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title: "瑜伽師地論 · 1"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何名為淨行所緣？

> 浄らかな行いの修行の対象とは、どのようなものでしょうか。

謂不淨、慈愍、緣性緣起、界差別、阿那波那念等所緣差別。

> 不浄、慈愍、縁性縁起、界差別、阿那波那念などの所縁の違いについて。

云何不淨所緣？謂略說有六種不淨。

> 不浄の対象とは何か。 それは簡潔に言えば、六種類の不浄がある。

一、朽穢不淨，二、苦惱不淨，三、下劣不淨，四、觀待不淨，五、煩惱不淨，六、速壞不淨。

云何名為朽穢不淨？謂此不淨，略依二種。一者、依內，二者、依外。

> 「朽ちて汚れたもの」とは何か？それは簡単に言うと、二つの種類がある。一つは、自分の内側に関するもの。もう一つは、外側に関するものだ。

云何依內朽穢不淨？謂內身中，髮、毛、爪、齒、塵、垢、皮、肉、骸、骨、筋、脈、心、膽、肝、肺、大腸、小腸、生藏、熟藏、肚、胃、脾、腎、膿、血、熱痰、肪、膏、肌、髓、腦、膜、洟、唾、淚、汗、屎、尿。如是等類，名為依內朽穢不淨。

> ここで「内なる朽ち汚れた不浄」とは何を指すのか？それは、体内にある、髪、毛、爪、歯、ほこり、垢、皮膚、肉、骨、髄、筋、血管、心臓、胆のう、肝臓、肺、大腸、小腸、消化中の食べ物、消化された食べ物、腹、胃、脾臓、腎臓、膿、血、熱痰、脂肪、膏、筋肉、髄、脳、膜、鼻水、唾液、涙、汗、大便、小便などである。このようなものを総称して、「内なる朽ち汚れた不浄」という。

云何依外朽穢不淨？謂或青瘀、或復膿爛、或復變壞、或復膖脹、或復食噉、或復變赤、或復散壞、或骨、或鎖、或復骨鎖、或屎所作、或尿所作、或唾所作、或洟所作、或血所塗、或膿所塗、或便穢處。如是等類，名為依外朽穢不淨。

> 外部の朽ちて汚れたもの、つまり不浄とは何か。それは、死体が青黒く変色したり、膿んで爛れたり、形が崩れたり、膨れ上がったり、鳥や獣に食い荒らされたり、赤く変色したり、散り散りに壊れたり、ただ骨だけになったり、骨が鎖のように繋がっていたり、骨格だけになったり、糞で汚れていたり、尿で汚れていたり、唾で汚れていたり、鼻水で汚れていたり、血まみれになったり、膿で塗れたり、汚物にまみれたりする状態をいう。このようなものが、外部の朽ちて汚れた不浄と呼ばれるものである。

如是依內朽穢不淨及依外朽穢不淨，總說為一朽穢不淨。

> このように、内側の朽ちて汚れたものと、外側の朽ちて汚れたものに基づいて、それらをまとめて一つの「朽ちて汚れたもの」として説かれます。

云何名為苦惱不淨？謂順苦受觸為緣所生，若身、若心不平等受，受所攝。如是名為苦惱不淨。

> 苦悩の不浄とは何か。苦しい感覚に触れることを縁として生じる、身体や心における不平等な感覚であり、それに伴うものすべてをいう。これを苦悩の不浄と名づける。

云何名為下劣不淨？謂最下劣事、最下劣界，所謂欲界。除此更無極下、極劣、最極鄙穢餘界可得。如是名為下劣不淨。

> 「下劣で清らかでない」とはどのようなことを指すのか。最も下劣な対象、最も下劣な世界、すなわち欲望の世界のことです。この他には、これ以上に下で劣り、極めて卑しく汚れた世界はありません。このように「下劣で清らかでない」と名付けます。

