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title: "瑜伽師地論 · 4項 觀察作意"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復從此後，為欲進斷修所斷惑，如所得道更數修習，永斷欲界上品、中品諸煩惱已，得一來果。如預流果所有諸相，今於此中，當知亦爾。然少差別。謂若行境界，於能隨順上品猛利煩惱纏處，由失念故，暫起微劣諸煩惱纏，尋能作意，速疾除遣。唯一度來生此世間，便能究竟作苦邊際。得不還果及不還相，如前已說。

> さらにその後、修所断の煩悩を断ち切るために、すでに得た道を繰り返し修行し、欲界の上品・中品の諸煩悩を永遠に断ち尽くして、一来果を得る。預流果に関するすべての特徴は、ここでも同じであると知るべきである。ただし、わずかな違いがある。それは、修行者が境遇に臨むとき、特に上品で猛り立つ煩悩の束が生じやすい場面において、一瞬の不注意から微かで粗い煩悩の束が一時的に現れても、すぐに心を立て直して速やかに除き去ることができる点である。この世にただ一度だけ生まれ変わることで、最終的に苦しみの終わりを達成する。不還果およびその特徴については、すでに前に述べた通りである。

當知此中，由觀察作意，於一切修道，數數觀察已斷、未斷，如所得道而正修習。

> 知っておくべきことだが、この中で、観察の心構えによって、すべての修行の道において、繰り返し観察し、すでに断ったものとまだ断っていないものを確かめながら、得られた道に従って正しく修行することである。

又於此中，云何名修自性？云何名修業？云何名修品類差別？

> また、この中で、どのようなことを修行の本質というのでしょうか。どのようなことを修行の働きというのでしょうか。どのようなことを修行の種類や違いというのでしょうか。

謂由定地作意，於世出世善有為法修習增長，無間所作、殷重所作，令心相續會彼體性。如是名為修之自性。

> ここでいう「修（修行）」とは何かというと、心を定まった状態に向けること（定地作意）によって、この世や世を超えた善い行い（善有為法）を繰り返し身につけ、成長させていくことです。その際、途切れることなく行い（無間所作）、心を込めて丁寧に行うこと（殷重所作）によって、心の流れを持続させ、その善い性質と一体化させること、これが「修」という行いの本質です。

當知修業略有八種。一、有一類法由修故得，二、有一類法由修故習，三、有一類法由修故淨，四、有一類法由修故遣，五、有一類法由修故知，六、有一類法由修故斷，七、有一類法由修故證，八、有一類法由修故遠。若先未得殊勝善法，修習令得，名修故得。若先已得，令轉現前，名修故習。若先已得，未令現前，但由修習彼種類法，當令現前，令轉清淨鮮白生起，名修故淨。若有失念，染法現行，修善法力令不忍受，斷除、變吐，名修故遣。若未生起所應斷法，修善法力，了知如病，深心厭壞；了知如癰、如箭，障礙無常、苦、空及以無我，深心厭壞；名修故知。如是知已，數修習故，無間道生，斷諸煩惱，名修故斷。煩惱斷已，證得解脫，名修故證。如如進趣上地善法，如是如是令其下地已斷諸法轉成遠分，乃至究竟，名修故遠。當知是名八種修業。

> 修行の働きについて、大きく八つの種類があると知るべきである。 第一に、修行によって新たに得られるものがある。 第二に、修行によって繰り返し慣れ親しむものがある。 第三に、修行によって清らかになるものがある。 第四に、修行によって捨て去るものがある。 第五に、修行によって知るものがある。 第六に、修行によって断ち切るものがある。 第七に、修行によって悟りを得るものがある。 第八に、修行によって遠ざけるものがある。 もし、まだ得ていない優れた善の法（ダルマ）を、修行によって得るならば、これを「修行によって得る」という。 もし、すでに得たものを、再び現れ出るようにするならば、これを「修行によって慣れ親しむ」という。 もし、すでに得たものがまだ現れていない場合でも、その種類の法を修行することによって、それを現れ出るようにし、さらに清らかで真っ白に生じさせるならば、これを「修行によって清らかになる」という。 もし、心の落ち着きを失い、煩悩に染まった法が現れたとき、修行の善い力によってそれを受け入れず、断ち切り、吐き出すならば、これを「修行によって捨て去る」という。 もし、まだ断つべき法が生じていないとき、修行の善い力によって、それを病気のように知り、心の底から嫌って壊し、またおできや矢のように知り、さまたげとなり、無常であり、苦であり、空であり、我（アートマン）がないものであると知って、心の底から嫌って壊すならば、これを「修行によって知る」という。 こうして知った後、繰り返し修行するので、煩悩を断つ道（無間道）が生じ、すべての煩悩を断ち切る。これを「修行によって断ち切る」という。 煩悩を断ち切った後に、解脱を悟る。これを「修行によって悟りを得る」という。 より高い境地の善い法へと進むにつれて、すでに断った下の境地の様々な法を、ますます遠く離れたものにし、最終的に究極に至る。これを「修行によって遠ざける」という。 これらが八つの修行の働きであると知るべきである。

