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title: "瑜伽師地論 · 1"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩純共自利利他？

> では、菩薩が完全に自利と利他を共に成就するとは、どのようなことでしょうか。

謂諸菩薩，於純自利利他應知應斷，違越不順菩薩儀故。於其所餘應勤修學，不越隨順菩薩儀故。

> \*\*菩薩が、純粋な自己の利益だけを追求する「自利」と、他者の利益だけを追求する「利他」については、知るべきであり、捨てるべきです。\*\* \*\*なぜなら、それらは菩薩のあり方に反し、背いているからです。\*\* \*\*それ以外の（自利と利他を調和させた）行いについては、熱心に学び実践すべきです。\*\* \*\*なぜなら、それらは菩薩のあり方に従い、背かないからです。\*\*

此中菩薩於純自利應知應斷者，謂為己樂，求財受用；或為悋法，於佛菩薩所說教法追訪受持。或為生天受天快樂，受持禁戒，發勤精進修習定慧；或求世間有染果報，為世財食，恭敬供養諸佛制多。或貪利養，為利養故，自說種種無有義利不實功德，誑惑於他，招集利養。或欲貪他作己僮僕，為驅使故，非法攝眾，不如正法。矯設方便拔濟有情，令於他所免為僮僕，還自攝受為己僮僕；拔濟有情令脫繫縛，還自拘執成己事業；拔濟有情，令於他所解脫種種治罰怖畏，還自攝伏令懼於己。若諸菩薩耽著諸定現法樂住，棄捨思惟利眾生事。當知此等名純自利。菩薩於是純自利行應知應斷。

> ここで菩薩が「純粋な自己利益」と知り、断つべきものとは、以下のような行いを指します。 すなわち、自らの楽しみのために財を求め、それを使役すること。あるいは、教えを惜しんで、仏や菩薩の説かれた教えを尋ね求め、受持すること。あるいは、天に生まれ天の楽しみを受けるために戒律を守り、努力精進し、禅定や智慧の修行に励むこと。あるいは、世俗的な汚れた報いを求めて、世間の財や食べ物のために仏塔や仏に供養し敬うこと。あるいは、利得や供養を貪り、その利得のために、さまざまな無意味で偽りの功徳を自ら語り、他者を惑わして利得を集めること。あるいは、他者を自分の召使いにしたいと欲し、使役するために、正しい方法によらずに衆生を集め、正しい教えに従わないこと。あるいは、偽りの方便を用いて有情を救済し、他者の召使いになることから免れさせながら、実際には自らの召使いとして受け入れること。有情を救済して束縛から解放しながら、再び自ら縛りつけて自分の事業とすること。有情を救済して、他者からのさまざまな罰や恐怖から解放しながら、再び自ら従わせて自分を恐れさせること。 また、諸々の禅定に耽り、現世の安らぎに留まり、衆生の利益を考えることを捨て去ることである。 菩薩はこのような純粋な自己利益の行いを知り、断つべきである。

若諸菩薩或悲為首，或為迴向無上菩提，及為生天，於一切時修施、忍等，當知是名自利共他。又除如前所說諸相，其餘一切與彼相違所有自利諸菩薩行，當知皆名自利共他。菩薩於此應勤修學。

> もし菩薩が、あるいは\[慈悲の\]悲を第一とし、あるいは無上の悟りへの回向のため、そして天に生まれるために、常に布施や忍耐などを修行するならば、これを「自利と他利の共なるもの」と知るべきである。また、先に説いた諸々の特徴を除き、その他すべての、それらと相反する自利に関する菩薩の行いは、すべて「自利と他利の共なるもの」と名づけるべきであり、菩薩はこれらを精進して学ぶべきである。

