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title: "大智度論 · 27 毘梨耶波羅蜜義"
description: "大智度论由古印度龙树菩萨所造，后秦时期著名译经家鸠摩罗什翻译成中文。该论是佛教重要典籍，属于大乘中观学派的核心论著，主要阐释《大品般若经》的深奥义理。全书共一百卷，系统论述了般若空性思想、菩萨修行次第以及六度万行的实践方法，被誉为大乘佛教的百科全书。作为早期大乘佛教的代表性论典，大智度论对汉传佛教思想体系的形成影响深远，尤其为天台宗、华严宗等宗派提供了重要理论依据，在佛教哲学史上占据崇高地位。"
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## 大智度論釋初品中毘梨耶波羅蜜義第二十七卷第十六

> 大智度論釈初品中毘梨耶波羅蜜義第二十七

龍樹菩薩造

> 龍樹菩薩による

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什奉　詔譯

> 後秦の亀茲国三蔵、鳩摩羅什（クマーラジーヴァ）が詔によりて訳す

問曰：

> お尋ねします。

云何名精進相？

> 精進とはどのようなものか、その姿をどう言うのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

於事必能，起發無難，志意堅強，心無疲惓，所作究竟，以此五事為精進相。

> 物事を必ず成し遂げることができ、取り組み始めるのに困難がなく、意志が強く、心が疲れることがなく、行ったことが最後まで成就する。この五つのことを精進の特徴とする。

復次，如佛所說：「精進相者，身、心不息故。」譬如釋迦牟尼佛，先世曾作賈客主，將諸賈人入嶮難處；是中有羅剎鬼，以手遮之言：「汝住莫動，不聽汝去！」賈客主即以右拳擊之，拳即著鬼，挽不可離；復以左拳擊之，亦不可離；以右足蹴之，足復粘著；復以左足蹴之，亦復如是；以頭衝之，頭即復著。鬼問言：「汝今如是，欲作何等？心休息未？」答言：「雖復五事被繫，我心終不為汝息也。當以精進力與汝相擊，要不懈退！」鬼時歡喜，心念此人膽力極大，即語人言：「汝精進力大，必不休息，放汝令去！」行者如是，於善法中，初夜、中夜、後夜，誦經、坐禪，求諸法實相，不為諸結使所覆，身心不懈，是名精進相。

> 次に、仏が説かれたように、「精進の相とは、身と心が休まないことである」。たとえば釈迦牟尼仏は、前世で商人の頭領となり、商人たちを連れて険しい難所に入った。そこに羅刹鬼がいて、手で遮りながら言った。「お前は止まれ、動くな。行かせるわけにはいかない！」商人の頭領はすぐに右の拳で殴りかかったが、拳は鬼に貼りついて離れなくなった。さらに左の拳で殴ったが、これも離れない。右足で蹴ると、足もまた粘りついた。さらに左足で蹴っても、同じことであった。頭で突くと、頭もまた貼りついた。鬼が問いかけた。「お前は今こうなっているが、何をしようというのか。心は休まったか？」答えて言った。「たとえ五つのものが縛られていても、私の心は決してお前のために休まることはない。精進の力でお前と戦い、決して怠けて退かない！」鬼はその時喜び、この人は胆力がきわめて大きいと思い、すぐに言った。「お前の精進の力は大きい。必ず休まないだろう。お前を放して行かせてやろう！」修行者もこのように、善法において、初夜・中夜・後夜に、経を誦し、坐禅し、諸法の実相を求め、諸の結使に覆われることなく、身も心も怠らない。これを精進の相と名づける。

是精進名心數法，懃行不住相；隨心行，共心生；或有覺有觀，或無覺有觀，或無覺無觀。如阿毘曇法廣說。

> 精進とは心数法であり、勤め行じて住まない相を持ちます。心に随って行い、心とともに生じます。あるいは有覚有観であり、あるいは無覚有観であり、あるいは無覚無観です。阿毘曇の法に広く説かれる通りです。

於一切善法中懃修不懈，是名精進相。於五根中，名精進根；根增長名精進力；心能開悟，名精進覺；能到佛道涅槃城，是名正精進；四念處中，能懃繫心，是精進分；四正懃，是精進門；四如意足中，欲、精進即是精進；六波羅蜜中，名精進波羅蜜。

> あらゆる善い行いに怠ることなく努め励むこと、これを精進のすがたと呼びます。五根の中では精進根といい、その根が育つと精進力といい、心が開悟へと向かうと精進覚といい、仏の道と涅槃の城に到達できることを正精進といいます。四念処の中では、心をしっかりとつなぎ留めて努め励むことが精進の一分であり、四正勤は精進の門であり、四如意足の中では、欲と精進がすなわち精進です。六波羅蜜の中では、精進波羅蜜と呼ばれます。

問曰：

> お尋ねします。

汝先讚精進，今說精進相，是名何精進？

> あなたはまず精進をほめたたえ、今、精進のすがたを説いています。これは何という精進でしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

是一切善法中精進相。

> これが、すべての善い行いの中における精進のすがたです。

問曰：

> お尋ねします。

今說摩訶般若波羅蜜論議中，應說精進波羅蜜，何以故說一切善法中精進？

> 今、摩訶般若波羅蜜の論議を説く中で、精進波羅蜜を説くべきであるのに、なぜすべての善法の中の精進を説くのですか。

答曰：

> お答えしますと、

初發心菩薩，於一切善法中精進，漸漸次第得精進波羅蜜。

> 初心の菩薩は、すべての善い行いに精進し、しだいに順を追って精進波羅蜜を得るのです。

問曰：

> お尋ねします。

一切善法中精進多，今說精進波羅蜜，已入一切善法精進中。

> すべての善い教えの中でも、精進はとりわけ大切です。ここでは精進波羅蜜について説きますが、それはすでにすべての善い教えの精進の中に含まれています。

答曰：

> お答えしますと、

為佛道精進，名為波羅蜜；諸餘善法中精進，但名精進，不名波羅蜜。

> 仏道のために精進することを、波羅蜜（はらみつ）と呼びます。その他の善行における精進は、ただ精進と呼ばれ、波羅蜜とは呼ばれません。

問曰：

> お尋ねします。

一切善法中懃，何以不名精進波羅蜜；而獨名菩薩精進為波羅蜜？

> すべての善い行いの中にある努力は、なぜ精進波羅蜜と呼ばれないのでしょうか。なぜ菩薩の精進だけが波羅蜜と呼ばれるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

波羅蜜名到彼岸。世間人及聲聞、辟支佛，不能具足行諸波羅蜜，是故不名為精進波羅蜜。

> 波羅蜜とは「彼岸に到ること」という意味です。世間の人や声聞、辟支仏は、諸々の波羅蜜を完全に実践することができないので、精進波羅蜜とは呼ばれません。

復次，是人無大慈、大悲，棄捨眾生；不求十力、四無所畏、十八不共法、一切智，及無礙解脫、無量身、無量光明、無量音聲、無量持戒、禪定、智慧。以是故，是人精進不名波羅蜜。

> また、この人は大慈・大悲を持たず、衆生を見捨てています。十力・四無所畏・十八不共法・一切智を求めず、また、妨げのない解脱・無量の身・無量の光明・無量の音声・無量の持戒・禅定・智慧も求めていません。ですから、この人の精進は波羅蜜とは呼べないのです。

復次，菩薩精進，不休、不息，一心求佛道，如是行者，名為精進波羅蜜。如好施菩薩求如意珠，抒大海水，正使筋骨枯盡，終不懈廢；得如意珠，以給眾生，濟其身苦。菩薩如是難為能為，是為菩薩精進波羅蜜。

> 次に、菩薩の精進とは、休むことなく、怠ることなく、ただひたすら仏道を求めることです。このように実践する者を、精進波羅蜜と呼びます。たとえば、布施を好む菩薩が如意珠を求めて大海の水をくみ出そうとし、たとえ骨や筋が枯れ果てても、決して怠りやめることがないようなものです。そして如意珠を得れば、それを衆生に与えて、その身の苦しみを救います。菩薩もこのように、難しいことをよく成し遂げることができます。これが菩薩の精進波羅蜜です。

復次，菩薩以精進力為首，行五波羅蜜，是時，名為菩薩精進波羅蜜。譬如眾藥和合，能治重病；菩薩精進亦如是，但行精進，不能行五波羅蜜，是不名菩薩精進波羅蜜。

> 次に、菩薩が精進の力を第一として、五つの波羅蜜を実践するとき、これを菩薩の精進波羅蜜と呼びます。たとえば、さまざまな薬を合わせることで重い病を治すことができるように、菩薩の精進も同じです。ただ精進だけを実践して、五つの波羅蜜を実践しないならば、それは菩薩の精進波羅蜜とは言えません。

復次，菩薩精進，不為財利、富貴、力勢，亦不為身，不為生天、轉輪王、梵、釋、天王，亦不自為以求涅槃，但為佛道，利益眾生。如是相，名為菩薩精進波羅蜜。

> 次に、菩薩の精進とは、財利や富貴や権力のためにではなく、また自分の身体のためでもなく、天に生まれるためでも、転輪王や梵天や帝釈天や天王になるためでもなく、また自分のために涅槃を求めるためでもなく、ただ仏の道のために、衆生を利益するためのものであります。このような姿を、菩薩の精進波羅蜜と名づけるのであります。

復次，菩薩精進，修行一切善法，大悲為首。如慈父愛子，唯有一子而得重病，一心求藥，救療其病；菩薩精進，以慈為首，亦復如是，救療一切，心無暫捨。

> 次に、菩薩の精進とは、すべての善い法を修行し、大悲を最も大切にすることです。慈しむ父が一人だけのわが子の重い病を案じ、一心に薬を求め、その病を治そうとするかのようです。菩薩の精進もまた、慈しみを第一とし、同じようにすべての者を救い癒し、その心を片時も手放すことはありません。

復次，菩薩精進，以實相智慧為首，行六波羅蜜，是名菩薩精進波羅蜜。

> 次に、菩薩の精進とは、実相の智慧を導きとし、六波羅蜜を実践することを、菩薩の精進波羅蜜と名づけるのです。

問曰：

> お尋ねします。

諸法實相無為無作；精進有為有作相，云何以實相為首？

> すべてのものの真実の姿は、作為もなく造りもないものです。一方、精進は作為を伴い、造るという性質を持っています。それなのに、なぜ真実の姿を第一とするのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

雖知諸法實相無為無作，以本願大悲欲度眾生故，於無作中，以精進力度脫一切。

> 諸法の実相は無為であり無作であると知っていながらも、本来の願いと大いなる慈悲によって衆生を救いたいがために、無作の中にあって精進の力をもって一切を救い度するのです。

復次，若諸法實相，無為無作、如涅槃相、無一無二，汝云何言「實相與精進相異」耶？汝即不解諸法相。

> 次に、もし諸法の実相が、無為であり無作であり、涅槃の相のようであり、一つでもなく二つでもないのなら、あなたはどうして「実相と精進の相は異なる」と言うのですか。あなたは諸法の相を理解していないのです。

