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title: "瑜伽師地論 · 1目 所證真實理體無二"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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又安立此真實義相，當知即是無二所顯。所言二者，謂有、非有。此中有者，謂所安立假說自性，即是世間長時所執，亦是世間一切分別戲論根本。或謂為色、受、想、行、識，或謂眼、耳、鼻、舌、身、意，或復謂為地、水、火、風，或謂色、聲、香、味、觸、法，或謂為善、不善、無記、或謂生滅、或謂緣生，或謂過去、未來、現在，或謂有為，或謂無為，或謂此世，或謂他世，或謂日月，或復謂為所見、所聞、所覺、所知、所求、所得，意隨尋伺，最後乃至或謂涅槃。如是等類，是諸世間共了諸法假說自性，是名為有。言非有者，謂即諸色假說自性，乃至涅槃假說自性，無事無相，假說所依，一切都無。假立言說依彼轉者皆無所有，是名非有。先所說有，今說非有，有及非有二俱遠離，法相所攝真實性事，是名無二。由無二故，說名中道，遠離二邊，亦名無上。佛世尊智於此真實已善清淨，諸菩薩智於此真實學道所顯。又即此慧，是諸菩薩能得無上正等菩提廣大方便。何以故？以諸菩薩處於生死，彼彼生中修空勝解，善能成熟一切佛法及諸有情。又能如實了知生死，不於生死以無常等行深心厭離。若諸菩薩不能如實了知生死，則不能於貪瞋癡等一切煩惱深心棄捨；不能棄捨諸煩惱故，便雜染心受諸生死；由雜染心受生死故，不能成熟一切佛法及諸有情。若諸菩薩於其生死以無常等行深心厭離，是則速疾入般涅槃；彼若速疾入般涅槃，尚不能成熟一切佛法及諸有情，況能證無上正等菩提。

> さらに、この真実の相（すがた）について述べれば、それは「無二」によって示されるものであると知るべきです。ここで「二」とは、「有る」と「有らない」のことです。「有る」とは、仮に立てられた名称や概念としての自性（性質）のことであり、世間の人々が長い間執着してきたものであり、また世間のあらゆる分別や虚構の議論の根本となるものです。例えば、色・受・想・行・識といい、眼・耳・鼻・舌・身・意といい、地・水・火・風といい、色・声・香・味・触・法といい、善・不善・無記といい、生滅といい、縁生といい、過去・未来・現在といい、有為・無為といい、この世・あの世といい、日月といい、また見られるもの・聞かれるもの・感じられるもの・知られるもの・求められるもの・得られるものといい、心が思い巡らすもの、最後には涅槃に至るまで、このようなものはすべて、世間の人々が共通に認識する、仮の名称による事物の自性であり、これを「有る」といいます。「有らない」とは、色などの仮の自性から涅槃の仮の自性に至るまで、実体も形もなく、仮の名称の拠り所となるものもすべて存在しないことです。仮に立てられた言説がそれに基づいて働くものもすべて無い、これを「有らない」といいます。先に述べた「有る」と、今述べた「有らない」、この「有る」と「有らない」の両方を離れたもの、それが法の相（すがた）に含まれる真実のあり方であり、これを「無二」といいます。無二であるがゆえに「中道」と名づけられ、両極端を離れていることから「無上」ともいいます。仏世尊の智慧はこの真実においてすでに清らかにされています。菩薩の智慧はこの真実を学び、修行によって現わします。また、この智慧こそが、諸々の菩薩が無上の正しい悟りを得るための広大な手段なのです。なぜなら、菩薩は生死の世界にありながら、その生涯ごとに「空」の優れた理解を修め、あらゆる仏法とすべての生きとし生けるものをよく成熟させることができるからです。また、生死をありのままに知るので、無常などの捉え方によって深く生死を嫌い離れることはありません。もし菩薩が生死をありのままに知らなければ、貪りや怒り、愚かさなどのすべての煩悩を深く捨て去ることができません。煩悩を捨て去れなければ、心が汚れて生死を受け、そのためにすべての仏法と生きとし生けるものを成熟させることができません。また、もし菩薩が無常などの捉え方によって深く生死を嫌い離れるならば、すぐに涅槃に入ってしまいます。すぐに涅槃に入ってしまえば、すべての仏法と生きとし生けるものを成熟させることができないばかりか、ましてや無上の正しい悟りを証することなどできません。

又諸菩薩，由習如是空勝解故，則於涅槃不深怖畏，亦於涅槃不多願樂。若諸菩薩深怖涅槃，即便於彼涅槃資糧不能圓滿。由於涅槃深怖畏故，不見涅槃勝利功德；由不見故，便於涅槃遠離一切清淨勝解。若諸菩薩於其涅槃多住願樂，是則速疾入般涅槃；彼若速疾入般涅槃，則便不能成熟佛法及諸有情。

> さらに、諸々の菩薩は、このような空の勝れた理解を修めることによって、涅槃を深く恐れることもなく、また涅槃を過度に望むこともありません。もし菩薩が涅槃を深く恐れるならば、涅槃に至るための資糧を円満に積むことができません。涅槃を深く恐れるがゆえに、涅槃の功徳や利益を見ることができず、見ることができないがゆえに、涅槃に対する清らかな理解から遠ざかってしまいます。また、もし菩薩が涅槃に執着し、過度に願い求めるならば、すぐさま涅槃に入ってしまうでしょう。速やかに涅槃に入ってしまえば、仏法や衆生を成熟させることができなくなります。