---
title: "瑜伽師地論 · 2"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zhvpn0510ib04qmzu51ia"
---

## 瑜伽師地論卷第四十八

> 瑜伽師地論 第四十八巻

彌勒菩薩說

> 弥勒菩薩の教え

三藏法師玄奘奉　詔譯

> 三蔵法師玄奘奉詔訳

### 本地分中菩薩地第十五第二持隨法瑜伽處住品第四之二

> 第四品の続き

問：增上戒住菩薩轉時，當知何行、何狀、何相？

> 問う：増上戒住の菩薩が位を転じるとき、どのような行い、どのような状態、どのような相があると知るべきでしょうか。

答：若諸菩薩，先於極歡喜住，由十種心意樂，已得意樂清淨。何等為十？一者、於一切師長尊重福田，不行虛誑意樂；二者、於同法菩薩忍辱柔和，易可共住意樂；三者、勝伏一切煩惱及隨煩惱眾魔事業，心自在轉意樂；四者、於一切行深見過失意樂；五者、於大涅槃深見勝利意樂；六者、於諸妙善菩提分法，常勤修習意樂；七者、即於彼修為隨順故，樂處遠離意樂；八者、於諸世間有染尊位利養恭敬，無所顧戀意樂；九者、遠離下乘，趣證大乘意樂；十者、欲作一切有情一切義利意樂。如是十種無倒意樂依心而轉，是故說為意樂清淨。

> （答え）菩薩は、まず極めて喜ばしい境地である「極喜地」において、十種類の心構えによって、すでに清らかな心構えを得ている。 その十種類とは何か。 第一に、すべての師匠や尊敬すべき福田（めぐみの種）に対して、偽りの心を持たないという心構え。 第二に、同じ教えを修行する菩薩に対して、忍辱（にんにく）の心と柔和さをもって、共に住みやすい心構え。 第三に、すべての煩悩とその仲間である小さな煩悩、さらに魔のわざわいを打ち負かし、心を自在に保つという心構え。 第四に、すべての行い（現象）に深い過失を見るという心構え。 第五に、大涅槃（だいねはん）に深い優れた利益を見るという心構え。 第六に、あらゆる善い菩提（さとり）のための教えを、常に修行するという心構え。 第七に、その修行を順調に進めるために、静かな場所にいることを喜ぶという心構え。 第八に、世間における名誉や高い地位、利益や敬いに対して、何の執着もないという心構え。 第九に、劣った教え（小乗）から離れて、大乗のさとりを目指すという心構え。 第十に、すべての生きとし生けるもののために、あらゆる利益を成し遂げようとする心構え。 このように、十種類の正しい心構えが心に従って働くので、これを「心構えの清らかさ」と言うのである。

即由如是十種意樂成上品故，極圓滿故，是諸菩薩入證第二增上戒住。於此住中，性戒具足。極少邪惡業道所攝諸惡犯戒尚不現行，況中上品。又於十種圓滿業道，自性顯現。菩薩如是性戒具足，能以妙慧，於染不染、惡趣善趣，及諸乘中諸業現行、若因若果、修證安立，如實了知。於異熟果及等流果如是諸業，如實了知。自能現斷諸不善業，自能現受一切善業。即於其中樂勸導他，能正勸導。於其種種不平等業現行過失之所染污諸有情界，若興若衰，等無差別，一切皆墮第一義苦，並住艱辛，種種艱辛之所逼切，甚可哀愍。於彼獲得廣大哀愍，如實觀照。

> このような十種の意楽が上品となり、極めて円満となることによって、菩薩たちは第二の増上戒住を証得する。この住においては、その本性として戒が具わっている。わずかな悪業の道に属する悪しき犯戒でさえも現れず、まして中品や上品のものはなおさらである。また、十種の円満な業道が自ずと顕現する。 菩薩はこのように本性として戒を具え、優れた智慧をもって、染汚と無染汚、悪趣と善趣、さらには諸々の乗における諸々の業の現れとその因・果、さらに修行と証得や安立について、如実に了知する。異熟果や等流果といった諸々の業についても、如実に了知する。自ら進んで不善の業を断ち切り、自ら進んで一切の善業を受け入れる。そして、その中で喜んで他者を勧め導き、正しく勧め導くことができる。 様々な不平等な業が現れる過失によって染まっている諸々の有情の世界において、その盛衰が等しく差別なく、全てが第一義の苦に堕しており、なおかつ艱難辛苦にとどまり、様々な艱難に迫られ悩まされていることを、まことに哀れむべきものと観じる。それらに対して広大な哀愍の心を得て、如実に観照する。

是諸菩薩安住如是增上戒住，廣見諸佛、善根清淨，如前應知。此差別者，謂如世間善巧工匠，以所鍊金置迦肆娑，置於火中數數燒鍊，轉更明淨。如是菩薩善根清淨，當知亦爾。

> これらの菩薩たちは、このような増上戒の境地に安住し、広く諸仏を拝見し、善根を清らかにする。その詳細は、前に述べた通りである。その違いとは、例えば世間の巧みな工匠が、精錬した金を迦肆娑に入れ、火の中に置いて何度も焼き錬し、さらに明るく清らかにするようなものである。菩薩の善根が清らかになるのも、また同様であると知るべきである。

於此住中，淨心意樂成滿趣入。在所生處多作輪王，王四大洲。以自在力，令多有情止息犯戒不善業道，勸彼受行諸善業道。當知威力過前十倍。

> この境地に安住すると、清らかな心の願いが満たされ、完全にその境地に入ることができる。生まれるところでは、しばしば転輪聖王となり、四大州を治める。その自在の力により、多くの生きとし生けるものを戒律に反する不善の行為から遠ざけ、善行の道を歩むよう勧める。その力は、先の十の境地に勝ることを知るべきである。

當知是名略說菩薩增上戒住。謂意樂淨故；性戒具足故；離一切種毀犯戒垢故；一切業道、一切因果了知通達故；於諸淨業能自受行，亦樂勸他令其受行故；於有情界諸業所生眾苦艱辛，得大哀愍，如實觀照故；善根清淨故；受生故；威力故。

> これを、菩薩の優れた戒の境地の概要と知るべきである。すなわち、意が清らかであること、本性の戒が備わっていること、あらゆる種類の戒を破る汚れから離れていること、すべての業の道と因果をよく理解していること、清らかな業を自ら実践し、また他者にも勧めて実践させること、生きとし生けるものの業によって生じる様々な苦しみと困難に対して深い哀れみを持ち、ありのままに観察すること、善根が清らかであること、生まれ変わること、そして威力を有することである。

若廣宣說，如十地經離垢地說。

> 詳しく説明しようとすれば、例えば『十地経』の「離垢地」の章で述べられているのと同じです。

遠離一切犯戒垢故，名離垢地。由離一切犯戒垢故，即此名為增上戒住。彼離垢地，當知即此增上戒住。

> あらゆる戒律を破る汚れから遠く離れているので、「離垢地」と名づけられる。すべての戒を破る汚れから離れていることから、この地は「増上戒住」とも呼ばれる。この離垢地こそが、すなわち増上戒住であると知るべきである。

問：增上心住菩薩轉時，當知何行、何狀、何相？

> 問う：増上心に住する菩薩が転ずる時、どのような行（実践）・状態・相（特徴）があると知るべきでしょうか。

答：若諸菩薩，先於增上戒住，已得十種清淨意樂，作意思惟解了通達。復由餘十淨心意樂作意思惟成上品故，極圓滿故，過增上戒住，入增上心住。何等為十？一者、作意思惟：我於十種淨心意樂已得清淨；二者、作意思惟：我於十種淨心意樂已清淨故，能不退失；三者、作意思惟：我於一切漏有漏法心不趣入，於違背中能正安住；四者、作意思惟：我能於彼修對治中，識正安住；五者、作意思惟：我能於彼所修對治，不復退失；六者、作意思惟：我於如是堅固對治，不為一切漏有漏法、一切魔軍之所勝伏；七者、作意思惟：我今能於一切佛法，其心無有怯劣而轉；八者、作意思惟：我今能於一切苦行，無有怯弱；九者、作意思惟：我心一向於大乘中深生信解，終不愛樂餘下劣乘；十者、作意思惟：我於一切利有情事，深心愛樂。由此十種淨心意樂作意思惟，能入菩薩增上心住。

> 答える。もし諸菩薩が、まず増上戒住において、すでに十種の清らかな意楽を得て、思惟し、解了し、通達したならば、さらに残る十の清らかな心の意楽によって思惟し、上品となり、極めて円満となることにより、増上戒住を超えて、増上心住に入る。その十種とは何か。第一に、私は十種の清らかな心の意楽をすでに得て清らかになったと作意思惟すること。第二に、私は十種の清らかな心の意楽を清らかにしたので、退失することがないと作意思惟すること。第三に、私は一切の漏ある法や有漏の法に対して心を向けず、違背の中に正しく安住できると作意思惟すること。第四に、私はそれらの修対治において、正しく安住することを識別できると作意思惟すること。第五に、私はそれらの修めた対治を再び退失させないと作意思惟すること。第六に、私はこのような堅固な対治によって、一切の漏ある法や有漏の法、一切の魔軍に打ち負かされないと作意思惟すること。第七に、私は今や一切の仏法に対して、心に怯えや劣等感なく進んでいると作意思惟すること。第八に、私は今や一切の苦行に対して、怯えや弱さがないと作意思惟すること。第九に、私の心はもっぱら大乗の中に深く信解を生じ、決して他の下劣な乗を愛好しないと作意思惟すること。第十に、私は一切の有情を利益する事柄に対して、深く心から愛好すると作意思惟すること。この十種の清らかな心の意楽による作意思惟によって、菩薩は増上心住に入ることができる。

菩薩安住增上心住，能以種種過患行相壞一切行，於彼諸行深心厭離。於佛妙智，能以種種勝利行相，見大勝利。又於其中，能以淳淨一味欲樂，深生愛慕。於有情界，能以種種苦惱行相，觀為有苦；於諸有情興悲戀心，生依義心。於一切行無有放逸，為大菩提熾然精進，於諸有情能起廣大悲愍意樂。

