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title: "大智度論 · 21 尸羅波羅蜜義"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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## 大智度論釋初品中尸羅波羅蜜義第二十一卷第十三

> 大智度論 初品における尸羅波羅蜜の意義の解説 第二十一

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵、鳩摩羅什（クマーラジーヴァ）が詔によりて訳す

【經】

> お経

「罪、不罪不可得故，應具足尸羅波羅蜜。」

> 罪か罪でないかという区別にとらわれないからこそ、戒律の完成（尸羅波羅蜜）を身につけることができるのです。

【論】

> 【論】 論とは、心を

尸羅秦言性善，好行善道，不自放逸，是名尸羅。

> 尸羅（しら）とは、中国語で「性質が善い」という意味です。善い道を進んで行い、自ら怠けることなく努めることを、尸羅といいます。

或受戒行善，或不受戒行善，皆名尸羅。

> 戒を守って善を行うのも、戒を守らずに善を行うのも、どちらも尸羅（戒）と呼ばれます。

尸羅者，略說身、口律儀有八種：不惱害、不劫盜、不邪婬，不妄語、不兩舌、不惡口、不綺語，不飲酒，及淨命，是名戒相。

> 戒（尸羅）とは、簡単に言えば、身と口の律儀に八つの種類があります。人を苦しめないこと、盗まないこと、不邪淫、嘘をつかないこと、二枚舌を使わないこと、悪口を言わないこと、無駄話をしないこと、酒を飲まないこと、そして清らかな生業です。これが戒のあり方です。

若不護、放捨，是名破戒。破此戒者，墮三惡道中。

> もし戒めを守らず、投げ捨てるならば、それは破戒と呼ばれます。この戒めを破る者は、三つの悪道に堕ちてしまいます。

若下持戒生人中，中持戒生六欲天中，上持戒又行四禪、四空定，生色、無色界清淨天中。

> 戒めを守る程度が低ければ人の世界に生まれ、中程度なら六欲天に生まれます。戒めをよく守り、さらに四禅と四空定を修めれば、色界・無色界の清らかな天に生まれます。

上持戒有三種：下清淨持戒得阿羅漢，中清淨持戒得辟支佛，上清淨持戒得佛道。

> 持戒には三つの段階があります。下の清らかな持戒によって阿羅漢になり、中の清らかな持戒によって辟支仏になり、上の清らかな持戒によって仏の道を得るのです。

不著、不猗，不破、不缺，聖所讚愛，如是名為上清淨持戒。

> こだわらず、たよりにせず、損なわず、欠けることなく、聖者に讃えられ愛される、これを持戒の最も清らかなあり方といいます。

若慈愍眾生故，為度眾生故，亦知戒實相故，心不猗著；如此持戒，將來令人至佛道，如是名為得無上佛道戒。

> 慈悲の心で生きとし生けるものを思いやり、すべての命を救うために、そして戒の本当の姿を理解しているがゆえに、心は何ものにもとらわれません。このように戒を守るならば、やがて人は仏の道に至ることができます。これを、無上の仏道に至る戒を得た、というのです。

若人求大善利，當堅持戒，如惜重寶，如護身命。何以故？譬如大地，一切萬物有形之類，皆依地而住；戒亦如是，戒為一切善法住處。

> もし人が大きな善き利益を求めるなら、戒をしっかりと守り、大切な宝を惜しむように、自分の命を護るように守るべきです。なぜでしょうか。たとえば大地が、すべての形あるものの拠り所であるように、戒もまたそうです。戒は、すべての善い教えの拠り所なのです。

復次，譬如無足欲行，無翅欲飛，無船欲渡，是不可得；若無戒欲得好果，亦復如是。

> また、たとえば足のない者が歩こうとし、翼のない者が飛ぼうとし、船のない者が渡ろうとしても、それはできません。戒を守らずに良い結果を得ようとするのも、同じことです。

