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title: "瑜伽師地論 · 9目 清淨施"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩清淨施？當知此施有十種相。一、不留滯施，二、不執取施，三、不積聚施，四、不高舉施，五、無所依施，六、不退弱施，七、不下劣施，八、不向背施，九、不望報恩施，十、不希異熟施。云何不留滯施？謂諸菩薩見來求者正現在前，速疾惠施，不作留滯；非來求者疾望得財，如諸菩薩速希惠施。云何不執取施？謂諸菩薩不以妄見執取於施。或執此施空無有果，或執殺害而行惠施以為正法，或執唯施極淨圓滿是世出世究竟清淨。云何不積聚施？謂諸菩薩，不於長時漸漸積集聚多財物，然後頓施。何以故？非諸菩薩現有施物，見來求者正現在前堪能不施；不見不施是稱正理。云何積財而不速施？又諸菩薩，不見積財後方頓施是能生長多福之門。又正觀見若別、若總求者相似，漸施、頓施財物平等，何緣而執福有差別。又諸菩薩，見積聚施，其施有罪；見隨得施，其施無罪。何以故？若積聚已然後頓施，是則先時有來求者，其數或百而不施與，令生嫌恨，不忍、不信；後有一類或不希求，畜積珍財，強而頓施。是故菩薩不積聚施。云何不高舉施？謂諸菩薩，於來求者謙下心施，亦不與他競勝而施，亦不施已而生憍慢。謂我能施，我是施主，餘則不爾。云何無所依施？謂諸菩薩不依稱譽聲頌而施。體達世間稱譽聲頌，虛妄分別文字所起，唯是虛音，繫屬妄嚮，譬如世間䅌䴬葉聚。云何不退弱施？謂諸菩薩，施先意悅，施時心淨，施已無悔；聞諸菩薩廣大第一最勝施時，不自輕蔑、恐怖、退弱。云何不下劣施？謂諸菩薩，於諸施物勤數簡擇，最勝最妙飲食、車乘、衣服等物，持用布施。云何不向背施？謂諸菩薩其心平等，不隨朋黨，於怨親中悲心等施。云何不望報恩施？謂諸菩薩悲心、愍心而行惠施，終不於他希望反報，但觀求樂愛火所燒無有勢力性苦眾生，深心悲愍而行惠施。云何不希異熟施？謂諸菩薩修行惠施，終不希望當來所得財寶圓滿、自身圓滿施果異熟，觀一切行性是虛偽，觀大菩提最勝功德。由此十相，菩薩所行布施清淨、最極清淨。

> 菩薩の清らかな施しとは何か。知るべきである、この施しには十の相がある。一に、滞りのない施し、二に、執着しない施し、三に、ため込まない施し、四に、高ぶらない施し、五に、依るところのない施し、六に、退かない施し、七に、卑しくない施し、八に、えこひいきしない施し、九に、恩返しを望まない施し、十に、来世の報いを願わない施しである。 滞りのない施しとは何か。菩薩は、物乞いが目の前に現れたなら、すぐに施しを与え、ためらうことがない。物乞いが早く財を得たいと願うように、菩薩もまた速やかに施しを与えようとするからである。 執着しない施しとは何か。菩薩は、誤った見解によって施しに執着することがない。例えば、「この施しは空であり、何の結果も生まない」と執着したり、「殺生をしながら施しを行うことが正しい教えである」と執着したり、「施しだけが完全に清浄であり、これが世間的にも出世間的にも究極の清らかさである」と執着したりしないことである。 ため込まない施しとは何か。菩薩は、長い時間をかけて徐々に多くの財物をため込み、その後で一度に施すようなことはしない。なぜか。菩薩は、施す物があるのに、目の前に現れた物乞いに施さずにいられないからである。施さないことが正しい道理だとは思わない。なぜ財をため込んで、すぐに施さないのか。また菩薩は、財をため込んでから一度に施すことが、多くの福徳を生む方法だとは見なさない。さらに、もし物乞いたちが同じような状態であるならば、少しずつ施すにしても一度に施すにしても施す物は平等であり、なぜ福徳に違いがあると執着するのか。また菩薩は、ため込んだ施しには罪があると見る。その場で得たものを施すことには罪がないと見る。なぜか。もしため込んでから一度に施すならば、その前に来た百人もの物乞いに施さなかったことになり、彼らに恨みを抱かせ、忍耐や信念を失わせることになる。後になって、あるいは強く求めもしない者に、ため込んだ貴重な財を無理やり一度に施すことになる。だから菩薩は、ため込んだ施しをしないのである。 高ぶらない施しとは何か。菩薩は、物乞いに対して謙虚な心で施す。また、他人に勝とうとして施すこともなく、施した後に「私は施した。私は施主だ。他はそうではない」と傲慢になることもない。 依るところのない施しとは何か。菩薩は、世間の称賛や名声を得るために施すのではない。世間の称賛や名声とは、虚妄な分別と文字によって生じたものであり、ただの虚ろな音、妄念に結びついた響きにすぎないと理解している。譬えば、世間の藁の束のようなものである。 退かない施しとは何か。菩薩は、施す前から心が喜び、施す時には心が清らかで、施した後には後悔しない。また、他の菩薩の広大で最上の施しを聞いても、自分を卑下したり、恐れたり、後退したりしない。 卑しくない施しとは何か。菩薩は、施す物を丹念に選別し、最も上等で素晴らしい飲食物、乗り物、衣服などを用いて布施を行う。 えこひいきしない施しとは何か。菩薩の心は平等であり、仲間や派閥に偏ることがない。怨みのある者に対しても、親しい者に対しても、慈しみの心で平等に施す。 恩返しを望まない施しとは何か。菩薩は、悲愍の心によって施しを行う。決して施した相手からの見返りを期待しない。ただ、欲望の火に焼かれ、本来苦しみの性質を持つ無力な衆生を見て、深い悲愍の心から施しを行うのである。 来世の報いを願わない施しとは何か。菩薩は施しを修行しても、将来、財宝に恵まれたり、自らが完全になるという施しの報いを得ようとは決して願わない。すべての行いは虚偽であると観じ、大菩提という最高の功徳を観じているからである。 以上の十の相によって、菩薩が行う布施は清らかであり、極めて清らかである。