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title: "景德傳燈錄 · 第十七祖僧伽難提"
description: "景德传灯录由宋代高僧道原编纂，成书于景德年间（1004-1007年），是中国佛教禅宗重要史传类典籍。全书共三十卷，收录自释迦牟尼至五代末年的禅宗祖师1701人，以法脉传承为脉络，记录历代禅师的机缘语录、公案典故。作为现存最早的传灯体著作，该书系统记载了禅宗五家七宗的传承体系，保存了大量珍贵史料，对研究中国禅宗发展史具有不可替代的价值。景德传灯录与五灯会元并称为禅宗两大灯录，被后世奉为禅门经典，不仅影响了宋明理学的发展，更成为东亚禅佛教传播的重要文献依据。"
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第十七祖僧伽難提者。室羅閥城寶莊嚴王之子也。生而能言。常讚佛事。七歲即厭世樂。以偈告其父母曰。

> 第十七祖、僧伽難提は、室羅閥城の宝荘厳王の子である。生まれながらに言葉を話すことができ、常に仏の教えを称えていた。七歳で俗世の楽しみに飽き足らず、偈（うた）で父母に告げて言った。

稽首大慈父 和南骨血母我今欲出家 幸願哀愍故

父母固止之。遂終日不食。乃許其在家。出家號僧伽難提。復命沙門禪利多為之師。積十九載未曾退倦。尊者每自念言。身居王宮胡為出家。一夕天光下屬。見一路坦平不覺徐行。約十里許至大巖前。有石窟焉。乃燕寂于中。父既失子。即擯禪利多出國。訪尋其子不知所在。經十年。尊者得法受記已。行化至摩提國。忽有涼風襲眾身心悅適非常。而不知其然。尊者曰。此道德之風也。當有聖者出世嗣續祖燈乎。言訖。以神力攝諸大眾遊歷山谷。食頃至一峯下謂眾曰。此峯頂有紫雲如蓋。聖人居此矣。即與大眾徘徊久之。見山舍一童子持圓鑑直造尊者前。尊者問。汝幾歲耶。曰百歲。尊者曰。汝年尚幼何言百歲。曰我不會理正百歲耳。尊者曰。汝善機耶。曰佛言若人生百歲。不會諸佛機。未若生一日。而得決了之。師曰。汝手中者當何所表。童曰。諸佛大圓鑑內外無瑕翳。兩人同得見心眼皆相似。彼父母聞子語。即捨令出家。尊者携至本處。受具戒訖。名伽耶舍多。他時聞風吹殿銅鈴聲。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶。師曰。非風非鈴我心鳴耳。尊者曰。心復誰乎。師曰。俱寂靜故。尊者曰。善哉善哉。繼吾道者非子而誰。即付法偈曰。

> 父母が固くこれを止めたので、ついに終日食事を摂らなかった。そこで彼は在家のまま出家することを許され、僧伽難提と名乗った。さらに沙門の禅利多を師と仰ぐよう命じられた。十九年の間、一度も怠ることなく修行を積んだ。尊者は自ら、「私は王宮に身を置きながら、どうして出家したのだろうか」と常に思っていた。ある夜、天の光が降り注ぎ、一本の平らな道が見えたので、知らず知らずのうちに歩き出した。約十里ほど進むと大きな岩の前に出て、そこに石窟があった。そこで静かに座禅に入った。父は子を失った後、すぐに禅利多を国から追放し、行方不明の子を探し求めたが、どこにいるのかわからなかった。十年が経った。尊者は法を得て授記を受けた後、教化の旅をして摩提国に至った。すると突然、涼しい風が人々の心身に吹きつけ、非常に心地よく、その原因は誰にもわからなかった。尊者は言った。「これは道徳の風である。聖者が世に現れ、祖師の灯を受け継ごうとしているのだろう。」言い終えると、神通力で大衆を連れて谷を巡り歩いた。食事をするほどの時間で一つの峰の麓に着き、大衆に言った。「この峰の頂上には、蓋のような紫雲がかかっている。聖人がここにおられるのだ。」そして大衆とともにしばらくそこで待っていると、山の庵から一人の童子が丸い鏡を持って、直接尊者のもとにやって来た。尊者が尋ねた。「あなたは何歳か。」童子は「百歳です。」と答えた。尊者は「あなたはまだ幼いのに、どうして百歳と言うのか。」と言うと、童子は「私は理にかなっていないから、ちょうど百歳なのです。」と答えた。尊者が「あなたは機根が鋭いようだ。」と言うと、童子は言った。「仏は言われました。『もし人が百歳生きても、諸仏の機根を会得しなければ、一日生きてそれを悟り極める者には及ばない。』と。」師が「あなたの手にあるものは、何を表しているのか。」と尋ねると、童子は言った。「諸仏の大きな円鏡は、内外に曇りがありません。二人が共に見れば、心の眼は皆似通っています。」彼の父母はこの言葉を聞いて、すぐに出家させた。尊者は彼を連れて元の場所に戻り、具足戒を授け、ガヤーシャータと名付けた。ある時、風が殿の銅製の鈴を鳴らす音を聞いて、尊者が師に尋ねた。「鈴が鳴っているのですか、風が鳴っているのですか。」師は言った。「風でも鈴でもありません。私の心が鳴っているのです。」尊者は「心とは、また誰のことか。」と尋ねると、師は「共に静まり返っているからです。」と答えた。尊者は言った。「善いかな、善いかな。我が道を継ぐ者は、あなたを置いて他に誰がいようか。」そして直ちに法を伝える偈を授けた。

心地本無生 因地從緣起緣種不相妨 華果亦復爾

尊者付法已。右手攀樹而化。大眾議曰。尊者樹下歸寂。其垂蔭後裔乎。將奉全身於高原建塔。眾力不能舉。即就樹下起塔。當前漢昭帝十三年丁未歲也。

> 尊者は法を伝え終えると、右手で木の枝を掴んでそのまま入滅しました。人々は議論して言いました。「尊者は木の下でお亡くなりになった。これは、後の世代までその恵みの陰が及ぶというお考えだろうか」と。そこで、尊者のお身体を高台に運んで塔を建てようとしましたが、皆で力を合わせても持ち上げることができませんでした。そのため、そのまま木の下に塔を建てました。これは、前漢の昭帝の治世、十三年目の丁未の年の出来事です。