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title: "瑜伽師地論 · 1"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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問：勝解行住菩薩轉時，應知何行、何狀、何相？

> 問う：勝解行住の菩薩が修行を進めていくとき、どのような行い、様子、形があると知るべきでしょうか。

答：勝解行住菩薩轉時，思擇力勝；於諸菩薩所作加行，以分別慧數數思擇方能修作，未能任性成辦所作。未得堅固相續無退菩薩勝修。如於勝修，於勝修果種種無礙勝解、神通、解脫、等持、等至，亦未能得。未能超越五種怖畏。謂不活畏、惡名畏、死畏、惡趣畏、處眾怯畏。於所應作利有情事，策勵思惟方能修作，未能任性哀愍愛念。或於一時，於諸有情，由身語意發起邪行；或於一時，於諸境界發起貪著；或於一時，於資生具現有慳悋。信他諸佛菩薩而行，未能自內了知真實。謂於如來、或法、或僧、或真實義、或有情事、或佛菩薩神通威力、或因、或果、或應得義、或得方便、或於所行皆隨他信。成就狹小聞所成智、思所成智，而非無量。又即於此或時忘失，有忘失法。成就菩薩苦遲通行，於大菩提無猛利樂欲，無熾然精進，無有甚深牢固淨信。於其三處有忘失念。一、於境界可意、不可意色聲香味觸法中，或於一時其心顛倒，忘失正念；二、於受生彼彼身中，既受生已，忘失前生；三、於所受、所持諸法，久作久說，或於一時有所忘失。於是三處有忘失念。或於一時具足聰慧，於其諸法能受、能持，於其義理堪能悟入，或於一時則不如是。或於一時具足憶念，或於一時成忘念類。於諸有情未能了知如實調伏善巧方便，於自佛法亦未了知如實引發善巧方便。為他說法教授教誡，勉勵而轉；勉勵轉故，不如實知，或時虛棄、或不虛棄。如闇中射，或中不中，隨欲成故。或於一時，於大菩提雖已發心，而復退捨。或於一時，棄捨菩薩先所受學淨戒律儀，不能受學。或於一時，雖勤修習利有情事，而於中間生厭倦故，復還棄捨利有情事。由意樂故，欲令自樂；由思擇故，欲令他樂。於諸菩薩所有違犯，多分遍知，非數遍知、無餘永斷，由於毀犯數現行故。或於一時，於菩薩藏法毘奈耶他所引奪。或於一時，聞說甚深廣大法教而生驚怖，其心搖動、猶豫、疑惑。於諸有情，遠離一切現行大悲。於諸有情，少分現前利益安樂，未能廣大、未能無量。

