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title: "瑜伽師地論 · 11目 方便善巧"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩方便善巧？當知略說有十二種。依內修證一切佛法，有其六種；依外成熟一切有情，亦有六種。

> どのようにして菩薩は方便の巧みさを身につけるのでしょうか。簡潔に言えば、十二の種類があります。自身の内側で仏法を修め証得するためのものとして六つ、外部で全ての生きとし生けるものを成熟させるためのものとして、さらに六つがあるのです。

云何依內修證一切佛法六種方便善巧？一者、菩薩於諸有情悲心俱行，顧戀不捨；二者、菩薩於一切行如實遍知；三者、菩薩恒於無上正等菩提所有妙智，深心欣樂；四者、菩薩顧戀有情為依止故，不捨生死；五者、菩薩於一切行如實遍知為依止故，輪轉生死而心不染；六者、菩薩欣樂佛智為依止故，熾然精進。當知是名菩薩依內修證一切佛法六種方便善巧。

> どのようにして内的な修行によって、あらゆる仏の教えを実証するための六つの巧みな手段があるのでしょうか。 第一に、菩薩はすべての生きとし生けるものに対して、慈しみの心を共にし、愛情を抱いて決して手放さないこと。 第二に、菩薩はすべての行（現象の働き）について、あるがままに完全に知り尽くすこと。 第三に、菩薩は常に、無上の正しい悟りに関するすべての素晴らしい智慧に対して、心から深く喜び慕うこと。 第四に、菩薩は生きとし生けるものへの愛情を拠り所とするため、生死の輪廻を捨てないこと。 第五に、菩薩はすべての行をあるがままに完全に知ることを拠り所とするため、生死を輪廻しながらも心が汚されることがないこと。 第六に、菩薩は仏の智慧を喜び慕うことを拠り所とするため、真剣に修行に励むこと。 これらを、菩薩が内的な修行によって、あらゆる仏の教えを実証するための六つの巧みな手段であると知るべきです。

云何依外成熟一切有情六種方便善巧？一者、菩薩方便善巧，能令有情以少善根感無量果；二者、菩薩方便善巧，能令有情少用功力，引攝廣大無量善根；三者、菩薩方便善巧，於佛聖教憎背有情，除其恚惱；四者、菩薩方便善巧，於佛聖教處中有情，令其趣入；五者、菩薩方便善巧，於佛聖教已趣入者，令其成熟；六者、菩薩方便善巧，於佛聖教已成熟者，令得解脫。

> 菩薩がどのようにして、外部の成熟した一切の有情に対して、六つの巧みな方便を用いるのでしょうか。 第一に、菩薩の巧みな方便により、有情がわずかな善根をもって計り知れない果報を得られるように導くこと。 第二に、菩薩の巧みな方便により、有情がわずかな努力で広大な無量の善根を引き寄せ積み上げられるようにすること。 第三に、菩薩の巧みな方便により、仏の聖教に背き憎む有情の、その怒りや悩みを取り除くこと。 第四に、菩薩の巧みな方便により、仏の聖教に対して態度が定まらない有情を、その教えへと向かわせること。 第五に、菩薩の巧みな方便により、すでに仏の聖教へ向かった有情を、さらに成熟させること。 第六に、菩薩の巧みな方便により、仏の聖教においてすでに成熟した有情を、解脱へと至らしめること。

云何菩薩方便善巧，令諸有情以少善根感無量果？謂諸菩薩方便善巧，勸諸有情捨微劣物，乃至最下唯一󰉓團，施鄙穢田乃至蠢動傍生之類，作是施已，迴求無上正等菩提。如是善根，物田雖下，由迴向力，感無量果。

> どのように菩薩は巧みな手段を用いて、生きとし生けるものたちが少ない善い行いの根から計り知れない果報を得られるようにするのでしょうか。それは、菩薩が巧みな手段を用いて、生きとし生けるものたちに、ごくわずかなもの、たとえそれがほんの一口の食べ物のような最小のものであっても、それを粗末な対象や、這う虫のような生き物に施すよう勧めるのです。その施しを行った後、その功徳を無上の悟りを求める方向へと向け直します。こうした善い行いの根は、施す物も施しを受ける対象も劣っているとしても、その功徳を悟りへと向ける力によって、計り知れない果報をもたらすのです。

云何菩薩方便善巧，令諸有情以少功力，引攝廣大無量善根？謂諸菩薩方便善巧，若有信解受邪齋戒，乃至一月都不食等諸有情類，為說八支聖齋戒法，令其棄捨最極艱辛感非愛果受邪齋戒，勸令修學無極艱辛感大愛果受正齋戒。若諸有情修自苦行，精勤無懈，起邪方便欲求解脫，為說中道，令離二邊，使其趣入。

