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title: "大智度論 · 16 舍利弗因緣"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zps2z0i4jib04eo74t2ey"
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## 大智度論釋初品中舍利弗因緣第十六卷第十一

> 大智度論釈初品中舎利弗因縁第十六

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵、鳩摩羅什（クマーラジーヴァ）が詔によりて訳す

【經】

> お経

佛告舍利弗。

> 仏は舎利弗に告げられました。

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

般若波羅蜜是菩薩摩訶薩法，佛何以故告舍利弗而不告菩薩？

> 般若波羅蜜は菩薩摩訶薩の法であるのに、仏はなぜ菩薩ではなく舎利弗にお告げになったのですか。

答曰：

> お答えしますと、

舍利弗於一切弟子中，智慧最第一，如佛偈說：

> 舎利弗はすべての弟子の中で、智慧が最もすぐれている。仏の偈にもこう説かれている。

「一切眾生智， 唯除佛世尊；欲比舍利弗， 智慧及多聞，於十六分中， 猶尚不及一。」

> すべての生きとし生けるものの智慧は、 仏という世尊を除けば、 舎利弗の智慧と多聞に比べようとしても、 十六分の一にも及ばない。

復次，舍利弗智慧多聞，有大功德。年始八歲，誦十八部經，通解一切經書義理。是時，摩伽陀國有龍王兄弟：一名姞利，二名阿伽羅。降雨以時，國無荒年，人民感之，常以仲春之月，一切大集至龍住處，為設大會，作樂談義，終此一日。自古及今，斯集未替，遂以龍名以名此會。此日常法，敷四高座：一為國王，二為太子，三為大臣，四為論士。

> また、舎利弗は智慧にすぐれ、多くを聞き知り、大きな功德がありました。まだ八歳になったばかりでしたが、十八部の経を誦し、あらゆる経書の道理を理解していました。そのころ、摩伽陀国に竜王の兄弟がいました。一人は姞利といい、もう一人は阿伽羅といいます。時節にかなって雨を降らせたので、国に凶作の年はなく、人々はその恩を感じていました。そこで毎年、春の半ばの月には、人々がすべて集まって竜王の住むところへ行き、大きな集会を開いて、音楽を奏で、語り合いました。この一日を終えるまで続けました。昔から今に至るまで、この集会は絶えることがなく、ついに竜の名をとってこの会を名づけるようになりました。この日のならわしとして、四つの高い座を設けます。一つは国王のため、二つは太子のため、三つは大臣のため、四つは論士のためです。

爾時，舍利弗以八歲之身，問眾人言：「此四高座，為誰敷之？」眾人答言：「為國王、太子、大臣、論士。」是時，舍利弗觀察時人婆羅門等，神情瞻向，無勝己者，便昇論床，結跏趺坐。眾人疑怪，或謂愚小無知，或謂智量過人。雖復嘉其神異，而猶各懷自矜，恥其年小，不自與語，皆遣年少弟子傳言問之。其答酬旨趣，辭理超絕！時諸論師歎未曾有，愚智大小一切皆伏。王大歡喜，即命有司封一聚落，常以給之。王乘象輿，振鈴告告宣示一切，十六大國，六大城中無不慶悅。

> そのとき、舎利弗は八歳の身で、人々に問いかけた。「この四つの高い座は、誰のために設けられたのですか。」人々は答えた。「国王、太子、大臣、論士のためにです。」そのとき、舎利弗はその場の人々、バラモンたちの様子を観察し、自分に勝る者がいないと見てとると、論の座に上がり、結跏趺坐した。人々は不思議に思い、ある者は幼くて何も知らないのだと言い、ある者は知恵が人並み外れていると言った。その神通力に感心しながらも、それぞれが自らを誇り、幼いことを恥じて、自分からは語りかけず、皆、年少の弟子たちに伝言させて問わせた。その答えの趣旨は、言葉も道理も群を抜いていた。そこで論師たちは、かつてないことだと感嘆し、愚かな者も賢い者も、大人も子供も、すべてが従った。王は大いに喜び、すぐに役人に命じて一つの集落を封じ、常にそれを与えるようにした。王は象の車に乗り、鈴を鳴らしてあまねく告げ知らせた。十六の大国、六つの大城のどこでも、喜び祝わない者はなかった。

是時，告占師子，名拘律陀，姓大目揵連，舍利弗友而親之。舍利弗才明見重，目揵連豪爽最貴。此二人者，才智相比，德行互同；行則俱遊，住則同止；少長繾綣，結要終始。後俱厭世，出家學道，作梵志弟子。情求道門，久而無徵，以問於師。師名刪闍耶，而答之言：「自我求道，彌歷年歲，不知為有道果無耶？我非其人耶？而亦不得！」

> そこで、占師子（うらないし）のもとに告げた。その名は拘律陀（くりつだ）、姓は大目揵連（だいもくけんれん）といい、舎利弗（しゃりほつ）の友であり、親しく交わっていた。舎利弗は才能が明らかで尊敬されており、目揵連は豪快で最も貴ばれていた。この二人は、才智が互いに肩を並べ、徳行も同じであった。出かけるときは共に行動し、留まるときは同じ場所にいた。幼い頃から長じるまで深く親しみ、終始固く約束を結んでいた。後に二人はともに世を厭い、出家して道を学び、梵志（ばらもん）の弟子となった。心から道の門を求めたが、長くたっても何のしるしもなく、師に尋ねた。師の名は刪闍耶（さんじゃや）といい、こう答えた。「私が道を求めてから、すでに長い年月が経つが、道の果てがあるのかどうか、私がふさわしくないのか、それすら分からない。私にも得られないのだ！」