復次，爾時菩薩觀三界、五道眾生，各失所樂。

> 次に、そのとき菩薩は三界と五道の众生を観じて、それぞれが楽しみを失っているのを見た。

無色界天，樂定心著，不覺命盡，墮在欲界中，受禽獸形。色界諸天，亦復如是，從清淨處墮，還受婬欲，在不淨中。欲界六天，樂著五欲，還墮地獄，受諸苦痛。

> 無色界の天では、定の喜びに心を奪われ、命が尽きることに気づかず、欲界に堕ちて鳥や獣の姿を受ける。色界の天々もまた同じで、清らかな境地から堕ち、再び淫欲を受け、不浄の中にいる。欲界の六天は、五欲に執着し、再び地獄に堕ちて、さまざまな苦しみを受ける。

見人道中，以十善福貿得人身，人身多苦少樂，壽盡多墮惡趣中。

> 人の道を見てみると、十善の福を代償として人の身を得る。人の身には苦しみが多く楽しみは少なく、寿命が尽きれば多くは悪趣に堕ちてしまう。

見諸畜生，受諸苦惱，鞭杖驅馳，負重涉遠，項領穿壞，熱鐵燒爍。此人宿行因緣，以繫縛眾生，鞭杖苦惱；如是等種種因緣故，受象、馬、牛、羊、麞、鹿畜獸之形。

> 生きとし生けるものが畜生の身を受け、さまざまな苦しみにあうのを見なさい。鞭で打たれ、杖で追われ、重い荷を負って遠くまで歩かされ、首の皮はすりむけて破れ、熱い鉄に焼かれるのです。このような人は、過去の行いの因縁によって、生き物を縛りつけ、鞭や杖で苦しめたのです。このようないろいろな因縁のため、象や馬、牛や羊、しかや鹿などの畜生の姿を受けるのです。

婬欲情重，無明偏多，受鵝、鴨、孔雀、鴛鴦、鳩、鴿、鷄、鶩、鸚鵡，百舌之屬，受此眾鳥，種類百千。婬行罪故，身生毛羽，隔諸細滑，嘴𭉍麁䩕，不別觸味。

> 淫らな欲望が強く、無明が多い者は、鵝・鴨・孔雀・鴛鴦・鳩・鴿・鶏・家鴨・鸚鵡・百舌などの鳥の類を受け、このような多くの鳥に生まれ変わり、その種類は百千に及ぶ。淫らな行いの罪のゆえに、身には羽毛が生じ、細やかな滑らかさから遠ざかり、くちばしは粗く硬く、触れることも味わうことも区別できない。

瞋恚偏多，受毒蛇、蝮蝎、蚑蜂、百足，含毒之虫。

> 怒りの心が強い人は、毒蛇や蝮、サソリ、蜂、ムカデなど、毒を持つ虫に生まれ変わる。

愚癡多故，受蚓蛾、蜣蜋、蟻螻、鵂鷖、角鵄之屬，諸騃虫鳥。

> 愚かさが強いために、ミミズやフンコロガシ、アリやケラ、フクロウやミミズクの仲間など、愚かな虫や鳥として生まれ変わるのです。

憍慢、瞋恚多故，受師子、虎、豹諸猛獸身。

> 慢心や怒りが強いために、獅子や虎、豹などの猛獣の身を受けるのです。

邪慢緣故，受生驢、猪、駱駝之中。

> 思い上がりの心から、ロバや豚、ラクダの姿に生まれ変わるのです。

慳貪、嫉妬、輕躁、短促故，受獼猴、𤠙玃、熊、羆之形。

> ケチで欲深く、嫉妬深く、落ち着きがなく、短気だったため、猿や大猿、熊、ヒグマの姿に生まれ変わるのです。

邪貪、憎嫉業因緣故，受猫、狸、土虎諸獸之身。

> 邪な貪りと憎しみの業の縁によって、猫や狸、土虎などの獣の身を受けるのです。

無愧、無慚、饕餮因緣故，受烏鵲、鵄鷲諸鳥之形。

> 無愧と無慚、むさぼりの心のため、カラスやトビ、ワシなどの鳥の姿を受けるのです。

輕慢善人故，受鷄、狗、野干等身。

> 善人を軽んじ見下したために、鶏や犬、野干などの姿に生まれ変わるのです。

大作布施，瞋恚、曲心，以此因緣故，受諸龍身。

> 大きな布施をしたけれど、怒りや心の曲がった行いがあったために、その報いとして龍の身を受けることになったのです。

大修布施，心高陵瘧，苦惱眾生，受金翅鳥形。

> 大きな布施を行いながらも、心が高慢で他を虐げ、生きとし生けるものを苦しめたため、金翅鳥の姿を受けたのです。

如是等種種結使業因緣故，受諸畜生禽獸之苦。

> このようなさまざまな煩悩と業の因縁によって、畜生や鳥獣としての苦しみを受けるのです。

菩薩得天眼，觀眾生輪轉五道，迴旋其中：天中死，人中生；人中死，天中生；天中死，生地獄中；地獄中死，生天上；天上死，生餓鬼中；餓鬼中死，還生天上；天上死，生畜生中；畜生中死，生天上；天上死，還生天上。地獄、餓鬼、畜生亦如是。

> 菩薩が天眼を得て、生きとし生けるものが五道を巡り、その中を回り続けるのを見る。天で死ねば人に生まれ、人で死ねば天に生まれ、天で死ねば地獄に生まれ、地獄で死ねば天に生まれ、天で死ねば餓鬼に生まれ、餓鬼で死ねばまた天に生まれ、天で死ねば畜生に生まれ、畜生で死ねば天に生まれ、天で死ねばまた天に生まれる。地獄・餓鬼・畜生もまた同じである。

欲界中死，色界中生；色界中死，欲界中生；欲界中死，無色界中生；無色界中死，欲界中生；欲界中死，欲界中生。色界、無色界亦如是。

> 欲界で死んで、色界に生まれる。色界で死んで、欲界に生まれる。欲界で死んで、無色界に生まれる。無色界で死んで、欲界に生まれる。欲界で死んで、欲界に生まれる。色界でも無色界でも、同じように。

活地獄中死，黑繩地獄中生；黑繩地獄中死，活地獄中生；活地獄中死，還生活地獄中；合會地獄乃至阿鼻地獄，亦如是。炭坑地獄中死，沸𡱁地獄中生；沸屎地獄中死，炭坑地獄中生；炭坑地獄中死，還生炭坑地獄中。燒林地獄乃至摩訶波頭摩地獄，亦如是展轉生其中。

> 生き地獄で死ぬと、黒縄地獄に生まれ変わる。黒縄地獄で死ぬと、生き地獄に生まれ変わる。生き地獄で死ぬと、また生き地獄に生まれ変わる。合会地獄から阿鼻地獄に至るまで、同じように繰り返される。炭坑地獄で死ぬと、沸屎地獄に生まれ変わる。沸屎地獄で死ぬと、炭坑地獄に生まれ変わる。炭坑地獄で死ぬと、また炭坑地獄に生まれ変わる。焼林地獄から摩訶波頭摩地獄に至るまで、同じように、そこを巡り巡って生まれ変わり続けるのである。

卵生中死，胎生中生；胎生中死，卵生中生；卵生中死，還生卵生中。胎生、濕生、化生亦如是。

> 卵生として生まれ、卵生の中で死ぬ者もいれば、胎生として生まれ、胎生の中で死ぬ者もいます。胎生として生まれ、卵生の中で死ぬ者もいれば、卵生として生まれ、卵生の中で死ぬ者もいます。胎生、湿生、化生についても同じです。

閻浮提中死，弗婆提中生；弗婆提中死，閻浮提中生；閻浮提中死，還生閻浮提中。劬陀尼、欝怛羅越亦如是。

> 閻浮提で死んだ者は、弗婆提に生まれ変わる。弗婆提で死んだ者は、閻浮提に生まれ変わる。閻浮提で死んだ者は、また閻浮提に生まれ変わる。劬陀尼や欝怛羅越についても、同じことが言える。

四天處死，三十三天中生；三十三天中死，四天處生；四天處死，還生四天處。三十三天乃至他化自在天亦如是。

> 六欲天で命を終えると、すぐ下の天に生まれ、下の天で命を終えると、すぐ上の天に生まれる。四天王天で命を終えれば、また四天王天に生まれることもある。三十三天から他化自在天まで、これと同じである。

梵眾天中死，梵輔天中生；梵輔天中死，梵眾天中生；梵眾天中死，還生梵眾天中。梵輔天，少光天、無量光、光音，少淨、無量淨、遍淨，阿那跋羅伽、得生、大果，虛空處、識處、無所有處、非有想非無想處亦如是。

> 梵衆天で命を終えると、梵輔天に生まれる。梵輔天で命を終えると、梵衆天に生まれる。梵衆天で命を終えると、また梵衆天に生まれる。梵輔天、少光天、無量光天、光音天、少浄天、無量浄天、遍浄天、阿那跋羅伽天、得生天、大果天、虚空処天、識処天、無所有処天、非有想非無想処天についても、同じである。

非有想非無想天中死，阿鼻地獄中生。

> 非有想非無想天で命を終え、阿鼻地獄に生まれる。

如是展轉生五道中。菩薩見是已，生大悲心：「我於眾生為無所益，雖與世樂，樂極則苦；當以佛道涅槃常樂益於一切。云何而益？當懃大精進，乃得實智慧；得實智慧，知諸法實相，以餘波羅蜜助成，以益眾生。」是為菩薩精進波羅蜜。

> このようにして、私たちは五つの世界を巡りながら生まれ変わっていきます。菩薩はその姿を見て、深い悲しみの心を起こしました。「私は生きとし生けるものにとって、何の役にも立っていない。たとえ世の楽しみを与えても、楽しみが極まれば苦しみとなる。私は仏の道と涅槃の永遠の楽しみによって、すべてのものを本当に益したい。どうすれば益することができるのか。それは、ひたすら大きな精進を重ねてこそ、真実の智慧を得られるのだ。真実の智慧を得れば、すべてのものの真実の姿を知り、他の波羅蜜の助けによってそれを完成させ、生きとし生けるものを益することができるのだ。」これが菩薩の精進波羅蜜です。

見餓鬼中飢渴故，兩眼陷，毛髮長，東西馳走。若欲趣水，護水諸鬼，以鐵杖逆打；設無守鬼，水自然竭；或時天雨，雨化為炭。或有餓鬼常被火燒，如劫盡時，諸山火出。或有餓鬼羸瘦狂走，毛髮蓬亂，以覆其身。或有餓鬼常食𡱁尿，涕唾歐吐，盪滌餘汁；或時至廁溷邊立，伺求不淨汁。或有餓鬼常求產婦藏血飲之，形如燒樹，咽如針孔；若與其水，千歲不足。或有餓鬼自破其頭，以手取腦而舐。或有餓鬼形如黑山，鐵鎖鎖頸，叩頭求哀，歸命獄卒。或有餓鬼先世惡口，好以麁語加彼眾生，眾生憎惡，見之如讎，以此罪故，墮餓鬼中。如是等種種罪故，墮餓鬼趣中，受無量苦痛。

