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title: "大智度論 · 7 四眾義釋論"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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### 大智度初品中四眾義釋論第七

> 七、大智度初品における四衆の意味

【經】

> お経

復有五百比丘尼、優婆塞、優婆夷，皆見聖諦。

> また五百人の比丘尼（女性修行者）と優婆塞（在家の男性信者）、優婆夷（在家の女性信者）がいて、皆、聖なる真理を悟っていました。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

何以諸比丘五千，餘三眾各五百？

> なぜ多くの修行僧（比丘）が五千人もいて、残りの三つの集まり（比丘尼・優婆塞・優婆夷）にはそれぞれ五百人ずつしかいないのか。

答曰：

> お答えしますと、

女人多短智慧，煩惱垢重，但求喜樂；愛行多故，少能斷結使，得解脫證。如佛說：「是因緣起法，第一甚深難得；一切煩惱盡、離欲得涅槃，倍復難見。」以是故，女人不能多得，不如比丘。

> 女性は智慧が浅く、煩悩の濁りが深いため、ただ楽を求めるばかりです。愛欲に囚われることが多く、煩悩の結び目を断ち切り、解脱の境地を得ることができる者はまれです。仏が説かれたように、「この縁起の法は、第一に極めて深く、容易に得られない。一切の煩悩を尽くし、欲望を離れて涅槃を得ることは、さらに難しく見いだしがたい」のです。それゆえ、女性は多くを得ることができず、比丘のようにはならないのです。

優婆塞、優婆夷有居家，故心不淨，不能盡漏，止可得四聖諦，作學人。如偈說：

> 在俗の信者・信女は家庭の生活があるため、心が清らかになりきれず、煩悩を完全に断ち切ることはできません。せいぜい四つの聖なる真理を学び、修行者となることができるのです。偈にもある通り──

「孔雀雖有色嚴身， 不如鴻鴈能遠飛；白衣雖有富貴力， 不如出家功德勝！」

> 孔雀は美しい羽で身を飾るけれども、 遠くまで飛べる雁には叶わないように、 在家の人が富や力を持っていても、 出家の功徳の素晴らしさには敵わないのです。

以是故，諸比丘尼雖出家棄世業，智慧短，是故有五百阿羅漢比丘尼。白衣二眾，居家事懅故，得道亦各五百。

> そのため、比丘尼たちは出家して俗世の業を捨てたとはいえ、智慧が乏しかった。それゆえ、五百人の阿羅漢（悟りを得た者）の比丘尼がいた。また、在家の男女二衆は、家にいて世俗の務めに忙しかったものの、それぞれ五百人ずつが悟りを得たのである。

問曰：

> お尋ねします。

如五千阿羅漢皆讚，三眾何以不讚？

> 五千人の阿羅漢たちが皆、讃嘆したのに、なぜ三つの集まり（比丘・尼・優婆塞・優婆夷などの三衆）は讃嘆しなかったのでしょうか？

答曰：

> お答えしますと、

大眾已讚，則知餘亦讚。

> 大衆が讚えたなら、私もまた讚えたと知るべきです。

復次，若別讚，外道輩當呵言：「何以讚比丘尼！」生誹謗故。若讚白衣，當言：「為供養故。」以是故不讚。

> また、別々に讃えると、外道の人々が非難して言うでしょう。「どうして比丘尼を讃えるのか！」と。誹謗中傷が生じるからです。もし在家の信者を讃えれば、「供養のためだ」と言うでしょう。このような理由から、讃えることはしません。

問曰：

> お尋ねします。

諸餘摩訶衍經，佛與大比丘眾俱，或八千人，或六萬、十萬人俱。是《摩訶般若波羅蜜經》，諸經中第一大。如〈囑累品〉中說：「餘經悉忘失，其罪少少；失般若波羅蜜一句，其罪大多。」以是故，知般若波羅蜜經第一大，是第一經中當第一大會，何以故聲聞眾數少，止有比丘五千，比丘尼、優婆塞、優婆夷各五百？

> 他の大乗経典では、仏は大比丘たちと共にあり、その数は八千人、あるいは六万人、十万人にものぼることがあります。しかし、この『摩訶般若波羅蜜経』は、あらゆる経典の中で第一のものです。『嘱累品』にこう説かれています。「他の経典をすべて忘れ失っても、その罪は比較的軽い。しかし、般若波羅蜜のたった一節を失えば、その罪は非常に重い」。それゆえ、般若波羅蜜経が第一の経典であり、さらにその第一の経典の中で最も重要な法会であることがわかります。それではなぜ、声聞の数が少なく、比丘は五千人、比丘尼、優婆塞、優婆夷はそれぞれ五百人だけなのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

以是大經甚深難解故，聲聞眾少。譬如王有真寶，不示凡人，示大人信愛者。如王謀議時，與諸大臣信愛智人共論，諸餘小臣則不得入。

> このように、この大いなる経典は非常に深遠で理解しがたいため、それを聞くことのできる声聞の者たちは少ない。例えば、王が真の宝を持つとき、それを凡夫には見せず、信頼し愛する高貴な者のみに示すようなものである。また、王が計画を話し合うとき、信頼する智ある大臣たちと共に論じ、その他の下級の臣下は立ち入ることを許されないのと同じである。

復次，是六千五百人盡得道，雖不盡解甚深般若波羅蜜，皆能信，得無漏四信故。餘經聲聞眾雖大多雜，不盡得道。

> また、この六千五百人の者たちは皆、悟りを得た。深い般若波羅蜜を完全には理解していなくとも、皆、信じることができた。それは無漏の四つの信を得ていたからである。他の経典に登場する声聞の衆は、たとえ人数が多くても、ほとんどが雑多であり、皆が悟りを得るわけではない。

復次，是中先讚千萬阿羅漢中，擇取最勝五千人；比丘尼、優婆塞、優婆夷亦爾。勝者難得，故不多。

> また、ここではまず千万人の阿羅漢の中から、最も優れた五千人を選び出しました。比丘尼、優婆塞、優婆夷についても同様です。優れた者は得難いため、多くはありません。

## 大智度論卷第三

> 『大智度論』巻第三