> 答え：勝解行住の菩薩の位にあるときは、思惟と選択の力が優れている。諸々の菩薩のなすべき修行について、分別の智慧をもって何度も何度も思惟・選択して初めて修行し成就することができ、自然に任せて行いを成し遂げることはできない。まだ堅固で途切れることのない、退転しない菩薩の優れた修行を得ていない。優れた修行についてと同様に、その修行の果である、種々の障害のない勝解、神通、解脱、等持、等至についても、まだ得ることができない。また、五つの怖れを超越していない。すなわち、生きるための資糧がなくなる怖れ、悪い評判を受ける怖れ、死の怖れ、悪趣に堕ちる怖れ、大衆の前に出るのが怖いという怖れである。なすべき利益有情の事について、励まし思惟して初めて修行し成就することができ、自然に哀れみ愛念することはできない。ある時には、諸々の有情に対して、身・語・意によって邪な行いを起こすことがある。ある時には、諸々の境界に対して貪著を起こすことがある。ある時には、生活の資具に対してケチで惜しむことがある。他の諸仏・菩薩を信じて行うが、自己の内において真実を了知することはできない。すなわち、如来、または法、または僧、または真実の義、または有情の事、または仏菩薩の神通威力、または因、または果、または得るべき義、または得るための方便、または行うところについて、すべて他に従って信じる。狭い範囲での聞所成智、思所成智を成就しているが、無量ではない。また、これについてある時は忘失することがあり、忘失の法がある。菩薩の苦遅通行を成就しており、大菩提に対する猛烈な楽欲がなく、熾然たる精進がなく、甚深で牢固な浄信がない。三つの所において忘失の念がある。一、境界の可意・不可意なる色声香味触の法において、ある時にはその心が顛倒し、正念を忘失する。二、様々な身に受生して、受生した後に、前生を忘失する。三、受け持った諸々の法、長く行い長く説いたことについて、ある時には忘失することがある。これらの三つの所において忘失の念がある。ある時には十分な聡慧を具え、諸々の法を受けることができ、保持することができ、その義理を悟入することができるが、ある時にはそうではない。ある時には十分な憶念を具え、ある時には忘念の類となる。諸々の有情について、如実に調伏する善巧方便を了知しておらず、自己の仏法についても、如実に引き起こす善巧方便を了知していない。他のために法を説き、教授し教誡し、励まして転じさせる。励まして転じさせるがゆえに、如実に知らず、ある時には無駄になり、ある時には無駄にならない。暗闇の中で矢を射るように、当たることもあれば当たらないこともあり、思いのままに成そうとするからである。ある時には、大菩提に対してすでに発心したにもかかわらず、さらに退き捨ててしまうことがある。ある時には、菩薩が先に受学した浄戒律儀を捨てて、受学することができないことがある。ある時には、精進して利益有情の事を修行するけれども、その途中で厭倦を生じるゆえに、再び利益有情の事を捨ててしまうことがある。意楽によって、自己を楽にしようと欲し、思惟選択によって、他を楽にしようと欲する。諸々の菩薩のすべての違犯について、多くの場合は遍く知るが、しばしば遍く知るのではなく、無余に永断することはない。毀犯がしばしば現行するからである。ある時には、菩薩蔵の法と毘奈耶において、他に奪い引かれることがある。ある時には、甚深で広大な法教を聞いて驚怖を生じ、その心が動揺し、ためらい、疑惑する。諸々の有情について、すべての現行の大悲を遠離している。諸々の有情について、わずかな部分の利益安楽を現前させるが、まだ広大ではなく、まだ無量ではない。

於如上說一切圓滿菩薩學中，未能普學。於如上說一切圓滿菩薩諸相，未皆成就。於如上說一切圓滿二分菩薩正加行中，未等顯現。於如上說菩薩意樂，猶未清淨。於其無上正等菩提，自謂為遠，未於涅槃增上意樂安立深固。如於生死長時流轉，於其熾然、無動、妙善菩提分法，未能成就。

> 以上に述べた、あらゆる面で完全な菩薩の学びを、まだ十分に修めていない。 また、以上に述べた、あらゆる面で完全な菩薩の特徴を、まだすべて具えていない。 さらに、以上に述べた、二つの側面からなる菩薩の正しい修行において、まだ明確に現れていない。 そして、以上に述べた菩薩の思いやり（意楽）も、まだ清らかになっていない。 そのため、無上の正しい悟り（無上正等菩提）について、自分は遠い存在だと感じ、涅槃への強い意志が深く確立されていない。 その結果、長い間、生死を繰り返し流転しながらも、燃え立つように盛んで、動じることなく、見事に善い菩提の部分（菩提分法）を成就することができていない。

如是等類，當知是名勝解行住菩薩轉時，諸行狀相。

是諸菩薩勝解行住，下忍轉時，如上所說諸行狀相，當知上品；中忍轉時，如上所說諸行狀相，當知中品；上忍轉時，如上所說，當知下品，其性微薄。即於如是上忍轉時，於上所說諸行狀相，漸次能令無餘永斷，從此無間，當知菩薩入極喜住。

> これらの菩薩が勝解行の境地にあるとき、下位の忍を転じる段階では、先に述べたような諸々の行状や相は、上品であると知るべきです。中位の忍を転じる段階では、同じく先に述べた行状や相は、中品であると知るべきです。上位の忍を転じる段階では、先に述べた行状や相は、下品であり、その性質は微かで薄いものとなります。まさにこの上位の忍を転じる段階において、先に述べた諸々の行状や相は、徐々に完全に断ち尽くされるようになります。この状態から間を置かずに、菩薩は極喜地に入るものと知るべきです。

