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title: "雲門匡真禪師廣錄 · 室中語要"
description: "雲門匡真禪師廣錄由宋代僧人守堅編集，記載了五代禪宗大師雲門文偃的語錄與禪法思想。雲門文偃是雲門宗創始人，其禪風以簡峻著稱，擅長以機鋒語句啟發學人。該書收錄了雲門禪師的上堂法語、機緣問答、偈頌等內容，展現了雲門宗\"一字關\"\"雲門三句\"等獨特禪法。作為禪宗重要典籍，它不僅是研究雲門宗思想的核心文獻，也是中國佛教禪宗史上具有深遠影響的著作，對後世禪宗發展產生了重要影響，在佛教典籍中占有重要地位。"
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## 雲門匡真禪師廣錄卷中

> 雲門匡真禅師広録 巻中

門人明識大師賜紫守堅集

> 門人明識大師賜紫守堅集

室中語要一百八十五則

> 室中語要 百八十五則

垂示代語二百九十則

> 垂示代語二百九十則

### 室中語要

> 室中語要

師示眾云。盡十方世界乾坤大地。以拄杖一畫百雜碎。三乘十二分教達磨西來。放過即不可。若不放過。不消一喝。

> 師が眾に示して言う、「十方世界、乾坤の大地、すべてを杖で一振りすれば微塵に碎ける。三乘十二分教、達磨が西より来たことなど、放っておくならばそれまでだが、放っておかねば、一喝に及ばない。」

師示眾云。西天二十八祖唐土六祖天下老和尚。總在拄杖頭上。直饒會得。倜儻分明。秖在半途。若不放過。盡是野狐精。

> 師が衆に示して言った。「西天の二十八祖、唐土の六祖、天下の老和尚たちは、みなこの杖の先にいる。たとえそれを理解し、はっきりと見極めたとしても、まだ道の途中にいるに過ぎない。もしそれをそのままにしておかなければ、みな野狐の精である。」

師一日云。古來老宿皆為慈悲之故有落草之談。隨語識人。若是出草之談。即不與麼。若與麼便有重話會語。不見仰山和尚問僧。近離甚處。僧云。廬山。仰山云。曾遊五老峯麼。僧云。不曾遊。仰山云。闍梨不曾遊山。師云。此語皆為慈悲之故有落草之談。

> ある日、師は言われた。「昔からの老師たちは、みな慈悲の心から、草むらに落ちるような話をされた。その言葉によって人を見極めるのである。もし草むらを出るような話であるならば、そのようにはしないであろう。もしそのようにするならば、それは重ねた言葉や解釈の話になってしまう。仰山和尚が僧に尋ねられたのを見たことがある。『最近、どこから来たのか』と。僧は答えた。『廬山からです』と。仰山は言われた。『五老峰に登ったことがあるか』と。僧は答えた。『登ったことはありません』と。仰山は言われた。『あなたは山を遊んだことがないのだな』と。師は言われた。「この言葉は、すべて慈悲の心から、草むらに落ちるような話をされたのである」と。

師有時云。若言即心即佛。權且認奴作郎。生死涅槃恰似斬頭覓活。若說佛說祖。佛意祖意大似將木槵子換却爾眼睛相似。

> 師が時におっしゃった。「もし『心がそのまま仏である』と言うならば、それはかりそめに召使いを主人と認めるようなものだ。生死と涅槃は、ちょうど首を斬って生き返りを求めるようなものだ。もし『仏が説いた』『祖師が説いた』『仏の意』『祖師の意』と言うならば、それは木の実でお前の目をすり替えるようなものだ。」

舉古云。聞聲悟道見色明心。師云。作麼生是聞聲悟道見色明心。乃云。觀世音菩薩將錢來買餬餅。放下手云。元來秖是饅頭。

> 古人が言った。「音を聞いて道を悟り、色を見て心を明らかにする」と。師が言った。「どうやって音を聞いて道を悟り、色を見て心を明らかにするのか」。そして言った。「観世音菩薩が金を持って来て、焼き餅を買った。手を放して言うには『元々、これは饅頭だったのか』と」。

師有時云。燈籠是爾自己。把鉢盂噇飯飯。不是爾自己。有僧便問。飯是自己時如何。師云。者野狐精三家村裏漢。復云來來不。是爾道飯是自己。僧云是。師云。驢年夢見。三家村裏漢。

> 師はある時言った。「燈籠はお前自身だ。鉢を持って飯を食うことは、お前自身ではない。」すると僧が問うた。「飯が自分自身であるときは、どうでしょうか。」師は言った。「この野狐の精め、村の田舎者め。」さらに言った。「さあ、来い来い。お前が飯は自分自身だと言うのか。」僧は答えた。「はい、そうです。」師は言った。「驢馬の年でも夢に見ることはないだろう。村の田舎者め。」

師有時云。真空不壞有。真空不異色。僧便問。作麼生是真空。師云。還聞鐘聲麼。僧云。此是鐘聲。師云。驢年夢見麼。

> そのとき、師匠はこう言った。「真空は有を壊さない。真空は色と異ならない。」 僧がすぐに尋ねた。「では、その真空とはどのようなものですか？」 師匠は言った。「鐘の音が聞こえるか？」 僧が答えた。「これは鐘の音です。」 師匠は言った。「お前は、ろばの年に夢を見ることもあるまい。」

