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title: "景德傳燈錄 · 池州南泉普願禪師"
description: "景德传灯录由宋代高僧道原编纂，成书于景德年间（1004-1007年），是中国佛教禅宗重要史传类典籍。全书共三十卷，收录自释迦牟尼至五代末年的禅宗祖师1701人，以法脉传承为脉络，记录历代禅师的机缘语录、公案典故。作为现存最早的传灯体著作，该书系统记载了禅宗五家七宗的传承体系，保存了大量珍贵史料，对研究中国禅宗发展史具有不可替代的价值。景德传灯录与五灯会元并称为禅宗两大灯录，被后世奉为禅门经典，不仅影响了宋明理学的发展，更成为东亚禅佛教传播的重要文献依据。"
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池州南泉普願禪師者。鄭州新鄭人也。姓王氏。唐至德二年依大隗山大慧禪師受業。三十詣嵩嶽受戒。初習相部舊章。究毘尼篇聚。次遊諸講肆。歷聽楞伽華嚴。入中百門觀精練玄義。後扣大寂之室。頓然忘筌。得遊戲三昧。一日為僧行粥次。馬大師問。桶裏是什麼。師云。遮老漢合取口作恁麼語話。自餘同參之流無敢徵詰。貞元十一年憩錫于池陽自構禪齋。不下南泉三十餘載。大和初宣城廉使陸公亘嚮師道風。遂與監軍同請下山。伸弟子之禮。大振玄綱。自此學徒不下數百。言滿諸方目為郢匠。一日師示眾云。道箇如如早是變也。今時師僧須向異類中行。歸宗云。雖行畜生行。不得畜生報。師云。孟八郎又恁麼去也。師有時云。文殊普賢昨夜三更每人與二十棒趁出院也。趙州云。和尚棒教誰喫。師云。且道。王老師過在什麼處。趙州禮拜而出玄覺云。且道。趙州休去。是肯南泉不肯南泉師擬取明日遊莊舍。其夜土地神先報莊主。莊主乃預為備。師到問莊主。爭知老僧來排辦如此。莊主云。昨夜土地報道和尚今日來。師云。王老師修行無力。被鬼神覷見。有僧便問。和尚既是善知識。為什麼被鬼神覷見。師云。土地前更下一分飯。玄覺云。什麼處是土地前更下一分飯。雲居錫云。是賞伊罰伊。只如土地前。見是南泉。不是南泉師有時云。江西馬祖說即心即佛。王老師不恁麼道。不是心不是佛不是物。恁麼道還有過麼。趙州禮拜而出。時有一僧隨問趙州云。上座禮拜了便出意作麼生。趙州云。汝却問取和尚。僧上問曰。適來諗上座意作麼生。師云。他却領得老僧意旨。師一日捧鉢上堂。黃檗和尚居第一座。見師不起。師問云。長老什麼年中行道。黃檗云。空王佛時。師云。猶是王老師孫在下去。師一日問黃檗。黃金為世界。白銀為壁落。此是什麼人居處。黃檗云。是聖人居處。師云。更有一人居何國土。黃檗乃叉手立。師云。道不得何不問王老師。黃檗却問。更有一人居何國土。師云。可惜許。師又別時問黃檗。定慧等學此理如何。黃檗云。十二時中不依倚一物。師云。莫是長老見處麼。黃檗云。不敢。師云。漿水價且置。草鞋錢教阿誰還。師見僧斫木。師乃擊木三下。僧放下斧子歸僧堂。師歸法堂。良久却入僧堂。見前僧在衣鉢下坐。師云。賺殺人。僧問。師歸丈室將何指南。師云。昨夜三更失却牛。天明失却火。師因東西兩堂各爭猫兒。師遇之白眾曰。道得即救取猫兒。道不得即斬却也。眾無對。師便斬之。趙州自外歸。師舉前語示之。趙州乃脫履安頭上而出。師曰。汝適來若在。即救得猫兒也師在方丈與杉山向火次。師云。不用指東指西。直下本分事道來。杉山插火著叉手立。師云。雖然如是。猶較王老師一線道。有僧問訊叉手而立。師云。太俗生。其僧便合掌。師云太僧生。僧無對。一僧洗鉢次。師乃奪却鉢。其僧即空手而立。師云。鉢在我手裏。汝口喃喃作麼。僧無對。師因入菜園見一僧。師乃將瓦子打之。其僧迴顧。師乃翹足。僧無語。師便歸方丈。僧隨後入問訊云。和尚適來擲瓦子打某甲。豈不是警覺某甲。師云。翹足又作麼生。僧無對後有僧問石霜云。南泉翹足意作麼生。石霜舉手云。還恁麼無師示眾云。