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title: "大智度論 · 26 毘梨耶波羅蜜義"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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### 大智度論釋初品中毘梨耶波羅蜜義第二十六

> 大智度論釈初品中毘梨耶波羅蜜の義 第二十六

【經】

> お経

「身心精進不懈息故，應具足毘梨耶波羅蜜。」

> 心と体を精進させて怠けることなく、絶えず努力し続けるべきです。それが精進波羅蜜を完成させる道なのです。

【論】

> 【論】 論とは、心を

毘梨耶秦言精進。

> 精進（努力を続けること）です。

問曰：

> お尋ねします。

如精進是一切善法本，應最在初，今何以故第四？

> 精進がすべての善い法の根本であるなら、最初に来るべきなのに、なぜ今回は第四なのですか。

答曰：

> お答えしますと、

布施、持戒、忍辱，世間常有。如客主之義，法應供給，乃至畜生亦知布施；或有人種種因緣故能布施，若為今世、若為後世、若為道故布施，不須精進。

> 布施、持戒、忍辱は、世の中に常にあるものです。たとえば客人と主人の関係のように、互いに支え合うのは自然な道理で、畜生でさえ布施の心を知っています。ある人はさまざまな理由から布施をすることができますが、それが現世のためであれ、来世のためであれ、あるいは悟りの道のためであれ、そこに精進は必要ありません。

如持戒者，見為惡之人，王法治罪，便自畏懼，不敢為非；或有性善，不作諸惡；有人聞今世作惡，後世受罪，而以怖畏，故能持戒；有人聞持戒因緣故，得離生、老、病、死，是中心生、口言：「我從今日，不復殺生。」如是等即是戒，豈須精進波羅蜜而能行耶？

> 戒を守る人の中には、悪を行う者が王の法によって罰せられるのを見て、自ら恐れを抱き、悪を行おうとしない者がいます。また、生まれつき心が善く、もろもろの悪を行わない者もいます。また、現世で悪を行えば後世に罪を受けると聞いて、恐れのゆえに戒を守れる者もいます。また、戒を守る功徳によって、生・老・病・死から離れられると聞いて、心に思い、口に「私は今日から、もう生き物を殺さない」と言う者もいます。このようなものがすなわち戒なのです。どうして精進波羅蜜によってでなければ行えないことがありましょうか。

如忍辱中，若罵、若打、若殺，或畏故不報，或少力、或畏罪、或修善人法、或為求道故，默然不報，皆不必須精進波羅蜜乃能忍也。

> 例えば忍辱において、罵られたり、打たれたり、殺されそうになったりしても、恐れのゆえに仕返しをしない場合、あるいは力が足りないため、あるいは罪を恐れるため、あるいは善人としての法を修めるため、あるいは道を求めるがゆえに、黙って仕返しをしないという場合、これらはすべて必ずしも精進波羅蜜によって初めて耐え忍べるものではありません。

今欲得知諸法實相，行般若波羅蜜故，修行禪定；禪定是實智慧之門，是中應懃修精進，一心行禪。

> 今、諸法の実相を知ろうと思うなら、般若波羅蜜を行うがゆえに、禅定を修行します。禅定は真実の智慧への門であり、そこにおいては怠らず精進し、一心に禅を行じるべきです。

復次，布施、持戒、忍辱，是大福德，安隱快樂，有好名譽，所欲者得；既得知此福利之味，今欲增進，更得妙勝禪定、智慧。譬如穿井已見濕泥，轉加增進必望得水；又如鑽火，已得見煙，倍復力勵，必望得火。

> また、布施・持戒・忍辱は大きな功徳であり、心安らかで幸せに暮らせ、よい評判を得て、望むものが手に入ります。こうした利益のありがたさを知ったうえで、さらに進んで、すぐれた禅定と智慧を得ようとします。たとえば井戸を掘って湿った土が見えたなら、さらに掘り進めれば必ず水にたどり着けると期待できるようなものです。また火をおこすとき煙が見えたなら、いっそう力を尽くせば必ず火が得られると期待できるようなものです。

欲成佛道，凡有二門：一者、福德，二者、智慧。行施、戒、忍是為福德門；知一切諸法實相，摩訶般若波羅蜜，是為智慧門。菩薩入福德門，除一切罪，所願皆得；若不得願者，以罪垢遮故。入智慧門，則不厭生死、不樂涅槃，二事一故。今欲出生摩訶般若波羅蜜，般若波羅蜜要因禪定門，禪定門必須大精進力。何以故？散亂心不能得見諸法實相。譬如風中然燈，不能照物；燈在密屋，明必能照。

