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title: "瑜伽師地論 · 2目 隨解(十一差別)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhcyh02tpib04ghj44umu"
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云何由根差別建立補特伽羅？謂根差別故，建立二種補特伽羅。一者、鈍根，二者、利根。

> どのようにして「根」の違いによって人々のタイプが分類されるのでしょうか。 それは、根（才能の基底）の違いによって、二種類の人がいるとされています。 一つ目は「鈍根」（のろまな性質を持つ人）、二つ目は「利根」（さとい性質を持つ人）です。

云何由眾差別建立補特伽羅？謂眾差別故，建立七種補特伽羅。謂比丘、比丘尼、式叉摩那、勞策男、勞策女、近事男、近事女。

> どのようにして、人々の違いによって「人（補特伽羅）」の種類が立てられるのでしょうか。それは、人々の集まりに違いがあるからです。その違いによって、次の七種類が立てられます。すなわち、比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼・優婆塞・優婆夷です。

云何由行差別建立補特伽羅？謂行差別故，建立七種補特伽羅。謂若貪增上補特伽羅，名貪行者。若瞋增上補特伽羅，名瞋行者。若癡增上補特伽羅，名癡行者。若慢增上補特伽羅，名慢行者。若尋思增上補特伽羅，名尋思行者。若得平等補特伽羅，名等分行者。若薄塵性補特伽羅，名薄塵行者。

> どのようにして、行動の違いによって人を分類するのでしょうか。 行動の違いによって、七種類の人がいるとされています。 すなわち、 - 貪りの心が強い人を「貪行者」といいます。 - 怒りの心が強い人を「瞋行者」といいます。 - 無知の心が強い人を「癡行者」といいます。 - 慢心が強い人を「慢行者」といいます。 - あれこれと思い巡らす心が強い人を「尋思行者」といいます。 - どの心も平均した人を「等分行者」といいます。 - そして、煩悩の影響が薄い人を「薄塵行者」といいます。

問：貪行補特伽羅應知何相？

> 問い：貪欲な性質を持つ人は、どのような特徴があると知るべきでしょうか。

答：貪行補特伽羅，於諸微劣所愛事中，尚能生起最極、厚重、上品貪纏，何況中品、上品境界。又此貪纏住在身中，經久相續，長時隨縛。由貪纏故，為可愛法之所制伏，不能制伏彼可愛法。諸根悅懌、諸根不強、諸根不澀、諸根不麁，為性不好以惡身語損惱於他，難使遠離、難使厭患，下劣勝解，事業堅牢、事業久固，禁戒堅牢、禁戒久固，能忍能受。於資生具為性耽染，深生愛重，多喜多悅，遠離顰蹙，舒顏平視，含笑先言。如是等類，應知是名貪行者相。

> 貪りの傾向がある人は、たとえ些細で愛着するに足らない対象に対しても、極めて激しく、深く、上位の貪りの煩悩を起こすことができる。ましてや中位や上位の境界においてはなおさらである。また、この貪りの煩悩は身体の内に宿り、長い間続き、長時間にわたって束縛し続ける。貪りの煩悩によって、愛すべきものに支配され、その愛すべきものを制御することができない。諸根は和らぎ、強くなく、澱みなく、粗くなく、性質として悪い身体や言葉で他者を悩ませることを好まず、遠ざけることが難しく、嫌悪させることも難しい。理解は劣るが、事業には確固として長く留まり、戒律にも確固として長く留まり、忍び、耐えることができる。生活必需品に対しては執着し、深く愛着し重んじ、多く喜び楽しみ、眉をひそめることを避け、顔をほころばせて穏やかに見つめ、笑顔で先に言葉をかける。このような種類のことが、貪りの傾向のある人の特徴であると知るべきである。

問：瞋行補特伽羅應知何相？

> 問：怒りやすい傾向のある人は、どのような特徴があると知るべきでしょうか？

答：瞋行補特伽羅，於諸微劣所憎事中，尚能生起最極、厚重、上品瞋纏，何況中品、上品境界。又此瞋纏住在身中，經久相續，長時隨縛。由此瞋纏，為可憎法之所制伏，不能制伏彼可憎法。諸根枯槁、諸根剛強、諸根疎澀、諸根麁燥，為性好樂以惡身語損惱於他，易令遠離、易令厭患，兇暴強口、形相稜層，無多勝解，事業不堅、事業不固，禁戒不堅、禁戒不固，不忍不受，多憂多惱，性好違背，所取不順，性多愁慼，性好麁言，多懷嫌恨，意樂慘烈，悖惡尤䖧，好相拒對，得少語言多恚多憤，憔悴而住，喜生忿怒，眉面顰蹙，恒不舒顏，邪精下視，於他榮利多憎多嫉。如是等類，應知是名瞋行者相。