舉疎山和尚問僧。什麼處來。僧云。嶺中來。山云。曾到雪峯麼。僧云。曾到。山云。我已前到時是事不足。如今作麼生。僧云。如今足也。山云。粥足飯足。無語。師云。粥足飯足。

> 疎山和尚が僧に問うた。「どこから来たのか。」僧が言う、「嶺の中から参りました。」疎山が言う、「雪峯に曾て行ったことがあるか。」僧が言う、「曾て参りました。」疎山が言う、「私が以前に行った時は、物足りないところがあった。今はどうだ。」僧が言う、「今は足りております。」疎山が言う、「粥も足り、飯も足りるか。」僧は答えなかった。師（雪峯）が言う、「粥も足り、飯も足りる。」

舉孚上座參雪峯。峯聞乃集眾。孚到法堂上顧視雪峯。便下看知事。明日却上禮拜云。某甲昨日觸忤和尚。峯云。知是般事便休。時有僧問師。作麼生是觸忤和尚處。師便打。

> 孚上座が雪峯のもとを訪ねた。雪峯はこれを聞いて、人々を集めた。孚は法堂に上がり、雪峯をひと目見ただけで、そのまま下りて知事のところへ向かった。翌日、再び上がって礼拝し言った、「昨日、和尚に対して失礼をいたしました」。雪峯は言った、「そのようなことが分かっているなら、それでよい」。その時、ある僧が師に問うた、「いったいどこで和尚に失礼をしたのですか」。師はその僧を打った。

舉僧問資福。古人拈槌竪拂意旨如何。福云。古人與麼那。僧云。拈槌竪拂又作麼生。福便喝出。師云。古人是什麼眼目。僧云。和尚作麼生。師云。驢年會麼。僧無對。師復召僧來來。僧近前。師以拂子驀口打。

> 僧が資福に問うた。「古人が槌を拈じ、払子を竪てる意旨は如何なるものか。」資福云く、「古人はそのようにしたのか。」僧云く、「槌を拈じ払子を竪てるとは、またどういうことか。」資福、すなわち喝して追い出した。師、云く、「古人はどんな眼目を持っていたのか。」僧云く、「和尚はどうされるのですか。」師、云く、「驢年の時に悟れるだろうか。」僧、答えることができなかった。師、再び僧を呼んで「来い、来い」と言った。僧が近づくと、師は払子でその口を打った。

舉三平頌云。即此見聞非見聞。師云。喚什麼作見聞。無餘聲色可呈君。師云。有什麼口頭聲色。箇中若了全無事。師云。有什麼事。體用無妨。分不分。師云。語是體體是語。復拈起拄杖云。拄杖是體。燈籠是用。是分不分。不見道。一切智智清淨。

> 三平の頌を挙げて曰く、「即ちこの見聞、見聞に非ず」。師、云く、「何を喚んで見聞と作す」。 「余りの声色なくして君に呈す可し」。師、云く、「何の口頭の声色か有らん」。 「箇中に若し了すれば全く事無し」。師、云く、「何の事か有らん」。 「体用妨げ無し。分かつと分かたざると」。師、云く、「語は是れ体、体は是れ語」。 復た拝(ひ)きて杖を拈(ねん)じて云く、「拄杖は是れ体、燈籠は是れ用。是れ分かつと分かたざると」。 「道(い)わずや、一切智智清浄なり」と。

舉一宿覺云。幻化空身即法身。師拈起拄杖云。盡大地不是法身。

> ある修行者が「幻のようなこの身が、そのまま法身である」と言った。そこで師匠は杖を手に取り、言った。「大地のすべては、法身ではない。」

舉僧問趙州。某甲乍入叢林。乞師指示。州云。喫粥了也未。僧云。喫粥了也。州云。洗鉢盂去。師云。且道有指示無指示。若道有指示。向他道什麼。若道無指示。者僧何得悟去。

> ある僧が趙州に問うた。「私は初めて修行の場に参りました。どうか先生にお示しください。」 趙州は言った。「粥を食べ終わったか。」 僧は言った。「粥は食べ終わりました。」 趙州は言った。「鉢を洗いに行きなさい。」 この師は言った。「さあ、そこに指示があったのか、なかったのかを言ってみなさい。もし指示があったと言うなら、彼に何を指示したというのか。もし指示がなかったと言うなら、この僧はなぜ悟りを得たのか。」

舉僧問雪峯。乞師指示。峯云。是什麼。其僧於言下大悟。師云。雪峯向伊道什麼。

> ある僧が雪峯に問うて言う、「どうか師がお示しください」。雪峯が言う、「それは何だ」。その僧は、その言葉の下で大いに悟った。師が言う、「雪峯は、彼に何を伝えたのか」。

