---
title: "瑜伽師地論 · 1目 五相五轉"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhuup04wnib04xvt60cvv"
---

應知此中，哀愍自性略有二種。一、在意樂，二、在正行。在意樂者，謂諸菩薩，於諸有情利益意樂、安樂意樂，是名哀愍。在正行者，謂諸菩薩，於諸有情如所意樂，隨力隨能身語饒益，是名哀愍。

> これらのうち、哀れみの本質には二つの種類があることを知るべきです。第一に心の向かうところにあり、第二に実際の行為にあります。 心の向かうところにおける哀れみとは、菩薩たちが生きとし生けるものに対し、利益をもたらそうとする心と、安楽を与えようとする心を持つことです。これが哀れみと呼ばれます。 実際の行為における哀れみとは、菩薩たちが生きとし生けるものに対し、その心にかなうように、自分の力や能力に応じて、身体と言葉で利益をもたらすことです。これが哀れみと呼ばれます。

愛語自性，謂如前說若慰喻語、若慶悅語、若勝益語，當知如前攝事品說。勇猛自性，謂諸菩薩剛決堅固，無所怯劣，有大勢力。

> 愛語の本質とは、先に述べたように、慰めの言葉、喜びの言葉、より良い方向へ導く言葉のことです。これらは、先の「摂事品」で説かれた通りと知るべきです。勇猛の本質とは、菩薩たちが剛毅で決断力があり、堅固にして臆するところがなく、大きな力を持つことです。

若諸菩薩廣大施性、無染施性，是名舒手惠施自性。

> もし菩薩たちが広大な布施の性質と、煩わしさのない清らかな布施の性質を備えているなら、それが「手を差し伸べて恵み施す」ことの本質なのです。

若諸菩薩四無礙解，及即於彼無倒引發正加行智，是名能解甚深義理密意自性。

> もしも菩薩たちが、四無碍解（四つの自在な理解力）と、それに基づいて誤りなく実践へと導く智慧を持つならば、これを「深い意味と道理、そして密意の本質を解き明かす力」と呼びます。

當知菩薩哀愍依處，略有五種。何等為五？一、有苦有情，二、惡行有情，三、放逸有情，四、邪行有情，五、煩惱隨眠有情。

> 菩薩の憐れみの拠り所には、大きく分けて五つあることを知るべきです。その五つとは何か？第一に、苦しんでいる者、第二に、悪い行いをする者、第三に、怠けている者、第四に、間違った道を歩む者、第五に、煩悩（ぼんのう）の眠れる種を持つ者です。

那落迦等所有有情，皆為苦受連綿相續逼切而轉，如是名為有苦有情。

> 地獄の生きとし生けるものはみな、絶え間なく続く苦しみに責め苛まれています。これこそが「苦しみある者」と呼ばれるのです。

或復有情雖非定苦，而多現行諸身惡行、諸語惡行、諸意惡行，於諸惡中喜樂安住。所謂屠養羊猪鷄等不律儀輩。如是名為惡行有情。

> あるいはまた、必ずしも苦しみに定まっているわけではないものの、多くの身・口・意における悪い行いを常に行い、その悪い行いに喜び楽しんでとどまる人々がいます。いわゆる羊や豚、鶏などを屠殺して生計を立てるような、戒律を守らない人々です。このような人々を「悪行の有情」と呼びます。

或復有情雖非定苦及行惡行，而於諸欲耽著受用，常樂安住種種俳優、歌舞、笑睇，以自娛樂。所謂一類受欲塵者。如是名為放逸有情。

> あるいはまた、必ずしも苦しみを感じているわけでも、悪い行いをしているわけでもないのに、様々な欲望に執着して楽しみをむさぼり、常に演劇や舞踏、歌や笑顔などで自らを楽しませている人がいます。いわゆる欲望の世界に浸っている人々のことです。このような人々を、「放逸な人」と呼びます。

或復有情雖非定苦、行惡、放逸，而依妄見修行種種苦解脫行。謂捨諸欲，於惡說法毘柰耶中而出家者。如是名為邪行有情。

> あるいは、また、必ずしも苦しみや悪行、放逸に定まっているわけではないが、誤った見解に基づいて様々な苦行の解脱行を修行する者もいる。 すなわち、様々な欲望を捨て、邪悪な教えや戒律のもとで出家する者たちである。 このような者を、邪行の有情という。

或復有情雖非定苦，廣說乃至非修邪行，而或具縛、或不具縛，為諸煩惱之所隨眠。謂正修行賢善異生及諸有學。是名煩惱隨眠有情。

> あるいは、また、必ずしも苦しみを感じているわけではない有情（生きとし生けるもの）についても、広く説けば、邪な行いを修しているわけではないが、煩悩の束縛をすべて持つ者、あるいはすべては持たない者のうち、煩悩の潜在的な力（隨眠）に染まっている者もいる。すなわち、正しく修行している凡夫の賢者や、有学（修行中の聖者）たちである。これらを「煩悩が隨眠する有情」と名付ける。