> 答：怒りを習い性とする人は、ごく小さな嫌なことに対しても、最も激しく、深く、強烈な怒りの感情を抱く。ましてや、中程度の嫌なことや、はなはだしい嫌なことにおいてはなおさらである。また、この怒りの感情は身に宿ると、長く続き、長い間まとわりつく。この怒りの感情によって、嫌なものに支配され、その嫌なものを抑え込むことはできない。感覚は枯れ、頑なになり、ざらつき、粗くなる。性質として、悪い言葉や行いで他人を傷つけることを好み、人を遠ざけやすく、嫌われやすい。乱暴で言葉が荒く、態度は角張り、しっかりとした信念はなく、行いは確かでなく、戒めも確かではない。忍耐できず、受け入れられず、憂いや悩みが多い。性質として背くことを好み、得るものは心にかなわず、悲しみやすく、汚い言葉を好み、恨みや怨みを多く抱く。心は荒々しく、非常に邪悪で、よく対立し、言葉は少なく、怒りや憤りが多く、やつれて暮らす。すぐに怒り、眉をひそめ、いつもしかめ面で、笑顔はない。目つきは邪でうつむきがちで、他人の繁栄を妬み嫉む。このような様々な特徴が、怒りを習い性とする人の姿である。

問：癡行補特伽羅應知何相？

> 問い：愚かさの傾向が強い人は、どのような特徴があると知るべきでしょうか？

答：癡行補特伽羅，於諸微劣所愚事中，尚能生起最極、厚重、上品癡纏，何況中品、上品境界。又此癡纏住在身中，經久相續，長時隨縛。由此癡纏，為可癡法之所制伏，不能制伏彼可癡法。諸根闇鈍、諸根愚昧、諸根羸劣，身業慢緩、語業慢緩，惡思所思、惡說所說、惡作所作，嬾墮懈怠，起不圓滿，詞辯薄弱，性不聰敏，念多忘失，不正知住，所取左僻，難使遠離、難使厭患，下劣勝解，頑騃、瘖瘂，以手代言，無有力能領解善說、惡說法義，緣所牽纏，他所引奪，他所策使。如是等類，應知是名癡行者相。

> 答：愚痴の傾向がある人は、取るに足らない小さな物事に対しても、最も深く、重く、強烈な愚痴の執着を起こすことができる。ましてや中程度や強い対象についてはなおさらである。また、この愚痴の執着は心身の中に留まり、長い間続き、絶えず縛り続ける。この愚痴の執着によって、愚痴の対象となるものに支配され、それを打ち負かすことができない。感覚機能は鈍く、愚かで、弱々しく、からだの動作はのろく、言葉の動作ものろい。悪いことを思い、悪いことを語り、悪い行いをする。怠け者でだらしがなく、行動が不完全で、話しべたで、賢くない。記憶力が乏しく、正しい気づきの状態でいられず、とらわれるものが偏っている。執着から離れさせることが難しく、厭う心を起こさせにくい。下劣な理解しか持たず、頑なで愚かで、口がきけず、手まねで意志を伝える。善い教えも悪い教えも正しく理解する力がなく、状況に引きずられ、他人に左右され、他人に使われるばかりである。このような特徴を、愚痴の傾向がある人の相と知るべきである。

問：慢行補特伽羅應知何相？

> 問う。高ぶりやすい人は、どのような特徴を持つと知るべきか？

答：慢行補特伽羅，於諸微劣所慢事中，尚能生起最極、厚重、上品慢纏，何況中品、上品境界。又此慢纏住在身中，經久相續，長時隨縛。由慢纏故，為可慢法之所制伏，不能制伏彼可慢法。諸根掉動、諸根高舉、諸根散亂，勤樂嚴身，言語高大，不樂謙下，於其父母、眷屬、師長不能時時如法承事，多懷憍傲，不能以身禮敬、問訊、合掌、迎逆、修和敬業，自高自舉，陵蔑他人。樂著利養、樂著恭敬、樂著世間稱譽聲頌，所為輕舉，喜作嘲調，難使遠離、難使厭患，廣大勝解，微劣慈悲，計我有情、命者、養者、補特伽羅、生者等見，多分上品，多怨、多恨。如是等類，應知是名慢行者相。