若人棄捨此戒，雖山居苦行，食果服藥，與禽獸無異。

> もし人がこの戒を捨ててしまえば、たとえ山にこもって苦しい修行をし、木の実を食べ薬を飲んだとしても、鳥や獣と変わるところはありません。

或有人但服水為戒，或服乳，或服氣；或剃髮，或長髮，或頂上留少許髮；或著袈裟，或著白衣，或著草衣，或木皮衣；或冬入水，或夏火炙；若自墜高巖，若於恒河中洗；若日三浴，再供養火；種種祠祀，種種呪願，受行苦行。以無此戒，空無所得。

> 水だけを断食のように飲んで戒律とする人、乳だけを飲む人、息を整える修行をする人もいます。髪を剃る人、長く伸ばす人、頭のてっぺんに少しだけ髪を残す人もいます。袈裟を着る人、白衣を着る人、草で作った衣を着る人、木の皮の衣を着る人もいます。冬に水に入る人、夏に火で体を炙る人、高い岩から身を投げる人、恒河で身を洗う人もいます。一日に三度沐浴する人、繰り返し火を供養する人、さまざまな祭祀を行い、さまざまな呪願を唱え、苦行を受け行する人もいます。しかし、この戒がなければ、むなしく何も得ることはできません。

若有人雖處高堂大殿，好衣美食，而能行此戒者，得生好處及得道果。

> たとえ高い御堂や大きな建物に住み、立派な衣服と美味しい食べ物に恵まれていても、この戒を守り行うことができれば、よいところに生まれ、やがて悟りの果てを得ることができます。

若貴若賤、若小若大，能行此淨戒，皆得大利。

> 貴い人も賤しい人も、若い人も年配の人も、この清らかな戒を守ることができれば、みな大きな利益を得ることができます。

若破此戒，無貴無賤、無大無小，皆不得隨意生善處。

> この戒を破るならば、身分の貴賤や年齢の大小を問わず、誰も望むままに善い世界へ生まれることはできません。

復次，破戒之人，譬如清涼池而有毒蛇，不中澡浴；亦如好華果樹，而多逆刺。

> また、戒を破った人は、たとえば涼しい池に毒蛇がいて、その中で水浴びができないようなものです。また、花や果実のよく実る木に、逆さ向きの棘がたくさんあるようなものです。

若人雖在貴家生，身體端政，廣學多聞，而不樂持戒，無慈愍心，亦復如是。如偈說：

> たとえ尊い家に生まれ、容姿端麗で、広く学問や教養を身につけていても、戒めを守ることを喜ばず、慈しみの心を持たなければ、同じようにむなしいのです。次の詩句にもあるとおりです。

「貴而無智則為衰， 智而憍慢亦為衰，持戒之人而毀戒， 今世後世一切衰！」

> 身分が高くても知恵がなければ衰えです。 知恵があっても驕り高ぶるなら、それも衰えです。 戒を守る人が戒を破るなら、 この世でも後の世でも、すべてが衰えです。

人雖貧賤而能持戒，勝於富貴而破戒者。

> たとえ貧しく身分が低くても、戒を守る人は、裕福で身分が高くても戒を破る人よりも優れています。

華香、木香不能遠聞；持戒之香，周遍十方。

> 花の香りや木の香りは遠くまで届きませんが、戒めを守る人の香りは、すべての方向に広がります。

持戒之人，具足安樂，名聲遠聞，天、人敬愛，現世常得種種快樂。

> 戒めを守る人は、心安らかで幸せに満ち、その名声は広く響きわたり、天も人も敬い親しみ、この世でいつもさまざまな喜びを得ることができます。

若欲天上、人中、富貴、長壽，取之不難；持戒清淨，所願皆得。

> 天界や人間界で富や地位、長寿を得たいと願うなら、それを手に入れるのは難しいことではありません。戒律を清らかに守れば、願いはすべて叶います。

復次，持戒之人，見破戒人刑獄考掠，種種苦惱，自知永離此事，以為欣慶。

> また、戒を守る人は、戒を破った人が刑罰や牢獄で責めさいなまれ、さまざまな苦しみにあうのを見て、自分はそのようなことから永遠に離れていると知り、喜びとするのです。