> 仏道を成し遂げるには、大きく二つの門があります。一つは福德の門、もう一つは智慧の門です。布施・戒・忍辱を行うのが福德の門であり、すべての法の真実の姿を知る摩訶般若波羅蜜が智慧の門です。菩薩が福德の門に入れば、すべての罪が除かれ、願うものはすべて得られます。もし願いが得られないなら、それは罪の汚れに遮られているからです。智慧の門に入れば、生死を厭わず、涅槃を楽しみともしません。この二つは一つだからです。さて、摩訶般若波羅蜜を生み出そうとするなら、般若波羅蜜は禅定の門をよりどころとし、禅定の門には必ず大きな精進の力が必要です。なぜでしょうか。散乱した心では、諸法の真実の姿を見ることができないからです。たとえば風の中に灯をともしても、物を照らすことはできません。灯が密閉された部屋にあれば、その明かりは必ず照らすことができるのです。

是禪定、智慧，不可以福願求，亦非麁觀能得，要須身、心精懃，急著不懈，爾乃成辦。如佛所說：血、肉、脂、髓皆使竭盡，但令皮、骨、筋在，不捨精進。如是乃能得禪定、智慧，得是二事，則眾事皆辦。

> 禅定と智慧は、福を願って求めるものではなく、また浅い観察で得られるものでもありません。身も心も精一杯努め、怠ることなく励み続けてこそ、成し遂げられるのです。仏が説かれたように、血も肉も脂も髄もすべて尽き果て、ただ皮と骨と筋だけになっても、精進を捨ててはなりません。こうしてこそ禅定と智慧を得ることができ、この二つを得れば、すべてのことは成し遂げられるのです。

以是故，精進第四，名為禪定、實智慧之根。上三中雖有精進，少故不說。

> ですから、精進は第四として、禅定と真実の智慧の根と呼ばれます。以上三つの中にも精進はありますが、少ないため説かれていません。

問曰：

> お尋ねします。

有人言：但行布施、持戒、忍辱故，得大福德；福德力故，所願皆得，禪定、智慧自然而至，復何用精進波羅蜜為？

> 「ただ布施や持戒や忍辱を行えば、大きな福徳が得られる。その福徳の力によって、願うことはすべて叶い、禅定や智慧も自然にやってくる。それなのに、なぜ精進波羅蜜が必要なのか」と言う人がいます。

答曰：

> お答えしますと、

佛道甚深難得，雖有布施、持戒、忍辱力，要須精進，得甚深禪定、實智慧及無量諸佛法。若不行精進，則不生禪定；禪定不生，則不得生梵天王處，何況欲求佛道？

> 仏道はとても深く、得ることは難しい。布施や持戒や忍辱の力があっても、精進しなければ、深い禅定や真実の智慧、そして無量の仏法を得ることはできない。もし精進しなければ、禅定は生まれない。禅定が生まれなければ、梵天王の世界にさえ生まれることはできない。ましてや仏道を求めることができようか。

復次，有人如民大居士等，欲得無量寶物，則應意皆得。如頂生王王四天下，天雨七寶及所須之物，釋提婆那民分座與坐；雖有是福，然不能得道。

> また、民（みん）の大居士（だいこじ）のような人が、無量の宝物を得たいと願えば、思いのままにすべてを得ることができます。頂生王（ちょうしょうおう）が四天下を治め、天から七宝や必要なものが降り、帝釈天（たいしゃくてん）が自分の座の半分を分けて座らせたほどでした。しかし、そのような福徳があっても、道を得ることはできませんでした。

如羅頻珠比丘，雖得阿羅漢道，乞食七日不得，空鉢而還；後以禪定火自燒其身而般涅槃。

> 羅頻珠という比丘は、すでに阿羅漢の悟りを得ていたにもかかわらず、七日間托鉢をしても食べ物を得られず、空の鉢のまま戻ってきました。その後、禅定の火で自らの身を焼いて涅槃に入ったのです。

以是故知，非但福德力故得道；欲成佛道，要須懃大精進。

> ですから、福徳の力だけによって道を得るのではありません。仏道を成し遂げるには、ひたすら大きな精進を重ねることが必要なのです。

問曰：

> お尋ねします。

菩薩觀精進，有何利益而懃修不懈？

> 菩薩が精進を重んじるのは、どのような利益があるから、怠らずに励み続けるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

