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title: "瑜伽師地論 · 4目 五通"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，依止靜慮發五通等。4目 五通

> 次に、静慮（瞑想）を基にして五通（神通）を発現します。

云何能發？謂靜慮者，已得根本清淨靜慮。

> どのようにして初めて発するのか。それは、静かな境地（静慮）を修行する者が、すでに根本となる清らかな静けさを得ているときのことをいう。

即以如是清淨靜慮為所依止，於五通增上正法，聽聞受持，令善究竟。謂於神境通、宿住通、天耳通、死生智通、心差別通等，作意思惟。

> このように清らかな静慮（瞑想）を基盤として、五つの神通に関する正しい教えを聞き、受け止め、それを善く完成させるのです。すなわち、神境通（超常の力を現す智慧）、宿住通（過去の出来事を知る智慧）、天耳通（遠くの音を聞く智慧）、死生智通（人々の死と生を知る智慧）、心差別通（他者の心を知る智慧）などについて、心を集中して考えを巡らせるのです。

復由定地所起作意，了知於義、了知於法。由了知義、了知法故，如是如是修治其心。由此修習、多修習故，有時、有分發生修果五神通等。

> また、禅定の境地から生じる作意によって、意味を了知し、教えを了知します。意味を了知し、教えを了知するからこそ、このように心を修め整えます。この修習を繰り返し行うことで、やがてある時、ある場面で、修行の成果として五つの神通などの境地が現れます。

又即如是了知於義、了知於法，為欲引發諸神通等，修十二想。何等十二？一、輕舉想，二、柔軟想，三、空界想，四、身心符順想，五、勝解想，六、先所受行次第隨念想，七、種種品類集會音聲想，八、光明色相想，九、煩惱所作色變異想，十、解脫想，十一、勝處想，十二、遍處想。

> そして、このようにして義（意味）を了知し、法（教え）を了知した修行者は、様々な神通などを引き起こすために、十二の想（イメージ）を修習します。その十二とは、次の通りです。 第一に、軽やかに浮かび上がる想。 第二に、柔らかく自在な想。 第三に、虚空の領域の想。 第四に、心と身体が調和する想。 第五に、明確に理解する想。 第六に、過去に経験した行いを順に思い浮かべる想。 第七に、様々な種類の集まりの声や音に関する想。 第八に、光や色の形相に関する想。 第九に、煩悩によって生じる色の変化の想。 第十に、解脱の想。 第十一に、勝処（すぐれた境地）の想。 第十二に、遍処（すべてに及ぶ境地）の想。

輕舉想者，謂由此想，於身發起輕舉勝解，如妬羅綿、或如疊絮、或似風輪。發起如是輕勝解已，由勝解作意，於彼彼處飄轉其身。謂從床上飄置几上，復從几上飄置床上；如是從床飄置草座，復從草座飄置於床。

> 軽快な想いとは、この想いによって身体に軽快で優れた理解（勝解）が生じることをいいます。それは、例えば綿や重ねた綿の塊のようなもの、あるいは風の輪のようなものです。このような軽快な優れた理解が生じると、その理解に基づく心の働きによって、あちらこちらへと身体を漂わせ動かします。例えば、寝床から机の上へと漂わせ、また机の上から寝床へと漂わせます。同様に、寝床から草の座布団へと漂わせ、また草の座布団から寝床へと漂わせるのです。

柔軟想者，謂由此想，於身發起柔軟勝解，或如綿囊、或如毛毳、或如熟練。此柔軟想，長養攝受前輕舉想。於攝受時，令輕舉想增長廣大。

> 柔軟想（にゅうなんそう）とは、この想いによって身体に柔らかく優しい感覚が生じることを言います。例えば、綿の袋のような、あるいは動物の毛のような、またはよく練られた布のような感じです。この柔軟想は、先に述べた軽挙想（きょうじょそう）を育み、支えます。その支えによって、軽挙想はさらに大きく広がっていくのです。

空界想者，謂由此想，先於自身發起輕舉、柔軟二勝解已，隨所欲往，若於中間有諸色聚能為障礙，爾時便起勝解作意，於彼色中作空勝解，能無礙往。

> 空界想とは、この想（イメージ）によって、まず自らの身体に「軽やかさ」と「柔らかさ」という二つの優れた理解を得ます。その後、思いのままに移動しようとするとき、途中に物質の集まりがあって妨げとなる場合、その時に「空（くう）」という優れた理解を起こす心の働きが生じます。その物質の中に「空である」という優れた理解を起こすことで、妨げられることなく移動できるのです。

身心符順想者，謂由此想，或以其心符順於身，或以其身符順於心。由此令身轉轉輕舉、轉轉柔軟、轉轉堪任、轉轉光潔，隨順於心、繫屬於心，依心而轉。

> 身心が調和しているという想いとは、すなわち、この想いによって、心が身体に調和し、あるいは身体が心に調和することを指します。これにより、身体はますます軽やかになり、ますます柔らかくなり、ますます自在に動くようになり、ますます清らかになります。心に従い、心に属し、心によって動くのです。