> 答：慢心の強い人は、ごく些細な慢の対象に対しても、極めて重く、強固な慢の煩悩を起こすことができる。ましてや中程度や高次の対象においてはなおさらである。また、この慢の煩悩は心の中に住み着き、長く続き、長時間にわたって絡みつく。慢の煩悩に縛られることで、慢の対象に支配され、それを制御することができない。諸々の感覚器官は落ち着かず、高ぶり、乱れ、身なりを飾ることに熱心で、言葉は高慢で、謙虚になることを好まず、父母や家族、師長に対して時々に応じて法に従って仕えることができず、傲慢さに満ちている。身体で礼拝したり、お見舞いを述べたり、合掌したり、出迎えたり、和やかに敬意を示すこともせず、自らを高く見せ、他者を見下す。また、利得に執着し、敬われることに執着し、世間での称賛や誉め言葉に執着する。行動は軽々しく、冗談やからかいを好み、説得しても離れにくく、厭いにくく、広大な理解を持ちながらも慈悲は微々たるものである。「我」や「有情」「命者」「養者」「補特伽羅（人格の主体）」「生者」などの見解を持ち、そのほとんどが上品であり、恨みや怒りが多い。このような特徴があるとき、これを慢心の強い人の相（特徴）であると知るべきである。

問：尋思行補特伽羅應知何相？

> 質問：思考にふける人は、どのような特徴を持つと理解すべきですか？

答：尋思行補特伽羅，於諸微劣所尋思事，尚能發起最極厚重、上品、尋思纏，何況中品、上品境界。此尋思纏住在身中，經久相續，長時隨縛。由此纏故，為可尋思法之所制伏，不能制伏可尋思法。諸根不住、諸根飄舉、諸根掉動、諸根散亂，身業誤失、語業誤失，難使遠離、難使厭患，喜為戲論、樂著戲論，多惑、多疑、多懷樂欲，禁戒不堅、禁戒不定，事業不堅、事業不定，多懷恐慮，念多忘失，不樂遠離，多樂散動，於諸世間種種妙事貪欲隨流，翹勤無惰，起發圓滿。如是等類，應知是名尋思行者相。

> Answer: 思惟を多く行う人は、たとえ取るに足らないような小さな対象であっても、最も重く、強烈な思惟の煩悩を起こすことができる。ましてや中程度や高いレベルの対象においてはなおさらである。この思惟の煩悩は心身に宿り、長く続き、絶えず絡みつく。この煩悩のために、思考の対象に支配され、それを制御することができない。感覚器官は落ち着かず、浮つき、動揺し、散乱する。身体的行為や言語的行為に誤りが生じ、それを遠ざけたり厭うことが難しくなる。無駄な議論を好み、それに執着する。多くの迷いや疑い、さまざまな欲望を抱く。戒律は堅固でなく、定まらない。行いも堅固でなく、定まらない。多くの恐れや不安を抱き、よく物忘れをする。 solitude を好まず、散漫を好む。世の中の様々な楽しい事柄に対して欲望のままに流され、熱心に怠ることなくそれを追求し達成する。このような特徴を持つ人を、思惟を多く行う人の相（特徴）と知るべきである。

如是名為由行差別建立補特伽羅。

> このようにして、行いの違いによって「人」や「個体」という概念が成り立つと説かれます。

云何由願差別建立補特伽羅？

> 願いの違いによって、どのように人々の分類（補特伽羅）が成立するのか。

謂或有補特伽羅於聲聞乘已發正願，或有補特伽羅於獨覺乘已發正願，或有補特伽羅於其大乘已發正願。

> ある人は声聞乗においてすでに正しい誓いを立て、 ある人は独覚乗においてすでに正しい誓いを立て、 ある人は大乗においてすでに正しい誓いを立てている。

當知此中，若補特伽羅於聲聞乘已發正願，彼或聲聞種姓，或獨覺種姓，或大乘種姓；若補特伽羅於獨覺菩提已發正願，彼或獨覺種姓，或聲聞種姓，或大乘種姓；若補特伽羅於其大乘已發正願，彼或大乘種姓，或獨覺種姓，或聲聞種姓。

> 知っておくべきこととして、ここでいう人は、もし声聞乗において正しい願いをすでに起こしたならば、その人は声聞の種姓（性質）である場合もあれば、独覚の種姓である場合もあり、あるいは大乗の種姓である場合もある。また、もし独覚の菩提において正しい願いをすでに起こしたならば、その人は独覚の種姓である場合もあれば、声聞の種姓である場合もあり、あるいは大乗の種姓である場合もある。さらに、もし大乗において正しい願いをすでに起こしたならば、その人は大乗の種姓である場合もあれば、独覚の種姓である場合もあり、あるいは声聞の種姓である場合もある。

