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title: "景德傳燈錄 · 第二十八祖菩提達磨"
description: "景德传灯录由宋代高僧道原编纂，成书于景德年间（1004-1007年），是中国佛教禅宗重要史传类典籍。全书共三十卷，收录自释迦牟尼至五代末年的禅宗祖师1701人，以法脉传承为脉络，记录历代禅师的机缘语录、公案典故。作为现存最早的传灯体著作，该书系统记载了禅宗五家七宗的传承体系，保存了大量珍贵史料，对研究中国禅宗发展史具有不可替代的价值。景德传灯录与五灯会元并称为禅宗两大灯录，被后世奉为禅门经典，不仅影响了宋明理学的发展，更成为东亚禅佛教传播的重要文献依据。"
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## 景德傳燈錄卷第三

> 景德傳燈錄 巻第三

-   第二十八祖菩提達磨
    -   道育禪師
    -   道副禪師
    -   尼總持
-   第二十九祖慧可大師
    -   僧那禪師
    -   向居士
    -   相州慧滿禪師
    -   峴山神定禪師
    -   寶月禪師
    -   華閑居士
    -   大士化公
    -   和公
    -   廖居士
    -   曇邃
    -   延陵慧簡
    -   彭城慧瑳
    -   定林寺慧綱
    -   六合大覺
    -   高郵曇影
    -   泰山明練
    -   揚州靜泰
-   第三十祖僧璨大師
-   第三十一祖道信大師
-   第三十二祖弘忍大師

-   第二十八祖菩提達磨旁出三人
    -   一道育禪師
    -   二道副禪師
    -   三尼總持
-   第二十九祖慧可大師
    -   僧那禪師
    -   向居士
    -   相州慧滿禪師
    -   峴山神定禪師
    -   寶月禪師
    -   華閑居士
    -   大士化公
    -   和公
    -   廖居士
    -   華閑居士復出一人　曇邃
    -   曇邃復出三人
        -   一延陵慧簡
        -   二彭城慧瑳
        -   三定林寺慧綱
    -   慧綱復出一人　六合大覺
    -   大覺復出一人　高郵曇影
    -   曇影復出一人　太山明練
    -   明練復出一人　揚州靜泰
    
-   第三十祖僧璨大師
-   第三十一祖道信大師
-   第三十二祖弘忍大師

第二十八祖菩提達磨者。南天竺國香至王第三子也。姓剎帝利。本名菩提多羅。後遇二十七祖般若多羅。至本國受王供養。知師密迹。因試令與二兄辨所施寶珠。發明心要。既而尊者謂曰。汝於諸法已得通量。夫達磨者通大之義也。宜名達磨。因改號菩提達磨。師乃告尊者曰。我既得法。當往何國而作佛事。願垂開示。尊者曰。汝雖得法未可遠遊。且止南天待吾滅後六十七載。當往震旦設大法藥直接上根。慎勿速行衰於日下。師又曰。彼有大士堪為法器否。千載之下有留難否。尊者曰。汝所化之方獲菩提者不可勝數。吾滅後六十餘年彼國有難。水中文布自善降之。汝至時南方勿住。彼唯好有為功業不見佛理。汝縱到彼亦不可久留。聽吾偈曰。

> 第二十八祖菩提達磨は、南天竺国の香至王の第三子である。姓は刹帝利、本名は菩提多羅といった。後に二十七祖の般若多羅に出会った。その時、般若多羅は国王の供養を受けるためにその国に来ていた。師の密かな悟りの跡を知った般若多羅は、試しに菩提多羅に命じて、二人の兄と共に布施された宝珠について論じさせた。そこで菩提多羅は心の要を明らかに示した。その後に尊者（般若多羅）は彼に言った。「あなたはすでに諸法について通達の度量を得ている。『達磨』とは『大いなるものに通じる』という意味である。よってあなたを『達磨』と名付けるのがふさわしい。」そこで彼は菩提達磨と改名した。師は尊者に告げて言った。「私はすでに法を得ました。では、どの国に赴いて仏の教えを広めるべきでしょうか。どうかご教示ください。」尊者は言った。「あなたは法を得たとはいえ、まだ遠くへ赴いてはならない。しばらく南天に留まり、私の滅後六十七年が過ぎるのを待ちなさい。その時、震旦（中国）に赴いて大いなる法の薬を施し、直に上根の者を導きなさい。急いで行って、日の下で衰えてはならない。」師はまた尋ねた。「あの国には法の器となる優れた人がいるでしょうか。千年の後には障害や妨げがあるでしょうか。」尊者は言った。「あなたが教化する地で悟りを得る者は数えきれないほどいるだろう。私の滅後六十余年して、あの国に難が起こる。水の中の文布が自らよくそれを鎮めるだろう。あなたは到着したならば南方に留まってはならない。あそこではただ功徳を積むことを好み、真理を見ないからだ。たとえそこに赴いても長く留まることはできない。私の偈を聞きなさい。」

