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title: "瑜伽師地論 · 2目 標釋二十八種品類"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何鈍根補特伽羅？謂有補特伽羅，成就鈍根，於所知事遲鈍運轉，微劣運轉，如前已說。此復二種，應知其相。一者、本來鈍根種姓，二者、未善修習諸根。

> 鈍根の人の特徴とはどのようなものか。それは、理解力が遅く、物事を認識するのに時間がかかり、しかもその働きが弱々しい人のことである。すでに説明した通りである。この鈍根には、二つの種類があることを知るべきである。第一に、生まれつきの素質として鈍根である場合。第二に、諸々の感覚器官（五根）を十分に修行しなかった場合。

云何利根補特伽羅？謂有補特伽羅，成就利根，於所知事不遲鈍運轉，不微劣運轉，如前已說。此亦二種，應知其相。一者、本來利根種姓，二者、已善修習諸根。

> 利根の補特伽羅（＝能力の優れた人）とは、どのような人を指すのか。それは、知るべき事柄に対して、認識の働きが遅れることなく、また鈍くなることなく、はっきりと素早く機能する人である。これは前に述べた通りである。その特徴には、二つの種類があると知るべきである。一つは、生まれつき能力が優れた性質を持っている者、二つ目は、すでに身心の能力をよく修めた者である。

云何貪增上補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於貪煩惱已修、已習、已多修習；由是因緣，今此生中，於所愛事，有猛利貪、有長時貪。是名貪增上補特伽羅。

> 貪欲が強い人の特徴とは？それは、過去の生涯において、貪りの煩悩を繰り返し修行し、慣れ親しみ、たびたび実践してきた人です。そのような因縁によって、現在の人生では、愛着する対象に対して強い貪欲を持ち、長い間その貪欲が続きます。このような人を「貪りが強い人」と呼びます。

云何瞋增上補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於瞋煩惱已修、已習、已多修習；由是因緣，今此生中，於所憎事，有猛利瞋、有長時瞋。是名瞋增上補特伽羅。

> 瞋りが強く現れやすい人のことを説明します。そのような人は、過去の人生で怒りの煩悩を繰り返し身につけ、慣れ親しみ、何度も訓練してきました。そのため、この世では嫌いなことに対して激しい怒りや長く続く怒りが生じます。これが「瞋りが強い人」と呼ばれるのです。

云何癡增上補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於癡煩惱已修、已習、已多修習；由是因緣，今此生中，於所愚事，有猛利癡、有長時癡。是名癡增上補特伽羅。

> 愚かさが特に強い人とは、どのような人でしょうか。それは、過去の人生において、無知の煩悩を繰り返し行い、慣れ親しみ、何度も修行してきた人です。その因縁によって、現在の人生では、無知の対象に対して、強烈な無知と長く続く無知を持っています。このような人を「愚かさが特に強い人」と呼びます。

云何慢增上補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於慢煩惱已修、已習、已多修習；由是因緣，今此生中，於所慢事，有猛利慢、有長時慢。是名慢增上補特伽羅。

> 慢心が特に強い人とはどのような人か。過去の生存において、慢の煩悩を繰り返し修め、慣れ親しみ、多く修めてきた人である。その因縁により、現在の生存において、慢の対象に対して激しい慢と長く続く慢を持つ。これが慢心が特に強い人である。

云何尋思增上補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於其尋思已修、已習、已多修習；由是因緣，今此生中，於所尋思事，有猛利尋思、有長時尋思。是名尋思增上補特伽羅。

> どのような人が「思索にすぐれた人」と呼ばれるのでしょうか。 それは、過去の人生において、思索をすでに修行し、学び、繰り返し熟練してきた人です。 そのような因縁によって、現在の人生において、思索の対象に対して、強烈で長く続く思索を持つようになります。 このような人を「思索にすぐれた人」と呼びます。

云何得平等補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，雖於貪、瞋、癡、慢、尋思，不修、不習、不多修習，而於彼法未見過患、未能厭壞、未善推求。由是因緣，於所愛、所憎、所愚、所慢、所尋思事，無猛利貪、無長時貪，然如彼事，貪得現行。如貪、瞋、癡、慢、尋思亦爾。是名得平等補特伽羅。

