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title: "瑜伽師地論 · 3目 俱生威力"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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是名法威力。3目 俱生威力

> それが法の力の働きと呼ばれるものです。 第三に、生まれながらにそなわる力（俱生威力）があります。

云何諸佛菩薩俱生威力？

謂性能憶念諸本生事。

> （その心は）過去世の生まれ変わりを覚えている性質がある。

為欲利益諸有情故，不由思擇，於極長時種種猛利無間大苦悉能堪忍。

為欲利益諸有情故，欣樂領受能辦有情利益事苦。

為欲利益諸有情故，上生第四覩史多天，盡覩史多壽量而住。有三勝事，映彼受生諸天子眾。一、天壽量，二、天形色，三、天名稱。將欲下生入母胎時，放大光明，普照世界。於降母胎入、住、出位，皆正了知。既出胎已，即於地上，不待扶侍而行七步，自稱德號。於初生時，有大威德天、龍、藥叉、健達縛、阿素洛、揭路荼、緊捺洛、牟呼洛伽等，散以種種天妙華香，持天伎樂、上妙衣服、幢幡、寶蓋，殊勝供具而為供養。又以無上三十二大丈夫相等，莊嚴其身。住最後有最後生中，一切怨敵、一切魔軍、一切災橫不能侵害。坐菩提座，以慈定力摧伏眾魔。一一支節，皆悉備足那羅延力。於稚童時，不由習學，自然善巧，於諸世間工巧業處疾疾能入。無師自然獨處三千大千世界，證得無上正等菩提。索訶界主大梵天王自然來下，慇懃勸請哀愍世間宣說正法。其定寂靜，設大雲雷，曾無覺受，安然不起。為菩薩時，一切禽獸蠕動之類，皆極仰信，常來歸趣，隨其所欲親附而住。既成佛已，下至傍生亦來供養。如彼獼猴獻清淨蜜，世尊哀受，歡喜舞躍。龍雲常候，洗便降雨；若出遊行，止而不落。菩薩如是若坐樹下，一切枝條並皆垂影，隨蔭其身，曾無虧捨。證菩提已，於六年中，魔求其便竟不能得。常俱行念每恒現前；由此念故，受想尋思生住滅等無不覺了。又佛成就俱生威力，或有見便饒益所攝，或有賢聖行住所攝。見便饒益所攝俱生威力者，謂諸世間若見如來，癲癎心亂還得本心，逆胎得順，盲者得視，聾者能聽，懷貪欲者得離貪纏，懷瞋恚者得離瞋纏，懷愚癡者得離癡纏。如是等類，當知是名見便饒益所攝俱生威力。賢聖行住所攝俱生威力者，謂佛菩薩常右脇臥，如師子王。雖現安處草葉等蓐，一脇而臥，曾無動亂。一切如來應正等覺，雖現睡眠而無轉側。大風卒起，不動身衣。行如師子，步若牛王。先舉右足，方移左足。隨所行地，高處便下，下處遂高，坦然如掌，無諸礫石、塼瓦等物。心專遠離而入聚落，隨所入門，門若狹小自然高廣。食所食時，有粒皆碎，無口不殫。如是等類，當知是名賢聖行住所攝俱生威力。

