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title: "大智度論 · 1"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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### 大智度論釋初品中檀波羅蜜法施義第二十

> 大智度論　初品の中の檀波羅蜜・法施の意義を解釈する　第二十

問曰：

> お尋ねします。

云何名法布施？

> どのようなものを法の施しと呼ぶのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

有人言：常以好語，有所利益，是為法施。

> ある人がこう言いました。「いつも良い言葉で、人々のためになることをするのが、法の施しである。」

復次，有人言：以諸佛語妙善之法，為人演說，是為法施。

> また、ある人々はこう言います。仏の言葉であるすばらしい教えを人々のために説き示すこと、これが法施です。

復次，有人言：以三種法教人：一、修妬路，二、毘尼，三、阿毘曇，是為法施。

> また、ある人は言います。三つの法によって人を教えるとは、一に修妬路、二に毘尼、三に阿毘曇、これが法施です。

復次，有人言：以四種法藏教人：一、修妬路藏，二、毘尼藏，三、阿毘曇藏，四、雜藏，是為法施。

> また、ある人々はこう言います。四種類の法蔵によって人を教えること、すなわち、一に修妬路蔵、二に毘尼蔵、三に阿毘曇蔵、四に雑蔵、これが法施であると。

復次，有人言：略說以二種法教人：一、聲聞法，二、摩訶衍法，是為法施。

> また、ある人はこう言います。簡単に言えば、二つの法で人を教えることができます。一つは声聞の法、二つは摩訶衍の法です。これが法施です。

問曰：

> お尋ねします。

如提婆達、呵多等，亦以三藏、四藏、聲聞法、摩訶衍法教人，而身入地獄，是事云何？

> 提婆達多や呵多のような者たちも、三蔵や四蔵、声聞の法、摩訶衍の法をもって人々を教えながら、自らは地獄に堕ちた。これはどういうことでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

提婆達邪見罪多，呵多妄語罪多，非是為道清淨法施，但求名利恭敬供養。惡心罪故，提婆達生入地獄，呵多死墮惡道。

> 提婆達多は邪な見方による罪が多く、呵多は嘘をついた罪が多く、これは道を清くする法の施しではなく、ただ名利や恭敬、供養を求めたものでした。悪心による罪のため、提婆達多は生きながら地獄に堕ち、呵多は死後悪道に堕ちました。

復次，非但言說名為法施，常以淨心善思以教一切，是名法施。譬如財施，不以善心，不名福德；法施亦爾，不以淨心善思，則非法施。

> また、言葉で説くことだけが法施というわけではありません。常に清らかな心と正しい思いをもって、すべての人を教え導くこと、これが法施なのです。たとえば財施も、善い心がなければ福徳とはいえません。法施も同じです。清らかな心と正しい思いがなければ、法施とはいえないのです。

復次，說法者，能以淨心善思，讚歎三寶，開罪福門，示四真諦，教化眾生，令入佛道，是為真淨法施。

> さらに、法を説く人は、清らかな心でよく考え、三宝を讃嘆し、罪と福の門を開き、四つの真理を示し、衆生を教え導いて仏の道に入らせるならば、これこそが真に清らかな法の施しです。

復次，略說法有二種：一者、不惱眾生，善心慈愍，是為佛道因緣；二者、觀知諸法真空，是為涅槃道因緣。在大眾中興愍哀心，說此二法，不為名聞利養恭敬，是為清淨佛道法施。

> 次に、法には二つあると簡単に説きましょう。第一は、生きとし生けるものを苦しめず、善い心で慈しみ哀れむこと。これが仏の道に至る縁となります。第二は、すべてのものは本当は空であると見極めること。これが涅槃の道に至る縁となります。多くの人の集まりの中で哀れみの心を起こし、この二つの法を説き、名声や利益、敬われたいがためにではなく説くこと。これこそが清らかな仏の道の法施なのです。

如說：阿輸伽王一日作八萬佛圖，雖未見道，於佛法中少有信樂，日日請諸比丘入宮供養，日日次第留法師說法。

> たとえば、阿輸伽王は一日に八万もの仏塔を建てたと言われています。まだ道を見てはいませんでしたが、仏法に対して少しばかりの信と喜びを持ち、毎日多くの比丘を宮殿に招いて供養し、毎日順番に法師を留めて説法を聞きました。

有一三藏年少法師，聰明端正，次應說法。在王邊坐，口有異香；王甚疑怪，謂為不端，欲以香氣動王宮人，語比丘言：「口中何等？開口看之！」即為開口，了無所有；與水令漱，香氣如故。王問：「大德！新有此香？舊有之耶？」比丘答言：「如此久有，非適今也。」又問：「有此久如？」比丘以偈答言：

> 若い法師が一人いました。聡明で端正な姿かたちの三蔵法師で、次に説法をする番でした。王のそばに座っていましたが、口から不思議な香りが漂っていました。王はたいそう怪しみ、不埒なことを考えて香りで王宮の女たちを誘おうとしているのだと思い、比丘に言いました。「口の中に何があるのか。開けて見せなさい。」そこで口を開けましたが、何もありませんでした。水でうがいをさせても、香りはもとのままでした。王が問いました。「大徳よ、その香りは新しくついたものか、それとも以前からあるのか。」比丘は答えました。「これはずっと前からあるもので、今ついたものではありません。」また問いました。「それはどのくらい前からあるのか。」比丘は偈で答えました。