路行跨水復逢羊 獨自悽悽暗度江日下可憐雙象馬 二株嫩桂久昌昌

> 行路に水を渡りて又羊に逢う 独り悽悽として暗に江を度る 日下に憐れむべき双象馬 二株の嫩桂 久しく昌々たり

復演八偈。皆預讖佛教隆替事具寶林傳及聖胄集師恭稟教義。服勤左右垂四十年未嘗廢闕。逮尊者順世。遂演化本國。時有二師。一名佛大先。一名佛大勝多。本與師同學佛陀跋陀小乘禪觀。佛大先既遇般若多羅尊者。捨小趣大與師並化。時號二甘露門矣。而佛大勝多更分途而為六宗。第一有相宗。第二無相宗。第三定慧宗。第四戒行宗。第五無得宗。第六寂靜宗。各封己解別展化源。聚落崢嶸徒眾甚盛。大師喟然而歎曰。彼之一師已陷牛迹。況復支離繁盛而分六宗。我若不除永纏邪見。言已。微現神力至第一有相宗所。問曰。一切諸法何名實相。彼眾中有一尊長薩婆羅。答曰。於諸相中不互諸相。是名實相。師曰。一切諸相而不互者。若名實相當何定耶。彼曰。於諸相中實無有定。若定諸相何名為實。師曰。諸相不定便名實相。汝今不定當何得之。彼曰。我言不定不說諸相。當說諸相其義亦然。師曰。汝言不定當為實相。定不定故即非實相。彼曰。定既不定即非實相。知我非故不定不變。師曰。汝今不變何名實相。已變已往其義亦然。彼曰。不變當在。在不在故。故變實相以定其義。師曰。實相不變。變即非實。於有無中何名實相。薩婆羅心知聖師懸解潛達。即以手指虛空曰。此是世間有相。亦能空故。當我此身得似否。師曰。若解實相即見非相。若了非相其色亦然。當於色中不失色體。於非相中不礙有故。若能是解此名實相。彼眾聞已。心意朗然欽禮信受。師又瞥然匿跡。至第二無相宗所。問曰。汝言無相當何證之。彼眾中有智者波羅提。答曰。我明無相心不現故。師曰。汝心不現當何明之。彼曰。我明無相心不取捨。當於明時亦無當者。師曰。於諸有無心不取捨。又無當者諸明無故。彼曰。入佛三昧尚無所得。何況無相而欲知之。師曰。相既不知誰云有無。尚無所得何名三昧。彼曰。我說不證證無所證。非三昧故我說三昧。師曰。非三昧者何當名之。汝既不證非證何證。波羅提聞師辯析即悟本心。禮謝於師懺悔往謬。師記曰。汝當得果不久證之。此國有魔非久降之。言已忽然不現。至第三定慧宗所。問曰。汝學定慧為一為二。彼眾中有婆蘭陀者。答曰。我此定慧非一非二。師曰。既非一二何名定慧。彼曰。在定非定處慧非慧。一即非一二亦不二。師曰。當一不一當二不二。既非定慧約何定慧。彼曰。不一不二定慧能知。非定非慧亦復然矣。師曰。慧非定故然何知哉。不一不二誰定誰慧。婆蘭陀聞之疑心氷釋。至第四戒行宗所。問曰。何者名戒。云何名行。當此戒行為一為二。彼眾中有一賢者。答曰。一二二一皆彼所生。依教無染此名戒行。師曰。汝言依教即是有染。一二俱破。何言依教。此二違背不及於行。內外非明何名為戒。彼曰。我有內外彼己知竟淅本己字作已依廣燈也。邵本作無字依寶林也。洪舊本作已字。正宗記作以字。未詳孰是。既得通達便是戒行。若說違背俱是俱非。言及清淨即戒即行。師曰。俱是俱非何言清淨。既得通故何談內外。賢者聞之即自慚服。至第五無得宗所。問曰。汝云無得無得何得。既無所得亦無得得。彼眾中有寶靜者。答曰。我說無得非無得得。當說得得無得是得。師曰。得既不得。得亦非得既云得得。得得何得。彼曰。見得非得。非得是得。若見不得名為得得。師曰。得既非得。得得無得。既無所得。當何得得。寶靜聞之頓除疑網。至第六寂靜宗所。問曰。何名寂靜。於此法中誰靜誰寂。彼有尊者。答曰。此心不動是名為寂。於法無染名之為靜。師曰。本心不寂要假寂靜。本來寂故何用寂靜。彼曰。諸法本空以空空故。於彼空空故名寂靜。師曰。空空已空諸法亦爾。寂靜無相何靜何寂。彼尊者聞師指誨豁然開悟。既而六眾咸誓歸依。由是化被南天聲馳五印。遠近學者靡然嚮風。經六十餘載度無量眾。後值異見王輕毀三寶。每云。我之祖宗皆信佛道。陷于邪見。壽年不永運祚亦促。且我身是佛何更外求。善惡報應。皆因多智之者。妄搆其說。至於國內。耆舊為前王所奉者。悉從廢黜。師知已。歎彼德薄當何救之。又念無相宗中二首領。其一波羅提者。與王有緣將證其果。其二宗勝者。非不博辯而無宿因。時六宗徒眾亦各念言。佛法有難師何自安。師遙知眾意即彈指應之。六眾聞之云。此是我師達磨信響。我等宜須速行以副慈命。言已至師所禮拜問訊。師曰。今一葉翳虛孰能剪拂。宗勝曰。我雖淺薄敢憚其行。師曰。汝雖辯慧而道力未全。宗勝自念。我師恐我見王作大佛事。名譽顯達映奪尊威。縱彼福慧為王。我是沙門受佛教旨。豈難敵也。言訖潛去至王所。廣說法要及世界苦樂人天善惡等事。王與之往返徵詰無不詣理。王曰。汝今所解其法何在。宗勝曰。如王治化當合其道。王所有道何在。王曰。我所有道將除邪法。汝所有法將伏何人。師不起于坐懸知宗勝義墮。遽告波羅提曰。宗勝不稟吾教。潛化於王須臾即屈。汝可速救。波羅提恭稟師旨云。願假神力。言已雲生足下。至王前默然而住。時王正問宗勝。忽見波羅提乘雲而至愕然忘其問答。曰乘空之者是正是邪。答曰。我非邪正而來正邪。王心若正我無邪正。王雖驚異而驕慢方熾。即擯宗勝令出。波羅提曰。王既有道何擯沙門。我雖無解願王致問。王怒而問曰。何者是佛。答曰。見性是佛。王曰。師見性否。答曰。我見佛性。王曰。性在何處。答曰。性在作用。王曰。是何作用我今不見。答曰。今見作用王自不見。王曰。於我有否。答曰。王若作用無有不是。王若不用體亦難見。王曰。若當用時幾處出現。答曰。若出現時當有其八。王曰。其八出現當為我說。波羅提即說偈曰。

