---
title: "大智度論 · 19 檀相義"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zps2z0i4mib04hl26vbgc"
---

### 大智度論釋初品中檀相義第十九

> 大智度論 初品における布施の意義の解説 第十九

問曰：

> お尋ねします。

云何名檀？

> どうして「檀」というのですか。

答曰：

> お答えしますと、

檀名布施。心相應善思，是名為檀。

> 「檀」とは布施のことです。心がそれにふさわしい善い思いとともにあるとき、それを檀と呼びます。

有人言：從善思起身、口業，亦名為檀。

> ある人はこう言います。善く考えることから起こる体と言葉の行いも、また檀（だん）と呼ばれます。

有人言：有信、有福田、有財物，三事和合時，心生捨法，能破慳貪，是名為檀。譬如慈法，觀眾生樂而心生慈；布施心數法，亦復如是，三事和合，心生捨法，能破慳貪。

> ある人がこう言っています。信と、福田と、財物という三つの条件がそろったとき、心に捨てるという働きが生まれ、もの惜しみや貪りを打ち破る。これを檀（布施）と呼ぶのです。たとえば慈しみの心の場合、生きとし生けるものの幸せを願って心に慈しみが生まれます。布施という心の働きも同じで、三つの条件がそろったとき、心に捨てるという働きが生まれ、もの惜しみや貪りを打ち破るのです。

檀有三種：或欲界繫，或色界繫，或不繫。丹本注云：聖人行施故名不繫心相應法，隨心行，共心生，非色法，能作緣。非業，業相應，隨業行，共業生，非先世業報生。二種修：行修、得修。二種證：身證、慧證。若思惟斷，若不斷，二見斷：欲界、色界盡見斷。有覺有觀法；凡夫、聖人共行。如是等，阿毘曇中廣分別說。

> 檀には三つの種類があります。あるものは欲界に結ばれ、あるものは色界に結ばれ、あるものは結ばれません。<note>丹本の注にこうあります。聖人が布施を行うので、不繫（結ばれない）と名づける。</note>心と相応する法であり、心に従って働き、心とともに生じ、色法ではなく、縁を生じることができます。業ではなく、業と相応し、業に従って働き、業とともに生じ、前世の業の報いとして生じるものではありません。二つの修行があります。行修と得修です。二つの証明があります。身証と慧証です。思惟によって断たれるものもあれば、断たれないものもあります。二つの見によって断たれます。欲界と色界は、すべて見によって断たれます。有覚有観の法であり、凡夫と聖人がともに修行します。このようなことがらは、阿毘曇の中で広く区別して説かれています。

復次，施有二種：有淨，有不淨。

> 次に、施しには二つの種類があります。清らかな施しと、清らかでない施しです。

不淨施者，直施無所為。或有為求財故施，或愧人故施，或為嫌責故施，或畏懼故施，或欲取他意故施，或畏死故施，或狂人令喜故施，或自以富貴故應施，或諍勝故施，或妬瞋故施，或憍慢自高故施，或為名譽故施，或為呪願故施，或解除衰求吉故施，或為聚眾故施，或輕賤不敬施。如是等種種，名為不淨施。

> 浄くない施しとは、ただ施すだけで何の目的もない施しのことです。あるいは財を得たいために施し、あるいは人に恥じるために施し、あるいは責められるのを避けるために施し、あるいは恐れるために施し、あるいは相手の心を得たいために施し、あるいは死を恐れるために施し、あるいは狂った人を喜ばせるために施し、あるいは自分が富貴だから施すべきだと思って施し、あるいは言い争って勝つために施し、あるいは嫉妬や怒りのために施し、あるいはおごり高ぶって自らを誇るために施し、あるいは名誉のために施し、あるいは呪いや願いのために施し、あるいは災いを除いて吉を求めるために施し、あるいは人を集めるために施し、あるいは軽んじて敬わずに施す。このようなさまざまなものを、浄くない施しと呼びます。

淨施者，與上相違，名為淨施。

> 浄施とは、先ほどの相反する行いを改め、清らかに施しを行うことをいいます。

復次，為道故施，清淨心生，無諸結使，不求今世後世報，恭敬憐愍故，是為淨施。淨施是趣涅槃道之資糧，是故言為道故施。若未得涅槃時施，是人天報樂之因。淨施者，如華瓔珞，初成未壞，香潔鮮明；為涅槃淨施，得果報香，亦復如是。

> 次に、道のために施すとは、清らかな心が生じ、煩悩の結びつきがなく、現世や来世の報いを求めず、恭敬と憐れみの心によって行う施しを、清浄な施しといいます。この清浄な施しは、涅槃への道を進むための糧となるものです。だからこそ「道のために施す」と言うのです。まだ涅槃を得ていない者が施しを行うと、それは人や天の楽しみの報いを受ける原因となります。清浄な施しとは、たとえば花の飾りのように、できたばかりでまだ壊れておらず、香り高く清らかで鮮やかです。涅槃のための清浄な施しもまた、そのように果報という香りを得るのです。

如佛說：「世有二人為難得：一者出家中非時解脫比丘，二者在家白衣能清淨布施。」是淨施相，乃至無量世，世世不失，譬如券要，終無失時。是布施果，因緣和合時便有。譬如樹得時節會，便有華葉果實；若時節未至，有因而無果。

