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title: "大智度論 · 15 十方諸菩薩來釋論"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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## 大智度初品中放光釋論之餘卷第九

> 大智度初品 放光釈論の余（巻第九）

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵法師鳩摩羅什が詔を奉じて訳す

【經】

> お経

爾時，世尊在師子座上坐，於三千大千世界中，其德特尊，光明色像威德巍巍，遍至十方如恒河沙等諸佛世界。譬如須彌山王光色殊特，眾山無能及者。

> その時、世尊は獅子座に座っておられた。三千大千世界において、その徳は特に尊く、光明と姿の威光は非常に高く、十方の、数えきれないほどの仏の世界にまで満ち渡っていた。ちょうど須弥山の王のように、その光と色が特別で、他のどんな山も及ばないようなものであった。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

佛以何力故於一切眾生中其德特尊，光明、威德巍巍乃如是耶？

> 仏はいかなる力によって、すべての衆生の中で特にその徳が尊く、光明と威徳がこのように輝かしいのでしょうか？

如轉輪聖王、諸天、聖人亦有大力、光明、威德，何以獨言佛德特尊？

> 輪転聖王や天、聖人たちも大きな力や光明、威徳を持っています。なぜ特に仏の徳だけが特別に尊いと言うのですか。

答曰：

> お答えしますと、

此諸賢聖雖有光明、威德，有量有限。譬如眾星，日光既出，則沒不現。

> 諸々の聖者たちは、たとえ光明や威徳を備えていても、それは限りあるもの、量り知れるものにすぎません。例えるなら、多くの星々も、太陽の光が現れれば、その輝きは隠れて見えなくなるようなものです。

佛從無量阿僧祇劫集大功德，一切具足，因緣大故果報亦大；餘人無此。

> 仏は、数えきれないほどの長い時間をかけて、大きく素晴らしい功徳を積み重ね、すべてが完全に満ち足りています。因縁が大きく力強いから、その結果もまた、それにふさわしく大きなものとなります。他の人には、このようなことはありません。

復次，佛世世修諸苦行，無量無數頭、目、髓、腦常施眾生，豈唯國、財、妻、子而已！一切種種戒、種種忍、種種精進、種種禪定，及無比清淨不可壞不可盡智慧，世世修行，已具足滿。此果力故，得不可稱量殊特威神，以是故言「因緣大故果報亦大」。

> さらに、仏は生涯を通じて無数の苦行を修め、数え切れないほどの頭や目、髄や脳までも惜しみなく衆生に施してきました。ただの国や財産、妻や子どもだけではありません。あらゆる戒律、忍耐、精進、禅定、そして比類なく清らかで壊れることなく尽きることのない智慧を、生涯にわたって修行し、すでに完全に満たし尽くされたのです。この修行の力の結果として、測り知れないほど特別で偉大な威光と神通力を得られました。それゆえに「因縁が大きければ、その報いもまた大きい」と説かれているのです。

問曰：

> お尋ねします。

若佛神力無量，威德巍巍，不可稱說，何以故受九罪報？一者、梵志女孫陀利謗，五百阿羅漢亦被謗；二者、旃遮婆羅門女繫木盂作腹謗佛；三者、提婆達推山壓佛，傷足大指；四者、迸木刺腳；五者、毘樓璃王興兵殺諸釋子，佛時頭痛；六者、受阿耆達多婆羅門請而食馬麥；七者、冷風動故脊痛；八者、六年苦行；九者、入婆羅門聚落，乞食不得，空鉢而還。復有冬至前後八夜，寒風破竹，索三衣禦寒。又復患熱，阿難在後扇佛。如是等世界小事，佛皆受之。若佛神力無量，三千大千世界乃至東方恒河沙等諸佛世界，南西北方、四維、上下，光明色像威德巍巍，何以故受諸罪報？

> もし仏の神通力は無限で、その威徳は荘厳にして言葉では表しがたいほど素晴らしいのに、なぜ九つの罪報を受けたのか？ 一、梵志（バラモン）の女スンダリーが仏を誹謗し、五百人の阿羅漢も共に誹謗されたこと。 二、チャンチャというバラモンの女が木の盂を腹に当てて妊娠したと偽り、仏を誹謗したこと。 三、提婆達多が山を押し崩して仏を押し潰そうとし、仏の足の親指を傷つけたこと。 四、木の破片が足に刺さったこと。 五、毘楼璃王が兵を起こして釈迦族を殺戮した時、仏が頭痛を患われたこと。 六、アギダッタというバラモンの招待を受けて馬の麦を食べたこと。 七、冷風が起こったために背中が痛んだこと。 八、六年間にわたる苦行をされたこと。 九、バラモンの集落に行って托鉢したが何も得られず、空の鉢で帰られたこと。 また冬至の前後八夜、寒風が竹を吹き折るほどの寒さの中、三枚の衣を重ねて寒さを防がれた。また暑さに苦しまれ、阿難が後ろであおいだこともあった。 このような世の中の小さな出来事を、仏はすべて受け入れられた。もし仏の神通力が無限で、三千大千世界、さらには東方のガンジス川の砂の数ほどの仏の世界、南・西・北・四隅・上下に至るまで、その光明と姿、威徳が荘厳で素晴らしいのなら、なぜこれらの罪報を受けたのだろうか。

