---
title: "瑜伽師地論 · 2目 辨問答(六問六答)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhc3t02onib04bbmideog"
---

問：誰能施？誰所施？用何施？何相施？云何施？何故施？由此因緣，施性無罪。

> 問：だれが施すのか？　何を施すのか？　どのように施すのか？　どのような心で施すのか？　なぜ施すのか？　これらの条件によって、施しという性質は罪がないものとなる。

答：誰能施者，謂施者、施主，是名能施。云何施者？云何施主？謂若自手施，名為施者；若自物施、若欣樂施、非不樂施，名為施主。

> 問う：「施す者」とは何か。施す者、また施主のことを「能施」という。では施す者とは何か。施主とは何か。自らの手で施すことを施す者と呼び、自分の所有物を施し、喜んで施し（嫌々施すのではない）ことを施主と呼ぶ。

誰所施者，謂四種所施。一、有苦者，二、有恩者，三、親愛者，四、尊勝者。云何有苦者？謂貧窮者、或乞匃者、或行路者、或悕求者、或盲瞽者、或聾騃者、或無依者、或無趣者、匱乏種種資生具者。復有所餘如是等類，名有苦者。云何有恩者？謂或父母、或乳飲者、或養育者、或成長者、或於曠野沙磧等中能濟度者、或飢儉時能賑恤者、或怖怨敵而救援者、或被執縛而能解者、或遭疾病而救療者、教利益者、教安樂者、引利益者、引安樂者、隨所生起諸事務中為助伴者、同歡喜者、同憂愁者、遭厄難時不相棄者。復有所餘如是等類，名有恩者。云何親愛者？謂諸親友，或於其處有愛有敬、或信順語、或數語言談論交往、或有親昵。復有所餘如是等類，說名親愛。云何尊勝？謂若沙門、若婆羅門，世間同許為賢善者、離損害者、極離害者、離貪欲者、為調伏貪而修行者、離瞋恚者、為調伏瞋而修行者、離愚癡者、為調伏癡而修行者。復有所餘如是等類，名尊勝者。

> 施すべき相手とは、四種類の者を指します。第一に苦しむ者、第二に恩ある者、第三に親愛なる者、第四に尊勝なる者です。 どのような者が苦しむ者かと言えば、貧しい者、乞食、旅人、何かを求める者、盲人、ろうあ者、頼る者のない者、行き場のない者、さまざまな生活の道具に乏しい者などを言います。その他にもこのような種類の者を、苦しむ者と呼びます。 どのような者が恩ある者かと言えば、父母、乳を与えてくれた者、養育してくれた者、成長させてくれた者、荒野や砂漠などで助け救ってくれた者、飢饉の時に救済してくれた者、恐ろしい敵から救い出してくれた者、捕らえられた時に解き放ってくれた者、病気の時に治療してくれた者、利益を教えてくれた者、安らぎを教えてくれた者、利益へと導いてくれた者、安らぎへと導いてくれた者、様々な仕事の際に助けてくれた者、共に喜んでくれた者、共に悲しんでくれた者、困難な時に見捨てなかった者などを言います。その他にもこのような種類の者を、恩ある者と呼びます。 どのような者が親愛なる者かと言えば、親しい友人や、愛情と敬意を持って接する者、信頼して従う言葉をかけてくれる者、頻繁に話し合い交流する者、親しく交わる者などを言います。その他にもこのような種類の者を、親愛なる者と呼びます。 どのような者が尊勝なる者かと言えば、僧侶やバラモンなど、世間で賢く善い人と認められている者、他者を害さない者、全く害をなさない者、貪欲を離れた者、貪欲を調伏するために修行する者、怒りを離れた者、怒りを調伏するために修行する者、愚かさを離れた者、愚かさを調伏するために修行する者などを言います。その他にもこのような種類の者を、尊勝なる者と呼びます。

用何施者，謂若略說，或用有情數物而行惠施，或用無情數物而行惠施。云何有情數物持用惠施？謂或妻子、奴婢、作使，或象、馬猪牛、羊、雞、鴨、駝、騾等類，或有諸餘大男、大女、小男、小女，或復所餘如是等類所用施物。或復內身頭、目、手、足、血、肉、骨、髓隨願施與，此亦名為有情數物持用布施。是諸菩薩所現行事，非此義中意所許施。若有於彼諸有情類，或得自在，或有勢力，或能制伏。若應持彼惠施於他；若惠施時自無有罪；若不由彼惠施因緣，他心嫌恨；若施於他，知彼有情不為損惱；是名無罪有情數物持用惠施。云何無情數物持用惠施？謂略說有三種物。一者、財物，二者、穀物，三者、處物。言財物者，謂末尼、真珠、琉璃、螺貝、璧玉、珊瑚、馬瑙彩石、生色可染、赤珠右旋。復有所餘如是等類，或諸珍寶、或金、或銀、或諸衣服、或諸什物、或香、或鬘。是名財物。云何穀物？謂諸所有可食可飲，大麥、小麥、稻穀、粟穀、糜黍、胡麻、大小豆等，甘蔗、蒲桃、乳酪、果汁、種種漿飲。復有所餘如是等類，是名穀物。云何處物？謂諸田宅、邸店、鄽肆，建立福舍及寺館等。復有所餘如是等類，是名處物。是名無罪無情數物持用惠施。當知此中，有情數物、無情數物，一切總說名所用施。