師有時云。平地上死人無數。過得荊棘林是好手。僧云。與麼則堂中第一座有長處也。師云。蘇嚕蘇嚕。

> 師が時に言った、「平らな地には死人が数え切れないほどいる。荊棘の林を抜けられる者が、真の達人だ。」僧が問う、「それならば、堂中の第一座には長所があるということでございましょうか。」師が言った、「スルスル。」

舉無情說法。忽聞鐘聲云。釋迦老子說法也。驀拈起拄杖問僧。者箇是什麼。僧云。拄杖子。師云。驢年夢見。

> 無情のものが法を説くという話がある。ふと鐘の音を聞いて言う、「釈迦の説法だ」。急に杖を手に取り、僧に尋ねる、「これは何だ」。僧が「杖です」と答えると、師は言う、「驢年の夢にも見えまい」。

師一日云。三家村裏賣卜。東卜西卜忽然卜著也不定。僧便問。忽然卜著時如何。師云。伏惟。

> ある日、師が言った。「三つの家がある村で占いをしている。東を占い、西を占う。だが、ふと当たることもあるかもしれない。」そこで僧が尋ねた。「もしふと当たったら、どうなるのでしょうか。」師は言った。「どうぞお大事に。」

師有時云。大用現前不存軌則。僧便問。如何是大用現前。師乃拈拄杖高聲唱云。釋迦老子來也。

> 師が時におっしゃった。「大いなるはたらきが目の前に現れれば、規則や決まりは存在しない。」僧がすぐに尋ねた。「大いなるはたらきが目の前に現れるとは、どういうことですか？」師は杖を手に取り、高い声で唱えた。「釈迦の老いたる者、来たれり！」

師有時以拄杖打火鑪一下。大眾眼目定動。師乃云。火鑪勃跳上三十三天見麼見麼。眾無語。師云。無智人前莫說打爾頭破百裂。

> 師がある時、杖で火炉を一度叩いた。大衆の目が一斉に動いた。師は言った。「火炉が跳ね上がって三十三天に至った。見えるか、見えるか。」大衆は何も答えなかった。師は言った。「無知な者の前では、語るなかれ。お前の頭を打ち破って百裂にせんぞ。」

師有時云。看看法身變作燈籠。超佛越祖之談從爾脚跟下過也。僧云。脚跟下認得時如何。師云。鈍置殺我。僧云。與麼則逈然不在者裏也。師云。十萬八千。

> 師が時におっしゃった。「見よ、見よ。法身が灯籠に変わっている。仏を超え祖を越える話が、お前の足元を通り過ぎていくのだ。」 僧が尋ねた。「足元でそれと気づいたら、どうなのでしょう。」 師がおっしゃった。「そんな鈍さでは、私を困らせるだけだ。」 僧が言った。「それならば、すっかりここにはいないということですね。」 師がおっしゃった。「十万八千里だ。」

舉槃山語云。光境俱忘。復是何物。師云。直饒與麼道。猶在半途。未是透脫一路。僧便問。如何是透脫一路。師云。天台華頂趙州石橋。

> 盤山の言葉を挙げて言う、「光と境をともに忘れる。そのとき何ものか。」師は言う、「たとえそのように言うとも、なお半ばの道にあり。透脱の一路には至っていない。」僧が問う、「いかなるものが透脱の一路か。」師は言う、「天台の華頂、趙州の石橋。」

舉仰山云。如來禪即許師兄會。僧便問。如何是如來禪。師云。上大人。又拈起扇子云。我喚作扇子。爾喚作什麼。僧無語。師云。扇子上說法。燈籠裏藏身。作麼生。僧却問。如何是和尚禪。師叱云。元來秖在者裏。

> 仰山が言った。「如来禅であれば、師兄は理解していると認めよう。」僧が尋ねた。「では、如来禅とは何ですか。」仰山は言った。「上大人。」そして扇子を取り上げて言った。「私はこれを扇子と呼ぶ。お前は何と呼ぶか。」僧は答えられなかった。仰山は言った。「扇子の上で説法し、灯籠の中に身を隠す。どういうことか。」僧が逆に問うた。「和尚の禅とは何ですか。」仰山は叱って言った。「そもそも、お前はただここにいるだけだ。」

舉雪峯喚僧近前來。僧近前。峯云去。師舉了問僧。爾作麼生道得叉手句。爾若道得叉手句。即見雪峯。

> 雪峯が僧を呼んで「近う来たれ」と言った。僧が前に進むと、雪峯は「去れ」と言った。師がこの話を挙げて僧に問うた。「お前は、どう言えば合掌の句を言い当てられるか。もし合掌の句を言い当てられたなら、それで雪峯を見たことになるのだ。」

舉三祖云。一心不生萬法無咎。師云。秖者裏悟了。乃拈起拄杖云。乾坤大地有什麼過。

> 三祖が言った。「一心に生じなければ、万法に咎めなし」。師は言った。「まさにこの場所で悟るのだ」。そして柱杖を取り上げて言った。「天地の間、この大地に何の過ちがあろうか」。

舉一宿覺云。一切數句非數句。與吾靈覺何交涉。師云。行住坐臥不是靈覺。喚什麼作數句。

> 一宿覺が言った。「あらゆる数句（概念や言葉）は、数句ではない。それらが我が霊覚（本来の悟り）と何の関わりがあろうか。」師が言った。「行住坐臥（日常の動作）は霊覚ではない。それを何と呼んで数句とするのか。」

