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title: "大智度論 · 3 總說如是我聞釋論"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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## 大智度初品總說如是我聞釋論第三卷第二

> 『大智度論』初品「総説」 如是我聞 釋論 第三<note>巻第二</note>

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵法師鳩摩羅什が詔を奉じて訳す

「如是我聞：一時」，今當總說。

> この「如是我聞。一時」という言葉について、ここでまとめて説明しよう。

問曰：

> お尋ねします。

若諸佛一切智人，自然無師，不隨他教，不受他法，不用他道，不從他聞而說法，何以言「如是我聞」？

> もし諸仏が一切智者であり、自ずから師なく、他人の教えに従わず、他人の法を受けず、他人の道を用いず、他人から聞かずに説法するのなら、なぜ「如是我聞」と言うのか？

答曰：

> お答えしますと、

如汝所言，佛一切智人，自然無師，不應從他聞法而說。

> あなたがおっしゃる通り、仏は全てを知る者であり、自然に師事することなく、他者から法を聞いて説く必要はありません。

佛法非但佛口說者是，一切世間真實善語、微妙好語，皆出佛法中。

> 仏の教えとは、仏の口から語られたものだけを指すのではありません。この世のあらゆる真実の言葉、素晴らしい言葉、美しい言葉は、すべて仏の教えの中から生まれているのです。

如佛毘尼中說：「何者是佛法？佛法有五種人說：一者、佛自口說，二者、佛弟子說，三者、仙人說，四者、諸天說，五者、化人說。」

> 仏の毘尼（規律）にこう説かれています。「では、仏法とは何か？仏法を説く者には五種類の人がいる。第一に、仏御自身がお説きになる場合。第二に、仏の弟子が説く場合。第三に、仙人が説く場合。第四に、天人が説く場合。第五に、化身が説く場合である。」

復次，如《釋提桓因得道經》，佛告憍尸迦：「世間真實善語、微妙好語，皆出我法中。」

> また、『釈提桓因得道経』において、仏は嬌尸迦に告げて言われた。 「世の中の真実で正しい言葉、そして素晴らしい言葉は、すべて私の教えの中から出ているのである。」

如〈讚佛偈〉中說：

> 〈仏を讃える偈〉の中で、このように説かれています。

「諸世善語， 皆出佛法； 善說無失，無過佛語。 餘處雖有， 善無過語，一切皆是， 佛法之餘。 諸外道中，設有好語， 如虫食木， 偶得成字。初中下法， 自共相破， 如鐵出金，誰當信者？ 如伊蘭中， 牛頭栴檀；如苦種中， 甘善美果。 設能信者，是人則信， 外經書中， 自出好語。諸好實語， 皆從佛出； 如栴檀香，出摩梨山。 除摩梨山， 無出栴檀；如是除佛， 無出實語。」

> この世のあらゆる良い言葉は、すべて仏の教えから生まれています。善く説かれたものに誤りはなく、仏の言葉に勝る誤りのない言葉はありません。他の教えにも良い言葉はありますが、仏の言葉を超える完全な言葉はありません。すべての真実は、仏の教えの一部にすぎません。 様々な外道の教えの中に、たとえ良い言葉があったとしても、それはまるで虫が木を食べて偶然に文字のような形になるようなものです。初級・中級・上級の教えが互いに矛盾し破り合う様子は、まるで鉄の中から金が出るのを信じる人がいないのと同じです。 ちょうどイラン（香りのない木）の中から最高の栴檀（せんだん）が生まれないように、苦い種から甘い美味しい果物が生まれないように、ましてやそれを信じる人がいるでしょうか？もしそれを信じる人がいるなら、その人は外道の経典や書物から出た良い言葉を信じていることになります。 しかし、すべての真実の良い言葉は、仏から出るのです。ちょうど栴檀の香りが摩梨山（まりせん）からのみ出るように、摩梨山を除いて栴檀が生まれることはありません。これと同じように、仏を除いて真実の言葉が出ることはないのです。

復次，「如是我聞」，是阿難等佛大弟子輩說，入佛法相故，名為佛法。

> また、「如是我聞（このように私は聞いた）」という言葉は、阿難（あなん）をはじめとする仏の大いなる弟子たちが説いたものです。この言葉が「仏法の相（すがた）」に入っているからこそ、仏法と呼ばれるのです。

如佛般涅槃時，於俱夷那竭國薩羅雙樹間，北首臥，將入涅槃。爾時，阿難親屬愛未除，未離欲故，心沒憂海，不能自出。爾時，長老阿泥盧豆語阿難：「汝守佛法藏人，不應如凡人自沒憂海！一切有為法，是無常相，汝莫愁憂！又佛手付汝法，汝今愁悶，失所受事。汝當問佛：『佛般涅槃後，我曹云何行道？誰當作師？惡口車匿，云何共住？佛經初作何等語？』如是種種未來事，應問佛。」

> 仏が般涅槃に入ろうとして、俱夷那竭国のサーラ双樹の間で、頭を北にして横たわり、まさに入滅しようとしておられた時、阿難は親族への愛着が未だ断ち切れず、欲望から離れていなかったため、心は憂いの海に沈み、自ら抜け出せずにいた。 その時、長老の阿泥盧豆（アニルッダ）が阿難に言った。「あなたは仏の法蔵を守る者である。凡人のように憂いの海に沈んではならない。全ての有為の法は無常の相である。あなたは悲しみに暮れてはならない。また、仏は自らあなたに法を託された。今あなたが憂い悲しむならば、その受け継いだ務めを失ってしまう。あなたは仏に問うべきだ。『仏が般涅槃された後、私たちはどのように道を修行すべきか。誰が師となるべきか。悪口を言う車匿（チャンダカ）とはどのように共に住むべきか。仏の経典の冒頭には何と書くべきか。』このような様々な未来の事柄を、仏にお尋ねしなさい。」

阿難聞是事，悶心小醒，得念道力助，於佛末後臥床邊，以此事問佛。

> 阿難がこの事を聞いて、心は暗く沈んだが少しずつ正気を取り戻し、道の力の加護を得て、仏の最後の時、寝床のそばでこのことを仏に尋ねた。

佛告阿難：「若今現前，若我過去後，自依止，法依止，不餘依止。云何比丘自依止、法依止、不餘依止？於是比丘內觀身，常當一心智慧，勤修精進，除世間貪憂；外身、內外身觀，亦如是；受、心、法念處，亦復如是。是名比丘自依止、法依止、不餘依止。從今日，解脫戒經即是大師；如解脫戒經說身業、口業，應如是行。車匿比丘，我涅槃後，如梵法治；若心濡伏者，應教《刪陀迦旃延經》，即可得道。復次，我三阿僧祇劫所集法寶藏，是藏初應作是說：『如是我聞：一時，佛在某方、某國土、某處樹林中。』何以故？過去諸佛經初皆稱是語，未來諸佛經初亦稱是語，現在諸佛末後般涅槃時亦教稱是語。今我般涅槃後，經初亦應稱『如是我聞：一時』。」