> 仏が説かれたとおりです。「世の中には二人の得がたい人がいる。一人は出家して時にかなわずとも解脱した比丘であり、もう一人は在家の白衣でありながら清らかに布施を行う者である。」この清らかな布施の性質は、無量の世にわたっても、世ごとに失われることがありません。ちょうど証文のように、決して失われることがないのです。この布施の果報は、因と縁が和合したときに現れます。ちょうど木が季節にめぐり合えば、花や葉や果実をつけるようなものです。もし季節がまだ来なければ、因はあっても果はありません。

是布施法，若以求道，能與人道。何以故？結使滅名涅槃。當布施時，諸煩惱薄故，能助涅槃。於所施物中不惜故除慳，敬念受者故除嫉妬，直心布施故除諂曲，一心布施故除調，深思惟施故除悔，觀受者功德故除不恭敬，自攝心故除不慚，知人好功德故除不愧，不著財物故除愛，慈愍受者故除瞋，恭敬受者故除憍慢，知行善法故除無明，信有果報故除邪見，知決定有報故除疑。如是等種種不善諸煩惱，布施時悉皆薄，種種善法悉皆得。布施時六根清淨，善欲心生，善欲心生故內心清淨；觀果報功德故信心生，身心柔軟故喜樂生，喜樂生故得一心，得一心故實智慧生。如是等諸善法悉皆得。

> 布施という行いは、道を求めるならば、人を悟りへと導くことができます。なぜでしょうか。煩悩が消え去った状態を涅槃と呼ぶからです。布施をするとき、さまざまな煩悩は薄くなり、涅槃へと近づくことができます。 施しものを惜しまないことで、もの惜しみする心が除かれます。受け取る人を敬い思うことで、ねたみの心が除かれます。まっすぐな心で布施することで、へつらう心が除かれます。一心に布施することで、心の乱れが除かれます。施しを深く思うことで、後悔が除かれます。受け取る人の功德を観じることで、うやまわない心が除かれます。自ら心を整えることで、恥じない心が除かれます。人の善い功德を知ることで、愧（はじ）を知らない心が除かれます。財物に執着しないことで、愛着が除かれます。受け取る人を慈しみ哀れむことで、怒りが除かれます。受け取る人を敬うことで、おごり高ぶる心が除かれます。善い法を行うことを知ることで、無明が除かれます。果報があると信じることで、邪な見方が除かれます。必ず報いがあると知ることで、疑いが除かれます。 このように、さまざまな不善の煩悩は、布施をするときすべて薄くなり、さまざまな善い法はすべて得られます。布施をするとき、六根は清らかになり、善いものを求める心が生まれます。善いものを求める心が生まれることで、内面が清らかになります。果報の功德を観じることで、信心が生まれます。身心が柔らかくなることで、喜びと楽しみが生まれます。喜びと楽しみが生まれることで、心の統一を得ます。心の統一を得ることで、真実の智慧が生まれます。このように、さまざまな善い法はすべて得られるのです。

復次，布施時心生相似八正道：信布施果故得正見，正見中思惟不亂故得正思惟，清淨說故得正語，淨身行故得正業，不求報故得正命，懃心施故得正方便，念施不廢故得正念，心住不散故得正定。如是等相似三十七品善法，心中生。

> 次に、布施をするとき、心の中に八正道に似たものが生まれます。布施の果報を信じることで正見が得られ、正見の中で思いが乱れないことで正思が得られ、清らかに語ることで正語が得られ、身の行いを清くすることで正業が得られ、報いを求めないことで正命が得られ、心を込めて施すことで正精進が得られ、施しを忘れないことで正念が得られ、心が散らずに住することで正定が得られます。このように、三十七品に似た善い法が心の中に生まれるのです。

復次，有人言：布施是得三十二相因緣。所以者何？

> また、ある人はこう言います。「布施は三十二相を得るための因縁である」と。なぜでしょうか。

施時與心堅固，得足下安立相；布施時五事圍繞，受者是眷屬業因緣故，得足下輪相；大勇猛力施故，得足跟廣平相；施攝人故，得手足縵網相；美味飲食施故，得手足柔軟、七處滿相；施以益命故，得長指、身不曲、大直相；施時言我當相與，施心轉增故、得足趺高、毛上向相；施時受者求之，一心好聽，慇懃約勅，令必疾得故，得伊泥延𨄔相；不瞋不輕求者故，得臂長過膝相；如求者意施，不待言故，得陰藏相；好衣服、臥具、金銀、珍寶施故，得金色身相、薄皮相；布施令受者獨得自在用故，得一一孔一毛生、眉間白毫相；求者求之，即言當與，以是業故得上身如師子、肩圓相；病者施藥，飢渴者與飲食故，得兩腋下滿、最上味相；施時勸人行施而安慰之，開布施道故，得肉髻相、身圓如尼拘盧相；有乞求者，意欲與時，柔軟實語，必與不虛故，得廣長舌相、梵音聲相、如迦陵毘伽鳥聲相；施時如實語，利益語故，得師子頰相；施時恭敬受者，心清淨故，得牙白、齒齊相；施時實語、和合語故，得齒密相、四十齒相；施時不瞋不著，等心視彼故，得青眼相、眼𥇒如牛王相。