王師老要賣身阿誰要買。一僧出云。某甲買。師云。他不作貴價不作賤價。汝作麼生買。僧無對臥龍代云。屬某去也。未山代云。是何道理。趙州代云明年來與和尚縫箇布衫師與歸宗麻谷同去參禮南陽國師。師先於路上畫一圓相云道得即去。歸宗便於圓相中坐。麻谷作女人拜。師云。恁麼即不去也。歸宗云。是什麼心行師乃相喚迴不去禮國師玄覺云。只如南泉恁麼道。是肯底語不肯語。雲居錫云。比來去禮拜國師。南泉為什麼却相喚迴。且道古人意作麼生師問神山。作什麼。對云。打羅。師云。手打脚打。神山云。請和尚道。師云。分明記取舉似作家洞山別云。無脚手者。始解打羅有一坐主辭師。師問。什麼處去。對云。山下去。師云。第一不得謗王老師。對云。爭敢謗和尚。師乃噴水云。多少。坐主便出去先雲居云。非師木意。先曹山云。賴也。石霜云。不為人斟酌。長慶云。請領語。雲居錫云。坐主當時出去。是會不會師一日掩方丈門。將灰圍却門外云。若有人道得即開。或有祇對多未愜師意。趙州云。蒼天。師便開門。師因翫月次。有僧便問。幾時得似遮箇去。師云。王老師二十年前亦恁麼來。僧云。即今作麼生。師便歸方丈。陸亘大夫問云。弟子從六合來。彼中還更有身否。師云。分明記取舉似作家。陸又謂師曰。和尚大不可思議。到處世界皆成就。師云。適來總是大夫分上事。陸異日又謂師曰。弟子亦薄會佛法。師便問大夫十二時中作麼生。陸云。寸絲不掛。師云。猶是階下漢。師又云。不見道。有道君王不納有智之臣。師上堂次。陸大夫云。請和尚為眾說法。師云。教老僧作麼生說。陸云。和尚豈無方便。師云。道他欠少什麼。陸云。為什麼有六道四生。師云。老僧不教他。陸大夫與師見人雙陸。拈起骰子云。恁麼不恁麼。只恁麼信彩去時如何。師拈起骰子云。臭骨頭十八。又問云。弟子家中有一片石。或時坐或時臥。如今擬鐫作佛還得否。師云得。大夫云。莫不得否。師云。不得不得雲巖云坐即佛不坐即非佛。洞山云。不坐即佛坐即非佛趙州問。道非物外物外非道。如何是物外道。師便打。趙州捉住棒云。已後莫錯打人去。師云。龍蛇易辨衲子難謾師喚院主。院主應諾。師云。佛九十日在忉利天為母說法。時優填王思佛。請目連運神通三轉攝匠人往彼雕佛像。只雕得三十一相。為什麼梵音相雕不得。院主問。如何是梵音相。師云。賺殺人。師問維耶。今日普請作什麼。對云。拽磨。師云。磨從爾拽。不得動著磨中心樹子。維那無語保福代云。比來拽磨如今却不成。法眼代云。恁麼即不拽也一日有大德。問師曰。即心是佛又不得。非心非佛又不得。師意如何。師云。大德。且信即心是佛便了。更說什麼得與不得。只如大德喫飯了從東廊上西廊下。不可總問人得與不得也。師住庵時有一僧到庵。師向其僧道。某甲上山。待到齋時做飯自喫了。送一分來山上。少時其僧自喫了。却一時打破家事就床臥。師待不見來。便歸庵見僧臥。師亦去一邊而臥。僧便起去。師住後云我往前住庵時。有箇靈利道者。直至如今不見。師拈起毬子問僧云。那箇何似遮箇。對云。不似師云。什麼處見那箇便道不似。僧云。若問某甲見處。和尚放下手中物。師云。許爾具一隻眼。陸亘大夫向師道。肇法師甚奇怪。道萬物同根是非一體。師指庭前牡丹華云。大夫時人見此一株華如夢相似。陸罔測陸又問。天王居何地位。師云。若是天王即非地位。陸云。弟子聞說天王是居初地。師云。應以天王身得度者。即現天王身而為說法。陸辭歸宣城治所。師問。大夫去彼將何治民。陸云。以智慧治民。師云。恁麼即彼處生靈盡遭塗炭去也。師入宣州。陸大夫出迎接。指城門云。人人盡喚作甕門。未審和尚喚作什麼門。師云。老僧若道。恐辱大夫風化。陸云。忽然賊來時作麼生。師云。王老師罪過。陸又問。大悲菩薩用如許多手眼作什麼。師云。只如國家又用大夫作什麼。師為馬大師設齋。問眾云馬大師來否。眾無對。洞山云。待有伴即來。師云。子雖後生甚堪雕琢。洞山云。和尚莫壓良為賤。師洗衣次有僧問。和尚猶有遮箇在。師拈起衣云。爭奈遮箇何玄覺云。