> どのように菩薩は巧みな手段を用いて、生きとし生けるものにわずかな努力で広大無量の善根を引き出させるのでしょうか。それは、菩薩が巧みな手段を用いて、もしも邪な斎戒を信じ受け入れ、一か月もの間断食するなどの修行をしている生きとし生けるものに対して、八つの聖なる斎戒の方法を示し、彼らが最も辛苦し、愛されない結果を招く邪な斎戒を捨てさせ、それほど辛苦せずに大きな愛される結果を得る正しい斎戒を修行するよう勧めることです。また、生きとし生けるものの中には、自ら苦行を修め、怠ることなく精進しながらも、邪な手段を用いて解脱を求めている者には、中道を説き、両極端を離れさせ、正しい道へと導くのです。

若諸有情求欲生天，起邪方便，投巖、赴火、斷飲食等，為其宣說無倒靜慮，令彼獲於現法樂住，逮得當來無諸艱苦、與喜樂俱生天勝果。若諸有情信婆羅門吠地迦呪，妄計精勤受持、讀誦得究竟淨，方便勸令於佛聖教受持、讀誦、思惟其義。又正為他如是如是宣揚開示如來所說甚深空性相應妙法，令彼發生勇決厭離猛利淨信。但由如是一剎那頃厭離淨信俱行善心，尚能攝受不可稱數廣大善根，況其相續。

> もしも人々が天に生まれようと願い、誤った手段に走り、崖から飛び降りたり、火の中に身を投じたり、飲食を断ったりするようなことがあれば、彼らに正しい静慮（瞑想）を説き示し、今この世における安らかな境地を得させ、将来には苦しみのない、喜びと共にある天界の優れた果報を得させなさい。 もしも人々がバラモンのヴェーダの呪文を信じ、誤ってそれを熱心に唱え、読み、誦して究極の清浄を得られると思い込んでいるならば、巧みに彼らを勧めて、仏の聖なる教えを受け、読み、誦し、その意味を深く考えさせなさい。 また、他の人々のために、如来が説かれた非常に深遠な空性の理にかなった素晴らしい教えを、正しくこのように宣べ伝え、開き示しなさい。そうすることで、彼らに勇気ある決意と厭離の心、そして強力な清らかな信仰を起こさせなさい。 このような一瞬の間でも、厭離の心と清らかな信仰を伴った善い心が生じれば、計り知れないほどの広大な善根を集めることができる。ましてや、その心が途切れずに続くならば、なおさらである。

又諸菩薩，世間所有種種上妙珍寶、香鬘、諸供養具，起淨信俱增上意樂，於佛法僧勝解供養，亦勸導他令行如是勝解供養。又於十方一切世界，一切供養佛法僧所，即以如是淨信俱行增上意樂，周匝普緣，深生隨喜，亦勸導他作是隨喜。又諸菩薩，恒常修習念佛、念法，乃至念天，亦勸導他令修六念。

> さらに菩薩は、世の中にある様々な素晴らしい宝や香り、花飾り、その他あらゆる供養の道具を用いて、清らかな信と深い志を共に起こし、仏・法・僧の三宝を深く理解して供養し、また他者にも勧めて、このような理解に基づく供養を行わせるのです。 また、十方のあらゆる世界において、仏・法・僧に対して行われる供養をすべて、そのような清らかな信と共にある深い志をもって、広くすべてに思いを巡らせ、深く心から喜び、また他者にも勧めて、このような随喜をさせるのです。 さらに、菩薩は常に、仏を念じ、法を念じ、さらには天を念じることに至るまで、六念を修習し、また他者にも勧めて、この六念を修行させるのです。

又諸菩薩，意言分別禮佛法僧，乃至命終時無虛度，亦勸導他行此禮業。又諸菩薩，普於十方一切有情一切福業悉皆隨喜，亦勸導他作是隨喜。

> さらに、菩薩たちは心と思い（意言）をこめて、仏・法・僧の三宝に礼拝します。その礼拝は、命終わる時まで無駄になることはありません。また、他の人々にもこの礼拝の行いを勧めます。 さらに、菩薩たちは、十方のあらゆる生きとし生けるものが積んだ、すべての善い行い（福業）を心から喜び、その喜びを他の人々にも勧めます。

又諸菩薩，普於十方一切有情，入廣大悲增上意樂，願以自身皆代彼受一切憂苦，亦勸導他興此悲願。

> また、すべての菩薩は、十方のあらゆる有情に対して、広大な悲しみの心と強い願いを持って、自らの身をもって彼らのすべての苦しみを代わりに受けようと願い、さらに他の人々にもこの慈悲の誓いを起こすよう勧めています。

