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title: "瑜伽師地論 · 5目 善知世間"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩善知世間？

> 菩薩が世間をよく知るとは、どのようなことでしょうか。

謂諸菩薩，普於一切有情世間，如實了知如是世間極為艱嶮，甚為愚闇。所謂雖有生老及死，數數死生，而諸有情於老死等上昇、出離不如實知。

> あらゆる菩薩は、すべての生きとし生けるものの世界について、あるがままに次のように知っている。――この世は実に困難に満ち、深い闇に覆われている。すなわち、生・老・病・死があり、繰り返し生死を繰り返しているにもかかわらず、生きとし生けるものは、老いや死などからの向上や解脱の道をありのままに知らないのである。

又諸菩薩，如實了知有情世間，有諸穢濁，濁世增時；無諸穢濁，濁世減時。謂依五濁。一者、壽濁，二者、有情濁，三者、煩惱濁，四者、見濁，五者、劫濁。

> また、諸々の菩薩は、衆生の世界にさまざまな汚れや濁りがあり、濁った時代が増すときもあれば、汚れのない清らかな時代が減るときもあることを、あるがままに理解しています。 それは五濁に基づくものです。一つ目は寿命の濁り、二つ目は衆生の濁り、三つ目は煩悩の濁り、四つ目は見解の濁り、五つ目は劫（時代）の濁りです。

如於今時人壽短促，極長壽者不過百年。昔時不爾。是名壽濁。

> 現代のように人の寿命が短く、最も長く生きる者でも百年を超えることがありません。昔はそうではありませんでした。これを「寿命の濁り（寿濁）」といいます。

如於今時，有情多分不識父母，不識沙門、若婆羅門，不識家長可尊敬者、作義利者、作所作者，於今世罪及後世罪不見怖畏，不修惠施、不作福業、不受齋法、不受淨戒，昔時不爾。是名有情濁。

> 昔と比べて、今の時代の生きとし生けるものは、父母を敬わず、修行者や婆羅門（バラモン）を尊ばず、家の長や敬うべき人、善き行いをする人、善い行いを積む人を尊ばなくなりました。そして、現世の罪も来世の罪も恐れず、施しをせず、善い行いをせず、斎戒（精進日）も守らず、清らかな戒めも受けません。このような状態を「生きとし生けるものの濁り（有情濁）」と言います。

如於今時，有情多分習非法貪、不平等貪，執持刀劍、執持器仗，鬪訟諍競，多行諂誑詐偽妄語，攝受邪法，有無量種惡不善法現可了知，昔時不爾。是名煩惱濁。

> 現代のように、多くの生きとし生けるものが、道理に反した執着や不公平な執着に陥り、刀や武器を手に取り、争いや訴訟、競い合いをし、お世辞や偽り、虚偽の言葉を多く用い、邪まな教えに執着しています。様々な種類の悪しき善からざる行いが、今まさに明らかであり、昔はそうではありませんでした。これを「煩悩の濁り」と呼びます。

如於今時，有情多分為壞正法、為滅正法，造立眾多像似正法，虛妄推求邪法邪義以為先故。昔時不爾。是名見濁。

> 現代においては、多くの人々が正しい教えを壊し、正しい教えを消し去ろうとして、似て非なる多くの教えを作り出しています。これは、あらかじめ誤った教えや間違った意味を虚しく追い求めることを優先しているからです。昔の時代はそうではありませんでした。これを「見濁（けんじょく）」といいます。

如於今時，漸次趣入饑饉中劫，現有眾多饑饉可得；漸次趣入疫病中劫，現有眾多疫病可得；漸次趣入刀兵中劫，現有眾多互相殘害刀兵可得；昔時不爾。是名劫濁。

> 今のように、少しずつ飢饉の時代に入っていき、実際に多くの飢饉が見られるようになり、また少しずつ疫病の時代に入っていき、実際に多くの疫病が見られるようになり、さらに少しずつ戦乱の時代に入っていき、実際に多くの人々が互いに傷つけ合う戦いが見られるようになりました。昔はそうではありませんでした。これが劫濁（こうじょく）といわれるものです。

是名菩薩如實了知有情世間。

> これは、菩薩が有情の世界をありのままに知るということです。

又諸菩薩，如實了知諸器世間破壞成立，如器世間破壞成立差別而知。

> さらに菩薩たちは、この世界がどのように壊れ、どのように成り立っていくのかを、あるがままに、ありのままに知っています。

又諸菩薩，於其世間，於世間集，於世間滅，於能往趣世間集行，於能往趣世間滅行，於其世間愛味、過患及與出離皆如實知。

> また、菩薩たちは、世間（この世界）について、世間の集まり（原因と結果のつながり）について、世間の消滅について、世間の集まりへと向かう行いについて、世間の消滅へと向かう行いについて、そして世間への執着・その危険性・そこからの解放について、あるがままに正しく知るのです。