是名菩薩所有哀愍五種依處，由此依處、由此所緣，哀愍而轉。除此無有若過若增。

> これが菩薩が持つ哀れみの五つの拠り所です。これらの拠り所と縁に基づいて、哀れみが働きます。これより過ぎたり、増えたりすることはありません。

當知菩薩愛語依處，亦有五種。何等為五？一、正言論語，二、正慶悅語，三、正安慰語，四、正廣恣語，五、如理說語。如是廣辯，應知如前攝事品說。是名菩薩所有愛語五種依處，由此依處、由此所緣，愛語而轉。除此無有若過若增。

> 菩薩の愛語（思いやりのある言葉）には、よりどころとなる場所が五つあります。その五つとは、第一に「正しい論じ方の言葉」、第二に「正しく喜びを伝える言葉」、第三に「正しく慰める言葉」、第四に「正しく心を広げる言葉」、第五に「道理にかなった言葉」です。これらの詳しい説明は、前に述べた「摂事品」に書かれている通りです。 これらが、菩薩の愛語が生まれる五つのよりどころです。このよりどころと、この対象に基づいて、愛語は行われます。これ以上のものはなく、これを超えるものも、付け加えるものもありません。

當知菩薩勇猛依處，亦有五種。何等為五？謂即如前菩提分品所說菩薩堅力持性五種依處，當知此是菩薩勇猛五種依處。由此依處、由此所緣，勇猛而轉。除此無有若過若增。

> 菩薩の勇猛の依りどころにも、五つの種類があることを知るべきです。その五つとは何か。先に菩提分の品で述べた、菩薩の堅固な力と持する性質の五つの依りどころ、すなわちこれが菩薩の勇猛における五つの依りどころだと知ってください。この依りどころと、この対象によって、勇猛が働くのです。これ以外に、それ以上のものも、それに付け加えるものもありません。

當知菩薩舒手惠施，亦五依處。何等為五？一、數數惠施，二、歡喜惠施，三、慇重惠施，四、無染惠施，五、無依惠施。如是五種，如前施品廣辨應知。由此依處、由此所緣，菩薩舒手惠施而轉。除此無有若過若增。

> 菩薩が手を差し伸べて施しを行う際にも、五つのよりどころがあると知るべきです。その五つとは何か。第一に、繰り返し施しを行うこと。第二に、喜んで施しを行うこと。第三に、真心を込めて施しを行うこと。第四に、執着なく施しを行うこと。第五に、見返りを求めずに施しを行うこと。この五つについては、先に述べた布施の品（ほん）で詳しく説かれた通りです。これらのよりどころとこれらの対象によって、菩薩は手を差し伸べて施しを行うのです。これ以外に、これより優れたものや、これに加えるものはありません。

當知菩薩能解甚深義理密意，亦五依處。何等為五？

> 菩薩が深い真理と密意を理解するには、五つの拠り所があります。その五つとは何でしょうか？

謂於如來所說契經，隨順甚深甚深顯現空性相應、緣性緣起，應知是名第一依處。

> 如来の説かれた経典において、深くて、さらに深く顕れる空性と相応し、縁によって生じる道理に随順するもの、これを第一の依りどころと知るべきである。

於毘奈耶毀犯善巧、還淨善巧，當知是名第二依處。

> 教団の規則（ヴィナヤ）について、違反とその清め方を巧みに理解することが、第二の拠り所であると知るべきです。

於摩怛理迦，施設、建立無倒法相，當知是名第三依處。

> 摩怛理迦（論蔵）において、誤りのない法の相を立て、確立すること——これを第三のよりどころと知るべきである。

能正顯除意趣難解諸法相義，當知是名第四依處。

> 正に意図や趣旨を明らかにし、解くのが難しい諸法の相や意味を示すもの、これを第四の依り所と知るべきである。

於一切法，法、義、釋詞、品類差別，當知是名第五依處。

> あらゆる現象（法）について、その意味や解説、言葉の使い分け、そして種類の違いを正しく理解するための支え、それが第五のよりどころ（依処）であると知るべきです。

由此依處、由此所緣，菩薩能解甚深義理密意而轉。除此無有若過若增。

> このよりどころと、この対象によって、菩薩は深遠な義理と秘密の意図を悟り、それに従って行動することができます。これ以外に、それ以上でもそれ以下でもありません。

菩薩哀愍，於諸有情，最初能斷怨害嫌恨。菩薩哀愍，普於一切利有情事皆能修作，心無怯劣。於此加行甞無厭倦，多住哀愍，能攝無罪現法樂住及饒益他。

> 菩薩の慈しみは、すべての生きとし生けるものに対して、まず初めに怨みや憎しみを断ち切ることを可能にします。菩薩の慈しみは、あらゆる生きとし生けるもののためになることを広く行い、心に弱気や劣等感がありません。この修行において、決して飽きたり疲れたりせず、常に慈しみに留まり、罪のない現世での安らかな暮らしと、他者への利益をもたらす力を養います。

又如世尊所說修慈所得勝利，謂於現身毒藥、刀杖不加害等。如是一切菩薩哀愍，皆當了知。是名菩薩哀愍果利。

> また、世尊がおっしゃった慈しみの修行によって得られる功徳とは、現世において毒薬や刀や杖などが害を加えないということなどです。これらの全てを、菩薩の哀れみの働きとして、よく理解すべきです。これを菩薩の哀れみの果報といいます。

