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title: "瑜伽師地論 · 2目 一切忍"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhqlv04dzib044eaai509"
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云何菩薩一切忍？

> 菩薩の一切の忍びとは、どのようなものか？

當知此忍略有二種。一、依在家品忍，二、依出家品忍。

> この忍耐には、おおまかに二つの種類があると知るべきである。第一に、在家の立場に基づく忍耐、第二に、出家の立場に基づく忍耐である。

當知依此二種品忍各有三種。一、耐他怨害忍，二、安受眾苦忍，三、法思勝解忍。

> なお、これら二種の品（種類）の忍には、それぞれ三つの種類があることを知るべきである。 一つ目は「他者の怨みや害に耐える忍」、 二つ目は「様々な苦しみを安らかに受け入れる忍」、 三つ目は「教えを思い巡らせ、深く理解する忍」である。

云何菩薩耐他怨害忍？

> どのようにして菩薩は、他者からの恨みや害に耐える忍び（忍耐）を得るのでしょうか？

謂諸菩薩猛利無間種種長時從他怨害所生眾苦現在前時，應如是學：

> 菩薩たちは、絶え間なく続く様々な長い時間の中で、他者からの怨みや害によって様々な苦しみが目前に現れた時、このように学ぶべきである。

如此是我自業過耳，由我先世自造種種不淨業故，今受如是種種苦果。我今於此無義利苦若不忍者，復為當來大苦因處。我若於此大苦因法隨順轉者，便為於己自作非愛，便為於己自生結縛，便為於己自興怨害，非是於他。

> これはすべて、私自身の行いの報いである。過去世において自ら様々な不浄な業を積んだために、今このような苦しみの結果を受けているのだ。今この無意味な苦しみに耐えられないならば、それがさらなる未来の苦しみの原因となる。もしこの苦しみの原因となる法に従ってしまえば、それは自らにとって望ましくないものを作り、自らに束縛を生み、自らに害を招くことであり、他の誰かのせいではない。

又自他身所有諸行，一切皆用性苦為體。彼無知故，於我身中性苦體上更增其苦；我既有知，何宜於彼性苦體上重加其苦。

> しかも、自分と他人の身体におけるすべての諸行（行為や現象）は、その本質として苦しみをその体としている。しかし無知のゆえに、人々は自分の身体という苦しみの本質の上に、さらに苦しみを積み重ねてしまう。私がすでにこの道理を悟った以上、どうしてその苦しみの本質の上に、さらに苦しみを加えるべきであろうか。

又諸聲聞多分唯修自義利行，尚不應起能生自他眾苦不忍，何況我今正為勤修他義利行而生不忍。

> また、声聞（しょうもん）の修行者たちでさえ、ほとんどが自己の利益のための行いのみを修めているにもかかわらず、自分や他者に多くの苦しみを生む原因となる不寛容の心を起こすべきではありません。ましてや、私は今まさに他者の利益のために熱心に修行している身でありながら、どうしてそのような不寛容の心を起こすことがありましょうか。

菩薩如是正思擇已，勤修五想，於怨親中、劣等勝品、有樂有苦、具德具失諸有情所，能忍一切怨害之苦。云何五想？一、宿生親善想，二、隨順唯法想，三、無常想，四、苦想，五、攝受想。

> 菩薩がこのように正しく考えをめぐらせた後、五つの想いを熱心に修めます。そうすることで、怨みや親しみ、劣った者や等しい者や優れた者、幸せな者や苦しい者、徳のある者や欠点のある者など、さまざまな生きとし生けるものに対して、すべての怨みや害による苦しみに耐えることができます。 その五つの想いとは何でしょうか？第一に、過去世の親しい縁という想い。第二に、ただ法に従うという想い。第三に、無常という想い。第四に、苦しみという想い。第五に、受け入れ導くという想いです。

云何菩薩於有怨害諸有情所，修習宿生親善之想？謂諸菩薩應如是學：非易可得少分有情，經歷長世昔餘生中，未曾為我若父、若母、兄弟、姊妹、親教、軌範、尊似尊等。如是如理正思惟故，於有怨害諸有情所捨怨憎想，住親善想。依親善想，於諸怨害悉能堪忍。

> 菩薩はどのようにして、自分に害を加えた生きとし生けるものに対して、前世での親しさを思い起こす心を育むのでしょうか。それはこうです。菩薩はこのように学ぶべきです。「長い時間をかけて、過去の人生の中で、一度も私の父、母、兄弟、姉妹、師匠、模範、尊敬すべき方々などになったことのない生き物は、ほんのわずかも見つけるのが難しい」。このように道理にかなった正しい考えを行うことで、自分に害を加えた生きとし生けるものに対して、恨みや憎しみの心を捨て、親しみや善意の心を持ち続けるのです。この親しみや善意の心に基づいて、あらゆる害を耐え忍ぶことができるのです。