> あらゆる有情を利益しようという願いのゆえに、第四の兜率天（とそつてん）に生まれ、兜率天の寿命が尽きるまでそこに留まりました。その兜率天には三つの優れた事柄があり、そこに生まれた他の天子たちを凌駕しています。第一に天の寿命、第二に天の姿かたち、第三に天の名声です。 やがて人間界に生まれるため、母の胎内に入ろうとする時、大きな光明を放って全世界を照らしました。母の胎内に入り、留まり、出る際も、すべてを正しく了知（りょうち）しました。胎内を出た後は、すぐに地上で誰の助けも借りずに七歩歩み、自らの徳の名を称えました。 生まれたばかりの時、大いなる威徳を持つ天や竜、夜叉（やしゃ）、乾闥婆（けんだつば）、阿修羅（あしゅら）、迦楼羅（かるら）、緊那羅（きんなら）、摩睺羅伽（まごらが）などが、様々な天の妙なる華や香りを撒き、天の音楽や最上の衣服、幢幡（どうばん）、宝蓋（ほうがい）といった優れた供物を持って供養しました。また、無上の三十二の相（そう）という大丈夫（だいじょうぶ）の相でその身を莊厳（しょうごん）しました。 最後の生、最後の有（う）に住する時、全ての怨敵、全ての魔軍、全ての災いや横難（おうなん）も彼を害することはできません。菩提座（ぼだいざ）に坐し、慈（じ）の定力（じょうりき）によって全ての魔を降伏（ごうぶく）しました。その体の一つ一つの節は、すべて那羅延（ならえん）の力が備わっていました。幼い時から、学ばずして自然に、世間の様々な工巧（くぎょう）の業（わざ）を巧みに素早く身につけました。 師なくして自然に、三千大千世界において独り、無上正等菩提（むじょうしょうとうぼだい）を証（しょう）されました。索訶界（さかかい）の主である大梵天王（だいぼんてんのう）が自然に降りてきて、心から、世の中を哀れんで正しい法を説いてくださいと懇願しました。その禅定（ぜんじょう）は寂静で、大きな雲雷（うんらい）が起こっても、全く感じることなく、安らかに動じません。 菩薩であった時、あらゆる鳥獣や虫の類までもが、深く敬い信じ、常に帰依（きえ）して集まり、その欲するままに親しく寄り添って住みました。仏となられた後は、下は畜類（ちくるい）に至るまでやって来て供養しました。例えば、あの猿が清らかな蜜を捧げた時、世尊（せそん）は哀れんでそれを受け取り、猿は喜び踊ったのです。竜の雲は常に待機し、洗う時には雨を降らせ、お出ましの時には雨を止ませました。菩薩はこのように木の下に坐れば、全ての枝や葉が影を垂れ、その影は身を覆い、決して欠けることがありませんでした。 菩提を証してから六年の間、魔はその隙を狙いましたが、ついに得ることができませんでした。常に念（ねん）が共にあり、常に現前していました。この念によって、受（じゅ）や想（そう）、尋伺（じんし）、生（しょう）、住（じゅう）、滅（めつ）などを、ことごとく覚了（りょうりょう）しないことはありませんでした。 また、仏は倶生威力（くしょういりょく）を成就しておられます。それには、見ることで利益（りやく）をもたらすものと、賢聖（けんじょう）の行住（ぎょうじゅう）に含まれるものとがあります。 見ることで利益をもたらす倶生威力とは、世間の人々が如来（にょらい）を見ると、癲癇（てんかん）や心の乱れが治まって本来の心を取り戻し、逆子（さかご）が正常になり、盲人が見えるようになり、聾者が聞こえるようになり、貪欲（とんよく）に囚われていた者が離れ、瞋恚（しんい）に囚われていた者が離れ、愚癡（ぐち）に囚われていた者が離れる、といったものです。このような類いのものを、見ることで利益をもたらす倶生威力といいます。 賢聖の行住に含まれる倶生威力とは、仏や菩薩が常に右脇（うわき）を下にして獅子王のように臥すことです。草の葉などの蓐（じょく）に一脇で臥していても、決して動じ乱れることはありません。全ての如来応正等覚（にょらいおうしょうとうがく）は、眠りを示しても、寝返りを打つことがありません。大風が突然起こっても、身や衣は動きません。歩く姿は獅子のようであり、歩みは牛王のようです。先ず右足を上げてから、左足を動かします。歩く大地は、高い所は低くなり、低い所は高くなり、平らかで手のひらのようであり、礫（つぶて）や瓦などの物はありません。心は専ら遠離（おんり）に向かい、村や町に入る時、門が狭く低くても自然に高く広がります。食事をされる時は、一粒の米も残さず、口に入らないものはありません。このような類いのものを、賢聖の行住に含まれる倶生威力といいます。

般涅槃時，大地振動，眾星晃耀，交流而隕，諸方一時欻然大熱，遍滿虛空奏天大樂。

> 大般涅槃の時、大地が震動し、星々がきらめいて乱れ落ち、四方が瞬く間に激しく熱くなり、虚空いっぱいに天の大音楽が響き渡った。

如是無量甚希有事，皆是如來俱生威力，非是神通威力所作。如是名為諸佛菩薩俱生威力。

> このような無量の非常に稀有な出来事は、すべて如来の生まれながらの威力によるものであり、神通力によるものではありません。これを諸仏・菩薩の生まれながらの威力と名づけます。