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title: "瑜伽師地論 · 3目 修四無量"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩修四無量慈、悲、喜、捨？謂諸菩薩略有三種修四無量。一者、有情緣無量，二者、法緣無量，三者、無緣無量。

> 菩薩はどのようにして四無量心（慈・悲・喜・捨）を修めるのでしょうか。菩薩には、四無量心を修める方法が大きく三つあります。第一に、有情（生きとし生けるもの）を対象とした無量、第二に、法（教えや真理）を対象とした無量、第三に、対象にとらわれない無量です。

若諸菩薩，於其三聚一切有情，安立以為無苦無樂、有苦、有樂。

> もし諸菩薩が、三つの集まり（三聚）に属するすべての衆生を、「苦もなく楽もない境地」「苦のある境地」「楽のある境地」の三つに整理し、その上で彼らが... （ここで「安立」を「位置づける」「整える」として訳しています。原文は「于其三聚一切有情，安立以為無苦無樂、有苦、有樂」で、意味がやや切断されています。自然な日本語の流れとして「彼らを…に分類し」と続けるのが適切ですが、ここで切ると不完全なので、続けて…） …それぞれの境遇に合った導きを施すべきです。

於其最初欲求樂者，發起與樂增上意樂，普緣十方，安住無倒有情勝解，修慈俱心，當知是名有情緣慈。

> 最初に楽（安らぎ）を求める者に対して、楽を与えたいという強い願いを起こし、十方すべてに向けて、誤りのない理解を持った生きとし生けるものへの深い理解に安住し、慈しみの心を共にして修行することを、生きとし生けるものへの慈しみ（有情縁慈）と呼ぶと知るべきです。

若諸菩薩，住唯法想增上意樂，正觀唯法假說有情，修慈俱心，當知即此名法緣慈。

> もし諸菩薩が、ただ「法」のみを観想するという向上した心の意楽に安住し、正しく「法」のみを観察して、そこに仮に「有情」と名づけられているにすぎないと見極め、慈しみの心を伴って修行するならば、これを「法縁の慈」と知るべきである。

若諸菩薩，復於諸法遠離分別，修慈俱心，當知即此名無緣慈。

> もし諸々の菩薩が、さらにあらゆる事柄に対して分別を離れ、慈しみの心を共に修めるならば、これを「無条件の慈しみ（無縁慈）」と知るべきです。

如有情緣、法緣、無緣三慈差別，悲、喜、捨三，當知亦爾。若諸菩薩，於有苦者，發起除苦增上意樂，普緣十方修悲俱心，是名為悲。若諸菩薩，於有樂者，發起隨喜增上意樂，普緣十方修喜俱心，是名為喜。若諸菩薩，即於如是無苦無樂、有苦、有樂三種有情，隨其次第，發起遠離癡瞋貪惑增上意樂，普緣十方修捨俱心，是名為捨。

> 慈悲には、対象となる生き物に執着がある「有情縁」、真理に基づく「法縁」、対象を区別しない「無縁」という三つの種類があるように、悲、喜、捨にも同じ三つの種類があると知るべきです。 では、菩薩が苦しんでいる生き物に対して、その苦しみを取り除こうという強い決意を起こし、あまねく十方の世界に向けて悲しみの心を共に修めること、これを「悲」といいます。 また、菩薩が幸せな生き物に対して、共に喜ぶという強い決意を起こし、あまねく十方の世界に向けて喜びの心を共に修めること、これを「喜」といいます。 さらに、菩薩が、苦しみも楽しみもない生き物、苦しんでいる生き物、幸せな生き物という三種類の生き物に対して、その順序に従って、無知、怒り、執着という惑いから離れようという強い決意を起こし、あまねく十方の世界に向けて心の平等を修めること、これを「捨」といいます。

此中菩薩慈等無量有情緣者，當知其相與外道共。若法緣者，當知其相與諸聲聞及獨覺共，不共外道。若無緣者，當知其相不共一切聲聞、獨覺，及諸外道。

> ここで、菩薩の慈悲などの無量の修行において、「有情を縁とする慈」の特徴は、外道（仏教以外の修行者）と共通しています。「法を縁とする慈」の特徴は、声聞や独覚と共通し、外道とは共通しません。「縁なき慈（無縁の慈）」の特徴は、すべての声聞、独覚、そして外道とも共通しないことを知るべきです。