答曰：

> お答えしますと、

佛在人中生，人父母，受人身力，一指節力勝千萬億那由他白象力，神通力無量無數、不可思議。是淨飯王子，厭老、病、死苦，出家得佛道——是人豈受罪報，為寒熱等所困！如佛神力不可思議，不可思議法中，何有寒熱諸患？

> 仏は人の間に生まれ、人の父母から人身を受けられた。その一指の節の力は、千万億那由他もの白象の力を超える。神通力は無量無数で、思いはかることもできない。この浄飯王の王子は、老い、病、死の苦しみを厭い、出家して仏道を得られた。このような方が、どうして罪の報いを受け、寒さや暑さなどに悩まされることがあろうか。仏の神通力は思いもよらず、思議を超えた法の中に、どうして寒暑などの苦しみがあるはずがあろうか。

復次，佛有二種身：一者法性身，二者父母生身。是法性身滿十方虛空，無量無邊，色像端正，相好莊嚴，無量光明，無量音聲，聽法眾亦滿虛空此眾亦是法性身，非生死人所得見也；常出種種身、種種名號、種種生處、種種方便度眾生，常度一切，無須臾息時。如是法性身佛，能度十方世界眾生。受諸罪報者是生身佛，生身佛次第說法如人法。以有二種佛故，受諸罪無咎。

> さらに、仏には二種類の身があります。一つは「法性身（ほっしょうしん）」、もう一つは「父母から生まれた身」です。この法性身は、十方の虚空いっぱいに広がり、限りなく広大です。その姿は端正で、相好は荘厳、無量の光明と無量の音声を放ち、法を聞く衆生もまた虚空を満たしています<note>この衆生もまた法性身であり、生死の迷いにある人が見ることはできません</note>。常に様々な姿、様々な名号、様々な生まれ、様々な方便を現して衆生を救い、絶え間なく一切を救済し、一瞬の休みもありません。このような法性身の仏は、十方世界の衆生を救うことができるのです。一方、様々な罪の報いを受けるのは、父母から生まれた身の仏です。この生身の仏は、人間のやり方に従って、順を追って説法を行います。このように二種類の仏が存在するからこそ、様々な罪を受けても、それは咎められることではないのです。

復次，佛即得道時，一切不善法盡斷，一切善法皆成就，云何今實有不善法報可受？但憐愍未來世眾生故，現方便受此諸罪。

> さらに、仏が悟りを得た時、あらゆる不善の法は尽く断ち切られ、あらゆる善の法はすべて成就されました。それなのに、どうして今、現実に不善の法の報いとして受け取るべきものがあるでしょうか。ただ、未来の世の衆生を哀れむがゆえに、仮の方便としてこれらの諸々の罪を受けているに過ぎないのです。

復次，如阿泥盧豆與一辟支佛食故受無量世樂，心念飲食應意即得；何況佛世世割肉、出髓以施眾生，而乞食不得空鉢而還？以是事故，知佛方便為度眾生故受此諸罪。云何方便憐愍未來世？五眾佛弟子施福薄故，乞種種自活之具不能得。諸白衣言：「汝衣食不能得，有病不能除，何能得道以益於人？」是五眾當答：「我等雖無活身小事，有行道福德。我等今日眾苦，是先身罪報；今之功德，利在將來。我等大師佛入婆羅門聚落乞食，尚亦不得，空鉢而還；佛亦有諸病，釋子畢罪時佛亦頭痛，何況我等薄福下人！」諸白衣聞已，瞋心則息，便以四種供養、供給比丘，身得安隱，坐禪得道。是為方便故，非實受罪。