應知此修品類差別，有十一種。一、奢摩他修，二、毘鉢舍那修，三、世間道修，四、出世道修，五、下品道修，六、中品道修，七、上品道修，八、加行道修，九、無間道修，十、解脫道修，十一、勝進道修。

> この修行の種類には、次の十一の区別があることを知るべきです。 一、奢摩他（しゃまた）の修行（心を静める修行） 二、毘鉢舍那（びばしゃな）の修行（物事を観察する修行） 三、世間の道による修行 四、出世の道による修行 五、下位の修行 六、中位の修行 七、上位の修行 八、加行道の修行（悟りに至る手前の修行） 九、無間道の修行（煩悩を断ち切る修行） 十、解脱道の修行（煩悩から解放される修行） 十一、勝進道の修行（さらに向上する修行）

奢摩他修者，謂九種行令心安住，如前已說。毘鉢舍那修，亦如前說。世間道修者，謂於諸下地見麁相故，於諸上地見靜相故，乃至能趣無所有處一切離欲。出世道修者，謂正思惟苦真是苦、集真是集、滅真是滅、道真是道。由正見等無漏聖道，乃至能趣非想非非想處一切離欲。下品道修者，謂由此故，能斷最麁上品煩惱。中品道修者，謂由此故，能斷所有中品煩惱。上品道修者，謂由此故，能斷所有最後所斷下品煩惱。加行道修者。謂由此故為斷煩惱，發起加行。無間道修者，謂由此故，正斷煩惱。解脫道修者，謂由此故，或斷無間證得解脫。勝進道修者，謂由此故，從是已後修勝善法，乃至未起餘地煩惱能治加行，或復未起趣究竟位。當知是名十一種修品類差別。

> 奢摩他の修行とは、九種類の行によって心を安らかにとどめることであり、既に前に述べた通りです。毘鉢舎那の修行も、先に述べた通りです。 世間道の修行とは、下の境地には粗い相があると見、上の境地には静かな相があると見ることであり、最終的には無所有処までの一切の欲望を離れることです。 出世間道の修行とは、苦はまさに苦である、集はまさに集である、滅はまさに滅である、道はまさに道であると正しく考えることです。正しい見解などの無漏の聖なる道によって、最終的には非想非非想処までの一切の欲望を離れることです。 下品の道の修行とは、これによって最も粗い上品の煩悩を断ち切ることです。 中品の道の修行とは、これによってすべての中品の煩悩を断ち切ることです。 上品の道の修行とは、これによって最後に断つべき下品の煩悩をすべて断ち切ることです。 加行（加行道）の修行とは、これによって煩悩を断つために努力を始めることです。 無間道の修行とは、これによってまさに煩悩を断ち切ることです。 解脱道の修行とは、これによって煩悩を断った直後に解脱を証得することです。 勝進道の修行とは、これによってその後、さらに優れた善法を修め、他の境地の煩悩に対治する加行をまだ起こさない間、あるいは究竟の位に至らない間に及ぶことです。 これらを十一種の修行の品類の違いと知るべきです。

如是於修勤修習者，於時時間，應正觀察所有煩惱已斷、未斷。

> このように修行に励む者は、時おり、自分の煩悩がすでに断たれたのか、まだ断たれていないのかを、正しく観察すべきである。