> 菩薩が増上心の境地に安住すると、様々な苦しみや過ちの現れ方によって、あらゆる行いが壊れていく様子を理解し、それらの行いに対して深く厭い離れる心が生まれます。仏の素晴らしい智慧については、様々な素晴らしい効能の形によって、大きな利益があることを見抜きます。またその智慧に対し、清らかで純粋なただ一つの願いと喜びをもって、深く慕い愛する心が湧き起こります。さらに、生きとし生けるものたちについては、様々な苦しみや悩みの現れ方をもって、苦しみの中にいると観じ、その生きとし生けるものたちに対して、慈しみ悲しむ心を起こし、彼らのために尽くそうという思いが生じます。あらゆる行いに対して油断することなく、大いなる悟りのために燃えるように努力し、生きとし生けるものたちに対して広大な慈しみと哀れみの心を起こすのです。

觀諸有情解脫眾苦究竟方便，唯是一切煩惱諸纏無障礙智；觀彼解脫能圓證者，唯於法界一切分別現行雜染生起對治無分別慧；觀能成辦彼智光明，唯是無倒勝三摩地；觀所引發一切靜慮、等持、等至，皆菩薩藏聽聞為先，皆聞正法以為緣起。

> あらゆる生きとし生けるものの苦しみを解き放つ究極の方法を観ずるならば、それはあらゆる煩悩と束縛を妨げることのない智慧のみである。 その解脱を完全に成就させるものを観ずるならば、法界におけるあらゆる分別や現れ、煩悩の生起に対処する、分別なき智慧のみである。 その智慧の光を成し遂げるものを観ずるならば、誤りのないすぐれた三昧のみである。 そして、あらゆる禅定、三昧、正受を引き起こすものは、すべて菩薩蔵を聞くことが先決であり、すべて正しい法を聞くことによって生じるのである。

觀見是已，發大精進訪求多聞。為聞正法，不惜身命，無有資財內外愛物而不能捨，無有師長不誓承事，無有尊教不誓奉行，無有身苦而不誓受。若聞佛法一四句頌，歡喜勇躍，勝得三千大千世界充滿其中大珍寶聚。聞一句法是佛所說，能引正等覺，能淨菩薩行，歡喜踊躍，勝得一切釋、梵、護世轉輪王等極尊貴位。設有告言：善男子聽！我有一句佛所說法，能引正等覺，能淨菩薩行，汝欲聞不？汝今若能投大火坑受大苦者，當為汝說。菩薩聞已，歡喜踊躍，答言：我能！我若得聞如前所說一句法義，正使火坑量等三千大千世界滿中熾火，我從梵天尚投身入，況小火坑。為求佛法，尚應久處大那落迦受大苦惱，況餘小苦而不應受。

> 自らそれを観じ見て、大いに精進し、広く教えを求めて聴聞しようと努めます。 正しい教えを聴くためには、身や命を惜しまず、財産や内外に愛着する物で捨てられないものはなく、師長には必ず仕え、尊い教えには必ず従い行い、身体の苦しみであっても必ず受け忍びます。 もし、仏法の中のわずか一つの四句の偈を聞くならば、それは三千大千世界に満ちる大いなる宝の山を得るよりも、はるかに大きな喜びと勇気が湧き上がります。 一つの句の教えであっても、それが仏の説かれたものであり、正しい悟りへ導き、菩薩の行いを清めるものであれば、それを聞く喜びは、全ての釈提桓因・梵天・護世四天王・転輪聖王といった最も尊い地位を得ることよりも勝っています。 もし誰かがこう語りかけたとしましょう。「善男子よ、聞け。私には仏の説かれた一つの句がある。それは正しい悟りへ導き、菩薩の行いを清めるものだ。お前はそれを聞きたいか？だが、もし聞きたいのなら、今、大火の坑に飛び込んで大いなる苦しみを受けよ。そうすれば、お前に説いて聞かせよう。」 菩薩はこれを聞いて、喜び勇んで答えました。「私はできます！もし、先ほどのような一つの句の教えを聞くことができるなら、たとえその火の坑が三千大千世界の広さで、炎が満ちていようとも、私は梵天の境涯からさえ飛び込みましょう。ましてや、小さな火の坑など何ほどのことがありましょうか。仏法を求めるためには、長い間、大奈落（地獄）に留まって大いなる苦しみを受けることさえも辞さないのです。ましてや、他の小さな苦しみを受けられないはずがありましょうか。」

菩薩發起如是精進，求正法已；復能如實如理思惟，要正修行法隨法行，方得名為隨順佛法，非但聽聞文字、音聲而得清淨。如是知已，即依所聞正緣法相，遠離諸欲惡不善法，廣說乃至能得世俗四種靜慮、四無色定，及四無量、五種神通具足安住。

> 菩薩がこのように精進して正しい教えを求めたならば、さらに事実に即して理にかなった思考をめぐらせるべきである。大切なのは、教えに従って正しく修行してこそ、仏の教えに随順するといえるのであって、ただ文字や音声を聞いただけで清らかになるのではない。このように理解したなら、聞いた教えに基づいて正しく法の特徴を捉え、欲望や悪しきものから離れ、詳しく述べれば現世での四つの禅定、四つの無色定、四つの無量心、五つの神通力を完全に身につけて安住することができるのである。

既多住已，復還棄捨諸靜慮等、等持、等至，願自在力還來欲界。觀彼彼處，若為有情能作義利，若能圓滿菩提分法，即便往生。非但自在而生彼處。如是菩薩離欲貪故，名斷欲縛；棄捨靜慮、等持、等至故，名斷有縛。菩薩先從勝解行地，於法真如修勝解故，已斷見縛，邪貪恚癡畢竟不轉。

> すでに長く安住したのち、さらに諸々の静慮や等持・等至を捨て去り、願いの自在力によって再び欲界に戻ってくる。そこであらゆる場所を観察し、もしもその場所で有情のために義利をなすことができ、また菩提分の法を円満することができるならば、そのままそこに生まれるのである。それは単に自在だからといってそこに生まれるのではない。このように菩薩は、欲の貪りを離れたがゆえに「欲の束縛を断った」と呼ばれ、静慮・等持・等至を捨て去ったがゆえに「有の束縛を断った」と呼ばれる。菩薩はまず勝解行の地において、法の真如に対する勝解を修めたがゆえに、すでに見の束縛を断ち、邪な貪り・怒り・無知もついには生じることがない。

廣見諸佛、善根清淨，如前應知。

> 多くの仏陀を広く拝し、善根（良い行いの基盤）が清らかになることは、先に述べた通りと理解すべきです。

此差別者，謂如世間善巧工匠，先所燒鍊手中真金垢穢斯盡，稱量等住。

> この違いというのは、例えば世の中の巧みな職人が手のひらの本物の金を、まず焼いて練り、その金の汚れや不純物がすっかり無くなり、重さが変わらず同じであるようなものなのです。

如是菩薩善根清淨，當知亦爾。

> このように菩薩の善根が清らかであることも、同じように知るべきである。

受生多分作釋天帝，善化有情，令離欲貪。

> 受生して、多くは帝釈天となり、善く有情を教化して、欲の貪りから離れさせます。

所有威力，於前住中已說千數，當知此中有百千數。

> あらゆる力については、前の段階で既に千の数を説きました。しかし、今ここでは、その中に百千の数があると知るべきです。

當知是名略說菩薩增上心住。謂心意樂作意思惟成滿趣入故；於一切行諸有情界及大菩提，能正通達故；於諸有情脫苦方便，能正推求故；於正法中起大恭敬，訪求無倦故；能正修行法隨法行，於其世俗諸靜慮等、等持、等至、無量神通，能引能住故；棄捨於彼，願自在力隨樂受生故；善根清淨故；受生故；神力故。

> これが菩薩の「増上心住（心を高める境地）」についての概略であると知るべきである。 すなわち、 心の志向と意欲、そして思念によって完成へと向かうこと。 あらゆる行（現象）や、生きとし生けるものの世界、そして大いなる悟りについて、正しく理解を深めること。 生きとし生けるものを苦しみから救うための方法を、正しく追い求めること。 正しい教えに対して大きな敬いを抱き、倦むことなく尋ね求めること。 教えに従って実践（法随法行）を正しく行い、世俗的な静慮（禅定）や様々な心の統一（等持、等至）や無量の神通力を、呼び起こし、保つことができること。 それらを手放し、願いが自在となる力によって、望むままに生まれ変わること。 善根が清らかであること。 生まれ変わること。 神通力を持つこと。 （このような特徴がある。）

若廣宣說，如十地經發光地說。由發聞行正法光明、等持光明之所顯示，是故此地名發光地。

> もし広く説くならば、例えば十地経の「発光地」の説くところのようです。聞くことによって正法の光明や、等持の光明が示されることから、この地を発光地と名づけます。

由內心淨能發光明，是故說名增上心住。由此義故，名發光地；即由此義，當知復名增上心住。

> 心の内側の清らかさが光を放つことができることから、これを「増上心住」と名づける。 この意味によって「発光地」とも呼ばれ、また、同じ意味から「増上心住」とも知られるべきである。

云何菩薩覺分相應增上慧住？

> 菩薩の覚りの要素に関わる、より高次の智慧の境地とは、どのようなものでしょうか。

謂諸菩薩，先於增上心住，以求多聞增上力故，已得十法明入。由此十法明入成上品故，極圓滿故，超過增上心住，入初增上慧住。如是十法明入文詞，如契經說，應知其相。謂若彼假設；若於中假設；若由此假設；若平等勝義；若染惱故、清淨故，成染成淨；若由繫縛煩惱所染；若由無上清淨所淨。當知是名十法明入略所說義。

> 諸菩薩は、まず増上心住において、多くの教えを聞く力によって、すでに十の法明入を得ています。 この十の法明入が上品となり、極めて円満になることで、増上心住を超えて、初めての増上慧住に入るのです。 この十の法明入の文言については、経典に説かれるままに、その相を知るべきです。 すなわち、もし仮に立てるものがあり、その中で仮に立てるものがあり、これによって仮に立てるものがあり、平等なる勝義があり、煩悩や清らかさによって、染まりや清らかさが成り立ち、束縛する煩悩によって染められ、無上の清らかさによって清められる、ということです。 これらが、十の法明入の大まかな意味であると知るべきです。

是諸菩薩住此住中，如契經說：不壞意樂而為上首，所有十種能成熟智、智成熟法皆悉成就。長如來家，得彼體法。

> これらの菩薩はこの境地にとどまり、経典に説かれる通り、揺るぎない志を第一とし、すべての十種の成熟した智慧と智慧を完成させる法を成就します。如来の家を長じ、その本質を体得します。