若持戒之人，見善人得譽，名聞快樂，心自念言：如彼得譽，我亦有分。

> 戒めを守る人が、善い人が誉められ、名を聞かれ、楽しんでいるのを見て、心の中でこう思う。「あの人が誉められるなら、私にもその分がある。」

持戒之人，壽終之時，刀風解身，筋脈斷絕，自知持戒清淨，心不怖畏。

> 戒めを守る人は、命が終わるとき、体が刀の風に砕かれ、筋や脈が断ち切られるような苦しみを受けても、自分が戒めを清く守ってきたことを知っているので、心に恐れを抱くことはありません。

如偈說：

> 次のように偈で説かれています。

「大惡病中， 戒為良藥； 大恐怖中，戒為守護； 死闇冥中， 戒為明燈；於惡道中， 戒為橋樑； 死海水中，戒為大船。」

> ひどい病の中では、戒が良い薬となります。 大きな恐怖の中では、戒が守りとなります。 死の暗闇の中では、戒が明かりとなります。 悪い道の中では、戒が橋となります。 死の海の水の中では、戒が大きな船となります。

復次，持戒之人，常得今世人所敬養，心樂不悔，衣食無乏，死得生天，後得佛道。

> また、戒律を守る人は、常にこの世の人々から敬われ、心は安らかで後悔することがなく、衣食に困ることもなく、死後は天に生まれ、やがて仏の道を悟ることができます。

持戒之人，無事不得；破戒之人，一切皆失。

> 戒めを守る人には、得られないものは何もありません。戒めを破る人には、すべてが失われてしまいます。

譬如有人常供養天，其人貧窮，一心供養，滿十二歲，求索富貴。

> たとえば、ある人がいつも天の神を供養していたとします。その人は貧しく、一心に供養を続けて十二年の歳月が過ぎ、富と栄えを求めたのです。

天愍此人，自現其身而問之曰：「汝求何等？」

> 天はこの人を哀れみ、自らその姿を現して尋ねました。「あなたは何を求めているのですか。」

答言：「我求富貴，欲令心之所願，一切皆得！」

> 「私は富と名声を求めています。心に願うことがすべてかないますように！」と答えました。

天與一器，名曰德瓶，而語之言：「所須之物，從此瓶出。」其人得已，應意所欲，無所不得。得如意已，具作好舍，象馬、車乘、七寶具足，供給賓客，事事無乏。

> 天から一つの器をもらい、德瓶と呼ばれていて、こう言われました。「必要なものは何でも、この瓶から出てきますよ。」その人はそれを手に入れてから、思いのままに欲しいものが何でも手に入りました。思うままに得られるようになると、立派な家を建て、象や馬、車、七つの宝をすべてそろえ、お客をもてなし、何一つ不自由することはありませんでした。

客問之言：「汝先貧窮，今日所由得如此富？」

> ある人が尋ねました。「あなたは以前は貧しかったのに、どうして今はこんなに豊かになったのですか。」

答言：「我得天瓶，瓶能出此種種眾物，故富如是。」

> 「私は天瓶というものを手に入れました。この瓶は、あれこれの品々をいくつも出してくれるので、こんなに豊かなのです」と答えました。

客言：「出瓶見示，并所出物！」

> 客が言いました。「瓶から出して見せてください、そして出てくる物も！」

即為出瓶，瓶中引出種種眾物。其人憍泆，立瓶上舞，瓶即破壞，一切眾物亦一時滅。

> そこで、すぐに瓶から引き出し、瓶の中からさまざまなものを取り出しました。その人は驕り高ぶって、瓶の上に立って踊りました。すると瓶は壊れてしまい、すべてのものも一度に滅んでしまいました。

持戒之人，亦復如是，種種妙樂，無願不得；若人破戒，憍泆自恣，亦如彼人破瓶失物。

> 戒を守る人は、これと同じです。さまざまな素晴らしい喜びを、願えば得られないものはありません。もし戒を破り、高慢でわがままに振る舞うなら、それはちょうど、あの人が瓶を割って中身を失ったのと同じです。

