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title: "大智度論 · 9 摩訶薩埵釋論"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zpmj40gfvib04g9ium0ny"
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## 大智度初品中摩訶薩埵釋論第九卷第五

> 大智度初品における摩訶薩埵の解釈 第九<note>巻第五</note>

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵法師鳩摩羅什が詔を奉じて訳す

【經】

> お経

摩訶薩埵。

> 摩訶薩埵（大いなる菩薩）

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

云何名「摩訶薩埵」？

> 「摩訶薩埵」とはどういう意味でしょうか？

答曰：

> お答えしますと、

「摩訶」者大；「薩埵」名眾生，或名勇心。此人心能為大事，不退不還，大勇心故，名為摩訶薩埵。

> 「摩訶」とは「偉大な」という意味です。「薩埵」は「生きとし生けるもの」、あるいは「勇ましい心」を指します。この人の心は大きなことを成し遂げることができ、退いたり戻ったりしません。大いなる勇気の心を持つがゆえに、「摩訶薩埵」と呼ばれるのです。

復次，摩訶薩埵者，於多眾生中最為上首故，名為摩訶薩埵。

> さらに、摩訶薩埵とは、多くの生きとし生けるものの中で最も優れた者であることから、摩訶薩埵と呼ばれます。

復次，多眾生中起大慈大悲，成立大乘，能行大道，得最大處故，名摩訶薩埵。

> さらに、多くの衆生の中で大いなる慈しみと悲しみの心を起こし、大乗を確立し、大きな道を実践し、最も優れた境地に至るからこそ、摩訶薩埵（まかさった）と名づけられるのです。

復次，大人相成就故，名摩訶薩埵。

> また、大人の相を具えているからこそ、摩訶薩埵（偉大な存在）と呼ばれるのです。

摩訶薩埵相者，如〈讚佛偈〉中說：

> 摩訶薩埵の特徴とは、例えば「讚佛偈（仏を讃える偈）」の中でこう説かれています。

「唯佛一人獨第一， 三界父母一切智；於一切等無與等， 稽首世尊希有比！凡人行惠為己利， 求報以財而給施；佛大慈仁無此事， 怨親憎愛以等利！」

> 唯仏一人のみが第一である。 三界の父母であり、一切智を持つ方。 すべてのものと等しく、比べるもののない方。 世尊、希有なる方に、頭をたれて礼拝いたします。 凡人は施しを行うとき、自分の利益のため、 報いを求めて財を与えます。 しかし仏の大いなる慈悲にはそのようなことはなく、 怨みも親しみも憎しみも愛も、すべてを等しく利益されるのです。

復次，必能說法破一切眾生及己身大邪見、大愛慢、大我心等諸煩惱故，名為摩訶薩埵。

> さらに、必ず説法によって、あらゆる衆生と自分自身の大きな誤った見解、大きな愛着と慢心、大きな我執などのあらゆる煩悩を打ち破ることができるから、摩訶薩埵（大きな悟りを目指す者）と呼ばれるのです。

復次，眾生如大海，無初、無中、無後；有明智算師，於無量歲計算，不能盡竟。

> さらに、衆生は大海のようなものです。始まりもなく、中間もなく、終わりもありません。どれほど賢明な計算の達人がいても、無限の歳月をかけて数え尽くすことはできないのです。

如佛語無盡意菩薩：「譬如十方一切世界，乃至虛空邊際，合為一水，令無數無量眾生共持一髮取一渧而去，更有無央數眾生如前共持一髮取一渧而去，如是令彼大水悉盡無餘，眾生故不盡。」以是眾生等無邊、無量、不可數、不可思議，盡能救濟，令離苦惱，著於無為安隱樂中。有此大心，欲度多眾生故，名摩訶薩埵。

> 仏が無尽意菩薩に語られた。「たとえば、十方のすべての世界、虚空の果てに至るまでのすべてを一つにまとめた大きな水があるとする。無数の無量の衆生が、一つの髪の毛で一雫を取って去り、また別の無数の衆生が同じように一つの髪の毛で一雫を取って去る。こうしてその大きな水をすべて取り尽くしても、なお衆生は尽きることがない。このように衆生は限りがなく、量り知れず、数えることもできず、思い考えることもできない。そのすべてを救い、苦しみや悩みから解放し、煩わしさのない安らかな幸せの境地に導く。このような大きな心を持ち、多くの衆生を救おうと願うからこそ、摩訶薩埵（大いなる覚りを求める者）と呼ばれるのである。」