> 仏は阿難に告げられた。「今、私が目の前にいる時も、私が亡き後も、自らをよりどころとし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしてはならない。では、どのように比丘が自らをよりどころとし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないのか。 ここにおいて比丘は、内なる身体を観察し、常に一心に智慧をもって、努め努力し、世間の貪りや憂いを除く。外なる身体、内外の身体の観察もまた同様である。感受、心、法についての観察もまた、同じように行う。これを、比丘が自らをよりどころとし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないというのである。 今日より、解脱の戒経こそが大師である。解脱の戒経に説かれるように、身体の行い、言葉の行いは、それに従って実践すべきである。 チャンダカ比丘については、私の涅槃の後は、梵天の法に従って処置しなさい。もし心が柔らかく従順ならば、『サンダカーティヤーヤナ経』を教えなさい。そうすれば、道を得ることができるだろう。 さらに、私が三大阿僧祇劫の間、集めてきた法宝の蔵がある。この蔵の初めには、次のように説くべきである。『このように私は聞いた。ある時、仏は某所、某国土、某所の林の中におられた』と。なぜなら、過去の諸仏の経典の初めは皆、この言葉を用い、未来の諸仏の経典の初めもまた、この言葉を用い、現在の諸仏も最後に般涅槃する時には、この言葉を用いるよう教えられたからである。今、私が般涅槃した後も、経典の初めには『このように私は聞いた。ある時』と称すべきである。」

是故當知是佛所教，非佛自言「如是我聞」。佛一切智人，自然無師故，不應言「我聞」。若佛自說「如是我聞」，有所不知者，可有此難。阿難問佛，佛教是語，是弟子所言「如是我聞」，無有咎。

> よって、知るべきである。これは仏が教えさせたものであって、仏ご自身が「如是我聞」と言ったのではない。仏は一切智をそなえた方であり、自然に師なくして悟られた方であるから、「我聞」と言うべきではない。もし仏自らが「如是我聞」と言ったならば、何か知らないことがあるのではないかという疑問が生じるだろう。しかし阿難が仏に問い、仏がこの言葉を教えられたのは、弟子が述べる言葉として「如是我聞」と言うのであり、そこに過ちはない。

復次，欲令佛法久住世間故，長老摩訶迦葉等諸阿羅漢問阿難：「佛初何處說法？說何等法？」阿難答：「如是我聞：一時，佛在波羅捺國仙人鹿林中，為五比丘說是苦聖諦。我本不從他聞，法中正憶念得眼、智、明、覺。」是經，是中應廣說。

> さらに、仏法を永くこの世に留めるため、長老マハーカッサパをはじめとする阿羅漢たちが阿難に尋ねました。「仏は最初にどこで説法し、どのような法を説かれたのですか？」阿難は答えました。「私はこのように聞きました。あるとき、仏はバラナシ国の仙人鹿林において、五人の比丘にこの苦聖諦を説かれました。私はこれを他から聞いたのではなく、法の中で正しく念じることで、智慧・洞察・光明・覚りを得ました。」この経典については、ここで詳しく説かれるべきものです。

如《集法經》中廣說：

> 『集法経』の中で詳しく説かれているように。

佛入涅槃時，地六種動，諸河反流，疾風暴發，黑雲四起，惡雷掣電，雹雨驟墮，處處星流，師子惡獸哮吼喚呼，諸天、世人皆大號咷。諸天、人等皆發是言：「佛取涅槃，一何疾哉！世間眼滅！」當是時間，一切草木、藥樹，華葉一時剖裂；諸須彌山王盡皆傾搖，海水波揚，地大震動，山崖崩落；諸樹摧折，四面煙起，甚大可畏。陂池江河盡皆嬈濁，彗星晝出。諸人啼哭，諸天憂愁，諸天女等郁伊哽咽，涕淚交流。諸學人等默然不樂，諸無學人念有為諸法一切無常。如是天、人、夜叉、羅剎、犍闥婆、甄陀羅、摩睺羅伽及諸龍等，皆大憂愁。

> 仏が涅槃に入られた時、大地は六種に震動し、諸々の川は逆流し、激しい風が吹き荒れ、黒雲が四方に立ちこめ、恐ろしい雷が稲妻を伴って鳴り響き、雹（ひょう）と雨が激しく降り注ぎ、あちこちに流星が飛び散った。獅子や猛獣たちは吼え叫び、天の人々も世の人々も皆、大声で泣き叫んだ。天の人々や人々は皆、こう言った。「仏が涅槃にお入りになるとは、何と早いことか！世の中の眼（仏の教え）が失われてしまった！」その時、一切の草木や薬草、花や葉は一瞬のうちに裂け落ちた。全ての須弥山（しゅみせん）の王たちは大きく揺れ動き、海水は波立ち、大地は激しく震え、山々の崖は崩れ落ちた。様々な木々は折れ、四方から煙が立ち上り、それは非常に恐ろしい光景であった。池や川は全て濁って荒れ狂い、白昼に彗星が現れた。人々は泣き叫び、天の人々は憂いに沈み、天女たちは声を詰まらせて泣き、涙を流し続けた。まだ悟りを得ていない修行者たちは沈黙して苦しみ、悟りを得た者たちは「諸々の因縁によって生じたものは全て無常である」と観じた。このように、天の人々、人間、夜叉（やしゃ）、羅刹（らせつ）、乾闥婆（けんだつば）、緊那羅（きんなら）、摩睺羅伽（まごらが）、そして諸々の龍たちも皆、深く憂いに暮れた。

諸阿羅漢度老病死海，心念言：

> すべての阿羅漢（悟りを開いた者）は、老いと病と死の苦しみの海を乗り越え、心の中でこう思いました。

「已渡凡夫恩愛河， 老病死券已裂破；見身篋中四大蛇， 今入無餘滅涅槃！」

> 凡夫の恩愛の川をすでに渡り、老い・病・死の証文も破り捨てた。 この身という箱の中の四大の蛇を見極め、今まさに無余涅槃へと入るのだ。

諸大阿羅漢各各隨意，於諸山林流泉谿谷，處處捨身而般涅槃；更有諸阿羅漢於虛空中飛騰而去，譬如鴈王現種種神力，令眾人心信清淨，然後般涅槃。六欲天乃至遍淨天等，見諸阿羅漢皆取滅度，各心念言：「佛日既沒，種種禪定解脫智慧弟子光亦滅。是諸眾生有種種婬怒癡病，是法藥師輩今疾滅度，誰當治者？無量智慧大海中生弟子蓮華，今已乾枯；法樹摧折，法雲散滅；大智象王既逝，象子亦隨去；法商人過去，從誰求法寶？」如偈說：

> 多くの大阿羅漢たちは、それぞれの思いのままに、様々な山林、泉の流れ、渓谷で、各所に身を投じて般涅槃に入りました。また、他の阿羅漢たちは虚空の中に飛び上がり去っていき、まるで雁の王のように様々な神通力を示し、人々の心を清らかに信じさせた後、般涅槃に入りました。六欲天から遍浄天に至るまでの天部たちは、これらの阿羅漢が皆、滅度に入るのを見て、それぞれ心の中で考えました。「仏という太陽が既に没し、様々な禅定や解脱や智慧の弟子たちの光もまた消え去ってしまった。この世の衆生には様々な貪り、怒り、愚かさの病があるが、この法の医師たちが今まさに滅度してしまい、誰が治療するだろうか？無量の智慧の大海から生まれた弟子たちという蓮の花は、今や枯れ果ててしまった。法の木は折れ、法の雲は散り去った。大いなる智慧の象の王が既に逝き、その子である象もまた共に去ってしまった。法を説く商人が過ぎ去り、誰に法の宝を求めることができるだろうか？」と。 その偈に説かれています。