> 餓鬼の世界では、飢えと渇きに苦しむあまり、両目は落ちくぼみ、髪は伸び放題で、あちこちを走り回っています。水を飲もうと近づいても、水を守る鬼たちが鉄の杖で打ち返してきます。守る鬼がいない場合でも、水は自然に干上がってしまいます。あるいは雨が降っても、その雨が炭に変わってしまいます。また、いつも火に焼かれている餓鬼もいて、それは世界が滅びる時の山から火が噴き出すようなものです。あるいは、やせ細って狂ったように走り回り、乱れた髪が体を覆っている餓鬼もいます。また、いつも糞尿や鼻水、唾、吐瀉物、洗い流した残り汁などを食べている餓鬼もいます。あるいは便所のそばに立って、汚れた汁を求めて待ち構えています。また、いつも出産する女性の胎内の血を求めて飲もうとする餓鬼もいて、その姿は焼けた木のようで、喉は針の穴のように細く、水を与えても千年かけても足りません。あるいは、自分の頭を割って手で脳を取り出して舐める餓鬼もいます。また、黒い山のような姿で、鉄の鎖を首に巻かれ、頭を下げて哀れみを求め、獄卒に帰依する餓鬼もいます。また、前世で悪口を言い、粗い言葉で他の生き物を傷つけ、生き物たちに憎まれ、敵のように見られた餓鬼もいます。その罪の報いによって、餓鬼の世界に堕ちたのです。このように、さまざまな罪の報いによって餓鬼の世界に堕ち、計り知れない苦しみを受けるのです。

見八大地獄，苦毒萬端。

> 八大地獄を見れば、苦しみはあらゆる形で襲いかかります。

活大地獄中諸受罪人，各各共鬪，惡心瞋諍，手捉利刀，互相割剝，以槊相刺，鐵叉相叉，鐵棒相棒，鐵杖相捶，鐵鏟相貫，而以利刀互相切膾，又以鐵爪而相爴裂，各以身血而相塗漫。痛毒逼切，悶無所覺；宿業因緣，冷風來吹，獄卒喚之：「咄！」諸罪人還活，以是故名活地獄；即時平復，復受苦毒。

> 生きている大地獄では、罪人たちがそれぞれ互いに争い、憎しみの心で怒り合い、手に鋭い刀を握って互いに切り裂き、矛で刺し合い、鉄の叉で突き合い、鉄の棒で打ち合い、鉄の杖で殴り合い、鉄の鏟で貫き合い、鋭い刀で互いに切り刻み、また鉄の爪で引き裂き合い、それぞれの体の血を互いに塗りたくります。苦痛が激しく迫り、気を失って何も感じなくなります。しかし前世の業の因縁によって、冷たい風が吹いてくると、獄卒が呼びかけます。「おい！」すると罪人たちは生き返ります。それゆえ活地獄と呼ばれます。たちまち体は元通りになり、再び苦しみを受けます。

此中眾生，以宿行因緣，好殺物命，牛羊禽獸；為田業、舍宅、奴婢、妻子、國土、錢財故，而相殺害。如是等種種殺業報故，受此劇罪。

> ここにいる生きとし生けるものは、前世の行いの因縁によって、牛や羊、鳥や獣などの生き物の命を奪うことを好み、田畑や家屋、召使いや妻子、国土や財産のために、互いに殺し合ってきました。このようないろいろな殺生の業の報いによって、この激しい苦しみを受けているのです。

見黑繩大地獄中罪人，為惡羅剎、獄卒、鬼匠，常以黑熱鐵繩，拼度罪人。以獄中鐵斧，煞之斫之：長者令短，短者令長；方者使圓，圓者使方。斬截四肢，却其耳鼻，落其手足。以大鐵鋸，解析揣截，破其肉分，臠臠稱之。

> 黒縄大地獄では、罪人たちが悪羅刹や獄卒、鬼の工匠たちによって、常に真っ黒に焼けた鉄の縄で測られていました。そして、地獄の鉄の斧で切り刻まれ、殺されるのです。長い者は短くされ、短い者は長くされ、四角い者は丸くされ、丸い者は四角くされます。手足は切り落とされ、耳や鼻は削がれ、手も足も落とされます。大きな鉄の鋸で切り裂かれ、断ち切られ、体はばらばらにされ、肉は一片一片と量られるのです。

此人宿行因緣，讒賊忠良，妄語、惡口、兩舌、無義語，枉殺無辜，或作姧吏，酷暴侵害。如是等種種惡口讒賊，故受此罪。

> この人は前世で、忠臣や善人を讒言でおとしいれ、うそをつき、悪口を言い、仲たがいさせる言葉を語り、無意味な話をし、罪のない人をむごく殺し、あるいは悪徳な役人となって、むごく暴力的に人を害しました。このようなさまざまな悪口や讒言の罪によって、この苦しみを受けるのです。

見合會大地獄中，惡羅剎、獄卒作種種形：牛、馬、猪、羊、麞、鹿、狐、狗、虎、狼、師、子、六駮、大鳥、鵰鷲、鶉鳥，作此種種諸鳥獸頭而來，吞噉齩嚙，䶩掣罪人。兩山相合，大熱鐵輪轢諸罪人，令身破碎；熱鐵臼中搗之令碎，如笮蒲桃，亦如壓油；譬如蹂場，聚肉成𧂐，積頭如山，血流成池，鵰鷲、虎狼各來諍掣。

> 見合会大地獄の中で、悪い羅刹や獄卒たちが、牛・馬・豚・羊・鹿・狐・犬・虎・狼・獅子・六駮・大鳥・鷲・鶉など、さまざまな姿形になって現れ、罪人たちを飲み込み、かみつき、引き裂き、引きずり回します。二つの山が合わさって罪人を押しつぶし、焼けた大きな鉄の車輪が罪人をひき潰して体を粉々にします。熱く焼けた鉄の臼の中では、ぶどうを搾ったり油を絞ったりするように、罪人を捣き砕きます。まるで脱穀場のように、肉が積み上げられ、頭は山のように積もり、血は池となって流れます。そこへ鷲や虎や狼がそれぞれに争ってやって来て、罪人を奪い合います。

此人宿業因緣，多殺牛、馬、猪、羊、麞、鹿、狐、兔、虎、狼、師子、六駮、大鳥、眾鳥，如是等種種鳥獸多殘賊故，還為此眾鳥獸頭來害罪人；又以力勢相陵，枉壓羸弱，受兩山相合罪；慳貪、瞋恚，愚癡、怖畏故，斷事輕重，不以正理，或破正道，轉易正法，受熱鐵輪轢，熱鐵臼搗。

> この人は前世の業の縁によって、数多くの牛・馬・豚・羊・鹿・狐・兎・虎・狼・獅子・六駮・大鳥・多くの鳥を殺し、このようにさまざまな鳥や獣を数多く傷つけたため、今度はそれらの鳥や獣の頭となって罪人を害するのである。また、力の強い者が弱い者を押さえつけ、虐げたため、二つの山が合わさって押しつぶされる罰を受ける。物惜しみと貪り、怒り、愚かさ、恐れのために、物事の軽重を正しい道理によらずに裁き、あるいは正しい道を壊し、正しい法を変えてしまったため、熱い鉄の輪にひかれ、熱い鉄の臼でつかれる罰を受ける。

第四、第五，名叫喚、大叫喚。此大地獄，其中罪人，羅剎、獄卒頭黃如金，眼中火出，著赤色衣，身肉堅勁，走疾如風，手足長大，口出惡聲，捉三股叉，箭墮如雨，刺射罪人。罪人狂怖，叩頭求哀，小見放捨，小見憐愍。即時將入熱鐵地獄，縱廣百由旬，驅打馳走，足皆焦然，脂髓流出，如笮蘇油。鐵棒棒頭，頭破腦出，如破酪瓶。斫剉割剝，身體糜爛。而復將入鐵閣屋間，黑烟來熏，互相推壓，更相怨毒，皆言何以壓我？纔欲求出，其門以閉；大聲嘷呼，音常不絕。

> 第四と第五は、喚と大叫喚という名の地獄です。この大地獄には罪人がいて、羅刹や獄卒たちは頭が黄金のように黄色く、目からは火を噴き、赤い衣を着て、体の肉は硬く強く、風のように速く走り、手足は長く大きく、口からは恐ろしい声を発し、三股の叉を手にして、矢が雨のように降り注ぎ、罪人を刺し射ます。罪人たちは狂ったように恐れ、頭を地にこすりつけて哀れみを求め、少しの間だけでも放してほしい、少しの間だけでも哀れんでほしいと願います。しかしすぐに熱鉄地獄へと連れて行かれます。そこは縦横百由旬の広さで、追い立てられ走らされると、足はみな焦げただれ、脂と髄が流れ出て、まるで胡麻油を絞るかのようです。鉄の棒で頭を打たれれば、頭は割れて脳が飛び出し、まるで酪の瓶を割るかのようです。切り刻まれ裂かれ、体はずたずたに砕けます。さらに鉄の閣屋の中へ連れて行かれれば、黒い煙が吹き込み、互いに押し合い圧し合い、互いに恨み憎しみ、みな「なぜ私を押しつぶすのか」と言い合います。ようやく逃れ出ようとすれば、その門はすでに閉ざされています。大声で叫び呼ぶ声は、絶えることがありません。

此人宿行因緣，皆由㪷秤欺誑，非法斷事，受寄不還，侵陵下劣，惱諸窮貧，令其號哭；破他城郭，壞人聚落，傷害劫剝，室家怨毒，舉城叫喚；有時譎詐欺誑，誘之令出而復害之。如是等種種因緣故，受如此罪。

> この人は過去の行いの因縁によって、すべて秤をごまかして人を欺き、法に背いて物事を裁き、預かった物を返さず、弱い者を虐げ、貧しい者を苦しめて泣かせ、他人の城を攻め落とし、人の集落を破壊し、傷つけ奪い取り、家族に恨みを抱かせ、町中を叫び声で満たし、時には偽りやごまかしで誘い出しては害を加えた。このようなさまざまな因縁によって、このような罪を受けるのである。

大叫喚地獄中人，皆坐熏殺穴居之類，幽閉囹圄，或闇烟窟中而熏殺之；或投井中，劫奪他財。如是等種種因緣，受大叫喚地獄罪。

> 大叫喚地獄に落ちる人々は、みな煙で燻し殺されたり、穴倉のような場所に閉じ込められたりした者たちです。牢獄や、煙の立ちこめる暗い穴の中に閉じ込められて燻し殺されたり、井戸に投げ込まれたり、他人の財産を奪い取ったりした者たちです。このようなさまざまな行いの報いとして、大叫喚地獄の苦しみを受けるのです。

第六、第七，熱、大熱地獄中，有二大銅鑊：一名難陀，二名跋難陀秦言喜、大喜也。醎沸水滿中，羅剎鬼獄卒以罪人投中，如廚士烹肉；人在鑊中，腳上頭下，譬如煮豆熟爛，骨節解散，皮肉相離；知其已爛，以叉叉出，行業因緣，冷風吹活。復投炭坑中，或著沸屎中，譬如魚出於水而著熱沙中；又以濃血而自煎熬。從炭坑中出，投之焰床，強驅令坐，眼、耳、鼻、口及諸毛孔，一切火出。