> どのような人が「平等なる人」と呼ばれるのでしょうか。それは、過去の人生において、貪欲、怒り、無知、慢心、あれこれ思い巡らすことについて、修行を積まず、慣れ親しまず、何度も繰り返し修行しなかった人です。しかし、それらの煩悩に対して、その過ちを見抜いておらず、嫌うこともできず、正しく観察もしていない人です。 そのような因縁によって、愛するもの、憎むもの、無知なもの、慢心するもの、思い巡らすものに対して、激しい貪欲や、長く続く貪欲はありません。しかし、それらの対象に触れると、貪欲が現れ出ることがあります。貪欲と同様に、怒り、無知、慢心、思い巡らすこともまた同じです。このような人が「平等なる人」と呼ばれます。

云何薄塵性補特伽羅？謂有補特伽羅，先餘生中，於貪煩惱不修、不習、不多修習，已能於彼多見過患，已能厭壞、已善推求。由是因緣，今此生中，於所愛事會遇現前，眾多美妙上品境中，起微劣貪；於其中品、下品境中，貪全不起。如貪、瞋、癡、慢、尋思應知亦爾。是名薄塵性補特伽羅。

> 「煩悩の薄い人」とは、どういう人のことを言うのでしょうか。 それは、過去の生涯において、貪りの煩悩について、修行を積んだり、慣れ親しんだり、繰り返し修行したりせず、すでにその煩悩に対して多くの欠点や過ちを見抜き、厭離し、よく考察を尽くしてきた人のことです。 そのような因縁によって、現在の人生において、愛着する対象に出会い、多くの素晴らしく上等な状況が目の前に現れたとしても、わずかに貪りが起こる程度であり、中程度や下等な状況に対しては、貪りは全く起こりません。 貪りの場合と同じように、怒り、無知、慢心、さまざまな思考についても、同様であると理解すべきです。 これが「煩悩の薄い人」と呼ばれる者です。

云何行向補特伽羅？謂行四向補特伽羅。何等為四？一、預流果向，二、一來果向，三、不還果向，四、阿羅漢果向。是名行向補特伽羅。

> 修行の道を進む人とは何でしょうか。 それは、修行の段階に向かって進む四つの種類の人々のことです。 その四つとは、 第一に、預流果（悟りの流れに入る者）に向かう人。 第二に、一来果（一度だけこの世に還ってくる者）に向かう人。 第三に、不還果（もはや還ってこない者）に向かう人。 第四に、阿羅漢果（完全な悟りに達する者）に向かう人です。 これらが、修行の道を進む人と呼ばれます。

云何住果補特伽羅？謂住四果補特伽羅。何等為四？一、預流果，二、一來果，三、不還果，四、阿羅漢果。是名住果補特伽羅。

> 果報に安住する人とは、四つの果報に安住する人のことです。その四つとは何か？第一に予流果、第二に一来果、第三に不還果、第四に阿羅漢果です。これを果報に安住する人と言います。

云何隨信行補特伽羅？謂有補特伽羅，從他求請教授教誡，由此力故，修證果行。非如所聞、所受、所究竟、所思、所量、所觀察法，自有功能、自有勢力隨法修行；唯由隨他補特伽羅，信而修行。是名隨信行補特伽羅。

> 「信に従って修行する人」とはどのような人か。それは、他人から教えや戒めを請い求め、その力によって修行を積み、悟りの成果を目指す人のことである。自ら聞き、受け入れ、究め、考え、計り、観察した法（教え）に、自らの力や勢いで従って修行するのではなく、ただ他の人の教えを信じて修行に励む。このような人を「信に従って修行する人」と呼ぶ。

云何隨法行補特伽羅？謂有補特伽羅，如其所聞、所受、所究竟、所思、所量、所觀察法，自有功能、自有勢力隨法修行；不從他求教授教誡，修證果行。是名隨法行補特伽羅。

> 法に従って修行する人とは、どのような人でしょうか。 それは、聞いたこと、受けたこと、究めたこと、考えたこと、計ったこと、観察したことをもとに、自らの力で、自らの能力で法に従って修行を実践する人です。他人に教えや戒めを求めずに、自ら修行し、悟りの果報を証得します。このような人を「法に従って修行する人」と呼びます。

云何信勝解補特伽羅？謂即隨信行補特伽羅，因他教授教誡，於沙門果得觸證時，名信勝解補特伽羅。

> 信勝解の補特伽羅（修行者）とは、どのような人を指すのでしょうか。 それは、他の人からの教えや戒めに従って修行する「随信行」の補特伽羅が、沙門の果（修行の成果）に触れて実証したときに、信勝解の補特伽羅と名づけられます。