由得方便極喜住中，勝解行住所說諸法皆無所有，與彼相違所有一切白品諸法皆悉顯現。由諸菩薩成就此故，轉得名為淨勝意樂。勝解行住菩薩轉時，雖有少分軟中上品方便展轉清淨勝解，而未得名淨勝意樂。

> その方便（修行方法）により、「極めて喜ばしい境地」においては、それ以前の「理解と実践の境地」で説かれたすべての法は、実体として存在しないものと観じられます。そして、それとは反対の、あらゆる清らかな善なる法がはっきりと現れてきます。菩薩はこの境地を成就することによって、「清らかで優れた意志」を持つ者と改めて呼ばれるのです。 「理解と実践の境地」にある菩薩が修行を積む時、たとえ少しばかりの、下・中・上の段階に応じた方便が徐々に清らかになり、深い理解が得られたとしても、まだ「清らかで優れた意志」を持つ者とは呼ばれません。

何以故？由此勝解為彼多種諸隨煩惱染污而轉。極歡喜住菩薩住時，一切勝解諸隨煩惱皆悉永斷，離隨煩惱淨勝解轉。

> なぜかというと、この勝解（理解と信解）をもって、多くのさまざまな随煩悩（付随する煩悩）に染められて動いてしまうからです。 極めて喜びに満ちた境地（極喜地）に菩薩が住するときは、すべての勝解や随煩悩は完全に断ち切られ、煩悩から離れた清らかな勝解のみがはたらくのです。

問：極歡喜住菩薩轉時，應知何行、何狀、何相？

> 問：極喜地の菩薩が修行を進めるとき、どのような行い、あり方、特徴があると知るべきでしょうか？

答：若諸菩薩，從勝解行住入極歡喜住，先於無上正等菩提菩薩弘願，未善通達菩提自性，未善通達菩提方便，多分隨順他緣而轉，不善決定。除捨彼故，發起六相新善決定、內證修性菩薩大願。超過一切餘白淨願；無等不共，果是世間，超過一切世間境界；隨救一切有情苦故，不共一切聲聞、獨覺；雖一剎那生起此願，法性自爾能得菩薩無量白法可愛之果；又此大願無變無盡自性得已，無異因緣令其退轉、變異可得；又是勝分，墮後邊際極大菩提。如此菩薩善決定願，亦名發心。

> 答え：もしも菩薩が、勝解行の位から極喜地に入るとき、先に無上正等菩提に関する菩薩の大願について、菩提の自性を十分に通達しておらず、菩提の方便も十分に通達しておらず、多くは他縁に従って転じ、善く決定していません。それを捨て除くために、六つの相を持つ新たな善決定と、内証の修性である菩薩の大願を発起します。これは他のすべての清らかな願いを超え、比類なく、世間の果報でありながら、一切の世間の境界を超えています。一切の有情の苦しみを救うために、声聞や独覚と共通しません。この願いが一刹那に生じたとしても、法性は自然に菩薩に無量の清らかな法の愛すべき果報をもたらします。また、この大願は変わりなく尽きることのない自性であり、いったん得れば、退転させたり変化させたりする異なる因縁はありません。さらに、これは勝れた部分であり、後の辺際である極大菩提に堕ちるものです。このような菩薩の善決定の願いは、発心とも名づけられます。

又即如是菩薩發心，略由四相應當了知。何等為四？一者、何相菩薩發心？二者、發心何所緣慮？三者、發心何狀、何相、何自性起？四者、發心有何勝利？由此四相，應當了知菩薩發心。

> さらに、この菩薩の誓いの心（発心）は、大きく分けて四つの相によって理解すべきです。その四つとは何か？第一に、菩薩の誓いの心はどのような姿をしているのか。第二に、その心は何を対象とするのか。第三に、その心はどのような状態、形、本質から生じるのか。第四に、その心にはどのような功徳があるのか。この四つの相によって、菩薩の誓いの心を理解すべきです。

謂諸菩薩勝解行住，已善積集一切善根，於菩薩行已正超出。略說是相菩薩發心。

> ここで菩薩たちの「勝解行住」とは、すでに一切の善根をよく積み集め、菩薩としての修行を正しく超え出た境地を指します。簡潔に言えば、これが菩薩の発心のすがたです。