且道是一箇是兩箇師問僧良欽。空劫中還有佛否。對云有。師云。是阿誰。對云。良欽。師云居何國土。無語。僧問。祖祖相傳合傳何事。師云。一二三四五。問如何是古人底。師云。待有即道。僧云。和尚為什麼妄語。師云。我不妄語。盧行者却妄語。問十二時中以何為境。師云。何不問王老師。僧云。問了也。師云。還曾與汝為境麼。僧問。青蓮不隨風火散時是什麼。師云。無風火不隨是什麼。僧無對。師却問。不思善不思惡。思總不生時。還我本來面目來。僧云。無容止可露洞山云。還曾將示人麼師問坐主云。爾與我講經得麼對云。某甲與和尚講經。和尚須與某甲說禪始得。師云。不可將金彈子博銀彈子去。座主云。某甲不會。師云。汝道。空中一片雲。為復釘釘住。為復藤纜著。問空中有一珠如何取得。師云。斫竹布梯空中取。僧云。空中如何布梯。師云。汝擬作麼生取。僧辭問云。學人到諸方。有人問和尚近日作麼生。未審如何祇對。師云。但向道。近日解相撲。僧云。作麼生。師云。一拍雙泯。問父母未生時鼻孔在什麼處。師云。父母已生了鼻孔在什麼處。師將順世。第一座問。和尚百年後向什麼處去。師云。山下作一頭水牯牛去。僧云。某甲隨和尚去還得也無。師云。汝若隨我即須𭊷取一莖草來。師乃示疾。大和八年甲寅十二月二十五日。凌晨告門人曰。星翳燈幻亦久矣。勿謂吾有去來也。言訖而謝。壽八十七。臘五十八。明年春入塔。

> 池州南泉普願禅師は、鄭州新鄭の人である。姓は王氏。唐の至徳二年（757年）、大隗山の大慧禅師のもとで出家し、学業を受けた。三十歳で嵩岳にのぼり具足戒を受けた。最初は相部の旧章を学び、毘尼（戒律）の篇聚（教義体系）を究めた。次いで諸方の講席を歴訪し、楞伽経や華厳経を聴聞した。『中論』『百論』『十二門論』の三論に入り、その玄妙な義理を熟達させた。後に大寂（馬祖道一）の室に参じ、たちどころに「筌（仕掛け）」を忘れ、遊戯三昧を得た。 ある日、僧侶たちに粥を配っているとき、馬祖大師が問うた。「桶の中には何がある？」師は言った。「この老いぼれ、口を閉じなさい。そんなことを言うものか」。そのほか同参の者たちも、師に問い詰める者はいなかった。 貞元十一年（795年）、池陽に錫をとどめ、自ら禅堂を建てた。それから南泉を下りること三十余年。大和の初め、宣城の廉使（巡察使）の陸亘氏が師の道風を慕い、監軍とともに山を下りるよう請い、弟子の礼をとった。ここに玄妙な宗旨が大いに挙揚され、以来、学侶は数百人を下らなかった。その言葉は諸方に満ち、「郢匠（たくみ）」と称された。 ある日、師は大衆に示して言った。「『如如』と言ったなら、すでに変わっているのだ。今時の師僧は、異類の中で行じなければならない」。帰宗（智常）が言った。「畜生の行を行じても、畜生の報いを受けることはありません」。師は言った。「孟八郎、またそんなことを言うのか」。 またある時、師は言った。「文殊・普賢は、昨夜三更にそれぞれ二十棒をくらって、院を追い出された」。趙州（従諗）が言った。「和尚の棒は、誰に食わせるのですか」。師は言った。「さあ言ってみよ。王老師の過ちはどこにあるのか」。趙州は礼拝して退出した。 <note>玄覚は言った。「さあ言ってみよ。趙州が休んで去ったのは、南泉を肯定したのか、それとも否定したのか」</note> 師は翌日、庄舎（農場）に遊びに行こうと考えた。その夜、土地神が先に庄主に知らせたので、庄主は前もって準備を整えた。師が到着して庄主に尋ねた。「どうして老僧が来るのを知って、このように準備を整えたのか」。庄主は言った。「昨夜、土地神が和尚が今日おいでになると報せてくれました」。師は言った。「王老師は修行の力が及ばず、鬼神に見られてしまった」。ある僧が尋ねた。「和尚は善知識なのに、なぜ鬼神に見られたのですか」。師は言った。「土地の前に、もう一食分の飯を供えなさい」。 <note>玄覚は言った。「どこが土地の前に一食分の飯を供えるところなのか」。雲居錫は言った。「それは彼を褒めたのか、罰したのか。ただ、土地の前で見たのは、南泉なのか、南泉でないのか」</note> 師はある時言った。「江西の馬祖は『即心即仏』と言った。王老師はそんなふうには言わない。『心ではない、仏ではない、物ではない』。このように言うことに過ちはあるだろうか」。趙州は礼拝して退出した。その時、一人の僧が趙州に従って尋ねた。「上座は礼拝してすぐに退出されましたが、その意図は何ですか」。趙州は言った。「あなたが和尚に尋ねなさい」。僧は師に尋ねた。「先ほどの諗上座（趙州）の意図は何だったのでしょうか」。師は言った。「彼はちゃんと老僧の意図を理解している」。 ある日、師は鉢を捧げて上堂した。黄檗（希運）和尚は第一座におられたが、師を見ても立ち上がらなかった。師は尋ねた。「長老は、いつの年に道業を行じたのですか」。黄檗は言った。「空王仏の時です」。師は言った。「まだ王老師の孫だな。下がっていなさい」。 ある日、師は黄檗に尋ねた。「黄金を世界とし、白銀を壁とする。これはどんな人の住む土地か」。黄檗は言った。「聖人の住む土地です」。師は言った。「もう一人の人がいるが、どの国に住むのか」。黄檗は両手を組んで立った。師は言った。「言えないのなら、なぜ王老師に尋ねないのか」。黄檗は改めて尋ねた。「もう一人の人は、どの国に住むのですか」。師は言った。「惜しいことだ」。 また別の時、師は黄檗に尋ねた。「定と慧を等しく学ぶ、この理はどうか」。黄檗は言った。「十二時中、一物にも依りかかりません」。師は言った。「それは長老の見解か」。黄檗は言った。「おそれ多いことです」。師は言った。「漿水の値段はさておき、草鞋の銭は誰に返させるのか」。 師が僧が木を伐るのを見て、木を三度打った。僧は斧を置いて僧堂に帰った。師は法堂に帰り、しばらくして僧堂に入ると、先ほどの僧が衣鉢の下に座っていた。師は言った。「人を欺くとは」。 僧が尋ねた。「和尚は方丈にお帰りになって、何を指標となさいますか」。師は言った。「昨夜三更に牛を失い、夜明けに火を失った」。 師は、東堂と西堂がそれぞれ猫を争っているのに出会った。師は大衆に向かって言った。「言えるなら猫を救ってやろう。言えなければ斬ってしまうぞ」。大衆は答えられなかった。師は即座に猫を斬った。趙州が外から帰ってきた。師は先ほどの言葉を告げた。趙州は履き物を脱いで頭の上に置き、退出した。師は言った。「お前がさっき居合わせたら、猫を救えたのに」。 師が方丈で杉山（智堅）と火にあたっていた時、師は言った。「東を指し西を指すな。直に根本の本分事を言ってみよ」。杉山は火箸を立てて、両手を組んで立った。師は言った。「そうではあるが、まだ王老師より一線劣る」。 ある僧が問訊して両手を組んで立った。師は言った。「あまりに俗人らしい」。その僧は合掌した。師は言った。「あまりに僧侶らしい」。僧は答えられなかった。 ある僧が鉢を洗っているとき、師はその鉢を奪い取った。その僧は空手で立った。師は言った。「鉢は私の手にある。お前は何を口ごもっているのか」。僧は答えられなかった。 師が菜園に入って一人の僧を見ると、瓦を投げてその僧を打った。その僧が振り返ると、師は足を上げた。僧は無言だった。師は方丈に帰った。僧は後から入って問訊し、言った。「和尚は先ほど瓦を投げて私を打たれました。これは私を警覚させるためではなかったのですか」。師は言った。「足を上げたのはどういうことだ」。僧は答えられなかった。 <note>後に僧が石霜に尋ねた。「南泉が足を上げた意図は何ですか」。石霜は手を挙げて言った。「まだこんなことがあるのか」</note> 師は大衆に示して言った。