「佛已永寂入涅槃， 諸滅結眾亦過去；世界如是空無智， 癡冥遂增智燈滅！」

> 仏陀はすでに永遠の静けさに入り、涅槃へと至りました。 煩悩の束縛を断ち切った聖者たちも、みな過ぎ去りました。 この世はこのように、智慧がなく、空しいものなのです。 無明の闇が増し、智慧の灯は消えてしまいました。

爾時，諸天禮摩訶迦葉足，說偈言：

> その時、天の神々は摩訶迦葉の足を礼して、偈を唱えました。

「耆年欲恚慢已除， 其形譬如紫金柱，上下端嚴妙無比， 目明清淨如蓮華！」

> 老年の修行者は、欲望や怒り、慢心を既に除き去り、 その姿はあたかも紫金の柱のごとく。 上下ともに端厳で、比べるものなどなく、 その目は清らかで、あたかも蓮の花の如し！

如是讚已，白大迦葉言：「大德迦葉！仁者知不？法船欲破，法城欲頹，法海欲竭，法幢欲倒，法燈欲滅；說法人欲去，行道人漸少，惡人力轉盛，當以大慈建立佛法！」

> このように賛嘆した後、大迦葉に申し上げました。 「尊師迦葉様、ご存じでしょうか。 法の船は沈もうとし、法の城は崩れようとしています。 法の海は干上がろうとし、法の旗は倒れようとしています。 法の灯は消えようとし、法を説く人は去りゆき、 修行の道を歩む人も次第に減り、 悪しき者の力はかえって盛んになっています。 どうか大いなる慈しみをもって、仏法を確立してください。」

爾時，大迦葉心如大海，澄靜不動，良久而答：「汝等善說！實如所言，世間不久，無智盲冥。」於是大迦葉默然受請。爾時，諸天禮大迦葉足，忽然不現，各自還去。

> その時、大迦葉は心を大海のように澄みきらせ、静かに動かず、しばらくして答えた。「あなたがたはよく説いた。実にそのとおりだ。この世は長くはなく、知恵のない者たちは闇に閉ざされている。」そこで大迦葉は黙って招きを受けた。その時、天の神々は大迦葉の足を礼し、たちまち姿を消して、それぞれの場所へ戻っていった。

是時，大迦葉思惟：「我今云何使是三阿僧祇劫難得佛法而得久住？」如是思惟竟，「我知是法可使久住，應當結集修妬路、阿毘曇、毘尼，作三法藏。如是佛法可得久住，未來世人可得受行。所以者何？佛世世勤苦慈愍眾生故，學得是法，為人演說；我曹亦應承用佛教，宣揚開化。」

> そこで大迦葉は考えた。 「私はどうすれば、この三つの無数の劫において得がたい仏法を、長く世に留めることができるだろうか？」 このように考えた末、「私は、この法を長く留める方法を知った。経蔵・論蔵・律蔵という三つの法蔵を編纂すべきである。そうすれば、仏法は長く世に留まり、未来の人々も教えを受け、実践することができるだろう。なぜなら、仏陀は世々にわたって精進し、慈しみをもって衆生を救うために、この法を学び得て、人々のために説かれたのだ。私たちもまた、仏の教えを受け継ぎ、広め、人々を啓発すべきである。」と。

是時，大迦葉作是語竟，住須彌山頂，撾銅揵稚，說此偈言：

> その時、大迦葉はこれらの言葉を語り終えると、須弥山の頂上に立ち、銅の鐘を鳴らして、この偈を唱えた。

「佛諸弟子！ 若念於佛， 當報佛恩，莫入涅槃！」

> 仏弟子たちよ。もし仏を想うならば、その恩に報いるために、涅槃に入ってはならない。

是揵稚音、大迦葉語聲，遍至三千大千世界，皆悉聞知；諸有弟子得神力者，皆來集會大迦葉所。爾時，大迦葉告諸會者：「佛法欲滅，佛從三阿僧祇劫種種勤苦，慈愍眾生，學得是法。佛般涅槃已，諸弟子知法、持法、誦法者，皆亦隨佛滅度；法今欲滅，未來眾生甚可憐愍，失智慧眼，愚癡盲冥；佛大慈悲愍傷眾生，我曹應當承用佛教，須待結集經藏竟，隨意滅度。」

> その打ち鳴らしの音と、大迦葉の声とが、三千大千世界にまで行き渡り、すべての者がそれを聞き知った。神通力を得ていた弟子たちは、皆、大迦葉のもとに集まってきた。 その時、大迦葉は集まった者たちに告げた。 「仏法はまさに滅びようとしている。仏は三アサンキエイ（阿僧祇劫）という長い年月の間、様々な苦労を重ね、慈しみの心で眾生（生きとし生けるもの）を哀れみ、修行してこの法を悟られた。仏が涅槃（亡くなり）に入られた今、法をよく知り、法を保ち、法を唱えていた弟子たちも、また仏に従って滅び去ろうとしている。法が今、滅びようとしているのは、未来の眾生がまことに哀れむべきことである。智慧の眼を失い、愚かで闇に閉ざされてしまうからだ。 仏の大いなる慈悲は、眾生を深く哀れんでおられる。私たちは仏の教えを受け継ぎ、行うべきである。経典をまとめ上げる結集（けつじゅう）が終わるまでは、どうか皆、共に努めてほしい。それが済んだなら、それぞれの思いのままに涅槃に入るがよい。」

諸來眾會，皆受教住。爾時，大迦葉選得千人，除善阿難，盡皆阿羅漢，得六神通，得共解脫，無礙解脫；悉得三明，禪定自在，能逆順行諸三昧，皆悉無礙。誦讀三藏，知內外經書，諸外道家十八種大經，盡亦讀知，皆能論議，降伏異學。

> 集まった皆の衆は、教えを受けとどまりました。その時、大迦葉は千人を選びましたが、善阿難を除き、全員が阿羅漢であり、六つの神通力を得て、共解脱と無礙解脱を得ていました。また、三つの明達を全て具え、禅定に自在で、様々な三昧を順逆に行うことができ、全てに障害がありませんでした。三蔵を誦読し、内外の経典を知り、諸々の外道の家の十八種の大経典も全て読み理解し、論議することができ、異学を降伏させていました。

問曰：

> お尋ねします。

是時，有如是等無數阿羅漢，何以故正選取千人，不多取耶？

> そのとき、数え切れないほどの阿羅漢たちがおりました。にもかかわらず、なぜ正しく千人だけを選び、それ以上選ばなかったのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

頻婆娑羅王得道，八萬四千官屬亦各得道。是時，王教勅宮中，常設飯食，供養千人；阿闍貰王不斷是法。爾時，大迦葉思惟言：「若我等常乞食者，當有外道強來難問，廢闕法事；今王舍城常設飯食供給千人，是中可住結集經藏。」以是故，選取千人，不得多取。