此中菩薩於純利他應知應斷者，謂以邪見修行施等。以無因見及無果見，毀犯尸羅，遠離正行，為他說法。若諸菩薩於諸靜慮善巧迴轉，已超下地，而更攝受下地白法。謂彼已能安住靜慮，由悲願力捨諸靜慮，隨其所樂還生欲界。又諸菩薩已得自在，於十方界種種變化，作諸眾生種種義利。又諸牟尼自事已辦，依止如來力、無畏等所有一切不共佛法，遍於十方無量眾生，能作無量大利益事。當知此等名純利他。如是所說純利他行，菩薩於前所說二種應知應斷。於餘所說純利他行，多應修學。

> ここで、菩薩が純粋な利他行について知るべきこと、断つべきこととは、例えば、誤った見解に基づいて施しなどの修行を行うことである。すなわち、原因がないという見解や結果がないという見解によって戒律を破り、正しい行いから遠ざかり、他人のために法を説くことである。 また、菩薩が様々な静慮（瞑想）を巧みに転じ、すでに下の境地を超えているにもかかわらず、さらに下の境地の善法を受け入れることである。つまり、彼らはすでに静慮に安住することができるが、慈悲と誓願の力によって静慮を捨て、望むままに欲界に生まれ変わるのである。 さらに、菩薩はすでに自在を得て、十方の世界で様々に変化し、あらゆる衆生のために様々な利益を成し遂げる。 また、牟尼（聖者）たちは自らのすべきことを既に成し遂げ、如来の力、無畏などのすべての不共の仏法に依りながら、十方の無量の衆生に対して、無量の大いなる利益を行うことができる。 これらを純粋な利他行と知るべきである。以上のように説かれた純粋な利他行について、菩薩は先に述べた二種類のもの（邪見によるものと、下地の善法を受け入れるもの）を知り、断つべきである。その他の説かれた純粋な利他行については、多くを学び修行すべきである。

又除如前所說諸相，其餘一切與彼相違所有利他諸菩薩行，當知皆名利他共自。菩薩於此應勤修學。

> また、先に述べた諸々の相を取り除き、それ以外の、それらの相とは異なる、他者を利益するすべての菩薩の行いを、「利他と自利を共にするもの」と知るべきである。菩薩はこのことに努めて学ぶべきである。

云何菩薩利益種類自利利他？略說應知有五種相。一、無罪相，二攝受相，三、此世相，四、他世相，五、寂滅相。若諸菩薩所有自能若少若多攝受善法、增長善法；或復令他若少若多攝受善法、增長善法，勸勉、調伏、安置、建立；是名菩薩利益種類自利利他無有罪相。若諸菩薩能引所有若自若他無染污樂、或眾具樂、或住定樂、是名菩薩利益種類自利利他能攝受相。若諸菩薩自利利他，或有此世能為利益，非於他世；或有他世能為利益，非於此世；或有此世及於他世俱為利益；或有此世及於他世俱非利益。如是四種自利利他，於四法受，隨其次第，如應當知。云何名為四種法受？或有法受，現在受樂，於當來世受苦異熟；或有法受，現在受苦，於當來世受樂異熟；或有法受，現在受樂，於當來世受樂異熟；或有法受，現在受苦，於當來世受苦異熟。此四廣辯，如經應知。是名菩薩利益種類自利利他此他世相。若諸菩薩所有涅槃，及得涅槃世出世間涅槃分法，是名菩薩利益種類自利利他寂滅略相。當知此相望餘一切，無上最勝。