> 施しの時、心が堅固であれば、足の裏が平らに安立する相を得ます。布施の時、五つの事が周りを囲むように行えば、受ける者が眷属となる業の因縁によって、足の裏に輪宝の相を得ます。大きな勇猛の力で施すから、かかとが広く平らな相を得ます。施しによって人を惹きつけるから、手足に水かきのような網目の相を得ます。美味しい飲食を施すから、手足が柔らかく、七か所が満ちた相を得ます。命を益するものを施すから、長い指、曲がらない身体、まっすぐな相を得ます。施す時「きっと差し上げよう」と言い、施す心がますます増すから、足の甲が高く、毛が上向きの相を得ます。施す時、受ける者が求めて一心に喜んで聞き、丁寧に約束し、必ず早く得させようとするから、伊泥延の足の相を得ます。怒らず、求める者を軽んじないから、腕が膝を超えて長い相を得ます。求める者の意のままに施し、言葉を待たないから、陰蔵の相を得ます。良い衣服、臥具、金銀、珍宝を施すから、金色の身の相、薄い皮の相を得ます。布施して受ける者が独り自在に使えるようにするから、一々の孔に一毛が生じ、眉間の白毫の相を得ます。求める者が求めれば即座に「与えよう」と言い、その業によって上身が獅子のようで、肩が円い相を得ます。病む者に薬を施し、飢え渇く者に飲食を与えるから、両腋の下が満ち、最上の味の相を得ます。施す時、人に施しを勧め励まし慰めて、布施の道を開くから、肉髻の相、身が尼拘盧のように円い相を得ます。乞い求める者がいて、与えようと思う時、柔らかく真実の言葉で、必ず与えて偽らないから、広長舌の相、梵音声の相、迦陵毘伽鳥の声のような相を得ます。施す時、真実の言葉、利益の言葉を語るから、獅子の頬の相を得ます。施す時、受ける者を恭敬し、心が清浄だから、歯が白く、歯が揃った相を得ます。施す時、真実の言葉、和合の言葉を語るから、歯が密な相、四十歯の相を得ます。施す時、怒らず執着せず、平等な心で相手を見るから、青い眼の相、眼が牛王のような相を得ます。

是為種三十二相因緣。

> これが三十二相をそなえるための因縁です。

復次，以七寶、人民、車乘、金銀、燈燭、房舍、香華布施故，得作轉輪王，七寶具足。

> また、七つの宝や人々、車や乗り物、金や銀、灯明やろうそく、家屋、香や花を施した功徳によって、転輪王となることができ、七つの宝がすべて備わるのです。

復次，施得時故，報亦增多。如佛說：「施遠行人，遠來人，病人，看病人，風寒眾難時施，是為時施。」

> 次に、施しは時を得てなされるがゆえに、その報いもまた増える。仏が説かれたとおりである。「遠くへ行く人に施し、遠くから来た人に施し、病人に施し、病人を看護する人に施し、風寒やさまざまな災難の時に施す、これが時施である。」

復次，布施時隨土地所須施故，得報增多。

> また、布施をするとき、その土地で必要とされているものに応じて施しを行うので、その報いはいっそう大きくなります。

復次，曠路中施故，得福增多；常施不廢故，得報增多；如求者所欲施故，得福增多；施物重故，得福增多，如以精舍、園林、浴池等；若施善人故，得報增多；若施僧故，得報增多；若施者、受者俱有德故丹注云：如菩薩及佛慈心布施，是為施者；若施佛及菩薩、阿羅漢、辟支佛是為受者故，得報增多；種種將迎恭敬受者故，得福增多；難得物施故，得福增多；隨所有物盡能布施故，得福增多。

> また、人けのない道で施しをするから、得られる福は多くなります。絶えず施しを続けてやめないから、報いも多くなります。求める人の望みどおりに施すから、福は多くなります。施す物が尊いから福は多くなります。たとえば精舎や庭園、浴池などを施すような場合です。善人に施すなら報いは多くなり、僧に施すなら報いは多くなります。施す者も受ける者もともに徳があるから<note>丹の注に云く：菩薩や仏が慈しみの心で布施するのが施す者であり、仏や菩薩、阿羅漢、辟支仏に施すのが受ける者であるからである</note>、報いは多くなります。さまざまにもてなし敬って受ける者に施すから、福は多くなります。得がたい物を施すから、福は多くなります。自分の持ち物をすべて施し尽くすから、福は多くなります。

