---
title: "大智度論 · 23 讚尸羅波羅蜜義"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zptvv0ijiib04kdcrva4d"
---

### 大智度論釋初品中讚尸羅波羅蜜義第二十三

> 大智度論釈初品における尸羅波羅蜜の讃義第二十三

問曰：

> お尋ねします。

如八正道，正語、正業在中，正見、正行在初，今何以言「戒為八正道初門」？

> 八正道では、正語と正業が中ほどにあり、正見と正行が最初にあります。それなのに、なぜ「戒は八正道の最初の門である」と言うのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

以數言之，大者為始；正見最大，是故在初。

> 数で言えば、大きいものが最初になります。正見は最も大きいので、最初に置かれています。

復次，行道故，以見為先；諸法次第，故戒在前。譬如作屋，棟梁雖大，以地為先。

> また、道を歩むには、まず正しい見方が先になります。しかし、さまざまな教えが順を追って身につくという点では、戒が先になります。たとえば家を建てるとき、棟や梁は大きくても、まず地面が先に必要なのと同じです。

上上人持戒，憐愍眾生，為佛道故；以知諸法，求實相故，不畏惡道，不求樂故——如是種種，是上上人持戒。

> すぐれた人は戒めを守り、生きとし生けるものをあわれみ、仏の道のためを思います。すべての法を知り、真実のすがたを求めるがゆえに、悪い世界を恐れず、楽しみを求めることもありません。このようなさまざまなあり方が、すぐれた人の戒めを守る姿なのです。

是四總名優婆塞戒。

> これら四つを合わせて、優婆塞戒（うばそくかい）と呼びます。

出家戒亦有四種：一者、沙彌、沙彌尼戒，二者、式叉摩那戒，三者、比丘尼戒，四者、比丘僧戒。

> 出家の戒にも四種類あります。第一は沙弥と沙弥尼の戒、第二は式叉摩那の戒、第三は比丘尼の戒、第四は比丘僧の戒です。

問曰：

> お尋ねします。

若居家戒得生天上，得菩薩道，亦得至涅槃，復何用出家戒？

> 在家の戒を守ることで天界に生まれ、菩薩の道を得て、さらには涅槃に至ることさえできるのなら、なぜ出家の戒が必要なのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

雖俱得度，然有難易。居家生業種種事務，若欲專心道法，家業則廢；若欲專修家業，道事則廢；不取不捨，乃應行法，是名為難。若出家離俗，絕諸紛亂，一向專心，行道為易。

> 悟りに至ることは誰にでもできるが、そこには易しい道と難しい道がある。在家のままだと、生活のさまざまな用事に追われる。道を一心に求めれば家の仕事がおろそかになり、家の仕事に専念すれば道を求めることがおろそかになる。どちらも手放さず、どちらにもとらわれない在り方こそが本当の修行なのだが、これが難しい道である。これに対して、出家して俗世を離れ、もろもろの乱れを断ち切って、ただひたすら心を道に向けるならば、修行は容易である。

復次，居家憒閙，多事多務，結使之根，眾惡之府，是為甚難。若出家者，譬如有人，出在空野無人之處而一其心，無思、無慮，內想既除，外事亦去。如偈說：

> 在家の生活は騒がしく、やることが多く、煩悩の根となり、悪の巣となる。だから在家でいることはとても難しい。出家した人は、たとえば誰もいない荒野に出て心を一つにし、思いもなく、悩みもなく、内なる思いが消え、外のことも去っていく。次の偈が説く通りである。

「閑坐林樹間， 寂然滅眾惡；恬澹得一心， 斯樂非天樂。人求富貴利， 名衣好床褥；斯樂非安隱， 求利無厭足。納衣行乞食， 動止心常一；自以智慧眼， 觀知諸法實。種種法門中， 皆以等觀入；解慧心寂然， 三界無能及！」

> 林の木々の間に静かに座り、 心を静めてすべての悪を滅ぼす。 穏やかで淡々と心を一つに定めれば、 この喜びは天の喜びにもまさる。 人は富や貴さ、利益を求め、 名高い衣や立派な寝床を求める。 だがその喜びは安らぎではなく、 利益を求める心は決して満ちることがない。 粗末な衣をまとい、托鉢して歩み、 立ち居振る舞いに心は常に一つ。 自ら智慧の眼をもって、 すべての法の真実を観じて知る。 さまざまな教えの門のなか、 すべて平等に観じて入る。 智慧を解して心は静かに澄み、 この境地に三界の誰も及ぶことはない。

以是故，知出家修戒，行道為易。

> ですから、出家して戒を守り、道を修行するほうが容易だと知るべきです。

復次，出家修戒，得無量善律儀，一切具足滿。以是故，白衣等應當出家受具足戒。

> 次に、出家して戒を修めると、無量の善き律儀を得て、すべてが完全に満たされます。ですから、在家の人々も出家して具足戒を受けるべきです。

復次，佛法中，出家法第一難修。如閻浮呿提梵志問舍利弗：「於佛法中何者最難？」舍利弗答曰：「出家為難！」又問：「出家有何等難？」答曰：「出家樂法為難。」「既得樂法，復何者為難？」「修諸善法難。」以是故，應出家。