> どのようなものを施すのかといえば、大まかに言って、有情（生きとし生けるもの）に関する品物を用いて施しを行う場合と、無情（有情以外のもの）に関する品物を用いて施しを行う場合とがある。 では、有情に関する品物を用いて施すとはどういうことか。それは例えば、妻や子、召使い、奴隷、あるいは象、馬、豚、牛、羊、鶏、鴨、駱駝、ラバなどである。また、その他の成人男性、成人女性、少年、少女、あるいはそれ以外のこのような種類の施し物も含まれる。さらに、自身の身体の一部である頭、目、手、足、血、肉、骨、髄を願いに応じて施すこともあり、これらも有情に関する品物を用いた施しとされる。 これらは菩薩が実際に行う行いであるが、ここでの教えの意図するところの施しではない。もし、それらの有情に対して自在を得ていたり、勢力があったり、制御できる立場にあるならば、その有情を他人に施すことがあるかもしれない。しかし、その施しによって自らが罪を得ず、その施しの因縁によって相手の心に恨みや嫌悪が生じず、さらに施しを受けた有情が損害や悩みを受けることがないと知ったなら、それを罪のない有情に関する品物を用いた施しという。 では、無情に関する品物を用いた施しとはどういうことか。それは大まかに三種類の品物がある。一つ目は財物、二つ目は穀物、三つ目は処物（場所に関する品物）である。 財物とは、真珠、瑠璃、螺貝、璧玉、珊瑚、瑪瑙、彩石、生色可染、赤珠右旋などをいう。また、その他のこのような種類の珍宝、あるいは金、銀、衣服、諸々の道具類、香や鬘なども含まれる。これらを財物という。 穀物とは、食べたり飲んだりできるもの全てであり、大麦、小麦、稲穀、粟穀、糜黍、胡麻、大小豆など、また甘蔗、葡萄、乳酪、果汁、様々な飲み物なども含まれる。このような種類のものを穀物という。 処物とは、田地、家屋、店舗、市場、福祉施設、寺院や宿舎などをいう。このような種類のものを処物という。これらを罪のない無情に関する品物を用いた施しという。 知るべきである。これらの有情に関する品物と無情に関する品物をすべて総称して、施しに用いる品物というのである。

何相施者，謂無貪俱行思造作心意業，及此所起身業、語業，捨所施物。或自相續，或他相續。是名施相。

> 施の相とは、貪り（むさぼり）の心がなく、布施しようという思い（思）が伴って生まれる心の働き（意業）、そしてそれによって実際に行われる身体の動作（身業）や言葉（語業）のことです。また、布施される物そのものを手放す（捨てる）ことも含みます。この布施の行為は、自分自身の心の連続（自相続）や、他の人の心の連続（他相続）において行われます。これを施の相といいます。

云何施者，謂由淨信而行惠施；由正教見而行惠施；由有果見而行惠施；由極殷重而行惠施；由恭敬心自手行施，而不輕慢；應時而施，濟他要用；不損惱他而行惠施。如法平等，不以兇暴積集財物而行惠施，以鮮潔物而行惠施，以精妙物而行惠施，以清淨物而行惠施。由此自他俱無有罪，數數惠施制伏慳垢，積集勢力而行惠施。先心歡喜而行惠施，於正施時其心清淨，施已無悔。如是而施。

何故施者，或慈悲故而行惠施，謂於有苦。或知恩故而行惠施，謂於有恩。或愛、或敬、或信順故而行惠施，謂於親愛。或為悕求世出世間殊勝功德而行惠施，謂於尊勝。

> 施者が布施を行う理由には、いくつかの種類があります。 あるいは、慈悲の心から行う布施——これは苦しむ者に対して。 あるいは、恩を知って行う布施——これは恩のある者に対して。 あるいは、愛情や尊敬、信頼の気持ちから行う布施——これは親しく愛する者に対して。 あるいは、現世や来世における優れた功徳を求めて行う布施——これは尊い聖者に対してです。