「王老師は身を売ろうと思うが、誰が買うか」。一人の僧が出て言った。「私が買います」。師は言った。「彼は高い値もつけず、安い値もつけない。お前はどうやって買うのか」。僧は答えられなかった。 <note>臥龍は代わって言った。「私のものになるのです」。末山は代わって言った。「これはどういう理屈か」。趙州は代わって言った。「来年、和尚に布衫を縫ってあげましょう」</note> 師は帰宗・麻谷とともに南陽国師を参詣しようとした。師は先に道中で円相を描いて言った。「言えるなら行こう」。帰宗はすぐに円相の中に座った。麻谷は女人の礼をした。師は言った。「それなら行かないことにしよう」。帰宗は言った。「これはどういう心行か」。師はみなを呼び戻して、国師を礼拝しに行かなかった。 <note>玄覚は言った。「南泉がこのように言ったのは、肯定の言葉か、否定の言葉か」。雲居錫は言った。「もともと国師を礼拝しに行こうとしたのに、南泉はなぜみなを呼び戻したのか。古人の意図を言ってみよ」</note> 師が神山に出会って尋ねた。「何をしているのか」。答えて言った。「羅を打っています」。師は言った。「手で打つか、足で打つか」。神山は言った。「和尚がお示しください」。師は言った。「はっきりと覚えて、作家（達人）に示しなさい」。 <note>洞山は別に言った。「手も足もない者だけが羅を打つのを解する」</note> 一人の座主が師に辞去した。師は尋ねた。「どこへ行くのか」。答えて言った。「山の下へ行きます」。師は言った。「くれぐれも王老師を誹謗してはならない」。座主は言った。「どうして和尚を誹謗できましょうか」。師は水を吹きかけて言った。「いくらだ」。座主はそのまま退出した。 <note>先の雲居は言った。「これは師の本意ではない」。先の曹山は言った。「やはりそうか」。石霜は言った。「人のために斟酌しない」。長慶は言った。「言葉をよく受け取れ」。雲居錫は言った。「座主がその時退出したのは、理解したのか、理解しなかったのか」</note> ある日、師は方丈の門を閉じ、灰を門の外に円を描いて囲み、言った。「誰か言える者がいたら開けよう」。あるいは答えが多かったが、師の意にかなう者は少なかった。趙州が言った。「蒼天（ああ、空よ）」。師は門を開けた。 師が月を眺めているとき、ある僧が尋ねた。「いつになったらこの月のようになれましょうか」。師は言った。「王老師は二十年前もこのように来た」。僧は言った。「今はどうですか」。師はそのまま方丈に帰った。 陸亘大夫が尋ねた。「弟子は六合（地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天）から参りました。そこにはまだ身がございましょうか」。師は言った。「はっきりと覚えて、作家に示しなさい」。陸はまた師に言った。「和尚はまことに不可思議です。どこに行っても世界を成就なさいます」。師は言った。「今の言葉はすべて大夫の分上のことだ」。 陸は別の日にまた師に言った。「弟子も少しは仏法を会得しております」。師は尋ねた。「大夫は十二時中、どのように過ごすのか」。陸は言った。「寸糸も掛けるものがありません」。師は言った。「まだ階下の男だ」。師はまた言った。「言われていないか。有道の君王は、有智の臣を納めないと」。師が上堂したとき、陸大夫は言った。「和尚が衆のために説法してください」。師は言った。「老僧に何を説けと言うのか」。陸は言った。「和尚にどうして方便がありませんか」。師は言った。「彼に何が欠けていると言うのか」。陸は言った。「なぜ六道四生があるのですか」。師は言った。「老僧が彼らを作ったのではない」。 陸大夫が師とともに人が双六をしているのを見て、骰子（さいころ）を拾い上げて言った。