> 第六と第七は、熱地獄と大熱地獄です。そこには二つの大きな銅の釜があります。一つは難陀といい、二つは跋難陀といいます<note>中国語では喜、大喜という意味です</note>。塩辛い煮えたぎった水がなみなみと満ちており、羅刹の鬼である獄卒が罪人をその中に投げ込みます。まるで料理人が肉を煮るかのようです。人は釜の中で、足が上、頭が下になり、たとえば豆を煮て柔らかく煮崩れるように、骨の節々がばらばらになり、皮と肉が離れます。すっかり煮崩れたのを見て、熊手でかき出し、その人の行いの因縁によって、冷たい風が吹いて生き返らせます。また炭の穴の中に投げ込まれ、あるいは煮えたぎる糞尿の中に置かれます。ちょうど魚が水から出て熱い砂の上に置かれるようなものです。また濃い血で自らを煮え立たせます。炭の穴から出ると、炎の床に投げ込まれ、無理やり坐らされます。すると眼、耳、鼻、口、そしてあらゆる毛孔から、すべて火が噴き出します。

此人宿世惱亂父母、師長、沙門、婆羅門，於諸好人福田中惱令心熱；以此罪故，受熱地獄罪。或有宿世煮生繭，或生炙猪羊，或以木貫人而生炙之，或焚燒山野及諸聚落、佛圖、精舍，及天神等，或推眾生著火坑中。如是等種種因緣，生此地獄中。

> この人は前世で父母や師長、修行者、バラモンを苦しめ悩ませ、善き人々という福田に対して心を熱させ悩ませた。その罪のゆえに、熱地獄の苦しみを受けるのである。また前世で生きた繭を煮たり、豚や羊を生きたまま炙ったり、木で人を貫いて生きたまま炙ったり、山野や村々、仏塔、精舎、天神などを焼いたり、衆生を火の穴に突き落としたりした者もいる。このようなさまざまな因縁によって、この地獄に生まれるのである。

見阿鼻地獄，縱廣四千里，周迴鐵壁，於七地獄，其處最深。獄卒羅剎以大鐵椎椎諸罪人，如鍛師打鐵，從頭剝皮，乃至其足；以五百釘釘挓其身，如挓牛皮，互相掣挽，應手破裂。熱鐵火車，以轢其身。驅入火坑，令抱炭出。熱沸𡱁河，驅令入中；有鐵嘴毒虫，從鼻中入腳底出，從足下入口中出。竪劍道中，驅令馳走，足下破碎，如廚膾肉；利刀劍槊，飛入身中，譬如霜樹落葉，隨風亂墜；罪人手、足、耳、鼻、支節，皆被斫剝割截在地，流血成池。二大惡狗：一名賒摩，二名賒婆羅。鐵口猛毅，破人筋骨，力踰虎豹，猛如師子。有大刺林，驅逼罪人，強令上樹。罪人上時，刺便下向，下時刺便上向。大身毒蛇，蝮蝎惡虫，競來齧之。大鳥長嘴，破頭噉腦。入醎河中，隨流上下；出則蹈熱鐵地，行鐵刺上；或坐鐵杙，杙從下入。以鉗開口，灌以洋銅，吞熱鐵丸，入口口焦，入咽咽爛，入腹腹然，五藏皆焦，直過墮地。但見惡色，恒聞臭氣，常觸麁澁，遭諸苦痛，迷悶委頓；或狂逸唐突，或藏竄投擲，或顛匐墮落。

> 阿鼻地獄を見ると、縦横四千里で、周りは鉄の壁に囲まれ、七つの地獄の中で最も深い場所にあります。獄卒の羅刹は大きな鉄の槌で罪人たちを打ちます。まるで鍛冶師が鉄を打つかのように。頭から皮を剥ぎ、足に至るまで剥がします。五百本の釘で体を打ちつけ、牛皮を張るかのようにし、互いに引き裂き合い、手に応じて裂けていきます。熱い鉄の火車でその体をひき潰します。火の穴に追い入れ、炭を抱えて出させます。熱く沸騰する糞の川に追い入れられます。鉄の嘴を持つ毒虫が、鼻から入って足の裏から出て、足の下から入って口の中から出ます。剣を立てた道に追い立てられて走らされ、足の裏は砕け、まるで料理人が肉を刻むかのようです。鋭い刀や剣、矛が飛んで体に突き刺さります。まるで霜の降りた木から葉が風に散るかのように。罪人の手、足、耳、鼻、関節はすべて切り刻まれて地面に落ち、血は流れて池となります。二匹の大きな悪狗がいます。一匹は賒摩といい、二匹目は賒婆羅といいます。鉄の口は猛々しく、人の筋骨を砕きます。その力は虎や豹を超え、獅子のように猛威を振るいます。大きな刺の林があり、罪人を追い立てて無理に木に登らせます。罪人が登るときは刺が下を向き、下りるときは刺が上を向きます。大きな毒蛇や蝮、蝎、悪い虫たちが競って噛みつきます。大きな鳥が長いくちばしで頭を割り、脳を食べます。塩の川に入れられ、流れに沿って上下します。出ると熱い鉄の地面を踏み、鉄の刺の上を歩きます。あるいは鉄の杭に座らされ、杭が下から突き上げます。鋏で口を開けさせ、溶けた銅を注ぎ込まれ、熱い鉄の丸薬を飲まされます。口に入れば口が焦げ、喉に入れば喉が爛れ、腹に入れば腹が燃え、五臓はすべて焦げ、そのまま地面に落ちます。ただ悪い色を見るだけで、常に臭いを嗅ぎ、常に粗くざらざらしたものに触れ、さまざまな苦痛に遭い、迷い悶えて疲れ果てます。あるいは狂って逃げ回り、あるいは隠れて投げ出され、あるいは倒れて落ちます。

此人宿行，多造大惡五逆重罪，斷諸善根，法言非法，非法言法，破因破果，憎嫉善人。以是罪故，入此地獄，受罪最劇。

> この人は過去の行いによって、多くの大きな悪業や五逆の重い罪を犯し、あらゆる善根を断ち切り、法を法でないと言い、法でないものを法と言い、因果の道理を否定し、善人を憎み妬んでいました。その罪のゆえに、この地獄に堕ちて、最も激しい苦しみを受けています。

如是等種種八大地獄。周圍其外，復有十六小地獄為眷屬：八寒氷，八炎火，其中罪毒，不可見聞。八炎火地獄者：一名炭坑，二名沸屎，三名燒林，四名劍林，五名刀道，六名鐵刺林，七名醎河，八名銅橛，是為八。八寒氷地獄者：一名頞浮陀少多有孔，二名尼羅浮陀無孔，三名阿羅羅寒戰聲也，四名阿婆婆亦患寒聲，五名睺睺亦是患寒聲，六名漚波羅此地獄外壁似青蓮花也，七名波頭摩紅蓮花罪人生中受苦也，八名摩訶波頭摩，是為八。

> このようなさまざまな八大地獄があり、その周りには、さらに十六の小地獄が付属しています。八つの寒氷地獄と八つの炎火地獄で、その中の罪の毒は、見たり聞いたりすることもできません。八つの炎火地獄とは、第一に炭坑、第二に沸屎、第三に焼林、第四に剣林、第五に刀道、第六に鉄刺林、第七に鹹河、第八に銅橛、これが八つです。八つの寒氷地獄とは、第一に頞浮陀<note>少し穴がある</note>、第二に尼羅浮陀<note>穴がない</note>、第三に阿羅羅<note>寒さに震える声</note>、第四に阿婆婆<note>これも寒さに苦しむ声</note>、第五に睺睺<note>これも寒さに苦しむ声</note>、第六に漚波羅<note>この地獄の外壁は青蓮の花に似ている</note>、第七に波頭摩<note>紅蓮の花で、罪人がその中で苦しみを受ける</note>、第八に摩訶波頭摩、これが八つです。

若破清淨戒出家法，令白衣輕賤佛道；或排眾生著火坑中，或眾生命未盡頃於火上炙之。如是等種種因緣，墮炭坑地獄中。大火炎炭至膝，燒罪人身。

> もし清らかな戒を破り出家の法に背けば、在家の人々に仏道を軽んじさせてしまう。また、衆生を火の坑に押し込み、あるいは命の尽きる前に火の上で焼くようなことがあれば、このようなさまざまな行いによって、炭坑地獄に堕ちる。大きな炎と炭が膝にまで達し、罪人の身を焼くのである。

若沙門、婆羅門福田食，以不淨手觸，或先噉，或以不淨物著中；或以熱沸𡱁灌他身，破淨命，以邪命自活。如是等種種因緣，墮沸𡱁地獄中。沸𡱁深廣如大海水，中有虫，以鐵為嘴，破罪人頭噉腦，破骨食髓。

> もし修行者やバラモンが、福田としての食べ物を不浄な手で触れたり、先に自分で食べたり、不浄なものを中に入れたり、あるいは熱く沸騰した糞尿を他人の体に注いだりして、清らかな暮らしを破り、邪な手段で生活しているならば、このようなさまざまな原因によって、沸騰する糞尿の地獄に堕ちるのです。その沸騰する糞尿は大海の水のように深く広く、中には鉄の嘴を持った虫がいて、罪人の頭を砕いて脳を食べ、骨を砕いて髄を吸います。

若焚燒草木，傷害諸虫，或燒林大獵，為害彌廣。如是等種種因緣，墮燒林地獄中。草木火然，以燒罪人。

> 草木を焼いたり、虫を傷つけたり、森に火を放って大規模に狩りをしたりすると、その害はとても広く及びます。このようないろいろな行為によって、焼林地獄に堕ちることになります。草木が火で燃え上がり、罪人を焼くのです。

若執持刀劍，鬪諍傷殺；若斫樹壓人，以報宿怨；若人以忠信誠告，而密相中陷。如是等種種因緣，墮劍林地獄中。此地獄罪人入中，風吹劍葉，割截手足、耳鼻，皆令墮落；是時，林中有烏鷲、惡狗，來食其肉。

> 刀や剣を手にして争い、傷つけ殺し合う者。木を切り倒して人を押しつぶし、昔の恨みを晴らす者。人が忠信をもって誠実に告げているのに、ひそかに陥れようとする者。このようなさまざまな因縁によって、剣林地獄に堕ちるのです。この地獄に罪人が入ると、風が剣の葉を吹きつけ、手足や耳、鼻を切り落とし、みな落ちてしまいます。そのとき、林の中には鴉や鷲、悪い犬がいて、その肉を食べにやって来ます。

若以利刀刺人，若橛若槍傷人；若斷截道路，撥徹橋樑，破正法道，示以非法道，如是等種種因緣，墮利刀道地獄中。利刀道地獄者，於絕壁狹道中竪利刀，令罪人行上而過。

> もし鋭い刀で人を刺したり、杭や槍で人を傷つけたり、道を断ち切り、橋を壊し、正しい法の道を断って、非法の道を教え示すならば、このようないろいろな原因によって、利刀道地獄に堕ちるのです。利刀道地獄とは、切り立った崖の狭い道に鋭い刀を立て並べ、罪人をその上を歩かせるのです。

若犯邪婬，侵他婦女，貪受樂觸，如是等種種因緣墮鐵刺林地獄中。刺樹高一由旬，上有大毒蛇，化作美女身，喚此罪人上來，共汝作樂；獄卒驅之令上，刺皆下向，貫刺罪人，身被刺害，入骨徹髓。既至林上，化女還復蛇身，破頭入腹，處處穿穴，皆悉破爛。忽復還活，身體平復；化女復在樹下喚之，獄卒以箭仰射，呼之令下，刺復仰刺；既得到地，化女身復毒蛇，破罪人身。