復次，持戒之人，名稱之香，今世、後世周滿天上及在人中。

> また、戒めを守る人の名声の香りは、この世でも後の世でも、天上や人の間にも広く満ちわたります。

復次，持戒之人，人所樂施，不惜財物，不修世利而無所乏；得生天上、十方佛前，入三乘道而得解脫。唯種種邪見持戒，後無所得。

> また、戒を守る人は、人々から喜んで施しを受け、財物を惜しむことなく、世の利益を求めなくても乏しいことがありません。天に生まれ、十方の仏の前に至り、三つの乗りの道に入って解脱を得ることができます。ただし、さまざまな邪見をもって戒を守るならば、後に何も得ることはありません。

復次，若人雖不出家，但能修行戒法，亦得生天。

> また、たとえ出家しなくても、戒の教えを守って修行すれば、天に生まれることができます。

若人持戒清淨，行禪、智慧，欲求度脫老、病、死苦，此願必得。

> 戒めを清く守り、禅と智慧を実践し、老・病・死の苦しみから解き放たれたいと願うなら、その願いは必ず叶います。

持戒之人，雖無兵仗，眾惡不加；持戒之財，無能奪者；持戒親親，雖死不離；持戒莊嚴，勝於七寶。以是之故，當護於戒，如護身命，如愛寶物。

> 戒めを守る人には、たとえ武器がなくても、悪は近づきません。戒めを守ることで得た財産は、誰にも奪えません。戒めを守る人は、親しい人と死が分かつこともありません。戒めを守る姿は、七つの宝よりも美しいのです。ですから、自分の命を守るように、大切な宝物を愛するように、戒めを守りなさい。

破戒之人，受苦萬端，如向貧人破瓶失物，以是之故應持淨戒。

> 戒を破った人は、ありとあらゆる苦しみを受けます。それはちょうど、貧しい人の壺が割れて中身を失ってしまうようなものです。ですからこそ、清らかな戒を守るべきなのです。

