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title: "瑜伽師地論 · 4目 成熟方便"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何成熟方便？當知此有二十七種。一者、界增長，二者、現緣攝受，三者、趣入，四者、攝樂，五者、初發處，六者、非初發處，七者、遠清淨，八者、近清淨，九者、加行，十者、意樂，十一者、財攝受，十二者、法攝受，十三者、神通引攝，十四者、宣說正法，十五者、隱密說法，十六者、顯了說法，十七者、下品加行，十八者、中品加行，十九者、上品加行，二十者、聽聞，二十一者、思惟，二十二者、修習，二十三者、攝受，二十四者、降伏，二十五者、自成熟，二十六者、請他成熟，二十七者、俱成熟。

> では、菩薩の成熟の方便には、どのようなものがあるのでしょうか。知られるべきは、次の二十七種類です。 一、素質を育てること。二、現在の縁によって受け入れ導くこと。三、教えに入ること。四、教えを楽しむこと。五、初めて心を起こす段階にあること。六、すでに心を起こした段階にあること。七、遠くから清められること。八、近くで清められること。九、実践の努力をすること。十、清らかな意欲を持つこと。十一、財物によって受け入れ導くこと。十二、教えによって受け入れ導くこと。十三、神通力によって導き入れること。十四、正しい教えを説くこと。十五、隠れた意味で教えを説くこと。十六、明確に教えを説くこと。十七、下位の努力をすること。十八、中位の努力をすること。十九、上位の努力をすること。二十、教えを聞くこと。二十一、教えを考えること。二十二、教えを修めること。二十三、受け入れ導くこと。二十四、調伏すること。二十五、自らを成熟させること。二十六、他者に成熟させてもらうこと。二十七、自他ともに成熟させること。

界增長者，謂本性善法種子具足為所依止，先來串習諸善法故，後後位中善法種子轉增轉勝，生起堅住。是名界增長。

> 界が増長するとは、もともと善い法の種子を十分に具えて依り所とし、過去において様々な善い行いを重ねてきたことにより、後の段階へ進むにつれて善い法の種子がますます増え、より優れたものとなり、しっかりと定着することをいいます。これを界の増長と名づけます。

現緣攝受者，謂於現法中無倒說法、無倒受持，如理修行法隨法行。當知界增長，由先世因現在成熟；現緣攝受，由現在因現在成熟。

> 現世の縁による摂受とは、現世において正しく説法し、正しく受け持ち、理にかなった修行と法の実践を行うことをいう。界の成長は前世の因が現在に熟することによって生じ、現世の縁による摂受は現在の因が現在に熟することによって生じると知るべきである。

趣入者，謂得淨信增上力故，或有在家遠離惡行，受持學處；或趣非家遠離諸欲，受持學處。

> ここで「教えに入る」とは、清らかな信を得てその力を強くした結果、在家のまま悪い行いを避けて戒めを守るか、あるいは家を出て欲望から離れ、戒めを守ることを言います。

攝樂者，謂依出離眾苦行迹，及依遠離欲樂、自苦二邊行迹，於佛善說法毘奈耶真實聖教深生愛樂。

> 楽に執着しない人とは、苦しみからの解放へと導く修行の道、および欲望の快楽と苦行という両極端を離れた中道の歩みに従い、仏が善く説かれた真実の聖なる教えと戒律を深く愛し喜ぶ人のことを言います。

初發處者，謂即最初於可厭法深生厭離；於能成辦真實理義，如實了知有勝功德，而創趣入。名初發處。

> 初めの出発点とは、まさに最初に、厭うべき法に対して深く厭離の心を生じ、真実の道理や意義を成し遂げる能力があることについて、あるがままに認識して優れた功徳があると知り、初めてその道に入ることをいいます。これを「初発処」と名づけます。

非初發處者，謂已趣入補特伽羅，現成熟時，常不捨離諸佛菩薩，諸明了處轉轉明了。由此成熟，轉轉增進。

> 初めて発心した場所ではないとは、すでに仏道に入った人が、今まさに成熟しつつある時、常に諸仏菩薩を離れず、様々な明らかな境地（悟りの智慧）がますます明らかになっていくことを言います。この成熟によって、悟りに向かってますます進歩していくのです。

遠清淨者，謂由懈怠，或由違緣，經極長時，或經多生、或經多劫方能清淨。

> 遠清浄とは、なまけや逆縁によって、極めて長い時間や、何度も生まれ変わったり、長い劫を経てようやく清らかになることをいう。

近清淨者，當知一切與此相違。

> 清らかさに近いものとは、これと反対のすべてであると知るべきです。

加行者，謂為獲得自勝義利，猛利樂欲為所依故；或怖當來墮諸惡趣，或怖現法他所譏毀，於諸學處常勤護持；無間所作、殷重所作。

> 修行者とは、自分の真の利益（勝義の利益）を得るために、強い意欲と願い（猛利な楽欲）を基盤とする人のことです。あるいは、将来において悪い世界（悪趣）に堕ちることを恐れたり、現世で他人から非難されることを恐れて、常に仏教の教え（学処）を熱心に守り、休むことなく誠実に実践し続ける人のことを指します。

意樂者，謂於諸法正觀察忍為所依故，於佛善說法毘奈耶不可引奪，於他所證深生信解。信有功德為所依故，於三寶所及於獲得自義利所深信無動。

> 意楽（いらく）とは、あらゆる現象を正しく観察し、忍耐をもって受け入れることを基盤として、仏様が善く説かれた教えと戒律に対して決して揺るがされることなく、他者の悟りを深く信じ受け入れることです。信用には功徳があるということを基盤として、仏・法・僧の三宝と、自らの悟りの利益に対して深く確信し、動じることがありません。

財攝受者，謂於一切飲食等物有匱乏者，施與一切飲食等物；或於隨順飲食等物有匱乏者，施與隨順飲食等物。

> 財施とは、あらゆる食べ物や飲み物などに困っている人に対して、それらを施すことです。また、食べ物や飲み物に付随する品物に困っている人には、それに応じた品物を施すことをいいます。

法攝受者，謂或宣說正法，施諸有情；或開顯正義，施諸有情。

> 法の摂受とは、正しい教えを説いて人々に施すこと、あるいは正しい意味を示して人々に施すことをいいます。

神通引攝者，謂具神通者，哀愍有情故，或為有情意樂清淨、或為有情加行清淨增上力故，示現種種神通變化。欲令有情見已、聞已，於佛聖教，或當獲得意樂清淨，或當修行無倒加行。彼諸有情，由此神變引攝心故，或有獲得意樂清淨，或有修行無倒加行。

> 神通による導きとは、神通力を備えた者が、生きとし生けるものを哀れみ、あるいはそれらの者たちの意楽（心の清らかさ）や加行（修行への努力）を清らかにする力を高めるために、様々な神通の変化を示すことです。生きとし生けるものにそれを見聞きさせることで、仏の教えに対して、意楽を清らかに得させ、あるいは誤りのない加行を修行させようとします。これらの生きとし生けるものは、この神通変化によって心を導かれた結果、ある者は意楽の清らかさを得、ある者は誤りのない加行を修行するのです。

宣說正法者，謂於獲得自勝義利若無堪能，為說正法，伴助令彼發生正行；若有堪能，為說正法，隨順令彼速證通慧。

> 正しい教えを説くとは、自分の真の利益を得る力がない人には、そのための助けとなる教えを説き、正しい行いを起こさせるように導くことです。そして、その力がある人には、教えを説いて導き、速やかに悟りを得られるように助けることです。

隱密說法者，謂於嬰兒智慧有情，隱覆廣大甚深義法，為說麁淺易可悟入、易為方便趣入處法。

> 隠密の説法とは、智慧が未熟な者（嬰児のような智慧の有情）に対して、広大で非常に深い意味の教えを隠し包み、粗く浅くて理解しやすく、また容易に実践へと入っていけるような教えを説くことである。