觀一切種菩提薩埵增上力故，修四念住而為上首三十七種菩提分法。

> あらゆる菩薩たちの力強い願いに導かれて、四念処（四つの気づき）をはじめとする三十七の悟りへと至る実践法を修めます。

如契經說：由於此法方便攝受勤修習故，最極微細薩迦耶見，執著一切蘊、界、處等一切動亂，皆得畢竟不現行斷。

> 経典に説かれているように、この法を巧みに受け入れ、熱心に修行することによって、最も微細な我執（サッカヤ・ディッティ）が、すべての五蘊・十八界・十二処など、あらゆる動揺を執着する状態から、完全に生じることなく断たれるのである。

由彼斷故，一切如來所呵毀業皆不現行，一切如來所讚美業如實隨轉。

> その執着が断たれると、如来が否定するすべての行為は現れず、如来が称賛するすべての行いが、そのまま自然に現れるようになる。

既如是已，其心轉復滋潤、柔和，有所堪能；其心轉復種種行相皆善清淨。

> そのように清められた心は、さらに潤いと柔軟さを増し、十分に機能する力を持ちます。その心は、あらゆる面で善く清らかになります。

又善知恩、知報恩等隨順意樂，種種白法、皆悉成就。

> また、恩を知り、恩に報いることなどを、心のままに従い行い、様々な清らかな善い行いを、すべて成し遂げる。

尋求上地能修治業，發大精進，逮得安住。

> 優れた境地を求めて、自らの行いを修め整え、大いなる精進を起こし、安らかにとどまることを得る。

由此因緣，所有意樂、增上意樂勝解界性，皆得圓滿。

> このような縁（えん）によって、すべての意欲（いよく）や強い意欲、そして優れた理解力や性質が、完全に満たされるのです。

由是因緣，一切外道、種種魔軍、聖教怨敵，不能映奪、不能傾動。

> この因縁によって、あらゆる外道や様々な魔軍、聖教の敵対者たちも、その輝きをくらますことも、揺るがすこともできないのです。

廣見諸佛、善根清淨，廣說如前，應知其相。此差別者，謂如世間善巧工匠，以所鍊金作莊嚴具，非餘未作莊嚴具金之所映奪。如是此中菩薩善根，非餘安住凡住菩薩所有善根所能映奪。如末尼寶所放光明，非餘寶珠所能映奪，一切世間風水雨等，不能斷滅所放光明。如是此中菩薩所有智慧光明，一切聲聞及獨覺等不能映奪，一切魔怨不能斷滅。

> 多くの仏陀を広く見て、善根が清らかであること、その様相は先に広く説かれた通りであると知るべきである。ここでの違いとは、例えば世間の巧みな職人が精錬した金で装飾品を作るならば、その他のまだ装飾品にされていない金によってその輝きが損なわれることがないように、この中の菩薩の善根もまた、他の凡夫の地位に留まる菩薩の持つ善根によって損なわれることはない。また、例えば摩尼宝珠が放つ光明は、他の宝珠が放つ光明によって損なわれることがなく、一切の世間の風・水・雨などによってもその光明が消されることがない。このように、この中の菩薩の智慧の光明は、一切の声聞や独覚などによっても損なわれることがなく、一切の魔の怨みによっても断ち消されることがないのである。

受生多作蘇夜摩天王，善化有情，令其除滅薩迦耶見。所有威力，於前住中說百千數，當知此中說俱胝數。

> 受生して多くのソーヤマ天王となり、善巧に有情を教化し、彼らに薩迦耶見（自己執着の見解）を除かせ滅ぼさせます。そのすべての威力については、前の住の中では百千の数をもって説かれましたが、この中では俱胝（一千万）の数をもって説かれると知るべきです。

當知是名略說菩薩覺分相應增上慧住。謂法明入成滿得入故；成就智故；修習菩提分法故；薩迦耶見等一切執著動亂斷故；制業、開業遠離習近故；由是因緣心調柔故；隨順功德皆隆盛故；依所尋求修治地業發大精進故；由是因緣，所有意樂、增上意樂勝解界性淨修治故；由是因緣，一切聖教所有怨敵不能映奪及傾動故；善根清淨故；受生故；威力故。

> これを、菩薩の覚りの部分（菩提分）に対応した、より高次の智慧の境地（増上慧住）を簡潔に説いたものと知るべきである。すなわち、法の光明（法明）への理解が完全に成就し、智慧が完成し、菩提分の実践が修められ、薩迦耶見（自我の見解）などのすべての執着や動揺が断たれ、禁じられた行為（制業）を遠ざけ、許された行為（開業）を親しむことによって、心が柔和になり、功徳がすべて盛んになり、求めるものに従って地を修める修行（修治地業）に大いなる精進を発することにより、全ての意楽（願い）や増上意楽（強い決意）や勝解（確信）や性質が清らかに修められ、それによって全ての聖なる教えに対する敵対者が、それを奪ったり揺るがしたりすることができず、善根が清らかになり、生まれ変わり（受生）の状態や、威光（威力）が具わるのである。

若廣宣說，如十地經焰慧地說。

> もし詳しく説くならば、それは『十地経』の焔慧地に説かれる通りです。

於此地中，菩提分法如實智焰，能成正法教慧照明，是故此地名焰慧地。又即彼地，此中說名覺分相應增上慧住。

> この境地において、悟りの要素（菩提分法）が、あるがままの智慧の炎となって、正しい教えの智慧の灯りを明るく照らし出す。そのため、この境地を「焔慧地」と名付ける。また、この境地は、悟りの部分（覚分）と相応した、より高次の智慧の住処であるとも説かれる。

云何菩薩諸諦相應增上慧住？

> 菩薩が「さまざまな真理を深く理解し、優れた智慧を得る段階」とは、どのようなものでしょうか。

謂諸菩薩，先於覺分相應增上慧住，已得十種平等清淨意樂。由彼平等清淨意樂成上品故，極圓滿故，超過第一增上慧住，證入第二增上慧住。十種平等清淨意樂所有文詞，如契經說，應知其相。謂無等覺與諸覺等，超過所餘諸有情界及以諸法，如其平等。當知是名十種平等清淨意樂略所說義。

> 諸菩薩は、まず覚りの分に相応する増上慧住において、すでに十種の平等清浄なる意楽を得ています。この平等清浄なる意楽が上品となり、極めて円満となったがゆえに、第一の増上慧住を超えて、第二の増上慧住に証入します。十種の平等清浄なる意楽に関する言葉の詳細は、経典に説かれるままに、その意味を理解すべきです。すなわち、「比類なき覚りが、諸々の覚りと等しく、他の一切の有情の界や諸法を超えて、その平等のままである」——これが十種の平等清浄なる意楽の簡略な説かれた意味であると知るべきです。

如是菩薩住此住中，多分希求智殊勝性。於四聖諦，由十行相如實了知。一切文詞，如契經說，應知其相。謂依曉悟他、依自內智、依俱處所，名為此說。依於契經、調伏、本母，名由此說。依於現在眾苦自性、依於未來苦因生性、依於因盡彼盡無生性、依於修習彼斷方便性，名如此說。當知是名十種行相四聖諦智所有略義。

> この菩薩は、この境地に達すると、ほとんどの場合、すぐれた智慧を求めようとします。その智慧によって、四つの聖なる真理（四聖諦）を、十の観点からあるがままに理解します。 経典で説かれている通り、あらゆる言葉や文章は、その意味するところを次のように知るべきです。 \* 他者を悟りへ導くためのもの、自ら内省する智慧のためのもの、その両方の場におけるもの――これらを「その内容を説くもの」と呼びます。 \* 経典（契経）に基づくもの、戒律（調伏）に基づくもの、論（本母）に基づくもの――これらを「その根拠によって説くもの」と呼びます。 \* 現在の苦しみの本質、未来の苦しみの原因が生じる性質、原因が尽きれば苦しみも尽きて生じなくなる性質、その苦しみを断つための修行という方法の性質――これらを「そのように説くもの」と呼びます。 以上のことが、十の観点に基づく四聖諦の智慧についての、簡潔な意味であると知るべきです。

如是於諦善巧菩薩，於一切行以慧正毀，於有情界增悲意樂，於前後際愚癡有情所有邪行能正通達。

> このように真理を巧みに理解する菩薩は、あらゆる営みを智慧をもって正しく見極め、生きとし生けるものへの慈しみの心を深め、過去と未来にわたって無知に覆われた生きとし生けるものたちの誤った行いを、正しく見通すことができるのです。

為欲令彼得解脫故，攝受廣大福智資糧，心發正願。

> 彼らが解脱を得られるようにと、広大な福徳と智慧の糧を積み集め、心に正しい願いを起こす。

及即於彼意樂引攝正念慧行而為上首，所有眾多殊勝功德皆悉增盛。

> そして、その意志と喜びによって、正しい念と智慧の実践を最も大切なものとし、数多くの優れた功徳のすべてがさらに増大していくのです。

諸餘作意皆悉遠離。以其種種成熟方便成熟有情。

> 他の心の働きはすべて遠く離れている。様々な成熟のための方便を用いて、有情を成熟させる。

如契經說：所有種種能益有情世俗書論、印算計等工業明處，於是一切皆能引發；於諸有情深悲愍故，漸次乃至方便安立妙菩提故。隨順世間言說事故；為欲方便壞貧窮故；為令世間諸界錯亂、人非人等所起災患皆息滅故；為施無罪諸戲樂具，除彼非法諸戲樂故；諸有希求種種居處資生具者，為少用功皆能施與種種居處資生具故；為欲拔濟諸王賊等逼惱事故；為欲開制是處非處諸加行故；為欲安立吉非吉事，令取捨故；為正勸獎，於現法中令其展轉不相謀略，及為宣說當來無倒勝生道故。當知是名能益有情工業明處略所說義。

> 例えば経典に説かれているように、あらゆる種類の、生きとし生けるものを利する世俗の書物や論、印刷や計算などの産業・技術分野（工業明処）は、すべてこれらを引き起こすことができる。それは、生きとし生けるものに対する深い哀れみの心からであり、徐々に段階を経て、ついには巧みな方法で素晴らしい悟り（妙菩提）を安立するためのものである。また、世間の言葉や行いに従うためである。貧しさを打ち破ろうと巧みに図るためである。世間の諸々の境界の乱れや、人や人ならざる者によって引き起こされる災いを全て消し去るためである。罪のない様々な遊びや娯楽の道具を与え、不法な遊びや娯楽を除くためである。様々な住まいや生活の道具を求める者たちに対して、少しの努力で様々な住まいや生活の道具を施し与えることができるようにするためである。王や盗賊などの迫害や苦しみから救い出すためである。適切な行いと不適切な行いを明らかにし、制御するためである。吉兆と凶兆を正しく理解させ、取捨選択させるためである。現世において、互いに謀略を巡らせることがないよう正しく奨励し、来世において誤りのない優れた生存の道を説き示すためである。これが、生きとし生けるものを利する産業・技術分野（工業明処）の、簡潔に説かれた意味であると知るべきである。