譬如大月氏弗迦羅城中，有一畫師，名千那。到東方多剎陀羅國，客畫十二年，得三十兩金，持還本國。於弗迦羅城中，聞打鼓作大會聲，往見眾僧，信心清淨，即問維那：「此眾中幾許物得作一日食？」維那答曰：「三十兩金足得一日食。」即以所有三十兩金付維那，「為我作一日食，我明日當來。」空手而歸，其婦問曰：「十二年作得何等物？」答言：「我得三十兩金。」即問：「三十兩金今在何所？」答言：「已在福田中種。」婦言：「何等福田？」答言：「施與眾僧。」婦便縛其夫送官治罪，斷事大官問：「以何事故？」婦言：「我夫狂癡，十二年客作得三十兩金，不憐愍婦兒，盡以與他人；依如官制，輒縛送來。」大官問其夫：「汝何以不供給婦兒，乃以與他？」答言：「我先世不行功德，今世貧窮，受諸辛苦；今世遭遇福田，若不種福，後世復貧，貧貧相續，無得脫時。我今欲頓捨貧窮，以是故，盡以金施眾僧。」大官是優婆塞，信佛清淨，聞是語已，讚言：「是為甚難！懃苦得此少物，盡以施僧，汝是善人！」即脫身瓔珞及所乘馬，并一聚落，以施貧人，而語之言：「汝始施眾僧，眾僧未食，是為穀子未種，牙已得生，大果方在後身！」以是故言「難得之物盡用布施其福最多」。

> たとえば、大月氏の弗迦羅城に、千那という名の絵師がいました。東の多刹陀羅国へ行き、12年間よその土地で絵を描いて働き、30両の金を得て、故郷へ持ち帰りました。弗迦羅城で、太鼓を打って大きな法会が開かれている音を聞き、僧たちに会いに行き、清らかな信仰心を起こして、すぐに維那に尋ねました。「この僧たちに、どれほどのものがあれば一日の食事を用意できますか。」維那は答えました。「30両の金で一日の食事を十分に用意できます。」そこで、持っていた30両の金すべてを維那に渡し、「私のために一日の食事を用意してください。私は明日来ます。」と言って、何も持たずに帰りました。妻が尋ねました。「12年働いて、何を得たのですか。」「30両の金を得た。」と答えました。すぐに尋ねました。「その30両の金は今どこにありますか。」「すでに福田に種を蒔いた。」と答えました。妻が言いました。「どんな福田ですか。」「僧たちに施しました。」と答えました。妻は夫を縛って役所に送り、罪を裁かせました。裁く大官が尋ねました。「どういう事情か。」妻が言いました。「私の夫は狂った愚か者です。12年よそで働いて30両の金を得たのに、妻や子を哀れまず、すべて他人に与えてしまいました。法に従い、そのまま縛って連れて参りました。」大官が夫に尋ねました。「なぜ妻や子に与えず、他人に与えたのか。」答えました。「私は前世で功德を行わなかったので、今世は貧しく、さまざまな苦しみを受けています。今世で福田に出会いました。もし福を蒔かなければ、後世もまた貧しく、貧しさが貧しさへと続き、逃れる時がありません。私は今、貧しさを一度に捨て去りたい。それゆえ、金すべてを僧たちに施したのです。」大官は優婆塞で、仏を清らかに信じていました。この言葉を聞いて、褒めました。「これは実に難しいことだ。苦労してこのわずかなものを得て、すべて僧に施した。あなたは善人だ。」すぐに身につけていた瓔珞と乗っていた馬、そして一つの集落を脱いで、貧しい人に施し、こう言いました。「あなたが僧たちに施し始めたとき、僧たちはまだ食べていない。これは穀物の種がまだ蒔かれないうちに、すでに芽が出たようなものだ。大きな果報は後の世にある。」それゆえに言うのです。「得がたいものをすべて布施に用いる、その福が最も多い」と。

復次，有世間檀，有出世間檀；有聖人所稱譽檀，有聖人所不稱譽檀；有佛菩薩檀，有聲聞檀。

> さらに、世間の布施と出世間の布施があり、聖者に称賛される布施と聖者に称賛されない布施があり、仏や菩薩の布施と声聞の布施があります。

何等世間檀？

> どのようなものが、世間の布施なのでしょうか。

凡夫人布施，亦聖人作有漏心布施，是名世間檀。

> 普通の人が行う布施も、聖なる人が煩悩を伴う心で行う布施も、これを世間の布施といいます。

復次，有人言：凡夫人布施，是為世間檀。聖人雖有漏心布施，以結使斷故，名出世間檀。何以故？是聖人得無作三昧故。

> また、ある人々はこう言います。凡夫の布施は世間の布施である。聖者は煩悩の心があっても布施をするが、煩悩の束縛が断たれているので、これを出世間の布施と呼ぶ。なぜか。この聖者は無作三昧を得ているからである。

復次，世間檀者不淨，出世間檀者清淨。二種結使：一種屬愛，一種屬見。為二種結使所使，是為世間檀。無此二種結使，是為出世間檀。

> 次に、世間の檀（布施）は清らかでなく、出世間の檀は清らかです。二つの結使（煩悩の束縛）があります。一つは愛に属し、一つは見に属します。この二つの結使に支配されているのが、世間の檀です。この二つの結使がないのが、出世間の檀です。

若三礙繫心，是為世間檀。何以故？因緣諸法實無吾我，而言我與彼取，是故名世間檀。

> もし三つの妨げに心が縛られているなら、それは世間の布施です。なぜでしょうか。因縁によって生じるすべての法には、本当は我もなければ自己もないのに、「私が与え、彼が受け取る」と言うのです。だからこれを世間の布施と呼ぶのです。

復次，我無定處。我以為我，彼以為非；彼以為我，我以為非。以是不定故，無實我也。所施財者，從因緣和合有，無有一法獨可得者。如絹、如布，眾緣合故成，除絲除縷，則無絹、布；諸法亦如是，一相無相，相常自空。人作想念，計以為有，顛倒不實，是為世間檀。