云何見至補特伽羅？謂即隨法行補特伽羅，於沙門果得觸證時，說名見至補特伽羅。

> 見至補特伽羅（見至の人）とはどういう意味でしょうか。それは、先に法に従って修行する随法行の補特伽羅が、沙門果（修行の成果）を実際に体得・実証した時に、見至補特伽羅と呼ばれるのです。

云何身證補特伽羅？謂有補特伽羅，於八解脫順逆入出身作證，多安住，而未能得諸漏永盡。是名身證補特伽羅。

> 身証補特伽羅とは何か。それは、ある修行者が八解脱を順逆に自在に出たり入ったりして、自らの身でそれを実証し、何度も安住しているが、まだすべての煩悩を永遠に尽くすことはできていない者である。これを身証補特伽羅という。

云何名為極七返有補特伽羅？謂有補特伽羅，已能永斷薩迦耶見、戒禁取、疑三種結故，得預流果，成無墮法，定趣菩提。極七返有天人往來。極至七返，證苦邊際。如是名為極七返有補特伽羅。

> 「極七返有の補特伽羅（ごくしちへんうのぶとがら）とは何か」というと、ある人がすでに「サッカーヤ見（自己や世界を実体視する見解）」「戒禁取（誤った修行や戒律への執着）」「疑（真理への疑惑）」の三つの結びつきを永遠に断ち切ったため、預流果（よるか）を得て、悪道に堕ちることのない境地に達し、確実に悟りへと向かう者を言います。この人は、天界と人間界の間を最高で七回往復するだけで、苦しみの終わりを証得します。このように呼ばれるのが、極七返有の補特伽羅です。

云何家家補特伽羅？謂有二種家家。一、天家家，二、人家家。天家家者，謂於天上，從家至家，若往、若來，證苦邊際。人家家者，謂於人間，從家至家，若往、若來，證苦邊際。當知此二，俱是預流補特伽羅。

> 「家家」の修行者とは、どのような人を指すのでしょうか。これには二種類あります。第一は「天家家」、第二は「人家家」です。 「天家家」とは、天界において家から家へと巡りながら、行き来を繰り返し、やがて苦しみの果てを悟る人のことです。 「人家家」とは、人間界において家から家へと巡りながら、行き来を繰り返し、やがて苦しみの果てを悟る人のことです。 この二種類の人は、どちらも「預流（よる）」の修行者であると知るべきです。

云何一間補特伽羅？謂即一來補特伽羅，行不還果向，已能永斷欲界煩惱上品、中品，唯餘下品。唯更受一欲界天有，即於彼處得般涅槃，不復還來生此世間。是名一間補特伽羅。

> では、間一つ（いっけん）の補特伽羅（ぶとから：修行者のこと）とは何でしょうか。 一度だけこの世に還ってくる修行者の一種であり、もう二度と還らない境地（不還果）を目指す修行中の段階にあります。すでに欲界の煩悩のうち、上品と中品を完全に断ち切り、下品だけが残っています。そのため、あと一度だけ欲界の天に生まれ変わり、その天の世界で完全に悟りを開き（般涅槃）、再びこの人間の世界に還ってくることはありません。これを「間一つの補特伽羅」と呼びます。

云何中般涅槃補特伽羅？謂有三種中般涅槃補特伽羅。一、有一種中般涅槃補特伽羅，從此沒已，中有續生；中有生已，便般涅槃。如小札火，微星纔舉，即便謝滅。二、有一種中般涅槃補特伽羅，從此沒已，中有續生；中有生已，少時經停，未趣生有，便般涅槃。如鐵摶鋌，炎熾赫然，鎚鍛星流，未下便滅。三、有一種中般涅槃補特伽羅，從此沒已，中有續生；中有生已，往趣生有，未得生有，便般涅槃。如彼熱鐵，椎鍛星流，下未至地，即便謝滅。如是三種中般涅槃補特伽羅，總說為一中般涅槃補特伽羅。

> 中般涅槃の補特伽羅（衆生）とは何か。三種の中般涅槃の補特伽羅が存在する。第一に、ある種の中般涅槃の補特伽羅は、この世から滅した後、中有（中有身）が生じる。中有が生じたならば、すぐに般涅槃（完全な涅槃）に入る。小さな火の粉が、ほのかに上がったかと思うと、たちまち消え去るようなものである。第二に、ある種の中般涅槃の補特伽羅は、この世から滅した後、中有が生じる。中有が生じた後、しばらくの間とどまり、生有（次の生存）に向かわずに、般涅槃に入る。鉄の塊や棒が、真っ赤に燃え盛り、槌で打たれて火花が飛び散るが、落ちる前に消え失せるようなものである。第三に、ある種の中般涅槃の補特伽羅は、この世から滅した後、中有が生じる。中有が生じた後、生有へと向かうが、生有に至る前に、般涅槃に入る。熱せられた鉄を槌で打った時に飛び散る火花が、地面に落ちる前に消え失せるようなものである。この三種の中般涅槃の補特伽羅を、総じて一種の中般涅槃の補特伽羅とする。