又諸菩薩三種無量，應知安樂意樂所攝，謂慈、悲、喜。一種無量，應知利益意樂所攝，是謂為捨。

> また、菩薩には三つの無量心があり、これらは安楽を願う心に含まれると知るべきです。すなわち、慈（いつくしみ）、悲（あわれみ）、喜（よろこび）です。一つの無量心は、利益を願う心に含まれると知るべきであり、これを捨（しゃ）と呼びます。

如是菩薩一切無量，名為哀愍。以諸菩薩成就此故，名哀愍者。

> このように、菩薩たちはすべて計り知れないほどであり、これを「哀れみ（あわれみ）」と呼びます。菩薩たちがこの哀れみを成就しているからこそ、「哀れみある者」と呼ばれるのです。

此中菩薩，於有情界觀見一百一十種苦，於諸有情修悲無量。

> ここにおいて、菩薩は生きとし生けるものの世界において、百十種の苦しみを観察し、それらの生きとし生けるものに対して、限りない慈しみの心（悲無量）を修めるのである。

何等名為百一十苦？

> 百一十の苦しみとは何でしょうか？

謂有一苦。依無差別流轉之苦，一切有情無不皆墮流轉苦故。

> 一つの苦しみがあります。それは「執着による状態そのものの苦しみ」です。すべての生きとし生けるものは、この執着の流れから逃れられず、皆その中に落ち込んでいるからです。

復有二苦。一、欲為根本苦。謂可愛事若變、若壞所生之苦。二、癡異熟生苦。謂若猛利體受所觸，即於自體執我我所，愚癡迷悶，生極怨嗟。由是因緣，受二箭受，謂身箭受及心箭受。

> さらに二つの苦しみがあります。第一は、欲望を根本とする苦しみです。愛しいものが変化したり、失われたりしたときに生まれる苦しみです。第二は、無知の異熟（業の結果）から生まれる苦しみです。これは、激しい感受性によって身体が触れられる時、自分の体に「我」や「我所」と執着し、愚かさに迷い悶えて、極度の嘆きを生じさせるものです。この因縁によって、二つの矢の苦しみを受けます。すなわち、身体の矢の苦しみと心の矢の苦しみです。

復有三苦。一、苦苦，二、行苦，三、壞苦。

> また、三つの苦しみがあります。第一は「苦苦」（苦しみそのものの苦しみ）、第二は「行苦」（変化し続けることの苦しみ）、第三は「壊苦」（消え去ることの苦しみ）です。

復有四苦。一、別離苦，謂愛別離所生之苦。二、斷壞苦，謂由棄捨眾同分死所生之苦。三、相續苦，謂從此後，數數死生，展轉相續所生之苦。四、畢竟苦，謂定無有般涅槃法諸有情類五取蘊苦。

> さらに四つの苦しみがある。第一に「別離苦」（べつりく）とは、愛する者との別れから生じる苦しみである。第二に「断壊苦」（だんえく）とは、同じ生存の状態を捨てて死ぬことから生じる苦しみである。第三に「相続苦」（そうぞくく）とは、その後の絶え間ない生死の繰り返し、連続する輪廻から生じる苦しみである。第四に「畢竟苦」（ひっきょうく）とは、完全な悟り（涅槃）に至ることが定められていない生きとし生けるものたちが、五つの執着の要素（五取蘊）を抱えることで確実に生じる苦しみである。

復有五苦。一、貪欲纏緣苦，二、瞋恚纏緣苦，三、惛沈睡眠纏緣苦，四、掉舉惡作纏緣苦，五、疑纏緣苦。

> さらに、五つの苦しみがある。第一に、貪りの執着による苦しみ、第二に、怒りの執着による苦しみ、第三に、心の沈みと眠気の執着による苦しみ、第四に、心の浮つきと後悔の執着による苦しみ、第五に、疑いの執着による苦しみである。

復有六苦。一、因苦，習惡趣因故。二、果苦，生諸惡趣故。三、求財位苦。四、勤守護苦。五、無厭足苦。六、變壞苦。如是六種總說為苦。

> さらに六種の苦しみがあります。第一は原因の苦しみで、悪い境遇に落ちる原因となる行いを積むこと。第二は結果の苦しみで、悪い境遇に生まれること。第三は財産や地位を求める苦しみ。第四はそれらを懸命に守ろうとする苦しみ。第五は満足することを知らない苦しみ。第六は変化し壊れていく苦しみです。この六つをまとめて苦しみと説かれています。