其餘一切，如前應知。此差別者，謂如世間善巧工匠，以所鍊金作莊嚴具，牟裟羅寶瑩飾廁鈿，所有餘金無與等故，不能映奪。如是此中菩薩善根，一切聲聞及諸獨覺、餘地菩薩不能映奪。又如日月諸宿光明，一切風輪不能映奪，然其迴轉共彼風同。如是此中菩薩妙慧，一切聲聞、諸獨覺等不能映奪，然其所作與世共同。

> その他の点については、先に述べたとおりであると理解すべきである。この場合の違いとは、たとえば、世の中の巧みな職人が精錬した黄金で装飾品を作り、ムッサーラガ宝（摩瑠璃宝）で飾り立てると、他の黄金はそれに及ばず、その輝きを奪われることがないのと同じである。このように、ここにおける菩薩の善根は、すべての声聞や独覚、他の境地にある菩薩たちによってその輝きを奪われることがない。また、たとえば、太陽や月、星々の光は、いかなる風輪によってもその輝きを奪われることがないが、それらの運行は風と共にあるのと同じである。このように、ここにおける菩薩の優れた智慧は、すべての声聞や独覚などによってその輝きを奪われることがないが、その行いは世間と共通しているのである。

受生多作珊覩史多天王，善化有情，令捨一切外道邪法。

> 多くの生涯において、兜率天（とそつてん）の大王として生まれ変わり、人々を上手に導いて、全ての外道の間違った教えを捨てさせたのです。

所有威力，當知此說千俱胝數。

> あらゆる力の功徳について知るべきは、それは千億という数による教えである。

當知是名略說菩薩諸諦相應增上慧住。謂十平等清淨意樂成滿得入故；善巧方便觀察諸諦漸增長故；毀壞諸行、悲愍有情漸增長故；即為是義，長養廣大福智資糧，心發正願勤加行故；念慧行等德增長故；無餘作意，以一切種成熟有情勤加行故；引發世間工巧業故；善根清淨故；受生故；威力故。

> これを「菩薩の諸諦（しょたい）に相応する増上慧住（ぞうじょうえじゅう）」の略説と知るべきです。すなわち、 第一に、十種の平等なる清らかな意楽を成就し満足してこれに至るからです。 第二に、善巧方便によって諸諦を観察し、徐々に成長するからです。 第三に、諸行を壊し、有情を悲愍することが徐々に成長するからです。 第四に、そのために広大な福徳と智慧の資糧を長養し、心に正しい誓願を発して精進するからです。 第五に、念・慧・行などの功徳が成長するからです。 第六に、余計な作意なく、あらゆる方法で有情を成熟させるために精進するからです。 第七に、世間の工巧の業を引き起こすからです。 第八に、善根が清らかになるからです。 第九に、受生があるからです。 第十に、威力があるからです。

若廣宣說，如十地經極難勝地。

> もし詳しく説くならば、『十地経』の極難勝地のように、非常に難しい境地がある。

今此地中，顯示菩薩於諸聖諦決定妙智極難可勝，是故此地名極難勝。即由此義，應知此中諸諦相應增上慧住。

> この修行段階において、菩薩が聖なる真理に対して確固たる素晴らしい智慧を示し、それが極めて打ち勝ち難いものであることから、この段階は「極難勝地」と名付けられています。また、この意味によって、ここが「諸諦に相応する増上慧の住」であると理解されるべきです。

云何菩薩緣起相應增上慧住？

> 菩薩の縁起に相応する増上慧の住とは、どのようなものでしょうか。

謂諸菩薩，先於諸諦相應增上慧住，已得十種法平等性當知文詞如經廣說。如是十種法平等性成上品故，極圓滿故，超過前住得入此住。謂於一切法，由有勝義自性無相平等性故；言說造作影像無相平等性故；即由此相自然不生平等性故；因亦不生平等性故；自然與因皆不生故，畢竟本寂平等性故；現有體事能取正智，離諸戲論平等性故；遠離一切取捨造作平等性故；即此煩惱眾苦雜染離繫解脫平等性故；分別所執境界自性如幻化等平等性故；無分別智所行自性有無無二平等性故。當知是名此中十種法平等性略分別義。

> 諸菩薩は、まず様々な真理に対応する「増上慧住」において、すでに十種の法の平等性を得ています。その詳細は経典に述べられている通りです。これら十種の法の平等性は、上位の境地を超えて完全に円満なものとなるため、前の住を越えてこの住に達します。 すなわち、すべての法において、 1. 勝義の自性には相がないという平等性があるからです。 2. 言葉や造作の影像には相がないという平等性があるからです。 3. その相自体が自然に生じないという平等性があるからです。 4. 原因も生じないという平等性があるからです。 5. 自然も原因も生じないため、究極的に本来寂静であるという平等性があるからです。 6. 現にある事物を捉える正しい智慧が、あらゆる戲論を離れているという平等性があるからです。 7. 一切の取捨や造作を遠く離れているという平等性があるからです。 8. この煩悩や苦しみの雑染が、束縛を離れ解脱しているという平等性があるからです。 9. 分別によって執着される境界の自性が、幻や影のようなものであるという平等性があるからです。 10. 無分別智の行じる自性が、有と無の二元を離れているという平等性があるからです。 以上が、この中の十種の法の平等性の簡略な意味であると知るべきです。

如是菩薩住此住中，於諸有情增長悲愍；於大菩提生起猛利欲樂悕求；於諸世間合散生滅，以一切種緣起正觀觀察了知。依緣起智，能引發空、無相、無願三解脫門。

> このように、菩薩はこの境地に住するとき、一切の生きとし生けるものに対する哀れみの心を増し、大いなる悟りに対する強い願いと憧れを起こします。そして、世の中のすべてのものの集まりや散り、生まれや滅びについて、あらゆる縁起の正しい見方をもって観察し、はっきりと知ります。この縁起の智慧によって、空・無相・無願という三つの解脱の門を開くことができるのです。

由是因緣，所有自他、作者、受者、有無等想，皆不復轉。

> このような因縁によって、自分と他人、行う者と受ける者、存在と非存在といったすべての観念は、もはや生じることがなくなります。

菩薩如是善於勝義顧念有情，如理通達煩惱繫故，緣和合故，有為諸法自性羸劣。離我我所無量過失污染而轉；非離一切煩惱繫縛，眾緣和合。是故我今為自防護，應令一切煩惱繫縛、眾緣和合皆悉斷壞；為益有情，不應永滅一切有為。

> このように菩薩は勝義（真実）をよく理解しつつも、生きとし生けるものを思いやる。迷いが縛るからであり、縁が集まるからであると道理にかなって悟っているから、つくられたものごとはすべて本来弱く脆い性質を持っている。つまり、私や私のものという執着を離れておらず、数えきれない過ちや汚れにまみれたまま動いている。すべての煩悩の束縛から逃れておらず、様々な条件が結びついたものだからだ。 それゆえ私は今、自分を守るために、すべての煩悩の束縛や様々な条件の結合をことごとく断ち壊さねばならない。しかし生きとし生けるものを助けるために、すべてのつくられたもの（有為）を永遠に滅ぼしてしまってはならない。

如是菩薩住此住中，智悲隨逐，名無著智現前、般若波羅蜜多住現前。由此住故，於一切世間行無染而行。又即此住有猛利忍。於第七地有加行行邊際菩薩忍，當知是彼隨順忍攝。又此無著智現前、般若波羅蜜多住現前，能引能引菩提眾緣，於諸世間有為諸行住而不住；雖於寂滅見寂靜德，而亦不住。

> このような菩薩は、この境地に安住するとき、智慧と慈悲が共に伴い、「無著の智慧の現前」、「般若波羅蜜多の安住の現前」と名付けられます。この境地によって、あらゆる世間の行いに対して、執着することなく行動することができます。 また、この境地には、強力な忍辱（にんにく）が備わっています。第七の境地においては、修行を加える段階の極限に達した菩薩の忍辱がありますが、これは、その忍辱に従い、包摂されるものであると知るべきです。 さらに、この「無著の智慧の現前」と「般若波羅蜜多の安住の現前」は、悟りへと導く様々な因縁を引き寄せる力を持ち、世間における様々な有為の行為に留まりながらも、そこに常住することはありません。また、寂滅（涅槃）の静かなる徳を見ながらも、そこに留まることもありません。

如是菩薩方便般若智所隨逐，能入空三摩地，令十百千上首三摩地門皆現在前。如空三摩地，如是無願、無相三摩地，當知亦爾。

> このように、菩薩は方便般若の智慧に従うことで、空三昧に入ることができ、十百千もの主要な三昧の門をすべて目の前に現わすことができるのです。空三昧と同様に、無願三昧や無相三昧についても、同じように理解すべきです。

由此上首三摩地門現在前故，意樂不壞。

> この最上の三昧の門が今まさに現れ出でるがゆえに、その心の志は決して壊れることがない。

於一切種諸佛聖教，一切外道及諸魔軍、聖教怨敵，不能引奪。

> あらゆる種類の仏の教えにおいて、外道や悪魔の軍勢、教えの敵対者たちによって、揺り動かされたり奪い去られたりすることはありません。

餘如前說。此差別者，謂如世間善巧工匠，以所鍊金作莊嚴具，琉璃寶珠瑩飾廁鈿，一切餘金不能映奪。如是此中菩薩善根清淨殊勝，如先所說不能映奪。又如月光，於有情身能令悅豫，非四風輪所能斷壞。如是此中菩薩慧光，一切有情煩惱欝蒸皆能息滅，一切外道、魔軍、怨敵不能斷壞。