勝解想者，謂由此想，遠作近解，近作遠解，麁作細解，細作麁解，地作水解，水作地解，如是一一差別大種展轉相作。廣如變化所作勝解，或色變化、或聲變化。由此五想修習成滿，領受種種妙神境通。或從一身示現多身，謂由現化勝解想故；或從多身示現一身，謂由隱化勝解想故；或以其身，於諸牆壁、垣城等類厚障隔事直過無礙；或於其地出沒如水；或於其水斷流往返，履上如地；或如飛鳥，結加趺坐，騰颺虛空；或於廣大威德勢力日月光輪，以手捫摸；或以其身，乃至梵世自在迴轉。當知如是種種神變，皆由輕舉、柔軟、空界、身心符順想所攝受勝解想故，隨其所應，一切能作。此中以身於其梵世，略有二種自在迴轉。一者、往來自在迴轉；二、於梵世諸四大種一分造色，如其所樂，隨勝解力，自在迴轉。

> 勝解想とは、この想によって、遠くにあるものを近くに感じ、近くにあるものを遠くに感じ、粗いものを細かく感じ、細かいものを粗く感じ、地を水として感じ、水を地として感じることをいう。このように、一つ一つの異なる四大元素が互いに転換し合うのである。さらに広くは、変化によって生み出される勝解、すなわち色の変化や音の変化が含まれる。この五つの想（勝解想・軽挙想・柔軟想・空界想・身心符順想）の修行が完成すると、様々な素晴らしい神境通（神通力）を得ることができる。 あるいは、一つの身体から多くの身体を現すことができる。これは、現れ出る変化の勝解想によるものである。あるいは、多くの身体から一つの身体を現すこともできる。これは、隠れる変化の勝解想によるものである。あるいは、その身体で、壁や塀や城などの厚く遮るものをも、まっすぐに通り抜けて障害なく進むことができる。あるいは、大地に出入りすることを、水に出入りするかのごとく行うことができる。あるいは、水の流れをせき止めて、その上を歩いたり、行き来したりすることができる。それは、あたかも大地の上を歩くかのようである。あるいは、飛ぶ鳥のように、結跏趺坐したまま空中に浮かび上がる。あるいは、広大な威力と勢力を持つ日月の光輪を、手で触れたり撫でたりすることができる。あるいは、その身体で、梵天の世界に至るまで、自在に往来し、行動することができる。 知るべきである。このような様々な神変（神通力による変化）は、すべて、軽挙想、柔軟想、空界想、身心符順想によって摂受された勝解想によるものであり、それぞれの状況に応じて、すべてを行うことができるのである。 ここで、その身体による梵天の世界への働きには、大きく分けて二つの自在な回転（自在な活動）がある。第一は、往来の自在な回転であり、第二は、梵天の世界にある四大元素の一部である造色（物質的な形）に対して、その人の望むままに、勝解力に従って、自在に変化させる回転である。

先所受行次第隨念想者，謂由此想，從童子位迄至于今，隨憶念轉，自在無礙。隨彼彼位，若行、若住、若坐、若臥，廣說一切先所受行，隨其麁略，次第無越，憶念了知，於此修習、多修習故，證得修果，於無量種宿世所住，廣說乃至所有行相、所有宣說，皆能隨念。

> 先に行ったことの順序を思い浮かべるとは、この想念によって、幼い頃から現在に至るまで、思い出し方が自由で、妨げられることがありません。それぞれの時期において、歩いている時、立っている時、座っている時、横になっている時など、あらゆる以前に経験した行為の詳細を、おおまかであっても順序を間違えずに思い出し、はっきりと認識します。この修行を繰り返し行うことによって、修行の成果が得られます。無数の前世における住まいや、そのすべての様相や語られた内容に至るまで、思い出して語ることができるのです。

種種品類集會音聲想者，謂由此想，遍於彼彼村邑、聚落，或長者眾、或邑義眾、或餘大眾、或廣長處、或家、或室，種種品類諸眾集會所出種種雜類音聲、名諠譟聲，或於大河眾流激湍波浪音聲，善取其相。以修所成定地作意，於諸天人，若遠、若近，聖、非聖聲，力勵聽採。於此修習、多修習故，證得修果清淨天耳，由是能聞人間、天上，若遠、若近，一切音聲。

> さまざまな種類の集まりから生じる音声のイメージづけとは、次のようなものです。すなわち、このイメージづけによって、あらゆる村や集落、あるいは長者たちの集まりや、町の集会、その他の大衆の集まり、または広い場所や家、部屋において、様々な種類の大衆が集まることで生じる、さまざまな雑多な音声や喧騒の音、あるいは大きな川の激しい流れが波立つ音について、その特徴をよく捉えることです。 このようにして、修行によって達成された定の境地における作意をもって、天や人の世界における、遠いものも近いものも、聖なる声もそうでない声も、努めて耳を傾けて聴き取ります。この修行を繰り返し、しっかりと修めることによって、修行の成果である清らかな天の耳を得ることができます。それによって、人間の世界や天の世界における、遠いものも近いものも、あらゆる音声を聞くことができるのです。