復有七苦。一、生苦，二、老苦，三、病苦，四、死苦，五、怨憎會苦，六、愛別離苦，七、雖復希求而不得苦。

> また、七つの苦しみがある。 第一に、生まれる苦しみ。 第二に、老いる苦しみ。 第三に、病む苦しみ。 第四に、死ぬ苦しみ。 第五に、嫌な相手と出会う苦しみ。 第六に、愛する者と別れる苦しみ。 第七に、どんなに願っても得られない苦しみ。

復有八苦。一、寒苦，二、熱苦，三、飢苦，四、渴苦，五、不自在苦，六、自逼惱苦，謂無繫等諸外道類。七、他逼惱苦，謂遭遇他手塊等觸、蚊虻等觸。八、一類威儀多時住苦。

> さらに八つの苦しみがある。一に寒さの苦しみ、二に暑さの苦しみ、三に飢えの苦しみ、四に渇きの苦しみ、五に思い通りにならない苦しみ、六に自ら自分を苦しめる苦しみ（これは解脱を目指さない外道の修行者たちのこと）。七に他者から苦しめられる苦しみ（他者の手や石などで打たれたり、蚊や虻に刺されたりする苦しみ）。八に一つの姿勢を長く続けることによる苦しみ。

復有九苦。一、自衰損苦，二、他衰損苦，三、親屬衰損苦，四、財位衰損苦，五、無病衰損苦，六、戒衰損苦，七、見衰損苦，八、現法苦，九、後法苦。

> さらに九つの苦しみがある。第一に、自分自身の衰退による苦しみ。第二に、他者の衰退による苦しみ。第三に、親族の衰退による苦しみ。第四に、財産や地位の衰退による苦しみ。第五に、健康を失う苦しみ。第六に、戒律を破る苦しみ。第七に、誤った見解による苦しみ。第八に、現世での苦しみ。第九に、来世での苦しみ。

復有十苦。一、諸食資具匱乏苦，二、諸飲資具匱乏苦，三、騎乘資具匱乏苦，四、衣服資具匱乏苦，五、莊嚴資具匱乏苦，六、器物資具匱乏苦，七、香鬘塗飾資具匱乏苦，八、歌舞伎樂資具匱乏苦，九、照明資具匱乏苦，十、男女給侍資具匱乏苦。

> さらに、十の苦しみがあります。 第一に、食べ物が不足する苦しみ。 第二に、飲み物が不足する苦しみ。 第三に、乗り物が不足する苦しみ。 第四に、衣服が不足する苦しみ。 第五に、身を飾る品々が不足する苦しみ。 第六に、日用品の道具が不足する苦しみ。 第七に、花や香油などの装飾品が不足する苦しみ。 第八に、歌や舞い、楽器の遊びが不足する苦しみ。 第九に、灯りなどの明かりが不足する苦しみ。 第十に、召し使いの男女に仕えてもらえない苦しみ。

當知復有餘九種苦。一、一切苦，二、廣大苦，三、一切門苦，四、邪行苦，五、流轉苦，六、不隨欲苦，七、違害苦，八、隨逐苦，九、一切種苦。

> さらに、九種の苦しみがあると知るべきです。第一に全ての苦しみ、第二に広大な苦しみ、第三にあらゆる方面からの苦しみ、第四に誤った行いによる苦しみ、第五に輪廻の苦しみ、第六に思い通りにならない苦しみ、第七に害を受ける苦しみ、第八に執着し続ける苦しみ、第九にあらゆる種類の苦しみです。

一切苦中，復有二苦。一、宿因所生苦，二、現緣所生苦。

> あらゆる苦しみの中には、さらに二つの種類があります。第一は、過去の因によって生じる苦しみ、第二は、現在の縁によって生じる苦しみです。

廣大苦中，復有四苦。一、長時苦，二、猛利苦，三、雜類苦，四、無間苦。

> 広大な苦しみの中に、さらに四つの苦しみがあります。第一に、長く続く苦しみ。第二に、激しく厳しい苦しみ。第三に、さまざまな種類の苦しみ。第四に、途切れることのない苦しみです。

一切門苦中，亦有四苦。一、那落迦苦，二、傍生苦，三、鬼世界苦，四、善趣所攝苦。

> あらゆる分野の苦しみの中にも、四つの苦しみがあります。第一に地獄の苦しみ、第二に畜生の苦しみ、第三に餓鬼の世界の苦しみ、第四に善い境遇に含まれる苦しみです。

邪行苦中，復有五苦。一、於現法中犯觸於他，他不饒益所發起苦。二、受用種種不平等食，界不平等所發起苦。三、即由現法苦所逼切，自然造作所發起苦。四、由多安住非理作意，所受煩惱、隨煩惱纏所起諸苦。五、由多發起諸身語意種種惡行，所受當來諸惡趣苦。

