---
title: "瑜伽師地論 · 2目 標釋四種瑜伽壞"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhep9031sib04comip9c7"
---

畢竟瑜伽壞者，謂無種姓補持伽羅。何以故？由彼身中無能趣向涅槃法故，畢竟失壞出世瑜伽。

> そもそも「修行を完全に失う者」とは、悟りの可能性（種姓）を持たない個人（補特伽羅）を指します。なぜなら、そのような人の心には、涅槃へと向かう性質が全く欠けているため、世俗を超えた修行（出世瑜伽）を永遠に無駄にしてしまうからです。

暫時瑜伽壞者，謂有種姓補特伽羅。何以故？由彼身中有能趣向涅槃法故，雖闕外緣，時經久遠，定當緣會；修習瑜伽，令其現起；善修習已，當般涅槃。是故說彼所有瑜伽暫時失壞。

> \*\*瑜伽が一時的に壊れる者\*\*とは、仏になる性質を持つ人のことを指す。 なぜかというと、その人の内側には涅槃へと向かう性質がすでに備わっているからである。たとえ外からの条件が整わず、長い時間が経っても、必ずや条件が揃う時が来る。その時、修行によってその性質を顕在化させ、しっかりと修練を積めば、最終的には涅槃に至るのである。 それゆえに、その人のヨーガ（修行）は一時的に壊れていると説かれるのである。

退失所得瑜伽壞者，謂如有一，退失所得、所觸、所證，若智、若見、若安樂住。

> ヨーガ（精神統一）を成就しながらも、そこから退転してしまう人とは、例えば、かつて得たもの、触れたもの、証得したもの──智慧や見解、そして安らかな境地──を、再び失ってしまう人のことを指す。

邪行所作瑜伽壞者，謂如有一，不如正理精勤修行，雖多用功，無所成辦，不能成辦一切瑜伽，亦非善法。又如有一，多諸煩惱，性多塵穢，而識聰銳，覺慧猛利，成俱生覺，善攝所聞；於聞究竟，或少或多。或住空閑，有在家者及出家者，為性質直，來至其所，因為說法，令心歡喜。又行矯詐，妄現種種身語相應調善所作。由是因緣，招集利養恭敬稱頌、大福德想，及得種種衣、食、臥具、病緣醫藥資身什物，為諸國王、大臣、居士乃至商主恭敬尊重，咸共謂之是阿羅漢。或於隨彼迴轉弟子，若諸出家、若在家眾，戀著親愛，隨順而轉。為多招引，復生是念：此諸出家在家弟子，信順於我，咸共謂我是阿羅漢。彼若依於瑜伽作意止觀等處來請問我，我得彼問或不能對，彼因是事，當於我所捨信向心，不復謂我是阿羅漢，由斯退失利養恭敬。我於今者，應自思惟、籌量、觀察，安立瑜伽。彼由是事增上力故，耽著利養恭敬名譽，獨處空閑，自諦思惟、籌量、觀察，安立瑜伽。然此瑜伽，不順契經、不現戒律、違逆法性。若諸比丘善持三藏，彼於其所覆自瑜伽，不欲開示。若諸在家、出家弟子，於此瑜伽私竊教示，不令彰顯。所以者何？恐有善持三藏教者，聞彼如是瑜伽處已，以經撿驗，不順契經；以律顯照，不現戒律；以法觀察，違逆法性。由是因緣，便不信受，以不信言詰難於我，諍競舉發。由是國王、大臣、居士乃至饒財長者、商主，不復恭敬尊重於我，更不獲得衣、食、臥具、病緣醫藥資身什物。彼由貪著利養恭敬增上力故，於非法中起於法想、起覆藏想、起惡欲樂，顯發開示非法為法。諸有忍許彼所見者，亦於非法起是法想，愚昧頑鈍。於非法中起法想故，雖如其教精進修行，當知一切皆是邪行。如是名為邪行所作瑜伽失壞，像似正法，非真正法，能障正法。諸有比丘勤修靜慮，是瑜伽師，於此四種瑜伽壞法，應正遍知，當遠捨離。

> 誤った修行によってヨーガが壊れるとは、例えば次のような人がいることである。ある人が道理に従わずに熱心に修行しても、多くの労力を費やすだけで何も成就せず、いかなるヨーガも成し遂げられず、善い法ともならない。 また、次のような人がいる。多くの煩悩を持ち、性質は塵にまみれているが、識は鋭く、智慧は猛烈で、生まれながらの覚慧を持ち、聞いたことをよく収める。聞くことについては、多くあるいは少なく究める。あるいは閑静な場所に住み、在俗者や出家者で性質が素直な者が彼のところに来るので、彼のために説法して心を喜ばせる。また、詐欺を行い、様々な身と語の相応する調和のとれた善い行いを偽って現す。これらの因縁によって、利養・恭敬・称讃・大いなる福徳の想いを集め、また様々な衣・食・臥具・病の縁による医薬・身を支える什物を得て、諸々の国王・大臣・居士・さらには商人たちから恭敬尊重され、皆が彼を阿羅漢であると言う。あるいは、彼に従い転じる弟子たち、すなわち出家者や在家の者たちに対して、愛着し親しみ、それに従って転じる。多くの人を引き寄せるために、さらにこのような念を生じる。「これらの出家・在家の弟子たちは私を信じ従い、皆私を阿羅漢であると言う。彼らがヨーガの作意や止観などに依って私に質問に来たならば、私はその問いを受けて答えられないかもしれない。彼らはそのことによって私に対して信じ向かう心を捨て、再び私を阿羅漢とは言わなくなり、これによって利養や恭敬を失うことになる。私は今こそ、自ら思惟し、籌量し、観察して、ヨーガを安立すべきである。」 彼はこの事の増上力によって、利養・恭敬・名誉に耽着し、独り閑静な場所にいて、自ら諦めに思惟し、籌量し、観察してヨーガを安立する。しかしこのヨーガは、契経に順わず、戒律に現れず、法性に違逆するものである。もし比丘たちが三蔵をよく受持するならば、彼はその人々に対して自らのヨーガを覆い隠し、開示しようとしない。もし在家・出家の弟子たちがいれば、このヨーガを私かに教示し、明らかにしない。なぜなら、もし三蔵をよく受持する者がいて、彼のそのようなヨーガの処を聞いて、経によって検証すれば契経に順わず、律によって照らし顕せば戒律に現れず、法によって観察すれば法性に違逆するだろうから。その因縁によって、信受せず、不信の言葉で私を難詰し、競い争って挙発するだろう。これによって国王・大臣・居士・さらには富める長者・商人たちは、再び私を恭敬尊重せず、衣・食・臥具・病の縁の医薬・身を支える什物を得られなくなるだろう。彼は利養・恭敬に貪着する増上力によって、非法の中に法の想いを起こし、覆い隠す想いを起こし、悪しき欲楽を起こし、非法を法として顕発し開示する。諸々の彼の見解を許容する者たちも、また非法の中にこれが法であるという想いを起こし、愚昧で頑鈍である。非法の中に法の想いを起こすからである。たとえその教えに従って精進修行しても、すべて邪行であると知るべきである。これを邪行によってヨーガが失われ壊れることと名づける。似た正法であり、真の正法ではなく、正法を障げるものである。 諸々の比丘で静慮を勤修する瑜伽師は、この四種のヨーガを壊す法を正しく遍く知り、遠く離れ捨てるべきである。