができるのです。