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title: "瑜伽師地論 · 2目 求法"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhn6d042uib04eq6j2zjn"
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彼諸菩薩求正法時，當何所求？云何而求？何義故求？謂諸菩薩以要言之，當求一切菩薩藏法、聲聞藏法、一切外論、一切世間工業處論。

> 彼らの菩薩たちが正しい教えを求める時、何を求めるべきなのでしょうか？どのようにして求めるのでしょうか？何の目的で求めるのでしょうか？簡単に言えば、菩薩たちは、あらゆる菩薩の教えの宝庫、声聞の教えの宝庫、すべての世俗の学問、そしてすべての世間の技術や仕事に関する論を求めるべきです。

當知於彼十二分教，方廣一分，唯菩薩藏；所餘諸分，有聲聞藏。一切外論略有三種。一者、因論，二者、聲論，三者、醫方論。一切世間工業處論，非一眾多種種品類。謂金師、鐵師、末尼師等工業智處。

> 知っておくべきことは、十二の教えの分類の中で、「方広」の部分だけが菩薩の教えであり、それ以外の区分は声聞の教えである。また、すべての外道の論書は大まかに三つある。第一に因明（論理学）、第二に音声学、第三に医学である。世間におけるあらゆる工芸の論書は、一つだけでなく、多くのさまざまな種類がある。例えば、金細工師、鉄細工師、宝飾細工師などの工芸の知識の分野である。

如是一切明處所攝有五明處。一、內明處，二、因明處，三、聲明處，四、醫方明處，五、工業明處。

菩薩於此五種明處若正勤求，則名勤求一切明處。諸佛語言，名內明論，此幾相轉？如是乃至一切世間工巧業處，名工業明論，此幾相轉？謂內明論略二相轉。一者、顯示正因果相，二者、顯示已作不失、未作不得相。

> 菩薩がこの五つの明処について正しく勤め求めるならば、それはすべての明処を求めることと名づけられます。仏の教えを内明論といいますが、これはどのような形で展開されるのでしょうか。さらに、世間のあらゆる技術や仕事に関するものを工業明論といいますが、これもどのような形で展開されるのでしょうか。 内明論は、簡単に言うと二つの形で展開されます。一つは、正しい原因と結果の関係を示すこと。もう一つは、行ったことは失われず、行わなかったことは得られないという道理を示すことです。

因明論亦二相轉。一者、顯示摧伏他論勝利相，二者、顯示免脫他論勝利相。

> 因明論においても、二つの側面からその効用が示されています。第一に、他者の論を破るという勝利の相を示すこと、第二に、他者の論から逃れ免れるという勝利の相を示すことです。

聲明論亦二相轉。一者、顯示安立界相、能成立相；二者、顯示語工勝利相。

> 声明論にも二つの相（はたらき）があります。 第一に、世界の成り立ち（安立界相）を示し、それを確立する相です。 第二に、言葉の働きの優れた功徳（語工勝利相）を示す相です。

醫方明論四種相轉。一者、顯示病體善巧相，二者、顯示病因善巧相，三者、顯示斷已生病善巧相，四者、顯示已斷之病當不更生善巧相。

> 医学の知恵について、四つの相（様相）の転換が述べられています。第一に、病気の本質を巧みに示す相。第二に、病気の原因を巧みに示す相。第三に、すでに発症した病気を断つ巧みな相。第四に、治った病気が再び起こらないようにする巧みな相です。

一切世間工業明論，顯示各別工巧業處所作成辦種種異相。

> あらゆる世の中の産業や技術に関する明らかな教えは、それぞれ異なる職人の仕事の場で、様々に異なる形や成果を生み出すことを示しています。

云何內明論顯示正因果相？謂有十種因，當知建立無顛倒因，攝一切因。

> 内明論が示す正しい因果の様相とはどのようなものか。それは十種の因があると知るべきであり、これらは誤りのない因として確立され、すべての因を包括するものである。

或為雜染、或為清淨、或為世間彼彼稼穡等無記法轉。

> あるものは雑染となり、あるものは清浄となり、あるものは世間の様々な農耕などの無記の法として働くのです。

云何十因？一隨說因，二、觀待因，三、牽引因，四、攝受因，五、生起因，六、引發因，七、定別因，八、同事因，九、相違因，十、不相違因。

> 十の因とは何か。第一に、言葉に従う因。第二に、依りどころとなる因。第三に、引き寄せる因。第四に、受け入れる因。第五に、生じさせる因。第六に、引き起こす因。第七に、区別を定める因。第八に、共に働く因。第九に、妨げる因。第十に、妨げない因である。

謂一切法，名為先故想，想為先故說。是名彼諸法隨說因。

> あらゆるものごとは、名づけることが先にあって、それによって「思い」が生まれます。そして、その「思い」をもとにして言葉が語られます。このことから、すべての現象には「言葉に従った原因（随説因）」があると言えるのです。

觀待此故，此為因故，於彼彼事若求、若取，此名彼觀待因。如觀待手故，手為因故，有執持業。觀待足故，足為因故，有往來業。觀待節故，節為因故，有屈申業。觀待飢渴故，飢渴為因故，於諸飲食若求、若取。隨如是等無量道理，應當了知觀待因相。一切種子，望後自果，名牽引因。

> あるものが他に依存して成り立ち、そのあるものが原因となることで、別のものに対する求めや取得が生じる場合、これを「観待因」と呼びます。例えば、手に依存し、手が原因となることで、物をつかむという作用が生じます。足に依存し、足が原因となることで、行き来するという作用が生じます。関節に依存し、関節が原因となることで、曲げ伸ばしするという作用が生じます。また、飢えや渇きに依存し、それらが原因となることで、飲食を求め、摂取するという行為が生じます。このような無数の道理に従い、観待因の特徴を理解すべきです。 あらゆる種が、それ自体の後の果に対して関係することを、「牽引因」と呼びます。

除種子外，所餘諸緣，名攝受因。

> 種子（直接原因）を除いた、その他のすべての縁（間接的な条件）を、「摂受因」と呼びます。

即諸種子，望初自果，名生起因。

> したがって、諸々の種子が最初の結果（果）に向かうことを、生起因（しょうきいん）といいます。

即初種子所生起果，望後種子所牽引果，名引發因。

> つまり、最初の種から生じた結果が、後の種によって引き出される結果に対して、これを「引き起こす因」と呼びます。

種種異類，各別因緣，名定別因。

> さまざまな異なる種類が、それぞれ異なる原因と縁（条件）によって生じることを、定まった別々の因（原因）という。

若觀待因、若牽引因、若攝受因、若生起因、若引發因、若定別因，如是諸因總攝為一，名同事因。

> もし観待因（条件としての因）、牽引因（引き寄せる因）、摂受因（受け入れる因）、生起因（生じさせる因）、引發因（引き起こす因）、定別因（特定の差別をもたらす因）があるならば、これらのあらゆる因をまとめて一つに総合し、同士因（ともにはたらく因）と呼ぶ。

於所生法能障礙因，名相違因。

> 生じたものに対して妨げとなる原因を、「相違因」と言います。

此障礙因若闕、若離，名不相違因。

> この障害の原因が欠けている、あるいは離れている場合、それを「不相違の因」と呼びます。

當知相違略有六種。一、語言相違。謂有一類，或諸沙門、或婆羅門，所造諸論前後相違。二、道理相違。謂為成立諸所成立諸所知義，建立比量，不與證成道理相應。三、生起相違。謂所生法，能生緣闕，障生緣會。四、同處相違。謂明、闇、貪、瞋、苦、樂等法。五、怨敵相違。謂毒蛇、鼠狼、猫狸、鼷鼠，互為怨敵、惡知識等。六、障治相違。謂修不淨與諸貪欲，修慈與瞋，修悲與害，修七覺支、八聖道支與三界繫一切煩惱。於此義中，正意唯取生起相違。此一切因二因所攝。一、能生因，二、方便因。當知此中，牽引種子、生起種子名能生因；所餘諸因名方便因。

> 相違には、大きく分けて六種類があることを知るべきである。 第一に、言葉の相違である。例えば、ある修行者やバラモンたちが著した諸々の論書の前後が矛盾していることである。 第二に、道理の相違である。確立すべき様々な認識対象を成立させるために比量（推論）を立てても、それが証拠や論理に基づく道理と合致しないことである。 第三に、生起の相違である。生じるはずの法（現象）に対して、それを生じさせる原因（縁）が欠けていたり、反対に生じるのを妨げる縁が揃ってしまうことである。 第四に、同処の相違である。光明と暗闇、貪りと怒り、苦しみと楽しみなどのように、同じ場所に同時に存在し得ない性質のものである。 第五に、怨敵の相違である。毒蛇と鼬（いたち）、猫と鼠のように、互いに敵対し害をなす関係にあるものごとである。 第六に、対治の相違である。不浄観を修することと貪欲、慈しみの瞑想と怒り、悲しみの瞑想と害心、七覚支や八正道を修することと三界に属するあらゆる煩悩との間に見られる、対立関係のことである。 この文脈において、主に注目すべきは第三の「生起の相違」である。これら全ての因（原因）は、次の二種類にまとめられる。第一は「能生因」（直接生み出す原因）、第二は「方便因」（間接的な助縁となる原因）である。ここで言う「能生因」とは、潜在的な種子を引き出し、発現させる因のことである。それ以外の全ての因は「方便因」に含まれると知るべきである。

復有四緣。一、因緣，二、等無間緣，三、所緣緣，四、增上緣。當知此中，若能生因，是名因緣；若方便因，是增上緣。等無間緣及所緣緣，唯望一切心心法說。由彼一切心及心法前生開導所攝受故，所緣境界所攝受故，方生方轉。是故當知等無間緣及所緣緣，攝受因攝。

> さらに四つの縁（条件）があります。第一に因縁、第二に等無間縁、第三に所縁縁、第四に増上縁です。ここで知るべきは、もし生じさせる直接的な原因であるならば、それを因縁と呼びます。もし間接的に助ける原因であるならば、それを増上縁と呼びます。等無間縁と所縁縁については、あらゆる心と心の働き（心所）に対してのみ説かれています。なぜなら、あらゆる心と心の働きは、その前に生じたものによって道を開かれ導かれることで支えられ、また、対象となる境界によって支えられることで、はじめて生じ、はじめて活動するからです。したがって、等無間縁と所縁縁は、「摂受因」という原因の分類に含まれると知るべきです。

如是十因，云何能令一切世間種種事轉？云何能令雜染事轉？云何能令清淨事轉？謂於世間種種稼穡墮諸穀數世資生物，所有種種名想言說，謂大麥、小麥、稻穀、胡麻、大小豆等。即此望彼種種稼穡，為隨說因。如言大麥，持去、持來，若磨、若置，如是等類種種隨說。如說大麥，餘小麥等，當知亦爾。觀待飢渴羸劣身住，觀待段食所有愛味，於彼追求、執取、受用，即說彼法為觀待因。由彼各別自種子故，種種稼穡差別而生，即說彼種子為此牽引因。地、雨等緣，能生於芽，名攝受因。即彼種子望所生芽，名生起因。芽、莖、葉等展轉相續，望彼稼穡若成、若熟，為引發因。從大麥種生大麥芽、大麥苗稼，不生餘類。如是所餘，當知亦爾。即說彼為此定別因。即彼一切從觀待因至定別因，同為稼穡而得成熟，名同事因。非彼稼穡隨闕一因而得成熟，是故一切和合說為此同事因。霜雹災等諸障礙法，望彼滋稼為相違因。彼闕無障，是諸滋稼不相違因。如是十因，於餘世間種種事物，隨其所應，當知廣如攝穀論說。

> これらの10の因は、どのようにしてあらゆる世の中の様々な事柄を生じさせるのか。どのようにして煩悩に染まった事柄を生じさせるのか。どのようにして清らかな事柄を生じさせるのか。 世の中の様々な農作物――穀物に数えられる生活の資材――には、大麦、小麦、稲、胡麻、大小豆など、それぞれ名前や言葉がある。これらの農作物に対して、それらを指し示す言葉（「大麦」「小麦」など）が「随説因」である。「大麦」という言葉で、運び出す、運び込む、挽く、置くなど、様々に表現するのもこれにあたる。大麦の場合と同様に、小麦など他の農作物もそうである。 飢えや渇き、弱った身体の状態を前提とし、また食べ物への渇愛を前提として、それを求め、執着し、享受する。この関係において、その前提となるものを「観待因」という。 それぞれの農作物が、それぞれ固有の種子によって様々に異なって生じる。この場合、その種子を「牽引因」という。 土地や雨などの条件が芽を生じさせるのを助ける。これを「摂受因」という。 種子そのものが、それから生じる芽に対して、原因となる。これを「生起因」という。 芽、茎、葉などが次々と連なって、その農作物が成長し、成熟するに至る。これを「引發因」という。 大麦の種からは大麦の芽、大麦の苗が生じ、他の種類のものは生じない。他の農作物も同様である。このように、種とそれから生じるものとの間に変わらない関係があることを「定別因」という。 観待因から定別因までのすべての因も、同じように農作物を成熟させるために働く。これを「同事因」という。これらの因のどれか一つでも欠ければ農作物は成熟しない。したがって、すべてが和合して一つの結果をもたらすことを「同事因」という。 霜や雹などの災害は、その農作物の生育を妨げる。これを「相違因」という。逆に、それらの障害がなく、妨げるものがないことが「不相違因」である。 このような10の因が、世の中の他の様々な事物についても、それぞれに応じて当てはまることは、『摂穀論』に詳しく述べられている通りである。

又於一切雜染緣起所有種種名想言說。謂無明、行、識、名色，廣說乃至老死、愁悲、憂苦、擾惱。即此望彼諸雜染法，為隨說因。如言無明緣行，乃至生緣老死。如是等類種種隨說。觀待境界所有愛味，於諸有支相續流轉，即彼望此諸雜染法，為觀待因。於現法中，無明等法所有已生已長種子，今此種子，望於餘生生老死等，為牽引因。近不善士、聞不正法、非理作意，及先串習所引勢力生無明等，名攝受因。無明等法各別種子，名生起因。從無明支乃至有支，展轉引發後後相續，望於餘生生老死等，為引發因。餘無明支及自種子，乃至有支，能生那洛迦；餘無明支及自種子，乃至有支，能生傍生、餓鬼、人、天，當知亦爾。即此望彼諸雜染法，名定別因。即彼一切從觀待因至定別因，名同事因。此雜染法相違因者，謂出世間種姓具足，值佛出世演說正法，親近善士，聽聞正法，如理作意，法隨法行，及與一切菩提分法。即如所說種種善法若闕、若離，是雜染法不相違因。如是十因，應知能起一切有情一切雜染。

> あらゆる煩わしい現象（縁起）に関する、さまざまな名称や言葉による説明があります。すなわち、無明、行、識、名色、さらに広く言えば老死、愁い、悲しみ、苦しみ、悩み、乱れです。これらの煩わしい現象に対して、説明のための言葉があるのです。例えば「無明を縁として行が生じる」などと言い、さらには「生を縛りとして老死が生じる」と言います。このように、さまざまな説明がなされます。 また、対象への執着や味わいを見つめることで、存在の様々な状態（生存の支え）が連続して流れていきます。その煩わしい現象に対して、見つめて依存する原因（観待因）があります。 現世において、無明などの現象がすでに生まれ、成長した種子があります。この種子は、次の世での生、老い、死などに対して、引き寄せる原因（牽引因）となります。 悪しき人に近づき、正しくない教えを聞き、道理に反した心の働き、そして以前からの習慣によって生じた力が、無明などを生み出します。これを受け入れる原因（摂受因）と言います。 無明などの各現象にそれぞれの種子が、生じさせる原因（生起因）です。 無明の状態から生存の状態に至るまで、次々と連鎖的に後の現象を引き起こし、次の世の生、老い、死などに対して、引き起こす原因（引發因）となります。 なお、無明の状態とその種子から生存の状態に至るまでが、地獄（那洛迦）を生み出します。同じく、無明の状態とその種子から生存の状態に至るまでが、畜生、餓鬼、人間、天界を生み出します。こうしたそれぞれの原因が、煩わしい現象に対して、決まった区別の原因（定別因）となります。 そして、観待因から定別因までのすべてを、共同の原因（同事因）と言います。 この煩わしい現象に反する原因（相違因）とは、すなわち、悟りを求める性質が備わり、仏が世に現れて正しい教えを説き、善き人に近づき、正しい教えを聞き、道理にかなった心の働きをし、教えに従って修行し、そしてあらゆる悟りの実践法（菩提分法）を備えていることです。これらの様々な善い教えが欠けていたり、離れていたりすることが、煩わしい現象に対して反しない原因（不相違因）となります。 このように、以上の十の原因が、すべての生きとし生けるもののあらゆる煩わしい現象を引き起こすと知るべきです。

又於一切清淨品法及滅涅槃所有種種名想言說，即此望彼諸清淨法，為隨說因。如言：念住、正斷，乃至八聖道支；無明滅故行滅，廣說乃至生滅故老死滅。如是等類種種隨說。觀待諸行多過患故，樂求清淨、攝受清淨、成滿清淨，彼望於此為觀待因。安住種姓補特伽羅，種姓具足，能為上首，證有餘依及無餘依二涅槃界，彼望清淨，為牽引因。親近善士、聽聞正法、如理作意，及先所作諸根成熟，名攝受因。種姓所攝一切無漏菩提分法所有種子，望彼一切菩提分法，為生起因。即自種子所生一切菩提分法，漸次能證若有餘依、若無餘依二涅槃界，名引發因。聲聞種姓，以聲聞乘能般涅槃；獨覺種姓，以獨覺乘能般涅槃；大乘種姓，以無上乘能般涅槃；彼望清淨，為定別因。若清淨品觀待因乃至定別因，彼望清淨，為同事因。種姓不具足，不值佛出世，生諸無暇處，不親近善士，不聽聞正法，不如理作意，數習諸邪行，彼望清淨，為相違因。此相違因若闕、若離，是名清淨不相違因。若雜染品諸相違因，當知即是清淨法因；若清淨品諸相違因，當知即是雜染法因。

> また、あらゆる清らかな法や涅槃の境地に関する様々な名称や言葉は、それらの清らかな法に対して「随説因」となる。例えば、「念処」「正断」から「八聖道支」に至るまで、また「無明が滅するゆえに行が滅する」といった広範な説明、さらには「生が滅するゆえに老死が滅する」といった類いの様々な説明がそれにあたる。 様々な営みに多くの過患があると観察するからこそ、人は清净を求め、清净を受け入れ、清净を成就しようと望む。その望みは、清净に対して「観待因」となる。 ある性質（種姓）を具えた人々は、その性質に従って、有余依涅槃と無余依涅槃という二つの涅槃の境地を証得する先導者となることができる。その性質は、清净に対して「牽引因」となる。 善き人に親しく近づき、正しい教えを聴聞し、理にかなった思考を行い、さらに過去の修行によって諸々の感覚器官が成熟していること、これらを「摂受因」と呼ぶ。 性質に含まれる、あらゆる煩悩を離れた悟りの要素（無漏菩提分法）の種子は、それら全ての悟りの要素に対して「生起因」となる。 その種子から生じた全ての悟りの要素は、徐々に、有余依涅槃か無余依涅槃のいずれかの涅槃の境地を証得させる。これを「引發因」と呼ぶ。 声聞の性質を持つ者は声聞乗によって涅槃に至り、独覚の性質を持つ者は独覚乗によって涅槃に至り、大乗の性質を持つ者は無上乗によって涅槃に至る。これらの性質は、清净に対して「定別因」となる。 清净の側面における観待因から定別因までの因は、すべて清净に対して「同事因」となる。 性質を具えていないこと、仏が世に現れないこと、修行に適さない境遇に生まれること、善き人に親しまないこと、正しい教えを聴かないこと、理にかなった思考をしないこと、様々な誤った行いを繰り返すこと、これらは清净に対して「相違因」となる。 この相違因が欠けているか、または離れているとき、これを「清净の不相違因」と呼ぶ。 もし煩悩に染まった側面における様々な相違因があれば、それが清净な法の因となることを知るべきである。また、清净な側面における様々な相違因があれば、それが煩悩に染まった法の因となることを知るべきである。

如是現有雜染十因、清淨十因，過去、未來曾當染淨皆亦如是。一切唯有如是十因，除此無有若過若增。

> このように、現（いま）ここにある煩悩（けがれた心）の十の原因と、清らかな心の十の原因が存在しています。過去と未来において、すでにあった煩悩と清らかさ、そしてこれからあるであろう煩悩と清らかさも、すべて同じです。すべてはこの十の原因だけによるものであり、これ以上でもこれ以下でもありません。

於此相中，云何為果？謂略有五。一者、異熟果，二者、等流果，三者、離繫果，四者、士用果，五者、增上果。諸不善法，於諸惡趣受異熟果；善有漏法，於諸善趣受異熟果；是名異熟果。習不善故，樂住不善，不善法增。修習善故，樂住善法，善法增長。或似先業，後果隨轉，是名等流果。八支聖道滅諸煩惱，名離繫果。若諸異生，以世俗道滅諸煩惱，不究竟故，非離繫果。諸有一類，於現法中，依止隨一工巧業處，起士夫用。所謂農作、商賈、事王、書畫、算數、占卜等事。由此成辦諸稼穡等財利等果，是名士用果。若眼識等，是眼根增上果；乃至意識等，是意根增上果。眾生身分不散不壞，是命根增上果。二十二根，各各能起自增上果。當知一切名增上果。二十二根增上作用，如攝事分應知其相。

> この相における「果」とは何か。概略すると五つある。第一は異熟果、第二は等流果、第三は離繋果、第四は士用果、第五は増上果である。 様々な不善の法は、悪趣において異熟果を受ける。善なる有漏の法は、善趣において異熟果を受ける。これを異熟果と名付ける。 不善を習うゆえに、不善に安住することを好み、不善の法が増える。善を修習するゆえに、善法に安住することを好み、善法が増大する。あるいは、過去の業に似た結果が後に続いて生じる。これを等流果と名付ける。 八支の聖道が諸々の煩悩を滅することを、離繋果と名付ける。もし凡夫が世俗の道によって諸々の煩悩を滅しても、それは究竟ではないため、離繋果とはならない。 ある種の者は、現世において、何らかの工巧の業処に依り、士夫の働きを起こす。すなわち農耕、商売、王への奉仕、書画、算数、占いなどの業である。これによって様々な作物や財貨などの果を成し遂げる。これを士用果と名付ける。 例えば眼識などは眼根の増上果であり、乃至、意識などは意根の増上果である。衆生の身体が散じず壊れないことは、命根の増上果である。二十二根は、それぞれに自らの増上果を起こす。これら全てを増上果と名付ける。二十二根の増上の働きについては、摂事分においてその相を知るべきである。

菩薩於是內明所顯正因果相如實知已，精勤修習，令處非處智力種姓漸得清淨、漸得增長。

> 菩薩はこのように内なる智慧によって、因果の道理を明確に見極め、その通りに理解した上で、精進努力して修行を積み重ねる。それにより、「道理・非道理を知る力」という種姓（素質）が次第に清らかになり、次第に増大していく。

云何內明論顯示已作不失、未作不得相？謂諸有情自所作業，雖復作已經多百劫，與果功能終無失壞。亦無不作、或復異作，而有異熟、或異果熟。菩薩於是內明所顯已作不失、未作不得相如實知已，精勤修習，令其自業智力種姓漸得清淨、漸得增長。

> 内明論が示す、「すでに行ったことは失われず、まだ行ってないことは得られない」という相とは、どのようなものでしょうか。 それは、あらゆる生きとし生けるものの自ら行った業は、たとえすでに行ってから百劫もの長い時間が過ぎても、その結果をもたらす力は決して失われることはないということです。 また、行っていないこと、あるいは別の行いによって、別の果報や異なる結果が生じることも決してありません。 菩薩は、この内明論に示された「すでに行ったことは失われず、まだ行ってないことは得られない」という法則をあるがままに理解し、それに基づいて熱心に修行を積み、自らの業（行い）に対する理解の力と、仏としての種姓（素質）を徐々に清らかにし、徐々に成長させていくのです。

菩薩云何求聞正法？

> 菩薩はどのようにして正しい教えを求めて聞くべきでしょうか？

謂諸菩薩於善說法，應當安住猛利愛重，求聞正法。如是略說於善說法安住猛利愛重之相。謂諸菩薩為欲聽聞一善說法，假使路由猛焰熾然大熱鐵地，無餘方便可得聞是善說法者，即便發起猛利愛重，歡喜而入，何況欲聞多善言義。

> ここで、菩薩たちは、善く説かれた教え（善説法）に対して、\*\*強く深い敬愛の心（愛重）\*\* を持ち続け、正しい教え（正法）を聴聞しようと求めるべきであると説かれています。これが、善く説かれた教えに強く深い敬愛の心を持ち続ける姿についての簡潔な解説です。 それはつまり、こういうことです。菩薩たちは、たとえ\*\*一つの善い教え\*\*を聞こうとして、その道中が激しく燃え盛る熱鉄の大地であるとしても、その教えを聞く他の方法が全くないのであれば、強い敬愛の心を奮い起こし、喜んでその中へ足を踏み入れるのです。ましてや、多くの善い教えやその意味を聞こうとする場合はなおさらのことです。

又諸菩薩於自身分，及於一切資身眾具飲食等事所有愛重，於欲聽聞諸善說法所有愛重；以前愛重方後愛重，於百分中不及其一，於千分中亦不及一，於數分中亦不及一，於算分中亦不及一，乃至鄔波尼殺曇分亦不及一。