又諸菩薩，過去現在一切誤失、一切違犯，以淨調柔愛樂隨順所學戒心，想對十方佛世尊所，至誠發露，悔往修來，亦勸導他令行是事。如是數數發露所犯，少用功力，一切業障皆得解脫。

> また、すべての菩薩たちは、過去・現在におけるあらゆる過ちや違反を、清らかで柔和な心、戒律を喜んで学び従う心をもって、十方の仏世尊に向かい、心から告白し、過去を悔いて未来に向けて修行するのです。また、他の人々にもこの行いを勧めます。このように何度も過ちを打ち明けることで、わずかな努力で、すべての業の障りから解き放たれます。

又諸菩薩，已具神通得心自在，普於十方佛法僧所及有情處，化作眾多種種化事，攝受無量大福德聚。

> また、菩薩たちはすでに神通力を備え、心の自在を得ています。そして、あらゆる方向の仏・法・僧の教えや生きとし生けるものに対して、さまざまな姿に変化して多くの教化の行いを行い、計り知れない大きな福徳の集まりを受けています。

又諸菩薩，恒常修習慈、悲、喜、捨，亦勸導他作此修習。如是菩薩以少功力，引攝廣大無量善根諸勝妙果。

> また、菩薩たちは常に慈・悲・喜・捨の四つの心を修め、また他の人々にもこの修行を勧めます。このように菩薩はわずかな努力で広大で無量の善根と勝れた果報を引き寄せ、得ることができるのです。

云何菩薩方便善巧，於佛聖教憎背有情，除其恚惱；處中住者，令其趣入；已趣入者，令其成熟；已成熟者，令得解脫？

> 菩薩の方便の巧みさとはどのようなものか。仏の聖なる教えに背き、憎しみを抱く者に対しては、その怒りや悩みを取り除き、中道に留まる者には教えに入るよう導き、すでに入った者には悟りを成熟させ、成熟した者には解脱を得させることである。

謂諸菩薩，為欲成辦如是四種有情義利，當知略說復有六種方便善巧。一者、隨順會通方便善巧，二者、共立要契方便善巧，三者、異分意樂方便善巧，四者、逼迫所生方便善巧，五者、施恩報恩方便善巧，六者、究竟清淨方便善巧。

> 諸々の菩薩が、この四種の有情の利益を成し遂げようとするなら、そのために簡潔に説けば、さらに六つの巧みな手段があると知るべきです。 第一に、相手に合わせて教えを分かりやすく説く巧みな手段。 第二に、約束を取り決める巧みな手段。 第三に、立場や心の向きを変えて導く巧みな手段。 第四に、差し迫った状況を生かす巧みな手段。 第五に、恩恵を施し、その恩に報いる巧みな手段。 第六に、究極的に清らかになる巧みな手段。

云何菩薩隨順會通方便善巧？

> どのように菩薩は、道理にかなった方法で巧みに導くのでしょうか。

謂諸菩薩，於彼有情將為說法，先當方便隨順現行軟美身語，亦復現行近施隨轉，除彼於己所生恚惱；彼恚惱除，便生愛敬。愛敬生已，於法起樂；然後為其宣說正法。所說正法，如其所宜，易入易解，應時漸次，無有顛倒，能引義利，堪任難擊。於彼有情調伏事中，成就最勝欲作饒益哀愍之心，為現神通、記心、顯說如理正法。或勸請他，或為化作種種眾多殊特化事，令彼有情皆悉調伏。若引義利極略諸論，能為廣辯；若引義利極廣諸論，能為略說，令其受持。為作憶念，施其問難。彼既於法能受能持，復進為其廣開正義。又於趣入遍緣一切三摩地門，能為隨順教授教誡，攝益有情令修利行。

> 菩薩は、教えを説こうとする者に対して、まずは巧みな方便を用いて、柔和で優しい言葉と態度で接し、喜捨の心を持って行動します。そうすることで、相手の心にわだかまりや怒りが生じるのを防ぎます。その怒りが取り除かれると、相手は自然と敬愛の念を抱くようになります。敬愛の心が生まれた後、その人は教えに対して喜びを感じるようになります。そして、その後に初めて、正しい教えを説き明かします。 説かれる教えは、相手に適したものであり、理解しやすく、受け入れやすいものでなければなりません。また、時機に応じて段階的に示され、道理に反することなく、真の利益をもたらすものであり、いかなる反論にも耐え得るものでなければなりません。 このようにして、菩薩は相手を調伏するにあたり、最も優れた利益を施そうとする慈しみの心を成就します。そのために、神通力を示したり、心の状態を見極めたり、理にかなった教えを説いたりします。あるいは、他の人に勧めて教えを説かせたり、様々な特別な教化の手段を講じて、相手を皆、調伏させます。 もし、簡潔な教えが利益をもたらすなら、それを詳しく解説します。また、詳細な教えが利益をもたらすなら、それを簡潔にまとめて、相手が理解し、習得できるようにします。さらに、教えを記憶させるために問答を仕掛け、相手が教えを受け入れ、保持できるようになったら、その正しい意味をさらに深く広く説き明かします。 また、あらゆる三昧（瞑想）の境地に入るための教えと戒めを、相手の状況に合わせて与え、その利益となる修行へと導きます。

