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title: "瑜伽師地論 · 2目 親近善友(七問)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，菩薩成就幾相，能為善友？由幾種相，善友不虛？成就幾相，令善友性作信依處？

> さらに、菩薩がいくつかの特徴を備えていると、善き友となることができるのでしょうか。どのような特徴によって、善き友はその価値を損なわないのでしょうか。どのような特徴を備えることで、善き友としての性質が信頼の拠り所となるのでしょうか。

復有幾種善友菩薩，於所化生為善友事？菩薩幾種親近善友？由幾種想，於善友所聽聞正法？由幾種處，於善友所聽聞法時，於說法師不作異意？

> また、善き友である菩薩には幾つの種類があり、教化する衆生に対してどのように善き友の働きをするのでしょうか。菩薩が善き友に親しむには幾つの方法がありますか。どのような想いをもって善き友のもとで正しい教えを聴聞すべきですか。また、どのような点に注意して善き友のもとで法を聴くとき、説法する師に対して異なる心を起こさないようにすべきでしょうか。

當知菩薩成就八支，能為善友眾相圓滿。一者、住戒。於諸菩薩律儀戒中妙善安住，無缺無穿。二者、多聞。覺慧成就。三者、具證。得修所成隨一勝善，逮奢摩他、毘鉢舍那。四者、哀愍。內具慈悲，能捨自己現法樂住，精勤無怠饒益於他。五者、無畏。為他宣說正法教時非由恐怖忘失念辯。六者、堪忍。於他輕笑、調弄、鄙言、違拒等事，非愛言路、種種惡行皆悉能忍。七者、無倦。其力充強，能多思擇，處在四眾說正法時，言無謇澁，心不疲厭。八者、善詞。語具圓滿，不壞法性，言詞辯了。

> 菩薩が八つの条件を備えるとき、善き友の相がすべて円満にそろうと知るべきである。 第一に、戒を保つこと。菩薩の律儀戒において見事に安住し、欠けるところも破るところもない。 第二に、多く聞くこと。智慧が確かに成就している。 第三に、証を得ること。修行によって成就したすぐれた善を一つでも得て、止と観に達している。 第四に、哀れみを持つこと。内に慈悲を具え、自らの現在の安楽を捨てて、怠ることなく精進して他者を利益する。 第五に、恐れのないこと。他者に正しい教えを説くとき、恐怖のために念や弁説を忘れることがない。 第六に、忍ぶこと。他者からの嘲笑、からかい、無礼な言葉、拒絶など、好まれない言葉や様々な悪行をすべて耐え忍ぶ。 第七に、倦まないこと。力が強く、よく考え巡らすことができ、大衆の中で正しい教えを説くとき、言葉がつかえず、心が疲れ果てることもない。 第八に、言葉が巧みであること。語彙が豊かで、法の本質を損なわず、言葉が明確でわかりやすい。

若諸菩薩具五種相，眾德相應，能為善友所作不虛。一者、於他先欲求作利益安樂；二者、於彼利益安樂如實了知，無顛倒覺；三者、於彼善權方便順儀說法，隨眾堪受調伏事中，有能有力；四者、饒益心無厭倦；五者、具足平等大悲，於諸有情劣中勝品心無偏黨。

> もし菩薩に五つの特徴が備わり、多くの徳が調和しているならば、善き友としての役割を果たすことができ、その行いは無駄になりません。 一つ目は、まず他者に対して利益と安楽をもたらそうと願うこと。 二つ目は、その利益と安楽をありのままに正しく理解し、誤った見解がないこと。 三つ目は、その相手に適した巧みな方法で、順序正しく教えを説き、人々の受け入れられる力や調伏に必要な事柄において能力を有すること。 四つ目は、利他の心に飽きることがないこと。 五つ目は、平等で大きな慈悲をそなえ、すべての生きとし生けるものに対して、下・中・上のいずれの立場にあっても心に偏りがないこと。

若諸菩薩成就五相，令善友性作信依處，令他遠聞極生淨信，何況親覩。一者、勝妙。威儀圓滿、威儀寂靜、威儀具足，一切支分皆無躁動。二者、敦肅。三業現行無掉無擾。三者、無矯。不為誑他，故思詐現嚴整威儀。四者、無嫉。終不於他說法所得利養恭敬生不堪忍，而常自勵請他說法；復恒勸餘於彼廣施利養恭敬，無諂偽心。又常於他其心純淨，見彼說法及得財敬，深生隨喜。如自所獲利養恭敬，心生歡喜，見他所得利養恭敬，其心歡喜復過於是。五者、儉約。尠儲器物，隨得隨捨。

> もし菩薩が五つの特徴を備えるならば、善き知識としての性質が人々の信頼のよりどころとなり、遠くに聞く者さえも清らかな信を起こさせる。まして直接見る者はなおさらである。 第一は「勝妙」である。威儀が円満で、威儀が静かであり、威儀が十分に備わっていて、すべての肢体に躁ぐところがない。 第二は「敦粛」である。身・口・意の三つの業（行い）に、掉挙や動揺がない。 第三は「無矯」である。他人を欺くために、わざと厳かな威儀を装うことをしない。 第四は「無嫉」である。他人が説法して得る利養や恭敬に対して、決して耐えられないという心を起こさない。常に自ら励んで他人に説法を請い、また常に他の人々に、多くの布施や利養、恭敬を捧げるよう勧める。諂いや偽りの心はなく、常に他に対して心が清らかである。他人が説法し、財物や敬意を得るのを見て、深く随喜する。自分が利養や恭敬を得たように心から喜び、他人が利養や恭敬を得るのを見ても、その喜びはそれ以上である。 第五は「倹約」である。道具や器物を多く蓄えず、得たらすぐに施し与える。