一切今世、後世道德利益，皆由精進得。

> すべての現世と来世の道德的な利益は、精進によって得られます。

復次，若人欲自度身，尚當懃急精進，何況菩薩誓願欲度一切！如讚精進偈中說：

> また、自分自身を救おうとする人でさえ、なお一心に励み精進すべきである。ましてや、すべての生きとし生けるものを救おうと誓願を立てた菩薩においては、なおさらである。精進を讃える偈に次のように説かれている。

「有人不惜身， 智慧心決定，如法行精進， 所求事無難！如農夫懃修， 所收必豐實；亦如涉遠路， 懃則必能達。若得生天上， 及得涅槃樂，如是之因緣， 皆由精進力。非天非無因， 自作故自得，誰有智慧人， 而不自勉勵？三界火熾然， 譬如大炎火，有智決斷人， 乃能得免離！以是故佛告： 阿難正精進，如是不懈怠， 直至於佛道。勉強而懃修， 穿地能通泉；精進亦如是， 無求而不得。能如行道法， 精進不懈者，無量果必得， 此報終不失！」

> 体を惜しまず、智慧の心で決意し、 法のままに精進するなら、求めることは難しくない。 農夫が勤め励めば、収穫は必ず豊かであるように、 遠い道を行くにも、励めば必ずたどり着ける。 天に生まれることも、涅槃の楽しみを得ることも、 そのような原因は、すべて精進の力による。 天から与えられるのでもなく、原因がないのでもない。 自ら行うから自ら得るのだ。 智慧ある者なら、誰が自ら励まないだろうか。 三界は火が燃え盛り、大きな炎のようである。 智慧ある決断の人は、はじめてそこから逃れられる。 だからこそ仏は告げられた。 阿難よ、正しく精進せよ。 このように怠らずに、ついには仏の道に至るのだ。 努力して勤め励めば、地を掘りぬいて泉に通じる。 精進も同じである。求めれば得られないものはない。 道の法を行うように、精進して怠らない者は、 無量の果を得る。この報いは決して失われない。

復次，精進法是一切諸善法之根本，能出生一切諸道法，乃至阿耨多羅三藐三菩提，何況於小利！如毘尼中說：「一切諸善法，乃至阿耨多羅三藐三菩提，皆從精進不放逸生。」

> また、精進という法は、すべての善い法の根本であり、すべての道の法を生み出し、さらには阿耨多羅三藐三菩提にまで至らせます。ましてや小さな利益においてはなおさらです。毘尼の中で説かれているように、「すべての善い法は、阿耨多羅三藐三菩提に至るまで、みな精進と不放逸から生じる」のです。

復次，精進能動發先世福德，如雨潤種，能令必生；此亦如是，雖有先世福德因緣，若無精進則不能生；乃至今世利尚不能得，何況佛道！

> さらに、精進は前世の福德を呼び覚まして動かすことができます。ちょうど雨が種を潤して必ず芽を出させるようなものです。これも同じで、たとえ前世の福德という因縁があっても、精進がなければ芽を出すことはできません。ましてや今生のちょっとした利益さえ得られないのですから、ましてや仏の道など得られるはずがありません。

復次，諸大菩薩荷負眾生，受一切苦，乃至阿鼻泥犁中苦，心亦不懈，是為精進。

> 次に、大きな菩薩たちは、すべての生きとし生けるものを支え、あらゆる苦しみを受けとめます。たとえそれが、最も深い地獄である阿鼻地獄の苦しみであっても、その心が怠ることはありません。これこそが精進なのです。

復次，一切眾事，若無精進，則不能成。譬如下藥，以巴豆為主；若除巴豆，則無下力。如是意止、神足、根、力、覺、道，必待精進；若無精進，則眾事不辦。如戒唯在八道，不在餘處；信在根、力，餘處則無。如精進者，無處不有，既總眾法而別自有門。譬如無明使，遍在一切諸使中，而別有不共無明。

> 次に、あらゆる修行は、精進がなければ成し遂げられません。たとえば下剤を調合するとき、巴豆を主薬とします。もし巴豆を除けば、下剤の効き目はなくなります。同じように、意止・神足・根・力・覚・道といった修行も、必ず精進に支えられています。精進がなければ、どの修行も完成しません。戒が八正道だけにあって他の場所にないのに対し、信が根と力にあって他の場所にはないのと同じです。しかし精進は、どこにでもあるものです。あらゆる修行法をまとめながら、なお独自の入口を持っています。たとえば無明の煩悩が、すべての煩悩の中に遍在しながら、別に「不共無明」として独自に存在するようなものです。