> また、阿那律がある一人の辟支仏に食べ物を施したため、無量の世にわたって楽を受け、心に食べ物を思えば即座にそれが得られた。ましてや仏は、世々にわたって自らの肉を切り、髄を抜き出して衆生に施されたのである。それなのに、托鉢しても食べ物が得られず、空の鉢で帰ってこられたことがあるだろうか。 このことから、仏は方便として、衆生を救うためにこれらの苦しみを受けられたのであって、実際に罪を受けたわけではないことがわかる。では、その方便とはどのようなものか。未来の世の衆生を哀れんでのことである。 五衆（比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼）の仏弟子たちは、布施の福が薄いため、さまざまな生活に必要なものを求めて満足に得られない。そこで在家の人々が言うであろう。「あなたがたは衣食も得られず、病も癒せない。どうして道を得て人を益することができようか」と。 そのとき五衆はこう答えるべきである。「私たちは生きるためのささいなことはできなくとも、修行して道を得る福徳があります。今の苦しみは前世の罪の報いであり、今の功徳は将来の利益となるのです。私たちの大師である仏でさえ、バラモンの集落に托鉢に行かれたとき、食べ物を得られず空の鉢で帰られたことがあります。仏にも病はあり、釈迦族が罪を償う時には仏も頭痛を患われました。ましてや私たちのような福の薄い者たちはなおさらです」と。 この言葉を聞いた在家の人々は、怒りの心を静め、四種の供養を用いて比丘たちを支えるようになる。比丘たちは身が安らかになり、坐禅して道を得るのである。これこそが方便であり、仏が実際に罪を受けたわけではないのである。

如《毘摩羅詰經》中說：

> 『維摩経』の中でこう説かれています。

佛在毘耶離國，是時佛語阿難：「我身中熱風氣發，當用牛乳。汝持我鉢乞牛乳來。」阿難持佛鉢，晨朝入毘耶離，至一居士門立。是時，毘摩羅詰在是中行，見阿難持鉢而立，問阿難：「汝何以晨朝持鉢立此？」阿難答言：「佛身小疾，當用牛乳，故我到此。」

> 仏が毘耶離の国にいらっしゃった時、仏は阿難にこう告げられました。「私は体内に熱風の気が起こっており、牛乳が必要だ。私の鉢を持って、牛乳を乞いに行ってきなさい。」そこで阿難は仏の鉢を持って、早朝に毘耶離の町へ入り、ある在家の者の門前に立ちました。その時、維摩詰がそこを訪れていて、阿難が鉢を持って立っているのを見て、阿難に尋ねました。「あなたはなぜ早朝に鉢を持って、こんな所に立っているのですか？」阿難は答えました。「仏様が少し体調を崩されて、牛乳が必要なのです。それで私がここに来ました。」

毘摩羅詰言：「止！止！阿難！勿謗如來！佛為世尊，已過一切諸不善法，當有何疾？勿使外道聞此麁語，彼當輕佛，便言：佛自疾不能救，安能救人？」

> 維摩詰が言いました。「お待ちください、アーナンダよ。如来を誹謗してはいけません。仏は世にも尊い方であり、すでにあらゆる不善の法を超えていらっしゃいます。どのような病気がありえましょうか。外道の人々がこのような粗雑な言葉を聞けば、彼らが仏を軽んじ、『仏ご自身が病気を治せないのなら、どうして人を救えるのか』と言うでしょう。」

阿難言：「此非我意，面受佛勅當須牛乳。」

> 阿難が言いました。「これは私の本意ではありません。仏から直接言われたので、牛乳を用意しなければならないのです。」

毘摩羅詰言：「此雖佛勅，是為方便，以今五惡之世故，以是像度脫一切。若未來世，有諸病比丘當從白衣求諸湯藥。白衣言：『汝自疾不能救，安能救餘人？』諸比丘言：『我等大師猶尚有病，況我等身如艸芥能不病耶？』以是事故諸白衣等以諸湯藥供給比丘，使得安隱，坐禪行道。有外道、仙人能以藥艸、呪術除他人病，何況如來一切智德，自身有病而不能除？汝且默然，持鉢取乳，勿令餘人異學得聞知也。」

> 維摩詰が言いました。「たとえこれが仏の勅めであっても、それは方便です。今の五濁の悪世だからこそ、このような姿で一切を救い導くのです。もし未来の世に、病にかかった比丘たちがいて、在家の人々から薬を求めるならば、在家の人々はこう言うでしょう。『あなた自身の病すら治せないのに、どうして他の人を救えるのですか。』比丘たちはこう言うでしょう。『私たちの大師でさえ病にかかられるのだから、まして私たちの身など草や芥のようにか弱く、病にかからないはずがありましょうか。』こうしたわけで、在家の人々はさまざまな薬を比丘たちに施し、比丘たちは心安らかに坐禅し、道を修行することができるのです。外道や仙人たちでさえ、薬草や呪術で他人の病を除くことができます。ましてや如来の一切智の功徳が、ご自身の病を除くことができないはずがありましょうか。あなたはしばらく黙って、鉢を持って乳を取りに行きなさい。他の学派の人々に知られてはなりません。」