又諸菩薩，如實了知眼乃至意諸無色蘊，四大造色，成士夫身，唯有爾所假名人性。於中所有想，或我、或有情，此唯有想。於中所有自號言說，我眼見色，廣說乃至我意知法，此亦唯有自號言說。於中所有世俗語言，謂此長老有如是名、如是種類、如是族姓、如是飲食、如是領納若苦若樂、如是長壽、如是久住、如是盡其壽量邊際，此亦唯有世俗言說。菩薩於此皆如實知。

> また、諸々の菩薩は、眼から意に至るまでの、色を伴わない諸々の認識の要素（諸無色蘊）や、四大元素から造られた身体（士夫身）が、ただ仮に名づけられた人間の性質であるに過ぎないことを、如実に知る。 その中で「私」や「有情（生きとし生けるもの）」という考えが生じるのも、それは単なる想像（想い）にすぎない。 その中で「私は眼で色を見る」「広く説けば、私は意で法を知る」といった自己主張や言葉も、これもまた単なる名称の表現にすぎない。 さらにその中で、世俗の言葉で「この長老は、これこれの名、これこれの種類、これこれの氏族、これこれの飲食、これこれの苦楽の感覚、これこれの寿命、これこれの生存期間、このように寿命の限界を全うする」と言われることも、これもまた単なる世間の言葉にすぎないのである。 菩薩はこれらのことを、すべて如実に知るのである。

由諸菩薩如實了知有情世間流轉差別、若器世間流轉差別、若八種相觀世間義、若諸世間所有勝義，是故說名善知世間。

> 諸々の菩薩は、迷いの世界（有情世間）における生きとし生けるものの様々なあり方や、環境の世界（器世間）における移り変わりの違い、また八つの側面から見た世間の本質や、世間における最も深い真理を、ありのままに理解しています。そのため「世間をよく知る者」と呼ばれるのです。

復次，菩薩若見年德俱尊勝者，能正奉迎，敷座延坐，敬問、禮拜、合掌、慇勤，修和敬業。若見年德俱相似者，能正問訊、酬對、歡慰，以軟美言共興談論，不依等慢而自格量。若見年德俱卑劣者，隨力隨能勸修勝德；顯實少德，覆實多過，終不舉發令其恥愧；亦不輕陵令心退沒；知有希求若財若法，終不背面，亦不顰蹙；不譏誤失，不蔑退榮。於是一切劣等勝品諸有情類，若見彼時，先意慰問，讚言善來，無倒安處，能正隨力攝以財法。雖處尊勝，而於有情終不乖戾，不自珍奇，亦不憍傲。所攝有情縱懷資給，有病無病，終不棄捐；身業語業，無不隨順。

> また、菩薩は、もし年齢と徳の共に優れた人を見れば、正しく迎え入れ、座を設けて招き入れ、敬い尋ね、礼拝し、合掌し、懇切に接して、和やかで敬意ある行いを修める。もし年齢と徳が互いに似通った人を見れば、正しく安否を問い、応対し、喜び慰め、柔らかく美しい言葉で共に語り合い、我慢による比較評価をしない。もし年齢と徳が共に劣っている人を見れば、力と能力に応じて、善い徳を修めるよう勧める。実際には少ない徳を明らかに示し、実際には多い過ちを覆い隠し、決してそれを暴露して恥じ入らせたりしない。また、軽んじて心をくじかせたりしない。もし財や法を求める願いがあるのを知れば、決して背を向けたり、しかめ面をしたりしない。過ちや誤りを嘲笑せず、栄えが衰えても軽蔑しない。このようにして、あらゆる劣ったもの、等しいもの、優れたものといった有情の種類に対して、彼らを見た時には、まず心から労わり問いかけ、「よく来られた」と褒め称え、誤りのないように適切に安置し、力に応じて財と法をもって導き支える。たとえ高い地位にあっても、有情に対して決して逆らわず、自らを特別扱いせず、また驕り高ぶることもない。導く有情たちにたとえ物心両面を十分に与えても、病むことがあろうと病まなかろうと、決して見捨てない。身の行いも言葉の行いも、すべてに従い調和する。