> 先に述べた内容に加えて、ここでの違いは次の通りです。たとえば世間の巧みな職人が、よく鍛えた金を使って飾り具を作り、瑠璃や宝玉で美しく飾り立てると、他のどんな金もその輝きに及ばないように、ここにおける菩薩の善根も清らかで特別に優れているため、先に述べたようなものは到底かなわないのです。 また、月光は生きとし生けるものに喜びをもたらし、四方の風輪によっても断ち壊されることがありません。これと同じように、ここにおける菩薩の智慧の光は、すべての生きとし生けるものの悩みという暑さを静め、すべての外道や魔の軍勢、敵対者によっても断ち壊されることがないのです。

受生多作妙化天王，善化有情，令除一切增上慢等。所有威力，當知此中說百千俱胝數。

> 多くの生まれ変わりを通じて、妙化天王となり、人々を巧みに導いて、すべての増上慢（思い上がり）などを取り除かせた。その力の大きさは、ここでは百千コーティ（極めて大きな数）として説かれていると知るべきである。

當知是名略說菩薩緣起相應增上慧住。謂十法平等性成滿得入故；覺悟緣起生解脫門故；一切邪想不現行故；方便攝受生死故；無著智現前、般若波羅蜜多住現在前故；證得無量三摩地故；證得不壞意樂故；於佛聖教不可引奪故；廣見諸佛、善根清淨故；受生故；威力故。

> これが、菩薩の縁起と相応する「増上慧住」を簡略に説いたものです。すなわち、 - 十の法の平等性が成就し、それに達すること。 - 縁起を覚り、解脱の門を生じること。 - あらゆる誤った想念が現れなくなること。 - 巧みな手段で生死の世界を受け入れ導くこと。 - 執着のない智慧が現前し、般若波羅蜜多の境地に安住すること。 - 無量の三昧（深い瞑想）を証得すること。 - 揺るぎない清らかな意志を証得すること。 - 仏の教えに対して、他の何ものにも動かされないこと。 - 多くの仏に出会い、善根が清らかになること。 - その境地における生まれ方と、はたらく力を持つこと。 以上の特徴があると知るべきです。

若廣宣說，如十地經現前地說。

> もし詳しく説くならば、十地経の現前地の教えのとおりである。

由此地中，無著智現前、般若波羅蜜多住現在前故，名現前地。即由此義，當知亦名緣起相應增上慧住。

> この境地においては、執着のない智慧が現前し、般若波羅蜜多がそこに宿って現れることから、「現前地」と名付けられています。また、その意味によって、この境地は「縁起に相応する増上慧の住」とも呼ばれることを知るべきです。

云何菩薩有加行有功用無相住？

> 問う、いわゆる菩薩が修行を積み、努力をしつつも、相のない境地に住するとは、どのような意味か。

謂諸菩薩於前第六緣起相應增上慧住，已得十種妙方便慧所引世間不共一切有情，而共一切世間進道勝行。即由如是妙方便慧所引不共進道勝行成上品故，極圓滿故，超過第六住，得入第七住。如是文詞，如經廣說，應知其相。謂依能起世間興盛攝受福德；依於有情利益安樂增上意樂；依為菩提，福德資糧、菩提分法後後勝進；依不共聲聞；依不共獨覺；依有情界；依諸法界；依諸世界；依諸如來身語心智。當知是名妙方便慧所引不共進道勝行處所略義。

> 菩薩は、第六の「縁起相応の増上慧住」において、すでに十種の妙方便慧によって導かれる、世間においては一切の有情と共有せず、しかし一切の世間の進道上の勝れた行いと共有するものを得ています。まさにこの妙方便慧によって導かれる、他と共有しない進道上の勝れた行いが、優れたものとなり、極めて円満となることによって、第六住を超え、第七住に入ることができるのです。このような文言は、経典に広く説かれるとおり、その相を知るべきです。すなわち、世間の兴盛を起こし、福徳を摂受することに依り、有情の利益と安楽という増上意楽に依り、菩提のための福徳資糧と菩提分法が次第に勝れていくことに依り、声聞と共有しないことに依り、独覚と共有しないことに依り、有情界に依り、諸法界に依り、諸世界に依り、諸如来の身・語・心・智に依るのです。これを、妙方便慧によって導かれる、他と共有しない進道上の勝れた行いの場所の略義と知るべきです。

菩薩與彼共相應故，便能通達無量無數如來境界，及為彼起無功用、無相、無分別、無異分別觀無量佛境界，起無間無缺精勤修學一切威儀行住作意，一切分位不遠離道。

> 菩薩（ぼさつ）がそれと対応するからこそ、限りない数の如来の境地を理解できるようになります。そしてそのために、わざわざ努力しなくても働くはたらき、形のないもの、区別しない心、異なった区別をしない心で、無数の仏の境地を観察し、途切れることなく欠けることなく熱心に修行し、すべての立ち居振る舞いや心の持ちようを学び、あらゆる場面で道から離れないのです。

彼於一一心剎那中，十波羅蜜多而為上首，一切菩提分法圓滿殊勝。諸餘下住則不如是。謂於第一極歡喜住，正以大願為勝所緣；於第二住，正能除遣毀犯戒垢；於第三住，正願增長，得法光明；於第四住，正趣入道；於第五住，正入一切世間事業；於第六住，正入甚深緣起道理；今即於此第七住中，具足發起一切佛法覺支圓滿。此住菩薩加行行圓滿所攝故；妙智神通行清淨，能入第八住故。

> 彼は、それぞれの心の一刹那において、十波羅蜜多を主要とし、あらゆる菩提分法が円満かつ殊勝にそなわっています。しかし、それより下の他の段階（住）では、そうではありません。すなわち、第一の極喜地では、正しく大願を殊勝な所縁としています。第二の地では、正しく戒を破る汚れを取り除くことができます。第三の地では、正しく願いが増長し、法の光明を得ます。第四の地では、正しく道に入ります。第五の地では、正しく一切の世間の事業に入ります。第六の地では、正しく深遠な縁起の道理に入ります。そして、今この第七の地において、一切の仏法の覚支が円満に発起されます。この地の菩薩は、加行行が円満に修められているからです。また、妙なる智と神通の行が清らかであり、第八の地に入ることができるのです。

由是菩薩此住無間，能入第八極清淨住。彼第八住一向清淨，此第七住猶名為雜。與清淨住為前導故，當言此住名不染污；猶未得故，當言此住墮雜染污。

> このように、第七の地に住する菩薩は途切れなく、第八の極めて清らかな地に入ることができます。 第八の地が完全に清らかであるのに対し、この第七の地はなお「雑ざりがある」とされています。 しかしながら、清らかな第八の地への先導となるため、この第七の地は「汚れに染まらない」とも言えるのです。まだ完全には清らかさを得ていないので、この第七の地は「煩悩の混ざった状態にある」とも言えるのです。

今此住中，一切貪等上首煩惱皆悉除斷。當知此住非有煩惱，非離煩惱。一切煩惱不現行故，悕求佛智猶未得故。

> この境地に住するとき、あらゆる貪りなどの根本的な煩悩はすべて断ち切られる。しかし、この境地は煩悩があるわけでもなく、煩悩から離れているわけでもない。なぜなら、すべての煩悩は現れなくなっているが、仏の智慧を求め願う心はまだ得られていないからである。

如是行者，增上意樂已得清淨，無量身語意業隨轉，於諸如來所讚毀業，如前廣說。於第五住所引世間工巧業智轉得圓滿。三千世界共許為師，唯除安住上住菩薩及諸如來，意樂加行無與等者。於一切靜慮等菩提分法皆能現前，由修行相現在前故，非由安住異熟分位，如第八住。

> このような修行者は、向上した意志（増上意楽）がすでに清らかになり、無数の身・語・意の業がそれに従って働きます。そして、諸々の如来が称賛し、あるいは非難するような業については、先に詳しく述べた通りです。 第五の住位においては、世間での工巧（技術）や知恵に関わる業が成就し、完全に円満となります。三千世界の人々が彼を師として仰ぎますが、ただし、さらに上位の住位にある菩薩や如来たちは別です。彼の意志と実践（意楽・加行）に並ぶ者はいません。また、あらゆる静慮などの菩提分の法（修行の要素）は、すべて現前に実現されます。それは修行の実相が今ここに現れているからであり、第八住のように異熟（結果としての状態）の段階に安住しているからではありません。

此諸菩薩如是方便，能善思擇諸三摩地，引發菩薩三摩地上首十百千種三摩地門。由得如是三摩地故，超過一切聲聞、獨覺三摩地境。菩薩如是一切煩惱皆悉遠離；難可了知一切分別現行隨逐身語意業皆悉安住；而不捨離尋求勝進勇猛加行，顧念有情。為大菩提速圓滿故，離一切相無量身語意業隨轉，妙善修治無生法忍之所顯發。於此住中，由自覺慧境界故，超過一切聲聞、獨覺境界；餘六住中，但由佛法增上所緣故，超過一切聲聞、獨覺境界。

> これらの菩薩は、このような巧みな手段によって、あらゆる三昧を巧みに観察し、菩薩の三昧の中でも最も優れた、数多くの三昧の門を導き出します。この三昧を得たことにより、声聞や独覚の三昧の境地をすべて超越します。菩薩は、このようにしてすべての煩悩から遠く離れ、理解しがたいあらゆる分別が現れることなく、身・語・意のすべての行いが安らかにとどまります。しかし、より高い境地を求める勇猛な修行や、他者を顧みる心を捨てることはありません。大いなる菩提を速やかに円満させるため、あらゆる相を離れた無量の身・語・意の行いが共に働き、無生法忍によって見事に善く修められ、顕現されます。この住地においては、自らの智慧の境地によって、声聞や独覚のすべての境地を超越します。残りの六つの住地においては、ただ仏法をより高める対象として捉えることによって、声聞や独覚のすべての境地を超越します。

又諸菩薩第六住中所入滅定，今此住中念念能入。然此菩薩甚希奇業不可思議。謂常安住實際住中，而於寂滅能不作證。

> また、諸々の菩薩が第六住において入る滅尽定を、今この住においては、一瞬一瞬ごとに入ることができる。しかし、この菩薩の非常に珍しい働きは、思いもよらないものである。すなわち、常に真実の世界に安住しながら、寂滅の境地をあえて証明しないのである。

彼由如是妙方便智之所引發增上力故，能行一切有情不共菩薩妙行。雖與世間相似顯現，而非彼性。如經廣說。此中總義，謂依福業事攝受種種親屬徒眾，求生差別，發起勝進三解脫住，信解劣乘方便調伏，受用諸欲，求欲差別，轉諸外道，隨他心轉，隨大眾轉。