云何名為觀待不淨？謂如有一劣清淨事，觀待其餘勝清淨事，便似不淨。如待無色勝清淨事，色界諸法便似不淨；待薩迦耶寂滅涅槃，乃至有頂皆似不淨。如是等類，一切名為觀待不淨。

> 「観待の不浄」とは何か。 例えばある、劣った清らかな事柄を、それよりも優れた清らかな事柄と比較すると、まるで不浄のように見えることである。たとえば、無色界という優れた清らかなものと比べれば、色界の諸々の法は不浄のように見える。また、自我への執着が消え去った涅槃と比べれば、最高の天界である有頂天でさえも不浄のように見える。 このように、様々な例があるが、これらをすべて「観待の不浄」と呼ぶのである。

云何名為煩惱不淨？謂三界中，所有一切結、縛、隨眠、隨煩惱、纏，一切名為煩惱不淨。

> 煩悩の不浄とは何でしょうか？それは、三界における、あらゆる結びつき、束縛、潜在的な煩悩、付随する煩悩、心を絡めとるもの、これらのすべてを煩悩の不浄と呼びます。

云何名為速壞不淨？謂五取蘊，無常、無恒、不可保信、變壞法性。如是名為速壞不淨。如是不淨，是能清淨貪行所緣？

> 「速やかに壊れ去る不浄とは何か？」——それは、五つの執着の集まり（五取蘊）が、無常であり、恒常でなく、頼りにならず、壊れゆく性質を持つことである。これを「速やかに壊れ去る不浄」と呼ぶ。この不浄こそが、貪りの行いを清めるための拠り所となるのである。

貪有五種。一、於內身欲欲欲貪，二、於外身婬欲婬貪，三、境欲境貪，四、色欲色貪，五、薩迦耶欲薩迦耶貪。是名五貪。

> 五つの貪りがある。 第一に、自分の身体への渇望と執着。 第二に、他人の身体への情欲と執着。 第三に、対象への欲望と執着。 第四に、外見への欲望と執着。 第五に、自己への執着とそれに基づく欲望。 これらを五つの貪りと呼ぶ。

為欲令此五種欲貪斷滅、除遣、不現行故，建立六種不淨所緣。

> 五つの欲望への執着を断ち切り、除き去り、現れなくするために、六つの不浄の対象が説かれています。

謂由依內朽穢不淨所緣故，令於內身欲欲欲貪，心得清淨。

> 内に朽ち汚れた不浄なものがあると観じることで、体への欲望や執着が静まり、心が清らかになるのです。

由依外朽穢不淨所緣故，令於外身婬欲婬貪，心得清淨。

> 外なる不浄で朽ちたものに心を留めることで、自分の身体に対する欲望や貪りから心が清められる。

婬相應貪復有四種。一、顯色貪，二、形色貪，三、妙觸貪，四、承事貪。由依四外不淨所緣，於此四種相應婬貪，心得清淨。

> 色欲に関する貪りの心には、さらに四つの種類があります。 第一に、美しい色や姿に執着する貪り。 第二に、形や格好に執着する貪り。 第三に、なめらかな感触に執着する貪り。 第四に、世話や奉仕に執着する貪りです。 これら四つの外側の不浄を観察する対象によって、この四つの色欲に関わる貪りの心から、心は清められます。

若於青瘀、或於膿爛、或於變壞、或於膖脹、或於食噉作意思惟，於顯色貪令心清淨。若於變赤作意思惟，於形色貪令心清淨。若於其骨、若於其鎖、若於骨鎖作意思惟，於妙觸貪令心清淨。若於散壞作意思惟，於承事貪令心清淨。如是四種，名於婬貪令心清淨。