云何菩薩於有怨害諸有情所，修習隨順唯法之想？謂諸菩薩應如是學：依託眾緣，唯行唯法，此中都無我及有情、命者、生者，是其能罵、能瞋、能打、能弄、能訶，或是所罵、所瞋、所打、所弄、所訶。如是如理正思惟故，於有怨害諸有情所捨有情想，住唯法想。依唯法想，於諸怨害悉能堪忍。

> どのように菩薩は、自分に害をなす有情に対して、ただ法（現象）のみであるという想いを修習するのでしょうか。菩薩はこう学ぶべきです。あらゆる縁（条件）に依存して生じるのは、ただの行為と現象にすぎません。そこには、罵る者、怒る者、打つ者、嘲る者、叱る者としての我や有情、命者、生者などは存在しません。また、罵られる者、怒られる者、打たれる者、嘲られる者、叱られる者としての存在もありません。このように道理に従って正しく思惟するからこそ、自分に害をなす有情に対して、有情という想いを捨て去り、ただ法（現象）のみであるという想いにとどまることができるのです。ただ法のみであるという想いによって、あらゆる害を耐え忍ぶことができるのです。

云何菩薩於有怨害諸有情所，修無常想？謂諸菩薩應如是學：諸有有情若生若長，一切無常，皆是死法。極報怨者，謂斷彼命。是諸有情命念念斷，智者何緣復欲更斷。如是生死性無常法諸有情上，其有智者尚不應起有染濁心，況當以手、塊杖加害，何況一切永斷其命。如是如理正思惟故，捨常堅想，安住無常不堅固想。依無常想，於諸怨害悉能堪忍。

> 菩薩はどのようにして、自分に害をなす生き物に対して「無常の想い」を修めるのでしょうか。それは、菩薩が次のように学ぶべきです：「生きとし生けるものは、生まれてから成長するまで、すべて無常であり、死すべき定めにある。最大の復讐とは、その命を断つことである。しかし、これらの生き物の命は、刹那ごとに断ち切られている。それならば、賢者がどうしてさらに断ち切ろうと望むことがあろうか。このように、生死の本質が無常である法（の上にある）生き物たちに対して、賢者は、たとえ汚れた心を起こすことすらすべきではない。ましてや、手や石や杖で害を加えることや、ましてや完全にその命を絶つことなど、なおさらである。」このように、道理にかなった正しい思考によって、常に堅固であるという想いを捨て、無常で堅固ではないという想いを安住させます。この無常の想いに基づいて、あらゆる怨みや害を耐え忍ぶことができるのです。

云何菩薩於有怨害諸有情所，修習苦想？謂諸菩薩應如是觀：若諸有情大興盛者，尚為三苦常所隨逐，所謂行苦、壞苦、苦苦，況諸有情住衰損者。如是觀已，應如是學：我今於此苦常隨逐諸有情所，應勤方便令離眾苦，不應於彼重加其苦。如是如理正思惟故，斷滅樂想，生起苦想。依此苦想，於諸怨害悉能堪忍。

> 菩薩は、どのようにして自分に害を加えた生き物に対して「苦しみ」という想いを抱くのでしょうか。それは次のように観察すべきです。たとえ繁栄している生き物でさえ、常に三つの苦しみ——行苦・壊苦・苦苦——に追われているのです。ましてや、衰退している生き物はなおさらです。このように観察したなら、こう学ぶべきです。「今、私はこの苦しみに常に追われている生き物たちのために、熱心に方法を尽くして彼らを苦しみから解放させよう。彼らにさらに苦しみを重ねてはならない。」このように道理にかなった正しい考え方によって、「楽しい」という想いを断ち切り、「苦しい」という想いを生じさせます。この苦しみの想いに基づいて、あらゆる害や恨みに対して耐え忍ぶことができるのです。

云何菩薩於有怨害諸有情所，修攝受想？謂諸菩薩應如是學：我為一切有情之類發菩提心，攝受一切有情之類皆為親眷，我應為彼作諸義利。我今不應本於有情欲作義利，而當於彼不忍怨害，作非義利。如是如理正思惟故，於有怨害諸有情所滅除他想，住攝受想。依攝受想，於諸怨害悉能堪忍。

