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title: "瑜伽師地論 · 2目 略義"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復云何知此中略義？謂於此中略有三障。一、加行障，二、遠離障，三、寂靜障。

> では、この中の簡略な意味をどのように知るべきか。この中には、大きく分けて三つの障害がある。第一に修行への取り掛かりを妨げる障害、第二に修行から離れることを妨げる障害、第三に心の静けさを妨げる障害である。

云何加行障？謂若此障會遇現前，於諸善品所有加行皆無堪能，亦無勢力。此復云何？謂常疹疾、困苦、重病，風熱痰癊數數發動，或有宿食住在身中，或被蛇蠍、百足、蚰蜒之所䖧螫，或人非人之所逼惱，又不能得衣、食、臥具、病緣醫藥及餘什具。如是等類，應知一切名加行障。

> 加行の障害とは何か。それは、この障害が現れて目の前にあるとき、あらゆる善い行いのための努力（加行）ができなくなり、その力もなくなる状態を言う。具体的にはどういうことか。常に病気にかかり、苦しみ、重い病を抱え、風や熱、痰などの病が繰り返し起こる。あるいは、食べ物が体内に留まって消化されない。または、蛇や蝎、百足、蚰蜒に刺される。あるいは、人や非人（人間以外の存在）に悩まされる。さらには、衣服や食べ物、寝具、病気のための薬やその他の道具を得ることができない。こうしたもののすべてを、加行の障害と知るべきである。

云何遠離障？

> どのようにして妨げから遠ざかるのでしょうか。

謂食麁重。

> 粗重（くじゅう）というのは、食べ物によって生じる重苦しさのことです。

多事、多業、多有所作。或樂事業。由此因緣，愛樂種種所作事業，彼彼事中其心流散。

> 多くの用事や仕事や行うべきことがあります。あるいは、仕事を楽しむ者もいます。こうした理由から、さまざまな仕事を好んで行い、その一つひとつのことに心が散り乱れてしまいます。

或樂語言。由此因緣，雖於遠離斷寂靜修，有所堪能、有大勢力，然唯讀誦便生喜足。

> ある者は、言葉を好む。そのような因縁によって、遠離（遠離）や断（断ち）や寂静（静けさ）の修行に対して、能力があり大きな力を持つにもかかわらず、ただ読み誦するだけで満足してしまう。

或樂睡眠。由此因緣，惛沈睡眠常所纏繞，為性懈怠，執睡為樂、執倚為樂、執臥為樂。

> あるいは睡眠を好む者もいる。そうした因縁によって、常に昏沈睡眠に悩まされ、本性として怠け者となり、寝ることを楽しみ、寄りかかることを楽しみ、横になることを楽しむのである。

或樂諠眾。由此因緣，樂與在家及出家眾、談說種種王論、賊論、食論、飲論、妙衣服論、婬女巷論、諸國土論、大人傳論、世間傳論、大海傳論。如是等類能引無義虛綺論中，樂共談說，抂度時日。

> あるいは、にぎやかな群れを好む者もいる。 この因縁によって、在家の人々や出家した人々と共に、 王様の話、盗賊の話、食べ物の話、飲み物の話、美しい衣服の話、 遊女や街角の話、様々な国の話、偉人の伝記、世間のうわさ、大海の冒険譚など、 心を無意味な虚構の話に引き込むようなことを楽しみ、共に語り合い、 ただむなしく時を過ごすのである。

又多愛樂數與眾會。彼彼事中令心散動、令心擾亂。

> また、多くの人と集うことを好み、様々な出来事の中で心を散らし、心を乱してしまう。

或樂雜住。由此因緣，諸在家眾及出家眾，若未會遇，思慕欲見；若已會遇，不欲別離。

> あるいは、在家と出家が混ざり合って共に住むことを好む者がいる。そのため、在家の人々も出家の人々も、まだ出会っていない相手には会いたいと慕い、すでに出会った相手とは別れたくないと願うのである。

或樂戲論。由此因緣，樂著世間種種戲論。於應趣向好樂前行，於遠離中喜捨善軛。如是等類眾多障法，應知一切名遠離障。若有此障會遇現前，難可捨離阿練若處、山林、曠野、邊際臥具所有貪著，亦不能居阿練若處、塚間、樹下、空閑靜室。

> ある者は戯論（理論的な遊び）を好む。その因縁によって、世間の様々な戯論に執着する。本来進むべき正しい道に向かって進むことを楽しみ、また、俗世を離れた修行において善い導きを喜んで捨てる。このような多くの障りとなる法（現象）を、全て「遠離の障り」と知るべきである。もしこの障りが現前したならば、阿蘭若（静かな修行の場所）や山林、荒野、簡素な寝具などへの執着を捨て難く、また、阿蘭若・塚間・樹下・閑静な部屋に留まることもできない。