> 尊者はさらに八つの偈を説き、いずれも仏教の隆盛と衰退の予兆を記していた（詳しくは『宝林伝』と『聖胄集』に記載）。師は敬虔に教えを受け継ぎ、約四十年間、尊者に仕え続け、怠ることがなかった。尊者が入滅された後、師は本国で教化を広めた。 当時、二人の師がいた。一人は仏大先、もう一人は仏大勝多といい、もともと師とともに仏陀跋陀の小乗禅観を学んでいた。仏大先は般若多羅尊者に出会ってから、小乗を捨てて大乗に向かい、師とともに教化を行い、当時「二甘露門」と称された。しかし仏大勝多はさらに分かれて六つの宗派を立てた。 第一は有相宗、第二は無相宗、第三は定慧宗、第四は戒行宗、第五は無得宗、第六は寂静宗である。それぞれが自らの見解を固守し、独自に教化の源を広げていた。村々は繁栄し、門徒は非常に多かった。 大師は嘆息して言われた。「あの一人の師はすでに誤った境地に陥っている。ましてやさらに分裂して六宗も立てているとは。私が除かなければ、永遠に邪見に絡め取られるだろう。」 こう言ってから、わずかに神力を示して、第一の有相宗のもとへ赴かれた。問われた。「一切の諸法において、何を実相と名づけるのか。」 その衆の中に、サバラという年長の尊者がいて答えた。「諸々の相において、互いに相を侵さないこと、これを実相と名づけます。」 師は問われた。「諸々の相が互いに侵さないというが、もし実相と名づけるなら、何をもって定めとするのか。」 彼は答えた。「諸々の相の中には実に定めがありません。もし相を定めるなら、何を実と名づけましょうか。」 師は言われた。「諸相が定まらないことを実相と名づけるなら、あなたは今、定まらないことをもって何を得ようとするのか。」 彼は答えた。「私は定まらないと言っても、諸相のことを言っているのではありません。諸相を言うときも、その義は同じです。」 師は言われた。「あなたが定まらないと言うのは、実相を指すのであろう。定まると定まらないの二つがあれば、それは実相ではない。」 彼は答えた。「定がすでに定まらないのなら、すなわち実相ではありません。私が非であると知るからこそ、定まらず変わらないのです。」 師は言われた。「あなたが今、変わらないと言うが、何を実相と名づけるのか。すでに変わった過去についても、その義は同じである。」 彼は答えた。「変わらないものは、あるべきところにあります。あるとないの区別を超えているからです。だから実相を変えて、その義を定めるのです。」 師は言われた。「実相は変わらない。変わればすなわち実ではない。有と無の中において、何を実相と名づけるのか。」 サバラは心の中で、聖師が深遠な理解を持っておられることを悟り、指で虚空を指して言った。「これは世間の有相ですが、空にすることもできます。私のこの身も同様でありましょうか。」 師は言われた。「もし実相を理解すれば、非相を見る。もし非相を了知すれば、その色もまた同じである。色の中にあって色の体を失わず、非相の中にあって有を妨げない。もしこのように理解できるなら、これを実相と名づける。」 その衆はこれを聞いて、心は明瞭になり、敬って礼拝し信受した。 師はまた忽然と姿を消し、第二の無相宗のもとへ赴かれた。問われた。「あなたは無相と言うが、何をもって証するのか。」 その衆の中に智者バラダという者がいて答えた。「私は無相を明らかにします。心が現れないからです。」 師は言われた。「あなたの心が現れないなら、何をもって明らかにするのか。」 彼は答えた。「私は無相を明らかにして、心に取捨がありません。明らかにする時にも、明らかにする者もありません。」 師は言われた。「有無の諸々において心に取捨がなく、また明らかにする者もないなら、諸々の明はないことになる。」 彼は答えた。「仏の三昧に入ってもなお得るものはありません。ましてや無相を知ろうとするなど、なおさらです。」 師は言われた。「相がすでに知られないなら、誰が有無を言うのか。まだ得るものもないなら、何を三昧と名づけるのか。」 彼は答えた。