> 彼はこのような巧みな方便の智慧によって引き起こされる増上力のゆえに、あらゆる有情と共通しない菩薩の妙行を実践することができます。世間と似たように見えても、その本質は世間のものではありません。経典に詳しく説かれている通りです。 ここでの全体的な意味は、福徳行に基づいて様々な親族や弟子を集め、生まれ変わりの違いを求めて、さらに優れた三つの解脱の境地に入ること。劣った乗り物を信じる者には方便をもって調伏し、欲を享受して、欲望の違いを求め、外道を導き変え、他人の心に従い、大衆に従って行動するということです。

餘如前說。此差別者，謂如世間善巧工匠，以所鍊金作莊嚴具，諸末尼寶瑩飾廁鈿，甚為光麗，餘贍部洲一切金寶不能映奪。如是此中菩薩善根轉復清淨，一切聲聞、獨覺善根，及餘下住菩薩善根，不能映奪。又如日光，多分乾竭贍部洲中所有穢濕，餘一切光不能映奪。如是此中菩薩慧光，多分乾竭一切有情煩惱諸毒，如前所說諸聲聞等所有智光不能映奪。

> 先に述べた内容に加えて、ここでの違いは次の通りです。 例えば、世の中の巧みな職人が、精錬した黄金で荘厳な装飾品を作り、様々な宝珠で飾り立てると、それは非常に美しく輝き、他の閻浮提のあらゆる金の宝飾品もその輝きに及ばないように、ここにおける菩薩の善根は、より一層清らかになります。すべての声聞や独覚の善根、さらにそれよりも低い境地にある菩薩の善根も、この清らかさには及びません。 また、例えば日光が、閻浮提のあらゆる汚れや湿気をほとんど乾かしてしまうように、他のあらゆる光もその力に及ばないのと同じく、ここにおける菩薩の智慧の光は、すべての有情の煩悩という毒をほとんど乾かし尽くします。先に述べた声聞たちの智慧の光は、この智慧の光には全く及びません。

受生多作他化自在天王，於能授與一切聲聞、獨覺現觀方便善巧。所有威力，當知此說俱胝百千數。

> 受生して、多く他化自在天の王となる。一切の声聞・独覚に現観の方便善巧を授けることができる。その全ての威力は、俱胝・百千の数をもって説かれるべきものであると知るべきである。

當知是名略說菩薩有加行有功用無相住。謂妙方便慧所引世間進道勝行成滿得入故；通達如來佛境界，起無間無缺勤加行故；一一剎那圓證一切菩提分法故；安立染污不染污故；有加行行圓滿攝故；依於意樂清淨業轉，一切世間工巧業等皆圓滿故；逮得無量不共一切聲聞、獨覺三摩地故；剎那剎那入滅定故；現行一切有情不共世間行故；善根清淨故；受生故；威力故。

> 以上が、菩薩の「加行を有し、功用を有する無相の境地」の概要であると知るべきです。すなわち、 - 巧みな智慧に導かれた世間の優れた行いを成就し、その境地に入るからです。 - 如来の仏の境地を悟り、途切れることなく精進を続けるからです。 - 一瞬一瞬において、すべての悟りの要素を完全に体得するからです。 - 汚れたものと清らかなものを明確に区別するからです。 - 加行の行いが完全に備わるからです。 - 清らかな意志に基づいて行動し、あらゆる世間の技術や仕事を完璧にこなすからです。 - 声聞や独覚にはない無数の三昧（深い禅定）を得るからです。 - 瞬間瞬間に滅尽定（思考の消滅した境地）に入ることができるからです。 - すべての衆生にはない世間を超えた行いを現すからです。 - 善根が清らかであるからです。 - 自在に生まれ変わるからです。 - 神通力を持つからです。

若廣宣說，如十地經遠行地說。

> もし詳しく説けば、十地経の遠行地の説明のようになるでしょう。

此地菩薩有加行行圓滿攝故，名遠行地。即由此義，當知亦名有加行有功用無相住。

> この地の菩薩は、修行の実践が円満に備わっているため、遠行地と名づけられます。また、この意味から、努力を伴い、はたらきかけをもって、無相の境地に安住する位とも呼ばれることを知るべきです。

云何菩薩無加行無功用無相住？

> いわゆる「菩薩の加行なく、功用なく、無相の境地に住する」とは、どのような状態でしょうか。

謂諸菩薩，於初無相住中，已得十種入一切法第一義智，如經廣說。謂依三世，如其所應，本來無生、無起、無相；依餘因性無成、無壞；依第一義畢竟離言諸自性事，言說造作影像自性，由體相故及因性故，都無所有；即由如是雜染體性，無流轉性；無止息性；依此無智邪執為因，於彼離言諸有體事，初中後位一切時分，染平等性；依於真如，無倒證入無有分別平等性故，能除雜染。是名此中略所說義。如是十種入一切法第一義智成上品故，極圓滿故，超過第七雜清淨住，得入第八純清淨住。

> 諸菩薩は、初めて無相の住に至った時、すでに十種の「一切法の第一義を知る智慧」を得ている。経典に詳しく説かれている通りである。すなわち、三世に依って、それぞれに応じて、本来無生・無起・無相である。他の因の性質に依って、無成・無壊である。第一義に依って、畢竟く言葉を離れた諸々の自性の事柄において、言葉や造作による影像の自性は、体の相と因の性質によって、全く存在しない。そのように、この雑染の体性によっては、流転する性質はなく、止息する性質もない。この無智と邪執を因として、言葉を離れた諸々の有る体の事柄に対して、初・中・後の位のすべての時分において、平等に染まる性質がある。真如に依って、顛倒なく流入し、分別なき平等性を証入するがゆえに、雑染を除くことができる。これが、ここで略説する義である。このように十種の「一切法の第一義を知る智慧」が上品となり、極めて円満であるため、第七の雑清浄の住を超えて、第八の純清浄の住に入るのである。

住此住中，於無生法，證得菩薩第一最勝極清淨忍。此復云何？謂諸菩薩由四尋思，於一切法正尋思已，若時獲得四如實智，如實了知一切諸法，爾時一切邪分別執皆悉遠離。觀一切法，於現法中隨順一切雜染無生；觀彼先時一切所有邪分別執因所生法，於當來世一切無餘永不復生。此四尋思、四如實智，廣說如前真實義品。此如實智，始從勝解行住乃至有加行有功用無相住，未極清淨；今此住中已極清淨，是故說言：於無生法，證得菩薩第一最勝極清淨忍。

> この境地に住する時、菩薩は無生の法について、第一で最勝、極めて清らかな忍（にん）を証得する。それはどのようなものか。すなわち、諸々の菩薩は四尋思（しじんし）によって、あらゆる法を正しく観じた後、ある時に四如実智（しにょじつち）を得て、全ての諸法をありのままに知る。その時、あらゆる誤った分別や執着は全て遠く離れ去る。そして、一切の法を観じて、現在の世においては、あらゆる雑染（ぞうぜん）が生じないことに随順し、また、それ以前に誤った分別や執着を原因として生じた法が、未来の世においては、余すところなく再び生じることがないと観じるのである。この四尋思と四如実智については、前に「真実義品」で詳しく説かれた通りである。この如実智は、勝解行住（しょうげぎょうじゅう）から、加行（くぎょう）と功用（くゆう）を伴う無相住（むそうじゅう）に至るまでは、まだ極めて清らかではない。しかし、今この境地においては、すでに極めて清らかとなっている。それゆえに、「無生の法について、菩薩は第一で最勝、極めて清らかな忍を証得する」と言われるのである。

是諸菩薩得此忍故，得甚深住。先於第一無相住中，四種災患今悉除斷。一者、除斷於無相中有加行有功用事；二者、除斷於上清淨住精勤思慕；三者、除斷於一切種利有情事有大堪能精勤思慕；四者、除斷有微細想現在前行。是故此住名極清淨。

> これらの菩薩たちはこの忍びを得たことにより、非常に深い境地に達します。先に得た第一の無相の住においてあった四つの災いが、今まさに断ち切られます。 第一に、無相の境地において、わざわざ努力を加えようとする働きが断たれます。 第二に、より高い清らかな住を求めて熱心に思い慕うことが断たれます。 第三に、あらゆる種類の衆生を利益するために、大きな能力をもって精進し思い慕うことが断たれます。 第四に、微細な観念が目の前をよぎることが断たれます。 それゆえ、この住は「極めて清らかな住」と呼ばれます。

又此菩薩於甚深住極生愛樂。

> また、この菩薩は深い境地の住に大いに愛楽を生じる。

即於如是法門流中，蒙諸如來覺悟勸導，授與無量引發門智神通事業。

> このような教えの流れの中で、諸仏によって目覚めさせられ、導かれ、無量の智慧と神通の働きを得る門をお授けいただいたのです。

如是蒙佛覺悟勸導，引發無量分身妙智。得十自在。如經廣說，應知其相。

> このように仏の覚醒と勧めの導きを受けて、無数の分け身の妙なる智恵が引き起こされました。そして十の自在を得ました。経典に詳しく説かれている通り、その様相を理解すべきです。

得自在故，隨所欲住，如意能住；隨樂安住靜慮、解脫等諸心住，如意能住；若暫思惟一切食等諸資生具，悉皆成辦，一切世間工業明處，如其所欲悉能現行；普於一切能感生業，及於一切受生處所，皆隨所欲自在往生；隨所愛樂，一切神通所作事業皆能起作；一切妙願，隨其所欲皆得稱遂；隨於事物發起勝解，如所欲為皆成無異；隨所欲知所知境界皆如實知；普於一切名句文身得隨所欲；於一切法正安立中皆得善巧。

> 自在を得た故に、望むままに住し、思いのままに留まることができる。静慮や解脱などの心の安らぎを楽しみながら、思いのままに心をとどめることができる。もし少しでも食料などの生活に必要なものを思えば、すべてが備わり、この世のあらゆる技術や知識も、望むままに現れ出ずる。あらゆる生存をもたらす業や、すべての生まれる場所においても、望むままに自由に生まれ変わることができる。好むままに、あらゆる神通力による働きを起こし行うことができる。すべての素晴らしい願いも、望むままに叶えられる。事物について優れた理解を起こせば、思いのままに行動して差異はない。知りたいと思う対象をあるがままに知り、あらゆる言葉や文字、表現についても思いのままに自在である。すべての教えを正しく確立することにおいて、巧みに達している。