舉槃山云。光境俱忘。復是何物。師云。東海裏藏身。須彌山上走馬。復以拄杖打床一下。大眾眼目定動。乃拈拄杖趁散云。將謂靈利者漆桶。

> 挙（こ）槃山曰く、「光と境、共に忘るるも、復た是れ何物ぞ。」師、云く、「東海の裏に身を藏し、須彌山の上に馬を走らす。」復た拄杖を以て床を打ち一下す。大衆、眼目定動す。乃ち拄杖を拈じて趁散して云く、「將に謂へり、霊利なる者は漆桶なりと。」

舉僧問乾峯。十方薄伽梵一路涅槃門。未審路頭在什麼處。峯以拄杖劃云。在者裏。師拈起扇子云。扇子勃跳上三十三天。築著帝釋鼻孔。東海鯉魚打一棒。雨似盆傾相似。會麼。

> ある僧が乾峯に問うた。「十方の薄伽梵、一路涅槃門。はたしてその道の入口はどこにあるのでしょうか。」 乾峯は杖で地面に線を引き、「ここにある」と言った。 師（雪峰）は扇子を手に取り、こう言った。「扇子が跳ね上がって三十三天に至り、帝釈天の鼻を突いた。東海の鯉が一撃を受けると、雨が盆をひっくり返したように降り注いだ。わかるか？」

師有時云。諸方拈槌竪拂云會麼。但云莫壓良為賤。却云是是。待伊擬議便打。

> 師が時に言った。「諸方の僧たちが槌を挙げ、払子を立てて『わかるか』と問うが、ただ『善良な者を押さえつけて賤しい者とすることはない』と言うべきだ。それでも『是是』と言うなら、彼が思案に迷っているところを待って、打つがよい。」

舉教云。心生種種法生。心滅種種法滅。乃拈起拄杖云。重多少。僧云半斤。師云。驢年夢見。

> 教えに曰く、「心が生ずる時、種々の法が生じ、心が滅する時、種々の法が滅す」と。そこで、杖を手に取り上げて言った、「これはどれほどの重さがあるか。」僧が「半斤（はんきん）です」と答えると、師は言った、「驢年（ろねん）にも夢にも見えぬことだ。」

舉夾山語云。百草頭上薦取老僧。師合掌云。不審不審。又以拄杖指露柱云。夾山變作露柱也。看看。

> 夾山和尚が言った。「百草の頭の上で老僧を見つけよ。」師は合掌して言った。「不審、不審。」また、杖で露柱を指して言った。「夾山が露柱に変わったぞ。見よ、見よ。」

舉仰山問僧。近離甚處。僧云向南。山拈起拄杖云。彼中還說者箇麼。僧云不說。山云。不說者箇。還說那箇麼。僧云不說。山召大德參堂去。其僧便去。山復召其僧。僧應喏山云。近前來。僧近前。山便打。師云。仰山若無後語。爭識得人。

> 仰山がある僧侭に問うた。「近頃、どこから来たのか。」僧侭が答えた。「南の方からです。」仰山は杖を手に取り、「あちらでは、このことを説いているか。」僧侭が言った。「説いておりません。」仰山が言った。「このことを説かないのなら、あのことを説いているか。」僧侭が言った。「説いておりません。」仰山がその僧侭を呼んで、「大徳よ、堂に参じなさい。」僧侭はそのまま立ち去った。仰山は再びその僧侭を呼び戻した。僧侭が応えると、仰山が言った。「こっちへ来なさい。」僧侭が近づくと、仰山はすぐに打った。 師（汾陽善昭）が言った。「仰山があの後（に呼び戻して）の言葉が無ければ、どうやって人を見抜くことができたであろうか。」

舉雪峯喚僧近前來。僧近前。峯云。甚處去。僧云。普請去。峯云去。師云。此是隨語識人。

> 雪峰が僧を呼んで「近う来たれ」と言った。僧が近づくと、雪峰は「どこへ行くのか」と尋ねた。僧は「普請（作務）に行きます」と答えた。雪峰は「行け」と言った。師は言った。「これは言葉に従って人を見極めるというものである。」

舉參同契云。回互不回互。師云。作麼生是不回互。乃以手指板頭云。者箇是板頭。作麼生是回互。師云。喚什麼作板頭。

> 参同契に言う、「回互（えご）と回互せざる（ふえご）とあり。」と。師の曰く、「如何なるが是れ回互せざるや。」乃ち指を以て板頭を指して云く、「此れは是れ板頭なり。如何なるが是れ回互や。」師の曰く、「何の物と喚んで板頭と作さん。」

舉見聞覺知無障礙。聲香味觸常三昧。師云。一切處不是三昧。行時不是三昧。有處云。聲香味觸體在一邊。聲香味觸在一邊。見解偏枯。

> 見る・聞く・感じる・知ることに、何の障りもない。音・香り・味・触れ心地が、常に三昧である。師匠が言われた。「すべての場所が三昧なのではない。歩いている時が三昧なのではない。」ある所では言う。「音・香り・味・触れ心地の本体は一方にあり、音・香り・味・触れ心地はもう一方にある」と。これは見解が偏り、枯れている。