若諸有情，於佛所說甚深空性相應經典，不解如來密意義趣。於此經中，說一切法皆無自性、皆無有事、無生無滅，說一切法皆等虛空、皆如幻夢。彼聞是已，如其義趣不能解了，心生驚怖，誹謗如是一切經典，言非佛說。菩薩為彼諸有情類，方便善巧如理會通，如是經中如來密意甚深義趣，如實和會，攝彼有情。

> もし生きとし生けるものの中で、仏が説かれた甚深なる空性に相応する経典について、如来の密意ある趣旨を理解できない者がいるならば、この経典の中で「すべての法には自性がなく、すべてに実体はなく、生もなく滅もなく、すべての法は虚空の如く、幻や夢の如し」と説かれているのを聞いて、その意味するところを正しく理解できず、心に驚き恐れを抱き、このような一切の経典を誹謗して「これは仏の説かれたものではない」と言うでしょう。菩薩はそのような生きとし生けるものたちのために、巧みな方便をもって理にかなった形で解き明かし、この経典の中における如来の密意ある甚深な義趣を、あるがままに調和させて理解させ、その生きとし生けるものたちを摂受するのです。

菩薩如是正會通時，為彼說言：此經不說一切諸法都無所有，但說諸法所言自性都無所有。是故說言一切諸法皆無自性。雖有一切所言說事，依止彼故諸言說轉，然彼所說可說自性，據第一義非其自性。是故說言一切諸法皆無有事。一切諸法所言自性，理既如是從本已來都無所有，當何所生、當何所滅。是故說言一切諸法無生無滅。譬如空中有眾多色、色業可得，容受一切諸色、色業。謂虛空中，現有種種若往、若來、若住，起墮屈伸等事。若於爾時，諸色、色業皆悉除遣；即於爾時，唯無色性清淨虛空其相顯現。如是即於相似虛空離言說事，有其種種言說所作邪想分別隨戲論著，似色業轉。又即如是一切言說邪想分別隨戲論著似眾色業，皆是似空離言說事之所容受。若時菩薩以妙聖智，遣除一切言說所起邪想分別隨戲論著；爾時菩薩最勝聖者，以妙聖智證得諸法離言說事，唯有一切言說自性非性所顯，譬如虛空清淨相現。亦非過此有餘自性應更尋求。是故宣說一切諸法皆等虛空。又如幻夢，非如顯現如實是有，亦非一切幻夢形質都無所有。如是諸法，非如愚夫言說串習勢力所現如實是有，亦非一切諸法勝義離言自性都無所有。由此方便悟入道理，一切諸法非有非無，猶如幻夢，其性無二。是故宣說一切諸法皆如幻夢。如是菩薩，普於一切諸法法界不取少分、不捨少分、不作損減、不作增益、無所失壞。若法實有，知為實有；若法實無，知為實無；如其所知，如是開示。