> 仏弟子が、自分に害をなす者に対して、どのように「受け入れる想い」を育むべきか。 菩薩はこう学ぶべきです。「私はすべての生きとし生けるもののために悟りを求める心を起こした。すべての生きとし生けるものを、わが家族のように受け入れている。だからこそ、彼らのために善いことを行うべきだ。本来、彼らの利益を願っているのに、その人たちからの害に耐えられず、不利益をもたらすようなことをしてはならない」 このように道理にかなった正しい思考によって、害をなす者に対する「敵」という見方を取り除き、「受け入れる想い」を保つのです。この受け入れる想いに基づいて、あらゆる害を耐え忍ぶことができるようになります。

云何名忍？自無憤勃，不報他怨，亦不隨眠流注恒續，故名為忍。

> 忍とは何か。自ら怒りを抱かず、他人の恨みに報いることなく、またその怒りが心の奥深くに潜み、絶え間なく流れ続けることもない、これを忍という。

是名菩薩耐他怨害忍。

> これが、菩薩が他者からの怨みや危害に耐える「忍辱」という修行です。

云何菩薩安受眾苦忍？

> 菩薩がどのようにして多くの苦しみを耐え忍ぶのか、という問いですね。

謂諸菩薩應如是學：我從昔來依欲行轉，常求諸欲，故意思擇為諸苦因，追求種種苦性諸欲。於追求時，忍受無量猛利大苦。所謂種種殉利、務農、勤王等事。如是追求無義苦時，令我具受種種大苦，皆由無智思擇過失。我今為求能引安樂最勝善品，尚應思擇忍受百千俱胝大苦，況少小苦而不忍受。如是如理正思惟故，為求菩提，悉能忍受一切事苦。

> 菩薩はこのように学ぶべきです。 「私は昔から欲望に従って生き、常にさまざまな欲を追い求めてきた。その思いや選択こそが、すべての苦しみの原因であった。そして、苦しみの本質そのものである欲を追い求め、その過程で計り知れないほどの激しい苦しみを味わってきた。例えば、利益を追うこと、農業に励むこと、王に仕えることなどである。このように無意味な苦しみを追い求めている間に、私はさまざまな大苦を受けてきた。それはすべて、智慧のない考えや選択の誤りのせいだった。 今、私は真の安らぎをもたらす最も優れた善を求めるのだから、たとえ百千もの大苦を受けることになっても、それを耐え忍ぶ覚悟を持たねばならない。ましてや、小さな苦しみを耐えられないはずがない。」 このように真理に基づいて正しく考えることで、菩提を求めるために、あらゆる苦しみを耐え忍ぶことができるのである。

云何名為一切事苦？當知此苦略有八種。一、依止處苦，二、世法處苦，三、威儀處苦，四、攝法處苦，五、乞行處苦，六、勤劬處苦，七、利他處苦，八、所作處苦。

> 「すべてのことがらが苦しみである」とは、どういう意味でしょうか。この苦しみには、大きく分けて八つの種類があります。第一に、頼りどころにまつわる苦しみ、第二に、世間のしきたりにまつわる苦しみ、第三に、立ち居振る舞いにまつわる苦しみ、第四に、教えを守り続けることにまつわる苦しみ、第五に、托鉢などの修行にまつわる苦しみ、第六に、精進努力にまつわる苦しみ、第七に、他者を助けることにまつわる苦しみ、第八に、なすべき仕事にまつわる苦しみ、です。

依止處苦者，依謂四依。由依此故，於善說法毘奈耶中出家受具，成苾芻分。所謂衣服、飲食、臥具、病緣醫藥供身什物。菩薩於此若得麁弊、尠少、稽留、輕蔑不敬，不生憂悒，不由此緣精進懈廢。如是名為菩薩忍受依止處苦。

> 依止の苦しみとは、「依」とは四つの依りどころを指します。これに依ることで、善く説かれた法と律（ヴィナヤ）の中において出家し具足戒を受け、比丘の身分を成し遂げます。すなわち、衣、食、寝具、病時の薬や身の回りの品々です。菩薩はこれらのものが粗末であったり、乏しかったり、與えられるのが遅かったり、軽んじられたり敬われなかったりしても、憂い悩むことなく、そのために修行の精進を緩めたり捨てたりしません。これを菩薩の依止の苦しみに耐えることと名づけます。

世法處苦者，當知世法略有九種。一、衰，二、毀，三、譏，四、苦，五、壞法壞，六、盡法盡，七、老法老，八、病法病，九、死法死。如是世法若總若別會遇現前，能生眾苦，此即名為世法處苦。菩薩觸對如是眾苦，思擇忍受，不由此緣精進懈廢。如是名為菩薩忍受世法處苦。