以是故知佛為方便，非實病也。

> ですから、仏がこのようにされたのは、相手に合わせた巧みな手段によるものであって、本当に病気だったわけではありません。

諸罪因緣皆亦如是。

> あらゆる罪は、そのようにさまざまな原因と条件によって生じるのです。

以是故言「佛其德特尊，光明色像，威德巍巍」。

> ですから、「仏の徳はとりわけ尊く、その光明も姿かたちも、威厳と徳は高くそびえている」というのです。

【經】

> お経

爾時，世尊以常身示此三千大千世界一切眾生。是時，首陀會天、梵眾天、他化自在天、化自樂天、兜率陀天、夜磨天、三十三天、四天王天，及三千大千世界人與非人，以諸天華、天瓔珞、天澤香、天末香、天青蓮華、赤蓮華、白蓮華、紅蓮華、天樹葉香，持詣佛所。

> そのとき、世尊は常の姿をこの三千大千世界のすべての生きとし生けるものにお示しになった。そのとき、首陀会天、梵衆天、他化自在天、化自楽天、兜率陀天、夜摩天、三十三天、四天王天、そして三千大千世界の人間と人間以外の者たちは、さまざまな天の花、天の瓔珞、天の澤香、天の末香、天の青蓮華、赤蓮華、白蓮華、紅蓮華、天の樹葉香を手に取り、仏のもとへと参じた。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

佛何以故以常身示此三千大千世界中一切眾生？

> 仏はなぜ、常の身をもってこの三千大千世界のすべての衆生に示されるのですか。

答曰：

> お答えしますと、

佛欲說摩訶般若波羅蜜，入三昧王三昧，從足下相輪光明上至肉髻光焰大明。譬如劫盡燒時，諸須彌山王隨次燃盡。是光明遍滿三千大千世界，乃至十方恒河沙等諸佛世界皆悉大明。眾生見者畢至阿耨多羅三藐三菩提。是佛欲說般若波羅蜜初神力。

> 仏が摩訶般若波羅蜜を説こうとして、三昧王三昧に入られると、足の下の相輪から光明が放たれ、肉髻に至るまで光焰が大きく輝きました。それはちょうど、劫の尽きる時の火がすべてを焼き尽くすとき、須弥山王が次々と燃え尽きるようなものでした。この光明は三千大千世界に遍く満ち、さらに十方のガンジス川の砂の数ほどの仏の世界までもすべて大きく照らし出しました。この光を見た众生は、必ず阿耨多羅三藐三菩提に至ります。これが、仏が般若波羅蜜を説こうとされた最初の神通力です。

第二、一切毛孔皆悉微笑。

> 第二に、すべての毛孔がことごとく微笑んでいる。

第三、放常光明，面各一丈。

> 第三に、常に光明を放ち、お顔のそれぞれが一丈ある。

第四、舌相遍覆三千大千世界而笑。

> 第四に、舌が三千大千世界をすっかり覆い、そしてほほえまれた。

第五、入師子遊戲三昧，三千大千世界六反震動。

> 第五に、師子遊戯三昧に入られると、三千大千世界が六種に震動した。

第六、佛坐師子座，現最勝身光明色像，威德巍巍。

> 第六に、仏は師子座に坐し、最もすぐれたる身の光明と色形とを現したまい、威徳は巍巍として高きこと限りなし。

以此神力感動眾生，其有信者皆至阿耨多羅三藐三菩提；其中疑者，示常身，便得信解，而各說言：「今所見者是佛真身。」

> この神通力によって、人々の心を動かします。信仰を抱く者は、みな悟りの道へと進みます。疑いを抱く者には、あえて普通の姿をお見せになることで、かえって信じ、理解するようになります。そこで人々はこう言います。「今、私たちが見ているのは、仏の真の姿なのだ。」

以佛力故，此三千大千世界中人見佛常身，遠近無礙。是時，三千大千世界眾生皆大歡喜言：「此真是佛身！佛初生時、初成佛時、初轉法輪時皆以此身。」如是思惟，此真是佛身。

> 仏の力によって、この三千大千世界の人々は仏の永遠の姿を見ることができ、遠くにいても近くにいても妨げられることはありませんでした。そのとき、三千大千世界のすべての生きとし生けるものは、大いに喜んでこう言いました。「これこそまさに仏のお姿です！仏がお生まれになったときも、悟りを開かれたときも、初めて法を説かれたときも、すべてこのお姿でした。」このように思い、これこそまさに仏のお姿であると感じたのでした。

