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title: "瑜伽師地論 · 12目 四陀羅尼"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何菩薩妙陀羅尼？

> では、菩薩の妙なる陀羅尼（真言・総持）とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

當知如是妙陀羅尼略有四種。一者、法陀羅尼，二者、義陀羅尼，三者、呪陀羅尼，四者、能得菩薩忍陀羅尼。

> この素晴らしい陀羅尼（タラニ）には、おおまかに四つの種類があると知るべきです。第一に、教えに関する陀羅尼。第二に、その意味に関する陀羅尼。第三に、呪文の陀羅尼。第四に、菩薩の忍び（忍耐・悟りへの耐性）を得させる陀羅尼であります。

云何菩薩法陀羅尼？謂諸菩薩獲得如是念慧力持，由此力持，聞未曾聞，言未溫習、未善通利，名句文身之所攝錄，次第錯綜、次第結集無量經典，經無量時能持不忘。是名菩薩法陀羅尼。

> 菩薩の法陀羅尼とは何でしょうか。それは、諸々の菩薩が次のような念と慧の力を持つことをいいます。この力によって、未だ聞いたことのない教え、まだ繰り返し学習しておらず、よく精通していない教えであっても、名・句・文によって構成され、順序立てて整えられ、まとめられた無量の経典を、長い時間が経っても記憶に留め、忘れることがないのです。これを菩薩の法陀羅尼と呼びます。

云何菩薩義陀羅尼？謂如前說。此差別者，即於彼法無量義趣，心未溫習、未善通利，經無量時能持不忘。是名菩薩義陀羅尼。

> 菩薩の義陀羅尼（ぎだらに）とは何か。それは先に述べた陀羅尼の一種である。その違いは、教えの中にある無量の意味や趣旨について、心でまだ十分に慣れておらず、完全に理解しきっていなくても、長い時間が経っても記憶し忘れないことである。これを菩薩の義陀羅尼という。

云何菩薩呪陀羅尼？謂諸菩薩獲得如是等持自在，由此自在加被能除有情災患諸呪章句，令彼章句悉皆神驗，第一神驗，無所唐捐，能除非一種種災患。是名菩薩呪陀羅尼。

> 菩薩の呪陀羅尼とは、菩薩たちがこのような自在な心の統一（等持）を獲得し、その自在の力によって、人々の災いや苦しみを取り除くための様々な呪文や言葉に力を与え、それらの呪文や言葉をすべて神秘的に有効にし、第一の神秘的な効力を持ち、無駄になることがなく、さまざまな災いや苦しみを取り除くことができるものを言います。これを菩薩の呪陀羅尼と呼びます。

云何菩薩能得菩薩忍陀羅尼？

> どのように菩薩は、菩薩の忍び（忍耐）と陀羅尼（記憶力）を身につけることができるのでしょうか？

謂諸菩薩成就自然堅固因行，具足妙慧。

> 諸菩薩は、自然にして堅固な因行を成就し、見事な智慧をそなえている。

獨處空閑，寂無言說，曾無有物，見路而行。知量而食，不雜穢食，一類而食。常極靜慮，於夜分中少眠多寤。於佛所說得菩薩忍諸呪章句，能諦思惟。

> 閑静な場所に独りでいて、静かに言葉を発することなく、何ものにも執着せず、道を見て歩む。食する量を知り、汚れた食べ物を混ぜず、一種類の食べ物のみを摂る。常に深く静かに思いをめぐらせ、夜の間は眠りを少なくし、多くを起きて過ごす。仏の説かれた菩薩の忍び、諸々の陀羅尼の句を、真実に思い巡らし理解することができる。

其呪詞曰：

> その呪文の言葉はこうです。

壹胝　蜜胝　吉胝　毘羼底丁里反鉢陀膩　莎訶

> イチテイ　ミツテイ　キチテイ　ビセンタイ<note>丁里反</note>ハッタニ　ソワカ

即於如是呪章句義，審諦、思惟、籌量、觀察。彼於如是呪章句義如是正行，不從他聞，自然通達；了知如是諸呪章句都無有義，是圓成實，但唯無義；如實了知此章句義，所謂無義。是故過此，不求餘義，齊此名為妙善通達呪章句義。彼於如是呪章句義正通達已，即隨此義，不從他聞，自正通達一切法義。謂於此義如是通達，一切言說所說諸法自性之義皆不成實，唯有諸法離言自性是自性義。彼於諸法此自性義正通達已，過此、更無餘義可求。由於此義善通達故，獲得最勝廣大歡喜。

