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title: "瑜伽師地論 · 2目 遠離處"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何遠離？謂處所圓滿、威儀圓滿、遠離圓滿，是名遠離。

> 「遠離とは何か？住む場所が整い、ふるまいが整い、遠離そのものが完成していること、これを遠離という。」

云何處所圓滿？謂或阿練若、或林樹下、或空閑室。山谷、巖穴、稻秆積等，名空閑室。大樹林中，名林樹下。空逈、塚間、邊際臥坐，名阿練若。當知如是山谷、巖穴、稻秆積等，大樹林中，空逈、塚間、邊際臥坐，或阿練若、或林樹下、或空閑室，總名處所。處所圓滿復有五種。謂若處所，從本已來形相端嚴，眾所憙見，清淨無穢；園林池沼悉皆具足，清虛可樂；地無高下，處無毒刺，亦無眾多甎石瓦礫；能令見者心生清淨，樂住其中修斷加行；心悅、心喜，任持於斷。是名第一處所圓滿。又若處所，晝無憒鬧，夜少音聲，亦少蚊虻、風日、蛇蠍諸惡毒觸。是名第二處所圓滿。又若處所，無惡師子、虎、豹、豺、狼、怨敵、盜賊、人非人等諸恐怖事；於是處所，身意泰然，都無疑慮，安樂而住。是名第三處所圓滿。又若處所，隨順身命眾具易得，求衣服等不甚艱難，飲食支持無所匱乏。是名第四處所圓滿。又若處所，有善知識之所攝受，及諸有智同梵行者之所居止；未開曉處能正開曉，已開曉處更令明淨；甚深句義以慧通達，善巧方便殷勤開示，能令智見速得清淨。是名第五處所圓滿。

> では、場所が完璧であるとはどういうことか？①それは修行に適した閑静な場所（アーランヤ）であるか、②林の木陰か、③静かな空き家である。谷間、岩穴、藁の山などは「静かな空き家」と呼ばれる。大きな林の中は「林の木陰」と呼ばれる。見晴らしのよい原っぱ、墓地、辺境の寝床や座席は「閑静な場所（アーランヤ）」と呼ばれる。こうした谷間、岩穴、藁の山など、大きな林の中、見晴らしのよい原っぱ、墓地、辺境の寝床や座席、すなわち「閑静な場所」「林の木陰」「静かな空き家」を総称して「場所」と呼ぶ。場所の完璧さにはさらに五つの種類がある。 第一に、その場所が、もともと形相が端正で、人々に見られるのを好み、清らかで汚れがなく、園や林、池や沼がすべて備わり、清らかで虚空のように心地よく、地面に高低がなく、毒のある棘がなく、多くの煉瓦や石や砂利もない。見る者の心を清らかにし、そこに喜んで住み、断ち切るための実践（修行）に励むことができ、心は喜び、楽しみに満ち、断ち切ることを支えられる。これを第一の場所の完璧さとする。 第二に、その場所が、昼間は騒がしくなく、夜は音が少なく、蚊や虻、風や日差し、蛇や蝎といった悪い毒の接触も少ない。これを第二の場所の完璧さとする。 第三に、その場所に、凶暴な獅子、虎、豹、狼、怨敵、盗賊、人間ならざる者（人非人）などの恐怖させる事柄がない。その場所にいて、身も心も安らかで、まったく疑いや憂いがなく、安楽に暮らせる。これを第三の場所の完璧さとする。 第四に、その場所が、生活に必要な物資を得やすく、衣服などを求めるのに非常に苦労せず、飲食の支えが欠乏しない。これを第四の場所の完璧さとする。 第五に、その場所が、善き知識（善知識）に受け入れられ、また、知恵ある同じ清らかな行いをする人々（同梵行者）が住んでいる。まだ明らかにされていない教えを正しく明らかにし、すでに明らかにされた教えをさらに清らかにする。深遠な句の意味を智慧によって通達し、巧みな方便を熱心に説き示すことで、智慧と見解を速やかに清らかにさせてくれる。これを第五の場所の完璧さとする。