「私は証しないと言いますが、証するものも証されるものもありません。三昧でないからこそ、私は三昧と言うのです。」 師は言われた。「三昧でないものを、何と名づけるのか。あなたはすでに証しないと言うなら、証しないことを何をもって証するのか。」 バラダは師の弁明を聞いて、即座に本心を悟り、師に礼拝して謝し、過去の誤りを悔やんだ。師は記別を与えて言われた。「あなたはまもなく果を得るであろう。この国には魔がいるが、まもなく降伏されるであろう。」 こう言うと忽然と姿を消された。 第三の定慧宗のもとへ赴かれ、問われた。「あなたは定慧を学ぶが、それは一か、二か。」 その衆の中にバランダという者がいて答えた。「私のこの定慧は、一でもなく二でもありません。」 師は言われた。「一でも二でもないなら、何を定慧と名づけるのか。」 彼は答えた。「定にあって定ならず、慧にありて慧ならず。一はすなわち一に非ず、二もまた二に非ず。」 師は言われた。「一にあって一とせず、二にあって二としない。すでに定慧でないなら、何を定慧とするのか。」 彼は答えた。「一に非ず二に非ず、定慧はこれを知ることができます。定に非ず慧に非ずも、また同じです。」 師は言われた。「慧は定でないから、どうして知ることができるのか。一に非ず二に非ず、誰が定め誰が慧か。」 バランダはこれを聞いて、疑念は氷のように溶け去った。 第四の戒行宗のもとへ赴かれ、問われた。「何を戒と名づけ、何を行と説くのか。この戒行は一か、二か。」 その衆の中に一人の賢者がいて答えた。「一も二も、二も一も、みなそれから生じます。教えに従って染まりがないこと、これを戒行と名づけます。」 師は言われた。「あなたが教えに従うと言うなら、すでに染まりがある。一も二もともに破れている。どうして教えに従うと言えるのか。この二つは背き合って、行に及ばない。内外が明らかでないなら、何を戒と名づけるのか。」 彼は答えた。「私には内外がありますが、彼はすでに知り尽くしています（※版本により文字の異同がある）。すでに通達を得たなら、これが戒行です。もし背くと説くなら、ともに是でありともに非です。清浄について言えば、すなわち戒でありすなわち行です。」 師は言われた。「ともに是でありともに非なら、何を清浄と言うのか。すでに通を得たなら、何を内外と語るのか。」 賢者はこれを聞いて、自ら恥じて服した。 第五の無得宗のもとへ赴かれ、問われた。「あなたは無得と言うが、無得は何を得るのか。すでに得るところがなければ、得ると得ることもない。」 その衆の中に宝静という者がいて答えた。「私は無得と言っても、得ると得ることのないのではありません。得ると得ることを説くとき、無得こそが得なのです。」 師は言われた。「得がすでに得でないなら、得もまた得でない。すでに得ると得ると言うなら、得ると得ることは何を得るのか。」 彼は答えた。「見ることは得ることでなく、得ないことが得です。もし得ないことを見るなら、これをもって得ると得ると名づけます。」 師は言われた。「得がすでに得でないなら、得ると得ることは無得です。すでに得るところがないなら、何をもって得ると得るのか。」 宝静はこれを聞いて、たちどころに疑いの網を除かれた。 第六の寂静宗のもとへ赴かれ、問われた。「何を寂静と名づけるのか。この法の中において、誰が静かで誰が寂しいのか。」 そこに尊者がいて答えた。「この心が動かないこと、これを寂と名づけます。法において染まりがないこと、これを静と名づけます。」 師は言われた。「本心は寂しがらないのに、寂静を借りようとする。本来寂静であるなら、何を寂静とするのか。」 彼は答えた。「諸法はもともと空であり、空をもって空とするからです。その空なる空ゆえに寂静と名づけます。」 師は言われた。「空空はすでに空であり、諸法もまたそうである。寂静に相がないなら、何が静かで何が寂しいのか。」 その尊者は師の教示を聞いて、はっと悟りを開いた。 こうして六宗の衆はすべて誓って帰依した。これによって教化は南天に及び、名声は五インドに響き渡った。