> びんばさら王が悟りを得たとき、八万四千の官人たちもそれぞれ悟りを得ました。そのとき、王は宮中に命じて、常に千人分の食事を用意し、供養するように定めました。アジャセ王もこの法を廃止しませんでした。 その時、大迦葉はこう考えました。「もし私たちが常に托鉢を続けるなら、外道が無理に問答を挑んで来て、法の務めを妨げるだろう。今、王舎城では常に千人分の食事が用意されている。ここに留まって経蔵の結集を行うことができる。」そのため、千人を選び取り、それ以上は選び取りませんでした。

是時，大迦葉與千人俱，到王舍城耆闍崛山中，告語阿闍世王：「給我等食，日日送來，今我曹等結集經藏，不得他行。」

> その時、大迦葉は千人とともに王舎城の耆闍崛山にやって来ました。そして阿闍世王にこう伝えました。「我々に食物を日々お送りください。今、我々は経典の集成（結集）を行うため、他の場所へ出かけることはできません。」

是中夏安居三月，初十五日說戒時，集和合僧。大迦葉入禪定，以天眼觀，今是眾中，誰有煩惱未盡應逐出者！唯有阿難一人不盡，餘九百九十九人諸漏已盡，清淨無垢。大迦葉從禪定起，眾中手牽阿難出，言：「今清淨眾中結集經藏。汝結未盡，不應住此！」

> ここで夏の安居（あんご）の三月、最初の十五日の説戒の時に、和合僧が集まりました。 大迦葉（だいかしょう）は禅定に入り、天眼をもって観察しました。「今、この衆の中に、煩惱が尽きず追い出すべき者がいるだろうか？」と。 阿難（あなん）ただ一人だけが煩惱を尽くしておらず、残りの九百九十九人はもろもろの漏（ろ）が尽き、清らかで汚れがありませんでした。 大迦葉は禅定から起き上がり、衆の中で阿難の手を取って外に出し、言いました。 「今、清らかな衆の中で経蔵を結集しようとしている。お前の修行はまだ完成していない。ここにいるべきではない。」

是時，阿難慚恥悲泣，而自念言：「我二十五年隨侍世尊，供給左右，未曾得如是苦惱；佛實大德，慈悲含忍。」念已，白大迦葉言：「我能有力，久可得道；但諸佛法，阿羅漢者不得供給左右使令；以是故，我留殘結不盡斷耳。」

> その時、阿難は恥じて悲しみ泣き、自らこう思いました。「私は二十五年もの間、世尊に随い仕え、おそばでお世話をしてきましたが、かつてこのような苦しみを受けたことはありません。仏はまことにお徳が高く、慈しみと忍びの心をお持ちです。」そう思ってから、大迦葉に申し上げました。「私には力があり、とっくに悟りを得ることはできました。しかし、諸仏の教えでは、阿羅漢はおそばでお仕えすることが許されないのです。そのため、私はあえて煩悩の残りを断ち切らずに残していたのです。」

大迦葉言：「汝更有罪！佛意不欲聽女人出家，汝慇懃勸請，佛聽為道；以是故，佛之正法五百歲而衰微，是汝突吉羅罪！」阿難言：「我憐愍瞿曇彌，又三世諸佛法皆有四部眾，我釋迦文佛云何獨無？」

> 大迦葉が言った。「おまえにはさらに別の罪がある。仏は本来、女性の出家を認めるおつもりはなかった。それなのにおまえは熱心に請い求め、仏に許させた。そのために、仏の正法は五百年で衰え弱まった。これはおまえの突吉羅（軽い罪）である！」 阿難は言った。「私はゴータミー（仏の養母）を哀れに思いました。また、三世の諸仏の教えには、必ず四部の衆（比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷）がおられます。私たちの釈迦牟尼仏に、どうしてその一部だけが欠けていてよいでしょうか？」

大迦葉復言：「佛欲涅槃時，近俱夷那竭城，脊痛，四疊漚多羅僧敷臥，語汝言：『我須水。』汝不供給，是汝突吉羅罪！」阿難答言：「是時，五百乘車，截流而渡，令水渾濁，以是故不取。」大迦葉復言：「正使水濁，佛有大神力，能令大海濁水清淨。汝何以不與？是汝之罪，汝去作突吉羅懺悔！」

> 大迦葉が再び言った。「仏が涅槃に入ろうとされた時、俱夷那竭城の近くで背中が痛まれ、四つに畳んだウッタラーサンガ（上衣）を敷いて横になられた。その時、あなたに『水が欲しい』と言われたのに、あなたは水を差し出さなかった。それはあなたのトゥッキッタ（軽微な罪）である！」 阿難が答えた。「その時、五百の車が川を横切って渡ったため、水が濁ってしまいました。ですからお持ちしなかったのです。」 大迦葉が再び言った。「たとえ水が濁っていようとも、仏には大海の濁った水すら清めるほどの大きな神通力があられた。どうして水を差し上げなかったのか。それはあなたの罪である。トゥッキッタの懺悔をしなさい。」

大迦葉復言：「佛問汝：『若有人四神足好修，可住壽一劫，若減一劫；佛四神足好修，欲住壽一劫，若減一劫。』汝默然不答。問汝至三，汝故默然。汝若答佛：『佛四神足好修，應住一劫，若減一劫。』由汝故，令佛世尊早入涅槃，是汝突吉羅罪！」阿難言：「魔蔽我心，是故無言；我非惡心而不答佛。」

> 大迦葉尊者がさらに言いました。「仏があなたに問うた。『四神足をよく修める者は、一劫あるいはそれより短い期間、寿命を保つことができる。仏も四神足をよく修めており、一劫あるいはそれより短い期間、寿命を保つことが可能である。』と。あなたは黙って答えなかった。三度問われても、なお沈黙した。もしあなたが仏に『仏は四神足をよく修められていますから、一劫あるいはそれより短い期間、寿命を保つべきです』と答えていたら、仏世尊は早く涅槃に入られることはなかったでしょう。そのため、これはあなたの突吉羅罪（軽い罪）である！」 阿難は言いました。「悪魔が私の心を覆い隠したため、言葉が出ませんでした。決して悪意があって仏に答えなかったわけではありません。」

大迦葉復言：「汝與佛疊僧伽梨衣，以足蹈上，是汝突吉羅罪。」阿難言：「爾時，有大風起，無人助我捉衣，時風吹來墮我腳下，非不恭敬，故蹈佛衣。」

> 大迦葉がさらに言った。「あなたは仏様の僧伽梨衣（お袈裟）をたたみ、その上を足で踏んだ。これはあなたの突吉羅罪（軽い過ち）にあたる。」 阿難が答えた。「その時、大きな風が吹き、誰も私を助けて衣を押さえる者がいませんでした。風に吹かれて衣が私の足元に落ちてきたのです。決して不敬の心から仏様の衣を踏んだわけではありません。」

大迦葉復言：「佛陰藏相，般涅槃後以示女人，是何可恥？是汝突吉羅罪！」阿難言：「爾時，我思惟：『若諸女人見佛陰藏相者，便自羞恥女人形，欲得男子身，修行佛相，種福德根。』以是故，我示女人，不為無恥而故破戒。」