如《不可思議經》中，漚舍那優婆夷語須達那菩薩言：「諸菩薩摩訶薩輩，不為度一人故，發阿耨多羅三藐三菩提心，亦非為二、三乃至十人故，非百、非千、非萬、非十萬、非百萬，非一億十百千萬乃至億億。非為阿由他億眾生故發心，非那由他億，非阿耶陀眾生故，非頻婆羅，非歌歌羅，非阿歌羅，非簸婆羅，非摩波羅，非波陀，非多婆，非鞞婆呵，非怖摩，非念摩，非阿婆迦，非摩伽婆，非毘羅伽，非僧伽摩，非毘薩羅，非謂閻婆，非鞞闍迦，非鞞盧呵，非鞞跋帝，非鞞伽多，非兜羅，非阿婆羅那，非他婆羅，非鞞婆耶婆，非藐寫，非鈍那耶寫，非𨢘婆羅，非鞞婆羅，非菩遮多，非阿跋伽陀，非鞞施他，非泥婆羅，非𨢘犁浮陀，非波摩陀夜，非比初婆，非阿犁浮陀，非阿犁薩寫，非𨢘云迦，非度于多，非呵樓那，非摩樓陀，非叉夜，非烏羅多，非末殊夜摩，非三摩陀，非毘摩陀，非波摩陀，非阿滿陀羅，非婆滿多羅，非摩多羅，非𨢘兜末多羅，非鞞摩多羅，非波羅多羅，非尸婆多羅，非𨢘羅，非為羅，非提羅，非枝羅，非翅羅，非尼羅，非斯羅，非波羅，非彌羅，非婆羅羅，非迷樓，非企盧，非摩屠羅，非三牟羅，非阿婆夜，非劍摩羅，非摩摩羅，非阿達多，非𨢘樓，非鞞樓婆，非迦羅跋，非呵婆跋，非鞞婆跋，非婆婆，非阿羅婆，非娑羅婆羅，非迷羅浮羅，非摩遮羅，非陀摩羅，非波摩陀，非尼伽摩，非阿跋多，非泥提舍，非阿叉夜，非三浮陀，非婆摩摩，非阿婆陀，非漚波羅，非波頭摩，非僧佉，非伽提，非漚波伽摩，非阿僧祇，非阿僧祇阿僧祇，非無量，非無量無量，非無邊，非無邊無邊，非無等，非無等無等，非無數，非無數無數，非不可計，非不可計不可計，非不可思議，非不可思議不可思議，非不可說，非不可說不可說。非為一國土微塵等眾生故發心，非為二、三至十百千萬億千萬億阿由陀、那由他，乃至不可說不可說國土微塵等眾生故發心；非為一閻浮提微塵等眾生故發心，非為拘陀尼、欝怛羅曰、弗婆提微塵等眾生故發心；非為小千世界、中千世界、大千世界微塵等眾生故發心；非為二、三至十百千萬億阿由他、那由陀，乃至不可說不可說三千大千世界微塵等眾生故發心。