遠近の学者は靡かない者はなく、風に靡くように従った。 六十余年もの間、無量の衆生を度した。 その後、異見王という者が現れて三宝を軽んじ謗った。彼はよく言った。「我が先祖は皆仏道を信じ、邪見に陥った。寿命も長くなく、国運も短い。そもそも我こそが仏である。どうしてさらに外に求めることがあろうか。善悪の報応などは、智者たちが妄りに説を作ったものにすぎない。」 国中の、先王が尊崇していた耆宿たちは、ことごとく廃され追放された。 師はこれを知って、彼の徳が薄いことを嘆き、どうすれば救えるだろうかと考えられた。また無相宗の二人の首領を思い浮かべられた。一人はバラダで、王と縁があり、まもなくその果を証するであろう。もう一人の宗勝は、博識で弁舌に長けるが、過去世からの因縁がなかった。 このとき六宗の徒衆もまた、それぞれ思った。「仏法に難が迫っているのに、師はどうして自ら安んじていられるのか。」 師は遠くから衆の心を察知して、指を弾いて応じられた。六衆はこれを聞いて言った。「これは我が師ダルマの信号である。我々は速やかに行って、慈命に応えねばならない。」 こう言って師のもとに至り、礼拝して問訊した。 師は言われた。「今、一枚の葉が虚空を覆っている。誰がこれを払い除けることができるか。」 宗勝が言った。「私は浅学ですが、行くのを憚りましょうか。」 師は言われた。「あなたは弁舌と智慧はあるが、道力がまだ完全ではない。」 宗勝は心の中で思った。「我が師は、私が王に会って大仏事を行うことで、名声が高まり尊威を覆い隠すのを恐れておられるのだろう。たとえ王が福慧を有していようとも、私は沙門であり仏の教旨を受けている。どうして敵わないことがあろうか。」 こう言い終えると、ひそかに王のもとへ赴いた。王に広く法の要と、世界の苦楽、人天の善悪などの事を説いた。 王は彼と往復して問答を重ねたが、ことごとく理に適っていた。王は言った。「あなたが今解するところの、その法はどこにあるのか。」 宗勝は言った。「王が治化するように、その道に合うべきです。王の所有する道はどこにありますか。」 王は言った。「我が所有する道は、邪法を除こうとするものだ。あなたの所有する法は、誰を伏せようとするのか。」 師は座を離れずに、宗勝が議論に負けようとしているのを遠くから知って、すぐにバラダに告げられた。「宗勝は我が教えを守らず、ひそかに王を教化しようとしている。まもなく屈するであろう。あなたは速やかに救いに行きなさい。」 バラダは師の旨を謹んで受け、「神力をお借りしたいと願います」と言った。こう言うと、雲が足の下に生じ、王の前に至って黙って立った。 このとき王はちょうど宗勝に問いかけていたが、忽然とバラダが雲に乗ってやって来るのを見て、驚いて問答を忘れてしまった。そして言った。「空に乗って来る者よ、それは正か邪か。」 バラダは答えた。「私は邪でも正でもなく、正邪を正すために来ました。王の心が正しければ、私には邪正はありません。」 王は驚き怪しんだが、傲慢な心はますます盛んで、すぐに宗勝を追放した。 バラダが言った。「王にはすでに道があるなら、どうして沙門を追放するのですか。私は解もありませんが、どうか王から問いをください。」 王は怒って問うた。「何が仏か。」 答えた。「見性が仏です。」 王は言った。「師は性を見たか。」 答えた。「私は仏性を見ました。」 王は言った。「性はどこにあるのか。」 答えた。「性は作用の中にあります。」 王は言った。「どのような作用か。私は今、見ることができない。」 答えた。「今まさに作用が現れていますが、王自身が見ないのです。」 王は言った。「私にはあるのか。」 答えた。「王が作用すれば、ないものはありません。王が用いなければ、その体もまた見難いのです。」 王は言った。「もし用いるとき、幾つのところに現れるのか。」 答えた。「もし現れるとき、八つがあります。」 王は言った。「その八つの現れを、私のために説け。」 バラダはそこで偈を説いた。