問曰：

> お尋ねします。

菩薩欲得一切佛法，欲度一切眾生，欲滅一切煩惱，皆得如意，云何增益精進而能得佛？譬如小火不能燒大林，火勢增益，能燒一切。

> 菩薩がすべての仏法を得たいと願い、すべての衆生を救いたいと願い、すべての煩悩を滅したいと願い、そのすべてが思い通りになるためには、どうすれば精進を増し加えて仏になれるのでしょうか。たとえば、小さな火は大きな林を焼くことはできませんが、火の勢いが増せば、すべてを焼き尽くすことができるのです。

答曰：

> お答えしますと、

菩薩從初發心，作誓願：「當令一切眾生得歡樂，常為一切，不自惜身；若惜身者，於諸善法不能成辦。」以是故增益精進。

> 菩薩は初めて心を発してから、誓願を立てます。「すべての衆生に喜びを与えよう。常にすべてのもののために、自分の身を惜しんではならない。もし身を惜しむなら、もろもろの善法を成し遂げることはできない。」だからこそ、いっそう精進するのです。

復次，菩薩種種因緣，呵懈怠心，令樂著精進。懈怠黑雲，覆諸明慧，吞滅功德，增長不善。懈怠之人，初雖小樂，後則大苦；譬如毒食，初雖香美，久則殺人。懈怠之心，燒諸功德，譬如大火燒諸林野。懈怠之人失諸功德，譬如被賊，無復遺餘。如偈說：

> 次に、菩薩はさまざまな理由から、怠け心を叱って、精進を喜び実践するように導きます。怠け心は黒い雲のように、すべての明るい智慧を覆い隠し、功德を飲み込み滅ぼし、不善を増大させます。怠ける人は、最初は少しの楽しみがあっても、後には大きな苦しみを受けます。それはちょうど毒の入った食べ物のように、最初は香りよく美味しくても、やがて人を殺してしまいます。怠け心は、大火が林野を焼き尽くすように、あらゆる功德を焼き払います。怠ける人は、賊に襲われて何も残らないように、すべての功德を失ってしまいます。次の偈に説かれるとおりです。

「應得而不得， 已得而復失，既自輕其身， 眾人亦不敬。常處大闇中， 無有諸威德，尊貴智慧法， 此事永以失。聞諸妙道法， 不能以益身，如是之過失， 皆由懈怠心。雖聞增益法， 不能得上及，如是之過罪， 皆由懈怠心。生業不修理， 不入於道法，如是之過失， 皆由懈怠心。上智所棄遠， 中人時復近，下愚為之沒， 如猪樂在溷。若為世中人， 三事皆廢失：欲樂及財利， 福德亦復沒。若為出家人， 則不得二事：生天及涅槃， 名譽二俱失。如是諸廢失， 欲知其所由，一切諸賊中， 無過懈怠賊！以是眾罪故， 懶心不應作，馬井二比丘， 懈怠墜惡道；雖見佛聞法， 猶亦不自免！」

> 得られるはずなのに得られず、 すでに得たものさえも失い、 みずから其身を軽んじれば、 人々もまた敬わない。 常に大きな闇の中にあり、 威厳も徳もなく、 尊く貴い智慧の法を、 永遠に失ってしまう。 すばらしい道の教えを聞いても、 身を益することができない。 このような過ちは、 すべて怠ける心から生じる。 ためになる法を聞いても、 向上することができない。 このような罪過は、 すべて怠ける心から生じる。 生業を修め整えず、 道の法に入ることもない。 このような過ちは、 すべて怠ける心から生じる。 すぐれた智者は遠ざけ、 中くらいの人はときに近づき、 愚かな者はこれに沈む。 豚が汚れた所を楽しむように。 世間の人であれば、 三つのものすべてを失う。 欲の楽しみと財の利、 福徳もまた滅びる。 出家した者であれば、 二つのものを得られない。 天に生まれることと涅槃、 名誉もどちらも失う。 このようなすべての損失は、 その原因を知りたいならば、 一切の賊の中で、 怠けの賊に勝るものはない。 この多くの罪のゆえに、 懶惰の心を起こしてはならない。 馬と井の二人の比丘は、 怠けによって悪道に堕ちた。 仏を見て法を聞いても、 なお自ら免れることはできない。

