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title: "瑜伽師地論 · 5目 所結緣"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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初靜慮中則不如是，極靜、極妙，是故說彼為體靜性。數麁性者，謂欲界色蘊有多品類，應知應斷，如是乃至識蘊亦爾，是故說彼為數麁性。如是上地展轉相望，若體麁性、若數麁性，隨其所應，當知亦爾。如是麁性，於諸上地展轉相望，乃至極於無所有處，一切下地苦惱增多，壽量減少；一切上地苦惱減少，壽量增多。非想非非想處唯靜、唯妙，更無上地勝過此故。以要言之，有過患義是麁性義。若彼彼地中過患增多，即由如是過患增多性故，名為麁性。若彼彼地中過患減少，即由如是過患減少性故，名為靜性。此是世間由世俗道淨惑所緣。何以故？彼觀下地多諸過患，如病、如癰，猶如毒箭，不安隱性，以為麁性；觀於上地與彼相違，以為靜性。斷除下地所有煩惱，始從欲界乃至上極無所有處。此是暫斷，非究竟斷。以於後時、更相續故。

> 初禅の境地では、そうではない。それは極めて静かで、極めて微妙である。ゆえに、それを「体が静かな性質」と説く。 「数の粗い性質」とは、欲界の色蘊に多くの種類があることをいう。知るべきであり、断つべきである。同様に、識蘊に至るまでそうである。ゆえに、それらを「数の粗い性質」と説く。 このように、上の境地と下の境地とを相互に見比べるとき、「体の粗い性質」であれ「数の粗い性質」であれ、それぞれに応じて、同じように理解すべきである。 このように、粗い性質は、上の諸境地を相互に見比べるとき、無所有処に至るまで、すべての下の境地は苦悩が増え、寿命が減る。すべての上の境地は苦悩が減り、寿命が増える。 非想非非想処は、ただ静かで、ただ微妙であり、これより勝れた上の境地はないからである。 要するに、過患があるという意味が「粗い性質」の意味である。もし、その境地において過患が増えるなら、その過患が増えるという性質によって「粗い性質」と名づける。もし、その境地において過患が減るなら、その過患が減るという性質によって「静かな性質」と名づける。 これが、世間の者が世俗の道によって煩悩を浄めるための対象である。 なぜなら、彼らは下の境地に多くの過患があると観じ、それを病気のごとく、できもののごとく、毒矢のごとく、不安定な性質として「粗い性質」と見なし、上の境地がそれと反対であると観じて「静かな性質」と見なすからである。 そして、下の境地にあるすべての煩悩を断ち切る。それは欲界から始まり、無所有処に至るまでである。 しかし、これは一時的な断滅であり、完全な断滅ではない。なぜなら、後になると、再び煩悩が続いて生じるからである。

出世間道淨惑所緣復有四種。一、苦聖諦，二、集聖諦，三、滅聖諦，四、道聖諦。

> 世の中を離れる道と、煩悩を清めるための対象には、さらに四つの種類があります。第一に苦しみという真実（苦諦）、第二に苦しみの原因という真実（集諦）、第三に苦しみの消滅という真実（滅諦）、第四にその消滅に至る道という真実（道諦）です。

云何苦聖諦？謂生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎會苦、愛別離苦、求不得苦、略說一切五取蘊苦、名苦聖諦。

> では、苦しみに関する聖なる真理（苦聖諦）とは何か。それは、生まれることの苦しみ、老いることの苦しみ、病むことの苦しみ、死ぬことの苦しみ、嫌な人と出会う苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、そして簡潔にまとめれば、執着の対象となる五つの構成要素（五取蘊）そのものが苦しみであること。これらを苦しみに関する聖なる真理というのです。

云何集聖諦？謂若愛、若後有愛、若喜貪俱行愛、若彼彼喜樂愛等，名集聖諦。

> 苦しみの原因という尊い真理とは何か。 それはすなわち、（現世の快楽への）渇愛、 （来世への）渇愛、 （喜びや執着と共にある）渇愛、 （それぞれの対象への）喜びと楽しみへの渇愛などである。 これらを、苦しみの原因という尊い真理と名付ける。