> 邪な婬を行い、他人の婦女を犯し、快楽の感触を貪り受けるならば、このようないろいろな因縁によって鉄刺林の地獄に堕ちます。刺のある樹は高さ一由旬もあり、その上には大きな毒蛇がいて、美女の姿に変わり、この罪人を呼んで「上がってきなさい。あなたと一緒に楽しみましょう」と言います。獄卒が罪人を追い立てて登らせると、刺はすべて下向きになって罪人を貫き刺し、体は刺に傷つけられ、骨を貫き髄にまで達します。林の上に着くと、美女はもとの蛇の姿に戻り、頭を破って腹に入り、あちこちに穴を穿ち、すっかり食い破られます。しかし急にまた生き返り、体は元通りになります。美女がまた樹の下で罪人を呼び、獄卒が弓で上へ射て、下りるように命じると、刺はまた上向きになって刺します。地に着くと、美女の姿はまた毒蛇となり、罪人の体を食い破ります。

如是久久，從熱鐵刺林出，遙見河水清涼快樂，走往趣之；入中變成熱沸醎水，罪人在中，須臾之頃，皮肉離散，骨立水中；獄卒羅剎以叉鉤出之，持著岸上。此人宿行因緣，傷殺水性魚鼈之屬，或時排人及諸眾生令沒水中，或投之沸湯，或投之氷水。如是等種種惡業因緣，故受此罪。

> こうして長い時間が過ぎると、熱い鉄の刺さった林から出て、遠くに清らかで涼しげな川が見えます。喜んでそこへ向かって進みますが、中に入ると熱く煮えたぎる塩水に変わってしまいます。罪人はその中で、ほんの少しの間に皮膚や肉が離れ散り、骨だけが水の中に立つだけになります。獄卒の羅刹が熊手で引き出して、岸の上に置きます。この人は前世の行いの因縁によって、水に住む魚や鼈の類を傷つけ殺し、あるいは人や生き物を押して水に沈め、あるいは熱い湯に投げ入れ、あるいは氷水に投げ入れました。このようなさまざまな悪業の因縁によって、この罪を受けるのです。

若在銅橛地獄，獄卒羅剎問諸罪人：「汝何處來？」答言：「我苦悶不知來處，但患飢渴。」若言渴，是時，獄卒即驅逐罪人，令坐熱銅橛上，以鐵鉗開口，灌以洋銅；若言飢，坐之銅橛，吞以鐵丸。入口口焦，入咽咽爛，入腹腹然，五藏爛壞，直過墮地。

> 銅の杭地獄では、獄卒の羅刹が罪人たちに問いかけます。「お前はどこから来たのか」と。罪人は答えます。「私は苦しみに悶えて、どこから来たのかも分かりません。ただ飢えと渇きに苦しんでいるのです」と。もし「渇いた」と言えば、その時、獄卒はすぐに罪人を追い立て、熱い銅の杭の上に座らせ、鉄の鉗で口をこじ開け、溶けた銅を注ぎ込みます。もし「飢えた」と言えば、銅の杭に座らせ、鉄の丸薬を飲ませます。口に入れば口が焦げ、喉に入れば喉が爛れ、腹に入れば腹が燃え、五臓は爛れ崩れ、そのまま地に堕ちていきます。

此人宿行因緣，劫盜他財以自供口。諸出家人，或時詐病，多求酥油、石蜜；或無戒、無禪、無有智慧，而多受人施；或惡口傷人。如是等種種宿業因緣，墮銅橛地獄。

> この人は前世の行いの因縁によって、他人の財物を盗んで自分の生活を支えていました。出家した者たちの中には、時に仮病を使って、酥油や石蜜を多く求める者もいました。また、戒もなく、禅もなく、智慧もないのに、多くの人から施しを受ける者もいました。あるいは悪口で人を傷つける者もいました。このようなさまざまな前世の業の因縁によって、銅の杭地獄に堕ちるのです。

若人墮頞浮陀地獄中，其處積氷，毒風來吹，令諸罪人皮毛裂落，筋肉斷絕，骨破髓出。即復完堅，受罪如初。

> もし人が頞浮陀地獄に堕ちると、そこは氷に覆われ、毒風が吹きつけて、罪人たちの皮膚や毛が裂けて落ち、筋肉は断ち切られ、骨は砕けて髄が流れ出ます。しかしすぐにまた元通りになり、初めと同じ苦しみを受け続けます。

此人宿業因緣，寒月剝人；或劫盜凍人薪火；或作惡龍瞋毒忿恚，放大雹雨，氷凍害人；或輕賤謗毀若佛及佛弟子持戒之人；或口四業作眾重罪。如是等種種因緣，墮頞浮陀地獄中。

> この人は前世の業の因縁によって、寒い月に人を剥ぎ取り、あるいは盗みを働いて人の薪や火を凍えさせ、あるいは悪龍となって怒りや毒の心を起こし、大きな雹や雨を降らせて氷で人を凍えさせ害し、あるいは仏や仏弟子で持戒の人を軽んじ誹り損ない、あるいは口の四つの業で多くの重い罪を作った。このようなさまざまな因縁によって、頞浮陀地獄に堕ちるのである。

尼羅浮陀亦如是。頞浮陀少多有孔，時得出入；尼羅波絕無孔罅，無出入處。

> 尼羅浮陀もまた同じです。頞浮陀には少し穴があって、そこから出たり入ったりできますが、尼羅浮陀にはまったく穴も隙間もなく、出入りする場所がありません。

呵婆婆、呵羅羅、睺睺，此三地獄，寒風噤戰，口不能開，因其呼聲而以名獄。

> 呵婆婆、呵羅羅、睺睺、この三つの地獄では、寒風のために歯が鳴り震え、口も開けられず、その叫び声から地獄の名がつきました。

漚波羅獄中，凍氷浹渫，有似青蓮花。波頭摩，狀如此間赤蓮花。

> 極寒の地獄では、凍てついた氷が体中に染み渡り、まるで青い蓮の花のようです。赤蓮の花は、この世の赤い蓮の花のような形をしています。

摩呵波頭摩，是中拘迦離住處。有智之人聞是驚言：「咄！以此無明恚愛法故，乃受此苦。出而復入，無窮無已！」

> 摩呵波頭摩という所に、拘迦離が住んでいました。智慧ある人がこれを聞いて、驚いて言いました。「ああ！この無明と怒りと愛着の法のために、こうした苦しみを受けるとは。出てはまた入り、その果てがありません！」

菩薩見此，如是思惟：「此苦業因緣，皆是無明諸煩惱所作，我當精進懃修六度，集諸功德，斷除眾生五道中苦。」興發大哀，增益精進。如見父母幽閉囹圄，拷掠搒笞，憂毒萬端，方便求救，心不暫捨；菩薩見諸眾生受五道苦，念之如父，亦復如是。

> 菩薩はこれを見て、こう思いました。「この苦しみの業の原因は、すべて無明やさまざまな煩悩が作り出したものである。私は精進して六度を勤め修め、功德を積み集め、衆生が五道で受ける苦しみを取り除こう。」そして大きな哀れみを起こし、いっそう精進しました。ちょうど父母が牢獄に閉じ込められ、拷問や鞭打ちを受け、さまざまな憂いと苦しみに遭っているのを見て、方便を尽くして救いを求め、その心が片時も離れないのと同じです。菩薩が衆生の五道の苦しみを見て、わが父のように思いやるのも、また同じことです。

復次，菩薩精進，世世勤修，求諸財寶，給施眾生，心無懈廢。自有財物，能盡施與，心亦不懈。

> また、菩薩は精進に励み、生まれ変わるたびに怠ることなく修行し、さまざまな財宝を求めては衆生に施し与え、その心に怠りはありません。自分の財物をすべて施し与えても、その心は緩むことがありません。

復次，精進持戒，若大、若小，一切能受、一切能持，不毀、不犯；大如毛髮，設有違失，即時發露，初不覆藏。

> 次に、精進して戒を守るとは、戒が大きくても小さくても、すべてを受け入れ、すべてを保ち、壊すことなく、犯すことなく、毛髪ほども違反があれば、すぐに告白し、決して隠さないことです。

復次，懃修忍辱，若人刀杖打害，罵詈毀辱，及恭敬供養，一切能忍，不受、不著；於深法中，其心不沒，亦不疑悔。

> さらに、忍耐を怠らずに実践するとは、もし人が刀や杖で打ち傷つけ、罵り辱め、また敬い供養する、そのすべてを耐え忍び、受け入れず、執着しないことです。深い法においても、その心が沈むことなく、疑い悔いることもありません。

復次，專精一心，修諸禪定，能住能守，得五神通，及四等心、勝處、背捨、十一切處，具諸功德；得四念處及諸菩薩見佛三昧。

> また、心を一つに集中して、さまざまな禅定を実践し、よく保ち守ることができれば、五つの神通と、四無量心、勝処、背捨、十一切処を体得し、あらゆる功徳を備えることができます。さらに四念処や、菩薩が仏を見る三昧を得ることもできます。

復次，菩薩精進求法，不懈身心，懃力供養法師，種種恭敬供給給使，初不違失，亦不廢退，不惜身命，以為法故。誦讀問答，初、中、後夜，思惟憶念，籌量分別，求其因緣，選擇同異，欲知實相：一切諸法自相、異相，總相、別相，一相，有相、無相，如實相，諸佛菩薩無量智慧，心不沒不退，是名菩薩精進。

> 次に、菩薩は精進して法を求め、身心を怠ることなく、勤めて力をつくして法師を供養し、種々に恭敬し、供給し、使える者として仕え、初めから違えることがなく、また廃れて退くこともなく、身命を惜しまず、法のためとする。読誦し、問答し、初夜・中夜・後夜に、思惟し憶念し、籌量し分別し、その因縁を求め、同異を選択し、実相を知らんと欲する。一切の諸法の自相・異相、総相・別相、一相、有相・無相、如実相、諸仏菩薩の無量の智慧、心に没することなく退くことなき、これを菩薩の精進と名づく。

如是等種種因緣，能生能辦種種善法，是故名為精進波羅蜜。波羅蜜義，如先說。

> このようなさまざまな因縁によって、さまざまな善い法を生み出し、成し遂げることができる。それゆえに精進波羅蜜と名づけられる。波羅蜜の意味については、すでに前述したとおりである。

復次，菩薩精進，名為精進波羅蜜；餘人精進，不名波羅蜜。

> さらに、菩薩の精進は精進波羅蜜と呼ばれますが、他の人々の精進は波羅蜜とは呼ばれません。

問曰：

> お尋ねします。

云何為精進滿足？

> 精進が満たされるとは、どのようなことでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

菩薩生身、法性身，能具功德，是為精進波羅蜜滿足。滿足義，如上說。

> 菩薩は生身と法性身によって、功徳を備えることができます。これが精進波羅蜜の完成です。完成の意味については、前述したとおりです。

身、心精進，不廢息故。

> 体と心を精進させ、怠けることなく続けるからです。

問曰：

> お尋ねします。

精進是心數法，經何以名身精進？

> 精進は心の働き（心所）ですが、経典ではなぜ「身精進」と呼ぶのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