> 菩薩がこのように正しく会通する時、その者にこう説く──この経典は、一切の諸法が全く無いと説くのではない。ただ、諸法において「言葉で表される自性」が全く無いと説くのである。故に「一切の諸法には自性がない」と説く。たとえ言葉で語られる事柄が存在し、それに依って様々な言説が生じても、その語られる事柄の「語られうる自性」は、第一義においては自性ではない。故に「一切の諸法には事（実体）がない」と説く。一切の諸法の言葉で表される自性は、この道理の通り、本来より全く無いのであるから、何が生じ、何が滅するだろうか。故に「一切の諸法は無生無滅である」と説く。 例えば、虚空の中に多くの色や色の働きが存在し、虚空はそれら一切の色や色の働きを受け容れる。すなわち虚空の中に、来たり、去ったり、留まったり、起き上がり、落下し、曲げ伸ばしするなどの様々な事柄が現れる。もしその時、諸々の色や色の働きが全て取り除かれたならば、その時ただ、無色なる性質の清らかな虚空の相だけが現れる。 このように、言葉を離れた事柄という「似たような虚空」には、様々な言葉による所作や誤った想いによる分別や、戯論（あそびの議論）に執着する心が、色の働きのように生じる。さらにまた、これら一切の言葉による所作や誤った想い・分別・戯論への執着は、色の働きのように、言葉を離れた事柄という「似た虚空」によって受け容れられている。 もし菩薩が、優れた聖なる智慧によって、言葉に起因する誤った想い・分別・戯論への執着をすべて除き去るならば、その時、この最勝なる聖者たる菩薩は、その智慧によって、諸法の「言葉を離れた事柄」を悟る。そこにはただ、すべての言葉で表される自性が自性ではないことによって顕れる、例えば虚空の清らかな相が現れるのである。そして、これを超えて、さらに求めるべき別の自性は存在しない。故に「一切の諸法は虚空に等しい」と説く。 また、例えば幻や夢は、そのように顕れる通りに実在するのではない。しかし、一切の幻や夢の形象が全く無いわけでもない。諸法もまたこれと同じである。愚かな人々が言説に慣れ親しんだ力によって現れる通りに実在するのではない。しかし、一切の諸法の勝義（最高の真理）である「言葉を離れた自性」が全く無いわけでもない。このような方便によって道理に悟入すれば、一切の諸法は「有」でも「無」でもなく、幻や夢のように、その性質は二つではなく、一つである。故に「一切の諸法は皆、幻や夢のようである」と説く。 このように菩薩は、あらゆる諸法の法界（真理の領域）に対して、少しも取らず、少しも捨てず、損なうこともなく、付け加えることもなく、失い損なうこともない。もしある法が実に有るならば、それを「実に有る」と知り、もしある法が実に無いならば、それを「実に無い」と知り、その知るところの通りに、これを説き示すのである。

當知是名菩薩隨順會通方便善巧。

> これを、菩薩による真理への随順と、人々を導く巧みな方法（方便善巧）であると知るべきです。

云何菩薩共立要契方便善巧？

> 菩薩がどのようにして、互いに約束を交わす方便（上手な手段）を巧みに用いるのでしょうか。

謂諸菩薩，若見有情求飲食等十資身具，即便共彼立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，及諸沙門婆羅門等，廣說如前，乃至若能受持淨戒；如是我當隨汝所欲，施飲食等諸資身具，如其不能，我不施汝。如是菩薩，若見有情來求種種田事、宅事、諸闤闠事、王事、域事、財事、穀事，或有來求諸工業處及諸明處，或有來求共為朋友，或有來求共結婚媾，或有來求共作邑會，或有來求助營事業，菩薩共彼立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，如前廣說：如是我當施汝田宅，廣說乃至助營事業。又諸菩薩，若見有情有諸愆犯，或被舉訟；或作種種不饒益事，為他所拘，將欲刑縛、斷截、撾打、毀辱、迫脅、驅擯、流移；或他所執，欲捶、縛、賣。菩薩爾時隨能隨力立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，如前廣說；如是我當方便救汝，令脫斯難。又諸菩薩，若見有情遭遇種種王賊、水火、人及非人、不活、惡名諸怖畏等，爾時菩薩立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，如前廣說；如是我當方便救汝，令免斯畏。又諸菩薩，若見有情欲所愛會，求非愛離，爾時菩薩立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，如前廣說；如是我當遂汝所願，令所愛會及非愛離。又諸菩薩，若見有情為疾所苦，立要契言：汝等若能知父母恩，恭敬供養，如前廣說；如是我當救汝病苦，令得安樂。