云何滅聖諦？謂即此愛等無餘斷滅，名滅聖諦。

> 滅聖諦とは何か。それは、この渇愛（欲望）が完全に残らず断ち滅ぼされることをいう。これを滅聖諦と名付ける。

云何道聖諦？謂八支等聖道，名道聖諦。當知此中，依黑品白品果因建立故，建立四聖諦。謂苦諦是黑品果；集諦是黑品因；滅諦是白品果；道諦是白品因，能得、能證故。又苦諦如病，初應遍知；集諦如病因緣，次應遠離；滅諦如無病，次應觸證；道諦如良藥，復應修習及多修習。

> では、道聖諦とは何でしょうか。それは八つの正しい道筋から成る聖なる道であり、これを道聖諦と呼びます。 ここで知っておくべきは、悪い性質の結果と原因、良い性質の結果と原因という枠組みによって、四つの聖なる真理が成立しているということです。すなわち、苦諦は悪い性質の結果、集諦はその原因、滅諦は良い性質の結果、道諦はその原因であり、それを得て実証させるものです。 また、苦諦は病気のようなもので、最初に完全に知るべきものです。集諦は病気の原因のようなもので、次に避けるべきものです。滅諦は病気のない状態のようなもので、その次に自ら体験すべきものです。そして道諦は優れた薬のようなもので、繰り返し修行し、さらに修行を深めるべきものです。

又苦諦苦義，乃至道諦道義，是如是實，非不如實；是無顛倒，非是顛倒；故名為諦。又彼自相無有虛誑，及見彼故無倒覺轉。是故名諦。

> また、苦諦における苦の意味、さらに道諦における道の意味も、このように確かなものであり、決して虚偽ではありません。それは根本から正しく、間違っていません。そのため「諦（真理）」と呼ばれます。 また、それらはそれぞれ自らの特徴において欺くことがなく、またそれらを正しく見ることによって、間違った認識が生じることもありません。だからこそ「諦（真理）」というのです。

問：何故諸諦唯名聖諦？

> 問う：なぜ苦・集・滅・道の四つの真理を「聖諦」というのか？

答：唯諸聖者於是諸諦同謂為諦，如實了知、如實觀見；一切愚夫不如實知、不如實見。是故諸諦唯名聖諦。又於愚夫，唯由法爾說名為諦，不由覺悟。於諸聖者俱由二種。

> 真実を知る聖者たちは、これらの真理を「真理」として認識し、あるがままに理解し、ありのままに見るのです。しかし、迷いの凡夫たちは、そのようにありのままに知らず、ありのままに見ることもありません。それゆえ、これらの真理は「聖なる真理」と呼ばれるのです。 また、凡夫にとっては、ただ自然の理法としてのみ「真理」と言われるのであって、悟りに基づくものではありません。しかし聖者たちにとっては、この二つの理由（自然の理法と悟り）の両方によって「真理」と呼ばれるのです。

又生苦者，謂於生時發生種種身心苦受，非生自體即是其苦。為苦因緣，故名為苦。廣說乃至求不得苦，謂由所求不得因緣發生種種身心苦受，非求不得體即是苦。為苦因緣，故名為苦。

> また、生まれる苦しみとは、生まれるときに様々な心身の苦しみの感覚が生じることです。生まれること自体がそのまま苦しみなのではありません。苦しみの原因や条件となるから、苦しみと呼ぶのです。さらに広く説けば、求めるものが得られない苦しみとは、求めるものが得られないという条件によって様々な心身の苦しみの感覚が生じることです。求めるものが得られないこと自体がそのまま苦しみなのではありません。苦しみの原因や条件となるから、苦しみと呼ぶのです。