他日其師寢疾，舍利弗在頭邊立，大目連在足邊立，喘喘然其命將終，乃愍爾而笑。二人同心，俱問笑意。師答之言：「世俗無眼，為恩愛所侵。我見金地國王死，其大夫人自投火𧂐，求同一處，而此二人行報各異，生處殊絕。」是時二人筆受師語，欲以驗其虛實。後有金地商人，遠來摩伽陀國，二人以䟽驗之，果如師語，乃憮然歎曰：「我等非其人耶？為是師隱我耶？」二人相與誓曰：「若先得甘露，要畢同味。」

> ある日、その師が病に伏せった。舎利弗は枕元に立ち、大目連は足元に立っていた。師の命は今にも終わろうとして息は荒く、やがて哀れみを含んで笑った。二人は心を合わせて、その笑みの意味を尋ねた。師は答えた。「世間の人は真理の目を持たず、愛執に蝕まれている。私は金地国の王が死ぬのを見た。その正夫人は自ら火の中に身を投じて同じ場所に生まれようと願ったが、この二人の行いの報いはそれぞれ異なり、生まれる場所もまったく隔たっていた。」そこで二人は師の言葉を筆録し、その真偽を確かめようとした。後に金地国の商人が遠くから摩伽陀国へやって来たので、二人は書き留めた内容と照らし合わせたところ、果たして師の言葉のとおりだった。二人は悄然として嘆いた。「私たちはその器ではないのだろうか。それとも師が私たちに隠しておられるのだろうか。」二人は互いに誓い合った。「もし先に甘露を得たなら、必ず共にその味を味わおう。」

是時，佛度迦葉兄弟千人，次遊諸國，到王舍城，頓止竹園。二梵志師聞佛出世，俱入王舍城，欲知消息。爾時，有一比丘，名阿說示五人之一，著衣持鉢，入城乞食。舍利弗見其儀服異容，諸根靜默，就而問言：「汝誰弟子？師是何人？」答言：「釋種太子厭老、病、死苦，出家學道，得阿耨多羅三藐三菩提，是我師也。」舍利弗言：「汝師教授為我說之！」即答偈曰：

> 仏が迦葉兄弟千人を導かれ、次に諸国を巡って王舎城に到り、竹園に留まられた。二人の梵志師は仏が世に出られたと聞き、ともに王舎城に入り、消息を知ろうとした。その時、阿説示<note>五人目の弟子</note>という比丘が、衣を着て鉢を持ち、城に入って乞食していた。舎利弗はその姿かたちが清らかで、諸根が静かに落ち着いているのを見て、近づいて尋ねた。「あなたは誰の弟子ですか。師はどなたですか。」答えて言った。「釈種の太子は老・病・死の苦を厭い、出家して道を学び、阿耨多羅三藐三菩提を得られました。それが私の師です。」舎利弗が言った。「あなたの師の教えを私に説いてください。」そこで偈を答えて言った。

「我年既幼稚， 學日又初淺，豈能宣至真， 廣說如來義！」

> 「私はまだ幼く、学びも浅いので、 真理を説き、如来の教えを広く語ることなど、とてもできません。」

舍利弗言：「略說其要！」爾時，阿說示比丘說此偈言：

> 舎利弗が言いました。「要点を簡潔にお話しください！」そこで、阿説示（アシュヴァジット）比丘はこの詩を唱えました。

「諸法因緣生， 是法說因緣，是法因緣盡， 大師如是說。」

> すべてのものは因縁によって生じる。その法について、師は因縁を説かれた。 その法の因縁が尽きることもまた、大師はそのように説かれた。

舍利弗聞此偈已，即得初道，還報目連。目連見其顏色和悅，迎謂之言：「汝得甘露味耶？為我說之！」舍利弗即為其說向所聞偈。目連言：「更為重說！」即復為說，亦得初道。

> 舎利弗はこの偈を聞くと、すぐに最初の悟りの境地を得て、目連のもとへ戻って報告しました。目連は舎利弗の顔色が穏やかで喜びに満ちているのを見て、迎えてこう言いました。「甘露の味を得たのか。私にも説いてくれ。」舎利弗はすぐに、先ほど聞いた偈を目連に説きました。目連は言いました。「もう一度説いてくれ。」そこで再び説くと、目連もまた最初の悟りの境地を得ました。

二師與二百五十弟子，俱到佛所。佛遙見二人與弟子俱來，告諸比丘：「汝等見此二人，在諸梵志前者不？」諸比丘言：「已見！」佛言：「是二人者，是我弟子中，智慧第一、神足第一弟子。」大眾俱來，以漸近佛，既到稽首，在一面立，俱白佛言：「世尊！我等於佛法中欲出家受戒！」佛言：「善來比丘！」即時鬚髮自落，法服著身，衣鉢具足，受成就戒。過半月後，佛為長爪梵志說法時，舍利弗得阿羅漢道。所以半月後得道者，是人當作逐佛轉法輪師，應在學地，現前自入諸法，種種具知，是故半月後得阿羅漢道。如是等種種功德甚多，是故舍利弗雖是阿羅漢，佛以是般若波羅蜜甚深法，為舍利弗說。