> また、私はどこにも定まったものではありません。私が「我」と思っても、相手はそうではないと思い、相手が「我」と思っても、私はそうではないと思います。このように定まらないからこそ、実体としての「我」はないのです。施しの財も、さまざまな因と縁が和合してあるのであって、ただ一つだけで成り立つものは何もありません。絹や布のように、多くの縁が合わさって成るのであり、糸を取り除き、縷を取り除けば、絹も布もありません。すべての法も同じです。一つの相もなく、相は常に自ら空です。人は思いをめぐらして、あると決めつけますが、それは顛倒であって実のないもの、これが世間の檀です。

心無三礙，實知法相，心不顛倒，是為出世間檀。

> 心に三つの妨げがなく、法の姿をありのままに知り、心が乱れることがない――これが出世間の布施です。

出世間檀為聖人所稱譽，世間檀聖人所不稱譽。

> 世間を超えた布施は聖者に称賛され、世間的な布施は聖者に称賛されない。

復次，清淨檀，不雜結垢，如諸法實相，是聖人所稱譽；不清淨，雜結使，顛倒心著，是聖人所不稱譽。

> また、清らかな布施とは、煩悩の垢に混ざっていないものであり、諸法の実相のままである。これは聖者たちが称賛するものである。清らかでなく、煩悩に混ざり、颠倒した心にとらわれているものは、聖者たちが称賛しないものである。

復次，實相智慧和合布施，是聖人所稱譽；若不爾者，聖人所不稱譽。

> さらに、実相の智慧と布施を合わせ行うことは、聖人たちが称賛されるところです。もしそうでなければ、聖人たちは称賛されません。

復次，不為眾生，亦不為知諸法實相故施，但求脫生、老、病、死，是為聲聞檀；為一切眾生故施，亦為知諸法實相故施，是為諸佛菩薩檀。

> 次に、衆生のためでもなく、また諸法の実相を知るためでもなく布施を行い、ただ生・老・病・死から脱することを求めるのが、声聞の檀である。一切の衆生のために布施を行い、また諸法の実相を知るためにも布施を行うのが、諸仏菩薩の檀である。

於諸功德不能具足，但欲得少許分，是為聲聞檀；一切諸功德欲具足滿，是為諸佛菩薩檀。

> あらゆる功徳を完全に備えることができず、ほんの少しだけ分けてもらおうとするのが、声聞の施しです。すべての功徳を完全に満たそうとするのが、仏や菩薩の施しです。

畏老、病、死故施，是為聲聞檀；為助佛道，為化眾生，不畏老、病、死，是為諸佛菩薩檀。

> 老いや病や死を恐れるがゆえに施しをするのは、声聞の檀です。仏の道を助け、衆生を教化するために、老いや病や死を恐れずに施しをするのは、諸仏菩薩の檀です。

是中應說菩薩本生經，如說《阿婆陀那經》中：昔閻浮提中有王，名婆薩婆。爾時有婆羅門菩薩，名韋羅摩，是國王師，教王作轉輪聖王法。韋羅摩財富無量，珍寶具足，作是思惟：「人謂我為貴人，財富無量，饒益眾生，今正是時，應當大施。富貴雖樂，一切無常，五家所共，令人心散，輕泆不定，譬如獼猴不能暫住；人命逝速，疾於電滅，人身無常，眾苦之藪。以是之故，應行布施。」

> 菩薩の前世の物語を説く経典、すなわち『アパダーナ経』の中に次のように説かれています。 むかし、閻浮提に婆薩婆という名の王がいました。そのころ、韋羅摩という名の婆羅門の菩薩がいて、その国の王の師として、王に転輪聖王となるための法を教えていました。韋羅摩は無量の財産を持ち、珍宝も満ちあふれていました。彼はこう考えました。「人々は私を尊い人と呼び、財産は無量で、多くの人々を利益している。今こそ、大いなる布施を行うべき時である。富貴は楽しいけれども、すべては無常であり、五家によって共有され、人の心を散らし、軽やかに浮かれて定まらなくさせる。まるで猿が少しの間もじっとしていられないかのようだ。人の命は過ぎ去るのが速く、稲妻が消えるよりも速い。人の身体は無常であり、あらゆる苦しみの集まりである。だからこそ、布施を行わなければならない。」

如是思惟已，自作手疏，普告閻浮提諸婆羅門及一切出家人：「願各屈德，來集我舍，欲設大施。」滿十二歲，飯汁行船，以酪為池，米麵為山，蘇油為渠，衣服、飲食、臥具、湯藥，皆令極妙。過十二歲，欲以布施八萬四千白象，犀甲金飾，珞以名寶，建大金幢，四寶莊嚴；八萬四千馬，亦以犀甲金飾，四寶交絡；八萬四千車，皆以金、銀、琉璃、頗梨、寶飾，覆以師子、虎豹之皮，若白劍婆羅寶𨏥雜飾，以為莊嚴；八萬四千四寶床，雜色綩綖種種茵蓐，柔軟細滑，以為挍飾；丹枕錦被，置床兩頭，妙衣盛服，皆亦備有；八萬四千金鉢盛滿銀粟，銀鉢盛金粟，琉璃鉢盛頗梨粟，頗梨鉢盛琉璃粟；八萬四千乳牛，牛出乳一斛，金飾其𧿵角，衣以白疊；八萬四千美女，端正福德，皆以白珠名寶瓔珞其身。略舉其要，如是種種，不可勝記。爾時，婆羅婆王及八萬四千諸小國王，并諸臣民豪傑長者，各以十萬舊金錢，贈遺勸助，設此法祠。具足施已，釋提婆那民來語韋羅摩菩薩，說此偈言：