如是等種種觀懈怠之罪，精進增長。

> このように、さまざまな形で怠けの罪を見つめることで、精進が育っていきます。

復次，觀精進之益，今世、後世、佛道、涅槃之利，皆由精進。

> 次に、精進の利益を観察するに、現世・来世・仏道・涅槃の利益は、みな精進によるものです。

復次，菩薩知一切諸法皆空無所有，而不證涅槃；憐愍眾生，集諸善法，是精進波羅蜜力。

> 次に、菩薩は一切の諸法が皆、空であり何も実体がないことを知りながらも、涅槃に入ることはありません。衆生をあわれみ、さまざまな善い行いを積み重ねる、これが精進波羅蜜の力です。

復次，菩薩一人獨無等侶，以精進福德力故，能破魔軍及結使賊，得成佛道。既得佛道，於一切諸法，一相無相，其實皆空；而為眾生說諸法種種名字，種種方便，度脫眾生老病死苦。將滅度時，以法身與彌勒菩薩摩訶薩、迦葉、阿難等；然後入金剛三昧，自碎身骨令如芥子，以度眾生而不捨精進力。

> また、菩薩はただ一人で仲間もなく、精進と福德の力によって、魔の軍勢や煩悩の賊を打ち破り、仏の道を成し遂げます。仏の道を成し遂げた後は、すべての法について、一つの相もなく、実はすべて空であると知りながら、それでも衆生のためにさまざまな名前やさまざまな方便を用いて説き、衆生を老・病・死の苦しみから救い出します。まもなく涅槃に入ろうとするとき、法身を弥勒菩薩摩訶薩、迦葉、阿難たちに託し、その後、金剛三昧に入り、自らの身体と骨を砕いて芥子粒のようにして、衆生を救いながらも精進の力を捨てることはありません。

復次，如阿難為諸比丘說七覺意，至精進覺意，佛問阿難：「汝說精進覺意耶？」阿難言：「說精進覺意。」如是三問、三答。佛即從坐起，告阿難：「人能愛樂修行精進，無事不得；得至佛道，終不虛也。」

> 次に、阿難が比丘たちのために七覚意を説き、精進覚意に至ったとき、仏は阿難に問われた。「あなたは精進覚意を説いたのか」。阿難は言った。「精進覚意を説きました」。このように三度問い、三度答えられた。仏はすぐに座から立ち上がり、阿難に告げられた。「人が喜んで修行し精進することを好むならば、成し遂げられないことはない。仏の道に至るまで、決して無駄にはならないのである」。

如是種種因緣，觀精進利而得增益。

> このようにさまざまな縁によって、精進の利益を観じ、さらに功徳を増し加えることができるのです。

如是精進，佛有時說為欲，或時說精進，有時說不放逸。譬如人欲遠行，初欲去時，是名為欲；發行不住，是為精進；能自勸勵，不令行事稽留，是為不放逸。以是故，知欲生精進，精進生故不放逸，不放逸故能生諸法，乃至得成佛道。

> このように精進について、仏はあるときは「欲」と言い、あるときは「精進」と言い、またあるときは「不放逸」と言われます。たとえば、人が遠くへ旅立とうとするとき、まず行きたいと思う心が起こります。これが「欲」です。そして実際に歩みを進めて止まらないのが「精進」です。さらに自分を励まし、行いを滞らせないようにするのが「不放逸」です。ですから、欲から精進が生まれ、精進が生じることで不放逸が生まれ、不放逸によってさまざまな教えの実践が生まれ、ついには仏の道を成し遂げるに至るのです。

復次，菩薩欲脫生、老、病、死，亦欲度脫眾生，常應精進一心不放逸。如人擎油鉢行大眾中，現前一心不放逸故，大得名利。又如偏閣嶮道，若懸繩，若乘山羊；此諸惡道，以一心不放逸故，身得安隱，今世大得名利。求道精進，亦復如是；若一心不放逸，所願皆得。

> 次に、菩薩が生・老・病・死から逃れたいと願い、また衆生をも救い解き放ちたいと願うなら、常に精進し、一心に怠ることなく努めるべきです。たとえば、人が油の鉢を捧げて大勢の人の中を歩くとき、目の前に集中して気を緩めないからこそ、大きな名誉と利益を得ることができます。また、険しい崖の道を、綱にぶら下がったり、山羊に乗ったりして進むような場合も、一心に気を緩めないからこそ、身の安全が保たれ、この世で大きな名誉と利益を得ることができます。道を求める精進も、これと同じです。一心に怠ることなく努めれば、願うことはすべて成就します。