云何寂靜障？謂寂靜者，即奢摩他、毘鉢舍那。有奢摩他障、有毘鉢舍那障。

> 静寂の妨げとは何か。静寂とは、すなわち奢摩他（止）と毘鉢舍那（観）のことである。この奢摩他には妨げがあり、毘鉢舍那にも妨げがある。

云何奢摩他障？謂諸放逸及住非處。由放逸故，或惛沈睡眠纏繞其心，或唯得奢摩他便生愛味，或於下劣性心樂趣入，或於闇昧性其心樂著。由住如是非處所故，人或非人諠雜擾亂，他所逼惱，心外馳散。如是名為奢摩他障。當知此障能障寂靜。

> 「では、奢摩他（静慮・止）の妨げとは何か？」 それは、放逸や非処に住することである。 放逸の故に、あるいは昏沈や睡眠が心を覆い、 あるいはただ奢摩他を得ただけで愛着を抱き、 あるいは劣った性質に心が向かいやすく、 あるいは暗い曖昧な性質に心が執着する。 また、そのような不適切な場所に住むことによって、 人や人ならざる者の騒音などによって乱され、 他者から悩まされ、心が外へと散乱してしまう。 これを「奢摩他障」という。 この妨げは、心の静寂を妨げるものと知るべきである。

云何毘鉢舍那障？謂樂自恃舉及以掉亂。

> 毘鉢舍那（観察）の妨げとは何か。それは、自己に慢心して高ぶることと、心が落ち着かず散乱することである。

樂自恃舉者，謂如有一，作是思惟：我生高族，淨信出家，非為下劣，諸餘比丘，則不如是。由此因緣，自高自舉，陵蔑於他。如是我生富族，淨信出家，非為貧匱，我具妙色，喜見端嚴，多聞、聞持、其聞積集，善巧言詞，語具圓滿，諸餘比丘則不如是。由此因緣，自高自舉，陵蔑於他。彼由如是自高舉故，諸有比丘耆年多智、積修梵行，不能時時恭敬請問。彼諸比丘亦不時時為其開發未開發處，為其顯了未顯了處，亦不為其殷到精懇、以慧通達甚深句義方便開示，乃至令其智見清淨。如是名為樂自恃舉毘鉢舍那障。又如有一，唯得少分下劣智見安隱而住。彼由如是少分下劣智見安住便自高舉；自高舉故，便生喜足，更不上求。是名樂自恃舉所住毘鉢舍那障。

> 自分を誇り、高ぶることを喜ぶ者とは、例えばある者が次のように考えることである。「私は高貴な家柄に生まれ、清らかな信心をもって出家した。決して卑しい身分ではない。他の比丘たちはそうではない」と。このような理由から、自分を高く評価し、他者を見下す。また、「私は裕福な家に生まれ、清らかな信心をもって出家した。貧しい者ではない。私は優れた容姿を持ち、見る者を喜ばせ、端整である。多くのことを聞き、それを記憶し、聞いたことを蓄積している。言葉巧みで、語るべきことを完全に備えている。他の比丘たちはそうではない」と考える。こうした理由から、自分を高く評価し、他者を見下す。彼はこのように自分を高く評価するため、年長で智慧があり、長く清らかな行いを積んだ比丘たちに対して、時々敬いをもって質問したりしない。また、そのような比丘たちも、彼のために未だ開かれていないところを開き、明らかでないところを明らかにし、あるいは、深い意味の言葉を智慧をもって通達し、丁寧に切実に教え示して、彼の智見を清らかにすることもしない。これを「自分を誇り高ぶらせることを楽しむヴィパッシュヤナの障害」という。また、ある者は、ほんのわずかで劣った智見を得て、安らかに住している。彼は、このようなわずかで劣った智見に安住したことにより、自らを高く評価する。自らを高く評価するがゆえに、満足してしまい、さらに上のものを求めない。これを「自分を誇り高ぶらせることに安住するヴィパッシュヤナの障害」という。

言掉亂者：謂如有一，根不寂靜，諸根掉亂，諸根囂舉。於一切時，惡思所思、惡說所說、惡作所作。不能安住思惟諸法，不能堅固思惟諸法。由此因緣，毘鉢舍那不能圓滿、不得清淨。是名掉亂毘鉢舍那障。如是二法障奢摩他，謂多放逸，及住非處；二法能障毘鉢舍那，謂樂自恃舉及以掉亂。

> 散乱とは、例えば、ある人が諸根が静まらず、諸根が乱れ、諸根が騒ぎ立てることです。常に、悪いことを思い、悪いことを語り、悪いことを行います。心を落ち着けて様々な事柄を観察することができず、確固として様々な事柄を観察することもできません。このような理由から、観察の智慧（ヴィパッサナー）が完全に成就せず、清らかにもなりません。これを「散乱による観察の智慧の障害」といいます。このように、二つの法が心の静まり（サマタ）を妨げます。すなわち、多くの放逸と、ふさわしくない場所に留まることです。また、二つの法が観察の智慧を妨げます。すなわち、自己を恃み誇ることと、散乱です。

如是若奢摩他障、若毘鉢舍那障，總名寂靜障。如是名為障之略義。

> このように、奢摩他（止）の障り、毘鉢舎那（観）の障りは、総じて寂静の障りと呼ばれます。これを障りの簡潔な意味とします。