> こう考えてから、自ら手紙を書き、閻浮提のすべてのバラモンとすべての出家者に広く告げた。「どうかそれぞれの徳を曲げて、私の家に集まってください。大きな布施をしようと思います。」十二年の間、飯の汁で船を走らせ、チーズで池を作り、米と小麦粉で山を作り、酥油で堀を作り、衣服・飲食・臥具・湯薬は、すべてこの上なくすばらしいものにした。十二年の後、八万四千頭の白象を布施しようとした。犀の甲に金の飾りをつけ、名高い宝石で連ね、大きな金の幢を立て、四つの宝で飾った。八万四千頭の馬にも、同じく犀の甲と金の飾りをつけ、四つの宝で交差して連ねた。八万四千台の車は、すべて金・銀・瑠璃・頗梨の宝で飾り、獅子・虎豹の皮を覆い、白剣婆羅宝のあれこれをあしらって飾りとした。八万四千の四宝の床には、さまざまな色の敷物やいろいろな茣蓙を敷き、柔らかく細やかでなめらかにして飾りとした。赤い枕と錦の布団を床の両端に置き、すばらしい衣や晴れ着も、すべて備えた。八万四千の金の鉢には銀の粟を満たし、銀の鉢には金の粟を満たし、瑠璃の鉢には頗梨の粟を満たし、頗梨の鉢には瑠璃の粟を満たした。八万四千頭の乳牛は、一頭から一斛の乳を出し、その角には金の飾りをつけ、白い木綿の布を着せた。八万四千人の美女は、端正で福徳があり、すべて白珠や名高い宝石の瓔珞を身につけていた。要点を簡単に挙げれば、このようないろいろなものは、数えきれないほどであった。そのとき、婆羅婆王と八万四千の小国の王たち、また多くの臣民・豪傑・長者たちは、それぞれ十万の古い金銭を贈って、この法の祠を勧め助けた。布施を十分に終えてから、釈提婆那民が来て韋羅摩菩薩に語り、この偈を説いた。

「天地難得物， 能喜悅一切；汝今皆以得， 為佛道布施！」

> 天と地の間に得がたいものを、あなたはすべての人を喜ばせることができるものとして、今すでに手に入れました。仏の道のために、それを布施として捧げなさい。

爾時，淨居諸天現身而讚，說此偈言：

> そのとき、浄居天の神々が姿を現してほめたたえ、この詩を唱えました。

「開門大布施， 汝所為者是；憐愍眾生故， 為之求佛道！」

> 「門を開いて、大きな布施をなさい。あなたがしているのは、まさにそのことです。 あなたは生きとし生けるものを哀れみ、そのために、仏の道を求めているのです。」

是時，諸天作是思惟：「我當閉其金瓶，令水不下。所以者何？有施者，無福田故。」

> そのとき、天の者たちはこう考えました。「私たちは金の瓶を閉じて、水が下に落ちないようにしよう。なぜなら、施しをする人はいても、その施しを受け取るべき福田がないからだ。」

是時，魔王語淨居天：「此諸婆羅門皆出家持戒，清淨入道，何以故乃言無有福田？」淨居天言：「是菩薩為佛道故布施，今此諸人皆是邪見，是故我言無有福田。」魔王語天言：「云何知是人為佛道故布施？」

> そのとき、魔王は浄居天に言いました。「これらのバラモンたちはみな出家して戒を守り、清らかに道に入っている。なぜ『福田はない』と言うのか。」浄居天は言いました。「この菩薩は仏道のために施しを行っている。ところがこれらの人々はみな邪見である。だから私は『福田はない』と言ったのだ。」魔王は天に言いました。「どうしてこの人が仏道のために施しを行っていると分かるのか。」

是時，淨居天化作婆羅門身，持金瓶，執金杖，至韋羅摩菩薩所，語言：「汝大布施，難捨能捨，欲求何等？欲作轉輪聖王，七寶、千子、王四天下耶？」菩薩答言：「不求此事！」「汝求釋提婆那民，為八千那由他天女主耶？」答言：「不！」「汝求六欲天主耶？」答言：「不！」「汝求梵天王，主三千大千世界，為眾生祖父耶？」答言：「不！」「汝欲何所求？」是時，菩薩說此偈言：