若識不識，一切等心；為友為朋，無怨無隙。於無依怙一切有情，隨力隨能作依作怙。不託異門發他憂苦，令彼須臾住不安樂。若有因緣須現談謔，稱理而為，非不稱理。雖遇情交極相親密，年事斯等無乖隔者，亦不共談匪仁言論。終不於他久懷忿恨，設復暫起，不斥其諱。若復為他身語訾辱，或善思擇、或依正法、或省己過而自開解，不譴於他。其心安靜而不輕躁，身語意業起必審詳。普能遠離十四垢業，藏隱六方，遠四惡友，攝四善友。如是一切，應知具如尸佉絡迦契經中說。

> もし知る者も知らざる者も、一切を等しく心し、友と為り朋と為り、怨みも隙も無くせよ。頼る所無き一切の有情に対しては、力の及ぶ限り、頼りとなり庇護となれ。他の門を頼みて他人の憂苦を引き起こし、その人を一瞬たりとも安楽ならざらしめること無かれ。もし因縁あって談笑を交わす必要があれば、道理に適って為すべし、道理に適わぬこと無かれ。たとえ情誡極めて親密で、年齢や身分に隔たり無き者と交わるときも、仁ならざる論議を共に語ること無かれ。ついには他に対して長く怨恨を抱くこと無かれ。たとえ一時的に起こしても、その人の忌み名を挙げて責めること無かれ。もし他人から身や言葉で誹謗され辱められても、よく考え、あるいは正法に従い、または自らの過ちを省みて自らを開き解き、他を責めること無かれ。その心は安らかにして軽々しく騒がず、身・語・意の業は起こすに必ず審らかに詳らかにせよ。普く十四の垢業を遠離し、六方を蔵し、四悪友を遠ざけ、四善友を摂せよ。これらの一切は、知るべし、尸佉絡迦経に説く所の如しと。

或為現法利益事義財位相應，起策具足、守護具足，平等養命。於諸世間工巧業處皆得善巧，無諂無幻，性不誑他。於罪現行深懷慚恥，正行具足，尊重正行、守護正行。有所寄付，深可倚信。於他財物，無所規度；舉貸他物，終不違捍；分所共財，平等無矯；共知真寶，賣者不識，稱寶酬價，無枉毫釐。於世時務令儀軌範，為益世間，辯正機捷。

> あるいは、現世における利益や、道理・財産・地位に関わる事柄のために、 努力を続けること、財を守ること、適切に生計を立てることを実践する。 世の中のあらゆる技術や仕事に巧みであり、 偽りがなく、騙すこともなく、生来、他者を欺かない性質を持つ。 罪を犯すことを深く恥じ、 正しい行いを身につけ、正しい行いを尊び、それを守り続ける。 人から預かったものは、しっかりと信頼される。 他人の財産を不当にねらうことはなく、 借りたものを返さないようなことは決してしない。 共有の財産を分ける時は、平等に振る舞い、ごまかさない。 本当に価値のある宝であっても、売り手がその価値を知らなければ、 その宝に見合った代価を支払い、少しの誤差もない。 世の中の時勢や儀礼、規範については、 世の中の利益のために、正しく機敏に判断し、行動する。

於所應作彼彼事中，他正來求，皆為助伴；敦質無動，不託餘緣；善營事業，非為不善。若為帝王，以法治世，不以非法，不好責罰。若御大眾，勸捨惡戒，令修善戒。成就八種賢聖語言。謂於所見，問答言見；於聞、覺、知，問答言知；於所不見，問答不見；於所不聞、不覺、不知，問答不知。

> なすべき様々な事柄について、他者が助けを求めてきたならば、自ら進んでその助けとなる。誠実で心が揺るがず、他の理由を託さない。善い行いを努めて行い、悪しき行いはしない。もし王として国を治めるならば、正しい法によって世を治め、法に反することをせず、罰を与えることを好まない。もし大衆を導くならば、悪しき戒めを捨てさせ、善い戒めを修めるよう勧める。八種の聖者の言葉を成就する。すなわち、見たことについては、問われれば「見た」と答える。聞いたこと、感じたこと、知ったことについては、問われれば「知った」と答える。見なかったことについては、問われれば「見なかった」と答える。聞かなかったこと、感じなかったこと、知らなかったことについては、問われれば「知らない」と答える。

菩薩成就如是等法，如其世間正所應知，如其世間正所應轉，於彼一切皆如實知。是故名為善知世間。

> 菩薩がこのような諸々の法を成就すれば、その世間において正しく知るべきこと、また世間において正しく移り変わるべきことを、それらすべてをありのままに知るのです。これをもって「善く世間を知る者」と呼ばれます。

## 瑜伽師地論卷第四十四

> 瑜伽師地論 第44巻