> 二人と二百五十人の弟子たちは、そろって仏のもとへやって来ました。仏は遠くから二人が弟子たちと共に来るのをご覧になり、比丘たちに告げました。「あなたがたは、あの二人が修行者たちの先頭にいるのを見ましたか。」比丘たちは答えました。「はい、見ました。」仏は言いました。「この二人は、私の弟子の中で智慧第一、神通第一の弟子です。」 一行はそろって進み、しだいに仏に近づきました。仏のもとに着くと、頭を地につけて礼拝し、一方に立って、そろって仏に申し上げました。「世尊、私たちは仏の教えのもとで出家し、戒を受けたいと願っています。」仏は言いました。「善いかな、比丘よ。」その瞬間、髭と髪は自然に落ち、法衣が身に着き、衣と鉢が整い、戒を成就しました。 半月が過ぎた後、仏が長爪の修行者に説法されたとき、舎利弗は阿羅漢の道を得ました。半月後に悟りを得たのはなぜかというと、この人はのちに仏に従って法輪を転じる師となるべき者であり、学びの段階にあって、諸法を目の前に自ら悟り、種々のことを詳しく知る必要があったからです。それゆえ半月後に阿羅漢の道を得たのです。このように、さまざまな功徳が非常に多くありました。それゆえ、舎利弗はすでに阿羅漢でありましたが、仏はこの般若波羅蜜という非常に深い法を、舎利弗のために説かれたのです。

問曰：

> お尋ねします。

若爾者，何以初少為舍利弗說，後多為須菩提說？若以智慧第一故應為多說，復何以為須菩提說？

> それならば、なぜ最初は少しだけ舎利弗に説き、後には多くを須菩提に説かれたのですか。智慧第一であるからには、むしろ多くを説かれるべきではないのですか。また、なぜ須菩提に説かれたのですか。

答曰：

> お答えしますと、

舍利弗佛弟子中智慧第一；須菩提於弟子中，得無諍三昧最第一。無諍三昧相，常觀眾生不令心惱，多行憐愍。諸菩薩者，弘大誓願以度眾生，憐愍相同，是故命說。

> 舎利弗は仏弟子の中で智慧第一です。須菩提は弟子たちの中で、無諍三昧を得た者として最も優れています。無諍三昧とは、いつも衆生を観てその心を悩ませないようにし、憐れみを深く行うことです。菩薩たちは大きな誓願を起こして衆生を救おうとし、その憐れみの心は同じです。それゆえに説法を命じられたのです。

復次，是須菩提好行空三昧，如佛在忉利天，夏安居受歲已，還下閻浮提。爾時，須菩提於石窟中住，自思惟：「佛從忉利天來下，我當至佛所耶？不至佛所耶？」又念言：「佛常說：若人以智慧眼觀佛法身，則為見佛中最。」是時，以佛從忉利天下故，閻浮提中四部眾集，諸天見人，人亦見天。座中有佛，及轉輪聖王、諸天大眾，眾會莊嚴，先未曾有！須菩提心念：「今此大眾，雖復殊特，勢不久停，磨滅之法，皆歸無常。」因此無常觀之初門，悉知諸法空無有實；作是觀時，即得道證。

> また、この須菩提は空三昧をよく行じていた。ちょうど仏が忉利天で夏安居を終えて歳を迎え、閻浮提に降りられた時のことである。そのとき、須菩提は石窟の中に住んでいて、自らこう思った。「仏が忉利天から降りてこられる。私は仏のもとへ行くべきだろうか、行かぬべきだろうか。」またこう思った。「仏は常に説かれる。もし人が智慧の眼をもって仏の法身を観るならば、それこそ仏を見る中最もすぐれたものだと。」このとき、仏が忉利天から降りられたために、閻浮提では四部の衆が集まり、諸天は人を見、人もまた天を見た。座には仏、および転輪聖王、諸天の大衆がいて、その集まりの飾りは、かつてなかったほどであった。須菩提は心に思った。「今この大衆は、たとえ殊勝であっても、その勢いは久しくとどまらない。滅びゆくものは、みな無常に帰する。」この無常観の初めの門によって、すべての法は空であり実体がないと知った。こう観じたとき、ただちに道の証りを得た。

爾時，一切眾人皆欲求先見佛，禮敬供養。有華色比丘尼，欲除女名之惡，便化為轉輪聖王及七寶千子，眾人見之，皆避坐起去。化王到佛所已，還復本身，為比丘尼最初禮佛。是時，佛告比丘尼：「非汝初禮，須菩提最初禮我。所以者何？須菩提觀諸法空，是為見佛法身，得真供養，供養中最，非以致敬生身為供養也。」以是故言須菩提常行空三昧，與般若波羅蜜空相相應。以是故佛命令說般若波羅蜜。

> そのとき、集まった人々は皆、誰よりも先に仏に会い、礼拝し供養したいと願っていました。華色（けしき）という比丘尼が、女性であることの不利を除こうとして、転輪聖王と七つの宝、千人の子に姿を変えると、人々はこれを見て皆、座を避けて立ち去りました。変化した王が仏のもとに着くと、もとの姿に戻り、比丘尼として最初に仏を礼拝しました。そこで仏は比丘尼に告げました。「あなたが最初に礼拝したのではない。須菩提が最初に私を礼拝したのだ。なぜか。須菩提はもろもろの法が空であると観じた。これこそが仏の法身を見ること、真の供養であり、供養の中で最もすぐれたものである。敬う心で生身の仏を供養することではない。」このことから、須菩提は常に空の三昧を行じ、般若波羅蜜の空の相と相応していると言われます。そのため仏は須菩提に命じて般若波羅蜜を説かせたのです。

復次，佛以眾生信敬阿羅漢諸漏已盡，命之為說，眾得淨信故。諸菩薩漏未盡，若以為證，諸人不信。以是故，與舍利弗、須菩提，共說般若波羅蜜。

> また、仏は、生きとし生けるものたちが阿羅漢（煩悩をすべて滅ぼした聖者）を信じ敬い、その煩悩がすでに尽きていることから、彼らに説法を命じられました。そうすることで、人々が清らかな信仰を得るためです。しかし、菩薩たちはまだ煩悩が尽きていません。もし彼らを悟りの証とすると、人々は信じないでしょう。それゆえ、舎利弗と須菩提と共に、般若波羅蜜を説かれたのです。