若聲聞種姓補特伽羅，於獨覺菩提、或於無上正等菩提已發正願，彼是聲聞種姓故，後時決定還捨彼願，必唯安住聲聞乘願。獨覺乘種姓、大乘種姓補特伽羅，應知亦爾。此中所有補特伽羅，願可移轉、願可捨離，決定不可移轉種姓、捨離種姓。

> 声聞（しょうもん）の素質を持つ人が、独覚（どっかく）の悟りや、無上の完全なる悟り（仏陀の悟り）に向けて真剣に願いを立てたとしても、彼は元々声聞の素質を持つ者であるため、後に必ずその願いを捨てて、結局は声聞の悟りを目指す願いに落ち着くのです。 同じように、独覚の素質を持つ人や、大乗の素質を持つ人についても同様であると知るべきです。 これらの人々の場合、彼らが立てた「願い」は変えたり捨てたりすることができますが、その人の持つ「素質（種姓）」だけは決して変えたり捨てたりすることはできません。

今此義中，當知唯說聲聞乘願、聲聞種姓補特伽羅。

> この教えにおいては、声聞乗（しょうもんじょう）を願い求める者、すなわち声聞の素質を持つ人のみを説いていると理解すべきです。

如是名為由願差別建立補特伽羅。

> これが、「願いの違いによって人を分類する」という意味です。

云何由行迹差別建立補特伽羅？謂如所舉、如所開示補特伽羅，依四行迹而得出離。何等為四？謂或有行迹是苦遲通，或有行迹是苦速通，或有行迹是樂遲通，或有行迹是樂速通。當知此中，若鈍根性補特伽羅，未得根本靜慮，所有行迹，名苦遲通。若利根性補特伽羅，未得根本靜慮，所有行迹，名苦速通。若鈍根性補特伽羅，已得根本靜慮，所有行迹，名樂遲通。若利根性補特伽羅，已得根本靜慮，所有行迹，名樂速通。如是名為由行迹差別建立補特伽羅。

> 修行の道筋の違いによって、どのように人のタイプが分類されるのでしょうか？ ここで示される人のタイプは、四つの道筋によって迷いからの解脱を達成します。その四つとは何か？ ・修行が苦しく、進みが遅い道筋 ・修行が苦しいが、進みが速い道筋 ・修行が楽で、進みが遅い道筋 ・修行が楽で、進みが速い道筋 これについて、理解すべきことは以下の通りです。 もし、根性が鈍い人で、根本的な心の統一（根本静慮）をまだ得ていない場合、その人の道筋は「苦しく、進みが遅い」と呼ばれます。 もし、根性が鋭い人で、根本静慮をまだ得ていない場合、その道筋は「苦しいが、進みが速い」と呼ばれます。 もし、根性が鈍い人で、すでに根本静慮を得ている場合、その道筋は「楽だが、進みが遅い」と呼ばれます。 もし、根性が鋭い人で、すでに根本静慮を得ている場合、その道筋は「楽で、進みが速い」と呼ばれます。 このようにして、修行の道筋の違いによって人のタイプが分類されるのです。

云何由道果差別建立補特伽羅？謂行四向及住四果。行四向者，一、預流果向補特伽羅，二、一來果向補特伽羅，三、不還果向補特伽羅，四、阿羅漢果向補特伽羅。住四果者，一、預流果，二、一來果，三、不還果，四、阿羅漢果。若於向道轉，彼名行向者。由向道故，建立四種補特伽羅。若得沙門果，彼名住果者。由道果故，建立四種補特伽羅。如是名為由道果差別建立補特伽羅。

> 修行の道における成果の違いによって、どのような人の分類が行われるのでしょうか。それは、四つの「向かう段階」にある人と、四つの「果報に安住する段階」にある人です。 「四つの向かう段階」にある人とは、第一に預流果に向かう人、第二に一来果に向かう人、第三に不還果に向かう人、第四に阿羅漢果に向かう人です。 「四つの果報に安住する段階」にある人とは、第一に預流果、第二に一来果、第三に不還果、第四に阿羅漢果です。 修行の道（向道）を歩んでいる人を「向かう段階にある人」と呼びます。この向かう道によって、先に述べた四種類の人が区別されます。 そして、沙門の果報（悟りの成果）を得た人を「果報に安住する人」と呼びます。この道の成果によって、四種類の人が区別されます。 以上のように、道の成果（道果）の違いによって、人の分類が確立されるのです。