> 邪な行いによる苦しみの中には、さらに五つの苦しみがあります。 第一に、現世において他者に対して罪を犯し、その他者から不利益を受けることによって生じる苦しみ。 第二に、様々な不均衡な食べ物を摂取し、身体の調和が乱れることによって生じる苦しみ。 第三に、現世の苦しみに切迫されて、自ら進んで悪い行いをしてしまうことによって生じる苦しみ。 第四に、道理に合わない考え方に多く留まることで、煩悩やその枝末の煩悩に絡め取られて生じる様々な苦しみ。 第五に、身体、言葉、心における様々な悪い行いを多く起こすことによって、未来に受けることになる悪い世界での苦しみ。

流轉苦中，復有六種輪轉生死不定生苦。一、自身不定，二、父母不定，三、妻子不定，四、奴婢、僕使不定，五、朋友、宰官、親屬不定，六、財位不定。自身不定者，謂先為王、後為僕隷。父母等不定者，謂先為父母乃至親屬，後時輪轉，反作怨害及惡知識。財位不定者，謂先大富貴，後極貧賤。

> 流転の苦しみの中には、さらに六つの生死を輪廻する定まらなさによる苦しみがあります。第一に、自分の身の定まらなさ、第二に、父母の定まらなさ、第三に、妻や子の定まらなさ、第四に、奴婢や召使いの定まらなさ、第五に、友達や役人、親族の定まらなさ、第六に、財産や地位の定まらなさです。自分の身の定まらなさとは、かつて王であった者が、後に奴隷となることです。父母などの定まらなさとは、かつて父母や親族であった者が、時が巡り変わると、逆に恨みを持つ敵や悪友になってしまうことです。財産や地位の定まらなさとは、かつて大いに富み栄えていた者が、後には極めて貧しく卑しい身となることです。

不隨欲苦中，復有七苦。一、欲求長壽，不隨所欲，生短壽苦。二、欲求端正，不隨所欲，生醜陋苦。三、欲生上族，不隨所欲，生下族苦。四、欲求大富，不隨所欲，生貧窮苦。五、欲求大力，不隨所欲，生羸劣苦。六、欲求了知所知境界，不隨所欲、愚癡無智現行生苦。七、欲求勝他，不隨所欲，反為他勝而生大苦。

> 欲望のままに生きられない苦しみには、さらに七つの苦しみがあります。 一、長生きしたいと願っても思い通りにならず、短命であるという苦しみ。 二、容姿端麗でありたいと願っても思い通りにならず、醜いという苦しみ。 三、高貴な家に生まれたいと願っても思い通りにならず、低い家柄に生まれるという苦しみ。 四、大金持ちになりたいと願っても思い通りにならず、貧しいという苦しみ。 五、力強くなりたいと願っても思い通りにならず、弱々しいという苦しみ。 六、あらゆる物事を正しく知りたいと願っても思い通りにならず、無知で愚かでありながら生きていくという苦しみ。 七、他人に勝ちたいと願っても思い通りにならず、逆に打ち負かされてしまうという大きな苦しみ。

違害苦中，復有八苦。一、諸在家者，妻子等事損減生苦。二、諸出家者，貪等煩惱增益生苦。三、饑儉逼惱之所生苦。四、怨敵逼惱之所生苦；五、曠野、嶮難、迫迮逼惱之所生苦。六、繫屬於他之所生苦。七、支節不具損惱生苦。八、殺縛、斫截、捶打、驅擯逼惱生苦。

> 苦しみの中には、さらに八つの苦しみがあります。 一、家庭にいる者は、妻や子などのことで衰え減り、苦しみが生じます。 二、出家した者は、貪りや怒りなどの煩悩が増え、苦しみが生じます。 三、飢えや貧しさに悩まされて苦しみが生じます。 四、怨みを持った敵に悩まされて苦しみが生じます。 五、荒野や険しい場所、狭く迫る場所に悩まされて苦しみが生じます。 六、他人に縛られ従属して苦しみが生じます。 七、手足などが不自由になり損なわれて苦しみが生じます。 八、殺されたり、縛られたり、切り刻まれたり、打たれたり、追い払われたりして苦しみが生じます。

隨逐苦中，復有九苦。依世八法有八種苦。一、壞法壞時苦，二、盡法盡時苦，三、老法老時苦，四、病法病時苦，五、死法死時苦，六、無利苦，七、無譽苦，八、有譏苦。是名八苦。九、希求苦。如是總說名隨逐苦。