如是菩薩獲得自在，從是已去，所得自在所作勝利，廣說如經，應知其相。

> このようにして菩薩は自在を得ます。 その自在を得た後に、その自在によって成し遂げられる功徳や利益については、経典に広く説かれている通りです。その内容をよく知るべきです。

又能棄捨麁見諸佛，恒常無間不離見佛。

> また、粗い見方で諸仏を見ることを捨て、常に途切れることなく仏を見ることができる。

其餘所有善根清淨，金喻、光喻，如經應知。

> その他のすべての善根は清らかであり、金のたとえや光のたとえについては、経典にある通りに理解すべきである。

此住菩薩受生、威力諸殊勝事，皆如經說，應知其相。

> この位に住する菩薩の受生や威神力などの殊勝な事柄は、すべて経典に説かれている通りであり、その相を知るべきである。

當知是名略說菩薩無加行無功用無相住。謂入一切法第一義智成滿得入故；得無生法忍故；除斷一切災患故；逮得菩薩甚深住故；於法門流，蒙佛授與無量引發門智神通事業故；悟入無量分身智故；得自在故；領受所得自在勝利故；善根清淨故；受生故；威力故。

> これを、菩薩の加行なく功用なく相なき住と略説することを知るべし。すなわち、一切法の第一義に入る智慧が成就し満ちるに至る故、無生法忍を得る故、一切の災いや患いを断ち除く故、菩薩の甚深の住を得る故、法門の流れにおいて仏より無量の引發門智と神通の事業を授けられる故、無量の分身の智慧を悟り入る故、自在を得る故、得たる自在の勝利を受領する故、善根が清らかになる故、受生する故、威力の故である。

若廣宣說，如十地經不動地說。

> もし広く説くならば、それは十地経における不動地の説き方の通りである。

於此地中，捨先所有有加行、有功用道，其心昇上無加行、無功用、任運而轉不動勝道，是故此地名不動地。即由此義，當知說名無加行無功用無相住。

> この境地に至れば、それまでの努力や意識的な修行（有加行・有功用の道）を捨て、心は努力せず、作為なく、自然に（任運に）働く、揺るぎない（不動）すぐれた道へと上昇します。そのため、この境地を「不動地」と呼びます。また、同じ理由から、「努力をせず、作為なく、無相の境地に安住する」とも説かれていると知るべきです。

云何菩薩無礙解住？

> 菩薩の無礙解住（むげげじゅう）とは、どのようなものなのでしょうか。

謂諸菩薩，於甚深住不生喜足，復於增上智殊勝性愛樂隨入。

> 諸々の菩薩は、非常に深い境地に安住しても満足することなく、さらに向上した智慧の特別な性質を愛好し、それに従って入っていくのである。

是諸菩薩於諸法中起智加行，應為他說一切種法。

> これらの菩薩たちは、あらゆる教えにおいて智慧を起こし実践を積み、すべての種類の教えを他者に説くべきである。

普於一切說法所作皆如實知。當知此中說法所作，謂於一切近稠林行，如此雜染、如此清淨，由此雜染、由此清淨，若所雜染、若所清淨，若非一向、若是一向、若通二種，如是一切皆如實知。

> あらゆる教えの働きについて、あるがままに知るのです。 ここで「教えの働き」とは、すべての「深い迷いの森を行く者たち」について、次のように理解することをいいます。 \* これが煩悩であり、これが清らかさである。 \* この煩悩によって、この清らかさによって、あるいは、何によって煩わされ、何によって清まるのか。 \* また、それが必ずしも一方的でないのか、一方的であるのか、あるいはその両方の性質を持つのか。 こうしたすべてを、あるがままに知り尽くすのです。

如是菩薩，於說法中方便善巧，於說所作方便善巧，於一切種成大法師，獲得無量陀羅尼門，於一切種音詞支具剖析善巧，辯才無盡。成就如是法陀羅尼領受堪能菩薩，由此勝無礙解引發言詞，能坐如是微妙法座。若於是中、若於是處宣說正法盡所有門，若由此故，於諸有情勸導、慰喻、安處事業，此等堪能皆悉成就。如是一切，廣說如經，應知其相。

> このように、菩薩は説法において巧みな方便を持ち、説法の所作においても巧みな方便を持ち、あらゆる面で優れた説法者となり、無量の陀羅尼の門を獲得し、あらゆる言葉や音声、その細部に至るまで巧みに分析し、弁才に尽きることがありません。 このような法陀羅尼を成就し、受け入れ、理解する力を持つ菩薩は、この優れた無礙解によって言葉を自在に操り、このような微細で妙なる法座に座ることができます。そして、その中で、その場において、教えを説くあらゆる門を尽くし、あるいはそれによって、あらゆる有情を導き、慰め、励まし、事業に安んじさせること、これらの働きのすべてを成し遂げることができます。 このすべては、経典で詳しく説かれているように、その相を知るべきです。

善根清淨、受生、威力諸殊勝事，亦廣如經，應知其相。

> 善根が清らかになり、生まれ変わり、そして力強い功徳の素晴らしい働きについては、経典に詳しく説かれている通りですから、その内容をよく学び理解すべきです。

當知是名略說菩薩無礙解住。謂於甚深寂靜解脫不生喜足入勝進故；於諸法中起智加行宣說法故；此所作事如實知故；得不思議大法師故；善根清淨故；受生故；威力故。

> これを、菩薩の無礙解住（むげげじゅう）の大まかな説明であると知るべきです。 すなわち、非常に深く静かな解脱に満足せず、さらに優れた境地へ進むこと、様々な教えの中で智慧を起こし実践を積み、教えを説くこと、その行いをあるがままに知ること、不可思議な大法師となること、善根が清らかであること、生まれ変わること、そして威力を発揮すること、これらを指します。

若廣宣說，如十地經善慧地說。

> もし詳しく説くなら、『十地経』の善慧地での教えの通りです。

由此地中，一切有情利益安樂意樂清淨，逮得菩薩無礙解慧，由此善能宣說正法，是故此地名善慧地。即由此義，當知復名無礙解住。

> この境地に至ることで、あらゆる生きとし生けるものに対して利益と安楽を願う心が清らかになり、菩薩としての自在な智慧を得ることができます。この智慧によって正しい教えを巧みに説くことができるため、この境地を「善慧地」と呼びます。また、この同じ理由から、この境地は「無礙解住（妨げられることのない智慧の境地）」とも名づけられています。

云何菩薩最上成滿菩薩住？

> どのようにして菩薩は、 最も優れた、完成された菩薩の境地に達するのでしょうか。

謂諸菩薩，無礙解住一切行相遍清淨已，堪為法王受法灌頂。

> 諸々の菩薩は、さまたげのない理解（無碍解）の境地にとどまり、あらゆる行為のすがたをくまなく清らかにしたのちに、法の王としてふさわしく、法による灌頂を受けることができるのである。

得離垢等無量無數勝三摩地。

> 数えきれないほどの勝れた三昧（三摩地）を得て、心の汚れから離れる境地に達する。

作彼所作一切智智殊勝灌頂後三摩地現在前故，得一切佛相稱妙座、身諸眷屬，得大光明，往來普照一切行相，一切智智灌灑其頂。既灌頂已，普能引導所化有情。

> 彼の行いを成し遂げ、一切智智の殊勝なる灌頂を受けた後、三摩地が現前するが故に、一切の仏と相応する妙なる座と、その身の眷属を得る。また、大光明を得て、遍く照らし、あらゆる行相を行き来し、一切智智がその頂に灌がれる。灌頂を受けた後は、衆生を広く導くことができるのである。

於彼解脫方便佛事得如實智，逮得無量無邊解脫、陀羅尼門、大神通力。

> その解脱に至るための巧みな手段と仏の教えの働きについて、ありのままの智慧を得て、限りなく広大な解脱、陀羅尼の門、そして大きな神通力を身につけました。

及此增上大念、大智增上引發訓詞安立，及大神通增上引發。

> この大きな向上した念（心の集中）と、大きな智慧の向上により、ことばの理解と教えの確立が促されます。さらに、大きな神通力の向上も促されるのです。

善根清淨、受生、威力諸殊勝事，一切如經，應知其相。

> 善根が清らかになり、生まれ変わることや力の働きといった、あらゆる素晴らしい事柄については、経典にある通りであり、その様相をそのまま知るべきです。

當知是名略說最上成滿菩薩住。

> これこそが、菩薩の最高の境地を簡潔に説いたものだと知るべきである。

若廣宣說，如十地經法雲地說。

> もし広く説こうとすれば、たとえば『十地経』の法雲地の説明のようになるでしょう。

是諸菩薩住此地中，諸菩薩道皆得圓滿，菩提資糧極善周備。從諸如來大法雲所，堪能領受其餘一切有情之類難可領受最極廣大微妙法雨。又此菩薩，自如大雲，未現等覺無上菩提。若現等覺無上菩提，能為無量無邊有情等雨無比微妙法雨，殄息一切煩惱塵埃，能令種種善根稼穡生長、成熟。是故此地名法雲地。即由此義，當知復名最上成滿菩薩住。

> この菩薩たちはこの境地に住して、菩薩道をことごとく円満に成就し、菩提のための資糧（修行の糧）を極めてよく備えています。諸々の如来という大きな法の雲のもとから、他のすべての有情には受け取り難い、最も広大で微細な法の雨を、よく受け取ることができるのです。 また、この菩薩は自ら大きな雲のようでありながら、まだ無上の悟りを現していません。もし無上の悟りを現すならば、無量無辺の有情に対して、比べるもののない微妙な法の雨を等しく降らせ、すべての煩悩という塵や埃を消し止め、さまざまな善根という農作物を生長させ、成熟させることができます。 それゆえに、この境地を法雲地（ほううんじ）と呼びます。また、この同じ理由から、これが最も優れた完成された菩薩の境地であると知るべきです。

如是所說後後住中支分功德，非前前住一切都無，然下品故不墮其數。

> このように説明されている、後の段階の「住」に含まれる部分的な功徳は、前の段階の「住」には全く存在しないわけではありません。しかし、下位のものであるため、その数には含まれないのです。

當知即彼展轉修習成中上品，於餘後地證得成滿，方乃建立。

> 知っておくべきである――そのように繰り返し修行を積むことで、中程度の境地や優れた境地へと進み、その後のさらなる段階において完全な悟りに達して初めて、はっきりと確立されるのである。