云何由加行差別建立補特伽羅？謂隨信行及隨法行補特伽羅。若隨補特伽羅信，勤修正行，名隨信行補特伽羅。若於諸法不待他緣，隨毘柰耶勤修正行，名隨法行補特伽羅。如是名為由加行差別建立補特伽羅。

> どのように修行の仕方の違いによって、補特伽羅（人）の分類が立てられるのでしょうか。 それは、「信に従う行者」と「法に従う行者」という二種類の補特伽羅です。 他者の教えを信じ、その信仰に基づいて精進して正しい修行を行う者を、「信に従う行者」と呼びます。 一方、教え（諸法）について他者の助けを待たず、みずから戒律（毘奈耶）に従って精進して正しい修行を行う者を、「法に従う行者」と呼びます。 これが、修行の仕方（加行）の違いによって、補特伽羅が分類されるという意味です。

云何由定差別建立補特伽羅？謂身證補特伽羅，於八解脫身已作證具足安住，而未獲得諸漏永盡。當知如是補特伽羅，於有色觀諸色解脫、內無色想觀外諸色解脫、淨解脫身作證具足住、空無邊處解脫、識無邊處解脫、無所有處解脫、非想非非想處解脫、想受滅解脫，已能順逆入出自在。如是名為由定差別建立補特伽羅。

> 禅定の違いによって人を分類するとどうなるでしょうか。 「からだでさとる人」とは、八つの解脱をからだで体験し、完全に安住しているものの、煩悩をすべて滅ぼし尽くしてはいない人のことです。 このような人は、次の八つの解脱を、順序通りにも逆順にも自在に出入りできます。 1. 色のあるものを見て、色への執着から解脱する 2. 内側に色の想いがないまま、外側の色を見て解脱する 3. 清らかな解脱をからだで体験し、安住する 4. 空は無限であるという境地への解脱 5. 識別は無限であるという境地への解脱 6. 何もないという境地への解脱 7. 想いもなければ想いがないのでもない境地への解脱 8. 想いと感受が消えた境地への解脱 これが、禅定の違いによって人を分類する方法です。

云何由生差別建立補特伽羅？謂極七返有、家家、一間、中般涅槃、生般涅槃、無行般涅槃、有行般涅槃、及以上流補特伽羅。如是名為由生差別建立補特伽羅。

> 生まれ方の違いによる「人（補特伽羅）」の分類とは何でしょうか。それは、次の通りです。極七返有（最大で七回生死を繰り返す者）、家家（二、三回家族に生まれ変わる者）、一間（一度だけ生まれ変わる者）、中般涅槃（死んだ直後に悟る者）、生般涅槃（生まれてすぐに悟る者）、無行般涅槃（努力せずに悟る者）、有行般涅槃（努力して悟る者）、そして上流（最も高い境地に至る者）の八種類です。以上が、生まれ方の違いによる人の分類です。

云何由退不退差別建立補特伽羅？謂由退故，建立時解脫阿羅漢，彼於現法樂住容有退失。由不退故，建立不動法阿羅漢，彼於現法樂住定無退失。如是名為由退不退差別建立補特伽羅。

> 退・不退の違いによって補特伽羅（人）をどのように分類するのか。 退くことができることによって、時解脱の阿羅漢が立てられる。彼らは現世における楽しい境地に退くことがあるからである。 退かないことによって、不動法の阿羅漢が立てられる。彼らは現世における楽しい境地に決して退くことがないからである。 これが、退くことと退かないことの違いによって補特伽羅を分類する方法である。

云何由障差別建立補特伽羅？謂慧解脫及俱分解脫阿羅漢。慧解脫阿羅漢者，謂已解脫煩惱障，未解脫定障。俱分解脫阿羅漢者，謂已解脫煩惱障及已解脫定障，是故說名俱分解脫。如是名為由障差別建立補特伽羅。

> どのような障害の違いによって、人々の区分が立てられるのでしょうか。 それは、慧解脱の阿羅漢と、倶分解脱の阿羅漢です。 慧解脱の阿羅漢とは、煩悩の障害からはすでに解脱しているが、禅定の障害からはまだ解脱していない者のことです。 倶分解脱の阿羅漢とは、煩悩の障害からもすでに解脱しており、かつ禅定の障害からもすでに解脱している者のことです。そのため、倶分解脱と呼ばれます。 これが、障害の違いによって人々の区分を立てるということです。