善友菩薩由五種相，於所化生為善友事。一、能諫舉，二、能令憶，三、能教授，四、能教誡，五、能說法。如是諸句廣辯應知如聲聞地。教授教誡，廣說如前力種性品。

> 善友となる菩薩には、教化する衆生に対して善友としての働きをする五つの特徴があります。 一つ目は、過ちを諫めて正すこと。 二つ目は、忘れたことを思い出させること。 三つ目は、教えを授けること。 四つ目は、戒めを授けること。 五つ目は、法を説くことです。 これらの詳細については、『声聞地』で広く説明されている通りです。また、教授と教誡については、先に述べた『力種性品』で詳しく説かれています。

當知菩薩由四種相，方得圓滿親近善友。一、於善友有病無病隨時供侍，恒常發起愛敬淨信。二、於善友隨時敬問、禮拜、奉迎、合掌、慇懃，修和敬業而為供養。三、於善友如法衣服、飲食、臥具、病緣醫藥資身什物隨時供養。四、於善友若正依止，於如法義若合若離，隨自在轉，無有傾動，如實顯發，作奉教心，隨時往詣恭敬、承事、請問、聽受。

> 菩薩が善き友に親しむ際、四つの様相によって完全に円満すると知るべきです。第一に、善き友が病気であろうと健康であろうと、常に進んで世話をし、敬愛と清らかな信頼を持ち続けること。第二に、善き友に常に進んで敬いの言葉をかけ、礼拝し、迎え、合掌し、真心込めて和やかに仕え、供養すること。第三に、善き友に、しかるべき衣服、飲食、寝具、薬や医療品、生活に必要な品々を、時宜にかなって供養すること。第四に、善き友を正しく依止するならば、法にかなう教えについて、それが合致しようと離れようと、自由に任せて揺るぎなく、あるがままに顕し示し、教えに従う心を持って、常に進んで訪れ敬い、仕え、問い、聴き受けること。

若諸菩薩欲聽法時，作五種想，應從善友聽聞正法。一、作寶想。難得義故。二、作眼想。能得廣大俱生妙慧因性義故。三、作明想。已得廣大俱生慧眼，於一切種如實所知等照義故。四、作大果勝功德想。能得涅槃及三菩提無上妙迹因性義故。五、作無罪大適悅想。於現法中未得涅槃及三菩提，於法如實簡擇止觀無罪大樂因性義故。

> もし菩薩が法を聞こうとする時には、五つの観想をして、善き友から正しい法を聴くべきである。 一に、宝のようなものと思う。得難いからである。 二に、目のようなものと思う。広大な生まれながらの妙慧を得る因となるからである。 三に、明かりのようなものと思う。すでに得た広大な生まれながらの慧眼によって、あらゆるものを如実に知り、照らし出すからである。 四に、大いなる果報と勝れた功徳と思う。涅槃および三種の菩提という無上の妙跡を得る因となるからである。 五に、過失なく大いなる安楽と思う。現世において未だ涅槃や三種の菩提を得ずとも、法を如実に簡択し、止と観を修することによって、過失なく大いなる楽を得る因となるからである。

若諸菩薩欲從善友聽聞法時，於說法師由五種處不作異意，以純淨心屬耳聽法。一、於壞戒不作異意。謂不作心：此是破戒，不住律儀，我今不應從彼聽法。二、於壞族不作異意。謂不作心：此是卑姓，我今不應從彼聽法。三、於壞色不作異意。謂不作心：此是醜陋，我今不應從彼聽法。四、於壞文不作異意。謂不作心：此於言詞不善藻飾，我今不應從彼聽法。但依於義，不應依文。五、於壞美不作異意。謂不作心：此語麁惡，多懷忿恚，不以美言宣說諸法，我今不應從彼聽法。如是菩薩欲聽法時，於是五處不應作意，但應恭敬攝受正法，於說法師未嘗見過。若有菩薩其慧微劣，於說法師心生嫌鄙，不欲從其聽聞正法，當知此行不求自利，退失勝慧。

> 菩薩が善知識から法を聞こうとする時、説法する師に対して五つの点で差別的な心を持たず、清らかな心で耳を傾けて法を聴くべきである。 第一に、戒を破っていることに対して差別的な心を持たないこと。「この人は戒を破っており、律儀を守っていない。私はこの人から法を聞くべきではない」と思わないこと。 第二に、生まれの低さに対して差別的な心を持たないこと。「この人は卑しい家柄だ。私はこの人から法を聞くべきではない」と思わないこと。 第三に、容姿の醜さに対して差別的な心を持たないこと。「この人は醜い。私はこの人から法を聞くべきではない」と思わないこと。 第四に、言葉の巧みさに対して差別的な心を持たないこと。「この人は言葉を美しく飾るのが下手だ。私はこの人から法を聞くべきではない」と思わないこと。むしろ、言葉の形ではなく、その意味に従うべきである。 第五に、言葉の優しさに対して差別的な心を持たないこと。「この人の言葉は荒々しく、怒りが多く、美しい言葉で法を説かない。私はこの人から法を聞くべきではない」と思わないこと。 このように菩薩は法を聞こうとする時、これら五つの点について差別的な心を持つべきではない。ただ敬いの心を持って正しい法を受け止め、説法する師に過失を見つけてはならない。 もし菩薩の智慧が劣っていて、説法する師に対して嫌悪や軽蔑の心を起こし、その人から正しい法を聞こうとしないならば、このような行いは自らの利益を求めず、優れた智慧を失うことになると知るべきである。