問曰：

> お尋ねします。

何以名舍利弗？為是父母所作字？為是依行功德立名？

> なぜ舎利弗と名づけられたのですか。それは両親がつけた名前なのですか。それとも修行の功德によって名づけられたのですか。

答曰：

> お答えしますと、

是父母所作名字。

> 親がつけた名前です。

於閻浮提中第一安樂，有摩伽陀國，是中有大城名王舍，王名頻婆娑羅，有婆羅門論議師，名摩陀羅，王以其人善能論故，賜封一邑，去城不遠。是摩陀羅遂有居家，婦生一女，眼似舍利鳥眼，即名此女為舍利。次生一男，膝骨麁大，名拘郗羅。拘郗羅秦言大膝也是婆羅門，既有居家，畜養男女，所學經書，皆已廢忘，又不業新。

> 阎浮提の中でもっとも安楽なところに、摩伽陀国という国があります。そこには王舎城という大きな城があり、頻婆娑羅という王が治めていました。また、摩陀羅という婆羅門の論議師がいました。王はこの人がすぐれた論者であることから、城から遠くない一つの邑を領地として与えました。摩陀羅はやがて家庭を持ち、妻が一人の娘を産みました。その娘の目が舍利鳥の目のようであったので、この娘を舎利と名づけました。次に一人の男の子が生まれましたが、ひざの骨が太く大きかったので、拘郗羅と名づけました。拘郗羅<note>秦の言葉では大膝という</note>は婆羅門であり、家庭を持って子供たちを養ううちに、学んだ経書もすっかり忘れてしまい、また新たに学ぶこともありませんでした。

是時，南天竺有一婆羅門大論議師，字提舍，於十八種大經，皆悉通利。是人入王舍城，頭上戴火，以銅鍱腹。人問其故，便言：「我所學經書甚多，恐腹破裂，是故鍱之。」又問：「頭上何以戴火？」答言：「以大闇故。」眾人言：「日出照明，何以言闇？」答言：「闇有二種：一者、日光不照，二者、愚癡闇蔽。今雖有日明，而愚癡猶黑。」眾人言：「汝但未見婆羅門摩陀羅，汝若見者，腹當縮，明當闇。」是婆羅門逕至鼓邊，打論議鼓。

> そのとき、南インドに提舎（だいしゃ）という名のバラモンの大論議師がいました。この人は十八種類の大きな経典をすべてよく理解していました。この人が王舎城に入るとき、頭に火を載せ、腹に銅の板を当てていました。人々がその理由を尋ねると、「私が学んだ経書はあまりにも多いので、腹が破れるのを恐れて銅の板を当てているのです」と言いました。また「なぜ頭に火を載せているのか」と尋ねると、「世の中がひどく暗いからです」と答えました。人々が「日の光が照らしているのに、なぜ暗いと言うのか」と言うと、「暗さには二種類あります。一つは日の光が届かない暗さ、二つは愚かさに覆われた暗さです。今は日の光があっても、愚かさは依然として暗いままなのです」と答えました。人々は「あなたはまだバラモンの摩陀羅（まだら）に会ったことがないだけです。もし会ったなら、腹は縮まり、明るさも暗くなるでしょう」と言いました。このバラモンはまっすぐに太鼓のそばへ行き、論議の太鼓を打ち鳴らしました。

國王聞之，問是何人？眾臣答言：「南天竺有一婆羅門，名提舍，大論議師，欲求論處，故打論鼓。」王大歡喜，即集眾人而告之曰：「有能難者，與之論議！」

> 国王はこれを聞いて、それは誰かと尋ねました。家臣たちが答えました。「南天竺に提舎という名の婆羅門がおり、優れた論議師でございます。論争の場を求めて、論議の太鼓を打ったのです。」国王は大いに喜び、すぐに人々を集めて告げました。「論じ返せる者がいるなら、この者と論議せよ。」

摩陀羅聞之自疑，「我以廢忘，又不業新，不知我今能與論不？」僶俛而來。於道中見二特牛，方相觝觸，心中作想：「此牛是我，彼牛是彼，以此為占，知誰得勝？」此牛不如，便大愁憂而自念言：「如此相者，我將不如。」欲入眾時，見有母人，挾一瓶水，正在其前，躄地破瓶。復作是念：「是亦不吉。」甚大不樂。既入眾中，見彼論師，顏貌意色，勝相具足，自知不如。事不獲已，與共論議。論議既交，便墮負處。

> 摩陀羅はこれを聞いて、自分を疑った。「私はすでに忘れてしまい、また新たに学んでもいない。今、あの論師と論じ合えるだろうか。」と。それでも無理にやって来た。道中で二頭の牛が角を突き合わせて争っているのを見て、心に思った。「この牛は私、あの牛は相手だ。これで占おう。どちらが勝つか。」自分の牛が劣ると、たいそう憂いに沈み、心の中で言った。「この様子では、私は負けるだろう。」集まりに入ろうとしたとき、一人の女が瓶に水を抱えて、ちょうどその前にいて、つまずいて瓶を割った。またこう思った。「これも不吉だ。」非常に不機嫌になった。やがて集まりの中に入ると、あの論師の顔かたちや表情には、勝者の相がすべて備わっているのを見て、自分では及ばないと悟った。どうしようもなく、ともに論議した。論議が交わされるやいなや、負けの立場に落ちてしまった。

王大歡喜：「大智明人，遠入我國！」復欲為之封一聚落。諸臣議言：「一聰明人來，便封一邑，功臣不賞，但寵語論，恐非安國全家之道！今摩陀羅論議不如，應奪其封以與勝者；若更有勝人，復以與之。」王用其言，即奪與後人。