又諸菩薩，緣當來世無倒速疾一切菩提資糧圓滿，一切菩薩利有情事圓滿，無上正等菩提一切種一切佛法圓滿，諸佛所作事業圓滿。略說緣慮如是發心。

> また、菩薩たちは未来に向けて、正しく速やかにすべての菩提の資糧を満たし、すべての菩薩の衆生を利益する行いを完成させ、無上の正等菩提におけるあらゆる種類のすべての仏法を円満にし、諸仏のなすべき事業を成就することを縁として考えます。簡潔に言えば、このような心を縁として発心するのです。

又諸菩薩，無倒速疾發起一切菩提資糧，隨順於諸有情一切菩薩所作，隨順獲得無上正等菩提無師自然妙智，隨順遍一切種諸佛所作事業，隨順廣大願心。

> さらに、諸々の菩薩は、誤りなく速やかに一切の菩提の資糧を起こし、すべての有情（生きとし生けるもの）に対して菩薩の行いを施し、無上正等菩提（最高の悟り）を師なくして自然に得る妙なる智慧に順い、あらゆる種類の諸仏の事業に順い、広大な願いの心に順うのです。

又諸菩薩發是心已，超過菩薩凡異生地，證入菩薩正性離生，生如來家，成佛真子，決定趣向正等菩提，決定紹繼如來聖種。

> また、諸々の菩薩がこの心を発したならば、菩薩の凡夫や異生の地を超越し、菩薩の正しい性（本性）に入り、生死を離れ、如来の家に生まれ、仏の真の子となり、必ず正等菩提（完全な悟り）へと向かい、必ず如来の聖なる種を継承するのである。

又正獲得如實證淨，極多歡喜。於他有情遠離多分忿、害、鬪諍。於一切種菩薩所作利眾生事，於一切種菩提資糧圓滿，於一切種無上菩提一切佛法，於一切種佛所作事，以淨增上意樂，攀緣勝解趣入。於是諸法速疾圓證。自觀己身能正隨順，如是解了，極多歡喜。又自觀見妙善廣大，能引出離，無染無等，攝受饒益身心歡喜，於此無量熾然善法皆悉成就。又自了知：我於無上正等菩提，今已隣近，於大菩提我勝意樂已得清淨，我今已離一切怖畏。由是因緣，極多歡喜。

> まさに真実の浄らかな証を得て、限りない喜びが生じる。他の生きとし生けるものに対しては、怒りや害心や争いがほとんどなくなる。あらゆる種類の菩薩が行う衆生を益する事業、あらゆる種類の菩提の資糧の完成、あらゆる種類の無上の菩提とすべての仏法、あらゆる種類の仏の行うべき事業に対して、清らかで増上した意楽をもって、それらを縁として勝解に入る。これらの法を速やかに完全に証得する。自らの身が正しくこれに随順するのを観察し、そのように理解して、限りない喜びが生じる。また、自らの妙なる善が広大であり、解脱へと導き出し、汚れなく、比類なく、身心を摂受して益し喜ばせるのを観じ、この無量の熾然たる善法がすべて成就するのを知る。さらに自ら了知する。「私は無上の正等菩提に今や近づいた。大菩提に対して、私の勝れた意楽はすでに清らかとなった。私は今や一切の恐れを離れた」と。この因縁により、限りない喜びが生じる。

由諸菩薩已能發起善決定心，於五怖畏皆悉除斷。由善修習無我妙智，分別我想尚不復轉，況當得有分別我愛、或資生愛。由是因緣，無不活畏。由於他所無所悕望，常自發起如是欲樂；我當饒益一切有情，非於有情有所求覓。由是因緣，無惡名畏。由離我見，於我無有失壞想轉，故無死畏。自知死後，於當來世決定值遇諸佛菩薩，由此決定無惡趣畏。由意樂見一切世間，尚無有一與我齊等，何況殊勝，是故無有處眾怯畏。菩薩如是遠離一切五種怖畏，遠離一切聞說甚深正法驚怖，遠離一切高慢憍傲，遠離一切他不饒益種種邪行所起瞋恚，遠離一切世財貪喜。無染污故，無所憎背；有熾然故，無俗意樂；能圓滿證一切善法。