問曰：

> お尋ねします。

何以故名為「淨居天」、「梵世天」？

> なぜ「浄居天」「梵世天」と呼ばれるのですか。

答曰：

> お答えしますと、

第四禪有八種：五種是阿那含住處，是名淨居；三種，凡夫、聖人共住。

> 第四禅には八つの境地があります。五つは阿那含（不還果）の聖者が住む処で、これを浄居天といいます。残りの三つは、凡夫と聖者が共に住む処です。

過是八處，有十住菩薩住處，亦名「淨居」，號大自在天王。

> これらの八つの境地を超えたところに、十住の菩薩が住む場所があります。これは「浄居」とも呼ばれ、大自在天王という名で知られています。

「梵世天」者，生處有三種：一者、梵眾天，諸小梵生處；二者、梵輔天，貴梵生處；三者、大梵天，是名中間禪生處。

> 「梵世天」に生まれる場所には三つあります。一つ目は「梵衆天」で、小さな梵の者たちが生まれる場所です。二つ目は「梵輔天」で、尊い梵の者が生まれる場所です。三つ目は「大梵天」で、これは中間禅の生まれる場所と呼ばれます。

問曰：

> お尋ねします。

離欲是同，何以故有貴賤異處？

> 欲望を離れることは同じなのに、なぜそこに貴賤の違いがあるのですか。

答曰：

> お答えしますと、

初禪三種：下、中、上。若修下禪生梵眾，若修中禪生梵輔，若修上禪生大梵。慈行亦如是。如妙眼師念言：「我為眾人說法皆生梵天中，我今不應與弟子同處，當修上慈。」修上慈故生大梵天中。

> 初禅には三つの段階があります。下、中、上です。下の禅を修めれば梵衆天に生まれ、中の禅を修めれば梵輔天に生まれ、上の禅を修めれば大梵天に生まれます。慈しみの行いも同じです。妙眼師はこう考えました。「私は人々に法を説き、みな梵天に生まれるようにしてきた。今、私は弟子たちと同じ場所にいるべきではない。上の慈しみを修めよう。」上の慈しみを修めたので、大梵天に生まれたのです。

復次，第一清淨心故，生大梵天中。

> 次に、第一の清らかな心によって、大梵天の中に生まれるのです。

問曰：

> お尋ねします。

何以故於四禪中但說初、後，不說中間？

> なぜ四禅の中で、初めと後ろだけを説いて、中間を説かないのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

初門離欲難故，最後微妙難得故；中間易入故不說。

> 最初の段階は欲を離れるのが難しいため、最後の段階は微妙で得がたいため、真ん中の段階は入りやすいため、説かれていないのです。

復次，言「梵世」已攝色界；以第四禪第一妙故別說。

> 次に、「梵世」と言えば、すでに色界を含んでいる。第四禅が最も優れているため、特に別に説かれたのである。

復次，以人多識梵天、不識餘天，是故但說梵天。以淨居天常憐愍眾生、常勸請佛故。

> また、多くの人が梵天を知っていて、他の天を知らないため、梵天だけを説かれました。浄居天はいつも衆生を憐れみ、いつも仏に教えを請うからです。

復次，佛說法聲至梵天；佛得道時諸天展轉唱告乃至淨居天。以是故說初、後，不說中間。

> また、仏の説法の声は梵天まで届きました。仏が悟りを開かれたとき、諸天が次々と告げ知らせ、ついには浄居天にまで及びました。それゆえ初めと後を説き、中間については説かないのです。

復次，梵天近欲界故應聞；淨居天是色界主是故應聞。譬如守門人識客，客至其主，主則識之。中間無事故不說。

> 次に、梵天は欲界に近いため、教えを聞くべきである。浄居天は色界の主であるため、聞くべきである。たとえば門番が客を見分け、客が主人のもとに至れば、主人がそれと分かるようなものである。中間には何もないため、説かないのである。