> 王はたいそう喜んで、「大いに知恵の明らかな人が、はるばるわが国に来てくれた！」と言い、さらにその人に一つの村を与えようとした。しかし家臣たちは議して言った。「一人の利発な者が来るたびに邑を一つ与えていては、功ある者に褒美も与えられず、ただ口先の議論ばかりを重んじることになり、国を安んじ家を保つ道ではありますまい。今、摩陀羅の論議は及ばなかったのですから、その封を奪って勝った者に与えるべきです。もしさらに勝る者が現れたなら、またその者に与えればよいのです。」王はその言葉に従い、ただちに封を奪って後の者に与えた。

是時摩陀羅語提舍言：「汝是聰明人，我以女妻汝，男兒相累；今欲遠出他國，以求本志。」提舍納其女為婦。

> そこでマダラはティシャに言いました。「あなたは賢い人です。私の娘をあなたの妻にし、男の子もお任せします。私はこれから遠く他国へ出て、自分の本来の志を求めたいのです。」ティシャはその娘を妻として迎えました。

其婦懷妊，夢見一人，身被甲冑，手執金剛，摧破諸山，而在大山邊立。覺已白其夫言，我夢如是。提舍言：「汝當生男，摧伏一切諸論議師，唯不勝一人，當與作弟子。」

> その妻は妊娠中、ある夢を見ました。一人の人が鎧を身にまとい、金剛杵を手に持って、山々を打ち砕き、大きな山のそばに立っている夢でした。目を覚まして夫に「私はこのような夢を見ました」と話しました。提舎は言いました。「あなたは男の子を産むでしょう。その子はあらゆる議論の師たちを打ち負かしますが、ただ一人だけには勝てず、その人の弟子となるでしょう。」

舍利懷妊，以其子故，母亦聰明，大能論議。其弟拘郗羅，與姊談論，每屈不如；知所懷子，必大智慧，未生如是，何況出生！即捨家學問，至南天竺，不剪指爪，讀十八種經書，皆令通利，是故時人號為長爪梵志。

> シャーリプトラがまだ母のお腹にいたとき、その子の力によって、母はとても聡明になり、議論がたいへん得意になりました。母の弟であるクティラは、姉と議論するたびに負けてばかりでした。彼は、姉が身ごもっている子はきっと大きな智慧を持つに違いない、まだ生まれないうちからこれほどなのだから、生まれたらなおさらだと悟りました。そこで、家を捨てて学問に励むため、南インドへと向かい、爪も切らずに十八種類の経典をすべて読み通しました。そのため、当時の人々は彼を「長爪の梵志」と呼びました。

姊子既生，七日之後，裹以白疊，以示其父。其父思惟：「我名提舍，逐我名字，字為憂波提舍。」憂波，秦言逐；提舍，星名是為父母作字。

> 姉に子が生まれ、七日たった後、白い布で包んで父に見せました。父はこう考えました。「私の名は提舎（テイシャ）だ。私の名にちなんで、憂波提舎（ウハイシャ）と名づけよう。」<note>憂波は中国語で「従う」という意味で、提舎は星の名前です</note>こうして両親が名づけたのです。

眾人以其舍利所生，皆共名之為舍利弗弗秦言子。

> みんなは、その母親の名が舎利（シャーリー）だったことから、この子を舎利弗（シャーリプトラ）と呼びました。

復次，舍利弗世世本願，於釋迦文尼佛所作智慧第一弟子，字舍利弗。是為本願因緣名字，以是故名舍利弗。

> また、舎利弗よ、前世からの願いによって、釈迦牟尼仏のもとで智慧第一の弟子となり、舎利弗と名づけられました。これが願いの因縁と名前の由来であり、それゆえに舎利弗と呼ばれるのです。

問曰：

> お尋ねします。

若爾者，何以不言「憂波提舍」，而但言「舍利弗」？

> それならば、なぜ「憂波提舎」と言わずに、ただ「舎利弗」とだけ言うのですか。

答曰：

> お答えしますと、

時人貴重其母，於眾女人中聰明第一，以是因緣故稱舍利弗。

> 当時の人々は彼の母を尊び、多くの女性の中で最も聡明であるとしていました。そのような理由から、彼は舎利弗と呼ばれるようになりました。

【經】

> お経

「菩薩摩訶薩欲以一切種知一切法，當習行般若波羅蜜。」

> 菩薩摩訶薩が、あらゆる方法で一切の法を知ろうと望むなら、般若波羅蜜を実践し学ぶべきです。

【論】

> 【論】 論とは、心を

菩薩摩訶薩義，如先〈讚菩薩品〉中說。

> 菩薩摩訶薩の意味については、先の〈讃菩薩品〉で説いたとおりです。

問曰：

> お尋ねします。

云何名「一切種」？云何名「一切法」？

> 「一切種」とは何を意味するのでしょうか。「一切法」とは何を意味するのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

智慧門名為「種」。有人以一智慧門觀，有以二、三、十、百、千、萬乃至恒河沙等阿僧祇智慧門觀諸法。今以一切智慧門入一切種，觀一切法，是名「一切種」。

> 智慧の門を「種」と呼びます。ある人は一つの智慧の門から観察し、ある人は二つ、三つ、十、百、千、万、さらにはガンジス川の砂の数ほどの無数の智慧の門から諸法を観察します。ここでは、すべての智慧の門をもってすべての種に入り、すべての法を観察することを「一切種」と呼びます。