> 菩薩たちはすでに善き決定心を発起し、五つの恐怖をすべて断ち除いています。「無我」の妙なる智慧をよく修行したことにより、分別による「我」という考えすらもはや生じず、ましてや分別による我執や資産への執着が生じるはずがありません。この因縁により、生きることへの恐れはありません。他者に何も期待せず、常に自ら「私はすべての有情を利益しよう」という願望を起こし、有情に対して求めることはありません。この因縁により、悪名への恐れはありません。我見を離れているため、自分に対して「失う」「壊れる」という想いが生じず、ゆえに死への恐れもありません。死後、来世において必ず諸仏・菩薩に出会うと自ら知っているため、悪趣への恐れも決してありません。また、心の向かうところ、一切の世間において、自分と同等の者すらおらず、ましてや勝る者などいないと見るため、大衆の前での臆病さもありません。菩薩はこのようにして五つの恐怖をすべて遠く離れ、さらに、深遠な正法を聞いて驚き怖れることも遠く離れ、高慢や驕りも遠く離れ、他者からの不利益な様々な邪行によって起こる瞋恚も遠く離れ、世間の財産への貪りや喜びも遠く離れています。汚れがないために憎しみ背くこともなく、燃え盛るがごとくあるために世俗的な心の楽しみもなく、一切の善法を完全に証得するのです。

又現法中，能起菩薩一切精進，信增上力為前導故。於當來世，如前所說菩提分品十種大願，今即於此極歡喜住能具引發，由得清淨勝意樂故。

> また、現世においても、菩薩のあらゆる精進を起こすことができる。それは、信の増上力が前導となるからである。未来世においては、先に説いた菩提分の十種の大願を、この極めて喜ばしい境地において、今まさに具え引き起こすことができる。清らかな勝れた意楽を得たからである。

為欲供養最勝有情真實福田大師法主，是故引發第一大願。為欲受持彼所宣說無上正法，是故引發第二大願。為欲勸請轉未曾有妙正法輪，是故引發第三大願。為欲順彼行菩薩行，是故引發第四大願。為欲成熟彼器有情，是故引發第五大願。為欲往趣諸佛國土，奉見如來，承事供養，聽受正法，是故引發第六大願。為淨修治自佛國土，是故引發第七大願。為於一切在所生處，常不遠離諸佛菩薩，與諸菩薩常同一味意樂加行，是故引發第八大願。常為利益一切有情，曾不空過，是故引發第九大願。為證無上正等菩提，作諸佛事，是故引發第十大願。

> 最も勝れたる衆生、真実の福田たる師であり法主を供養せんがために、第一大願を起こす。 彼の説きたまう無上の正法を受持せんがために、第二大願を起こす。 未だ曾て無き妙なる正法の輪を転ぜんことを請願せんがために、第三大願を起こす。 彼に従い菩薩の行を修せんがために、第四大願を起こす。 その器なる有情を成熟せんがために、第五大願を起こす。 諸仏の国土に往き、如来を拝し、供養し奉り、正法を聴き受くべく、第六大願を起こす。 自らの仏国土を浄め修治せんがために、第七大願を起こす。 あらゆる生まれ出づる所において、常に諸仏菩薩を離れず、諸菩薩と同じく一味の意楽と加行を有せんがために、第八大願を起こす。 常に一切の有情を利益し、一度も空しく過ごすこと無からんがために、第九大願を起こす。 無上正等菩提を証し、諸仏の事を成さんがために、第十大願を起こす。

作是願言：如有情界展轉相續，終無斷盡；亦如世道展轉相續，終無斷盡；我此大願生生相續，乃至究竟菩提邊際，常不遠離、常不忘失、常不乖離。如是自誓，心發正願。

> このように願いを立てました。「すべての生きとし生けるものが、次々と生まれ変わり続け、決して尽きることがないように。また、世の中の道が次々と続き、決して尽きることがないように。私のこの大きな願いも、生まれ変わるたびに続いていき、悟りの境地に至る最後の瞬間まで、常に離れることなく、常に忘れることなく、常に背くことなくあり続けますように。」このように自ら誓い、心から正しい願いを発しました。