> 菩薩の利益の種類としての自利利他とは何か。簡潔に言えば、五つの特徴があると知るべきである。第一に無罪の特徴、第二に摂受の特徴、第三に現世の特徴、第四に来世の特徴、第五に寂滅の特徴である。 菩薩が自ら、多くであれ少なくであれ、善法を受け止め育てること、あるいは他者に、多くであれ少なくであれ、善法を受け止め育てるよう促し、調え、導き、確立させること、これを菩薩の利益の種類としての自利利他における「罪のない特徴」という。 菩薩が、自他共に、汚れのない安らぎ、あるいは生活の豊かさ、あるいは瞑想の境地の安らぎをもたらすこと、これを菩薩の利益の種類としての自利利他における「摂受の特徴」という。 菩薩の自利利他には、現世でのみ利益があり来世にはない場合、来世でのみ利益があり現世にはない場合、現世と来世の両方に利益がある場合、現世と来世の両方に利益がない場合がある。これら四種の自利利他は、四つの「法の受け方」に応じて、順に知るべきである。四つの法の受け方とは何か。現在は楽を受けるが、来世では苦の報いを受ける法の受け方、現在は苦を受けるが、来世では楽の報いを受ける法の受け方、現在も来世も楽の報いを受ける法の受け方、現在も来世も苦の報いを受ける法の受け方である。これら四つについての詳しい解説は、経典の通りに知るべきである。これを菩薩の利益の種類としての自利利他における「現世・来世の特徴」という。 菩薩の涅槃、および涅槃を得るための世間的・出世間的な涅槃の要素、これらを菩薩の利益の種類としての自利利他における「寂滅の大まかな特徴」という。この特徴は、他のすべての特徴よりも優れており、最も勝れていると知るべきである。

云何菩薩安樂種類自利利他？略說應知五樂所攝。何等五樂？一者、因樂，二者、受樂，三者、苦對治樂，四者、受斷樂，五者、無惱害樂。

> 菩薩にとって、自己と他者を利する「安楽」には、どのような種類があるのでしょうか。簡潔にまとめると、五つの楽に含まれます。その五つとは、第一に「因楽」（原因となる楽）、第二に「受楽」（享受する楽）、第三に「苦対治楽」（苦しみを除く楽）、第四に「受断楽」（感覚の消滅による楽）、第五に「無悩害楽」（悩みや害のない楽）です。

言因樂者，謂二樂品諸根境界，若此為因順樂受觸，若諸所有現法當來可愛果業，如是一切總攝為一，名為因樂。除此更無若過若增。

> 因楽（いんらく）とは、二つの楽しみの種類に属する感覚器官とその対象を指します。もしこれが原因となって、楽しい感覚に沿った触れ合いが生じ、さらに現在および未来にわたって愛される結果をもたらす行いがすべて、一つにまとめられて「因楽」と呼ばれます。これ以外に、それを超えたり増したりするものはありません。

言受樂者，謂待苦息，由前所說因樂所攝三因緣故，有能攝益身心受生，名為受樂。略說此樂復有二種。一者、有漏，二者、無漏。無漏樂者，學無學樂。有漏樂者，欲、色、無色三界繫樂。又此一切三界繫樂，隨其所應六處別故，有其六種。謂眼觸所生，乃至意觸所生。如是六種復攝為二。一者、身樂，二者、心樂。五識相應，名為身樂；意識相應，名為心樂。

> 楽しみというのは、苦しみが止んだ状態を指します。先に述べた、楽と感じる原因となる三つの条件によって、心と体に良い影響を与える感覚が生まれ、これを「受楽」と呼びます。 この楽は、大きく二つに分けられます。一つは「有漏の楽」、もう一つは「無漏の楽」です。 無漏の楽とは、修行中の学人と、すでに修行を完成した無学人の楽です。 有漏の楽とは、欲界・色界・無色界の三つの世界に縛られている楽です。 また、これら三界に縛られた楽はすべて、それぞれ対応する六つの感覚器官によって六種類に分けられます。すなわち、眼の接触から生じるものから、意の接触から生じるものまでです。 この六種類の楽は、さらに二つにまとめられます。一つは「身の楽」、もう一つは「心の楽」です。 五つの感覚（眼・耳・鼻・舌・身）に対応するものを身の楽といい、意識に対応するものを心の楽といいます。