> 次に、仏法においては、出家の道が最も修行しにくいものです。閻浮呿提梵志が舎利弗に問いました。「仏法において、何が最も難しいのですか。」舎利弗は答えました。「出家することが難しいのです。」また問いました。「出家にはどのような難しさがあるのですか。」答えました。「出家して法を楽しむことが難しいのです。」「すでに法を楽しむことができたなら、さらに何が難しいのですか。」「さまざまな善法を修行することが難しいのです。」このようなわけで、出家すべきなのです。

復次，若人出家時，魔王驚愁言：「此人諸結使欲薄，必得涅槃，墮僧寶數中。」

> また、人が出家するとき、魔王は驚き悲しんで言う。「この人は煩悩が薄くなり、きっと涅槃を得て、僧宝の仲間に入るだろう。」

復次，佛法中出家人，雖破戒墮罪，罪畢得解脫。

> また、仏法において出家した者は、たとえ戒を破って罪に堕ちても、罪が尽きれば解脱を得ることができます。

如《優鉢羅華比丘尼本生經》中說：「佛在世時，此比丘尼得六神通阿羅漢。入貴人舍，常讚出家法，語諸貴人婦女言：『姊妹可出家！』諸貴婦女言：『我等少壯，容色盛美，持戒為難，或當破戒！』比丘尼言：『但出家，破戒便破。』問言：『破戒當墮地獄，云何可破？』答言：『墮地獄便墮！』諸貴婦女笑之言：『地獄受罪，云何可墮？』比丘尼言：『我自憶念本宿命時作戲女，著種種衣服而說舊語，或時著比丘尼衣以為戲笑。以是因緣故，迦葉佛時作比丘尼，自恃貴姓端政，心生憍慢而破禁戒；破戒罪故，墮地獄受種種罪。受罪畢竟，值釋迦牟尼佛出家，得六神通阿羅漢道。以是故，知出家受戒，雖復破戒，以戒因緣故得阿羅漢道；若但作惡，無戒因緣，不得道也。我乃昔時世世墮地獄，地獄出為惡人，惡人死還入地獄，都無所得。今以此證知出家受戒，雖復破戒，以是因緣，可得道果。』」

> 『優鉢羅華比丘尼本生経』には、こう説かれています。 「仏がこの世におられたころ、この比丘尼は六神通を得た阿羅漢となっていました。身分の高い人の家に入っては、いつも出家の功徳を讃え、貴族の婦人たちにこう言いました。『姉妹たちよ、出家なさいませんか。』 婦人たちは言いました。『私たちはまだ若く、容色も美しい盛りです。戒を守るのは難しく、きっと戒を破ってしまうでしょう。』 比丘尼は言いました。『とにかく出家しなさい。戒を破るなら破ってもよいのです。』 婦人たちが問いました。『戒を破れば地獄に堕ちるのに、どうして破ってもよいのですか。』 比丘尼は答えました。『地獄に堕ちるなら堕ちればよいのです。』 婦人たちは笑って言いました。『地獄の苦しみを受けるのに、どうして堕ちてよいのですか。』 比丘尼は言いました。『私は自分の過去世を思い出すのです。かつて芸人として、さまざまな衣装を着て古い物語を語り、あるときは比丘尼の衣を着けて笑い物にしました。その因縁によって、迦葉仏の時代に比丘尼となりましたが、自分の家柄の高さと容姿の端麗を恃み、心に慢心を起こして戒を破りました。戒を破った罪のゆえに地獄に堕ち、さまざまな苦しみを受けました。苦しみを受け終えて、釈迦牟尼仏に出遇って出家し、六神通と阿羅漢の道を得たのです。 ですから、出家して戒を受ければ、たとえ戒を破っても、戒という因縁によって阿羅漢の道を得ることができるのです。もしただ悪を行うだけで、戒という因縁がなければ、道を得ることはできません。私はかつて世々に地獄に堕ち、地獄から出ては悪人となり、悪人が死んではまた地獄に戻る、ということを繰り返し、何も得るところがありませんでした。今、このことによって、出家して戒を受ければ、たとえ戒を破っても、その因縁によって道果を得ることができると知ったのです。』」

復次，如佛在祇洹，有一醉婆羅門來到佛所，求作比丘。佛勅阿難與剃頭，著法衣。醉酒既醒，驚怪己身忽為比丘，即便走去。諸比丘問佛：「何以聽此醉婆羅門作比丘？」佛言：「此婆羅門無量劫中初無出家心，今因醉故暫發微心，以是因緣故，後當出家得道。」