> 菩薩は、もしも生きとし生けるものが、飲食などの生活に必要な十の品物を求めて来たなら、その者と次のような約束を結びます。「あなたたちが、父母の恩を知り、敬い、供養し、また沙門やバラモンなどを敬い供養するならば、先に広く説いたように、戒律を守り保つことができるならば、私はあなたたちの望みに応じて、飲食などの生活に必要な品々を施しましょう。もしそれができないなら、施しません。」 このように菩薩は、もし生きとし生けるものが、様々な田んぼの仕事、家の仕事、市場の仕事、王の仕事、都市の仕事、財産の仕事、穀物の仕事を求めて来たり、あるいは様々な技術や学問を求めて来たり、あるいは友達になることを求めて来たり、あるいは結婚を求めて来たり、あるいは村の集まりを作ることを求めて来たり、あるいは事業の手伝いを求めて来たなら、その者と約束を結びます。「あなたたちが父母の恩を知り、敬い、供養することができるなら、先に広く説いたように、私はあなたたちに田んぼや家を施し、さらに事業の手伝いをしましょう。」 また、菩薩は、もし生きとし生けるものに過ちがあり、訴えられたり、様々な不利益な行いをして捕らえられ、縛られ、断罪され、打たれ、辱められ、脅され、追放され、流罪にされようとしているのを見たり、あるいは他人に捕らえられ、打たれ、縛られ、売られようとしているのを見たなら、その時は自分の力に応じて、次のような約束を結びます。「あなたたちが父母の恩を知り、敬い、供養することができるなら、先に広く説いたように、私は方法を考えてあなたたちを救い、この苦難から逃れさせましょう。」 また、菩薩は、もし生きとし生けるものが、王や盗賊、水害、火災、人や非人、飢え、悪い評判などの様々な恐怖に遭遇しているのを見たなら、その時は次のような約束を結びます。「あなたたちが父母の恩を知り、敬い、供養することができるなら、先に広く説いたように、私は方法を考えてあなたたちを救い、これらの恐怖から逃れさせましょう。」 また、菩薩は、もし生きとし生けるものが、愛する者と会いたいと願い、愛さない者と別れたいと願っているなら、その時は次のような約束を結びます。「あなたたちが父母の恩を知り、敬い、供養することができるなら、先に広く説いたように、私はあなたたちの願いを叶え、愛する者との出会いと愛さない者との別れを実現しましょう。」 また、菩薩は、もし生きとし生けるものが病気に苦しんでいるなら、次のような約束を結びます。「あなたたちが父母の恩を知り、敬い、供養することができるなら、先に広く説いたように、私はあなたたちの病の苦しみを救い、安楽をもたらしましょう。」

彼諸有情，既為菩薩如是立要，於諸善品速疾受學，於諸惡品速疾除斷，菩薩皆能遂其所願。當知是名菩薩共立要契方便善巧。

> 諸々の生きとし生けるものたちは、菩薩がこのように誓いを立てたことで、善い行いを速やかに学び、悪い行いを速やかに断ち切ることができるようになります。菩薩は、その願いをすべて叶えてくれるのです。これを、菩薩が共に誓いを立てる巧みな手段（巧みな方法）と知るべきです。

云何菩薩異分意樂方便善巧？

> 如何にして菩薩は、異なる部分の意楽と方便・善巧（巧みな手段）を持つのでしょうか。

謂諸菩薩與諸有情立要契已，彼諸有情於上所說彼彼事中，不如所欲速疾修行，菩薩爾時於如上說彼所求事，皆不施與。唯為利益彼有情故，非餘意樂而不施彼。如是於其諸厄難處、諸怖畏處、欲所愛會、求非愛離、病苦所惱諸有情類，權時棄捨。唯為利益彼有情故，非異意樂而棄捨之、非異意樂而不救拔。如是菩薩，於諸有情方便現行剛捍業時，唯為利益，非餘意樂。漸令餘時如其所欲，斷除諸惡，修學諸善，是故方便權時棄捨。若諸有情於菩薩所，雖無所求，亦無眾難，廣說乃至無諸病苦，而與菩薩先為親厚。菩薩於彼隨宜勸導，斷諸惡法，修諸善法。所謂令彼知父母恩，恭敬供養，廣說乃至於淨尸羅隨順受學。若彼有情雖蒙菩薩如是勸導，故肆輕躁而不奉行，菩薩爾時自現憤責，唯欲利益，非憤意樂。於諸所作悉現乖背，唯為利益，非背意樂。或於一類，現與世間不饒益事，唯為利益，非損意樂。

> 菩薩たちは、あらゆる生きとし生けるものと約束を交わしたにもかかわらず、彼らが先に述べた様々な事柄について、望むままに速やかに修行しようとしない場合があります。そのような時、菩薩は先に約束したそれらの事柄を、一切施し与えません。それはただ彼らに利益をもたらすためであり、他の意図から施さないのではありません。 同様に、様々な苦難の場面、恐怖の場面、愛する人との別れや望まない者との出会い、病の苦しみに悩む生きとし生けるものに対して、一時的に見捨てることがあります。これもただ彼らに利益をもたらすためであり、他の意図から見捨てるのではなく、他の意図から救わないのでもありません。 このように、菩薩があらゆる生きとし生けるものに対して、方便として厳しい行いを行う時も、それはただ利益のためであって、他の意図からではありません。徐々に、ある時が来れば彼らが望むままに、諸々の悪を断ち、善を学び修行できるように導くための方便として、一時的に見捨てるのです。 また、ある生きとし生けるものが菩薩に何も求めず、苦難もなく、病の苦しみもないが、以前から菩薩と親しくしていたとします。菩薩はその者に対して、状況に応じて導き、悪い行いを断ち、善い行いを修めるよう勧めます。つまり、父母の恩を知り、敬い供養することなどを教え、さらに清らかな戒めに従って学び修行するよう促すのです。 もしその者が菩薩のこのような勧めにもかかわらず、軽々しく騒いで従おうとしないなら、その時菩薩は自ら怒りを現します。しかしそれはただ利益のためであり、怒りの心からではありません。一切の行いについて背く態度を示すのも、ただ利益のためであり、背く心からではありません。あるいはある者に対しては、世間では利益にならないように見える行いをすることもありますが、それもただ利益のためであり、損なわせようとする心からではありません。