> 大カッショウ（大迦葉）がまた言った。「仏の隠れた部分（陰相）を涅槃の後に女たちに見せるとは、なんと恥ずべきことか。それは君の突吉羅罪（軽い過ち）である！」これに対しアーナンダ（阿難）は答えた。「その時、私はこう考えました。『もし女たちが仏の隠れた部分を見れば、自らの女の身体を恥じ、男の身体を得たいと願い、仏の相を修行し、功徳の根を植えるだろう。』そのため、私は女たちに見せたのです。決して恥知らずゆえに戒を破ったわけではありません。」

大迦葉言：「汝有六種突吉羅罪，盡應僧中悔過！」阿難言：「諾！隨長老大迦葉及僧所教！」是時，阿難長跪合手，偏袒右肩，脫革屣，六種突吉羅罪懺悔。大迦葉於僧中，手牽阿難出，語阿難言：「斷汝漏盡，然後來入；殘結未盡，汝勿來也！」如是語竟，便自閉門。

> 大迦葉が言いました。「あなたには六つの突き破る罪があります。すべて僧団の中で悔い改めなさい。」 アーナンダは答えました。「承知しました。長老の大迦葉様と僧団のお教えの通りに致します。」 その時、アーナンダは長くひざまずき、手を合わせ、右肩を露わにし、沓を脱いで、六つの突き破る罪を懺悔しました。 大迦葉は僧団の中で、アーナンダの手を取って外へ連れ出し、こう言いました。「あなたの煩悩の漏れを断ち尽くしてから、中へ入りなさい。残りの結びつきが尽きていないなら、来てはいけません。」 そう言い終えると、自ら扉を閉じました。

爾時，諸阿羅漢議言：「誰能結集毘尼法藏者？」長老阿泥盧豆言：「舍利弗是第二佛，有好弟子，字憍梵波提秦言牛呞，柔軟和雅，常處閑居，住心寂燕，能知毘尼法藏；今在天上尸利沙樹園中住，遣使請來。」

> その時、阿羅漢たちが話し合いました。「誰が戒律（びんい）の教えをまとめる役にふさわしいだろうか？」 長老の阿泥盧豆（あにるど）が言いました。「舎利弗は第二の仏とも言える方で、優れた弟子がいる。その名は憍梵波提（きょうぼんはだい）と言い、柔和で気高く、常に閑静な場所に身を置き、心を静寂に保つ。戒律の教えを深く知っている。今は天界の尸利沙樹園（しりしゃじゅえん）に住んでいる。使いを送ってお招きしよう。」

大迦葉語下坐比丘：「汝次應僧使。」下坐比丘言：「僧有何使？」大迦葉言：「僧使汝至天上尸利沙樹園中，憍梵波提阿羅漢住處。」是比丘歡喜踊躍受僧勅命，白大迦葉言：「我到憍梵波提阿羅漢所，陳說何事？」大迦葉言：「到已，語憍梵鉢提：大迦葉等漏盡阿羅漢，皆會閻浮提。僧有大法事，汝可疾來！」

> 大迦葉が下座の比丘に言った。「次は、お前が僧団の使いを務めよ。」 下座の比丘が尋ねた。「僧団にどのようなお使いがあるのですか？」 大迦葉が言った。「僧団はお前を天界の尸利沙樹園にある、橋梵波提阿羅漢の住まいへ遣わす。」 その比丘は喜び踊って僧団の命を受け、大迦葉に申し上げた。「私が橋梵波提阿羅漢のもとへ参りましたら、何とお伝えすればよろしいでしょうか？」 大迦葉が言った。「行って、橋梵鉢提にこう伝えよ。『大迦葉ら煩悩を尽くした阿羅漢たちは、皆、閻浮提に集まっております。僧団に大きな法事がございます。どうかあなたも速やかにお越しください。』」

是下坐比丘頭面禮僧，右繞三匝；如金翅鳥，飛騰虛空，往到憍梵波提所，頭面作禮，語憍梵波提言：「軟善大德！少欲知足，常在禪定！大迦葉問訊有語：今僧有大法事，可疾下來，觀眾寶聚。」是時，憍梵波提心覺生疑，語是比丘言：「僧將無鬪諍事喚我來耶？無有破僧者不？佛日滅度耶？」是比丘言：「實如所言，大師佛已滅度。」憍梵波提言：「佛滅度大疾，世間眼滅！能逐佛轉法輪將，我和上舍利弗今在何所？」答曰：「先入涅槃。」憍梵波提言：「大師法將，各自別離，當可奈何！摩訶目伽連今在何所？」是比丘言：「是亦滅度。」憍梵波提言：「佛法欲散，大人過去，眾生可愍。」問：「長老阿難今何所作？」是比丘言：「長老阿難，佛滅度後，憂愁、啼哭、迷悶，不能自喻。」憍梵波提言：「阿難懊惱，由有愛結，別離生苦。羅睺羅復云何？」答言：「羅睺羅得阿羅漢故，無憂無愁，但觀諸法無常相。」憍梵波提言：「難斷愛已斷，無憂愁。」憍梵波提言：「我失離欲大師，於是尸利沙樹園中住，亦何所為？我和上、大師皆已滅度，我今不能復下閻浮提，住此般涅槃。」

> 舎利弗が、下座の比丘に顔と額を地につけて礼拝し、右に三度巡りました。そして金翅鳥のように虚空に飛び立ち、憍梵波提のもとへ赴きました。頭を地につけて礼をし、こう告げました。 「やわらかにして善き方よ！少欲知足で、常に禅定におられます。大迦葉が申しておりました。今、僧団に大いなる法事がございます。速やかに下りて来て、この宝の集まりをご覧ください。」 この時、憍梵波提は心に疑念を覚え、この比丘に問いました。 「僧団は、まさか争い事のために私を呼ぶのではないでしょうね？僧を破る者などいませんか？仏の尊き御方は、すでに入滅なされたのですか？」 比丘が答えました。「まさにその通りです。尊き大師、仏はすでに入滅されました。」 憍梵波提は言いました。「仏の入滅はあまりに早すぎます。世の眼が閉ざされました！仏の教えの輪を巡らせた、師父である舎利弗は今どこにおられますか？」 答えました。「先に涅槃に入られました。」 憍梵波提は言いました。「大師であり法の将軍であられる方が、それぞれ別れ去るとは、どうすればよいのでしょう！摩訶目伽連は今どこに？」 比丘が答えました。「その方もすでに涅槃に入られました。」 憍梵波提は言いました。「仏法は散りゆこうとしています。偉大な人々は去り、生きとし生けるものは哀れむべきです。」 そして尋ねました。「長老師阿難は今、何を為しておられますか？」 比丘は答えました。「長老師阿難は、仏が入滅なされた後、憂い悲しみ、泣き叫び、混乱して我を忘れておられます。」 憍梵波提は言いました。「阿難が懊悩するのは、愛著の結びがあるからです。別れ離れは苦しみを生みます。羅睺羅はどうですか？」 答えました。「羅睺羅は阿羅漢となりましたので、憂いなく、ただ諸行無常の相を観じておられます。」 憍梵波提は言いました。「断ち難き愛欲をすでに断った者は、憂い悲しみはありません。」 そしてこう続けました。「私は、欲を離れた大師を失いました。この尸利沙樹園に留まっても、何の益がありましょう？ 私の師父も大師もすでに入滅なされた。今、私は閻浮提に下りることはできません。このままここで涅槃に入りましょう。」