> 『不可思議経』の中で、優婆塞のウパサナ夫人が須達那菩薩にこう語っています。 「諸々の菩薩摩訶薩たちは、たった一人の者を救うために無上正等覚（阿耨多羅三藐三菩提）の心を起こすのではありません。同様に、二人、三人、あるいは十人のためでもなく、百人、千人、一万人、十万人、百万人のためでもなく、一億、十億、百億、千億、兆、さらには億億のためでもありません。 また、阿由他（アユータ）の数の衆生のためでも、那由他（ナユータ）のためでも、阿耶陀（アヤータ）のためでもなく、頻婆羅（ビンバラ）や歌歌羅（ガガナ）や阿歌羅（アガラ）や簸婆羅（バンバラ）や摩波羅（マハー）や波陀（パダ）や多婆（ダバ）や鞞婆呵（ビバハ）や怖摩（ブマ）や念摩（ネマ）や阿婆迦（アバカ）や摩伽婆（マガバ）や毘羅伽（ビラガ）や僧伽摩（サンガマ）や毘薩羅（ビサラ）や謂閻婆（ウジャンバ）や鞞闍迦（ビジャカ）や鞞盧呵（ビルハ）や鞞跋帝（ビバテー）や鞞伽多（ビガタ）や兜羅（トラ）や阿婆羅那（アパラナ）や他婆羅（タバラ）や鞞婆耶婆（ビバヤバ）や藐寫（ミャクシャ）や鈍那耶寫（ドゥナヤシャ）や𨢘婆羅（バイバラ）や鞞婆羅（ビバラ）や菩遮多（ブシャタ）や阿跋伽陀（アパガタ）や鞞施他（ビシタ）や泥婆羅（ネバラ）や𨢘犁浮陀（バリブタ）や波摩陀夜（パマタヤ）や比初婆（ビシュバ）や阿犁浮陀（アリブダ）や阿犁薩寫（アリサシャ）や𨢘云迦（バイゴカ）や度于多（トユタ）や呵楼那（ハルナ）や摩楼陀（マルダ）や叉夜（チャヤ）や烏羅多（ウラタ）や末殊夜摩（マシューヤマ）や三摩陀（サマンタ）や毘摩陀（ビマンタ）や波摩陀（パマンタ）や阿満陀羅（アマンタラ）や婆満多羅（バマンタラ）や摩多羅（マンタラ）や𨢘兜末多羅（バイトゥマンタラ）や鞞摩多羅（ビマンタラ）や波羅多羅（パラマンタラ）や尸婆多羅（シバンタラ）や𨢘羅（バイラ）や為羅（イラ）や提羅（ティラ）や枝羅（ジラ）や翅羅（ケーラ）や尼羅（ニラ）や斯羅（シラ）や波羅（パラ）や彌羅（ミラ）や婆羅羅（バララ）や迷楼（メール）や企盧（キル）や摩屠羅（マトゥラ）や三牟羅（サムラー）や阿婆夜（アバヤ）や劍摩羅（カマラ）や摩摩羅（ママラ）や阿達多（アダタ）や𨢘楼（バイロ）や鞞樓婆（ビローバ）や迦羅跋（カラバ）や呵婆跋（ハーババ）や鞞婆跋（ビババ）や婆婆（ババ）や阿羅婆（アラバ）や娑羅婆羅（サラバラ）や迷羅浮羅（メールブラ）や摩遮羅（マチャラ）や陀摩羅（ダマラ）や波摩陀（パマンタ）や尼伽摩（ニガマ）や阿跋多（アバダ）や泥提舍（ネデーシャ）や阿叉夜（アクシャヤ）や三浮陀（サンプタ）や婆摩摩（バママ）や阿婆陀（アバハ）や漚波羅（ウトパラ）や波頭摩（パドマ）や僧佉（サンキャ）や伽提（ガティ）や漚波伽摩（ウパカマ）や阿僧祇（アサンキャ）や、さらにその阿僧祇倍の阿僧祇のためでもありません。 無量のためでも、その無量倍の無量のためでも、無辺のためでも、その無辺倍の無辺のためでも、無等のためでも、その無等倍の無等のためでも、無数のためでも、その無数倍の無数のためでも、不可計のためでも、その不可計倍の不可計のためでも、不可思議のためでも、その不可思議倍の不可思議のためでも、不可説のためでも、その不可説倍の不可説のためでもありません。 ただ一つの国土の微塵の数の衆生のために発心するのではなく、二つ、三つ、あるいは十、百、千、万、億、千万億、阿由陀、那由他、さらには不可説不可説の国土の微塵の数の衆生のためでもありません。 また、一つの閻浮提（人間世界）の微塵の数の衆生のためでもなく、拘陀尼（西の牛貨洲）や欝怛羅曰（北の倶盧洲）や弗婆提（東の勝身洲）の微塵の数の衆生のためでもありません。 小千世界、中千世界、大千世界の微塵の数の衆生のために発心するのではなく、さらに二つ、三つ、十、百、千、万、億、阿由陀、那由陀、さらには不可説不可説の三千大千世界の微塵の数の衆生のためにすら発心するのではないのです。」