當知此中，前就所應願事起願，後即就願以起於願。

> この中で、前半では「願うべき対象」について願いを起こし、後半ではその「願いそのもの」に基づいてさらに願いを起こすことを、知るべきである。

如是菩薩十種大願以為上首，能生無數百千正願。

> このように菩薩の十種の大願が最も大切なものとされ、そこから無数の百千の正しい願いが生じるのである。

如是菩薩，於當來世具諸大願，於現法中發大精進。

> このように菩薩は、未来において大いなる願いを完成させ、現在の修行の中で大きな努力を精進します。

復有十種淨修住法，由是能令極歡喜住速得清淨。一者、於諸佛法深生淨信。二者、觀諸有情緣起道理，證得唯有純大苦蘊，發起大悲。三者、觀見彼已，自誓願言：我當令彼諸有情類，解脫如是純大苦蘊，得第一樂，發起大慈。四者、為欲救拔一切憂苦，自無顧戀；無顧戀故，能捨內外一切身財，於諸有情而行惠施。五者、為欲利益諸有情故，從他勤求世出世法，曾無厭倦。六者、無厭倦故，證得一切論智清淨，善知諸論。七者、善知論故，於劣中勝諸有情所，如應如宜而修正行，善解世間。八者、即於如是正加行中，依應時分量等正行，而修慚愧。九者、即於如是正加行中，得無退轉堅力持性。十者、以諸上妙利養恭敬及與正行，供養如來。是名十種淨修住法。由此能令極歡喜住速得清淨。所謂淨信、慈、悲、惠捨、無有厭倦、善知諸論、善解世間、修習慚愧、堅力持性、供養如來。

> さらに、菩薩の境地を清らかに保つ十の修行法があります。これにより、初めての菩薩の境地「極歓喜地」を速やかに清らかにすることができます。 一つ目は、すべての仏の教えを深く信じること。 二つ目は、すべての生き物が縁起の理法によって、ただ大きな苦しみの集まりであることを悟り、深い憐れみの心（大悲）を起こすこと。 三つ目は、そのことを見極めて、「私は彼らをこの大きな苦しみから救い出し、最高の幸せを与えよう」と自ら誓い、深い慈しみの心（大慈）を起こすこと。 四つ目は、すべての生き物の苦しみを救うために、自らに執着せず、内も外もすべての身や財産を惜しまず施しを行うこと。 五つ目は、生き物たちを利益するために、世間の法も出世間の法も惜しみなく学び求め、決して飽きたり疲れたりしないこと。 六つ目は、飽きずに学び続けることで、あらゆる論議を明らかにする智慧を清らかにし、諸々の教えを正しく理解すること。 七つ目は、教えを正しく理解した上で、能力が劣る者、中くらいの者、優れた者に、それぞれに応じて適切な修行を行い、世の中をよくわきまえること。 八つ目は、その正しい修行の中で、時と場に応じた適切な行いを身につけ、反省と慎みの心を修めること。 九つ目は、その正しい修行の中で、退くことのない強固な意志と忍耐力を身につけること。 十目は、最上の供物や敬い、そして正しい行いをもって、如来に供養すること。 これらを「十種淨修住法」といいます。これらによって、極歓喜地は速やかに清らかになります。すなわち、清らかな信、慈悲、施し、倦むことのない努力、教えを正しく知ること、世間をわきまえること、慚愧の修行、強い意志と忍耐、如来への供養、これらがその修行法です。

又諸菩薩，於此十法受學、隨轉、多修習已，復於餘九增上戒等諸菩薩住，從佛菩薩專精訪求一切種道功德、過失，及神通樂、無失壞道，善取其行、得、等流相，於一切住自然昇進，證大菩提。

> さらに、諸々の菩薩は、この十の法を学び、それに従って実践し、繰り返し修行した後、残る九つの増上戒などの諸々の菩薩の境地について、仏や菩薩から専門的に尋ね求めて、あらゆる種類の道の功徳と過失、そして神通の楽しみや欠損のない道を明らかにする。その行い、獲得、等流の特徴を正しく把握し、すべての境地において自然に進歩向上し、大いなる悟りを証得するのである。