舉夾山坐次。洞山到來。云作麼生。夾山云。秖與麼。師代洞山云。不放過又作麼生。代夾山便喝。師又拈夾山云。秖與麼。元來秖在蝦蟇窟裏。又云。秖與麼。也難得。

> 夾山和尚正在坐禪。洞山禪師來了，問他：「你在做什麼？」夾山回答：「就是這樣而已。」師（法眼禪師）代替洞山問說：「如果不放過你，你又怎麼回答呢？」又代替夾山回答，便大喝一聲。 師又拈出夾山的回答評論道：「說『就是這樣』，原來還只是停留在蝦蟆窩裡的境界。」接著又說：「不過，能夠說出『就是這樣』，也是難得的。」

舉祖師偈云。法法本來法。師云。行住坐臥不是本來法。一切處不是本來法秖如山河大地與爾日夕著衣喫飯。有什麼過。又云。法本法無法。師拈起拄杖云。不是本無法。

> 祖師の偈を挙げて言う。「法法、本来法なり」。師は言う。「行住坐臥は本来法ではない。一切の場所も本来法ではない。ただ、山河大地があなたと朝夕に衣服を着て食事をするのと同様である。何の過ちがあろうか」。また言う。「法は法を本とし、法なしを本とする」。師は杖を手に取り上げて言う。「これはもともと法なしというのではない」。

舉傅大士頌云。空手把鋤頭。步行騎水牛。師云。是爾從向北騎一頭水牯牛到這裏。乃拈起拄杖云。不見道。千頭萬頭到這裏但識取一頭。

> 傅大士の頌を挙げて言う、「空手で鋤を取り、歩きながら水牛に乗る。」師は言う、「これはお前が北から一頭の水牛に乗ってここまで来たのだ。」そして杖を手に取り言う、「『千頭万頭、ここに至れば一頭を知るのみ』と言うのを聞かないか。」

舉寶公云。如我身空諸法空。千品萬類悉皆同。師云。爾立不見立。行不見行。四大五蘊不可得。何處見有山河大地來。是爾每日把鉢盂噇飯。喚什麼作飯。何處更有一粒米來。

> 宝公が言った。「我が身が空ならば、すべての法も空である。千種万類、すべて同じである。」 師が言った。「汝は立つときも立つことを見ず、行くときも行くことを見ない。四大も五蘊も捉えられない。どこに山河や大地があるというのか。汝は毎日、鉢を持って飯を食っているが、何を飯と呼ぶのか。どこに一粒の米があるというのか。」

舉一切聲是佛聲。一切色是佛色。師拈起拂子云。是什麼。若道是拂子。三家村裏老婆禪也不會。

> あらゆる音はそのまま仏の声であり、あらゆる姿はそのまま仏の姿である。師は払子を手に取り、「これは何だ？」と言った。もし「払子です」と答えるなら、田舎の老婆の禅も理解していないことになる。

舉南方禪客問國師。此間佛法如何。國師云。身心一如。身外無餘。師云。山河大地何處有也。

> 南方から禅の修行者が国師に尋ねた。「この地の仏法はどのようなものですか？」 国師は答えた。「心と体は一つであり、体の外に何もない。」 するとその修行者は言った。「それならば、山河や大地はどこにあるのですか？」

師有時云。要識祖師麼。以拄杖指云。祖師在爾頭上勃跳。要識祖師眼睛麼。在爾脚跟下。又云。這箇是祭鬼神茶飯。然雖如此。鬼神也無厭足。

師有時云。若說菩提涅槃真如解脫。是燒楓香供養爾。若說佛說祖。是燒黃熟香供養爾。若說超佛越祖之談。是燒瓶香供養儞。歸依佛法僧下去。

師一日拈起拄杖舉。教云。凡夫實謂之有。二乘析謂之無。緣覺謂之幻有。菩薩當體即空。乃云。衲僧見拄杖但喚作拄杖。行但行坐但坐。總不得動著。

> ある日、師匠が杖を手に取り、こう言った。「教えではこう説かれている。凡夫はそれを本当に『ある』と思い、二乗は分析して『ない』とする。縁覚は『幻のようにある』と言い、菩薩はそのままの姿が空だと悟る。」そして師匠は続けた。「しかし、禅僧たる者は杖を見れば、ただ杖と呼ぶだけだ。歩くときはただ歩く、座るときはただ座る。一切の分別を動かしてはならない。」

舉夾山語云。百草頭上薦取老僧。鬧市裏識取天子。又云。一塵纔起大地全收。

> 夾山禅師が言いました。「百草の先端に、老僧を見出せ。賑わう市の中で、天子を識れ。」また、「一粒の塵が立ち上がれば、大地すべてがそこに収まる」とも言いました。

舉雪峯云。三世諸佛向火焰上轉大法輪。師云。火焰為三世諸佛說法。三世諸佛立地聽。

> 雪峰禅師が言った。「三世の諸仏が火炎の上で大法輪を転じている」と。師（玄沙禅師）は言った。「火炎が三世の諸仏のために法を説いている。三世の諸仏は立ち止まってそれを聞いているのだ」と。