精進雖是心數法，從身力出，故名為身精進。如受是心數法，而有五識相應受，是名身受；有意識相應受，是為心受。精進亦如是，身力懃修，若手布施，口誦法言，若講說法，如是等名為身口精進。

> 精進は心の働きではあるが、身体の力から生じるので、身精進と呼ばれます。たとえば受は心の働きですが、五感に対応する受を身受といい、意識に対応する受を心受というのと同じです。精進も同様で、身体の力で勤め励むこと、たとえば手で布施をし、口で法の言葉を唱え、あるいは法を説くこと、これらを身口精進といいます。

復次，行布施、持戒，是為身精進；忍辱、禪定、智慧，是名心精進。

> さらに、布施と持戒を行うことは体の精進です。忍辱、禅定、智慧は心の精進です。

復次，外事懃修，是為身精進；內自專精，是為心精進。麁精進名為身，細精進名為心。為福德精進名為身，為智慧精進是為心。若菩薩初發心，乃至得無生忍，於是中間名身精進，生身未捨故。得無生忍，捨肉身得法性身，乃至成佛，是為心精進。

> さらに、外側の行いを熱心に修めることが身の精進であり、内側で心を一つに集中させることが心の精進です。粗い精進を身といい、細やかな精進を心といいます。福徳のための精進を身といい、智慧のための精進を心といいます。菩薩が初めて悟りの心を起こしてから無生法忍を得るまでの間は、身の精進と呼ばれます。まだ生身を捨てていないからです。無生法忍を得て、肉身を捨てて法性の身を得てから、仏になるまでは、これが心の精進です。

復次，菩薩初發心時，功德未足故，種三福因緣：布施、持戒、善心，漸得福報以施眾生。眾生未足，更廣修福，發大悲心：「一切眾生不足於財，多作眾惡，我以少財不能滿足其意；其意不滿，不能懃受教誨；不受道教，不能得脫生、老、病、死。我當作大方便，給足於財，令其充滿。」便入大海，求諸異寶；登山履危，以求妙藥；入深石窟，求諸異物，石汁、珍寶，以給眾生。或作薩陀婆，冒涉嶮道、劫賊、師子、虎、狼、惡獸，為布施眾生故，懃求財寶，不以為難。藥草、呪術，能令銅變為金，如是種種變化，致諸財物，及四方無主物，以給眾生，是為身精進。得五神通，能自變化，作諸美味，或至天上取自然食，如是等，名為心精進。

> また、菩薩が初めて悟りの心を起こしたとき、功德がまだ十分でないため、三つの福徳の因縁を種まきします。それは布施、持戒、善い心です。しだいに福報を得て、それを衆生に施します。しかし衆生が満たされないので、さらに広く福を修め、大きな慈悲の心を起こします。「すべての衆生は財に不足し、多くの悪を行っている。私が少しの財でその望みを満たすことはできない。その望みが満たされなければ、教えを熱心に受け入れることができない。教えを受けなければ、生・老・病・死から脱することができない。私は大きな方便を設けて、財を十分に与え、彼らを満ち足らせよう。」そこで大海に入り、さまざまな珍しい宝を求め、山に登り危険な道を歩んで、すぐれた薬を求め、深い石の洞窟に入って、さまざまな珍しいもの、石の汁や珍宝を求め、衆生に与えます。あるいは商人となって、険しい道や盗賊、獅子、虎、狼、悪い獣の危険を冒しながら、衆生に布施するために、熱心に財宝を求め、それを苦とは思いません。薬草や呪術によって、銅を金に変えることなど、このようなさまざまな変化によって、もろもろの財物や、四方に持ち主のないものを集めて、衆生に与えます。これが身の精進です。五つの神通を得て、自ら変化して、さまざまな美味しいものを作り、あるいは天上に行って自然の食べ物を取ってくることなど、これを心の精進といいます。

能集財寶以用布施，是為身精進；以是布施之德，得至佛道，是為心精進。

> 財宝を集めて布施に使うこと、これが身の精進です。その布施の功徳によって仏の道に至ること、これが心の精進です。

生身菩薩行六波羅蜜，是為身精進；法性身菩薩行六波羅蜜，是為心精進未得法身，心則隨身；已得法身，則心不隨身，身不累心也。

> 生身の菩薩が六波羅蜜を実践することを、身の精進といいます。法性身の菩薩が六波羅蜜を実践することを、心の精進といいます。<note>まだ法身を得ていないときは、心は身体に従います。すでに法身を得ていれば、心は身体に従わず、身体が心を煩わせることもありません。</note>

復次，一切法中，皆能成辦，不惜身命，是為身精進；求一切禪定、智慧時，心不懈惓，是為心精進。

> さらに、すべての法を成し遂げるために、自分のからだや命を惜しまないこと、これがからだの精進です。すべての禅定と智慧を求めるときに、心が怠けることなく励むこと、これが心の精進です。

復次，身精進者，受諸懃苦，終不懈廢。

> さらに、身の精進とは、あらゆる苦しい修行を受けても、決して怠り捨てないことです。

如說：

> 次のように説かれています。

「波羅柰國梵摩達王，遊獵於野林中。見二鹿群，群各有主，一主有五百群鹿。一主身七寶色，是釋迦牟尼菩薩；一主是提婆達多。菩薩鹿王見人王大眾殺其部黨，起大悲心，逕到王前。王人競射，飛矢如雨；王見此鹿直進趣已，無所忌憚，勅諸從人：『攝汝弓矢，無得斷其來意！』鹿王既至，跪白人王：『君以嬉遊逸樂小事故，群鹿一時皆受死苦；若以供膳，輒當差次，日送一鹿，以供王廚。』王善其言，聽如其意。於是二鹿群主，大集差次，各當一日，送應次者。是時，提婆達多鹿群中，有一鹿懷子，來白其主：『我身今日當應送死，而我懷子，子非次也；乞垂料理，使死者得次，生者不濫！』鹿王怒之言：『誰不惜命？次來但去，何得辭也？』

> 波羅奈国の梵摩達王が、野の林で狩りをしていました。二つの鹿の群れを見つけました。それぞれの群れに主がいて、一つの主は五百頭の鹿を従えていました。一方の主は体が七宝の色をしていて、釈迦牟尼菩薩でした。もう一方の主は提婆達多でした。菩薩である鹿の王は、人の王と大勢の者が自分の仲間を殺すのを見て、大きな慈悲の心を起こし、まっすぐ王の前に進み出ました。王の家来たちは競って射かけ、飛んでくる矢は雨のようでした。しかし、この鹿がためらわずに自分のもとへ向かってくるのを見て、王は従者たちに命じました。「弓矢を収めよ。この鹿の来る心を断ってはならぬ。」鹿の王が王の前に着くと、ひざまずいて人の王に申し上げました。「王は遊び楽しむという小さなことのために、群れの鹿が一度に死の苦しみを受けています。もし王の食事に供するのであれば、順番を決めて、毎日一頭ずつ王の台所へ送りましょう。」王はその言葉をよいと思い、その意のままに聞き入れました。そこで二つの鹿の群れの主は、よく集めて順番を決め、それぞれ一日ずつ、順番に当たる者を送ることになりました。そのとき、提婆達多の鹿の群れの中に、子を宿した一頭の鹿がいて、自分の主に申し上げました。「私の身は今日、送られる順番に当たっています。しかし私は子を宿しています。その子はまだ順番ではありません。どうかお計らいください。死ぬ者が順番に当たり、生まれる者が順番を乱すことのないように。」鹿の王は怒って言いました。「誰が命を惜しまない者かいるか。順番が来たらただ行け。どうして断ることができるのか。」

「鹿母思惟：『我王不仁，不以理恕，不察我辭，橫見瞋怒，不足告也！』即至菩薩王所，以情具白。

> 鹿の母は思いました。「わたしの王は思いやりがなく、道理をもってお許しにならず、わたしの言い分もお聞きにならず、わけもなくお怒りになっている。もう申し上げても仕方がない」。そこで菩薩である王のもとへ行き、事情をありのままに申し上げました。

「王問此鹿：『汝主何言？』

> 王はこの鹿に尋ねました。「おまえの主は何と言ったのか」

「鹿曰：『我主不仁，不見料理，而見瞋怒；大王仁及一切，故來歸命。如我今日，天地雖曠，無所控告！』菩薩思惟：『此甚可愍！若我不理，抂殺其子；若非次更差，次未及之，如何可遣？唯有我當代之。』思之既定，即自送身，遣鹿母還：『我今代汝，汝勿憂也！』鹿王逕到王門，眾人見之，怪其自來，以事白王。

> 鹿が言いました。「わが主は不仁にして、私をいたわる心もなく、ただ怒りだけを向けられます。大王はすべてのものに慈悲を及ぼされるお方だからこそ、私はここに帰依しに参りました。しかし今の私には、天地が広いとはいえ、訴えるところもありません。」 菩薩は思いをめぐらせました。「これは本当に哀れむべきことだ。私が取り計らわなければ、子をむなしく殺してしまう。かといって、順番を入れ替えようにも、まだ順番が回ってこない者をどうやって送り出せばよいのか。私が代わってやるほかない。」 こう考えが定まると、みずから身を差し出し、母鹿を帰らせました。「私がお前の代わりになろう。心配しなくてよい。」 鹿の王はまっすぐ王の門へと向かいました。人々はそれを見て、自分からやって来たのを不思議に思い、このことを王に報告しました。

「王亦怪之，而命令前，問言：『諸鹿盡耶？汝何以來？』

> 王も不思議に思い、呼び寄せて尋ねました。「鹿はもういないのか。なぜお前がここに来たのか」

「鹿王言：『大王仁及群鹿，人無犯者，但有滋茂，何有盡時！我以異部群中，有一鹿懷子，以子垂產，身當殂割，子亦併命，歸告於我，我以愍之。非分更差，是亦不可；若歸而不救，無異木石。是身不久，必不免死；慈救苦厄，功德無量。若人無慈，與虎狼無異。』王聞是言，即從坐起，而說偈言：

> 鹿の王が言いました。「大王様、あなたの仁慈は鹿の群れにまで及び、誰も害される者はおりません。ただ増えていくばかりで、絶えることなどございましょうか。しかし、別の群れの中に、子を宿した一匹の鹿がおりました。子を産む間際で、その身はまさに裂かれようとしており、子もまた共に命を落とすことになります。それが私のもとに来て訴えましたので、私は深く哀れに思い、順番を特別に変えることはできません。かといって、訴えを顧みずに救わなければ、木や石と同じでございましょう。この身は長くは保たず、いつかは必ず死を免れません。慈悲をもって苦しみを救うことは、功德がはかり知れません。もし人に慈悲がなければ、虎や狼と同じでございます。」王はこの言葉を聞くと、座から立ち上がり、偈を唱えました。

