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title: "瑜伽師地論 · 3目 結成沙門莊嚴"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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若有成就如是諸法，愛樂正法、愛樂功德；不樂利養恭敬稱譽。亦不成就增益、損減二種邪見。於非有法未甞增益，於實有法未甞損減。於諸世間事文綺者，所造順世種種字相綺飾文句相應詩論，能正了知無義無利，遠避、棄捨、不習、不愛，亦不流傳。不樂貯畜餘長衣鉢。遠離在家共諠雜住，增煩惱故。樂與聖眾和合居止，淨修智故。不樂攝受親里朋友。勿我由此親友因緣，當招無量擾亂事務；彼或變壞，當生種種愁慼、傷歎、悲苦、憂惱。隨所生起本隨二惑，不堅執著，尋即棄捨、除遣、變吐。勿我由此二惑因緣，當生現法後法眾苦。終不虛損所有信施，終不毀犯清淨禁戒受用信施，終不毀呰他人信施。終不棄捨所受學處。常樂省察己之過失，不喜伺求他所愆犯。隱覆自善，發露己惡。命難因緣，亦不故思毀犯眾罪；設由忘念，少有所犯，即便速疾如法悔除。於應作事翹勤無墮，凡百所為自能成辦，終不求他為己給使。於佛世尊及佛弟子不可思議威德神力、甚深法教深生信解，終不毀謗；能正了知唯是如來所知所見，非我境界。終不樂住自妄見取、非理僻執、惡見所生言論呪術。

> このような正しい教えを成就し、正しい法を愛好し、功徳を愛好する者は、利養や恭称賛誉を喜ばない。 また、「増益」と「損減」という二つの邪見を成就することもない。 存在しない法に対しては決して「有り」と付け加えず、実際に存在する法に対しては決して「無し」と減じることはない。 世間の事物を飾り立てる、様々な文字や綺麗な句で飾った詩論などについても、それらに意味も利益もないことを正しく理解し、遠ざけ、捨て去り、習わず、愛好せず、また流布することもしない。 余分な衣や鉢を蓄えることを好まない。 在家の者との騒がしい交わりを避ける。それは煩悩を増すからである。 聖なる僧伽と共に和合して住むことを喜ぶ。それは智慧を清らかに修めるからである。 親類や友人を引き寄せることを好まない。「私がこれらの親友の縁によって、無量の擾乱を招くことになるのではないか。彼らがもし変わり果てれば、様々な憂愁や嘆き、悲しみ、苦しみ、悩みが生じるであろう」と考えるからである。 生じた根本煩悩と随煩悩に対しては、固執せず、すぐに捨て去り、追い払い、吐き出してしまう。「私がこれらの煩悩の因縁によって、現在世と未来世に多くの苦しみを受けることになる」と考えるからである。 決して信施を無駄にせず、清らかな禁戒を犯して信施を受けず、他人の信施を謗ることもない。 学んだ学処を決して捨てない。 常に自分の過失を反省することを喜び、他人の過失を探し求めることを好まない。 自分の善行は隠し、自分の悪行は顕わにする。 命をかけた難儀な境遇にあっても、決して故意に多くの罪を犯そうとは思わない。 たとえ忘念によって少し犯してしまっても、すぐに速やかに法に従って懺悔し、除く。 なすべきことには努力して励み怠らず、すべてを自ら成し遂げ、決して他人に自分の使いをさせることはない。 仏世尊および仏弟子たちの不可思議な威徳の神力と深遠な法教に対して深く信心と理解を生じ、決して謗らず、これらは如来の御所知見であって、自分の境界ではないと正しく了知する。 自分の虚妄の見解や非理な僻執、悪見から生じる言論や呪術に安住することを決して好まない。

若與如是功德相應，如是安住、如是修學，以正沙門諸莊嚴具而自莊嚴，甚為微妙。譬如有人，盛壯端正，好自莊嚴，樂受諸欲，沐浴身首，塗以妙香，服鮮白衣，飾以種種妙莊嚴具。所謂瓔珞、耳環、指環、腕釧、臂釧、諸妙寶印，并金銀等種種華鬘。如是莊嚴極為奇妙。

> そのような功徳を身につけ、そのように安住し、そのように修行に励む人は、正しい沙門としての様々な装飾具で自らを飾り、それは実に微妙である。例えば、ある人がおり、盛んで健康で端正な姿をしており、自らを飾ることを好み、様々な快楽を楽しみ、頭や体を洗い、素晴らしい香水を塗り、清らかな白い衣をまとい、様々な見事な装飾具で飾る。すなわち、瓔珞（ようらく）、耳環（じかん）、指輪、腕輪、臂釧（ひせん）、様々な素晴らしい宝印、そして金銀などの様々な華鬘（けまん）である。このような装いは極めて奇妙で素晴らしい。

如是行者，以正沙門種種功德妙莊嚴具而自莊嚴，其德熾然，威光遍照，是故說為沙門莊嚴。是名沙門莊嚴具義。

> このように修行する者は、正しい沙門の様々な功徳という素晴らしい荘厳の道具によって自らを飾り立てる。その徳は盛んに燃え立ち、威光はあまねく照らし出す。それゆえに「沙門の荘厳」と呼ばれる。これが沙門の荘厳の道具の意味である。

## 瑜伽師地論卷第二十五

> 瑜伽師地論 第二十五巻