師因喫茶了。拈起盞子云。三世諸佛聽法了。盡鑽從盞子底下去也。見麼見麼。若不會。且向多年曆日裏會取。

> 師がお茶を飲み終えた後、茶碗を持ち上げて言った。「三世の諸仏が法を聞き終えて、皆茶碗の底を通って行ってしまった。見えるか、見えるか。もし分からなければ、長年の暦の中で悟れ。」

舉槃山語云。光非照境。境亦非存。光境俱忘。復是何物。師云。盡大地是光。喚什麼作自己。爾若識得光去。境亦不可得。有什麼屎光境。光境既不可得。復是何物。又云。此是古人慈悲之故重話會語。者裹倜儻分明去。放過即不可。若不放過復舉手云。蘇盧蘇盧。

舉傅大士云。禪河隨浪靜。定水逐波清。師拈拄杖指燈籠云。還見麼。若言見。是破凡夫。若言不見。有一雙眼在。爾作麼生會。良久復拈拄杖云。盡大地不是浪。師有時拈拄杖打床一下云。一切聲是佛聲。一切色是佛色。爾把鉢盂噇飯時有箇鉢盂見。行時有箇行見。坐時有箇坐。見者般底作與麼去就。把棒一時趁散。師有時拈起拂子云。者裏得箇入處去揑怪也。日本國裏說禪。三十三天有箇人出來喚云。吽吽。特庫兒。擔枷過狀。

> 傅大士の言葉を挙げて言う。「禅河は浪に随って静かになり、定水は波に従って清くなる。」師は柱杖を手に取り、灯籠を指して言う、「まだ見えるか。もし見えると言うなら、それは凡夫を打破するものだ。もし見えないと言うなら、ここに一対の眼がある。お前たちはこれをどう会得するのか。」しばらくして再び柱杖を手に取り言う、「大地全体が浪ではない。」師はある時、柱杖を手に取り床を一度打って言う、「すべての声は仏の声であり、すべての色は仏の色である。お前が鉢で飯を食べる時、そこに鉢という見方がある。歩く時には歩くという見方がある。座る時には座るという見方がある。このような見解で、どうしてそんな風に振る舞うのか。棒を手に取って一時に追い散らしてやる。」師はある時、払子を手に取り上げて言う、「ここで一つの入り口を得て、怪しいことをするのか。日本国の中で禅を説けば、三十三天からある人が出て来て呼ぶ、『フンフン。寺の小僧よ。枷を担いで訴状を持ち出すとは。』」

舉古人道。一處不通兩處失功。兩處不通觸途成滯。師拈起拄杖云。山河大地三世諸佛盡在拄杖頭上。有甚滯礙。如今明也暗向什麼處去。秖者明便是暗。一切眾生秖被色空明暗隔礙。便見有生滅之法。

舉一宿覺云。六般神用空不空。一顆圓光色非色。師拈起拂子云。者箇是圓光。是色非色。喚什麼作色。與我拈將來看。

> 挙げて一宿覚が言う。「六つの神通の働きは、空でありながら空でない。一つの円い光は、色でありながら色でない。」師は払子を取り上げて言う。「これが円い光だ。色でありながら色でない。何を色と呼ぶのか。私のためにそれを持って見せてくれ。」

舉夾山云。百草頭上薦取老僧。鬧市裏識取天子。師云。蝦蟇入爾耳朵裏。毒蛇穿爾眼睛中。且向葛藤處會取。

舉十方薄伽梵一路涅槃門。師云。爾若不識。大食國裏人。在爾眼睫裏賣香藥。

舉般若經云。無二無二分。無別無斷故。師乃指露柱云。與般若經相去多少。

> 『般若経』にこうある。「無二であり、無二の分けもない。無別であり、無別の断ちもないからである。」師は露柱を指して言った。「般若経と、どれほどの隔たりがあるか。」

舉經云。經書呪術一切文字語言。皆與實相不相違背。師拈拄杖云。者箇是什麼。若道是拄杖入地獄。不是拄杖是什麼。

師一日拈拂子摵一下云。日月星辰撲落地上。見麼。良久起身云。近後突著爾眼睛。

舉十方薄伽梵一路涅槃門。師云。者箇是屋上頭是天。手裏是拄杖。作麼生是涅槃門。

> 十方の諸仏が通る一つの涅槃の門、これを挙げて言う。師が云う、「これは屋根の上が天であり、手に持つのは杖である。一体どうすれば涅槃の門というのか。」

師有時云。彈指謦欬揚眉瞬目拈槌竪拂。或即圓相。盡是撩鉤搭索。佛法兩字未曾道著。道著即撒屎撒尿。

舉瓦官參德山。瓦官為侍者。同入山斫木。德山將一椀水與瓦官。官接得便喫却。山云會麼。官云不會。山又將一椀水與瓦官。官接得又喫却。山云會麼。官云不會。山云。何不成褫取那不會底。官云不會。又成褫箇什麼。山云。子大似箇鐵橛。瓦官住院後。雪峯去訪茶話次。峯云。當時在德山會裏。斫木因緣作麼生。官云。先師當時肯我。峯云。和尚離先師太早。其時面前有一椀水。峯云。將水來。官便過與雪峯。峯接得便潑却。師代云。莫壓良為賤。