> 苦しみに追従する中に、さらに九つの苦しみがあります。世間の八つの条件に基づく八つの苦しみがあります。一、壊れるものは壊れる時に苦しみ、二、尽きるものは尽きる時に苦しみ、三、老いるものは老いる時に苦しみ、四、病むものは病む時に苦しみ、五、死ぬものは死ぬ時に苦しみ、六、利益がない苦しみ、七、誉れがない苦しみ、八、非難される苦しみ。これらを八つの苦しみと言います。九、求め望む苦しみ。このように総じて、追従する苦しみと言います。

一切種苦中，復有十苦。謂如前說五樂所治有五種苦。一、因苦，二、受苦，三、唯無樂苦，四、受不斷苦，五、出離、遠離、寂靜、菩提樂所對治，家、欲界結、尋、異生苦。是名五苦。復有五苦。一、逼迫苦，二、眾具匱乏苦，三、界不平等苦，四、所愛變壞苦，五、三界煩惱品麁重苦。是名五苦。前五此五，總十種苦。當知是名一切種苦。

> あらゆる苦しみの中にも、さらに十種の苦しみがある。先に述べた五種の楽に対応するものとして、五種の苦しみがある。第一に因の苦、第二に受の苦、第三にただ楽がないという苦、第四に絶え間なく受ける苦、第五に、出離・遠離・寂静・菩提の楽によって対治される苦であり、それは「家」、欲界の結縛、尋、異生の苦である。これを五種の苦という。さらに五種の苦がある。第一に逼迫の苦、第二に衆具が欠乏する苦、第三に界が平等でない苦、第四に愛するものが壊れ変わる苦、第五に三界の煩惱の品類による粗重の苦である。これを五種の苦という。先の五種とこの五種を合わせて、総じて十種の苦である。これを一切種の苦というと知るべきである。

前五十五，今五十五，總有一百一十種苦，是菩薩悲所緣境界。緣此境故，諸菩薩悲生起、增長、修習圓滿。

> 五十五種の苦しみが過去にあり、五十五種が現在にある。合わせて百十種の苦しみがあり、これこそが菩薩の慈悲が向かう境涯である。この境涯に基づくからこそ、菩薩たちの慈悲は生じ、成長し、修行によって円満に達成されるのである。

又諸菩薩於大苦蘊，緣十九苦，發起大悲。何等名為十九種苦？一、愚癡異熟苦，二、行苦所攝苦，三、畢竟苦，四、因苦，五、生苦，六、自作逼惱苦，七、戒衰損苦，八、見衰損苦，九、宿因苦，十、廣大苦，十一、那落迦苦，十二、善趣所攝苦，十三、一切邪行所生苦，十四、一切流轉苦，十五、無智苦，十六、增長苦，十七、隨逐苦，十八、受苦，十九、麁重苦。

> また、諸々の菩薩は、この大きな苦しみの集まりにおいて、十九の苦しみに緣って、大いなる慈悲の心を起こします。その十九の苦しみとは何でしょうか。一つ目は、無知がもたらす苦しみ。二つ目は、変化し続けるという性質の苦しみ。三つ目は、究極の苦しみ。四つ目は、原因となる苦しみ。五つ目は、生まれることの苦しみ。六つ目は、自らが作り出す苦しみ。七つ目は、戒律を損なう苦しみ。八つ目は、誤った見解を持つ苦しみ。九つ目は、過去の因縁による苦しみ。十は、広大な苦しみ。十一は、地獄の苦しみ。十二は、善い世界に生まれてもある苦しみ。十三は、あらゆる誤った行いから生じる苦しみ。十四は、あらゆる輪廻の苦しみ。十五は、無知による苦しみ。十六は、増え続ける苦しみ。十七は、常に付きまとう苦しみ。十八は、苦しみを受けること自体。十九は、重くのしかかる苦しみ、です。

由四緣故，悲名大悲。一、緣甚深、微細、難了諸有情苦為境生故。二、於長時積習成故。謂諸菩薩，經於無量百千大劫積習所成。三、於所緣猛利作意而發起故。謂諸菩薩，由是作意悲所執持，為息有情眾苦因緣，尚能棄捨百千身命，況一身命及以資財。於一切種治罰大苦，為諸有情悉能堪忍。四、極清淨故。謂諸菩薩已到究竟菩薩清淨，若諸如來已到佛地如來清淨。