> もし、青黒く変色した死体や、膿んでただれた死体、あるいは腐敗した死体、膨れ上がった死体、または鳥獣に食い荒らされた死体について心を集中すれば、色に対する執着（顕色貪）から心が清められる。 もし、赤く変色した死体について心を集中すれば、形に対する執着（形色貪）から心が清められる。 もし、骨や骨格、あるいは白骨化した遺体について心を集中すれば、感触への執着（妙触貪）から心が清められる。 もし、散乱し崩れ去った死体について心を集中すれば、身の回りの世話への執着（承事貪）から心が清められる。 この四つの方法は、性的な貪欲（婬貪）から心を清めるものである。

是故世尊乃至所有依外朽穢不淨差別，皆依四種憺怕路而正建立。

> そこで、世尊よ、外的な朽ち汚れた不浄のあらゆる違いも、すべて四種類の「静けさ」への道に基づいて正しく説き明かされているのです。

謂若說言：由憺怕路見彼彼屍，死經一日，或經二日，或經七日，烏鵲、餓狗、鵄鷲、狐狼、野干、禽獸之所食噉，便取其相，以譬彼身亦如是性，亦如是類，不能超過如是法性。此即顯示始從青瘀乃至食噉。

> 静かに見つめる道を歩み、そこに様々な死体が横たわるのを見る——死んでから一日、あるいは二日、あるいは七日が経ち、烏やカラス、飢えた犬、トビやハゲワシ、狐や山犬、野獣たちに啄まれ、食い荒らされている。その様子を心に刻み、「自分のこの身体もまた同じ性質であり、同じ種類のものであり、この法（自然の理法）のあり方を超えることはできない」と観じるのである。これは、青黒く変色した状態から始まり、動物に食い尽くされるに至るまでの過程を明らかに示している。

若復說言：由憺怕路見彼彼屍，離皮肉血，筋脈纏裹。此即顯示所有變赤。

> さらに、「静かな道で、皮や肉や血がなくなり、筋や脈だけが絡みついた死体を次々に見た」と言うなら、これはその死体が赤く変色した状態を示している。

若復說言：由憺怕路見彼彼骨，或骨、或鎖。此即顯示或骨、或鎖、或復骨鎖。

> さらに、次のように説かれることがある。「静けさの道によって、あちこちの骨、あるいは骨片、あるいは骨の連なりを見る。」これは、骨や骨片、あるいは骨の連なりを示している。

若復說言：由憺怕路見彼彼骨，手骨異處，足骨異處，臗骨異處，膝骨異處，臂骨異處，肘骨異處，脊骨異處，髆骨異處，肋骨異處，頷輪、齒鬘、頂髑髏等各各分散，或經一年、或二，或三，乃至七年，其色鮮白，猶如螺貝，或如鴿色。或見彼骨和雜塵土。此即顯示所有散壞。

> さらにこう説くならば、静かな修行の道において、あちこちに散らばった骨を見ることがある。手の骨は別の場所に、足の骨は別の場所に、腰の骨は別の場所に、膝の骨は別の場所に、腕の骨は別の場所に、肘の骨は別の場所に、背骨は別の場所に、肩甲骨は別の場所に、肋骨は別の場所にあり、顎の骨や歯の連なり、頭蓋骨なども、それぞれがばらばらに散らばっている。それが一年、二年、三年、あるいは七年を経ても、その色は白く輝き、螺鈿（ほらがい）のように、あるいは鳩のような色合いをしていることもある。また、それらの骨が土や埃と混ざり合っているのを見ることもある。これは、すべてが壊れ散りゆく様子をはっきりと示しているのだ。

如是依外所有朽穢不淨所緣，令於四種婬相應貪，心得清淨。由苦惱不淨所緣，及下劣不淨所緣故，令於境相應若欲若貪，心得清淨。由觀待不淨所緣故，令於色相應若欲若貪，心得清淨。由煩惱不淨所緣，及速壞不淨所緣故，令於從欲界乃至有頂諸薩迦耶若欲若貪，心得清淨。是名貪行淨行所緣。如是且約能淨貪行，總說一切通治所攝不淨所緣。