如是菩薩，於諸有情現外所作，與內意樂相不同分；由是因緣，方便安處，令彼有情漸斷諸惡、漸修諸善。是故菩薩如是調伏有情方便，名為菩薩異分意樂方便善巧。

> このように菩薩は、他者に対して外には行いを現しながらも、内なる意図とは異なる面を持っています。そのような縁により、巧みな手段を用いて他者を導き、徐々に悪を断ち切り、善を修行させるのです。したがって、菩薩がこのように他者を調伏する巧みな手段を、「菩薩の異なる意図による巧みな方便」と呼びます。

云何菩薩逼迫所生方便善巧？

> どのように菩薩は、苦しみの中で生じる巧みな手段を持つのでしょうか？

謂諸菩薩，或為家主、或作國王，得增上力，於自親屬、於自臣民能正教誡。如應告言：諸我親屬、諸我臣民，若於父母不知恩報，廣說乃至毀犯戒者，我當斷其常所給賜衣服、飲食，或當捶罰，或我親屬當與乖離，或我臣民當永驅擯。立一善巧機捷士夫，於彼事業常令伺察。

> 諸々の菩薩は、あるいは家主となり、あるいは国王となって、優れた力を得て、自らの親族や臣民を正しく教え導くことができます。適切にこう告げるべきです。「我が親族、我が臣民よ。もし父母の恩を知らず、広く説けば戒を破る者たちよ、私は彼らに常に与えてきた衣服や飲食を断ち、あるいは打ち罰し、あるいは我が親族から離別させ、あるいは我が臣民から永久に追放しよう。」そして、一人の巧みで機敏な者を立て、その者の務めを常に監視させるのです。

由是因故，彼諸有情怖畏治罰，勤斷諸惡，勤修諸善。彼於修善雖無樂欲，由是方便，強逼令修。是故名為逼迫所生方便善巧。

> このような理由から、あの生き物たちは罰を恐れ、心から悪を断ち、善を修めるようになります。彼らは善を修めることに喜びや意欲がなくとも、このような手段によって無理やりに善を修めさせるのです。そのため、これを「逼迫によって生じた方便の巧みさ」と呼びます。

云何菩薩施恩報恩方便善巧？

> どのようにして菩薩は、恩を施し、恩に報いるための、巧みな方法を持つのでしょうか。

謂諸菩薩，先於有情隨力多少施作恩惠；或施所須，或濟厄難，或除恐怖，或會所愛，或離非愛，或療病苦，令得安樂。彼諸有情深知恩惠，欲報德者，菩薩爾時勸令修善，以受報恩。告言：汝等非餘世財來相酬遺，為大報恩；汝等若能知父母恩，恭敬供養，廣說乃至受持淨戒，如是乃名大報恩德。

> 菩薩はまず、すべての生きとし生けるものに対して、その力に応じて様々な恩恵を施します。必要なものを与えたり、苦難から救ったり、恐怖を取り除いたり、愛するものと会わせたり、嫌なものから離れさせたり、病の苦しみを癒して安心と喜びをもたらしたりします。そうして深く恩恵を感じ、恩返しを望む生きとし生けるものたちに対して、菩薩はその時に善行を積むように勧め、それが真の恩返しとなるのだと教えます。菩薩はこう言います。「あなたがたは、世の中の財産で私に報いるのではなく、大きな恩返しをしなさい。もし父母の恩を知り、敬い供養し、さらには清らかな戒律を守り続けるならば、それが真の大いなる報恩となるのです。」

菩薩如是於諸有情先施恩惠，勸讚修善名大報恩；由此方便，令他於善精勤修學。是故名為施恩報恩方便善巧。

> 菩薩はこのように、まずすべての生きとし生けるものに恩恵を施し、善を修めるよう勧め称えることで、これを「大いなる報恩」と名づけます。この方便によって、他者を善に精進して学ばせることができるのです。ですから、これを「恩を施し恩に報いる方便の巧みさ」と呼ぶのです。