「迦葉佛時， 集此香法， 如是久久，常若新出。」

> 迦葉仏の時代に、この香の法を集められ、そうして長い長い時が過ぎても、いつも新しく現れるかのようでありました。

王言：「大德！略說未解，為我廣演！」答言：「王當一心，善聽我說：我昔於迦葉佛法中，作說法比丘，常在大眾之中，歡喜演說迦葉世尊無量功德、諸法實相、無量法門，慇懃讚歎，教誨一切。自是以來，常有妙香從口中出，世世不絕，恒如今日。」而說此偈：

> 王が言った。「大徳よ、簡単な説明ではまだ分かりません。私のために詳しく説いてください。」そこで答えた。「王よ、一心に、よく私の話を聞いてください。私は昔、迦葉仏の教えの中で説法する僧として、いつも大衆の中で、喜んで迦葉世尊の無量の功徳、諸法の実相、無量の法門を説き、殷勤に讃嘆し、すべての人を教え導いていました。それ以来、いつも口から妙なる香りが漂い、代々絶えることなく、今日も変わりません。」そしてこの偈を説いた。

「草木諸華香， 此香氣超絕，能悅一切心， 世世常不滅。」

> 草木や花の香りは、その香りはひときわ優れていて、すべての人の心を喜ばせ、代々にわたって絶えることがありません。

于時國王愧喜交集，白比丘言：「未曾有也！說法功德，大果乃爾！」比丘言：「此名為華，未是果也。」王言：「其果云何？願為演說！」答言：「果，略說有十，王諦聽之！」即為說偈言：

> そのとき、国王は恥じ入り喜びが入り混じって、比丘に言いました。「これまで聞いたことがありません。説法の功德は、なんと大きな果報をもたらすのでしょう。」 比丘は言いました。「これは花であって、まだ果実ではありません。」 王は言いました。「その果実とはどのようなものですか。どうかお説きください。」 比丘は答えました。「果実には、大まかに十あります。王よ、よくお聞きください。」 そこで、次の詩を説きました。

「大名聞端政， 得樂及恭敬，威光如日月， 為一切所愛，辯才有大智， 能盡一切結，苦滅得涅槃， 如是名為十。」

> 名高く、容姿端麗で、 楽しみと敬いを得て、 威光は日月のごとく、 すべての人に愛され、 弁才があり大きな智慧を持ち、 すべての煩悩を尽くし、 苦を滅して涅槃を得る。 これらを十と名づける。

王言：「大德！讚佛功德，云何而得如是果報？」爾時，比丘以偈答曰：

> 王がおっしゃいました。「尊者よ、仏の功徳を讃えると、どうしてこのような果報を得ることができるのですか。」そのとき、比丘は偈をもってお答えしました。

「讚佛諸功德， 令一切普聞，以此果報故， 而得大名譽。讚佛實功德， 令一切歡喜，以此功德故， 世世常端正。為人說罪福， 令得安樂所，以此之功德， 受樂常歡豫。讚佛功德力， 令一切心伏，以此功德故， 常獲恭敬報。顯現說法燈， 照悟諸眾生，以此之功德， 威光如日曜。種種讚佛德， 能悅於一切，以此功德故， 常為人所愛。巧言讚佛德， 無量無窮已，以此功德故， 辯才不可盡。讚佛諸妙法， 一切無過者，以此功德故， 大智慧清淨。讚佛功德時， 令人煩惱薄，以此功德故， 結盡諸垢滅。二種結盡故， 涅槃身已證，譬如澍大雨， 火盡無餘熱。」

> 仏の功徳を讃えれば、すべての人に広く聞こえるようになります。 その果報によって、大きな名誉を得ることができます。 仏の真実の功徳を讃えれば、すべての人が喜びます。 その功徳によって、生まれ変わるたびに姿かたちが端正になります。 人に罪と福について説けば、安楽な場所を得させることができます。 その功徳によって、楽しみを受け、いつも喜びに満たされます。 仏の功徳の力を讃えれば、すべての人の心がなびきます。 その功徳によって、いつも敬われるという報いを得ます。 法の灯をはっきりと示して説けば、すべての衆生を照らし目覚めさせます。 その功徳によって、威光は太陽のように輝きます。 さまざまに仏の徳を讃えれば、すべての人を喜ばせることができます。 その功徳によって、いつも人に愛されます。 巧みな言葉で仏の徳を讃えることは、無量で尽きることがありません。 その功徳によって、弁才は尽きることがありません。 仏のすばらしい法を讃えれば、すべてに過ぎたるものはありません。 その功徳によって、大きな智慧が清らかになります。 仏の功徳を讃えるとき、人の煩悩は薄くなります。 その功徳によって、結縛は尽き、すべての垢は滅します。 二つの結縛が尽きたので、涅槃の身をすでに証得します。 ちょうど大雨が降り注ぐように、火は消えて残りの熱もありません。