在胎為身 處世名人 在眼曰見在耳曰聞 在鼻辨香 在口談論在手執捉 在足運奔遍現俱該沙界 收攝在一微塵識者知是佛性 不識喚作精魂

> 母胎にあるときは身と名づけ、世に処しては人と名づく。眼に在りては見と曰い、耳に在りては聞くと曰う。鼻に在りては香を弁じ、口に在りては論ずる。手に在りては執り捉え、足に在りては運び奔る。あまねく現じては沙界をことごとく備え、収め摂せば一微塵に在り。識る者はこれ仏性と知り、識らざる者は精魂と喚ぶ。

王聞偈已心即開悟。乃悔謝前非咨詢法要。朝夕忘倦。迄于九旬。時宗勝既被斥逐。退藏深山。念曰。我今百歲八十為非。二十年來方歸佛道。性雖愚昧行絕瑕疵。不能禦難生何如死。言訖即自投崖。俄有一神人以手捧承。置于巖石之上安然無損。宗勝曰。我忝沙門當與正法為主。不能抑絕王非。是以捐身自責。何神祐助一至於斯。願垂一語以保餘年。於是神人乃說偈曰。

> 王がこの偈を聞くと、その心はたちまち開悟した。そして、以前の過ちを悔い改めて謝罪し、法の要諦を尋ね求めた。朝から晩まで疲れを知らず、九旬（九十日）に及んだ。その頃、宗勝はすでに追放されて深い山の中に隠れ住み、こう思った。「私は今や百歳、八十歳までは非を重ねてきた。二十年余り経ってようやく仏道に帰した。心は愚かであるが行いに瑕疵はない。しかし、王の難を防ぐことができず、生きているよりは死を選ぼう」。言い終えるとすぐに崖から身を投げた。すると、そこに一人の神人が現れ、手で受け止めて岩の上に置き、無事に傷一つなかった。宗勝は言った。「私は仏門に身を置きながら、正法の主となるべきだった。王の過ちを止めることができなかったからこそ、身を投げて自らを責めたのだ。どうして神の助けがここまで及ぶのか。どうか一言、私に残りの年月を守るための言葉をお与えください」。そこで神人は偈を説いて言った。

師壽於百歲 八十而造非為近至尊故 熏修而入道雖具少智慧 而多有彼我所見諸賢等 未嘗生珍敬二十年功德 其心未恬靜聰明輕慢故 而獲至於此得王不敬者 當感果如是自今不疎怠 不久成奇智諸聖悉存心 如來亦復爾