復次，譬如水流，能決大石；不放逸心，亦復如是。專修方便，常行不廢，能破煩惱諸結使山。

> また、たとえば川の流れが大きな石を押し流すように、心を緩めず努力する心も同じです。絶えず修行に励み、怠ることなく続けるならば、煩悩という結ばれた山を打ち破ることができます。

復次，菩薩有三種思惟：「若我不作，不得果報；若我不自作，不從他來；若我作者，終不失。」如是思惟，當必精進，為佛道故，懃修專精而不放逸。如一小阿蘭若，獨在林中坐禪而生懈怠。林中有神是佛弟子，入一死屍骨中，歌儛而來，說此偈言：

> 次に、菩薩には三つの思いがあります。「もし私が行わなければ、果報は得られない。もし私が自ら行わなければ、他人から来ることはない。もし私が行えば、決して失われることはない。」このように思い、必ず精進し、仏道のために怠ることなく専心に修行に励むべきです。ちょうど一人の若い修行者が、森の中で独り坐禅をしながら怠け心を起こしていました。その森には仏の弟子である神がいて、一つの死体の骨の中に入り、歌い踊りながらやって来て、この偈を唱えました。

「林中小比丘， 何以生懈廢？晝來若不畏， 夜復如是來！」

> 林の中の若い修行者よ、 どうして怠けてしまうのか。 昼も恐れないのなら、 夜も同じようにやって来るのだ。

是比丘驚怖起坐，內自思惟，中夜復睡。是神復現十頭，口中出火，牙爪如劍，眼赤如炎，顧語將從：「捉此懈怠比丘！此處不應懈怠，何以故爾？」是比丘大怖，即起思惟，專精念法，得阿羅漢道。是名自強精進不放逸力，能得道果。

> その比丘は驚いて飛び起き、心の中で思い巡らしたが、真夜中になるとまた眠ってしまった。すると神が再び現れ、十の頭で、口から火を吹き出し、牙や爪は剣のようで、眼は炎のように赤く、従者たちにこう命じた。「この懈怠の比丘をつかまえよ！ここで懈怠を許してはならぬ。なぜそうするのか。」比丘はたいそう恐れ、すぐに起きて法を一心に念じ、専心に精進して阿羅漢の道を得た。これがすなわち、自ら努め励んで精進し、放逸に流されない力であり、道果を得ることができるのである。

復次，是精進不自惜身而惜果報，於身四儀：坐、臥、行、住常懃精進，寧自失身，不廢道業。譬如失火，以瓶水投之，唯存滅火而不惜瓶。

> 次に、精進とは、自分の身を惜しまず、むしろその果報を惜しむことです。身の四つの威儀、すなわち坐・臥・行・住において、常に勤め励んで精進し、たとえ自ら身を失うことがあっても、道の修行を怠りません。たとえば火事が起きたとき、瓶の水を注ぎかけて、ただ火を消すことだけを願い、瓶を惜しまないようなものです。

如仙人師教弟子說偈言：

> 仙人が弟子を教えるときに、こういう偈を説いた。

「決定心悅豫， 如獲大果報，如願事得時， 乃知此最妙！」

> 決意が心にかなって喜ばしいのは、 まるで大きな果報を得たかのよう。 願いごとがちょうど叶った時に、 これこそが最もすばらしいと知るのです。

如是種種因緣，觀精進之利，能令精進增益。

> このようなさまざまな理由から、精進の利益を観察すると、精進をさらに深めることができます。

復次，菩薩修諸苦行，若有人來求索頭、目、髓、腦，盡能與之，而自念言：「我有忍辱、精進、智慧、方便之力，受之尚苦，何況愚騃三塗眾生？我當為此眾生故，懃修精進，早成佛道而度脫之。」

> 次に、菩薩はさまざまな苦行を修めます。もし人が来て頭や目、髄や脳を求めたなら、すべて与えることができ、そしてこう心に思います。「私には忍辱・精進・智慧・方便の力がある。それでもこれを受けるのは苦しい。ましてや愚かな三塗の衆生はどうであろうか。私はこれらの衆生のために、勤めて精進を修め、早く仏道を成し遂げて彼らを救い解き放とう。」

## 大智度論卷第十五

> 大智度論 第十五巻