> 世の中の苦しみには、次の九つの種類があると知るべきです。一に衰退、二に破滅、三に非難、四に苦痛、五に壊れるという運命による壊れ、六に尽きるという運命による尽き、七に老いるという運命による老い、八に病むという運命による病み、九に死ぬという運命による死です。これらの世の中の出来事が、総合的に、あるいは個別に目の前に現れると、様々な苦しみを生み出します。これを「世法における苦しみの場」と呼びます。 菩薩は、このような様々な苦しみに直面した時、よく考えて耐え忍び、このために努力の気持ちを緩めたりやめたりしません。これが、菩薩が世の中の苦しみの場において耐え忍ぶことなのです。

威儀處苦者，當知即是行住坐臥四種威儀。菩薩於中若行、若坐，晝夜恒時從諸障法淨修其心，終不非時脇著床座、草敷、葉敷。菩薩於此疲所生苦悉能忍受，不由此緣精進懈廢。如是名為菩薩忍受威儀處苦。

> 威儀による苦とは、行・住・坐・臥という四つの基本的な姿勢のことです。 菩薩は、歩くときも座るときも、昼夜を問わず常に、心の妨げとなる様々なものを清めていくよう心を修めます。 決して、時ではないのに、脇を床や座席、草や葉の敷物に付けて横になるようなことはしません。 このようにして、疲れから生じる苦しみをすべて耐え忍び、そのせいで修行の努力を怠ることはありません。 これが、菩薩が威儀による苦しみを堪え忍ぶことの説明です。

攝法處苦者，當知攝法略有七種。一、供事三寶；二、供事尊長；三、諮受正法；四、既諮受已，廣為他說；五、以大音聲吟詠、讚誦；六、獨處空閑，無倒思惟、稱量、觀察；七、修習瑜伽作意所攝若止、若觀。菩薩於此七種攝法，勇猛劬勞所生眾苦悉能忍受，不由此緣精進懈廢，如是名為菩薩忍受攝法處苦。

> 法を摂する場所における苦について、知るべきである。法を摂することには、おおよそ七つの種類がある。第一に、仏・法・僧の三宝に供養し仕えること。第二に、師や目上の方々に供養し仕えること。第三に、正しい教えを問うて受け入れること。第四に、問うて受け入れた後、広く他の人々のために説くこと。第五に、大きな声で唱え、賛嘆し、誦すること。第六に、一人静かな所に留まり、誤りのないように考え、はかり、観察すること。第七に、ヨーガの実践に伴う心の集中あるいは観察（止観）を修習すること。菩薩はこれら七つの法を摂する行いにおいて、勇んで励んだ結果生じる様々な苦しみを全て耐え忍び、この原因によって精進が怠り衰えることがない。これを、菩薩が法を摂する場所における苦を耐え忍ぶ、と名付ける。

乞行處苦者，當知此苦略有七種。一者、自誓毀形，剃鬚髮等，棄捨世俗諸相好故。二者、自誓毀色，受持改變壞色衣故。三者、進止云為皆不縱任，遊涉世間，一切行住自兢攝故。四者、依他活命。捨商農等世間事業，從他所得而存濟故。五者、盡壽從他求衣服等，於所獲得非法珍財、久所貯積不受用故。六者、盡壽遮止人間諸欲，離非梵行婬欲法故。七者、盡壽遮止人間嬉戲，捨離觀聽、歌舞、笑戲、倡伎等故，及離與己親友同齡笑戲、歡娛、携從等故。如是等類，因乞求行所有艱辛所生眾苦，菩薩一切皆能忍受，不由此緣精進懈廢，如是名為菩薩忍受乞行處苦。

> 乞行による苦とは、知るべきである。この苦には、おおむね七種類がある。 第一に、自ら誓いを立てて形を毀ち、鬚や髪を剃るなどして、世俗の様々な相好を捨て去ること。 第二に、自ら誓いを立てて色を毀ち、壊色の衣を受持し改めて着ること。 第三に、進退や振る舞いをいずれも勝手に任せず、世間を巡り歩く際の一切の行住において、自らを慎み抑制すること。 第四に、他に依って命を繋ぐこと。農業や商業などの世間の事業を捨て、他者から得たものによって生活を維持すること。 第五に、生涯を通じて他者に衣服などを求め、得たものであっても、非法の珍宝や長く蓄積したものは受用しないこと。 第六に、生涯を通じて人間の様々な欲を防ぎ遮り、不浄行や婬欲の法から離れること。 第七に、生涯を通じて人間の遊び戯れを防ぎ遮り、歌舞や笑戯、倡伎などを観たり聴いたりすることを捨てること。また、自分と親しい友人や同年輩との笑い戯れや娯楽、連れ立つことなどからも離れること。 このように、乞い求めて行くことによる全ての艱難から生じる多くの苦しみを、菩薩はすべて耐え忍ぶことができ、この因縁によって精進が懈怠することはない。これをもって、菩薩が乞行による苦に耐え忍ぶことと名付ける。