如是當知略說一切五取蘊苦。謂由生等異門，唯顯了苦苦；由此五取蘊苦，亦顯了所餘壞苦、行苦。所以者何？如五取蘊具攝三受，如是能與如前所說苦苦為器；當知此中，亦即具有前所未說壞苦、行苦。

> このように知るべきである。簡潔に言えば、すべての五取蘊（五つの執着の集まり）は苦である。すなわち、生などの様々な側面から、苦しみの苦しみ（苦苦）が明らかにされる。そして、この五取蘊の苦によって、残りの壊滅の苦しみ（壊苦）と無常の苦しみ（行苦）もまた明らかにされる。なぜかと言えば、五取蘊が三つの感受をすべて含むように、それが先に述べた苦しみの苦しみ（苦苦）の基盤となるからである。この中には、先に述べなかった壊滅の苦しみ（壊苦）と無常の苦しみ（行苦）もまた含まれていると知るべきである。

問：何故世尊苦苦一種以自聲說，壞苦、行苦以異門說？

> 問う：なぜ世尊は、苦苦という一つの苦しみだけを「苦」という言葉そのもので説き、壊苦と行苦は別の角度から説かれたのですか？

答：於苦苦中，若凡、若聖，一切等有苦覺慧轉。又苦苦性極可厭患。又從先來未習慧者，纔為說時則便易入。又於諸諦，令所調伏可化有情易得入故。

> 答えて言おう。苦しみの苦しみ（苦苦）においては、凡夫であれ聖者であれ、すべて等しく苦しみを覚える智慧がはたらく。また、苦苦の性質はきわめて厭うべきものである。さらに、これまで智慧を修めてこなかった者でも、説かれたときにはすぐに理解しやすい。また、諸々の真理（諦）について、調伏されるべき教化すべき有情たちが、容易に入ることができるためである。

云何建立三種苦性？謂先所說生苦乃至求不得苦，即顯苦受及所依處為苦苦性，如是名為建立苦苦性。諸有是彼所對治法。謂少是老所治，無病是病所治，命是死所治，親愛合會是怨憎會所治，非愛別離是愛別離所治，所求稱遂是求不得所治。復有苦受及所依處所起煩惱，復有無病等順樂受處等及彼所生受所起煩惱，如是總說為壞苦性。此中樂受及所依處，由無常故，若變若異，受彼增上所生眾苦。若諸煩惱，於一切處正生起時，纏縛其心，令心變壞，即生眾苦。故名壞苦。如世尊言：入變壞心，執母邑手，乃至廣說。又如說言：住貪欲纏，領受貪欲纏緣所生身心憂苦；如是住瞋恚、惛沈睡眠、掉舉惡作、疑纏，領受彼纏緣所生身心憂苦。由此至教第一至教，諸煩惱中苦義可得，壞義可得，故說煩惱為壞苦性。如是名為建立壞苦性。若行苦性，遍行一切五取蘊中。以要言之，除苦苦性，除煩惱攝變壞苦性，除樂受攝及所依處變壞苦性，諸餘不苦不樂受俱行，若彼所生、若生彼緣、若生住器所有諸蘊，名行苦性。由彼諸蘊其性無常，生滅相應，有一切取，三受麁重之所隨逐，不安隱攝，不脫苦苦及以壞苦，不自在轉。由行苦故，說名為苦。如是名為建立行苦性。又即彼愛亦名希求，亦名欣欲，亦名喜樂。即此希求由三門轉。謂希求後有，及希求境界。若希求後有，名後有愛。希求境界復有二種。謂於已得境界，有喜著俱行愛；若於未得境界，有希求和合俱行愛。當知此中，於已得境界喜著俱行愛，名喜貪俱行愛；於未得境界希求和合俱行愛，名彼彼喜樂愛。