如凡夫人三種觀，欲求離欲、離色故：觀欲、色界麁惡、誑惑、濁重。

> 凡夫の三つの観法は、欲を離れ、色を離れようと願うためです。欲界と色界は、粗く汚れていて、人を惑わし、重く濁っていると観じます。

佛弟子八種觀：無常、苦、空、無我、如病、如癰、如箭入體、惱患。

> 仏弟子の八つの観察とは、無常、苦、空、無我、病のごとし、癰のごとし、矢が体に刺さるがごとし、悩みの患いなり。

是八種觀，入四聖諦中，為十六行之四。

> これら八つの観察は、四聖諦の中に含まれ、十六行相のうちの四つにあたります。

十六者，觀苦四種：無常、苦、空、無我；觀苦因四種：集、因、緣、生；觀苦盡四種：盡、滅、妙、出；觀道四種：道、正、行、跡。

> 十六番目は、苦を四つの面から観察することです。すなわち、無常・苦・空・無我です。苦の原因を四つの面から観察することです。すなわち、集・因・縁・生です。苦の消滅を四つの面から観察することです。すなわち、尽・滅・妙・出です。道を四つの面から観察することです。すなわち、道・正・行・跡です。

出入息中復有十六行：一、觀入息，二、觀出息，三、觀息長息短，四、觀息遍身，五、除諸身行，六、受喜，七、受樂，八者、受諸心行，九、無作喜，十、心作攝，十一、心作解脫，十二、觀無常，十三、觀散壞，十四、觀離欲，十五、觀滅，十六、觀棄捨。

> 呼吸にはさらに十六の段階があります。一つ、入る息を観る。二つ、出る息を観る。三つ、息が長いか短いかを観る。四つ、息が全身に遍くことを観る。五つ、身体の諸行を除く。六つ、喜びを受ける。七つ、楽しみを受ける。八つ、心の諸行を受ける。九つ、作られる喜びのないこと。十つ、心が引き締まること。十一、心が解脱すること。十二、無常を観る。十三、散壊を観る。十四、離欲を観る。十五、滅を観る。十六、棄捨を観る。

復有六種念：念佛者，佛是多陀阿伽陀、阿羅呵、三藐三佛陀，如是等十號。五念如後說。

> また六つの念がある。念佛とは、仏は多陀阿伽陀（如来）、阿羅呵（応供）、三藐三佛陀（正等覚者）であり、このような十の称号を持つ方であると念じることです。残りの五つの念については後に説きます。

世智、出世智，阿羅漢、辟支佛、菩薩、佛智，如是等智慧知諸法，名為「一切種」。

> 世間の知恵、出世間の知恵、阿羅漢の智、辟支仏の智、菩薩の智、仏の智――このような智慧によって諸法を知ることを「一切種」と呼びます。

「一切法」者，識所緣法，是一切法。所謂眼識緣色，耳識緣聲，鼻識緣香，舌識緣味，身識緣觸，意識緣法——緣眼、緣色、緣眼識，耳聲、鼻香、舌味、身觸亦如是，乃至緣意、緣法、緣意識。是名「一切法」，是為識所緣法。

> 「一切法」とは、識が対象とする法のことです。いわゆる眼識は色を対象とし、耳識は声を、鼻識は香を、舌識は味を、身識は触を、意識は法を対象とします。眼を対象とし、色を対象とし、眼識を対象とする。耳と声、鼻と香、舌と味、身と触も同じように、さらには意を対象とし、法を対象とし、意識を対象とするまでです。これを「一切法」と名づけ、これが識の対象とする法なのです。

復次，智所緣法，是一切法。所謂苦智知苦，集智知集，盡智知盡，道智知道，世智知苦、集、盡、道及虛空、非數緣滅，是為智所緣法。

> また、智慧が対象とする法は、一切の法です。すなわち、苦についての智慧は苦を知り、集についての智慧は集を知り、滅についての智慧は滅を知り、道についての智慧は道を知ります。世俗の智慧は、苦・集・滅・道、そして虚空と非数縁滅を知ります。これが智慧が対象とする法です。

復次，二法攝一切法：色法、無色法，可見法、不可見法，有對法、無對法，有漏、無漏，有為、無為，心相應、心不相應，業相應、業不相應丹注云：心法中除思，餘盡相應，業即是思，故除，近法、遠法等。如是種種二法，攝一切法丹注云：現在及無為是名近法，未來、過去是名遠法。

> また、二つの法がすべての法を包含します。色法と無色法、可見法と不可見法、有対法と無対法、有漏と無漏、有為と無為、心相応と心不相応、業相応と業不相応<note>丹の注に云く：心法の中で思を除き、残りはすべて相応し、業はすなわち思である、ゆえに除く</note>、近法と遠法などです。このように種々の二法が、すべての法を包含します<note>丹の注に云く：現在および無為はこれ近法と名づけ、未来・過去はこれ遠法と名づく</note>。

復次，三種法攝一切法：善、不善、無記；學、無學、非學非無學；見諦斷、思惟斷、不斷。復有三種法：五眾、十二入、十八界。持如是等種種三法，盡攝一切法。

> また、三つの法がすべての法を包含します。すなわち、善・不善・無記、学・無学・非学非無学、見諦断・思惟断・不断です。さらに三つの法があります。五蘊・十二処・十八界です。このような種々の三つの法を保持すれば、すべての法を完全に包含します。

復有四種法：過去、未來、現在法、非過去未來現在法；欲界繫法、色界繫法、無色界繫法、不繫法；因善法、因不善法、因無記法、非因善不善無記法；緣緣法、緣不緣法、緣緣不緣緣法、亦非緣緣非不緣緣法。如是等四種法，攝一切法。

> また、四種類の法があります。過去の法、未来の法、現在の法、そして過去・未来・現在のいずれでもない法です。欲界に属する法、色界に属する法、無色界に属する法、いずれの界にも属さない法です。善法を因とする法、不善法を因とする法、無記法を因とする法、善・不善・無記のいずれをも因としない法です。縁とする法、縁としない法、縁とすることも縁としないこともある法、縁とすることも縁としないこともない法です。このような四種類の法が、すべての法を包含しています。

