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title: "瑜伽師地論 · 1目 想修(四句)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何想修？謂或修世間道時，於諸下地修過患想。或修涅槃道時，於斷界、離欲界、滅界觀見最勝寂靜功德，修習斷想、離欲想、滅想。或修奢摩他時，修習止品上下想。或修毘鉢舍那時，修習觀品前後想。

> 「想」の修行とは何か。それは、世俗の道を修行する際に、下位の境地に対して過患（欠点や苦しみ）のイメージを修習することである。あるいは、涅槃の道を修行する際に、断界・離欲界・滅界において最も優れた静寂の功徳を観察し、断想・離欲想・滅想を修習することである。また、奢摩他（止）を修行する際には、止の品である上下のイメージを修習する。あるいは、毘鉢舎那（観）を修行する際には、観の品である前後のイメージを修習する。

上下想者，謂觀察此身如其所住、如其所願。上從頂上，下至足下，種種雜類不淨充滿。謂此身中所有種種髮、毛、爪、齒，如前廣說。

> 「上下想」とは、この身体を、そのあるがままに、またありのままに観察することをいいます。 上は頭頂から、下は足の裏に至るまで、様々な雑多な汚れで満ちています。 すなわち、この身体の中にある、髪の毛、体毛、爪、歯など、先に詳しく述べた通りのものです。

前後想者，謂如有一，於所觀相殷勤懇到，善取、善思、善了、善達。謂住觀於坐，坐觀於臥，或在後行觀察前行。

> 前後の想とは、例えばある人が、観察しようとする対象に対して、熱心に、心を込めて、よく捉え、よく考え、よく理解し、よく会得することである。すなわち、座っている人の姿勢を観察し、横たわっている人の姿勢を観察し、あるいは後ろを歩くときに前に歩く人を観察することである。

此則顯示以毘鉢舍那行，觀察三世緣生諸行。謂若說言：住觀於坐。此則顯示以現在作意，觀察未來所知諸行。所以者何？現在作意位，已現生故，說名為住；未來所知位，未現生故，臨欲起故，說名為坐。

> これは、毘鉢舎那（ヴィパッサナー観察）の実践によって、過去・現在・未来の三世にわたって縁起する諸々の現象を観察することを示している。 「住して坐（ざ）を観ず」という言葉がある。これは現在の注意（作意）を用いて、未来において認識されるべき諸々の現象を観察することを示している。なぜなら、現在の注意の状態はすでに現れて生じているので「住」と呼ばれ、未来において認識される状態はまだ現れておらず、まさに起こりつつあるので「坐」と呼ばれるからである。

若復說言：坐觀於臥。此則顯示以現在作意，觀察過去所知諸行。所以者何？現在作意位，臨欲滅故，說名為坐；過去所知位，已謝滅故，說名為臥。

> さらにこう説く場合もある。「座して臥すを観ず」と。これは、現在の心の働き（作意）によって、過去に知られた様々な営み（諸行）を観察することを示している。なぜかというと、現在の心の働きがまさに消え去ろうとしている状態を「座す」と言い、過去に知られたものがすでに過ぎ去ってしまった状態を「臥す」と言うからである。

若復說言：或在後行觀察前行。此則顯示以現在作意，觀無間滅現行作意。所以者何？若已生起無間謝滅所取作意，說名前行；若此無間新新生起能取作意，取前無間已謝滅者，說名後行。

> さらに、ある者がこう説くかもしれません：「後行において前行を観察する」と。これは、現在の作意によって、間断なく滅したところの現に働いている作意を観察することを示しています。なぜかというと、すでに生起して間断なく消滅した「所取」の作意を「前行」と呼びます。そして、その消滅の間断なく新たに生起する「能取」の作意が、先に消滅したものを捉えることを「後行」と呼ぶからです。

當知此中，為修止觀，修彼二品勝光明想，是名想修。

> この中で、止と観を修するために、その二つの優れた光明の想いを修めることを、想の修習というと知るべきである。