若對治樂者，謂因寒熱飢渴等事，生起非一眾多品類種種苦受，由能對治息除寒熱飢渴等苦，即於如是苦息滅時，生起樂覺，是則名為苦對治樂。

> 苦を受ける感覚に対応するものとして「楽」があるのは、例えば寒さ、暑さ、飢え、渇きなどによって、さまざまな種類の苦しみが生じる場合です。そうした苦しみを和らげ、寒さや暑さ、飢えや渇きなどの苦を除くことができるなら、その苦しみが静まった時に、私たちは「楽だ」という感覚を抱きます。これを「苦に対する対治としての楽」と呼びます。

滅想受定，名受斷樂。

> 想と受を滅する定（めつそうじゅじょう）は、「受の断絶による楽」と呼ばれます。

無惱害樂，應知略說復有四種。一、出離樂，二、遠離樂，三、寂靜樂，四、三菩提樂。

> 悩みのない楽しみについて、簡単に言えば、さらに四つの種類があると知るべきです。第一に出離の楽しみ、第二に遠離の楽しみ、第三に寂静の楽しみ、第四に三菩提の楽しみです。

正信捨家，趣於非家，解脫煩籠居家迫迮種種大苦，名出離樂。

> 正しく信仰して家を捨て、家なき者となること。煩わしさという檻から解き放たれ、家にいることの束縛や様々な大きな苦しみから逃れて、それを「出離の楽しみ」と言います。

斷除諸欲惡不善法，證初靜慮離生喜樂，名遠離樂。

> 諸々の欲や不善な法を断ち切り、初めての静寂（初禅）を体得し、そこから生まれる歓喜と安楽を「遠離の楽」と言います。

第二靜慮已上諸定，尋伺止息，名寂靜樂。

> 第二禅以上の様々な定の状態では、粗い思考（尋）と細かい思考（伺）が静まりやむことから、これを「寂静の楽」と名づけます。

一切煩惱畢竟離繫，於所知事如實等覺，此樂名為三菩提樂。

> すべての煩悩からついに解き放たれ、あるべき事柄をありのままに正しく覚ること。この楽しみを、三菩提の楽しみと名づける。

此中因樂，是樂因故，說名為樂。非自性故。此中受樂，樂自性故，說名為樂，非樂因故。苦對治樂，息眾苦故、遣眾苦故，說名為樂，非樂因故、非自性故。其受斷樂，非樂因故、非自性故，亦非息遣種種苦故，說名為樂。然依勝義，諸所有受皆悉是苦，住滅定時，此勝義苦暫時寂靜，故名為樂。無惱害樂所攝最後三菩提樂，由當來世此勝義苦永寂滅故，於現法中附在所依諸煩惱品一切麁重永寂滅故，說名為樂。諸餘所有無惱害樂，於最後樂能隨順故，是彼分故，能引彼故，當知亦名無惱害樂。

> この中で、「楽因」は楽を生み出す原因であるがゆえに「楽」と呼ばれ、その本質（自性）が楽であるからではない。 また、受楽はその本質が楽であるから「楽」と呼ばれ、楽の原因だからではない。 苦を対治する楽は、あらゆる苦しみを静め、除き去るから「楽」と呼ばれ、楽の原因だからでも、本質が楽だからでもない。 受を断つ楽は、楽の原因ではないからでも、本質が楽ではないからでもなく、またさまざまな苦しみを静め除くからでもなく、「楽」と呼ばれる。 しかし、勝義（最高の真理）に従えば、すべての受（感受）はすべて苦である。滅尽定（めつじんじょう）にとどまるとき、この勝義の苦が一時的に寂静となるから「楽」と呼ばれるのである。 無悩害楽（のうげらく）に含まれる最後の三菩提楽（さんぼだいらく）は、未来においてこの勝義の苦が永遠に寂滅するからであり、また現世において依処（えしょ）に付随するあらゆる煩悩の品々や、すべての麁重（そじゅう）が永遠に寂滅するから「楽」と呼ばれる。 その他の無悩害楽は、最後の楽に随順するものであり、その一部であり、それを引き寄せるものであるから、これらもまた無悩害楽と呼ばれると知るべきである。