「我實是畜獸， 名曰人頭鹿；汝雖是鹿身， 名為鹿頭人！以理而言之， 非以形為人；若能有慈惠， 雖獸實是人。我從今日始， 不食一切肉；我以無畏施， 且可安汝意！」

> 私は実に獣のようなもの、 人の頭を持つ鹿と呼ばれる者だ。 あなたは鹿の姿をしていても、 鹿の頭を持つ人間と呼ばれる方だ。 理屈から言えば、形で人かどうかが決まるのではない。 もし慈しみの心を持つなら、獣であっても本当に人間なのだ。 私は今日から、 いっさいの肉を食べない。 私は恐れを取り除く施しをして、 しばらくあなたの心を安らかにしよう。

諸鹿得安，王得仁信。

> 鹿たちは安らぎを得て、王は仁徳への信仰を得た。

復次，如愛法梵志，十二歲遍閻浮提求知聖法而不能得；時世無佛，佛法亦盡。有一婆羅門言：「我有聖法一偈，若實愛法，當以與汝！」答言：「實愛法！」婆羅門言：「若實愛法，當以汝皮為紙，以身骨為筆，以血書之，當以與汝！」即如其言，破骨、剝皮，以血寫偈：

> また、愛法梵志のように、十二歳で閻浮提を遍く巡り、聖なる法を求めたけれども得ることができませんでした。そのとき世に仏はおらず、仏法もすでに尽きていました。一人の婆羅門が言いました。「私には聖なる法の一偈がある。もし本当に法を愛するなら、あなたに与えよう。」梵志は答えました。「本当に法を愛しています。」婆羅門は言いました。「もし本当に法を愛するなら、あなたの皮を紙とし、身の骨を筆とし、血でそれを書くならば、あなたに与えよう。」そこで言われたとおりに、骨を砕き、皮を剥ぎ、血で偈を書きました。

「如法應修行， 非法不應受；今世亦後世， 行法者安隱！」

> 「法にかなったことを行い、法にかなわないことは受け入れてはならない。この世でも後の世でも、法を行う者は安らかである。」

復次，昔野火燒林，林中有一雉，懃身自力，飛入水中，漬其毛羽，來滅大火；火大水少，往來疲乏，不以為苦。是時，天帝釋來問之言：「汝作何等？」答言：「我救此林，愍眾生故！此林蔭育處廣，清涼快樂，我諸種類，及諸宗親，并諸眾生，皆依仰此。我有身力，云何懈怠而不救之？」天帝問言：「汝乃精懃，當至幾時？」雉言：「以死為期！」天帝言：「汝心雖爾，誰證知者？」即自立誓：「我心至誠，信不虛者，火即當滅！」是時，淨居天知菩薩弘誓，即為滅火。自古及今，唯有此林，常獨蔚茂，不為火燒。

> むかし、野火が林を焼いたことがありました。林の中に一羽の雉がいました。雉は自分の身を励まし、力の限りを尽くして水の中に飛び込み、羽根を濡らしては火を消しに戻りました。火は大きく水はわずかで、行き来するうちに疲れ果てましたが、それをも苦とはしませんでした。 そのとき、天帝釈がやって来て尋ねました。「おまえは何をしているのか。」 雉は答えました。「私はこの林を救っているのです。生きとし生けるものをあわれむがゆえに。この林は広く生き物を養い育む場所であり、清らかで涼しく、快楽に満ちています。私の仲間たちも、親族も、そして多くの生き物たちも、みなこの林に頼って暮らしています。私にはこの身体の力があるのに、どうして怠けて救わないことがありましょうか。」 天帝が尋ねました。「おまえはよく励んでいるが、いつまで続けるつもりか。」 雉は言いました。「死ぬまでを期限とします。」 天帝が言いました。「おまえの心はそうであっても、誰がそれを証明できるのか。」 そこで雉は自ら誓いを立てました。「私の心が真実で、信に偽りがなければ、火はただちに消えるだろう。」 このとき、浄居天は菩薩の大きな誓いを知り、ただちに火を消しました。古から今に至るまで、ただこの林だけが、常にひとりこんもりと茂り、火に焼かれることはありませんでした。

如是等種種宿世所行，難為能為，不惜身命、國財、妻子、象馬、七珍、頭目骨髓，懃施不惓。如說菩薩為諸眾生，一日之中千死千生，如檀、尸、忍、禪、般若波羅蜜中所行如是。

> このように、前世でさまざまな修行を積み、誰にもできないような難しいことを成し遂げ、自分の体や命、国や財産、妻や子供、象や馬、七つの宝物、頭や目、骨の髄さえも惜しまずに、疲れることなく施し続けました。経典に説かれているように、菩薩はすべての生きとし生けるもののために、一日のうちに千度死に、千度生まれ変わりました。それはまるで、布施・戒律・忍耐・禅定・智慧という六つの波羅蜜の修行で行われる通りのものです。

菩薩本生經中種種因緣相，是為身精進。

> 菩薩が前世で積んださまざまな善行の姿、これが身の精進です。

於諸善法修行信樂，不生疑悔而不懈怠，從一切賢聖，下至凡人，求法無厭，如海吞流，是為菩薩心精進。

> 善い教えを信じて喜び、修行に励み、疑いや悔いを抱かず、怠けることなく、すべての聖なる人々から、さらには普通の人々に至るまで、教えを求める心が尽きることがない――まるで海が川の流れを吞み込むかのように。これが菩薩の心の精進です。

問曰：

> お尋ねします。

心無厭足，是事不然！所以者何？若所求事辦，所願已成，是則應足。若理不可求，事不可辦，亦應捨廢，云何恒無厭足？如人穿井求泉，用功轉多，轉無水相，則應止息；亦如行道，已到所在，不應復行，云何恒無厭足？

> 心が満たされることなく、際限なく求め続けるというのは、間違っています。なぜでしょうか？求めることが成し遂げられ、願いが叶ったなら、そこで満足すべきです。また、道理として求められず、実現できないことであるなら、それも諦めるべきです。どうして常に満足することなく求め続けることがあり得るでしょうか？たとえば、人が井戸を掘って水を求める場合、努力が増えても水が出る気配がなければ、そこで止めるべきです。また、道を行く場合、すでに目的地に着いたなら、もう歩き続けるべきではありません。どうして常に満足することなく求め続けることがあり得るでしょうか？

答曰：

> お答えしますと、

菩薩精進，不可以世間譬喻為比，如穿井力少，則不能得水，非無水也；若此處無水，餘處必有。如有所至，必求至佛，至佛無厭，誨人不惓，故言無厭。

> 菩薩の精進は、世間のたとえで比べられるものではありません。たとえば井戸を掘るとき、力が足りなければ水は得られませんが、水がないわけではありません。もしこの場所に水がなければ、別の場所には必ずあるものです。同じように、どこかに向かって進むなら、必ず仏に至ろうと求め、仏に至っても飽きることなく、人を教え導くことに疲れることがない。だから「飽くことなし」と言うのです。

復次，菩薩精進，志願弘曠，誓度一切；而眾生無盡，是故精進亦不可盡。汝言「事辦應止」，是事不然！雖得至佛，眾生未盡，不應休息。譬如火相若不滅，終不冷；菩薩精進亦復如是，未入滅度，終不休息。以是故，十八不共法中，欲及精進，二事常修。

> 次に、菩薩の精進は、志願が広く大きいので、すべてを救おうと誓います。しかし、衆生は尽きることがないので、精進もまた尽きることがありません。あなたが「事が成し遂げられたら止めるべきだ」と言うのは、そうではありません。たとえ仏に至っても、衆生が尽きない限り、休んではなりません。たとえば火の性質が消えない限り、決して冷めないようなものです。菩薩の精進もまた同じです。滅度に入るまでは、決して休みません。ですから、十八不共法の中で、欲と精進の二つは常に修めるのです。

復次，菩薩不住法住般若波羅蜜中，不廢精進，是菩薩精進，非佛精進。

> 次に、菩薩は法に執着せず、般若波羅蜜の中に留まりながらも、精進を怠ることはありません。これが菩薩の精進であり、仏の精進ではありません。

復次，菩薩未得菩薩道，生死身以好事施眾生，眾生反更以不善事加之。或有眾生，菩薩讚美反更毀辱，菩薩恭敬而反輕慢，菩薩慈念反求其過，謀欲中傷；此眾生等，無有力勢，來惱菩薩。菩薩於此眾生，發弘誓願：「我得佛道，要當度此惡中之惡諸眾生輩！」於此惡中，其心不懈，生大悲心；譬如慈母憐其子病，憂念不捨。如是相，是為菩薩精進。

> また、菩薩がまだ菩薩の道を得ていないとき、生死の身をもって善い行いを衆生に施しても、衆生はかえってさらに不善な行いを菩薩に加えることがあります。あるいは、菩薩が讃えても、かえって毀り辱め、菩薩が敬っても、かえって軽んじ、菩薩が慈しみをもって念じても、かえってその過ちを探し、害しようと企てる衆生もいます。このような衆生たちは、力も勢いもなく、菩薩を悩ませに来るのです。菩薩はこの衆生たちに対して、大きな誓願を起こします。「私が仏の道を得たなら、必ずこの悪の中の悪なる衆生たちを救おう！」この悪の中で、その心は懈ることなく、大きな悲しみの心を生じます。ちょうど慈母が子の病を憐れみ、憂い念じて捨てないようなものです。このような姿が、菩薩の精進なのです。

復次，行布施波羅蜜時，十方種種乞兒來欲求索，不應索者皆來索之，及所愛重難捨之物，語菩薩言：「與我兩眼，與我頭腦骨髓、愛重妻子及諸貴價珍寶。」如是等難捨之物，乞者強索，其心不動，慳瞋不起，見疑心不生，一心為佛道故布施；譬如須彌山，四方風吹所不能動。

> 次に、布施波羅蜜を行うとき、十方からさまざまな乞食が物を求めてやって来ます。求めるべきでないものまで求めて来て、愛おしく手放しがたいものをも求めて、菩薩にこう言います。「私に両目をください。私に頭や脳や骨髄、愛する妻子、そして貴重な宝物をください」と。このように手放しがたいものを、乞う者が無理に求めても、その心は動かず、物惜しみや怒りは起こらず、疑いの心も生じません。ただ一心に仏の道のために布施をするのです。ちょうど須弥山が四方から吹く風にも動かないようなものです。

如是種種相，是名精進波羅蜜。

> このようなさまざまな姿が、精進波羅蜜と呼ばれるのです。

復次，菩薩精進，遍行五波羅蜜，是為精進波羅蜜。

> さらに、菩薩の精進は五つの波羅蜜すべてに及ぶので、これを精進波羅蜜といいます。

問曰：

> お尋ねします。

若行戒波羅蜜時，若有人來乞三衣鉢盂，若與之則毀戒。何以故？佛不聽故。若不與，則破檀波羅蜜，精進云何遍行五事？

> 戒波羅蜜を行じているとき、もし人が三衣や鉢盂を乞いに来たなら、それを与えれば戒を破ることになります。なぜなら、仏がお許しにならないからです。しかし与えなければ、檀波羅蜜を破ることになります。このようなとき、精進はどのように五つの事柄をあまねく行じるのでしょうか。

答曰：

> お答えしますと、

若新行菩薩，則不能一世一時遍行五波羅蜜。

> 新しい修行を始めたばかりの菩薩は、一つの時代に、一時に、五つの波羅蜜をすべて実践することはできません。

如菩薩行檀波羅蜜時，見餓虎飢急，欲食其子；菩薩是時興大悲心，即以身施。菩薩父母以失子故，憂愁懊惱，兩目失明；虎殺菩薩，亦應得罪。而不籌量父母憂苦、虎得殺罪；但欲滿檀，自得福德。