復次，二禪大喜、三禪大樂，喜、樂放逸，是故不說。

> また、第二禅の大きな喜びと第三禅の大きな楽しみは、喜びと楽しみに心が流されてしまうため、ここでは説かれていません。

問曰：

> お尋ねします。

何以名「他化自在」？

> なぜ「他化自在」というのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

此天奪他所化而自娛樂，故言「他化自在」。

> この天は、他人が変化させた楽しみを奪い取って自ら楽しむので、「他化自在」と言います。

「化自樂」者，自化五塵而自娛樂故言「化自樂」。

> 「化自楽」とは、自分で五つの感覚の対象を生み出して楽しむことをいうので、「化自楽」と言うのです。

「兜率」名知足天。

> 「兜率」とは、知足天として知られています。

「夜摩」名善分天。

> 「夜摩」とは、善きものが分かち合われる天という意味です。

第二名「三十三天」。

> 第二の天は「三十三天」です。

最下天是「四天王諸天」。

> 一番低い天は「四天王諸天」です。

須彌山高八萬四千由旬，上有三十三天城。

> 須弥山の高さは八万四千由旬で、その頂には三十三天の城があります。

須彌山邊有山，名由揵陀羅，高四萬二千由旬。此山有四頭，頭各有城，四天王各居一城。

> 須弥山のそばに由揵陀羅（ゆけんだら）という山があり、高さは四万二千由旬です。この山には四つの峰があり、それぞれの峰に城があり、四天王がそれぞれ一つの城に住んでいます。

夜摩等諸天，七寶地在虛空中，有風持之令住。

> 夜摩天などの神々の世界では、七つの宝でできた大地が虚空に浮かび、風がそれを支えて動かないようにしている。

乃至淨居亦復如是。

> 浄居天に至るまで、また同じように。

如是諸天見佛身清淨、大光明淨，持諸供具水陸諸華——陸地生華須漫提為第一，水中生華青蓮華為第一。若樹生華、若蔓生華，是諸名華種種異色、種種香熏。各持天華來詣佛所。以此諸華色好、多香、柔軟、細滑，是故以此為供養具。

> そこで、多くの天人たちは、仏のお体が清らかで、大きな光明に輝いているのを見て、さまざまな供物や、水と陸の花々を手にしました。陸に咲く花では須漫提が最もすぐれ、水に生える花では青蓮華が最もすぐれています。木に咲く花、つるに咲く花など、これらの名もなき花々は、さまざまな色をなし、さまざまな香りを放っていました。それぞれが天の花を手にして、仏のもとへと参りました。これらの花は色つやがよく、香り豊かで、柔らかく、なめらかでした。そのため、これらを供養の道具としたのです。

云何為天華？天華芬熏，香氣逆風。

> 天の花とは何でしょうか。天の花はよい香りを放ち、その香りは風に逆らっても漂います。

諸天瓔珞懸在佛上，天澤香以塗佛地，天末香以散佛上。

> 多くの天の神々が瓔珞を仏の上に掛け、天の露のような香りで仏の地を塗り、天の粉末香を仏の上にまきました。

天蓮華青、赤、紅、白。何以無黃？黃屬火，火非水華所宜故。天寶蓮華琉璃為莖，金剛為臺，閻浮那陀金為葉，柔軟且香。并天樹葉香，持詣佛所。

> 天の蓮華には青、赤、紅、白があります。なぜ黄色がないのでしょうか。黄色は火に属し、火は水の華にふさわしくないからです。天の宝蓮華は瑠璃を茎とし、金剛を台とし、閻浮那陀金を葉とし、柔らかくて香り高いのです。また天の樹の葉の香りもたずさえて、仏のもとへ持っていきました。

問曰：

> お尋ねします。

若諸天供養應持天華，人及非人云何得天華？

> 天の神々に供養するなら天の花を持つべきですが、人間や人間以外の生き物はどうやって天の花を手に入れられるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

佛以神足放大光明，地六種震動。諸天雨種種妙華，滿三千大千世界，以供養佛；是人、非人或取此華而以供養。

> 仏は神通力で大きな光明を放ち、大地が六つの仕方で震動した。多くの天人はさまざまな美しい花を降らせ、三千大千世界を満たして仏に供養した。人や人ならざる者たちも、その花を取って供養した。

復次，天竺國法，名諸好物皆名天物。是人華、非人華，雖非天上華，以其妙好故名為天華。是故言「人、非人持諸天華」，是則無咎。

> また、天竺の国では、すぐれたものをすべて「天のもの」と呼ぶ習わしがあります。人の華であれ、人ならざるものの華であれ、天の華でなくても、すぐれて美しいので「天華」と呼ぶのです。だから「人も人ならざるものも、さまざまな天華を捧げた」と言っても、何の問題もありません。

【經】

> お経

是諸天華乃至天樹葉香以散佛上。

> 天の花、さらには天の木の葉の香りまでを、仏の上に散らしました。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

