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title: "楞嚴經集註 · 二福愛天"
description: "楞嚴經集註是宋代高僧思坦對《楞嚴經》的重要註解，成書於北宋時期，反映了當時佛教義學研究的深度。該註疏以天台宗思想為基礎，系統闡釋了《楞嚴經》中「常住真心」的核心教義，詳細解說了二十五圓通、五十陰魔等關鍵內容，並融合了禪淨思想。作為漢傳佛教的重要註釋典籍，它不僅保存了宋代佛教的詮釋傳統，更為後世研究《楞嚴經》提供了權威範本，在中國佛教史上具有承先啟後的地位，至今仍是研習楞嚴思想的重要參考文獻。"
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捨心圓融，勝解清淨，福無遮中，得妙隨順，窮未來際，如是一類名福愛天。

> 捨心が円満に溶け合い、清らかな理解を得て、福徳に限りがない中で、素晴らしい順縁を得る。未来の際限なく続く、このような種類を福愛天と名付ける。

補遺云：前福生天，以捨樂為福。今捨心轉勝，愛樂此福，故名福愛。與前福生深淺之別矣。下三句明因福愛，故分二岐。上二句以捨心轉勝，正明福愛。因此愛樂不止，故生廣果無想也。從廣果天出生五那，含無漏之業，窮未來際，挹其源，蓋出此福愛樂悅之心。所以於此言之者，明福愛之功耳。

> 補足の説明によれば、前の福生天は楽を捨てることを福とする。今は捨てる心がさらに勝れて、この福を愛し楽しむので、福愛と名づける。前の福生天との違いは、深さと浅さにある。次の三句は、福愛が原因となって二つの道に分かれることを示す。上の二句は捨てる心がさらに勝れて、正に福愛を明かす。この愛楽が止まらないがゆえに、広果天と無想天が生じる。広果天から五那含天が生まれ、無漏の業を含み、未来の際を尽くしてその源を汲むならば、これはまさにこの福愛楽悦の心から出るものである。ここでこれを説くのは、福愛の功徳を明らかにするためである。

苕溪云：得妙隨順，即隨順下文二岐路也。由此淨福體性無遮，愛樂修習勝妙之法，是則福資二路，非止當天，故云窮未來際。

> 苕溪は言う。「妙を得て随順する」とは、すなわち下文の二つの岐路に随順することである。この清浄な福の体性は遮るものがないので、勝妙な法を愛好し楽しんで修習する。これにより福は二つの道を資けるのであり、ただ当来の天にのみ留まるものではない。ゆえに「未来際を窮める」と説くのである。

長水云：於福愛中，分二所向：一、直往道，即至廣果；二、迃僻道，即至無想。

> 長水大師は言う。福と愛の境涯の中に、二つの趣く先がある。一つは、まっすぐに進む道であり、広果天に至る。二つは、迂遠で偏った道であり、無想天に至る。

補遺云：然則所以此中方分二路者，良由捨心勝妙。若福德純厚，堪為出世之基，加四無量心，則生廣果。若資捨心，灰斷僻見，故生無想。良由空法誤人多矣。例如通教，三人證空，二乘取證，菩薩於空，自能化物也。

> 補遺に曰く、この經において二つの道に分かれる理由は、まさに捨心が殊勝で妙なるがゆえである。もし福徳が純厚であれば、よく出世間の基となることができ、四無量心を加えるならば、廣果天に生まれる。もし捨心を資として、偏見を斷ち切るならば、故に無想天に生まれる。まさに空の法が人を誤らせることが多いからである。例えば通教において、三乘の人が空を證するが、二乘は取證にとどまり、菩薩は空において自らよく諸々の衆生を教化することができるのである。