「こうでもなく、かといってこうでもなく、ただこのまま運に任せるというのはどうですか」。師は骰子を拾い上げて言った。「臭い骨、十八」。 また尋ねた。「弟子の家に一枚の石があります。時には座り、時には臥しています。今これを彫って仏にしようと思いますが、よろしいでしょうか」。師は言った。「よろしい」。大夫は言った。「やはりだめでしょうか」。師は言った。「だめだ、だめだ」。 <note>雲巌は言った。「座れば仏、座らなければ仏ではない」。洞山は言った。「座らなければ仏、座れば仏に非ず」</note> 趙州が尋ねた。「道は物の外ではなく、物の外は道ではない。では物の外の道とは何ですか」。師は即座に打った。趙州は棒を掴んで言った。「今後、人を誤って打たないでください」。師は言った。「龍と蛇は見分けやすいが、衲子は欺きにくいものだ」。 師が院主を呼んだ。院主が応じた。師は言った。「仏は九十日の間、忉利天で母のために説法された。その時、優填王は仏を思慕し、目連に神通力で三転して工匠をあの世に連れて行き、仏像を彫らせた。しかし三十一相しか彫れなかった。なぜ梵音相は彫れなかったのか」。院主が尋ねた。「梵音相とは何ですか」。師は言った。「人を欺くとは」。 師が維那に尋ねた。「今日の普請（労働）は何をするのか」。答えて言った。「磨（ひきうす）を引き回します」。師は言った。「磨はお前が引いてよい。ただし、磨の中央にある木の木だけは動かしてはならない」。維那は無言だった。 <note>保福は代わって言った。「もともと磨を引きに来たのに、今は引き回そうとしない」。法眼は代わって言った。「それなら引かないことだ」</note> ある日、一人の大徳が師に尋ねた。「即心即仏も得られず、非心非仏も得られません。師の意はどうですか」。師は言った。「大徳よ、まず即心即仏を信じなさい。それで十分だ。何の得るとか得ないとか言うことがあろうか。大徳が飯を食べて東の廊下から西の廊下に下りるように、そのすべてを人に問うことはできないだろう」。 師が庵に住んでいた時、一人の僧が庵に来た。師はその僧に言った。「私は山に登る。食事の時に飯を作って自分で食べ、一食分を山に持ってきなさい」。しばらくして、その僧は自分で食べてしまい、家財道具を全部壊して、床に臥してしまった。師は来ないのを待って、庵に帰って僧が臥しているのを見て、師も片隅に行って臥した。僧は起き上がって去っていった。師は後になって言った。「私が昔、庵に住んでいた時、一人の利根な道者がいた。今に至るまで見かけない」。 師が毬（まり）を拾い上げて僧に尋ねた。「あれはこれに似ているか」。答えて言った。「似ていません」。師は言った。「どこであれを見て、似ていないと言うのか」。僧は言った。「もし私の見たところを問われるなら、和尚は手に持った物を置いてください」。師は言った。「お前には片目があると認めよう」。 陸亘大夫が師に言った。「肇法師はたいへん不思議な方です。『万物は同じ根であり、是非は一体である』と言われました」。師は庭先の牡丹の花を指して言った。「大夫よ、現代の人はこの一株の花を見ても、夢のようだと思う」。陸は測り知れなかった。 陸はまた尋ねた。「天王は何位に住するのですか」。師は言った。「天王ならば、すでに位ではない」。陸は言った。「弟子は、天王は初地に住すると聞いております」。師は言った。「天王の身で度すべき者には、天王の身を現じて説法するのだ」。 陸が辞して宣城の治所に帰ることになった。師は尋ねた。「大夫はあそこへ行って、どのように民を治めるのか」。陸は言った。「智慧をもって民を治めます」。師は言った。「それならあそこにいる生きとし生けるものは、ことごとく塗炭の苦しみに陥るだろう」。 師が宣州に入ったとき、陸大夫が門の外まで出迎えて、城門を指して言った。