又即於此一一住中，經多俱胝百千大劫，或過是數方乃證得及與成滿。然一切住總經於二無數大劫，方得圓證。謂經第一無數大劫，方乃超過勝解行住，次第證得極歡喜住。此就恒常勇猛精進，非不勇猛勤精進者。復經第二無數大劫，方乃超過極歡喜住，乃至有加行有功用無相住，次第證得無加行無功用無相住。此即決定，以是菩薩得淨意樂，決定勇猛勤精進故。復經第三無數大劫，方乃超過無加行無功用無相住及無礙解住，證得最上成滿菩薩住。

> また、この一つ一つの住位において、多くの俱胝・百千の大劫、あるいはそれ以上の長い時を経て、ようやく証得し、成就を満たすのである。しかしながら、すべての住位を総じて、二つの無数大劫を経て、ようやく円満に証得するのである。すなわち、第一の無数大劫を経て、ようやく勝解行住を超えて、順を追って極喜住を証得する。これは、常に勇猛精進する者についてのことであって、勇猛に勤め精進しない者のことではない。 さらに第二の無数大劫を経て、ようやく極喜住を超え、加行・功用ある無相住に至り、順を追って加行・功用なき無相住を証得する。これは、もはや決定した境地であって、この菩薩は清らかな意楽を得て、勇猛に精進することを決定しているからである。 さらに第三の無数大劫を経て、ようやく加行・功用なき無相住および無礙解住を超え、最上の成就した菩薩住を証得するのである。

當知此中，略有二種無數大劫。一者、日夜月半月等算數方便，時無量故，亦說名為無數大劫。二者、大劫算數方便，超過一切算數之量，亦說名為無數大劫。

> ここで知るべきことは、大まかに二種類の「無数大劫（むすうだいごう）」があるということです。 第一に、日・夜・半月・月などを単位として計算する方法によるもので、時間が計り知れないほど長いため、「無数大劫」と呼ばれます。 第二に、大劫（だいごう）を単位として計算する方法によるもので、あらゆる計算の限度を超えているため、同じく「無数大劫」と呼ばれます。

若就前說無數大劫，要由無量無數大劫，方證無上正等菩提。若就後說無數大劫，但經於三無數大劫，便證無上正等菩提，不過此量。

> 最初の解釈に従えば、無数の大劫（長い時間）を経て、さらに無量無数の大劫を経なければ、無上の正しい悟り（正等菩提）を証得することはできません。 後の解釈に従えば、三つの無数大劫を経るだけで、無上の正しい悟りを証得することができ、それ以上長くなることはありません。

若正修行最上上品勇猛精進，或有能轉眾多中劫，或有乃至轉多大劫，當知決定無有能轉無數大劫。

> 真に最上の修行に励み、勇猛精進（ゆうもうしょうじん）に取り組む者でも、多くの「中劫（ちゅうごう）」を変えることができる場合がある。あるいは、さらに多くの「大劫（だいごう）」を変えることさえできることもある。しかし、知っておくべきである――「無数大劫（むすうだいごう）」を変えることは、決してできないのだ。

又由如是所說十二諸菩薩住，經三無數大劫時量，能斷一切煩惱障品所有麁重，及斷一切所知障品所有麁重。於三住中，當知能斷煩惱障品所有麁重。謂於極歡喜住中，一切惡趣諸煩惱品所有麁重皆悉永斷，一切上中諸煩惱品皆不現行。於無加行無功用無相住中，一切能障一向清淨無生法忍諸煩惱品所有麁重皆悉永斷，一切煩惱皆不現前。於最上成滿菩薩住中，當知一切煩惱習氣隨眠障礙皆悉永斷，入如來住。當知一切所知障品所有麁重，亦有三種。一者、在皮麁重，二者、在膚麁重，三者、在肉麁重。當知此中，在皮麁重，極歡喜住皆悉已斷；在膚麁重，無加行無功用無相住皆悉已斷；在肉麁重，如來住中皆悉已斷，得一切障極清淨智。於三住中，煩惱、所知二障永斷；所餘諸住，如其次第，修斷資糧。

> 以上の十二の菩薩の住地により、三つの無数劫という長い時間を経て、あらゆる煩悩の障りとなるものの粗重（あらくおもいさわり）と、あらゆる所知の障りとなるものの粗重を断ち切ることができる。 三つの住地において、煩悩の障りとなるものの粗重を断ち切ることができると知るべきである。すなわち、極喜住（ごっきじゅう）においては、すべての悪趣における煩悩の粗重が完全に断たれ、すべての上中（じょうちゅう）の煩悩は現れなくなる。無加行無功用無相住（むかぎょうむくゆうむそうじゅう）においては、一向清浄な無生法忍（むしょうほうにん）を妨げるすべての煩悩の粗重が完全に断たれ、すべての煩悩が現れなくなる。最上成満菩薩住（さいじょうじょうまんぼさつじゅう）においては、すべての煩悩の習気（しゅうけ）と随眠（ずいみん）の障りが完全に断たれ、如来の住地に入ると知るべきである。 また、すべての所知障（しょちしょう）の粗重にも三種があると知るべきである。一つは皮（ひ）の粗重、二つは膚（ふ）の粗重、三つは肉（にく）の粗重である。 このうち、皮の粗重は極喜住においてすでに断たれ、膚の粗重は無加行無功用無相住においてすでに断たれ、肉の粗重は如来の住地においてすでに断たれ、すべての障りを離れた極めて清らかな智慧が得られると知るべきである。 これらの三つの住地において、煩悩障と所知障の二つの障りが完全に断たれる。残りの住地は、その順序に従って、修行によって断つための資糧（しりょう）を積むのである。

即於如是十三住中，當知略有十一清淨。謂於第一種性住中，種性清淨。於其第二勝解行住，信勝解淨。於其第三極歡喜住，勝意樂淨。於其第四增上戒住，增上戒淨。於其第五增上心住，增上心淨。於其第六、第七、第八增上慧住，無顛倒智發起清淨。於其第九有加行有功用無相住，有加行行圓滿清淨。於其第十無加行無功用無相住，真智神通引發清淨。於第十一無礙解住，能正為他宣說法義無礙解淨。於第十二最上成滿菩薩住中，入一切種一切所知妙智清淨。於第十三如來住中，一切煩惱及所知障并諸習氣究竟清淨。

> 即ち、かかる十三の住において、略して十一の清浄があると知るべきである。 第一の種性住においては、種性の清浄。 第二の勝解行住においては、信と勝解の清浄。 第三の極喜住においては、勝れた意楽の清浄。 第四の増上戒住においては、増上戒の清浄。 第五の増上心住においては、増上心の清浄。 第六・第七・第八の増上慧住においては、顛倒なき智を発起する清浄。 第九の加行・功用ある無相住においては、加行のある行が円満する清浄。 第十の加行・功用なき無相住においては、真実の智と神通を引き起こす清浄。 第十一の無礙解住においては、他者のために正しく法の義を説く無礙解の清浄。 第十二の最上成満菩薩住においては、一切の種の一切の所知に入る妙智の清浄。 第十三の如来住においては、一切の煩悩と所知障およびその習気が究竟して清らかになる。

如前菩薩功德品中所說八法能攝大乘，當知在此十三住攝。謂於第一、第二住中，於菩薩藏生信、勝解、聽受、思惟；第三住中，得勝意樂，趣向前行勝修行相；於餘一切乃至有加行有功用無相住中，得修廣大；於上三種淨行所攝菩薩住中，修果成滿；如來住中，當知獲得究竟出離。

> 先の菩薩功徳品で述べられた八つの法が大乗を包括するとされるが、これらはここで説く十三の住に収められていると知るべきである。すなわち、第一の住と第二の住においては、菩薩の教え（菩薩蔵）に対する信心、勝れた理解、聴聞と受容、そして思索が生じる。第三の住では、勝れた心意の喜びを得て、前進を志す勝れた修行の相が現れる。残りのすべての住、すなわち有加行・有功用・無相の住に至るまでは、広大な修行が成就される。さらに上の三つの清らかな行いに属する菩薩の住では、修行の果報が完成される。如来の住に至っては、究極の超脱（出離）を得ると知るべきである。

當知菩薩十二種住，隨其次第類聲聞住。如諸聲聞，自種性住，當知菩薩初住亦爾。如諸聲聞，趣入正性離生加行住，當知菩薩第二住亦爾。如諸聲聞，已入正性離生住，當知菩薩第三住亦爾。如諸聲聞，已得證淨聖所愛味，為盡上漏增上戒學住，當知菩薩第四住亦爾。如諸聲聞，依增上戒學引發增上心學住，當知菩薩第五住亦爾。如諸聲聞，如其所得諸聖諦智增上慧學住。當知菩薩第六、第七、第八住亦爾。如諸聲聞，善觀察所知無相三摩地加行住，當知菩薩第九住亦爾。如諸聲聞，成滿無相住，當知菩薩第十住亦爾。如諸聲聞，從此出已，入解脫處住，當知菩薩第十一住亦爾。如諸聲聞，具一切相阿羅漢住，當知菩薩第十二住亦爾。

> 菩薩には十二の段階があることを知るべきである。その順序に従って、声聞（修行者）の段階と比べることができる。 声聞がそれぞれの生まれつきの性質に基づく段階にあるように、菩薩の最初の段階もまた同じである。 声聞が真理に向かって進み、煩悩から離れるための修行に入る段階にあるように、菩薩の第二の段階もまた同じである。 声聞がすでに真理に入り、煩悩から離れた段階にあるように、菩薩の第三の段階もまた同じである。 声聞がすでに清らかな信仰を得て、聖者が愛する味わいを経験し、さらなる煩悩を尽くすための戒律の修行に励む段階にあるように、菩薩の第四の段階もまた同じである。 声聞が戒律の修行に基づいて、心を高める修行（禅定）に進む段階にあるように、菩薩の第五の段階もまた同じである。 声聞が得た聖なる真理の智慧によって、さらに智慧を高める修行をする段階にあるように、菩薩の第六、第七、第八の段階もまた同じである。 声聞がよく観察し、無相の境地に入るための準備の修行をする段階にあるように、菩薩の第九の段階もまた同じである。 声聞が無相の境地を完成させる段階にあるように、菩薩の第十の段階もまた同じである。 声聞がそこから出て、解脱の境地に入る段階にあるように、菩薩の第十一の段階もまた同じである。 声聞がすべての特質を備えた阿羅漢の段階にあるように、菩薩の第十二の段階もまた同じである。