菩薩愛語，於現法中斷語四過。所謂妄語、離間、麁惡，及以綺語。由此愛語，於現法中能自攝受、能攝受他，安隱而轉。菩薩愛語，於當來世其言敦肅，言必信用。是名菩薩愛語果利。

> 菩薩の愛語は、現世において、言葉に関する四つの過ちを断ち切ります。すなわち、嘘をつくこと、仲違いをさせること、乱暴な言葉、そして無駄話です。この愛語によって、現世では自分自身を律し、他者をも導き、穏やかに生きていくことができます。また、菩薩の愛語は、来世において、その言葉が誠実で慎み深く、必ず人に信頼され用いられるものとなります。これが、菩薩の愛語による功徳の果報と呼ばれるものです。

菩薩勇猛，於現法中能離一切懶惰懈怠，心常歡喜；能受菩薩淨戒律儀，受已終無毀犯、退屈；能正堪忍，攝受自他。於當來世一切菩薩所起事業，稟性堅固，凡所造修若未成辦，終無懈退。是名菩薩勇猛果利。

> 菩薩は勇猛であり、現世においてあらゆる怠惰やなまけ心から離れ、心は常に喜びに満ちています。菩薩の清らかな戒めと規則を受け、それを一度受けたならば、決して破ることなく退くこともありません。また、正しく忍耐をもって自他を導き受け入れます。未来において、すべての菩薩がなすべき事業に対して、生まれつき堅固な性質を持ち、行うことのすべてが成就するまでは、決して怠けて退くことはありません。これを菩薩の勇猛なる果報の利得といいます。

當知菩薩舒手惠施、能解甚深義理密意所得果利，如威力品惠施威力、般若威力差別應知。是名菩薩舒手惠施、能解甚深義理密意二種果利。

> 菩薩が手を差し伸べて施しを行う時、その深遠な意味を理解することによって得られる果報と功徳は、『威力品』に説かれる施しの力と智慧の力の違いによって理解されるべきです。以上が、菩薩が手を差し伸べて施しを行うことと、深遠な義理の秘密の意味を理解することによる二つの果報と功徳です。

是名菩薩五相果利。

> これが菩薩の五つの相による果徳の利益である。

云何五相如是次第？謂諸菩薩，先修哀愍攝受有情，於彼顧念，欲作饒益。次修愛語，為彼有情出不善處安立善處，宣說正理，攝受教誨。次修勇猛，於已趣入諸有情類，若諸有情起諸邪行，種種煩惱變異事中皆能堪忍，為不棄捨安住種種正行、邪行諸有情故。是諸菩薩修勇猛已，一類有情以財攝受，能令成熟；一類有情以法攝受，能令成熟；一類有情以財、以法二種攝受，能令成熟。是故菩薩次後修習舒手惠施、能解甚深義理密意。當知是名菩薩五相前後次第。

> 五つの相には、なぜこのような順序があるのでしょうか。それは次の通りです。諸々の菩薩は、まず初めに、哀れみの心をもって有情を摂受し、彼らを顧みて、利益を与えようと欲します。次に、慈しみのある言葉（愛語）を修め、その有情を不善の状態から救い出し、善い状態に安立させるため、正しい道理を説き、教え導きます。次に、勇猛心を修めます。すでに仏道に入った有情たち、あるいは様々な邪行を起こす有情たち、種々の煩悩によって変異する事態においても、すべて堪え忍び、正行や邪行をなす様々な有情たちを捨てることなく、安住させるためです。これらの菩薩が勇猛心を修めた後、ある種の有情は財施によって摂受され、成熟させることができ、ある種の有情は法施によって摂受され、成熟させることができ、またある種の有情は財施と法施の両方によって摂受され、成熟させることができます。それゆえ、菩薩は次に、手を差し伸べて恵み施すこと（舒手恵施）、そして深い義理の密意を理解できることを修習します。これを、菩薩の五つの相の前後の次第と知るべきです。

問：菩薩五相，六到彼岸，何到彼岸攝何等相？答：菩薩哀愍，當知靜慮到彼岸攝；菩薩愛語，尸羅、般若到彼岸攝；菩薩勇猛，進、忍、般若到彼岸攝；菩薩所有舒手惠施，當知即施到彼岸攝；菩薩所有能解甚深義理密意，靜慮、般若到彼岸攝。

> 問う：菩薩の五つの相と六波羅蜜について、どの波羅蜜がどの相に含まれるのでしょうか？ 答える：菩薩の哀れみの心は、静慮波羅蜜に含まれると知るべきです。菩薩の愛語は、戒波羅蜜と般若波羅蜜に含まれます。菩薩の勇猛さは、精進波羅蜜、忍辱波羅蜜、般若波羅蜜に含まれます。菩薩の施しの手を差し伸べることは、布施波羅蜜に含まれます。菩薩の深い義理と密意を解する力は、静慮波羅蜜と般若波羅蜜に含まれます。