> 三つの苦しみの性質（三苦性）について、どのように確立されるのか。 先に説いた生まれる苦しみから、求めるものが得られない苦しみに至るまで、これらは苦しい感覚（苦受）と、その拠り所となるもの（所依処）が「苦苦」の性質であることを示している。これが「苦苦性」の確立とされる。 次に、それらの苦しみを対治するものがある。すなわち、老いは生の対治であり、病は無病の対治であり、死は命の対治であり、愛する者との別れは憎む者との出会いの対治であり、愛する者との別れなきことは愛別離苦の対治であり、求めるものが叶うことは求不得苦の対治である。さらに、苦受とその拠り所から生じる煩悩、また無病など楽受（楽しい感覚）の拠り所や、そこから生じる受に伴う煩悩がある。これらを総じて「壊苦性」と呼ぶ。ここにおいて、楽受とその拠り所は、無常であるがゆえに、もし変化し異なるとき、その増上力によって生じる様々な苦しみを受ける。また、諸々の煩悩が、あらゆる場所で生起するとき、心を絡め取り、心を変化させ壊すことにより、様々な苦しみを生じさせる。故に「壊苦」と名づける。世尊がお説きになったように、「壊れゆく心をもって、女性の手を執る」等と広く説かれている。また、「貪欲の煩悩に捉えられ、貪欲の煩悩の縁によって生じる心身の憂いや苦しみを受ける。同様に、瞋恚、昏沈睡眠、掉挙悪作、疑の煩悩に捉えられ、それらの縁によって生じる心身の憂いや苦しみを受ける」と説かれている。この至高の教え（第一至教）によって、諸々の煩悩の中には「苦しみ」という性質と「壊れる」という性質が認められる。故に、煩悩を壊苦性と説く。これが「壊苦性」の確立である。 次に「行苦性」について。それは、五つの執取の対象（五取蘊）のすべてに遍く存在する。要するに、苦苦性と、煩悩に含まれる壊苦性と、楽受とその拠り所に含まれる壊苦性を除いた、残りの「不苦不楽受」（苦しくも楽しくもない感覚）と共にあり、その感覚から生じるもの、その感覚を生じさせる縁、あるいは生じたり留まったりする器となる、あらゆる蘊（諸蘊）を行苦性と名づける。これらの諸蘊は、その性質が無常であり、生滅と相応し、すべての執取を有し、三受（苦・楽・不苦不楽）の粗重（潜在的な煩悩の種）に常に追従され、不安定な状態にあり、苦苦や壊苦から逃れられず、自在に転じることができない。行苦であるがゆえに、「苦しみ」と説かれる。これが「行苦性」の確立である。 また、その「愛」は「希求」とも呼ばれ、「欣欲」とも「喜楽」とも呼ばれる。この希求は三つの門から転じる。すなわち、後の存在（後有）を希求すること、および境界（対象）を希求することである。後の存在を希求するものを「後有愛」と呼ぶ。境界を希求することにはさらに二種類ある。すなわち、すでに得た境界に対して、喜びと執着を伴う愛と、まだ得ていない境界に対して、希求と合和を伴う愛である。この中で、すでに得た境界に対する喜びと執着を伴う愛を「喜貪倶行愛」と呼び、まだ得ていない境界に対する希求と合和を伴う愛を「彼彼喜楽愛」と呼ぶと知るべきである。

滅有二種。一、煩惱滅，二、所依滅。道有二種。一、有學道，二、無學道。

> 滅（めつ）には二種類あります。 一つは煩悩（ぼんのう）の滅、もう一つはそのよりどころとなるものの滅です。 道（どう）にも二種類あります。 一つは修行中の道（有学道）、もう一つは修行を完成した者の道（無学道）です。

如是當知名出世道淨惑所緣。

> このように、出世間の道が煩悩を清めるための対象として知られるべきである。

如是已說四種所緣。一、遍滿所緣，二、淨行所緣，三、善巧所緣，四、淨惑所緣。

> このようにして、四つの種類の所縁について述べてきました。第一は「遍満所縁」、第二は「浄行所縁」、第三は「善巧所縁」、第四は「浄惑所縁」です。