為大導師，率領一切有情商侶，超度生死曠野嶮道。當知此中，諸行能入，說名為行；若正入時，說名為得；入已果利成辦圓證，說名等流。

> 大導師となり、一切の有情という旅の仲間を率いて、生死の荒野の険しい道を超え渡らせる。知るべきである、この中で、諸々の行が入ることを「行」と名づけ、正しく入ることを「得」と名づけ、入った後の果報の利益が成し遂げられ円満に証得されることを「等流」と名づける。

又諸菩薩住此住中，由二因緣現見諸佛。或由聽聞菩薩藏說，或由內心發起勝解，信有十方種種異名諸世界中，種種異名諸佛如來，由麁淨信俱行之心，求欲現見。如是求已，如實稱遂。當知是名第一因緣。又心發起如是正願：隨於彼彼諸世界中，有佛出現，我當往生。如是願已，如實稱遂。當知是名第二因緣。

> さらに、菩薩がこの境地に留まる時、二つの因縁によって諸仏を現に見る。 第一の因縁とは、菩薩蔵の教えを聞くことにより、あるいは内心で深い確信を起こし、十方に様々な名前の世界があり、様々な名前の仏如来がおられると信じ、粗い浄信を伴う心で、現に見ようと願うことである。このように願った後、実際にその通りになる。これが第一の因縁である。 第二の因縁とは、心に「あらゆる世界で仏が出現されるならば、私はそこに生まれたい」という正しい願いを起こすことである。この願いを起こした後、実際にその通りになる。これが第二の因縁である。

菩薩如是由麁淨信現見諸佛，由正願力現見諸佛；既得見已，隨力隨能興一切種恭敬供養，奉施種種上妙樂具。及於僧眾恭敬供養。於如來所聽聞正法，無倒受持，精進修行法隨法行。以四攝事成熟有情。一切善根悉皆迴向無上菩提。

> 菩薩は、このようにして粗い清らかな信によって、あるいは正しい誓願の力によって、諸仏を現に見ることができます。そして、諸仏を拝見した後は、自分の力の及ぶ限り、あらゆる方法で敬い供養し、様々な素晴らしい供物を捧げます。また、僧伽（そうぎゃ）の皆様にも敬い供養します。如来のもとで正しい教えを聞き、誤りなく理解して受け止め、熱心に修行して、教えに沿った行いを実践します。さらに、四摂事（ししょうじ）を用いて、人々を成熟させます。そして、すべての善い行いの功徳を、最高の悟り（阿耨多羅三藐三菩提）に向けて、余すところなく振り向けます。

由是三種清淨因緣，彼諸善根倍復明淨。謂於佛法僧供養攝受故，以四種攝事成熟有情故，以一切善根迴向菩提故。如是乃至無量俱胝那庾多百千大劫。

> この三つの清らかな因縁によって、あらゆる善い根（善根）はさらに輝き、清らかになります。 ① 仏・法・僧（仏法僧）に供養し受け入れること。 ② 四つの摂事（四摂事）によって人々を成熟させること。 ③ すべての善い根を悟り（菩提）に回向すること。 このようにして、数えきれないほどの長い時間（無量倶胝那庾多百千大劫）にわたって、その功徳は続くのです。

譬如世間黠慧工匠，以鑛性金置於火中，如如燒鍊，如是如是轉得明淨。

> 例えば、この世の中の賢い職人が、鉱石の中の金を火の中に入れて、何度も何度も焼き鍛えるほどに、次第に明るく清らかになるのと同じです。

如是淨勝意樂菩薩所有善根，由是三種清淨因緣，轉復明淨，當知亦爾。

> このように、清らかで勝れた意楽をそなえた菩薩のあらゆる善根は、これら三種の清らかな因縁によって、さらにいっそう明らかに清められるということも、同じように理解されるべきです。

又住於此，在在生處多作輪王，王贍部洲，得大自在。遠離一切所有慳垢，威被有情，調伏慳悋。諸四攝事所作業中，一切不離佛法僧寶，證一切種菩提作意。恒發願言：我當一切有情中尊，作諸有情一切義利所依止處。