何以以華散佛身上？

> なぜ花を仏の体に散らすのですか。

答曰：

> お答えしますと、

恭敬供養故。又佛光照，皆遙見佛，心大歡喜，供養佛故，皆以諸華而散佛上。

> 敬いをもって供養したからです。また仏の光が照らし、みなが遠くから仏を拝し、心に大きな喜びを抱きました。仏を供養するために、みな花を仏の上に散らしました。

復次，佛於三界第一福田，以是故華散佛上。

> また、仏は三界において最も尊い功徳の田であるから、そのために花を仏の上に散らしたのです。

【經】

> お経

所散寶華，於此三千大千世界上，在虛空中化成大臺。

> 散りばめられた宝の花は、この三千大千世界の上で、虚空の中に大きな台となって現れた。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

何以化作此臺在虛空中？

> どうしてこの台が虚空の中に現れたのですか。

答曰：

> お答えしますと、

所散華少而化為大臺，以示眾生因少果多。

> 散らされた花は少ないのに、それが大きな台に変わるのは、少ない行いでも大きな結果が得られることを众生に示すためです。

問曰：

> お尋ねします。

何以故臺在虛空中住而不墮落？

> なぜ、その台は虚空の中にとどまっていて、落ちたりしないのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

佛以神力欲示眾生令知佛為福田得報不失，乃至成佛其福不滅。

> 仏は神通力によって、衆生に仏が福田であることを示し、悟りを開くまでその功徳が滅びないことを知らせようとされた。

【經】

> お経

是華臺邊垂諸瓔珞，雜色華蓋，五色繽紛。是諸華蓋、瓔珞遍滿三千大千世界。

> 華台の縁にはさまざまな瓔珞が垂れ下がり、雑色の華蓋が五色に彩られて美しく輝いています。これらの華蓋と瓔珞は、三千大千世界の隅々まであまねく満ちあふれています。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

若佛自有神力，何以因所散華而變為臺？

> 仏に自らの神力があるのなら、なぜ散らした花が台に変わるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

欲令人心信清淨故。是人見所供養變成此臺，心大歡喜，因歡喜故得大福德。

> 人の心を信じて清らかにしようとするためです。その人は、自分が供養したものがこの台に変わったのを見て、心に大きな喜びが生まれます。その喜びによって、大きな福徳を得るのです。

【經】

> お経

以是華蓋、瓔珞嚴飾故，此三千大千世界皆作金色，及十方如恒河沙等諸佛世界皆亦如是。

> この華蓋と瓔珞の飾りのおかげで、この三千大千世界はすべて金色に輝き、十方にあるガンジス川の砂の数ほどの仏の世界も、同じように金色に輝いています。

【論】

> 【論】 論とは、心を

有人言：「轉輪聖王四世界主，梵天王千世界主，佛三千大千世界主。」

> ある人がこう言いました。「転輪聖王は四つの世界の主であり、梵天王は千の世界の主であり、仏は三千大千世界の主である」と。

是語非實！以是故，佛所變化，乃至十方恒河沙等諸佛世界。

> この言葉は真実ではない！だからこそ、仏が変化して現したものは、十方のガンジス川の砂の数ほどの仏の世界にまで及ぶのです。

【經】

> お経

爾時，三千大千世界及十方眾生各各自念：佛獨為我說法，不為餘人。

> その時、三千大千世界と十方のすべての生きとし生けるものたちは、それぞれ心の中でこう思いました。「仏は私だけのために法を説いてくださっているのであって、他の人のためではないのだ」と。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

佛以一身示三千大千世界及十方，今諸眾生何以各各見佛在前說法？

> 仏は一つの身で三千大千世界や十方の世界をお示しになっているのに、なぜ今、それぞれの众生が仏が目の前で説法していると見るのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

佛有二種神力：一者、一處坐說法，令諸眾生遠處皆見、遠處皆聞；二者、佛在一處說法，能令一一眾生各自見佛在前說法。譬如日出，影現眾水。

> 仏には二つの不思議な力があります。一つは、一つの場所に座って法を説いても、すべての生きる者たちが遠くからでも仏の姿を見、遠くからでも説法を聞くことができる力です。もう一つは、仏が一つの場所で法を説くとき、一人ひとりの生きる者がそれぞれ自分の目の前で仏が法を説いているのを見ることができる力です。たとえば、太陽が昇れば、その影が無数の水に映るようなものです。