> そこで、この呪文の章句の意味について、しっかりと深く考え、熟考し、観察するのです。 そのようにして、呪文の章句の意味を正しく実践する人は、他人から教えられなくても、自然に悟りに達します。そして、これらの呪文の章句には全く意味がないこと、これは完全に成立した真理であり、ただ「無意味」であることだけを理解します。つまり、「この章句の意味とは、無意味であることだ」と、あるがままに知るのです。 ですから、それ以上先に他の意味を求めることはなく、ここに至って「呪文の章句の意味を巧みに完全に悟った」と名付けられます。 そのように呪文の章句の意味を正しく悟ったならば、その意味に従って、他人から聞かなくても、自らあらゆる法（すべてのものごと）の意味を正しく悟ります。つまり、この意味を悟った時に、あらゆる言葉で説かれるすべての法の自性（本質）という意味は、どれも実体として成立しないものであり、ただ言葉を離れた法の自性こそが、自性の真の意味であると知るのです。 彼は、諸法におけるこの自性の意味を正しく悟ったならば、その先には、もはや求めるべき他の意味はありません。この意味を巧みに悟ったことによって、最も優れた大きな歓喜を得るのです。

由是菩薩得陀羅尼，當言已得此陀羅尼章句所立菩薩勝忍。得此忍故，是諸菩薩不久當得淨勝意樂，已依上品勝解行地勝忍而轉。

> このようにして、菩薩は陀羅尼（総持）を得た。まさにこの陀羅尼の文句によって確立された、菩薩の優れた忍び（勝忍）を既に得たのである。この忍びを得たがゆえに、これらの菩薩たちはまもなく清らかで勝れた意楽（心の喜び）を得るであろう。すでに上品な勝解行地（すぐれた理解と修行の境地）における勝忍に依って、修行を進めているのである。

當知是名菩薩所有能得菩薩忍陀羅尼。

> このように知るべきである。これこそが、菩薩が獲得する菩薩忍（忍辱）の陀羅尼（総持）である、と名づけられるものである。

此中菩薩法陀羅尼、義陀羅尼，若過第一無數大劫，已入清淨勝意樂地，所得決定堅住廣大。從此以下，或以願力、或依靜慮，雖有獲得，而不決定，亦不堅住、亦不廣大。如說法義二陀羅尼，呪陀羅尼，當知亦爾。能得菩薩忍陀羅尼，如前所釋，即如是得。

> ここでの菩薩の「法陀羅尼」「義陀羅尼」について申し上げます。 第一の無數大劫を過ぎ、「清淨勝意樂地」に入ったならば、得たものは確固として変わりなく、広大なものとなります。 それ以前の段階では、願力や静慮の力によって得ることはあっても、それは確固としたものではなく、変わることもあり、また広大でもありません。 「法陀羅尼」「義陀羅尼」についてこのように説きましたが、「呪陀羅尼」についても同様と知るべきです。 「能得菩薩忍陀羅尼」については、前に説明した通りに得られるのです。

若諸菩薩具四功德，方獲如是諸陀羅尼，非隨闕一。何等名為四種功德？一者、於諸欲中，無所貪著。二者、於他勝事不生姤忌，不嫉他榮。三者、一切所求等施無悔。四者、於正法中，深生忻樂；忻樂法者，於菩薩藏及菩薩藏摩怛理迦深心愛樂。

> もし菩薩が四つの功徳を備えていれば、このような陀羅尼を得ることができるのであり、一つでも欠けることはありません。では、その四つの功徳とは何でしょうか。第一に、あらゆる欲望に対して、執着しないこと。第二に、他の人の優れた行いに対して、ねたみや嫉妬を起こさず、他者の栄誉を妬まないこと。第三に、求めるものすべてを惜しみなく施し、後悔しないこと。第四に、正しい教えに対して深く喜びを感じ、その教えを楽しむ者は、菩薩の経典とその注釈に対して深い心からの愛着と喜びを持つことです。