> さらにこの境地に安住すれば、生涯の各所において多くの転輪聖王となり、閻浮提を治めて大いなる自在を得る。あらゆる貪りの汚れから遠く離れ、威徳をもって有情を教化し、吝嗇を調伏する。四摂事の行いのすべてにおいて、決して仏法僧の三宝を離れることなく、一切種智の菩提への志を証得する。常に「我は一切有情の最尊となり、すべての有情のあらゆる利益の拠り所とならん」と誓願を立てる。

若樂發起如是精進，棄捨一切家屬、財位，歸佛聖教，淨信出家。一剎那頃，瞬息須臾能證菩薩百三摩地。以淨天眼，能於種種諸佛國土見百如來。又即於彼變化住持、菩薩住持皆能解了。以神通力動百世界，身亦能往。放大光明周匝遍照，普令他見。化為百類，成熟百種所化有情。若欲留命，能住百劫。於前後際各百劫事，智見能入。蘊、界、處等諸法門中，於百法門能正思擇。化作百身，身身皆能現百菩薩眷屬圍繞。

> もし、このような精進を喜んで起こすならば、すべての家族や財産・地位を捨てて、仏の聖なる教えに帰依し、清らかな信をもって出家するであろう。 一瞬の刹那、またたく間のごく短い時間に、菩薩は百の三摩地を証得する。 清らかな天眼をもって、様々な仏の国土にある百の如来を見ることができる。 また、その仏たちの変化した住持や、菩薩の住持をことごとく理解し悟ることができる。 神通力をもって百の世界を動かし、自身の身もそこに赴くことができる。 大いなる光明を放ち、あまねくすべてを照らし、他の者たちにも見えるようにする。 百の種類に変化して、百種の教化すべき有情を成熟させる。 もし寿命を留めたいと望めば、百劫の間とどまることができる。 過去と未来のそれぞれ百劫の出来事について、智慧と見解をもってその内に入ることができる。 蘊・界・処などのすべての法門のうち、百の法門について正しく思索し選び取ることができる。 百の身に変化し、その一つ一つの身が、百の菩薩の眷属に囲まれて現れる。

自茲以去，是諸菩薩由願力故，當知無量威力神變，安住如是極歡喜住諸菩薩眾願力增上，能引無量殊勝正願所作神變。如是正願，乃至俱胝那庾多百千大劫，不易可數。

> この先、これらの菩薩たちは願いの力によって、無量の力強い神通変化を起こすことを知るべきである。この極めて喜ばしい境地に安住する菩薩たちは、願いの力が増上し、無量の優れた正しい誓いとそれによって生じる神通変化を導き出すことができる。このような正しい誓いは、たとえ無限の長い劫の間でも、容易に数え尽くすことはできない。

當知是名略說菩薩極歡喜住。謂善決定故，四相發心故，發起精進引發正願故，淨修住法故，開曉餘住故，修治善根故，受生故，威力故。

> これを、菩薩の「極めて歓喜する境地（極歓喜地）」についての略説と知るべきです。すなわち、善き決定があること、四つの相をもって発心すること、精進を起こして正しい願いを引き起こすこと、住する法を清らかに修めること、他の住する境地を開き明かすこと、善根を修め整えること、生を受け継ぐこと、そして威力があること、これらをもって説かれています。

若廣宣說，如十地經極喜地說。

> 広く説けば、例えば『十地経』の歓喜地の説示のようなものです。

彼十地經廣所宣說菩薩十地，即是此中菩薩藏攝摩怛理迦略所宣說菩薩十住。如其次第，從極歡喜住，乃至最上成滿菩薩住。應知此中，由能攝持菩薩義故，說名為地；能為受用居處義故，說名為住。

> あの『十地経』で広く説かれている菩薩の十の境地は、まさにこの中で菩薩蔵に収められた摩怛理迦（論蔵）が簡潔に説くところの、菩薩の十の住である。順を追って、極めて喜ばしい住から、最上の完成に至る菩薩の住に至るまでを説く。ここで知るべきは、菩薩の意義を捉え支えるものであるから「地」と名づけられ、受け入れ享受する居所という意味から「住」と名づけられるということである。

## 瑜伽師地論卷第四十七

> 瑜伽師地論 第四十七巻