復次，持戒之人，觀破戒人罪，應自勉勵，一心持戒。

> また、戒を守る人は、戒を破る人の罪を見て、自ら励まし、一心に戒を守るべきです。

云何名為破戒人罪？

> 破戒というのは、どのような罪なのでしょうか。

破戒之人，人所不敬，其家如塚，人所不到。

> 戒を破った人は人から敬われず、その家は墓のように、誰も近づきません。

破戒之人，失諸功德，譬如枯樹，人不愛樂。

> 戒を破った人は、さまざまな功徳を失ってしまう。それはちょうど、枯れた木を誰も愛でないのと同じである。

破戒之人，如霜蓮花，人不喜見。

> 戒を破った人は、霜に打たれた蓮の花のようで、誰も見たがりません。

破戒之人，惡心可畏，譬如羅剎。

> 戒を破る人の悪しき心は恐ろしいことこの上なく、まるで羅刹のようです。

破戒之人，人不歸向，譬如渴人，不向枯井。

> 戒を破った人には、誰も近づこうとしません。ちょうど、喉が渇いた人が枯れた井戸には向かわないのと同じです。

破戒之人，心常疑悔，譬如犯事之人，常畏罪至。

> 戒を破った人の心は、いつも疑いと後悔に苛まれます。ちょうど、罪を犯した人が、常に罰を受けるのではないかと恐れているようなものです。

破戒之人，如田被雹，不可依仰。

> 戒を破る人は、雹に打たれた田んぼのようなもので、頼りにすることはできません。

破戒之人，譬如苦苽，雖形似甘種而不可食。

> 戒を破った人は、まるで苦い瓜のようなものです。形は甘い瓜に似ていても、食べることはできません。

破戒之人，如賊聚落，不可依止。

> 戒を破る人は、盗賊の集まる村のようなもので、頼りにしてはなりません。

破戒之人，譬如大病，人不欲近。

> 戒を破った人は、たとえば重い病のように、誰も近づきたがらない。

破戒之人，不得免苦，譬如惡道難可得過。

> 戒を破った人は、苦しみから逃れることはできません。それはちょうど、悪道を通り抜けるのが難しいのと同じです。

破戒之人，不可共止，譬如惡賊難可親近。

> 戒を破った人とともにいてはならない。悪い盗賊のように、親しく近づくことはできないからだ。

破戒之人，譬如大坑，行者避之。

> 戒を破った人は、大きな落とし穴のようなものです。修行する人はそこを避けなさい。

破戒之人，難可共住，譬如毒蛇。

> 戒を破った人とともに暮らすことは難しいものです。まるで毒蛇のそばにいるかのようです。

破戒之人，不可近觸，譬如大火。

> 戒を破った人には近づいてはいけません。まるで大きな火のように危険だからです。

破戒之人，譬如破船，不可乘渡。

> 戒を破った人は、たとえば壊れた船のようなもので、それに乗って渡ることはできません。

破戒之人，譬如吐食，不可更噉。

> 戒を破った人は、吐いたものを再び食べることができないようなものです。

破戒之人，在好眾中，譬如惡馬在善馬群。

> 戒を破った人は、立派な人々の中にあって、善い馬の群れにいる悪い馬のようなものです。

破戒之人，與善人異，如驢在牛群。

> 戒を破った人は、善い人たちとは異なっています。ちょうど、牛の群れの中にいる驢馬のように。

破戒之人，在精進眾，譬如儜兒在健人中。

> 戒を破った人は、精進する人々の中にあって、まるで弱い子が強い人たちの中にいるようなものです。

破戒之人，雖似比丘，譬如死屍在眠人中。

> 戒を破った人は、たとえ僧侶の姿をしていても、まるで眠っている人々の中に横たわる死体のようなものです。

破戒之人，譬如偽珠在真珠中。

> 戒を破った人は、ちょうど偽物の珠が本物の真珠の中に混じっているようなものです。

破戒之人，譬如伊蘭在栴檀林。

> 戒を破った人は、たとえばイランが栴檀の林の中にあるようなものです。

破戒之人，雖形似善人，內無善法；雖復剃頭、染衣、次第捉籌，名為比丘，實非比丘。

> 戒を破った人は、たとえ外見は善人に見えても、内面に善い法がありません。たとえ頭を剃り、衣を染め、順に籌を取っても、比丘と名乗るだけで、実際には比丘ではありません。

破戒之人，若著法衣，則是熱銅鐵鍱以纏其身；若持鉢盂，則是盛洋銅器；若所噉食，則是吞燒鐵丸，飲熱洋銅；若受人供養供給，則是地獄獄鬼守之；若入精舍，則是入大地獄；若坐眾僧床榻，是為坐熱鐵床上。

> 戒を破った人が法の衣を身にまとうなら、それは熱く焼けた銅や鉄の板を体に巻きつけるようなものです。鉢を持てば、それは溶けた銅を入れた器を持つようなもの。食べ物を口にすれば、それは焼けた鉄の丸を飲み込み、熱く溶けた銅を飲むようなもの。人から供養や施しを受ければ、それは地獄の獄鬼がそばに付き添うようなもの。精舎に入れば、それは大きな地獄に入るようなもの。僧たちの床に座れば、それは焼けた鉄の床に座るようなものなのです。

復次，破戒之人，常懷怖懅，如重病人，常畏死至。亦如五逆罪人，心常自念「我為佛賊」，藏覆避隈；如賊畏人，歲月日過，常不安隱。

> 次に、戒を破った人は、いつも恐れおののいている。まるで重い病の人が、いつも死が訪れるのを恐れているかのようだ。また、五逆の罪を犯した人のように、心の中でいつも「私は仏の賊だ」と思い、隠れて人目を避ける。まるで賊が人を恐れるように、月日が過ぎても、いつも心安らかではない。

破戒之人，雖得供養利樂，是樂不淨；譬如愚人，供養莊嚴死屍，智者聞之，惡不欲見。

> 戒を破った人は、たとえ供養や利益や楽しみを得たとしても、その楽しみは清らかではありません。たとえば愚かな人が、飾り立てた死体を供養するようなもので、賢い人はそれを聞けば、嫌で見たくもないと思うのです。

如是種種無量破戒之罪，不可稱說，行者應當一心持戒。

> このように、戒を破ることには数えきれないほどの罪があり、言葉で言い尽くすことはできません。修行する者は、心を一つにして戒を守るべきです。