重告王言：「若有未悟，今是問時，當以智箭破汝疑軍。」王白法師：「我心悅悟，無所疑也。大德福人，善能讚佛。」

> 王に重ねて告げた。「もしまだ悟っていないことがあるなら、今こそ問うときです。智の矢で、あなたの疑いの軍を打ち破りましょう。」王は法師に申し上げた。「私の心は喜び悟りました。何の疑いもありません。徳の高い幸ある人よ、あなたは実に見事に仏を讃えてくださいました。」

如是等種種因緣，說法度人，名為法施。

> このようなさまざまな縁によって、法を説いて人々を導くことを、法施（ほうせ）といいます。

問曰：

> お尋ねします。

財施、法施，何者為勝？

> 財施と法施、どちらが優れているのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

如佛所言：「二施之中，法施為勝。」所以者何？

> 仏がおっしゃるように、「二つの施しの中では、法の施しが最も優れている」と。それはなぜでしょうか。

財施果報，在欲界中；法施果報，或在三界，或出三界。復次，口說清淨，深得理中，心亦得之，故出三界。

> 財施の果報は、欲界の中にあります。法施の果報は、三界にあることもあれば、三界を出ることもあります。また、口に説くことが清らかで、深く道理にかなっていれば、心もまたそれを得るので、三界を出ることができるのです。

復次，財施有量，法施無量。財施有盡，法施無盡；譬如以薪益火，其明轉多。

> また、財施には限りがありますが、法施には限りがありません。財施は尽きることがありますが、法施は尽きることがありません。たとえば薪を火に加えると、その明るさがますます増していくようなものです。

復次，財施之報，淨少垢多；法施之報，垢少淨多。

> 次に、財施の報いは、清らかさが少なく、汚れが多い。法施の報いは、汚れが少なく、清らかさが多い。

復次，若作大施，必待眾力；法施出心，不待他也。

> 次に、大きな施しをするには、多くの人の力が必要です。しかし、法の施しは自分の心から出るもので、他の人を待つ必要はありません。

復次，財施能令四大諸根增長；法施能令無漏根、力、覺、道具足。

> また、財施は四大や五根を成長させることができ、法施は無漏の根・力・覚・道を完全に備えさせることができます。

復次，財施之法，有佛無佛，世間常有；如法施者，唯有佛世乃當有耳。

> また、財物を施すという行いは、仏がおられる時代でもおられない時代でも、世の中に常にあります。しかし、法を施すという行いは、仏が世に現れたときだけにあるのです。

是故當知法施甚難！云何為難？乃至有相辟支佛不能說法，直行乞食，飛騰變化而以度人。

> だからこそ知っておくべきです。法を施すことは非常に難しいのです。なぜ難しいのでしょうか。修行の段階にある者や独覚の悟りを得た者でさえ、法を説くことができず、ただ托鉢を行い、神通力で飛び翔け変化して人々を導くだけなのです。

復次，從法施中能出生財施，及諸聲聞、辟支佛、菩薩及佛。

> 次に、法施からは財施が生まれ、また声聞・辟支仏・菩薩、そして仏も生まれます。

復次，法施能分別諸法：有漏、無漏法，色法、無色法，有為、無為法，善、不善、無記法，常法、無常法，有法、無法。一切諸法實相清淨，不可破不可壞。如是等法，略說則八萬四千法藏，廣說則無量。如是等種種，皆從法施分別了知。以是故，法施為勝。

> 次に、法施は諸法を分別することができます。すなわち、有漏の法と無漏の法、色法と無色法、有為の法と無為の法、善法と不善法と無記法、常法と無常法、有法と無法です。一切の諸法の実相は清浄であり、破ることも壊すこともできません。このような法を、略して説けば八万四千の法蔵となり、広く説けば無量となります。このような種々のものは、みな法施によって分別し了知されます。それゆえに、法施が最も勝れているのです。

是二施和合，名之為檀行。

> この二つの施しが一つに合わさったものを、檀行（だんぎょう）と呼びます。

是二施願求作佛，則能令人得至佛道，何況其餘！

> この二つの施しと願いによって仏となることを求めるならば、人は仏の道に至ることができるのです。ましてやその他のものにおいてはなおさらです。

問曰：

> お尋ねします。

四種捨，名為檀。所謂財捨、法捨、無畏捨、煩惱捨。此中何以不說二種捨？

> 四つの捨てることを「檀（だん）」といいます。すなわち、財を捨てること、法を捨てること、恐れを取り除いてあげること、煩悩を捨てることです。ここではなぜ二つの捨て方について説かないのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

無畏捨，與尸羅無別，故不說。有般若故，不說煩惱捨。若不說六波羅蜜，則應具說四捨。

> 恐れがなくなり、戒律と変わることがないので、説かれません。智慧があるからこそ、煩悩を捨てることは説かれません。もし六波羅蜜を説かなければ、四つの捨をすべて説くべきです。

## 大智度論卷第十一

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