有五種法：色、心、心相應、心不相應、無為法。如是等種種五法，攝一切法。

> 五つの法があります。色、心、心と相应するもの、心と相应しないもの、无为の法です。このような五つの法が、すべての法を包含しています。

有六種法：見苦斷法、見習、盡、道斷法、思惟斷法、不斷法。如是等種種六法。乃至無量法攝一切法。是為一切法。

> 六つの法があります。苦を見て断つ法、見習、尽、道を見て断つ法、思惟して断つ法、断たない法です。このような種々の六つの法、さらには無量の法が一切の法を包含しています。これが一切の法です。

問曰：

> お尋ねします。

諸法甚深微妙不可思議，若一切眾生尚不能得知，何況一人欲盡知一切法？譬如有人欲量大地，及數大海水渧，欲稱須彌山，欲知虛空邊際，如是等事皆不可知，云何欲以一切種知一切法？

> すべての法はとても深く、微妙で、思いはかることなどできません。すべての众生でさえ知ることができないのですから、まして一人の人がすべての法を残らず知ろうなど、できるはずがありません。たとえば、ある人が大地を測り、大海の水滴を数え、須弥山の重さを量り、虚空の果てを知ろうとするようなものです。このようなことは、どれも知ることができません。どうしてすべての種類においてすべての法を知ろうなどと望むのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

愚癡闇蔽甚大苦，智慧光明最為樂！一切眾生皆不用苦，但欲求樂。是故菩薩求一切第一大智慧，一切種觀，欲知一切法。是菩薩發大心，普為一切眾生求大智慧，是故欲以一切種知一切法。如醫為一人、二人，用一種、二種藥則足；若欲治一切眾生病者，當須一切種藥。菩薩亦如是，欲度一切眾生故，欲知一切種一切法。如諸法甚深微妙無量，菩薩智慧亦甚深微妙無量。先答破一切智人中已廣說，如函大蓋亦大。

> 愚かさに覆われた闇は大きな苦しみであり、智慧の光明こそ最も楽しみである。すべての生きとし生けるものは苦を望まず、ただ楽しみを求める。それゆえ菩薩は、すべての第一の大いなる智慧を求め、あらゆる種類のものの見方をし、すべての法を知ろうとする。この菩薩は大きな心を起こし、広くすべての生きとし生けるもののために大いなる智慧を求め、それゆえあらゆる種類の仕方ですべての法を知ろうとする。たとえば医者が一人や二人を治すには、一種か二種の薬で足りるが、すべての生きとし生けるものの病を治そうとするなら、あらゆる種類の薬が必要である。菩薩もまた同じである。すべての生きとし生けるものを救うために、あらゆる種類のすべての法を知ろうとする。すべての法がはなはだ深く微妙で測り知れないように、菩薩の智慧もまたはなはだ深く微妙で測り知れない。すでに一切智の人を論破する中で詳しく説いたように、箱が大きければ蓋もまた大きいのである。

復次，若不以理求一切法，則不可得；若以理求之，則無不得。譬如鑽火以木，則火可得；析薪求火，火不可得。如大地有邊際，自非一切智人，無大神力，則不能知；若神通力大，則知此三千大千世界地邊際。今此大地在金剛上，三千大千世界四邊則虛空，是為知地邊際。欲稱須彌山，亦如是。欲量虛空，非不能量，虛空無法，故不可量。

> また、理をもってすべての法を求めなければ、得ることはできない。理をもって求めれば、得られないものはない。たとえば、木をこすって火を起こせば火は得られるが、薪を割って火を求めても火は得られない。大地に果てがあるとしても、一切智の人でなければ、大きな神通力がなければ、知ることはできない。神通力が大きければ、この三千大千世界の大地の果てを知ることができる。今この大地は金剛の上にあり、三千大千世界の四辺は虚空である。これが地の果てを知るということである。須弥山を量ろうとするのも、また同じである。虚空を量ろうとしても、量れないわけではないが、虚空には法がないため、量ることはできない。

【經】

> お経

舍利弗白佛言：「世尊！菩薩摩訶薩云何欲以一切種知一切法，當習行般若波羅蜜？」

> 舎利弗が仏に申し上げました。「世尊、菩薩摩訶薩はどのようにすれば、あらゆる方法で一切の法を知ろうとして、般若波羅蜜を学び実践すべきなのでしょうか。」

【論】

> 【論】 論とは、心を

問曰：

> お尋ねします。

佛欲說般若波羅蜜故，種種現神變，現已即應便說，何以故令舍利弗問而後說？

> 仏が般若波羅蜜を説こうとして、さまざまな神通変化をお示しになった。お示しになった後、すぐに説かれるはずなのに、なぜ舎利弗に問わせてから説かれたのか。

答曰：

> お答えしますと、

問而後說，佛法應爾。

> 相手に問われてから説くのが、仏法のあるべき姿です。

復次，舍利弗知般若波羅蜜甚深，微妙無相之法，難解難知。自以智力種種思惟：「若觀諸法無常，是般若波羅蜜耶？不是耶？」不能自了，以是故問。

> また、舎利弗は般若波羅蜜が非常に深く、微妙で形のない法であり、理解しにくく知りがたいことを知っていました。自らの知恵の力でいろいろと思い巡らし、「もし諸法を無常であると観じるなら、それが般若波羅蜜なのか、そうではないのか」と、自分だけでは判断できなかったため、ここで問いかけたのです。