云何菩薩究竟清淨方便善巧？

> どのようにして菩薩は究極の清らかさと、巧みな手段を備えるのでしょうか？

謂諸菩薩，安住菩薩到究竟地，於菩薩道已善清淨，先現往生覩史多天眾同分中。無量有情如是念言：某名菩薩，今已生處覩史多天眾同分中，不久當下生贍部洲，證得無上正等菩提。願令我等當得值遇，非不值遇，隨是菩薩所生之處，願令我等亦當往生。如是為令無量有情生正欲樂，為多修習此欲樂故。又是菩薩，從覩史多天眾中沒，來下人間，生於高貴、或族望家。所謂王家、若國師家。棄捨世間上妙欲樂，無所顧戀，清淨出家。令諸有情起尊敬故。又現誓受難行苦行。為令信解苦行有情捨所樂故。又證無上正等菩提。令餘有情，於所同趣菩提解脫欣殊勝故。又證無上正等覺已，未為有情即說正法，待梵天王躬來啟請。為諸有情於正法所起尊敬故。作是念言：當所說法定應殊妙，故今梵王悕望世尊說是法故，躬自來請。又以佛眼觀察世間，勿使有情作如是謗：但由梵王躬來啟請，敬梵王故，宣說正法，非於有情自起悲心；乃是為他之所激發，非自能了機宜可否。為欲壞彼一類有情如是邪執，先以佛眼觀察世間，然後為轉無上法輪，一切世間所未曾轉。如是更復宣說正法，制立學處。

> 諸菩薩は、菩薩の究竟地に安住し、菩薩道をすでに清らかに修めた後、まず兜率天の衆同分に往生する姿を現します。無量の有情たちはこう思います。「かの某という菩薩は、今や兜率天の衆同分に生まれ、まもなく閻浮提に降り立ち、無上正等菩提を証悟するであろう。どうか我等もその菩薩に必ず遇えますように。そして、その菩薩の生まれるところに、我等もまた往生できますように」と。このようにして、無量の有情に正しい欲楽を生じさせ、その欲楽を多く修行させるためです。 また、この菩薩は、兜率天の衆の中から没し、人間に降りて、高貴な家柄や名門の家に生まれます。すなわち王族の家や国師の家です。そして、世の優れた欲楽をすべて捨て、少しの執着もなく、清らかに出家します。これは有情たちに尊敬の心を起こさせるためです。 さらに、難行・苦行を自ら受け、誓います。これは苦行を信じ執着する有情たちに、その執着を捨てさせるためです。 そして、無上正等菩提を証悟します。これは他の有情たちが、同じく目指す菩提と解脱に対して、殊勝な憧れを抱くようにするためです。 また、無上正等覚を証した後、すぐに有情のために正法を説かず、梵天王が自ら来て請うのを待ちます。これは有情たちが正法に対して尊敬の心を起こすようにするためです。菩薩はこう思います。「これから説く法は、必ずや殊妙であるはずだ。なぜなら、梵王が自ら、世尊がこの法を説くことを願って請うからである」と。 さらに、仏眼で世間を観察します。これは、ある有情たちが「ただ梵王が自ら来て請うたので、梵王を敬って正法を説いたのであって、有情に対する自らの悲心によるのではない。他者に刺激されて動かされたのであり、自ら機宜の可否を悟ったわけではない」と謗るのを防ぐためです。そのような一部の有情の誤った執着を破るために、まず仏眼で世間を観察し、それから未曾有の無上法輪を転じます。こうして更に正法を説き、学処を制定するのです。

是名菩薩究竟清淨方便善巧。由此所說方便善巧，更無有餘方便善巧，在於此上若過若妙，是故說名究竟清淨。

> これをもって菩薩の究極の清らかさと巧みな方便と名づけます。このように説かれた巧みな方便より優れたもの、あるいはそれを超えるものは他にはありません。ゆえに、これを究極の清らかさと呼ぶのです。

如是菩薩所說六種若略若廣方便善巧，能除憎背聖教有情所有恚惱；處中住者，令其趣入；已趣入者，令其成熟；已成熟者，令得解脫。除此無有若過若增。

> このように、菩薩が説く六つの教え（六波羅蜜）を、簡潔に、あるいは詳細に説くこの巧みな方法は、仏の教えに背く心を持つ者たちの怒りや悩みを取り除き、中間に留まる者たちを教えへと導き入れ、すでに導かれた者たちを成熟させ、成熟した者たちを解脱へと至らせます。この教え以外に、これより優れたものや、付け加えるべきものは何もありません。

是名菩薩方便善巧。

> これが、菩薩の巧みな方便というものです。