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title: "瑜伽師地論 · 2目 三種因緣"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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又如前說多種施、戒，廣說乃至最後同事，如是眾多助菩提分無量善法，由三因緣應知現行，由二因緣應知最勝，由三因緣應知清淨。

> また、先に述べた様々な布施や戒律、さらには最後の同事に至るまで、これら多くの菩提分を助ける無量の善法が、三つの因縁によって現れること、二つの因縁によって最も優れたものとなること、三つの因縁によって清らかとなることを知るべきである。

謂由身語意三因緣故，應知現行。彼諸善法由廣大故、無雜染故，應知最勝。亦名無上、亦名不共。當知此中，由有情無別故、事無別故、時無別故，名為廣大。有情無別者，謂諸菩薩，普於一切有情處所，普為一切法界有情，修行如是施等善根，非專為己。事無別者，謂諸菩薩，普於一切及一切種施等善根精勤受學。時無別者，謂諸菩薩，恒常無間不離加行、不捨善軛，若晝若夜、現法後法，即由此因，施等善根常行無替。當知此中，由四種相成無雜染。謂諸菩薩懷歡喜心修諸善法；由是因緣，無苦、無憂、無諸變悔。又諸菩薩不損惱他、不著見趣、不雜惡行修行施等無量善根。又諸菩薩殷重遍體，於其施等無量善法唯見功德、唯見真實、唯見寂靜，極善決定，不從他緣、非餘引奪而正受學。

> 身・語・意の三つの因縁によって、善法が現れ行われると知るべきである。それらの善法は、広大であるがゆえに、また雑染がないがゆえに、最勝であると知られ、無上とも呼ばれ、不共とも呼ばれる。 ここにおいて、有情に区別がないこと、事に区別がないこと、時に区別がないことにより、「広大」と名づけられるのである。有情に区別がないとは、諸々の菩薩が、すべての有情に対して普遍的に、法界のすべての有情のために、このような布施などの善根を修行するのであって、けっして自分のためだけに行うのではないことをいう。事に区別がないとは、諸々の菩薩が、あらゆること、あらゆる種類の布施などの善根について、精進して学び修めることをいう。時に区別がないとは、諸々の菩薩が、常に間断なく、実践を離れず、善の軛を捨てず、昼も夜も、現世も来世も、この因縁によって布施などの善根を常に行い、途絶えることがないことをいう。 また、ここにおいて、四つの相によって雑染がないと知られるべきである。すなわち、諸々の菩薩は歓喜の心をもって諸々の善法を修める。この因縁によって、苦しみもなく、憂いもなく、さまざまな悔いもない。さらに、諸々の菩薩は他者を損なわず、見解の過ちに執着せず、悪行を交えずに布施などの無量の善根を修行する。さらに、諸々の菩薩は誠実に全身で、その布施などの無量の善法に対して、ただ功徳を見、ただ真実を見、ただ寂静を見て、極めてよく決定し、他の縁に従わず、他に奪い去られることなく、正しく学び修めるのである。

又諸菩薩不因所修施等善法悕異熟果，或轉輪王、或天帝釋、或魔、或梵；亦不於他悕求返報。無所依止，不依一切利養恭敬世俗名譽，乃至不依養活身命。

> また、菩薩たちは布施などの善行を修めたからといって、その結果として輪転王や帝釈天、魔王、梵天といった特別な果報を望むことはありません。また、他者から見返りを求めることもありません。一切のものに執着せず、利益や供養、世俗的な名声や名誉、さらには自身の生命を維持することにさえも執着しないのです。

由如是相淨歡喜俱、無不平等、殷重、無依，修行施等，廣說乃至同事為後無量善法，名無雜染。由熾然故、無動轉故、善清淨故，應知清淨。

> そのような姿によって、喜びを伴い、不平等なく、真摯で、執着せずに施しなどの行いを修行し、さらに同じく行動することまでを含む無量の善い行いが、雑染のない状態であると知られる。熾然であること、動転しないこと、善く清らかであることによって、清らかであると知られるべきである。

若諸菩薩已入清淨意樂地者，一切善根熾然無動。

> もし諸々の菩薩がすでに清らかな意楽の境地に入っているならば、あらゆる善い根が盛んに燃え上がり、動じることがありません。

言熾然者，謂此菩薩意樂淨故，一切善法不由思擇，熾盛現前。

> 「熾然」というのは、この菩薩の意志や願いが清らかであるがゆえに、あらゆる善い教えや行いが、わざわざ考え選ぶまでもなく、勢いよくはっきりと現れ出ることをいいます。

言無動者，謂此菩薩意樂淨故，隨所獲得、隨所積集所有善法皆無退轉，於當來世能無退減。如是菩薩，隨所經歷彼彼日夜、隨所過度彼彼自身，所有善法如明分月，唯增無減。

> 動（うご）かないというのは、この菩薩の意楽（願いや心構え）が清らかであるがゆえに、得たところの、また積み集めたところの、すべての善い行いが退くことなく、未来世においても退き減ることがないということです。このように、菩薩は過ごす日夜ごとに、また自身を経るごとに、その善い行いが満ちていく月のように、ただ増えるのみで減ることがありません。

若諸菩薩住到究竟地、或繫屬一生最後有者，所有善法名善清淨。此上更無菩薩地攝勝淨法故。

> もし菩薩が究竟の地に達しているか、あるいは一生の最後に属する者であれば、その全ての善法は「善清浄」と呼ばれます。これより上の菩薩地に含まれる、より勝れた清浄な法は存在しないからです。

如是施等同事為後無量善法，三因緣故應知現行，二因緣故應知最勝，三因緣故應知清淨。

> このような布施などの「同事」が先導となり、無量の善い教えが現れる。三つの理由によって、それが実際に行われていると知るべきである。二つの理由によって、それが最も優れていると知るべきである。さらに三つの理由によって、それが清らかであると知るべきである。