勤劬處苦者，謂諸菩薩勤修善品劬勞因緣，發生種種身心疲惱悉能忍受，不由此緣精進懈廢，如是名為菩薩忍受勤劬處苦。

> 菩薩が善を修めるために努力し苦労するとき、その苦労によって心身にさまざまな疲れや悩みが生じても、それらをすべて耐え忍び、そのために精進を緩めたりやめたりしないこと。これを「菩薩の勤労の苦しみを耐え忍ぶ」といいます。

利他處苦者，謂諸菩薩修十一種利有情業，如前應知。由彼所生種種憂苦，菩薩一切皆能忍受，不由此緣精進懈廢，如是名為菩薩忍受利他處苦。

> 利他において苦しみを受けるとは、菩薩が前述の十一種類の利益有情の行を修めることである。それによって生じる様々な憂いや苦しみを、菩薩はすべて耐え忍び、そのために精進を緩めたり怠ったりすることはない。これを、菩薩が利他のために苦しみを受けると名付ける。

所作處苦者，謂諸菩薩或是出家，便有營為衣鉢等業；或是在家，便有無倒商估、營農、仕王等業。由此發生種種勤苦，菩薩一切皆能忍受，不由此緣精進懈廢，如是名為菩薩忍受所作處苦。

> 所作の苦（しょさのく）とは、菩薩が、もし出家していれば、衣や鉢などの仕事があり、もし在家であれば、正しい商売や農作業、役所勤めなどの仕事があることをいいます。これらの仕事によってさまざまな苦労が生じますが、菩薩はすべてを耐え忍び、そのために精進を怠ることはありません。これが菩薩の「所作の苦」に耐えるということです。

又諸菩薩雖觸眾苦，而於無上正等菩提，未正勤修能正勤修，已正勤修能無退轉，常勤修習，無變異意、無雜染心。

> また、諸々の菩薩は、さまざまな苦しみに遭いながらも、無上の正しい悟り（阿耨多羅三藐三菩提）に向かって、まだ精進していない者は精進できるようになり、すでに精進している者は退くことなく、常に修行を続け、心に変わることのない意志と、煩わしさのない清らかな心を保ちます。

是名菩薩安受眾苦忍。

> これが、菩薩が衆生の苦しみを穏やかに受け入れる「忍」という実践なのです。

云何菩薩法思勝解忍？謂諸菩薩於一切法能正思擇。由善觀察勝覺慧故，能於八種生勝解處善安勝解。

> 菩薩の「法思勝解忍」とは何か。それは、菩薩があらゆるものごとを正しく考え、選び取る力を持つことです。優れた観察力と深い智慧によって、八つの重要な場面においてしっかりとした理解と確信を得ることができるのです。

云何八種生勝解處？一、三寶功德處，二、真實義處，三、諸佛菩薩大神力處，四、因處，五、果處，六、應得義處，七、自於彼義得方便處，八、一切所知、所應行處。

> 八つのすぐれた理解を得る場とは何か。第一に、仏・法・僧の三宝の功徳、第二に、真理の意味、第三に、諸仏・菩薩の大きな神通力、第四に、原因、第五に、結果、第六に、得るべき目的、第七に、その目的に達するための自己の実践の方法、第八に、知るべきことと実践すべきことのすべてである。

又此勝解由二因緣，於彼諸處能善安立。一、長時串習故；二、證善淨智故。是名菩薩法思勝解忍。

> また、この勝解は二つの因縁によって、それらの諸処においてよく安立することができる。第一に、長期間にわたって繰り返し慣れ親しんだからである。第二に、善く清らかな智慧を証得したからである。これを菩薩の法思勝解忍という。

如是菩薩依此二品一切忍故，當知廣開難行忍等諸相差別。

> このように、菩薩はこの二つの品に説かれたすべての「忍（にん）」に依（よ）ることによって、難行忍（なんぎょうにん）などのさまざまな相（そう）の違いが、広く開かれていると知るべきである。