云何威儀圓滿？謂於晝分經行、宴坐；於初夜分亦復如是；於中夜分右脇而臥；於後夜分疾疾還起，經行、宴坐。即於如是圓滿臥具，諸佛所許大小繩床、草葉座等結加趺坐，乃至廣說。何因緣故結加趺坐？謂正觀見五因緣故。一、由身攝斂速發輕安。如是威儀順生輕安最為勝故。二、由此宴坐能經久時。如是威儀不極令身速疲倦故。三、由此宴坐是不共法。如是威儀外道他論皆無有故。四、由此宴坐形相端嚴。如是威儀令他見已極信敬故。五、由此宴坐佛佛弟子共所開許。如是威儀一切賢聖同稱讚故。正觀如是五種因緣，是故應當結加趺坐。端身正願者，云何端身？謂策舉身令其端直。云何正願？謂令其心離諂離詐，調柔正直。由策舉身令端直故，其心不為惛沈睡眠之所纏擾。離諂詐故，其心不為外境散動之所纏擾。

> どのようにして威儀が円満になるのでしょうか。昼の間は経行し、宴坐します。初夜にも同じようにします。中夜には右脇を下にして横になります。後夜にはすみやかに起き上がり、経行し、宴坐します。そして、そのような円満な臥具、すなわち仏がお許しになった大小の縄床や草の葉の座などに結跏趺坐します。その詳細は広く説かれています。 なぜ結跏趺坐するのでしょうか。五つの理由を正しく観察するからです。 一、身体が引き締まり、すみやかに軽安が生じるからです。この威儀は軽安を生じるのに最も優れているからです。 二、この宴坐によって長い時間座っていられるからです。この威儀は身体を極端に早く疲れさせないからです。 三、この宴坐は不共の法だからです。この威儀は外道や他の教えにはまったくないからです。 四、この宴坐は姿かたちが端正だからです。この威儀を見た人は、とても信じて敬うからです。 五、この宴坐は仏と仏弟子がともに認められたものだからです。この威儀はすべての賢聖が等しく称賛するからです。 この五つの理由を正しく観察するからこそ、結跏趺坐すべきなのです。 端身正願について。どのように端身するのでしょうか。身体を引き締めてまっすぐにすることです。どのように正願するのでしょうか。心をへつらいや偽りから離し、調和して柔らかく、まっすぐにすることです。身体を引き締めてまっすぐにするので、心は昏沈や睡眠にまとわりつかれません。へつらいや偽りから離れるので、心は外の対象に散乱して動かされることにまとわりつかれません。

安住背念者，云何名為安住背念？謂如理作意相應念，名為背念，棄背違逆一切黑品故。又緣定相為境念，名為背念，棄背除遣一切不定地所緣境故。如是名為威儀圓滿。

> 「安住背念（あんじゅうはいねん）」とは、どのようなものを指すのでしょうか。それは、道理にかなった心の働き（如理作意）と調和した「念（おもい）」のことです。あらゆる不善（悪しき性質）から離れ、背を向け、それらに逆行するからです。 また、禅定の状態（定相）を対象とした「念」を、背念と呼びます。心が定まらない状態でのあらゆる対象から離れ、それらを払いのけるからです。 このようにして、威儀（いぎ）が円満に備わった状態となるのです。

云何遠離圓滿？謂有二種。一、身遠離，二、心遠離。身遠離者，謂不與在家及出家眾共相雜住，獨一無侶，是名身遠離。心遠離者，謂遠離一切染污、無記所有作意，修習一切其性是善能引義利定地作意，及定資糧加行作意，是名心遠離。

> 完全な離れ方とは何か。これには二種類ある。第一に身体の離れ、第二に心の離れである。身体の離れとは、在家者や出家者と交わらずに、独りで仲間なく過ごすことをいう。これを身体の離れと呼ぶ。心の離れとは、あらゆる煩悩や無記の心の働きから離れて、善く、意義ある境地へ導く、心を集中する修行と、その準備段階の実践に専念することをいう。これを心の離れと呼ぶ。

如是此中，若處所圓滿、若威儀圓滿、若身遠離、若心遠離，總攝為一，說名遠離。

> ここにおいて、場所の完全さ、振る舞いの完全さ、身体の離欲、心の離欲、これらのすべてを一つにまとめて、「遠離（遠く離れること）」と呼ぶのである。