> また、仏が祇洹におられたときのことです。一人の酔った婆羅門が仏のもとにやって来て、比丘になりたいと願いました。仏は阿難に命じて頭を剃らせ、法衣を着せました。やがて酔いが覚めると、自分が突然比丘になっていることに驚き怪しんで、そのまま立ち去ってしまいました。比丘たちが仏に尋ねました。「なぜあの酔った婆羅門を比丘にすることをお許しになったのですか。」仏はおっしゃいました。「この婆羅門は無量劫の間、かつて出家しようという心を一度も起こしたことがなかった。今、酔いのゆえにわずかながら心を起こした。その因縁によって、後に必ず出家して道を得るであろう。」

如是種種因緣，出家之利，功德無量。以是故，白衣雖有五戒，不如出家。

> このようなさまざまな理由から、出家することの利益は計り知れない功徳があります。ですから、在家の者が五戒を守っていても、出家するには及びません。

是出家律儀有四種：沙彌、沙彌尼、式叉摩那、比丘尼、比丘。

> 出家の戒律には四つの段階があります。沙弥、沙弥尼、式叉摩那、比丘尼、比丘です。

云何沙彌、沙彌尼出家受戒法？白衣來欲求出家，應求二師：一和上，一阿闍梨。和上如父，阿闍梨如母；以棄本生父母，當求出家父母。著袈裟，剃除鬚髮，應兩手捉和上兩足。何以捉足？天竺法以捉足為第一恭敬供養。阿闍梨應教十戒，如受戒法。

> 沙弥・沙弥尼が出家して戒を受ける方法とはどのようなものでしょうか。在家の人が出家を求めて来たなら、二人の師を求めなければなりません。一人は和尚であり、一人は阿闍梨です。和尚は父のように、阿闍梨は母のようなものです。生みの親である父母を捨てたのですから、出家の父母を求めるべきです。袈裟を着け、髪と髭を剃り、両手で和尚の両足を掴みます。なぜ足を掴むのでしょうか。インドの作法では、足を掴むことを最も高い恭敬と供養とするからです。阿闍梨は十戒を教えるべきです。戒を受ける作法と同じようにします。

沙彌尼亦如是，唯以比丘尼為和上。

> 沙弥尼も同じで、ただ比丘尼を和上とします。

式叉摩那受六法二歲。

> 式叉摩那は六法を二年間受持します。

問曰：

> お尋ねします。

沙彌十戒，便受具足戒；比丘尼法中，何以有式叉摩那，然後得受具足戒？

> 沙弥が十戒を守ったら、すぐに具足戒を受けられるのに、なぜ比丘尼の法では、式叉摩那を経てからでないと具足戒を受けられないのですか。

答曰：

> お答えしますと、

佛在世時，有一長者婦，不覺懷妊，出家受具足戒；其後身大轉現，諸長者譏嫌比丘。因此制有二歲學戒，受六法，然後受具足戒。

> ブッダが在世のころ、ある長者の妻が、妊娠していることに気づかないまま出家して具足戒を受けました。その後、お腹が大きくなっていくのを見て、長者たちは比丘たちを非難しました。そこで、二歳の学戒を学び、六法を守ってから、具足戒を受けるという規定が定められました。

問曰：

> お尋ねします。

若為譏嫌，式叉摩那豈不致譏？

> もし尼を非難するなら、式叉摩那はかえって非難されることにならないでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

式叉摩那未受具足戒，譬如小兒、亦如給使，雖有罪穢，人不譏嫌。

> 式叉摩那はまだ具足戒を受けていないので、子どものようなものであり、また召使いのようなものである。たとえ罪や穢れがあっても、人はそれを咎めたり嫌ったりしない。

是名式叉摩那受六法。

> これは式叉摩那が六法を受けることです。

是式叉摩那有二種：一者、十八歲童女受六法；二者、夫家十歲得受六法。

> 式叉摩那には二つの種類があります。一つは、十八歳の童女が六法を受ける場合です。もう一つは、夫の家で十歳になって六法を受ける場合です。

若欲受具足戒，應二部僧中，用五衣、鉢盂，比丘尼為和上及教師，比丘為戒師，餘如受戒法。

> 具足戒を受けたいと思うなら、比丘と比丘尼の両方の僧団の中で受けるべきです。五衣と鉢盂を用い、比丘尼を和上と教師とし、比丘を戒師とします。その他の手順は受戒の作法と同じです。

略說則五百戒，廣說則八萬戒。第三羯磨訖，即得無量律儀，成就比丘尼。

> 簡単に説けば五百の戒、詳しく説けば八万の戒となります。三番目の羯磨が終わると、ただちに無量の律儀を得て、比丘尼となることが成就します。

比丘則有三衣、鉢盂，三師十僧，如受戒法。略說二百五十，廣說則八萬。第三羯磨訖，即得無量律儀法。

> 比丘には三衣と鉢盂があり、三師と十人の僧がいて、戒を受ける作法のとおりです。簡単に説けば二百五十戒、詳しく説けば八万戒となります。第三の羯磨が終わると、ただちに無量の律儀の法を得ます。

是總名為戒，是為尸羅。

> これらを総称して戒といい、尸羅（しら）といいます。

## 大智度論卷第十三

> 大智度論 第十三巻