因齋次。將餬餅一咬云。咬著帝釋鼻孔。帝釋害痛。復以拄杖指云。在爾諸人脚跟下。變作釋迦老子。見麼見麼。閻羅王聞說。呵呵大笑云。者箇師僧相當去。不奈爾何。若不相當。總在我手裏。

師有時以拄杖打床一下云。爾若是箇漢。忽然者裏聞聲悟了。一切山河大地日月星辰有什麼過。

舉洛浦云。一塵纔起大地全收。師云。鳥窠拈布毛。便有人悟去。

因喫茶次。舉一宿覺云。三身四智體中圓。八解六通心地印。師云。喫茶時不是心地印。乃拈拄杖云。且向者裏會取。

舉僧問雪峯。如何是觸目菩提。峯云。好箇露柱。有處云。還見露柱麼。師拈起拄杖云。有底體上會事。見露柱秖喚作露柱。有處道。不見有露柱。見解偏枯。見露柱但喚作露柱。見拄杖但喚作拄杖。有什麼過。

舉僧問靈雲。佛未出世時如何。靈雲竪起拂子。僧云。出世後如何。雲亦竪拂子。師云。前頭却實。後底打不著。又云。不說出不出。何處有一問時節。秖如雪峯。夏末於僧堂前坐。眾纔集。峯拈起拄杖云。者箇為中下根人。便有僧問。忽遇上上人來時如何。峯拈起拄杖。師云。我不似雪峯打破狼藉。僧便問。未審和尚如何。師便打。

> 僧が霊雲に問うた。「仏がこの世に現れる前は、どのようなものでしょうか。」霊雲は払子を立てて示した。僧がまた問うた。「現れた後はどうでしょうか。」霊雲も同じく払子を立てた。師（師はこの故事を評して）言われた、「前の答えは確かに的を射ているが、後の答えは捉えどころがない。」また言われた、「現れる、現れないと言うこと自体がないのだ。どこに問う時節があるのか。 たとえば雪峯のことだが、夏の修行が終わる頃、僧堂の前に座っておられた。僧たちがちょうど集まったとき、雪峯は杖を取り上げて言われた、『これは中下の根機の者のためのものだ。』するとすぐに一人の僧が問うた、『もし上上の根機の者が来たならば、どうされますか。』雪峯は杖を取り上げて示された。 師はこの故事を評して言われた、『私は雪峯のように（杖で）物を打ち壊して散らかすようなことはしない。』すると僧が問うた、『では和尚はどのようにされますか。』師はすぐにその僧を打たれた。

舉僧問玄沙。如何是學人自己。沙云。是爾自己。師云。沒量大人被語脈裏轉却。有僧問。如何是學人自己。師云。忽然路上有人。喚衲僧齋。爾也隨例得飯喫。

> 僧が玄沙に問うた。「学人自身とは何でしょうか。」玄沙は言った。「それはあなた自身だ。」このことを聞いた師は言った。「大いなる人物が、言葉の綾に惑わされている。」別の僧が問うた。「学人自身とは何でしょうか。」師は言った。「もし道中で、誰かが衲僧に食事を勧めたなら、あなたもそれに従って、ただ食事をいただくがよい。」

師因齋次。拈起餬餅云。我秖供養江西兩浙人。不供養向北人。僧云。為什麼秖供養江西兩浙人。不供養向北人。師云。天寒日短。兩人共一椀。

舉國師云。南方佛法半生半滅。此間身心一如身外無餘。師云。喚什麼作身心一如。又云。汝等要識國師底麼自代云。不可辜負國師去也。

舉肅宗帝請國師看戲。國師云。有什麼身心看戲。帝再請。國師云。幸自好戲。師云。龍頭蛇尾。

舉國師三喚侍者。侍者三應。國師云。將謂吾辜負爾。謂知爾辜負吾。師云。作麼生是吾辜負爾處。爾若會得。也是無端。又云。作麼生是侍者辜負國師處。師云。粉骨碎身未報得。

舉藥山問僧。什麼處來。僧云。湖南來。山云。洞庭湖水滿也未。僧云未滿。山云。許多時雨水為什麼未滿。雲巖代云。湛湛地。洞山代云。什麼劫中曾欠少。師云。秖在這裏。

舉雪峯云。飯籮邊坐餓死人。臨河渴死漢。玄沙云。飯籮裏坐餓死漢。水裏沒頭浸渴死漢。師云。通身是飯。通身是水。

舉僧問資福。古人拈槌竪拂意旨如何。福云嗄。師云。雪上加霜。

舉僧問資福如何是一塵入正受。福作入定勢。僧云。如何是諸塵三昧起。福云。爾問阿誰。師云。這阿師話墮也不知。又云。前頭早是葛藤。又道。爾問阿誰。

舉茱萸上堂云。爾諸人莫向虛空裏釘橛。時有靈虛上座。出眾云。虛空是橛。茱萸便打。虛云。和尚莫錯打某甲。萸便歸方丈。師云。屎上加尖。僧云。和尚適來與麼道那。師云。槌鐘謝響。得箇蝦蟇出來。