說是言已，入禪定中，踊在虛空，身放光明；又出水火，手摩日月，現種種神變，自心出火燒身，身中出水，四道流下，至大迦葉所。水中有聲，說此偈言：

> この言葉を言い終えると、禅定に入り、虚空に舞い上がって、その身から光を放ちました。さらに水や火を現し、手で日月を撫で、さまざまな神変を示しました。自らの心から火を出して身を焼き、身の中から水が出て、四つの流れとなって流れ下り、大迦葉のところに至りました。その水の中から声がして、この偈を説きました。

「憍梵鉢提稽首禮， 妙眾第一大德僧，聞佛滅度我隨去， 如大象去象子隨！」

> 驕梵鉢提は敬って礼をし、 最も優れた僧団の第一の聖者に申し上げました。 「お釈迦様がお隠れになると聞き、私もお連れください。 あたかも巨象が去る時に、その子が後に従うように。」

爾時，下坐比丘持衣鉢還僧。

> そのとき、下座の比丘が衣（ころも）と鉢（はち）を持って、僧のもとへ戻りました。

是時中間，阿難思惟諸法，求盡殘漏；其夜坐禪經行，慇懃求道。是阿難智慧多，定力少，是故不即得道；定智等者，乃可速得。後夜欲過，疲極偃息，却臥就枕，頭未至枕，廓然得悟；如電光出，闇者見道。阿難如是入金剛定，破一切諸煩惱山；得三明、六神通、共解脫，作大力阿羅漢。

> その時、修行の合間に阿難は諸々の法を観察し、残りの煩悩を尽くそうと求めた。その夜、座禅や経行（歩く瞑想）に励み、真剣に道を求めた。しかし、阿難は智慧が豊かである一方で、定力がやや足りなかったため、すぐには悟りを得られなかった。定と慧が等しくそろって初めて、速やかに悟りを得られるのである。 夜が明けようとするころ、疲れ切って横になり、枕に頭を下ろそうとしたその時、頭が枕に触れるか触れないうちに、彼はひらりと悟りを開いた。それはまるで電光が走り、闇の中にいた者が道を見いだすかのようだった。 このように阿難は金剛定（揺るぎない深い瞑想）に入り、あらゆる煩悩という山々を打ち破った。そして三明、六神通、共解脱を得て、大いなる力ある阿羅漢となったのである。

即夜到僧堂門，敲門而喚。大迦葉問言：「敲門者誰？」答言：「我是阿難。」大迦葉言：「汝何以來？」阿難言：「我今夜得盡諸漏。」大迦葉言：「不與汝開門，汝從門鑰孔中來！」阿難答言：「可爾！」即以神力從門鑰孔中入，禮拜僧足懺悔：「大迦葉！莫復見責！」

> その夜、阿難は僧堂の門に到り、門を叩いて呼びました。大迦葉が問う。「門を叩く者は誰か？」答えていう。「我は阿難です」。大迦葉が言う。「なぜ来たのか？」阿難が言う。「今夜、私はもろもろの煩悩の漏れを尽くしました」。大迦葉が言う。「お前に門を開けることはできない。ならば門の鍵穴から入って来なさい！」阿難が答えて言う。「承知しました」。即ち神通力をもって門の鍵穴から入り、僧の足に礼拝して懺悔した。「大迦葉よ、どうか私を責めないでください！」

大迦葉手摩阿難頭言：「我故為汝，使汝得道；汝無嫌恨，我亦如是，以汝自證。譬如手畫虛空，無所染著；阿羅漢心亦如是，一切法中得無所著。復汝本坐。」

> 大迦葉が阿難の頭を撫でて言いました。 「私はあなたのために、あなたが悟りを得られるよう導きました。あなたに恨みはありません。私も同じように、あなた自身の証を得るためのものでした。例えて言うなら、手で虚空に絵を描くようなもので、何も染みつくことはありません。阿羅漢の心もまた同じで、すべての事柄において執着することがありません。さあ、元の座にお戻りなさい。」

是時，僧復議言：「憍梵波提已取滅度，更有誰能結集法藏？」長老阿泥盧豆言：「是長老阿難，於佛弟子，常侍近佛，聞經能持，佛常歎譽；是阿難能結集經藏。」是時，長老大迦葉摩阿難頭言：「佛囑累汝，令持法藏，汝應報佛恩！佛在何處最初說法？佛諸大弟子能守護法藏者，皆以滅度，唯汝一人在。汝今應隨佛心，憐愍眾生故，集佛法藏。」是時，阿難禮僧已，坐師子床。時大迦葉說此偈言：

> 時に、僧たちが再び議して言った。「憍梵波提（キョウボンハダイ）はすでに滅度した。他に誰が法蔵を結集できるだろうか。」長老アニルッダが言った。「この長老アーナンダは、仏の弟子のうち、常に仏に近く仕え、説法を聞いてはよく記憶し、仏も常にほめ称えておられた。このアーナンダこそ、経蔵を結集できるであろう。」その時、長老大迦葉（マハーカシャパ）はアーナンダの頭を撫でて言った。「仏はあなたに法蔵を守り伝えるよう託された。あなたは仏の恩に報いるべきである。仏はどこで最初に説法されたのか。仏の大弟子たちで法蔵を守り伝える者たちは、皆すでに滅度した。ただあなた一人が残っているのだ。今、あなたは仏の心に従い、衆生を憐れむがゆえに、仏法の蔵を集めなさい。」その時、アーナンダは僧に礼をしてから、獅子座に座った。その時、大迦葉はこの偈を説いた。

「佛聖師子王， 阿難是佛子，師子座處坐， 觀眾無有佛。如是大德眾， 無佛失威神，如空無月時， 有宿而不嚴。汝大智人說， 汝佛子當演，何處佛初說， 今汝當布現！」

> 「仏は聖なる獅子王、阿難はその仏の子。 獅子の座に坐り、衆を見れば仏は無し。 このような大徳の集いも、仏無ければ威光を失う。 あたかも空に月の無き時、星はあれども厳かにあらず。 汝、大いなる智ある者よ、語れ。仏の子たる汝、説くべし。 いずこにて仏は初めて説きたもうたか。今、汝が示すがよい。」

是時，長老阿難一心合手，向佛涅槃方如是說言：

> その時、長老の阿難は一心に合掌し、仏の涅槃のある方角に向かって、次のように語った。

「佛初說法時， 爾時我不見，如是展轉聞： 佛在波羅柰，佛為五比丘， 初開甘露門，說四真諦法： 苦集滅道諦。阿若憍陳如， 最初得見道；八萬諸天眾， 皆亦入道迹！」

> 仏が初めて説法された折、 私はその場にいなかった。 しかし、こうして伝え聞く―― 仏はバラナシにて、 五人の修行者たちのために、 甘露の門を初めて開き、 四つの真実の教えを説かれた―― 苦しみ、その原因、滅び、そして道を。 アンニャ・コンダンニャは、 最初に真理を見極め、 八万の天の衆もまた、 みな悟りの道に入ったのだ！