宗勝聞偈欣然。即於巖間宴坐。時異見王復問波羅提曰。仁者智辯當師何人。答曰。我所出家。即娑羅寺烏沙婆三藏為授業師。其出世師者即大王叔菩提達磨是也。王聞師名驚駭久之。曰。鄙薄忝嗣王位。而趣邪背正忘我尊叔。遽勅近臣特加迎請。師即隨使而至。為王懺悔往非。王聞規誡泣謝于師。又詔宗勝歸國。大臣奏曰。宗勝被謫投崖。今已亡矣。王告師曰。宗勝之死皆自於吾。如何大慈令免斯罪。師曰。宗勝今在巖間宴息。但遣使召當即至矣。王即遣使入山果見宗勝端居禪寂。宗勝蒙召乃曰。深媿王意。貧道誓處巖泉。且王國賢德如林。達磨是王之叔。六眾所師。波羅提法中龍象。願王崇仰二聖以福皇基。使者復命。未至師謂王曰。知取得宗勝否。王曰。未知。師曰。一請未至。再命必來。良久使還果如師語。師遂辭王曰。當善修德不久疾作。吾且去矣。經七日王乃得疾。國醫診治有加無瘳。貴戚近臣憶師前記。急發使告師曰。王疾殆至彌留。願叔慈悲遠來軫救。師即至王所慰問其疾。時宗勝再承王召。即別巖間。波羅提久受王恩亦來問疾。波羅提曰。當何施為令王免苦。師即令太子為王宥罪施恩崇奉僧寶。復為王懺悔云。願罪消滅。如是者三。王疾有間。師心念。震旦緣熟行化時至。乃先辭祖塔。次別同學。然至王所慰而勉之曰。當勤修白業護持三寶。吾去非晚一九即迴。王聞師言涕淚交集。曰此國何罪彼土何祥。叔既有緣非吾所止。唯願不忘父母之國。事畢早回。王即具大舟實以眾寶。躬率臣寮送至海壖。師汎重溟凡三周寒暑達于南海。實梁普通八年丁未歲九月二十一日也。廣州刺史蕭昂具主禮迎接。表聞武帝。帝覽奏遣使齎詔迎請。十月一日至金陵嵩禪師以梁僧寶唱續法記為據作正宗記言。達磨以梁武普通元年庚子歲至此土。其年乃後魏明帝正光元年也。若如此則與後入滅啟壙等年皆相合。若據此稱。普通八年丁未歲九月二十一日至南海。十月一日至金陵則甚誤也。蓋普通八年三月已改為大通元年。則九月不應尚稱普通八年也。南海者今廣州也。去金陵數千里。刺史奏聞而武帝詔迎。豈可十日之間便至金陵耶。又按南史蕭昂本傳。不言昂為廣州刺史。但王茂傳末有廣州長史蕭昂。然不知何年在任。今止可云○達于南海實梁普通元年。廣州刺史具主禮迎接。表聞武帝。帝覽奏遣使齎詔迎請。十月一日至金陵。帝問曰。朕即位已來。造寺寫經度僧不可勝紀。有何功德。師曰。並無功德。帝曰。何以無功德。師曰。此但人天小果有漏之因。如影隨形雖有非實。帝曰。如何是真功德。答曰。淨智妙圓體自空寂。如是功德不以世求。帝又問。如何是聖諦第一義。師曰。廓然無聖。帝曰。對朕者誰。師曰。不識。帝不領悟。師知機不契。是月十九日潛迴廣燈迴作過字江北。十一月二十三日屆于洛陽當後魏孝明太和十年也當云後魏孝明正光元年也。若據太和十年乃後魏文帝時是年即南齊武帝永明四年丙寅歲也。寓止于嵩山少林寺。面壁而坐終日默然。人莫之測。謂之壁觀婆羅門。時有僧神光者。曠達之士也。久居伊洛。博覽群書善談玄理。每歎曰。孔老之教禮術風規。莊易之書未盡妙理。近聞。達磨大士住止少林。至人不遙。當造玄境。乃往彼晨夕參承。師常端坐面牆。莫聞誨勵。光自惟曰。昔人求道。敲骨取髓。刺血濟饑。布髮掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何人。其年十二月九日夜天大雨雪。光堅立不動。遲明積雪過膝。師憫而問曰。汝久立雪中。當求何事。光悲淚曰。惟願和尚慈悲。開甘露門廣度群品。師曰。諸佛無上妙道。曠劫精勤。難行能行非忍而忍。豈以小德小智輕心慢心。欲冀真乘徒勞勤苦。光聞師誨勵。潛取利刀自斷左臂。置于師前。師知是法器。乃曰。諸佛最初求道為法忘形。汝今斷臂吾前。求亦可在。師遂因與易名曰慧可。光曰。諸佛法印可得聞乎。師曰諸佛法印匪從人得。光曰。我心未寧。乞師與安。師曰。將心來與汝安。曰覓心了不可得。師曰。我與汝安心竟。後孝明帝聞師異跡。遣使齎詔徵前後三至。師不下少林。帝彌加欽尚。就賜摩衲袈裟二領。金鉢銀水瓶繒帛等。師牢讓三返。帝意彌堅。師乃受之。自爾緇白之眾倍加信向。迄九年已欲西返天竺。乃命門人曰。時將至矣。汝等蓋各言所得乎。時門人道副對曰。如我所見。不執文字不離文字而為道用。師曰。汝得吾皮。尼總持曰。我今所解如慶喜見阿閦佛國。一見更不再見。師曰。汝得吾肉。道育曰。四大本空五陰非有。而我見處無一法可得。師曰。汝得吾骨。最後慧可禮拜後依位而立。師曰。汝得吾髓。乃顧慧可而告之曰。昔如來以正法眼付迦葉大士。展轉囑累而至於我。我今付汝。汝當護持。并授汝袈裟以為法信。各有所表宜可知矣。可曰。請師指陳。師曰。內傳法印以契證心。外付袈裟以定宗旨。後代澆薄疑慮競生。云吾西天之人。言汝此方之子。憑何得法以何證之。汝今受此衣法。却後難生但出此衣并吾法偈。用以表明其化無礙。至吾滅後二百年。衣止不傳法周沙界。明道者多。行道者少。說理者多。通理者少。潛符密證千萬有餘。汝當闡揚勿輕未悟。一念迴機便同本得。聽吾偈曰。