> 菩薩が檀波羅蜜（布施の修行）を行じているとき、飢えて今にも子を食べようとしている虎を見ました。菩薩はそのとき大きな慈悲の心を起こし、自分の身を虎に施しました。菩薩の父母は子を失った悲しみのあまり、両目が見えなくなってしまいました。虎は菩薩を殺したのですから、罪を得るはずです。しかし菩薩は、父母の悲しみや虎が殺人の罪を得ることなどを考えることなく、ただ布施を完成させたいと願い、自ら福徳を得たのです。

又如持戒比丘，隨事輕重，擯諸犯法。被擯之人，愁苦懊惱。但欲持戒，不愍其苦。

> また、戒を守る修行僧は、その状況の軽重に応じて、法を犯した者を追放します。追放された者は、悲しみ苦しみ、思い煩います。しかし、ただ戒を守ることだけを考え、その者の苦しみを哀れみません。

或時行世俗般若，息慈悲心。如釋迦牟尼菩薩，宿世為大國王太子。父王有梵志師，不食五穀，眾人敬信，以為奇特。

> あるとき、世間的な智慧の行にふけり、慈悲の心を失ってしまった。たとえば釈迦牟尼菩薩が、前世に大国の王の太子であったときのこと。父王にはバラモンの師がいて、五穀を食べず、人々はこれを尊敬し信じて、不思議な人だと思っていた。

太子思惟：「人有四體，必資五穀，而此人不食，必是曲取人心，非真法也！」父母告子：「此人精進不食五穀，是世希有，汝何愚甚而不敬之？」

> 太子は思いました。「人は体があるからには、必ず五穀を食べなければならない。なのにこの人は食べないという。きっと人心を巧みに引きつけようとしているだけで、本当の法ではないのだ。」 父母は子に言いました。「この人は精進して五穀を食べない。これは世にもまれなことだ。どうしてお前はそんなに愚かで、敬おうとしないのか。」

太子答言：「願小留意此人，不久證驗自出！」

> 太子はお答えになった。「どうか少しこの人に心を留めてください。まもなく証拠が自然と現れるでしょう。」

是時，太子求其住處，至林樹間，問林中牧牛人：「此人何所食噉？」

> そのとき、太子は泊まる場所を求め、林の木々の間へと向かい、林の中で牛を放牧している人に尋ねました。「この人は何を食べているのですか。」

牧牛者答言：「此人夜中，少多服酥以自全命。」

> 牛飼いの者が答えて言いました。「この人は夜の間に、少しばかり酥（バター）を飲んで、命をつないでいました。」

太子知已還宮，欲出其證驗，即以種種諸下藥草，熏青蓮華。清旦梵志入宮，坐王邊，太子手執此花來供養之；拜已，授與。

> 太子は、自分が既に宮殿に戻ったことを知ると、その証を明かそうとして、さまざまな薬草で青蓮華をいぶした。早朝、修行者が宮中にやって来て王のそばに座ると、太子はこの花を手に取り、供養のために差し出した。礼拝を終えてから、花を手渡した。

梵志歡喜自念：「王及夫人，內外大小，皆服事我，唯太子不見敬信；今日以好華供養，甚善無量！」得此好華，敬所來處，舉以向鼻嗅之。華中藥氣入腹，須臾腹內藥作，欲求下處。

> 梵志は喜んで心の中で思った。「王も夫人も、内外の人々もみな私に仕えてくれる。ただ太子だけが私を敬わない。今日は立派な花を供養できた、なんとすばらしいことか。」この立派な花を手に入れると、来た場所に敬意を表して、花を持ち上げて鼻に近づけて嗅いだ。花の中の薬の気が腹に入り、ほどなく腹の中で薬が効き始め、下痢をしたくなった。

太子言：「梵志不食，何緣向廁？」急捉之。須臾便吐王邊，吐中純酥。

> 太子が言いました。「梵志よ、食べ物を口にしていないのに、なぜ便所へ行くのか」と。太子はすぐに彼をつかまえました。しばらくして、王のそばで吐き出しました。吐いたものの中は、純粋な酥（バター）だけでした。

證驗現已，王與夫人乃知其詐。

> 証拠が目の前に現れ、王と夫人はようやくそれが偽りだと知りました。

太子言：「此人真賊！求名故以誑一國。」

> 太子は言いました。「この人は本当に盗人だ。名声を求めるために、国じゅうをだましていたのだ。」

如是行世俗般若，但求滿智，寢憐愍心，不畏人瞋。

> このように世俗の智慧を実践し、ただ智慧を完成させることだけを求め、憐れみの心を眠らせることなく、人の怒りを恐れないのです。

或時菩薩行出世間般若，於持戒、布施心不染著。何以故？施者、受者、所施財物，於罪、不罪，於瞋、不瞋，於進、於怠，攝心、散心，不可得故。

> ある時、菩薩は世間を超えた般若を行じ、持戒や布施に心がとらわれることがありませんでした。なぜでしょうか。施す者、受け取る者、施す財物は、罪や無罪、怒りや怒りのなさ、努力や怠慢、集中した心や散った心として、とらえることができないからです。

復次，菩薩行精進波羅蜜，於一切法，不生不滅，非常非無常，非苦非樂，非空非實，非我非無我，非一非異，非有非無；盡知一切諸法，因緣和合，但有名字，實相不可得。菩薩作如是觀，知一切有為，皆是虛誑，心息無為，欲滅其心，唯以寂滅為安隱。爾時，念本願憐愍眾生故，還行菩薩法，集諸功德。菩薩自念：「我雖知諸法虛誑，眾生不知是事，於五道中受諸苦痛，我今當具足行六波羅蜜。」菩薩報得神通，亦得佛道：三十二相、八十種好、一切智慧、大慈大悲、無礙解脫、十力、四無所畏、十八不共法、三達等無量諸佛法。得是法時，一切眾生皆得信淨，皆能受行愛樂佛法。能辦是事，皆是精進波羅蜜力。是為精進波羅蜜。

> 次に、菩薩が精進波羅蜜を実践するとは、すべての法について、生じることもなく滅することもなく、常でもなく無常でもなく、苦でもなく楽でもなく、空でもなく実でもなく、我でもなく無我でもなく、一つでもなく異なるものでもなく、有でもなく無でもないと知ることです。すべての法は因縁が和合して生じ、ただ名前があるだけで、真実の姿は得られないと thoroughly 理解することです。 菩薩はこのように観察して、すべての有為は虚ろで偽りであると知り、心は無為に落ち着き、その心を滅ぼそうとし、ただ寂滅のみを安らぎとします。その時、本来の願いを思い、衆生を憐れんで、再び菩薩の修行を行い、さまざまな功徳を積みます。 菩薩は自らこう思います。「私はすべての法が虚ろで偽りであると知っているが、衆生はこのことを知らず、五道の中でさまざまな苦しみを受けている。私は今、六波羅蜜を完全に実践しよう。」 菩薩は神通を得て、また仏道をも得ます。すなわち、三十二相、八十種好、一切の智慧、大慈大悲、妨げのない解脱、十力、四无所畏、十八不共法、三達など、数えきれないほどの仏の法です。 この法を得たとき、すべての衆生は皆、信じ清らかになり、皆、仏法を実践し愛し楽しむことができます。このことを成し遂げられるのは、すべて精進波羅蜜の力によるものです。これが精進波羅蜜であります。

如佛所說：「爾時，菩薩精進，不見身，不見心；身無所作，心無所念，身、心一等而無分別。所求佛道以度眾生，不見眾生為此岸、佛道為彼岸，一切身、心所作放捨；如夢所為，覺無所作。是名寂滅諸精進故，名為波羅蜜。所以者何？知一切精進皆是邪偽故。以一切作法皆是虛妄不實，如夢、如幻；諸法平等，是為真實。平等法中，不應有所求索，是故知一切精進皆是虛妄。雖知精進虛妄，而常成就不退，是名菩薩真實精進。」

> 仏がおっしゃったとおりです。「そのとき、菩薩は精進するにあたって、身体を見ず、心を見ません。身体は何も作さず、心は何も念じません。身体と心は一つであり、区別がありません。求める仏道によって衆生を救おうとしながらも、衆生を此岸、仏道を彼岸とは見なしません。一切の身体と心の営みを手放します。夢の中で行ったことは、目覚めてみれば何もないのと同じです。これを、すべての精進が寂静であるため、波羅蜜と名づけます。なぜなら、すべての精進は邪まな偽りであると知るからです。すべての作られたものは虚妄で実体がなく、夢や幻のようなものです。しかし、すべての法は平等であり、これが真実です。平等な法の中では、求めるべきものは何もありません。それゆえ、すべての精進は虚妄であると知るのです。精進が虚妄であると知りながらも、常に不退を成し遂げることを、菩薩の真実の精進と名づけます。」

如佛言：「我於無量劫中，頭、目、髓、腦以施眾生，令其願滿。持戒、忍辱、禪定時，在山林中，身體乾枯；或持齋節食，或絕諸色味，或忍罵辱、刀杖之患，是故身體焦枯。又常坐禪，曝露懃苦，以求智慧；誦讀、思惟，問難、講說一切諸法；以智分別好惡、麁細、虛實、多少；供養無量諸佛，慇懃精進求此功德，欲具足五波羅蜜。我是時無所得，不得檀、尸、羼、精進、禪、智慧波羅蜜。見然燈佛，以五華散佛，布髮泥中，得無生法忍，即時六波羅蜜滿；於空中立，偈讚然燈佛，見十方無量諸佛，是時得實精進。」身精進平等故得心平等，心平等故得一切諸法平等。

> 仏がこうおっしゃいました。「私は無量の劫のあいだ、頭や目、髄や脳を众生に施し、その願いを満たしてきた。持戒し、忍辱し、禅定を修めたときには、山林の中で体が乾き枯れた。あるいは斎を守って節食し、あるいは色や味を断ち、あるいは罵られ辱められ、刀や杖の害に耐えた。そのために体は焦げ枯れた。また常に座禅し、雨風にさらされて苦労しながら、智慧を求めた。経を読み、思いを巡らせ、問い難じて議論し、すべての法を説いた。智慧によって善悪、粗いか細かいか、虚か実か、多いか少ないかを見分けた。無量の諸仏を供養し、ねんごろに精進してこの功徳を求め、五波羅蜜を具足しようとした。しかしそのとき、私は何も得られず、檀・尸・羼・精進・禅・智慧の波羅蜜を得ることはできなかった。然灯仏にお会いし、五つの花を仏に散らし、髪を泥の上に敷いて、無生法忍を得たときに、たちまち六波羅蜜が満たされた。空中に立ち、偈で然灯仏を讃え、十方の無量の諸仏を見た。このときに真の精進を得たのだ。」身の精進が平等であるから心の平等が得られ、心が平等であるから一切の諸法の平等が得られるのです。

如是種種因緣相，名為精進波羅蜜。

> このようなさまざまな因縁のあり方を、精進波羅蜜と呼びます。

## 大智度論卷第十六

> 大智度論 第十六巻