是千阿羅漢聞是語已，上昇虛空高七多羅樹。皆言：「咄！無常力大，如我等眼見佛說法，今乃言我聞！」便說偈言：

> すると千人の阿羅漢たちはこの言葉を聞いて、虚空に七つの多羅樹の高さまで昇り、皆が言った。「ああ、無常の力は大きい。我々も目で仏が説法されるのを見たのに、今は『私は聞いた』と言うとは！」そして、次の偈を唱えた。

「我見佛身相， 猶如紫金山，妙相眾德滅， 唯有名獨存。是故當方便， 求出於三界，勤集諸善根， 涅槃最為樂！」

> 私は仏の御姿を見た、紫金山のごとく輝く姿を。 しかし、その素晴らしい相も功徳も尽き、ただ名だけが残っている。 だからこそ、あらゆる手段を尽くして、三界（迷いの世界）からの脱出を求め、 努めて善根を積み集めよ。涅槃こそが最も優れた安らぎなのだ。

爾時，長老阿泥盧豆說偈言：

> その時、長老のアニルッダ（阿泥盧豆）が次の詩を詠いました。

「咄世間無常！ 如水月芭蕉，功德滿三界， 無常風所壞！」

> 「ああ、この世の中は無常だ。 月の水に映る影や、芭蕉の葉のようなはかないものだ。 どれほど三界に功徳を満たしても、 無常の風によってすべて壊されてしまうのだ。」

爾時，大迦葉復說此偈：

> その時、大迦葉がこの偈を再び説いた。

「無常力甚大， 愚智貧富貴，得道及未得， 一切無能免！非巧言妙寶， 非欺誑力諍，如火燒萬物， 無常相法爾。」

> 「無常の力は非常に大きい。 賢い者も愚かな者も、貧しい者も富める者も、地位のある者もない者も、 道を得た者も、まだ得ていない者も、 すべての者が、その力から逃れることはできない。 巧みな言葉や素晴らしい宝でもなく、 ごまかしや力づくの争いでも、 どうすることもできない。 まるで火がすべてを焼き尽くすように、 すべてのものを変えていく無常のあり方こそが、法の理なのだ。」

大迦葉語阿難：「從《轉法輪經》至《大般涅槃》，集作四阿含：《增一阿含》、《中阿含》、《長阿含》、《相應阿含》。是名修妬路法藏。」

> 大迦葉が阿難に言った。 「『転法輪経』から『大般涅槃経』に至るまでを集めて、四つの阿含（あごん）とします。すなわち『増一阿含』、『中阿含』、『長阿含』、『相応阿含』です。これを修多羅（しゅたら）の法蔵といいます。」

諸阿羅漢更問：「誰能明了集毘尼法藏？」皆言：「長老憂婆離，於五百阿羅漢中持律第一，我等今請。」即請言：「起，就師子座處坐！說佛在何處初說毘尼結戒？」憂婆離受僧教，師子座處坐，說：「如是我聞：一時，佛在毘舍離。爾時，須提那迦蘭陀長者子初作婬欲，以是因緣故，結初大罪。二百五十戒義作三部，七法、八法、比丘尼毘尼、增一、憂婆利問、雜部、善部；如是等八十部，作毘尼藏。」

> 諸阿羅漢たちが尋ねました。「誰が明らかに毘尼法蔵（律蔵）を集めることができるでしょうか？」すると皆が言いました。「長老のウパーリ尊者は、五百阿羅漢の中で律（戒律）の第一人者です。私たちは今、その方にお願いしましょう。」そして彼らは申し出ました。「どうか立って、獅子座にお座りください。そして、仏様がどこで最初に毘尼（戒律）を説き、戒めを定められたのかをお話しください。」 ウパーリ尊者は僧団の教えを受け、獅子座に座って語りました。「私はこのように聞きました。ある時、仏様はヴァイシャーリーに滞在されていました。その時、スディンナ・カランダカ長者の子が初めて婬欲（不適切な性行為）を犯しました。この因縁によって、最初の大罪（根本的な戒め）が定められました。二百五十戒の意味は三部に分けられ、七法、八法、比丘尼毘尼、増一、ウパーリ問、雑部、善部があります。このように八十部をもって毘尼蔵（律蔵）が作られました。」

諸阿羅漢復更思惟：「誰能明了集阿毘曇藏？」念言：「長老阿難，於五百阿羅漢中，解修妬路義第一，我等今請。」即請言：「起，就師子座處坐！佛在何處初說阿毘曇？」阿難受僧教，師子座處坐，說：「如是我聞：一時，佛在舍婆提城。爾時，佛告諸比丘：『諸有五怖、五罪、五怨，不除不滅，是因緣故，此生中身、心受無量苦，復後世墮惡道中。諸有無此五怖、五罪、五怨，是因緣故，於今生種種身、心受樂，後世生天上樂處。何等五怖應遠？一者殺，二者盜，三者邪婬，四者妄語，五者飲酒。』」如是等名阿毘曇藏。

> 諸々の阿羅漢たちはさらに考えた。「誰が阿毘曇蔵（あびどんぞう）を明らかに編纂できるのだろうか？」そこで、「長老の阿難（あなん）は、五百人の阿羅漢の中でも、経典の意味を解することにおいて第一である。私たちは今、彼にお願いしよう。」と言った。そして、すぐに彼を招いて言った。「立ち上がり、獅子座（ししくら）にお座りください。仏はどの場所で最初に阿毘曇を説かれましたか？」 阿難は僧団の指示を受け、獅子座に座って説いた。「私はこのように聞きました。ある時、仏は舎衛城（しゃえじょう）にいらっしゃいました。その時、仏は比丘たちに告げられました。『五つの怖れ、五つの罪、五つの怨みを持つ者が、それらを取り除かず滅ぼさなければ、その因縁によって、この生涯で身も心も限りない苦しみを受け、さらに後に悪い世界に落ちる。これら五つの怖れ、五つの罪、五つの怨みを持たない者は、その因縁によって、この生涯で様々に身も心も楽しみを受け、後の世では天の幸せな場所に生まれる。どのような五つの怖れを遠ざけるべきか？ 第一に殺生、第二に盗み、第三に邪淫、第四に嘘、第五に飲酒である。』」このような説法が、阿毘曇蔵と呼ばれるものです。

三法藏集竟，諸天、鬼神、諸龍、天女，種種供養，雨天華香、幡蓋、天衣，供養法故。於是說偈：

> 三つの教えの集大成が終わると、天の神々、鬼神、竜たち、天女たちが、さまざまな供養を行いました。空からは華や香り、旗や天蓋、天衣が降り注ぎ、教えを供養したのです。そこで、次のような偈（うた）が述べられました。