> そのとき、浄居天は婆羅門の姿に変わって、金の瓶を持ち、金の杖を手にして、韋羅摩菩薩のもとへやって来て、こう言いました。「あなたは大きな布施をなさいました。捨てがたいものをも捨てられた。何をお求めなのですか。転輪聖王となって、七宝と千人の子に恵まれ、四天下を治めたいのですか。」菩薩はお答えになりました。「そのようなことは求めていません。」「帝釈天となって、八千那由他の天女たちの主となりたいのですか。」お答えになりました。「いいえ。」「六欲天の主となりたいのですか。」お答えになりました。「いいえ。」「梵天王となって、三千大千世界を治め、衆生の祖父となりたいのですか。」お答えになりました。「いいえ。」「あなたは何をお求めなのですか。」そのとき、菩薩はこの偈を説かれました。

「我求無欲處， 離生老病死，欲度諸眾生， 求如是佛道！」

> 私は無欲の境地を求め、 生・老・病・死から離れようとしています。 多くの生きとし生けるものを救うために、 このような仏の道を求めているのです。

化婆羅門言：「布施主！佛道難得，當大辛苦；汝心軟串樂，必不能求成辦此道。如我先語轉輪聖王、釋提婆那民、六欲天王、梵天王，是易可得，不如求此！」

> 托鉢に出た婆羅門はこう言った。「布施をなさる方よ、仏の道は得がたく、たいへんな苦労を伴います。あなたは心がやわらかく、楽しみに慣れておられるので、きっとこの道を求めて成し遂げることはできないでしょう。私が以前、転輪聖王や帝釈天、六欲天の王、梵天王に申し上げたように、それらは得やすいものですが、この道を求めるにはおよびません。」

菩薩答言：「汝聽我一心誓：

> 菩薩がお答えになりました。「私の一心の誓いを聞いてください。

「『假令熱鐵輪， 在我頭上轉，一心求佛道， 終不懷悔恨！若使三惡道， 人中無量苦，一心求佛道， 終不為此轉！』」

> たとえ熱い鉄の輪が、 私の頭の上で回っていても、 一心に仏の道を求め続け、 決して後悔や恨みを抱くことはない。 たとえ三悪道や、 人としての無量の苦しみがあっても、 一心に仏の道を求め続け、 決してそれによって心が揺らぐことはない。

化婆羅門言：「布施主！善哉！善哉！求佛如是。」便讚偈言：

> 托鉢の婆羅門が言った。「布施を行う施主よ、すばらしい、すばらしい。そのように仏を求めておられるのですね。」そして、こう讃える詩を唱えた。

「汝精進力大， 慈愍於一切，智慧無罣礙， 成佛在不久！」

> 「あなたは精進の力が大きく、すべての人に慈悲の心をお持ちです。 智慧に妨げるものは何もなく、まもなく仏になられるでしょう。」

是時，天雨眾華，供養菩薩。諸淨居天閉瓶水者，即隱不現。

> そのとき、天から無数の花が降り、菩薩を供養しました。浄居天の人々は、瓶の水を閉じた者も、たちまち姿を隠しました。

菩薩是時至婆羅門上座前，以金瓶行水，水閉不下。眾人疑怪：「此種種大施，一切具足，布施主人功德亦大，今何以故瓶水不下？」菩薩自念：「此非他事，將無我心不清淨耶？得無施物不具足乎？何以致此？」自觀祠經十六種書，清淨無瑕。是時，諸天語菩薩言：「汝莫疑悔！汝無不辦！是諸婆羅門惡邪不淨故也。」即說偈言：

> そのとき、菩薩はバラモンの上座のもとへ行き、金の瓶で水を注ごうとしましたが、水はとどまって流れ出ませんでした。人々は不思議に思い、「これほどさまざまな大きな施しがすべて整い、施しをする人の功德も大きいはずなのに、なぜ瓶の水が流れないのか」と怪しみました。菩薩は自ら考えました。「これはほかのことではない。私の心が清らかでないのだろうか。施す物が足りないのだろうか。なぜこのようになるのか」と。そして自ら祠経の十六種の書を観て、清らかで瑕がないことを確かめました。そのとき、諸天が菩薩に語りました。「あなたは疑い悔やんではなりません。あなたに不足は何もありません。これはもろもろのバラモンが悪邪で不浄であるからなのです。」そこで偈を説きました。

「是人邪見網， 煩惱破正智，離諸清淨戒， 唐苦墮異道！」

> 邪った見解の網にかかり、 煩悩が正しい智慧を打ち砕き、 清らかな戒めから遠く離れて、 いたずらに苦しみ、道を外れてしまう。

以是故，水閉不下。如是語已，忽然不現。爾時，六欲天放種種光明，照諸眾會，語菩薩而說偈言：

> そのため、水はせき止められて流れなくなった。こう語り終えると、たちまち姿を消した。そのとき、六欲天がさまざまな光明を放ち、集まった人々を照らし、菩薩に偈を説いて言った。

「邪惡海中行， 不順汝正道；諸受施人中， 無有如汝者！」

> 悪の海を進みながら、 あなたの正しい道に従わない。 施しを受ける者たちの中で、 あなたのような者は一人もいない。

說是語已，忽然不現。是時，菩薩聞說此偈，自念：「會中實自無有與我等者，水閉不下，其將為此乎？」即說偈言：

> こう言い終わると、忽然と姿を消した。その時、菩薩はこの偈を聞いて、こう思った。「この集まりの中には、私と等しい者は本当にいないのだろうか。水よ、閉じて流れ落ちないのは、きっと私のことを言っているのだろうか。」そこで偈を説いた。