光明色相想者，謂於如前所說種種諸光明相，極善取已，即於彼相作意思惟。又於種種諸有情類善不善等業用差別，善取其相，即於彼相作意思惟，是名光明色相想。於此修習、多修習故，證得修果死生智通，由是清淨天眼通故，見諸有情，廣說乃至身壞已後，往生善趣天世間中。

> 光明の色相の想とは、先に述べた様々な光明の相を、十分に捉えた上で、その像に心を集中して思い巡らせることをいいます。また、様々な生きとし生けるものの善悪などの行為の違いについて、その像をしっかりと捉え、その像に心を集中して思い巡らせることも、光明の色相の想と呼ばれます。この修行を繰り返し、さらに繰り返し修めることによって、修行の成果として「死生の智通」\*が得られます。この清らかな天眼の通力によって、生きとし生けるものを見ることができ、詳しく言えば、身体が壊れた後、善き世界である天の世間に生まれ変わる様子までも見通せるようになるのです。 \*（注：他者の死と再生を知る超自然的な智慧）

煩惱所作色變異想者，謂由此想，於貪、恚、癡、忿、恨、覆、惱、誑、諂、慳、嫉，及以憍、害、無慚、無愧諸餘煩惱及隨煩惱纏繞其心諸有情類，種種色位色相變異，解了分別。如是色類有貪欲者，有色分位、色相變異，謂諸根躁擾、諸根掉舉，言常含笑。如是色類有瞋恚者，有色分位、色相變異，謂面恒顰蹙，語音謇澁，言常變色。如是色類有愚癡者，有色分位、色相變異，謂多分瘖瘂，事義闇昧，言不辯了，語多下里。由如是等行相流類，廣說乃至無慚愧等所纏繞者，有色分位、色相變異，善取其相，復於彼相作意思惟。於此修習、多修習故，發生修果心差別智，由此智故，於他有情補特伽羅隨所尋思、隨所伺察心、意、識等，皆如實知。

> 煩悩によって引き起こされる「色の変異」という想いとは、つまり、この想いによって、貪り、怒り、愚かさ、忿（いきどおり）、恨（うらみ）、覆（おおい）、悩（なやみ）、誑（たぶらかし）、諂（へつらい）、慳（けち）、嫉（ねたみ）、そして驕り、害し、無慚（恥じることなく）、無愧（愧じることなく）、その他あらゆる煩悩や随煩悩に心を絡め取られた生きとし生けるものについて、様々な状態や姿の変化を理解し、はっきりと見分けることです。 例えば、貪りのある者は、身体の様子や姿が変わり、感覚が落ち着かず、そわそわし、いつも笑顔を見せがちです。怒りのある者は、顔をしかめ、声はつまり、話すと顔色が変わります。愚かさのある者は、多くは無口で、物事の道理に暗く、話は要領を得ず、言葉は俗っぽくなります。 このような様々な様相や傾向によって、さらに詳しく言えば、無慚・無愧などに絡め取られた者にも、身体の様子や姿の変化が現れます。修行者はその特徴をよく捉え、そのイメージを心に思い描いて、それについて繰り返し考えを巡らせ、修習を重ねます。この修習を繰り返し行うことによって、修行の成果として、心の違いを見分ける智慧が生まれます。この智慧によって、他の生きとし生けるものの心、意、識などについて、探求し観察するままに、ありのままに知ることができるのです。

解脫、勝處、遍處想者，如前三摩呬多地，應知修相。由於此想親近、修習、多修習故，能引最勝諸聖神通，若變事通、若化事通、若勝解通。及能引發無諍、願智、四無礙解。謂法無礙解、義無礙解、辭無礙解、辯無礙解等種種功德。

> 解脱、勝処、遍処という観想については、前に述べた三摩呬多地の教えに従って、修行の方法を理解すべきです。この観想を繰り返し学び、修習し、深く修めていくことで、最も優れた聖者の神通力を得ることができます。それは、物を変える神通、形を変える神通、あるいは心の理解による神通です。さらに、無諍、願智、四無碍解——法無碍解、義無碍解、辞無碍解、辯無碍解——といった様々な功徳も引き起こすことができます。

又聖、非聖二神境通有差別者，謂聖神通，隨所變事、隨所化事、隨所勝解，一切皆能如實成辦，無有改異，堪任有用。非聖神通不能如是，猶如幻化，唯可觀見，不堪受用。

> また、聖者と非聖者の神境通には違いがあります。聖者の神通は、変化させること、化現させること、勝解することのすべてを、そのまま真実に成し遂げ、変わることなく、役に立ち、活用できます。非聖者の神通はそのようにはできず、幻や化け物のように、ただ見ることはできても、実際に使いこなすことはできません。

當知如是十二種想，親近、修習、多修習故，隨其所應，便能引發五種神通，及能引發不共異生如其所應諸聖功德。

> この十二種類の想いを、よく親しみ、繰り返し修め、さらに修め続けるならば、それぞれに応じて五種類の神通力を引き起こし、また凡夫にはない聖者の功徳を、それぞれに応じて引き起こすことができると知るべきである。