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title: "瑜伽師地論 · 6目 修四依"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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## 瑜伽師地論卷第四十五

> 瑜伽師地論 第四十五巻

彌勒菩薩說

> 弥勒菩薩の教え

三藏法師玄奘奉　詔譯

> 三蔵法師玄奘奉詔訳

### 本地分中菩薩地第十五初持瑜伽處菩提分品第十七之二

> 第十五章 菩薩地 初持瑜伽処 菩提分品 第十七（之二）

云何菩薩修正四依？謂諸菩薩為求義故，從他聽法，不為求世藻飾文詞。菩薩求義不為求文而聽法時，雖遇常流言音說法，但依於義，恭敬聽受。又諸菩薩如實了知闇說、大說；如實知已，以理為依，不由耆長、眾所知識補特伽羅、若佛、若僧所說法故即便信受，是故不依補特伽羅。如是菩薩以理為依，補特伽羅非所依故，於真實義心不動搖，於正法中他緣匪奪。又諸菩薩，於如來所深殖正信、深殖清淨，一向澄清；唯依如來了義經典，非不了義。了義經典為所依故，於佛所說法毘奈耶不可引奪。何以故？以佛所說不了義經，依種種門辯本性義，猶未決定，尚生疑惑，非了義故。若諸菩薩於了義經不決定者，於佛所說法毘奈耶猶可引奪。又諸菩薩，於真證智見為真實，非於聞思但識法義非真證智。是諸菩薩如實了知修所成智所應知者，非唯聞思所成諸識所能了達。如實知已，聞如來說最極甚深所有法義，終不誹毀。是名菩薩修正四依。

> 菩薩はいかにして四つの依りどころを正しく修めるのか。 まず、菩薩は真の意味を求めて他者の説法を聞くのであって、美しい言葉や飾り立てた表現を目的とはしない。よって、たとえ説法者が平易な言葉で語る場合でも、その意味に依って恭敬の心で聴受する。 次に、菩薩は「闇説（あんせつ）」と「大説（だいせつ）」を如実に知る。つまり、内容を道理に基づいて判断し、たとえ長老や高名な人、あるいは仏や僧団の言葉であっても、道理に合わなければ安易に信受しない。したがって、説法者という「人（補特伽羅）」に依るのではなく、道理に依るのである。このように道理に依るからこそ、真実の意味について心が動かされず、正しい法において他者の影響によって揺るがされることがない。 また、菩薩は如来に対して深い正しい信と清らかな心を培い、常に明らかである。そして、如来の「了義経（はっきりと意味を極めた経典）」にのみ依り、不了義経（意味が未だ決していない経典）に依らない。了義経をよりどころとするからこそ、仏が説いた法（ダルマ）と律（ヴィナヤ）に対して、他者の説によって心を動かされることがない。なぜなら、不了義経は様々な角度から本質を説きつつも、まだ決定しておらず、疑いを生じさせる余地があるからである。もし菩薩が了義経を確信していなければ、仏の法と律に対しても他者の言葉に左右されるであろう。 最後に、菩薩は真の証得の智慧（修所成慧）こそを真実と見なし、単なる聞いたり考えたりしただけの知識（聞所成慧・思所成慧）を真の智慧とはしない。これらの菩薩は、修所成慧によって知るべきことは、ただ聞思の智慧だけでは到達できないと如実に知っている。そのように知っているからこそ、如来が最も深遠な法義を説かれても、決してそれを謗ったり否定したりしない。 これらを「菩薩の四依（しえ）」の正しい修め方という。

依正四依善修習故，略顯四量。謂所說義、正理、大師修所成慧真實證智。

> \*\*四つのよりどころを正しく修めることで、四つの基準が簡単に示される。\*\* \*\*それは、「語られた意味」「正しい道理」「師」「修行によって得られる智慧の真実の証明」である。\*\*

又諸菩薩一切四依為所依止，精勤發起正加行故，於出要道明了開示，無有迷惑。

> また、すべての菩薩は四依（しい）を拠り所として、熱心に正しい修行を起こすことによって、悟りへの道を明らかに示し、迷いがありません。