「若有十方天地中， 諸有好人清淨者，我今歸命稽首禮！ 右手執瓶灌左手，而自立願我一人， 應受如是大布施！」

> 「もし十方の世界に 清らかな心の善き人々がいるなら、 私は今、心から敬意を表して礼拝します。 右手で瓶を持ち、左手に注ぎながら、 私は一人で願いを立てます—— 私がこの大きな布施を受けるのにふさわしい者となりますように。」

是時，瓶水踊在虛空，從上來下而灌其左手。是時，婆薩婆王見是感應，心生恭敬而說偈言：

> そのとき、瓶の水が虚空に湧き上がり、上から下へと注いでその左手を灌いだ。そのとき、婆薩婆王はこの不思議な感応を見て、心に敬いの念を生じ、偈を説いて言った。

「大婆羅門主， 清琉璃色水，從上流注下， 來墮汝手中！」

> 大婆羅門の主よ、 清らかな瑠璃色の水が、 上流から流れ下り、 あなたの手の中に落ちてきます。

是時，大婆羅門眾恭敬心生，合手作禮，歸命菩薩。菩薩是時說此偈言：

> そのとき、大勢のバラモンたちは恭敬の心を起こし、両手を合わせて礼をし、菩薩に帰依しました。菩薩はそのとき、この詩を説かれました。

「今我所布施， 不求三界福；為諸眾生故， 以用求佛道！」

> 今、私が布施をするのは、三界の福を求めるためではありません。 すべての衆生のために、仏の道を求めるために行うのです。

說此偈已，一切大地、山川、樹木，皆六返震動。韋羅摩本謂此眾應受供養故與，既知此眾無堪受者，今以憐愍故，以所受物施之。

> この偈を説き終えると、大地も山も川も木々も、すべてが六度震え動いた。韋羅摩はもともと、この人々は供養を受けるにふさわしいと考えて与えたのだが、この人々の中にそれを受けるに値する者がいないと知ったので、今はあわれみの心から、受け取った品々を施したのである。

如是種種檀本生因緣，是中應廣說。是為外布施。

> このように、さまざまな布施の前世の因縁については、ここで詳しく説くべきである。これが外の布施である。

云何名內布施？不惜身命，施諸眾生。

> 内に布施するとは、どういうことでしょうか。自分の身も命も惜しまず、すべての生きとし生けるものに施すことです。

如本生因緣說：釋迦文佛本為菩薩，為大國王時，世無佛、無法、無比丘僧，是王四出求索佛法，了不能得。時有一婆羅門言：「我知佛偈，供養我者，當以與汝。」王即問言：「索何等供養？」答言：「汝能就汝身上，破肉為燈炷供養我者，當以與汝。」王心念言：「今我此身危脆不淨，世世受苦，不可復數，未曾為法，今始得用，甚不惜也！」如是念已，喚旃陀羅，遍割身上以作燈炷，而以白疊纏肉，酥油灌之，一時遍燒，舉身火燃，乃與一偈。

> 本生因縁の説によれば、釈迦文仏はもともと菩薩であり、大きな国の王であったとき、世に仏も法も比丘僧もいませんでした。そこで王は四方に求めて仏法を探し求めましたが、ついに得ることはできませんでした。そのとき一人の婆羅門が言いました。「私は仏の偈を知っている。私を供養するならば、あなたに教えましょう。」王はすぐに尋ねました。「どのような供養を求めるのか。」婆羅門は答えました。「あなたが自分の体の上で、肉を破いて灯の芯とし、私を供養することができるならば、教えましょう。」王は心に思いました。「今この私の体はもろく汚れていて、生まれ変わるたびに苦しみを受け、その数は数えきれない。まだ一度も法のために用いたことはなかった。今こそ使うことができるのだから、とても惜しむことはない。」こう思い終えると、旃陀羅を呼び、体じゅうを割いて灯の芯とし、白い布で肉を巻き、酥油を注ぎ、一度に全体を焼きました。身もろとも火が燃え上がって、ようやく一つの偈を教えてもらったのです。

又復，釋迦文佛本作一鴿，在雪山中。時大雨雪，有一人失道，窮厄辛苦，飢寒并至，命在須臾。鴿見此人，即飛求火，為其聚薪然之；又復以身投火，施此飢人。

> また、釈迦文仏はかつて一羽の鳩であったことがあります。雪山の中でのことです。そのとき大雪が降り、一人の人が道に迷い、困り果てて苦しみ、飢えと寒さが同時に襲い、命は今にも消えようとしていました。鳩はこの人を見ると、すぐに飛んで火を求め、その人のために薪を集めて火をつけました。さらに自分の身を火の中に投じて、この飢えた人に施したのです。

如是等頭、目、髓、腦給施眾生，種種本生因緣經，此中應廣說。如是等種種，是名內布施。

> このように、頭や目、骨の髄や脳までも衆生に施し与えた、さまざまな本生因縁経の物語は、ここで詳しく説かれるべきである。このような種々のものを施すことを、内の布施という。

如是內、外布施無量，是名檀相。

> このように、内なるものも外なるものも惜しみなく施すことが無量であるならば、それを布施の真の姿といいます。