「非為供養供給一佛故發心，乃至非為供養供給不可說不可說諸佛故發心；非為供養供給一國土微塵等諸佛故發心，乃至非為供養供給不可說不可說三千大千世界微塵等諸佛故發心。

> 一つの仏様に供養し奉仕するために発心するのではありません。ましてや数えきれないほどの仏様に供養し奉仕するために発心するのでもありません。一つの国土の微塵のように無数の仏様に供養し奉仕するために発心するのではなく、さらには数えきれない三千世界の微塵のように多くの仏様に供養し奉仕するために発心するのでもありません。

「非為淨一佛土故發心，乃至非為淨不可說不可說三千大千世界微塵等佛土故發心。

> 一つの仏国土を清らかにするためだけに発心するのではありません。それどころか、数えきれないほどの三千大千世界を微塵にしたほどの無数の仏国土を清らかにするためにも、発心するのではないのです。

「非為受持一佛法故發心，乃至非為受持不可說不可說三千大千世界微塵等佛法故發心。

> ある一つの仏の教えを受持するために心を起こすのではなく、さらに説明し尽くせないほどの三千大千世界の微塵ほどの数の仏の教えを受持するために心を起こすのでもない。

「非為令一三千大千世界中佛種不斷故發心，乃至非為令不可說不可說三千大千世界微塵等三千大千世界中佛種不斷故發心。

> 一つの三千大千世界において、仏の種が途絶えないようにするために発心するのではありません。 さらに、数えきれないほどの三千大千世界の微塵の数ほどの三千大千世界において、仏の種が途絶えないようにするために発心するのでもありません。

「非為分別知一佛願故發心，乃至非為分別知不可說不可說三千大千世界微塵等佛願故發心。

> 「ある一つの仏の誓いを理解しようとして発心するのではありません。さらに言えば、説くことも数えることもできないほどの三千大千世界を微塵にしたほどの数の仏の誓いを、一つひとつ理解しようとして発心するのでもありません。」

「非為莊嚴一佛土故發心，乃至非為莊嚴不可說不可說三千大千世界微塵等佛土故發心。

> ある一つの仏の国を荘厳するために心を起こすのではありません。ましてや、言葉にできないほどの無数の三千大千世界の微塵ほどの数の仏の国々を荘厳するために心を起こすのでもありません。

「非為分別知一佛會弟子眾故發心，乃至非為分別知不可說不可說三千大千世界微塵等佛會弟子眾故發心。

> 分別して、一つの仏の会座の弟子たちを知るために心を起こすのではありません。さらに、分別して、語ることのできない、語ることのできない三千大千世界の微塵ほどの数の仏の会座の弟子たちを知るために心を起こすのでもありません。

「非為持一佛法輪故發心，乃至非為持不可說不可說三千大千世界微塵等佛法輪故發心。

> 一つの仏法の教えを広めるために発心するのではなく、さらには、言葉にできない、語り尽くせないほどの三千大千世界の微塵の数ほどの仏法の教えを広めるために発心するのでもありません。

「非為知一人諸心故、非為知一人諸根故、非為知一三千大千世界中諸劫次第相續故、非為分別斷一人諸煩惱故發心，乃至非為分別斷不可說不可說三千大千世界微塵等人諸煩惱故發心。」

> ある一人の人の心を知るために、またはある一人の人の能力（諸根）を知るために、あるいは一つの三千大千世界における劫の順序や連続を知るために、またある一人の人の煩悩を断ち切るために、心を起こすのではありません。さらに、言葉にできないほど無数の三千大千世界の微塵のように多くの人々の煩悩を断ち切るために、心を起こすのです。

是諸菩薩摩訶薩願言：「盡教化一切十方眾生，盡供養供給一切十方諸佛，願令一切十方諸佛土清淨，心堅受持一切十方諸佛法，分別知一切諸佛土故，盡知一切諸佛弟子眾故，分別知一切眾生諸心故，知斷一切眾生諸煩惱故，盡知一切眾生諸根故，諸菩薩發心作阿耨多羅三藐三菩提。如是等十門為首，乃至百千萬億阿僧祇門是為道法門，菩薩應知、應入！略說如是諸菩薩實道。一切諸法皆入皆知，智慧知故，一切佛土菩薩道中莊嚴故。」