> 四つの理由により、「悲」は「大悲」と呼ばれます。第一に、その対象が非常に深く、微細で、理解しがたいあらゆる有情（生きとし生けるもの）の苦しみであるからです。第二に、長い時間をかけて習い積まれたものだからです。すなわち、菩薩たちは無量の百千もの大劫の間、修行を積み重ねてこれを成就します。第三に、対象に対して鋭く強い意をもって起こされるからです。すなわち、菩薩たちはこのような意に支えられ、有情の苦しみを鎮めるための縁となるならば、たとえ百千の命や身体ですら捨てることができ、まして一つの命や財産などなおさらのことです。また、あらゆる種類の罰や大きな苦しみに対しても、有情のためにすべて耐え忍ぶことができます。第四に、極めて清らかであるからです。すなわち、菩薩たちは究極の菩薩の清らかさに達し、如来たちは仏地である如来の清らかさに達しています。

又諸菩薩，由前所說百一十苦，於諸有情修悲心時，則為修習一切菩薩所有悲心。

> さらに、すべての菩薩は、先に述べた百十の苦しみによって、あらゆる生きとし生けるものに対して悲しみの心を育むとき、それがすなわち、すべての菩薩にふさわしい悲しみの心を修めることとなるのです。

復能速證悲意樂淨，證入菩薩淨意樂地，於諸有情獲得菩薩極親厚心、極愛念心、欲作恩心、無厭惓心、代受苦心、調柔自在有堪能心。

> また、速やかに「悲」の清らかな志を成就し、菩薩の清らかな境地に至ることができる。そして、すべての生きとし生けるものに対して、菩薩としての極めて親しみ深い心、深く慈しみ思う心、恩恵を施そうとする心、倦むことのない心、苦しみを代わりに受けようとする心、柔和で自在であり、しかも力強い心を得るのである。

諸聖聲聞，已得證入苦諦現觀，已到究竟，於苦深遠厭俱行心相續而轉，不如菩薩於諸有情悲前行心，正觀墮在百一十種極大苦蘊。

> すべての聖なる声聞たちは、すでに苦しみの真理を観察し実証するところに達し、その究極に至っています。そのため、彼らの心は深く遠い苦しみに対する厭離の思いとともに連続して働いています。しかし菩薩のように、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を第一として、百十もの極めて大きな苦しみの集まりのただ中にある姿を正しく観察することはありません。

菩薩如是以所修悲熏修心故，於內外事，無有少分而不能捨；無戒律儀而不能學；無他怨害而不能忍；無有精進而不能起；無有靜慮而不能證，無有妙慧而不能入。

> 菩薩は、このように修めた悲心によって心が深く染まっているがゆえに、内外のあらゆる物事について、捨てられないものはごくわずかもなく、学べない戒律の教えもなく、耐えられない他者からの害もなく、起こせない精進もなく、証明できない静かな瞑想もなく、入っていけない素晴らしい智慧もないのです。

是故如來，若有請問菩薩菩提誰所建立？皆正答言：菩薩菩提悲所建立。

> 故に如来は、もし誰かが「菩薩の菩提は何によって立てられるのか」と問うならば、必ず正しくこう答える。「菩薩の菩提は、悲しみの心によって立てられる」と。

如前所說一一無量，皆有無量菩薩如意圓德隨轉，皆能攝受無量愛果，皆無量種一向妙善無罪隨轉。

> 先にお話ししたように、一つ一つの教えには限りがなく、そのすべてに無量の菩薩たちの自在な完全な功徳が伴っています。それらはすべて、数え切れないほどの愛しい成果を引き寄せることができ、どのようなものも多種多様で、常に素晴らしく善く、過ちなくして実践されていきます。

當知菩薩精勤修習如是無量，能得四種功德勝利。謂由修習此無量故，先得最勝現法樂住；攝受、增長無量最勝福德資糧；能於無上正等菩提意樂堅固；為欲饒益諸有情故，於生死中，堪能忍受一切大苦。

> 菩薩がこのように心の限りない働きを熱心に修行すれば、四つの素晴らしい功徳を得ることができると知るべきです。すなわち、この無量の修行によって、第一に、この世で最も優れた静かな喜びの境地を得られます。第二に、量り知れないほど優れた福徳の糧を集め、成長させることができます。第三に、最高の悟りに対する心の決意が揺るぎないものとなります。第四に、すべての生きとし生けるものを助けるために、迷いの世界にあってもあらゆる大きな苦しみに耐えることができるのです。