云何生般涅槃補特伽羅？謂纔生彼已，便般涅槃。是名生般涅槃補特伽羅。

> 生般涅槃の補特伽羅（修行者）とはどのような者か。それは、その世界に生まれた直後に般涅槃する者である。これが生般涅槃の補特伽羅である。

云何無行般涅槃補特伽羅？謂生彼已，不起加行、不作功用、不由勞倦，道現在前而般涅槃。是名無行般涅槃補特伽羅。

> 無行般涅槃の補特伽羅（個人）とは、どのようなものでしょうか。彼らは、その世界（浄居天など）に生まれた後、特別な努力をしたり、はっきりとした修行を積んだり、疲れ労れることなく、自然に道が目の前に現れて涅槃に入ります。これを無行般涅槃の補特伽羅と言います。

云何有行般涅槃補特伽羅？謂彼生已，發起加行、作大功用、由極勞倦，道現在前而般涅槃。是名有行般涅槃補特伽羅。

> 修行して涅槃に至る者とはどのような人か。その人は生まれた後に、自ら努力を始め、大きな力を尽くし、非常に骨を折って修行の道を現前にし、涅槃に至る。これが修行して涅槃に至る者である。

云何上流補特伽羅？謂有不還補特伽羅，從此上生初靜慮已，住於彼處，不般涅槃。從彼沒已，展轉上生諸所生處，乃至或到色究竟天，或到非想非非想處。是名上流補特伽羅。

> 上流の補特伽羅（修行者）とは、どのような者を指すのでしょうか。それは、不還の補特伽羅が、ここ（欲界）から上に生まれ変わって初静慮に達した後、その場所に留まりながらも涅槃に入らない者です。その境地から没した後、さらに次々と上に生まれ変わっていき、最終的には色究竟天に至るか、あるいは非想非非想処に至るまでを言います。このような者を上流の補特伽羅と称します。

云何時解脫補特伽羅？謂有補特伽羅，鈍根種姓，於諸世間現法樂住容有退失，或思自害、或守解脫，勵力勤修不放逸行。謂防退失增上力故，或唯安住自分善品；或經彼彼日夜、剎那、瞚息、須臾，勵力勝進，乃至未證最極猛利。是名時解脫補特伽羅。

> 時解脱の補特伽羅とは何か。これは、ある種の補特伽羅で、鈍根の性質を持つ者を指す。彼は世間における現法楽住（現世での安楽な境地）から退失することがあり、時に自害を考えたり、解脱を守ろうとしたりしながら、努力精進して怠らない修行に励む。すなわち、退失を防ごうとする強い意識によって、自らの善い部分にただ安住するか、あるいは昼夜・刹那・瞬間・須臾（ごく短い時間）ごとに努力してさらに進み、最も鋭い境地に至るまでは及ばない。このような者を時解脱の補特伽羅と呼ぶ。

云何不動法補特伽羅？謂有補特伽羅，與上相違，當知是名不動法補特伽羅。

> 動かない性質を持つ人はどのような人か。 それは先に述べた性質とは反対の特徴を持つ人のことを指す。これが動かない性質を持つ人であると知るべきである。

云何慧解脫補特伽羅？謂有補特伽羅，已能證得諸漏永盡，於八解脫未能身證具足安住。是名慧解脫補特伽羅。

> 慧解脱者とは、何を指すのか。 すでにすべての煩悩を尽くして悟りの境地に達しているが、八つの解脱（八解脱）を身体で完全に体験し、その状態に安住することはまだできていない人のことである。 これを慧解脱者という。

云何俱分解脫補特伽羅？謂有補特伽羅，已能證得諸漏永盡，於八解脫身已作證具足安住，於煩惱障分及解脫障分心俱解脫。是名俱分解脫補特伽羅。

> 俱分解脱の修行者とは何か。それは、すでにすべての煩悩が尽きることを証得し、八つの解脱を自ら体得して完全に安住し、煩悩の障りと解脱の障りの両方について、心が共に解脱している人のことである。これを俱分解脱の修行者という。