> これらの大菩薩たちは、こう誓願を立てました。 「あまねく十方の一切の衆生を教化し、十方の諸仏にことごとく供養し、すべての仏の国土を清らかにします。そして、十方の諸仏の教えを堅く心に受け持ち、あらゆる仏国土を正しく知り、すべての仏弟子の集いを知り尽くし、すべての衆生の心をはっきりと見分け、すべての衆生の煩悩を断つ方法を知り、すべての衆生の能力（根機）を完全に理解した上で、菩薩たちは心を起こして無上正等覚（アノッタラ・サンミャク・サンボーディ）をめざします。」 このような十の教えをはじめとして、さらに百千万億もの無数の教えが、道の教え（道法門）です。菩薩はこれらを理解し、実践すべきです。 これこそが、諸菩薩の真実の道を略説したものです。 あらゆるものは、すべてこの教えに含まれており、智慧によって知ることができます。また、すべての仏国土は、菩薩の道によって荘厳されているのです。

漚舍那言：「善男子！我願如是：自有世界已來，一切眾生盡清淨，一切煩惱悉斷。」須達那言：「是何解脫？」漚舍那答言：「是名無憂安隱幢。我知此一解脫門，不知諸菩薩大心如大海水，一切諸佛法能持能受。諸菩薩心不動，如須彌山；諸菩薩如藥王，能除一切諸煩惱；諸菩薩如日，能照除一切闇；諸菩薩如地，能含受一切眾生；諸菩薩如風，能益一切眾生；諸菩薩如火，能燒一切外道諸煩惱；諸菩薩如雲，能雨法水；諸菩薩如月，福德光明能照一切；諸菩薩如釋提桓因，守護一切眾生。是菩薩道法甚深，我云何能盡知！」

> 漚舎那が言った。「善男子よ。私の願いはこうです。この世界が始まって以来、すべての生きとし生けるものが清らかになり、すべての煩悩が断たれることです。」 須達那が尋ねた。「それはどんな解脱なのですか？」 漚舎那が答えた。「それは無憂安隠幢（憂いなく安らかなる幢）と呼ばれます。私はこの一つの解脱門を知るのみで、菩薩たちの大海のような広大な心を知りません。彼らの心は、すべての仏の教えを受け止め、保つことができるのです。菩薩たちの心は動かず、須弥山のようです。菩薩たちは薬王のように、すべての煩悩を取り除きます。菩薩たちは太陽のように、すべての闇を照らし除きます。菩薩たちは大地のように、すべての生きとし生けるものを含み受け止めます。菩薩たちは風のように、すべての生きとし生けるものを育みます。菩薩たちは火のように、すべての外道の煩悩を焼き尽くします。菩薩たちは雲のように、法の雨を降らせます。菩薩たちは月のように、福徳の光で一切を照らします。菩薩たちは帝釈天のように、すべての生きとし生けるものを守ります。この菩薩の道の教えはとても深く、私にどうしてすべてを知ることができましょうか！」

以是諸菩薩生大願，欲得大事，欲至大處故，名「摩訶薩埵」。

> したがって、これらの菩薩たちは大きな誓いを立て、偉大な事柄を求め、高みに到達しようと努めることから、「マハーサットヴァ（大士）」と呼ばれます。

復次，是《般若波羅蜜經》中摩訶薩埵相，佛自說：如是如是相，是摩訶薩埵相。

> また、この『般若波羅蜜経』の中で、摩訶薩埵（大きな悟りを目指す者）の姿について、仏みずからが説かれました。「このような、このような姿こそが、摩訶薩埵の姿である」と。

舍利弗、須菩提、富樓那等諸大弟子各各說彼品，此中應廣說。

> 舎利弗、須菩提、富樓那などの偉大な弟子たちが、それぞれ各自の教えを説いた。それらについては、ここで詳しく述べるべきである。