吾本來茲土 傳法救迷情一華開五葉 結果自然成

師又曰。吾有楞伽經四卷。亦用付汝此蓋依寶林傳之說也。按宣律師續高僧傳。可大師傳云。初達磨以楞伽經授可曰。我觀漢地唯有此經。仁者依行自得度世。若如傳所言。則是二祖未得法時。達磨授楞伽使觀之耳。今傳燈乃於付法傳衣之後言。師又曰。吾有楞伽經四卷。亦用付汝。則恐誤也。兼言吾有。則似世間未有也。此但可依馬祖所言云。又引楞伽經文。以印眾生心地。則於理無害耳。即是如來心地要門。令諸眾生開示悟入。吾自到此凡五度中毒。我常自出而試之。置石石裂。緣吾本離南印來此東土。見赤縣神州有大乘氣象。遂踰海越漠為法求人。際會未諧如愚若訥。今得汝傳授吾意已終別記云。師初居少林寺九年。為二祖說法秖教曰外息諸緣內心無喘。心如牆壁可以入道。慧可種種說心性理。道未契。師秖遮其非不為說無念心體。慧可曰。我已息諸緣。師曰。莫不成斷滅去否。可曰。不成斷滅。師曰。何以驗之云不斷滅。可曰。了了常知故。言之不可及。師曰。此是諸佛所傳心體。更勿疑也言已乃與徒眾往禹門千聖寺止三日。有期城太守揚衒之早慕佛乘。問師曰。西天五印師承為祖。其道如何。師曰。明佛心宗行解相應。名之曰祖。又問。此外如何。師曰。須明他心知其今古。不厭有無於法無取。不賢不愚無迷無悟。若能是解故稱為祖。又曰。弟子歸心三寶亦有年矣。而智慧昏蒙尚迷真理。適聽師言罔知收措。願師慈悲開示宗旨。師知懇到。即說偈曰。

亦不覩惡而生嫌 亦不觀善而勤措亦不捨智而近愚 亦不拋迷而就悟達大道兮過量 通佛心兮出度不與凡聖同躔 超然名之曰祖

衒之聞偈悲喜交并曰。願師久住世間化導群有。師曰。吾即逝矣不可久留。根性萬差多逢患難。衒之曰。未審何人。弟子為師除得。師曰。吾以傳佛祕密利益迷途。害彼自安必無此理。衒之曰。師若不言。何表通變觀照之力。師不獲已乃為讖曰。江槎分玉浪。管炬開金鎖。五口相共行。九十無彼我。衒之聞語。莫究其端。默記于懷禮辭而去。師之所讖。雖當時不測。而後皆符驗。時魏氏奉釋禪俊如林。光統律師流支三藏者乃僧中之鸞鳳也。覩師演道斥相指心。每與師論議是非鋒起。師遐振玄風普施法雨而偏局之量自不堪任。競起害心數加毒藥。至第六度。以化緣已畢傳法得人。遂不復救之端居而逝。即後魏孝明帝太和十九年丙辰歲十月五日也依續法記。則十月五日乃孝莊帝永安元年。即梁大通二年戊申歲。其年即明帝武泰元年也。二月明帝崩。四月莊帝即位。改元建義。至九月又改永安也。後云。汝主已厭世。謂是歲明帝崩也。據傳燈云。丙辰歲即東魏文帝大統二年。西魏靜帝天平三年。梁大同二年。與厭世之說全乖也。又太和十九年。乃後魏文帝時。即南齊明帝建武二年乙亥歲。殊相遼邈耳。其年十二月二十八日葬熊耳山。起塔於定林寺。後三歲魏宋雲奉使西域迴。遇師于葱嶺。見手携隻履翩翩獨逝。雲問。師何往。師曰。西天去。又謂雲曰。汝主已厭世。雲聞之茫然。別師東邁。暨復命。即明帝已登遐矣。而孝莊即位。雲具奏其事。帝令啟壙。唯空棺一隻革履存焉若依續法記。則後三歲乃莊帝永安三年庚戌歲。當梁武中大通二年也。其年十二月莊帝方崩。奉使迴時帝尚在耳。若據傳燈。則後三歲乃已未歲。即西魏文帝大統五年。東魏靜帝興和元年。當梁武大同五年也。如此則豈復有孝莊帝耶。又稱宋雲遇師於葱嶺。尤誤也。宋雲使西域迴時。已在魏明帝正光年中矣。然則遇師於葱嶺者。蓋是魏末別遣使往西域迴耳○但當云。後三歲魏使有自西域迴者。遇師於葱嶺。見手携隻履翩翩獨逝。問師何往。曰西天去。又謂使曰。汝主已厭世。使聞之茫然別師東邁。暨復命即明帝已登遐矣。而孝莊即位。奉使具奏其事。帝令啟壙。唯空棺一隻革履存焉。舉朝為之驚歎奉詔取遺履。於少林寺供養。至唐開元十五年丁卯歲。為信道者竊在五臺華嚴寺。今不知所在。初梁武遇師因緣未契。及聞化行魏邦。遂欲自撰師碑而未暇也。後聞宋雲事乃成之。代宗諡圓覺大師。塔曰空觀。師自魏丙辰歲告寂。迄皇宋景德元年甲辰。得四百六十七年矣當云自魏至庚子歲告寂。迄皇宋景德元年甲辰得四百七十五年矣。凡此年代之差。皆由寶林傳錯誤而楊文公不復考究耳。