「憐愍世界故， 集結三藏法；十力一切智， 說智無明燈！」

> 「世のあわれみゆえに、三蔵法を集め結びました。 十力と一切智を備えた方、智慧の明かりを説いて、無明を照らし出しました。」

問曰：

> お尋ねします。

《八犍度阿毘曇》、六分阿毘曇等，從何處出？

> 『八犍度阿毘曇』や『六分阿毘曇』などの教えは、どこから出たのでしょうか？

答曰：

> お答えしますと、

佛在世時，法無違錯；佛滅度後，初集法時，亦如佛在。後百年，阿輸迦王作般闍于瑟大會，諸大法師論議異故，有別部名字。從是以來，展轉至姓迦旃延婆羅門道人，智慧利根，盡讀三藏內外經書，欲解佛語故，作《發智經八犍度》，初品是世間第一法。後諸弟子等，為後人不能盡解《八犍度》故，作《鞞婆娑》。

> 仏陀在世の時代には、教えに誤りはありませんでした。仏陀が入滅された後、最初に経典を編纂した時も、仏陀がおられた時と同じでした。百年後、アショーカ王が般闍于瑟（パンチャ・パリシャッド）の大法会を催した際、多くの大法師たちの間で教えの解釈に違いが生じ、別々の部派の名前が現れるようになりました。 それ以来、時代が変わり、迦旃延（カーティヤーヤナ）という姓のバラモン出身の修行者が現れました。彼は優れた智慧と鋭い洞察力を持ち、三蔵及び内外の経典を全て読み尽くし、仏陀の教えを理解しようと『発智経八犍度』を著しました。その初品が「世間第一法」です。 その後、弟子たちは後世の人々が『八犍度』を完全に理解できないことを憂い、その解説書として『鞞婆娑（ビバーシャ）』を作りました。

有人言：六分阿毘曇中，第三分八品之名〈分別世處分〉此是《樓炭經》作六分中第三分，是目犍連作；六分中，初分八品，四品是婆須蜜菩薩作，四品是罽賓阿羅漢作；餘五分諸論議師所作。

> ある人が言うには、六分阿毘曇のうち、第三分は八つの品から成り、その名を「分別世処分」<note>これは『楼炭経』では六分中の第三分とされる</note>といい、目犍連が作ったものである。六分のうち、初分は八品あり、そのうち四品は婆須蜜菩薩が作り、残りの四品は罽賓の阿羅漢が作ったものである。残りの五分は諸々の論議師たちが作ったものである。

有人言：佛在時，舍利弗解佛語故作阿毘曇；後犢子道人等讀誦，乃至今名為《舍利弗阿毘曇》。

> ある人が言う。釈尊が在世のころ、舎利弗が仏の教えを解釈してアビダルマを作った。後世、犢子道人らがそれを読み誦し、今では『舎利弗阿毘曇』と呼ばれている。

摩訶迦旃延，佛在時，解佛語作蜫勒蜫勒秦言篋藏，乃至今行於南天竺。

> 摩訶迦旃延は、仏が在世のころ、仏の教えを解釈して『昆勒』（「篋蔵」と訳される）を作りました。今もなお、南インドで広く伝えられています。

皆是廣解佛語故。如說五戒：幾有色，幾無色？幾可見，幾不可見？幾有對，幾無對？幾有漏，幾無漏？幾有為，幾無為？幾有報，幾無報？幾有善，幾不善？幾有記，幾無記？如是等，是名阿毘曇。

> これはすべて、仏の教えを広く解き明かしたものです。例えば、五戒についてこう問います。「そのうち、いくつが物質的なもの（色）で、いくつが非物質的なもの（無色）か。いくつが見えるもの（可見）で、いくつが見えないもの（不可見）か。いくつが対象と触れ合うもの（有対）で、いくつが触れ合わないもの（無対）か。いくつが煩悩を伴うもの（有漏）で、いくつが煩悩を離れたもの（無漏）か。いくつが因縁によって生じるもの（有為）で、いくつが因縁を超えたもの（無為）か。いくつが結果を生むもの（有報）で、いくつが結果を生まないもの（無報）か。いくつが善で、いくつが不善か。いくつが明確に記されるもの（有記）で、いくつが記されないもの（無記）か。」このように問いを立て、詳しく説くこと、これをアビダルマ（阿毘曇）と呼びます。

復次，七使：欲染使，瞋恚使，有愛使，憍慢使，無明使，見使，疑使。是七使，幾欲界繫，幾色界繫，幾無色界繫？幾見諦斷，幾思惟斷？幾見苦斷，幾見集斷，幾見盡斷，幾見道斷？幾遍使，幾不遍使？

> 次に、七つの煩悩（七使）について説明します。欲望に染まる煩悩、怒りの煩悩、存在への執着の煩悩、高慢の煩悩、無知の煩悩、誤った見解の煩悩、疑いの煩悩です。この七つの煩悩は、いくつが欲望の世界（欲界）に属し、いくつが色の世界（色界）に属し、いくつが無色の世界（無色界）に属するのでしょうか。また、いくつが真理を見ることによって断たれ、いくつが思索によって断たれるのでしょうか。いくつが苦しみの真理を見ることによって断たれ、いくつが集まりの真理を見ることによって断たれ、いくつが滅びの真理を見ることによって断たれ、いくつが道の真理を見ることによって断たれるのでしょうか。さらに、いくつが全面的に作用する煩悩であり、いくつが限定的に作用する煩悩なのでしょうか。

十智：法智，比智，世智，他心智，苦智，集智，滅智，道智，盡智，無生智。是十智，幾有漏，幾無漏？幾有為，幾無為？幾有漏緣，幾無漏緣？幾有為緣，幾無為緣？幾欲界緣，幾色界緣，幾無色界緣？幾不繫緣？幾無礙道中修，幾解脫道中修？四果得時，幾得、幾失？

> 十の智慧：法智、類智、世智、他心智、苦諦に関する智慧、集諦に関する智慧、滅諦に関する智慧、道諦に関する智慧、尽智、無生智。これら十の智慧のうち、いくつが有漏で、いくつが無漏か？いくつが有為で、いくつが無為か？いくつが有漏を所縁とし、いくつが無漏を所縁とするか？いくつが有為を所縁とし、いくつが無為を所縁とするか？いくつが欲界を所縁とし、いくつが色界を所縁とし、いくつが無色界を所縁とするか？いくつが（三界に）繋縛されないものを所縁とするか？いくつが無礙道において修習され、いくつが解脱道において修習されるか？四つの果を得るとき、いくつが得られ、いくつが失われるか？

如是等分別一切法，亦名阿毘曇。

> このようにあらゆる法（ものごと）を分別して説明する教えは、阿毘曇（論蔵）とも呼ばれます。

為阿毘曇三種：一者、阿毘曇身及義，略說三十二萬言；二者、六分，略說三十六萬言；三者、蜫勒，略說三十二萬言。

> 阿毘曇には三つの種類があります。第一に、阿毘曇の本体とその意味を簡潔にまとめたもの。これは約三十二万字です。第二に、六つの部門に分かれたもの。これは約三十六万字です。第三に、蜫勒（こんろく）。これは約三十二万字です。

蜫勒廣比諸事以類相從，非阿毘曇。

> 昆勒（Kunle）の教えは、様々な事柄を広く比較し、分類してまとめたものであって、アビダルマ（阿毘曇）ではありません。

略說「如是我聞：一時」總義竟。

> 「如是我聞：一時」という部分の、おおまかな意味の説明は以上です。