> このように、外側にある朽ちたり汚れたりする不浄を対象とすることで、四つの婬欲に関わる貪りの心を清らかにする。 苦しみの不浄と下劣な不浄を対象とすることで、境遇に対する欲望や貪りの心を清らかにする。 相互観待（相互関係）の不浄を対象とすることで、色に対する欲望や貪りの心を清らかにする。 煩悩の不浄と速やかに壊れゆく不浄を対象とすることで、欲界から有頂に至るまでの、あらゆる薩迦耶（我執）に対する欲望や貪りの心を清らかにする。 これを、貪りの行を清めるための対象（所縁）という。 以上、貪りの行を清めることに限って、すべての修行に共通して用いられる不浄の対象について、総体的に述べた。

今此義中，本意唯取朽穢不淨，所餘不淨亦是其餘淨行所緣。

> この教えにおいて、本来の意味は朽ちて汚れた不浄のみを取ることです。 その他の不浄もまた、他の清らかな修行の対象となります。

云何慈愍所緣？

> 慈愍の対象とは何でしょうか？

謂或於親品、或於怨品、或於中品，平等安住利益意樂，能引下中上品快樂定地勝解。當知此中，親品、怨品，及以中品是為所緣；利益意樂、能引快樂定地勝解，是為能緣。所緣、能緣總略為一，說名慈愍所緣。

> 親しい人、あるいは憎い人、あるいはどちらでもない人に対して、平等に利益を願う心で安住し、下・中・上の品の楽しみを導くことのできる、定の境地による勝解がある。 ここにおいて、「親しい人」「憎い人」「どちらでもない人」は、心の対象（所縁）である。それに対して、「利益を願う心」と「楽しみを導く定の境地による勝解」は、心の働き（能縁）である。 この心の対象（所縁）と心の働き（能縁）をまとめて一つとして表したものを、慈愍（慈しみと哀れみ）の所縁というのである。

若經說言：慈俱心者。此即顯示於親怨中三品所緣利益意樂。若復說言：無怨、無敵、無損害者。此則顯示利益意樂有三種相。由無怨故，名為增上利益意樂。此無怨性二句所顯，謂無敵對故、無損惱故。不欲相違諍義，是無敵對。不欲不饒益義，是無損害。

> 経典に「慈しみの心を持つ」と説かれている場合、これは親しい人、敵、そしてどちらでもない人という三つの対象に対する利益を願う心を示しています。 さらに「怨みなく、敵なく、害することなし」と説かれている場合、これは利益を願う心に三つの特徴があることを示しています。「怨みがない」ということは、優れた利益を願う心を表します。この「怨みがない」という性質は、二つの言葉で示されています。すなわち、「敵対しないこと」と「悩ませないこと」です。「争いたくない」という意味が「敵対しないこと」です。「不利益を与えたくない」という意味が「悩ませないこと」です。

若復說言：廣大無量。此則顯示能引下中上品快樂。欲界快樂名廣，初二靜慮地快樂名大，第三靜慮地快樂名無量。若復說言：勝解遍滿具足住者。此則顯示能引快樂定地勝解。又此勝解，即是能引快樂利益增上意樂所攝勝解作意俱行。若於無苦無樂親怨中三品有情，平等欲與其樂，當知是慈。若於有苦、或於有樂親怨中三品有情，平等欲拔其苦，欲慶其樂，當知是悲、是喜。有苦有情是悲所緣，有樂有情是喜所緣，是名慈愍所緣。

若有瞋行補特伽羅，於諸有情修習慈愍，令瞋微薄，名於瞋恚心得清淨。

> もしも怒りの傾向が強い人が、すべての生きとし生けるものに対して慈しみの心を育てることで、怒りを薄くしていくならば、これを「怒りの心が清らかになった」と言います。

## 瑜伽師地論卷第二十六

> 瑜伽師地論 第二十六巻