顯了說法者，謂於廣大智慧有情，已善悟入聖教理者，為其開示廣大甚深道理處法。

> 明らかに説法するとは、広大な智慧を持つ者、すでに聖なる教えの道理をよく悟った者に対して、広大で深遠な教えの理法を示すことである。

下品加行者，謂若遠離無間加行及殷重加行。

> 下位の修行者とは、「無間加行」と「殷重加行」を欠いている者のことを指します。

中品加行者，謂或遠離無間加行，或復遠離殷重加行，於二加行隨闕一種。

> 中程度の修行というのは、無間（絶え間のない）修行を欠くか、あるいは殷重（真剣な）修行を欠くかの、どちらか一方の修行が不足している状態を指します。

上品加行者，謂無間加行及殷重加行二俱相應。

> 上品の修行とは、絶え間なく続ける修行と、心を込めて真剣に行う修行の、この二つが共にそろっていることをいいます。

聽聞者，謂於佛語深生信解，精勤聽聞、受持、讀誦契經等法。

> 「聞く」とは、仏の教えに対して深く信仰と理解を生じ、熱心に教えを聞き、受け止めたり、読誦したりすることをいいます。

思惟者，謂居遠離，樂思惟法，推度其義，解了決定。

> 思惟とは、静かな場所に身を置き、喜んで法（教え）を考え、その意味を推し量り、理解して確かに決めることである。

修習者，謂於止、舉、捨相正審觀察為先，深心欣樂修止、舉、捨。

> 修行者とは、心を静める「止」、心を高める「挙」、そして心を偏りなく保つ「捨」という三つの状態を、正しくよく観察することを先に行います。そして、深い心から喜びと意欲をもって、この「止・挙・捨」を実践する人のことです。

攝受者，謂無染心，以親教師及軌範師道理方便，無有顛倒與作依止。又即於彼發起種種別供事行。謂看病行，給施如法衣服、飲食、諸坐臥具、病緣醫藥資生具行，除遣憂愁及惡作行，除遣煩惱、隨煩惱行。如是等類，當知皆名別供事行。

> 摂受とは、汚れのない心で、親教師や軌範師の教えに従い、正しく依り所となることである。また、その師に対して、様々な特別な供養と奉仕を行うことである。例えば、看病をすること、法にかなった衣服や飲食、寝具や座具、病気の際の医薬品や生活に必要なものを施すこと、憂いや後悔を取り除くこと、煩悩や随煩悩を取り除くことなどである。このような類の行いは、すべて「別供事行」と呼ばれるものであると知るべきである。

降伏者，謂深防護自身雜染。於毀犯者，若犯下品，慈心諫誨；若犯中品，慈心訶罰；若犯上品，慈心驅擯。當知此中，諫誨、訶罰，令彼及餘利益安樂。驅擯一種，若重攝受，令彼及餘利益安樂。若驅擯已，不重攝受，但令其餘利益安樂。何以故？餘若見彼毀犯因緣，既被驅擯，便自防護，不起毀犯故。

> 降伏とは、自らを雑染から深く守り護ることをいう。戒を破った者に対して、下品の犯しであれば慈しみの心で諭し、中品であれば慈しみの心で叱り戒め、上品であれば慈しみの心で追放する。ここで知るべきは、諭しと叱り戒めは、その者と他の者の双方に利益と安楽をもたらすということである。追放については、もし後に再び受け入れるならば、その者と他の者の双方に利益と安楽をもたらす。もし追放した後に再び受け入れないのであれば、ただ他の者だけに利益と安楽をもたらす。なぜなら、他の者たちは、その戒を破った者の因縁を見て、彼が追放されたならば、自らを守り護り、戒を破ることがなくなるからである。

自成熟者，謂自宣說隨順正法，令諸有情出不善處，安立善處。如自所說，亦自修行法隨法行，令諸有情同分隨轉。勿使他人作如是說：汝自不能出不善處，安立善處，云何於他教授、諫舉、為作憶念？他應於汝教授、諫舉、為作憶念。

> 自ら成熟するとは、自ら正しい教えに従って説き、生きとし生けるものを不善の状態から導き出し、善い状態に安らかに置くことです。自ら説く通りに、自らも修行し、法に従って実践し、他の生きとし生けるものも同じようにそれに従うように導くことです。 「自分自身が不善の状態から出て、善い状態に安らかに置かれていないのに、どうして他人に教え、戒め、心に留めさせるようなことができるのか。むしろ、他人から教えられ、戒められ、心に留められるべきではないか」 と他の人に言わせてはなりません。

請他成熟者，謂若有餘無量有情，於彼發起上品愛敬；或復有餘善知方便，於說正法已善修學；即應勸請慇懃營助，令其成熟無量有情。

> 他の人を成熟させるというのは、数え切れないほどの生きとし生けるものたちが、その人に対して最高レベルの敬愛の心を起こしている場合や、また別の善巧方便をよく知る人が、正しい法を説くことをすでによく学び修めている場合、その人に対して熱心に勧め、懇ろに助力を尽くして、無数の生きとし生けるものを成熟させるようにさせること、このことを指すのです。

俱成熟者，謂具二種。若自成熟，若勸請他令其成熟。

> 成熟した者とは、二つの条件を備えていることを指します。自らが成熟していることと、他者を勧めて成熟させることです。

由此所說二十七種成熟方便，當知令前六種成熟差別圓滿。所謂諸根成熟、善根成熟、智慧成熟、下品成熟、中品成熟、上品成熟。