> また、すべての菩薩は、自身の身体や生活に必要なあらゆるもの、例えば食べ物や飲み物などに対する執着（あるいは重視する心）と、善き教えを聴聞することへの執着（重視する心）とを比べるならば、後者の重要性は、前者の百分の一にも、千分の一にも、数分の一にも、算分の一にも、さらにはウパニシャッド（極微の割合）の分にも及ばないのである。

菩薩如是於善說法深生敬重，常樂聽聞諸善說法，無有勞倦，亦無厭足。淨信淳厚，其性柔和，心直見直。愛敬德故、愛敬法故，往法師所無難詰心，有敬重心，無高慢心。專為求善，非顯己德。為欲安立自他善根，不為利養恭敬因緣。菩薩具足如是功德，往法師所，無雜染心、無散亂心聽聞正法。云何菩薩無雜染心聽聞正法？謂聽法時，其心遠離貢高雜染，其心遠離輕慢雜染，其心遠離怯弱雜染。由六種相，其心遠離貢高雜染；由四種相，其心遠離輕慢雜染；由一種相，其心遠離怯弱雜染。謂聽法時，應時而聽、慇重而聽、恭敬而聽、不為損害、不為隨順、不求過失。由此六相，其心遠離貢高雜染。又聽法時，恭敬正法、恭敬說法補特伽羅、不輕正法、不輕說法補特伽羅。由此四相，其心遠離輕慢雜染。又聽法時，不自輕蔑。由此一相，其心遠離怯弱雜染。菩薩如是無雜染心聽聞正法。云何菩薩無散亂心聽聞正法？謂由五相。一者、求悟解心聽聞正法，二者、專一趣心聽聞正法，三者、聆音屬耳聽聞正法，四者、掃滌其心聽聞正法，五者、攝一切心聽聞正法。

菩薩如是求聞正法。

> このように菩薩は、正しい教えを求め聞くのです。

菩薩何故求聞正法？謂諸菩薩求內明時，為正修行法隨法行，為廣開示利悟於他。

> なぜ菩薩は正しい教えを求めるのか。それは、諸々の菩薩が自己の内なる智慧を明らかにしようとする時、正しく修行し、教えに従って実践するためであり、また、広く教えを説き示して、他の人々を悟りへ導くためである。

若諸菩薩求因明時，為欲如實了知外道所造因論是惡言說；為欲降伏他諸異論；為欲於此真實聖教，未淨信者令其淨信，已淨信者倍令增廣。若諸菩薩求聲明時，為令信樂典語眾生，於菩薩身深生敬信。為欲悟入詁訓言音文句差別，於一義中種種品類殊音隨說。若諸菩薩求醫明時，為息眾生種種疾病，為欲饒益一切大眾。若諸菩薩求諸世間工業智處，為少功力多集珍財，為欲利益諸眾生故，為發眾生甚希奇想，為以巧智平等分布，饒益攝受無量眾生。菩薩求此一切五明，為令無上正等菩提大智資糧速得圓滿。非不於此一切明處次第修學，能得無障一切智智。

> 諸々の菩薩が因明を学ぶのは、外道が作る因論が悪い言葉であることを如実に理解し、他の異論を打ち破り、この真実の聖教をまだ信じていない者に信じさせ、すでに信じている者にはさらに広めるためである。 諸々の菩薩が声明を学ぶのは、典雅な言葉を喜ぶ衆生が菩薩の身に深く敬いの心を起こすようにし、語彙や音声、文句の違いを悟り入り、一つの意味に対して様々な種類の異なる言葉で説くためである。 諸々の菩薩が医明を学ぶのは、衆生の様々な病気を癒し、あらゆる大衆を利益するためである。 諸々の菩薩が世間の工芸や知恵の分野を学ぶのは、わずかな労力で多くの財宝を集め、衆生を利益し、衆生に非常に珍しい思いを起こさせ、巧みな知恵で平等に分配し、無量の衆生を利益して摂受するためである。 菩薩がこれらすべての五明を求めるのは、無上正等菩提という大いなる智慧の糧を速やかに円満にするためである。これらの明処を順序正しく学ばずして、障害のない一切智智を得ることはできない。

如是已說一切菩薩正所應求，如是而求，為此義求。

> このようにして、すべての菩薩が正しく求めるべきものについて述べてきました。その求め方とは、まさにこのように求め、この目的のために求めるのです。