「誰もがこれを甕門と呼びます。和尚は何の門と呼ばれますか」。師は言った。「老僧が言えば、大夫の風化を辱めることになるだろう」。陸は言った。「突然、賊が来たらどうしますか」。師は言った。「王老師の罪過だ」。 陸はまた尋ねた。「大悲菩薩はなぜこれほど多くの手や眼を使うのですか」。師は言った。「国はどうして大夫を使うのですか」。 師が馬大師のために斎を設けて、大衆に尋ねた。「馬大師は来たか」。大衆は答えられなかった。洞山が言った。「伴侶があってはじめて来るでしょう」。師は言った。「お前は後輩だが、なかなか彫琢に耐える」。洞山は言った。「和尚は良民を賤しい者にしようとなさいますな」。 師が衣を洗っているとき、ある僧が尋ねた。「和尚にはまだこれがあるのですか」。師は衣を取って言った。「これがあるからどうしたというのだ」。 <note>玄覚は言った。「これは一つなのか、二つなのか、言ってみよ」</note> 師が僧の良欽に尋ねた。「空劫の中に、まだ仏はあるか」。答えて言った。「あります」。師は言った。「それは誰だ」。答えて言った。「良欽です」。師は言った。「どの国に住するのか」。無言だった。 僧が尋ねた。「祖から祖へ伝えるのは、何を伝えるのですか」。師は言った。「一二三四五」。尋ねた。「古人の根本は何ですか」。師は言った。「あればその時に言おう」。僧は言った。「和尚はなぜ妄語をするのですか」。師は言った。「私は妄語しない。盧行者（慧能）こそ妄語するのだ」。 尋ねた。「十二時中、何を境としますか」。師は言った。「なぜ王老師に尋ねないのか」。僧は言った。「もう尋ねました」。師は言った。「それがお前に境となったか」。 僧が尋ねた。「青蓮が風や火とともに散らない時、それは何ですか」。師は言った。「風も火もなく、何に随うのか」。僧は答えられなかった。師は逆に尋ねた。「善も思わず悪も思わず、思慮がまったく生じない時、私の本来の面目を返せ」。僧は言った。「姿もなく、露わすものもありません」。 <note>洞山は言った。「まだ人に示したことがあるか」</note> 師が座主に尋ねた。「あなたは私に経を講じることができるか」。答えて言った。「私が和尚に経を講じるなら、和尚は私に禅を説いてください」。師は言った。「金の弾子をもって銀の弾子と交換することはできない」。座主は言った。「私はわかりません」。師は言った。「あなたは言ってみなさい。空の中の一片の雲は、釘で打ち付けられているのか、藤でつながれているのか」。 尋ねた。「空の中にある珠は、どうやって取るのですか」。師は言った。「竹を伐って梯子を空に張って取る」。僧は言った。「空にどうやって梯子を張るのですか」。師は言った。「あなたはどうやって取ろうとするのか」。 僧が辞去して尋ねた。「学人が諸方に行って、誰かが和尚は近日どうしているかと尋ねたら、どのように答えたらよいでしょうか」。師は言った。「ただ、最近相撲を解するようになったと言いなさい」。僧は言った。「それはどういうことですか」。師は言った。「一拍にして双泯」。 尋ねた。「父母が生まれる前、鼻はどこにあったのか」。師は言った。「父母が生まれた後、鼻はどこにある」。 師がまさに世を去ろうとするとき、第一座が尋ねた。「和尚は百年後、どこへ行かれますか」。師は言った。「山下で一頭の水牛になるのだ」。僧は言った。「私も和尚に従って行けますでしょうか」。師は言った。「お前が私に従うなら、一茎の草を取って来なさい」。 師はついに病にかかった。大和八年甲寅（834年）十二月二十五日、明け方に門人に告げて言った。「星や雲翳、灯火や幻も、すでに久しい。私に去来があると思ってはならない」。言い終わって寂した。享年八十七。法臘五十八。翌年の春、塔に納められた。