此中菩薩念與眾生有利益品所有安樂，終不念與無利益品所有安樂。

> ここで、菩薩は［心の中で］「この安楽は衆生にとって利益となるものである」と考慮し、決して利益にならない安楽を考慮することはありません。

菩薩於此無利益品所有安樂，以無倒慧如實了知；勸諸眾生令悉捨離，隨力所能方便削奪。

> 菩薩は、この利益にならないものによる安楽を、誤りのない智慧であるがままに知っています。そして、すべての众生にそれを捨て去るよう勧め、自分の力の及ぶ限り、巧みな方法でそれを取り除かせます。

若苦所隨有利益事，眾生於此雖無樂欲，菩薩依止善權方便，設兼憂苦，應授與之。若樂所隨無利益事，眾生於此雖有樂欲，菩薩依止善權方便，設兼喜樂，應削奪之。何以故？當知如是善權方便，與兼憂苦有利益事，奪兼喜樂無利益事，令彼眾生決定於後得安樂故。是故菩薩於諸眾生若樂利益，當知義意即樂安樂；於諸眾生若與利益，當知義意即與安樂。所以者何？利益如因，安樂如果。是故當知，於諸眾生若與利益，必與安樂。

> もし苦しみを伴っていても、それが利益をもたらすことであれば、その対象となる人はそれを望んでいなくても、菩薩は巧みな手段によって、たとえ苦しみが伴う場合でも、それを与えるべきである。 もし喜びを伴っていても、それが利益にならないことであれば、その対象となる人がそれを望んでいても、菩薩は巧みな手段によって、たとえ喜びが伴う場合でも、それを取り除くべきである。 なぜか？ この巧みな手段は、苦しみを伴っても利益をもたらすことと、喜びを伴っても利益にならないことを取り除くことで、その人々が後に必ず安楽を得られるようにするためだと知るべきである。 したがって、菩薩が人々に利益をもたらそうとするなら、それはすなわち安楽を与えようとすることだと知るべきである。 また、菩薩が人々に利益を与えるなら、それはすなわち安楽を与えることだと知るべきである。 なぜなら、利益は原因のようなものであり、安楽は結果のようなものだからである。 よって、人々に利益を与えるなら、必ず安楽をも与えることになると知るべきである。

當知所有現法當來可愛果業所攝因樂、苦對治樂，及受斷樂、無惱害樂，菩薩於此不應思量，於諸眾生一向授與，以能饒益及無罪故。於彼受樂及根塵觸所攝因樂，若能生染，若性是染，有罪無益，非所宜者，於諸眾生不應授與。若不生染，若性非染，無罪有益，是所宜者，於諸眾生即應授與。

> 知っておくべきだ。現在の世において得られる、楽しい結果を生む業に基づく楽、苦しみを断つための対処による楽、感覚を離れた楽、悩みのない楽について、菩薩はこれらをむやみに思い計ってはならない。菩薩はすべての众生に対して、常にこれらの楽を惜しみなく与えるべきである。なぜなら、それらは利益をもたらし、罪過がないからだ。 また、感覚の楽しみや、感覚器官と対象との接触によって生じる楽について、もしそれが執着を生むものであり、その本性が汚れであり、罪過があって利益がない、ふさわしくないものであれば、菩萨はそれを众生に与えてはならない。しかし、もしそれが執着を生まず、その本性が汚れておらず、罪過がなく利益がある、ふさわしいものであれば、菩薩はそれを直ちに众生に与えるべきである。

菩薩於此隨自力能，亦應如是修行受學。

> 菩薩は、自らの力の及ぶ範囲に応じて、このように修行し学び取るべきである。

當知是名菩薩利益安樂種類自利利他。除此無有若過若增。

> これを菩薩の自利利他による利益と安楽の種類と知るべきである。これより優れたものも、これより増したものも、他には存在しない。

## 瑜伽師地論卷第三十五

> 瑜伽師地論 第三十五巻