復次，眾生不同：有人見佛身遍三千大千世界而得淨信，有人各各見佛在前說法，得心清淨，信樂歡喜。以是故，佛今各各在前而為說法。

> また、众生はそれぞれ異なります。仏の姿が三千大千世界に遍満しているのを見て清らかな信を得る人もいれば、それぞれの人の前に仏がいて説法しているのを見て、心が清らかになり、信じ喜び歓喜する人もいます。それゆえ、仏は今、それぞれの人の前に現れて説法されるのです。

【經】

> お経

爾時，世尊在師子座熙怡而笑，光從口出，遍照三千大千世界。以此光故，此間三千大千世界中眾生皆見東方恒河沙諸佛及僧，彼間恒河沙等世界中眾生亦見此間三千大千世界中釋迦牟尼佛及諸大眾。南西北方、四維、上下亦復如是。

> そのとき、世尊は師子座の上でにこやかに微笑み、口から光を放たれました。その光は三千大千世界をあまねく照らしました。 この光によって、ここ三千大千世界の众生は、東方にあるガンジス川の砂の数ほどの仏たちと僧たちを見ることができました。また、あちらのガンジス川の砂の数ほどの世界の众生も、ここ三千大千世界の釈迦牟尼仏と多くの人々を見ることができました。 南・西・北の四方、その間の四つの方角、上と下についても、同じでありました。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

佛上已多放光明，今以何故復放斯光？

> 仏はすでに多くの光明を放たれましたが、今はどういう理由で再びこの光を放たれるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

先放光明，各各有事，如先說。今以彼此眾會兩未相見故，以光明神力，令彼此世界一切大會兩得相見。

> まず光を放ち、それぞれに事があったことは、すでに先に説いたとおりです。ここでは、それぞれの集まりがまだ互いに会っていなかったため、光の力によって、それぞれの世界のすべての集まりが互いに会うことができるようにされました。

問曰：

> お尋ねします。

如弟子中天眼第一大阿羅漢長老阿泥盧豆，暫觀見小千世界，諦觀見二千世界；大辟支佛暫觀見二千世界，諦觀見三千大千世界。今一切人云何能見東方恒河沙等諸佛世界？

> 弟子たちの中で天眼第一の大阿羅漢、長老アニルッダでさえ、ざっと見て小千世界を見、詳しく見て二千世界を見ます。大辟支仏はざっと見て二千世界を見、詳しく見て三千大千世界を見ます。ましてや、すべての人がどうして東方のガンジス川の砂の数ほどの諸仏の世界を見ることができるでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

是佛神力令彼得見，非眾生力也。設阿羅漢及辟支佛等亦以佛力故所見無限。譬如轉輪聖王飛行，一切營從及諸象馬眾畜皆亦隨去。今佛神力故，眾生雖在遠處亦得相見。

> 仏の力によって彼らは見ることができるのであって、生きとし生けるものの力によるものではありません。たとえ阿羅漢や辟支仏たちであっても、仏の力によって見ることができるものは限りがありません。ちょうど転輪聖王が空を飛ぶとき、すべての従者や象や馬などの獣たちもみなそれに従って行くようなものです。いま仏の神力によって、生きとし生けるものが遠く離れていても互いに会うことができるのです。

又如般舟三昧力故，雖不得天眼而見十方佛，眼耳無礙。

> また、般舟三昧の力によって、天眼を得ていなくても十方の仏を見ることができ、目と耳に妨げがありません。

亦如劫盡燒時，一切眾生自然皆得禪定，得天眼、天耳。

> また、劫が尽きて燃え上がる時には、すべての生きとし生けるものが自然にみな禅定を得て、天眼と天耳を得るのである。

佛以神力故，令一切眾生皆得遠見亦復如是。

> 仏はその不思議な力によって、すべての生きとし生けるものが遠くまで見通せるようにしてくださる。それもまた同じである。

「爾時，世尊在師子座而笑」，「笑」如先說，餘未說者今當說。

> そのとき、世尊は師子座の上でほほえまれた。「笑」の意味はすでに説明したとおりで、まだ説明していない残りの部分をこれから述べよう。

問曰：

> お尋ねします。

此間眾生遠見彼方是佛神力，彼間眾生亦見此方是誰力耶？

> ここにいる人たちが遠く向こうの様子を見ることができるのは仏の神力によるものですが、向こうにいる人たちがこちらの様子を見ることができるのは、いったい誰の力によるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

是釋迦牟尼佛力，令彼得見此間三千大千世界，及見釋迦牟尼佛并一切眾會；南西北方、四維、上下亦復如是。

> これは釈迦牟尼仏の力によって、彼らはこの三千大千世界を見ることができ、また釈迦牟尼仏とすべての集会の人々を見ることができました。南・西・北の方角、四つの隅、上と下もまた同じでした。