復次，舍利弗非一切智，於佛智慧中譬如小兒。

> また、舎利弗はすべてを知る者ではなく、仏の智慧から見れば幼子のようなものです。

如說《阿婆檀那經》中：

> 『阿婆檀那経』の中で説かれているように、

佛在祇洹住，晡時經行，舍利弗從佛經行。是時有鷹逐鴿，鴿飛來佛邊住，佛經行過之，影覆鴿上，鴿身安隱，怖畏即除，不復作聲。後舍利弗影到，鴿便作聲，戰怖如初。

> 仏は祇洹に住んでおられ、夕方に経行されていた。舎利弗も仏に従って経行していた。その時、鷹が鳩を追いかけ、鳩は仏のそばに飛んで来てとまった。仏が経行して鳩のそばを通ると、仏の影が鳩を覆い、鳩の身は安らかになり、恐怖はたちまち消えて、もう声を出すことはなかった。のちに舎利弗の影が鳩に及ぶと、鳩はすぐに声を出し、最初と同じように恐れおののいた。

舍利弗白佛言：「佛及我身，俱無三毒，以何因緣佛影覆鴿，鴿便無聲，不復恐怖？我影覆上，鴿便作聲，戰慄如故？」

> 舎利弗が仏に申し上げました。「仏と私の身には、ともに三毒がありません。それなのに、どういうわけか、仏の影が鳩を覆うと、鳩は声も出さず、恐怖も感じなくなります。しかし私の影が覆うと、鳩は声を上げ、震えが止まりません。これはどういうことでしょうか。」

佛言：「汝三毒習氣未盡，以是故，汝影覆時恐怖不除。汝觀此鴿宿世因緣，幾世作鴿？」

> 仏がおっしゃいました。「あなたの貪り・怒り・愚かさの癖がまだ尽きていない。だからこそ、あなたの影が鴿を覆うとき、その恐怖を取り除けないのだ。あなたはこの鴿の過去世の因縁を観なさい。何世ものあいだ、鴿として生まれてきたのかを。」

舍利弗即時入宿命智三昧，觀見此鴿從鴿中來，如是一、二、三世，乃至八萬大劫，常作鴿身；過是已往，不能復見。

> 舎利弗はそのとき、宿命智の三昧に入り、この鳩が鳩の中から生まれてきたのを観じて、一世、二世、三世、さらには八万大劫に至るまで、常に鳩の身であり続けたことを見ました。しかしそれよりさらに過去のこととなると、もう見ることはできませんでした。

舍利弗從三昧起，白佛言：「是鴿八萬大劫中，常作鴿身；過是已前，不能復知。」

> 舎利弗が三昧から立ち上がり、仏に申し上げました。「この鳩は八万大劫の間、ずっと鳩の姿をしておりました。それより以前のことは、もう知ることができません。」

佛言：「汝若不能盡知過去世，試觀未來世，此鴿何時當脫？」

> 仏がおっしゃいました。「もし過去世のすべてを知ることができないのなら、未来世を観てみなさい。この鳩がいつ解放されるかを。」

舍利弗即入願智三昧，觀見此鴿，一、二、三世，乃至八萬大劫，未脫鴿身；過是已往，亦不能知。從三昧起，白佛言：「我見此鴿從一世、二世、乃至八萬大劫，未免鴿身；過此已往，不復能知！我不知過去、未來齊限，不審此鴿何時當脫？」

> 舎利弗はただちに願智三昧に入り、この鳩を観察して、一世、二世、三世、さらには八万大劫に至るまで、鳩の身から脱け出ていないことを見た。それより過去についても、知ることはできなかった。三昧から起ち上がって、仏に申し上げた。「私はこの鳩が一世、二世、さらには八万大劫に至るまで、鳩の身を免れていないのを見ました。それより過去については、もはや知ることができません。私は過去・未来の限りを知りません。この鳩がいつ脱れることになるのか、はかり知れません。」

佛告舍利弗：「此鴿除諸聲聞、辟支佛所知齊限，復於恒河沙等大劫中常作鴿身，罪訖得出。輪轉五道中，後得為人，經五百世中，乃得利根。是時有佛，度無量阿僧祇眾生，然後入無餘涅槃。遺法在世，是人作五戒優婆塞，從比丘聞讚佛功德，於是初發心，願欲作佛。然後於三阿僧祇劫，行六波羅蜜，十地具足，得作佛，度無量眾生已而入無餘涅槃。」

> 仏は舎利弗に告げられた。「この鳩は、声聞や辟支仏が知ることのできる限りを超えて、さらに恒河沙ほどの大劫の間、常に鳩の姿であり続け、罪が尽きてからようやくそこを脱する。五道を巡り、後に人となるが、五百世を経て、ようやく利根を得る。その時、ある仏が無量の阿僧祇の衆生を救い、その後、無余涅槃に入られた。その遺法が世に残る中で、この人は五戒を守る優婆塞となり、比丘から仏の功徳を讃える教えを聞き、そこで初めて菩提心を起こし、仏になろうと願った。その後、三阿僧祇劫にわたって六波羅蜜を実践し、十地を具足して、仏となることができ、無量の衆生を救った後、無余涅槃に入られた。」

是時，舍利弗向佛懺悔，白佛言：「我於一鳥尚不能知其本末，何況諸法！我若知佛智慧如是者，為佛智慧故，寧入阿鼻地獄受無量劫苦，不以為難。」

> そのとき、舎利弗は仏に悔い改めてこう申し上げました。「私は一羽の鳥のことすらその成り立ちを知ることができません。ましてやさまざまな法についてはなおさらです。もし仏の智慧がこのようなものであると知っていたなら、仏の智慧のために、たとえ阿鼻地獄に堕ちて無量の劫の苦しみを受けようとも、難しいとは思いませんでした。」

如是等，於諸法中不了故問。

> このように、さまざまな教えをよく理解できないために問い尋ねるのです。