舉僧問投子。密巖意旨如何。子云。須是與麼人始得。趙州云。何不與他本分草料。師問僧。作麼生是本分草料。僧擬議。師便打。

舉古云。寂寂空形影。師展兩手云。山河大地何處得也。又云。一切智通無障礙。師云。拄杖走到西天。却歸新羅國裏。乃敲床云。這箇是爾鼻孔。

舉僧問夾山。如何是道。山云。太陽溢目萬里不挂片雲。師云。不喚作一句。不喚作法身。是什麼。

> 僧が夾山に問うた。「道とは何ですか？」 夾山が答えた。「太陽が目にあふれ、万里の空に一片の雲もかかっていない。」 その言葉を受けて、師が言った。「これを一句とも呼ばず、法身とも呼ばない。さて、これは何か？」

僧問。如何是學人自己。師云。老僧入泥入水。僧云。某甲粉骨碎身去也。師喝云。大海水在爾頭上。速道速道。僧無語。師代云。也知和尚恐某甲不實。

> 僧が問うた。「どうしたら、学ぶ者の本来の自己を理解できるのでしょうか？」 老師は言った。「老僧は泥水にまみれておる。」 僧が言った。「私は粉骨碎身してでも修行に励みます！」 老師は喝破して言った。「大海の水が、お前の頭上にあるぞ。早く言え、早く言え！」 僧は言葉を失った。 老師が代わりに言った。「和尚が、お前の実証を疑っておられるのを、よく知っておるわ。」

師有時云。直得乾坤大地無纖毫過患。猶是轉句。不見一色始是半提。直得如此。更須知有全提時節。

> 師が時に言われた、「たとえ天地全体に少しの欠点もない境地に至っても、それはまだ一曲の言葉に過ぎない。一つの色も見えない境地に至って、初めて半分の悟りである。そうなってなお、さらに全き悟りを示す時期があることを知らねばならない。」

師有時云。泡幻同無礙。一切處不是幻。一切處不是無礙。

> 師がありました時、こう言いました。「泡や幻は、どちらも障りがないものだ。しかし、すべての場所が幻というわけではない。すべての場所が障りがないというわけでもない。」

師有時云。橫說竪說菩提涅槃真如佛性。總是向下商量。直得拈槌竪拂時節。亦是橫說竪說。對前頭猶較些子。僧問。請師向上道。師云。大眾久立。速禮三拜。

舉崇壽問僧。還見燈籠麼。僧無語。師代云。推倒燈籠。

舉趙州問僧。什麼處去。僧云。摘茶去。師云。閉口。

舉法身說法。青青翠竹盡是法身。未是提綱拈掇時節。

舉有為無三世。無為有三世。有為是斷滅法。何處得三世。無為有三世。不是守寂處法。

舉實學是葛藤言句。拈槌竪拂時節。於實學猶在半途。

舉三種人。一人因說得悟。一人因喚得悟。第三人見舉便迴去。爾道。便迴去意作麼生。復云。也好與三十棒。

舉法身喫飯。早是剜肉作瘡。將謂合有與麼說話。

舉僧問雲居。湛然時如何。居云不流。師云。不流說什麼湛然。又云。此是截鐵之言。

舉藥病相治。盡大地是藥。那箇是爾自己。師云。遇賤即貴。僧云。乞師指示。師拍手一下拈起拄杖云。接取拄杖子。僧接得拗作兩截。師云。直饒與麼。也好與三十棒。

舉翠巖夏末上堂云。我一夏已來與師僧說話。看翠巖眉毛在麼。保福云。作賊人心虛。長慶云。生也。師云關。師有時云。不敢望爾有逆水之波。且有順水之意也難得。乃舉。良遂初參麻谷。谷見來便去鋤草。良遂到鋤草處。谷都不顧。便歸方丈閉却門。良遂連三日去敲門。至第三日纔敲門。麻谷問阿誰。良遂云。和尚莫瞞良遂。若不來禮拜和尚。洎被經論賺過一生。師云。便有逆水之波。如今得入是順水之意。亦喚作雙放時節。又云。麻谷問阿誰。良遂道。莫瞞良遂。不是識破麻谷相見時節。若不來禮拜和尚。洎被經論賺過一生。亦知有賺人處。自後良遂歸京辭皇帝及左右街大師大德。再三相留。茶筵次。良遂云。諸人知處良遂總知。良遂知處諸人不知。師云。作麼生是良遂知處。

舉心經云。無眼耳鼻舌身意。師云。為爾有箇眼見。所以言無不可。如今見時不可說無也。然雖如此。見一切有什麼過。一切不可得。有什麼聲香味觸法。

舉光明寂照遍河沙。問僧。豈不是張拙秀才語。僧云是。師云。話墮也。

舉僧辭石霜。霜問。船去陸去。僧云。遇船即船。遇陸即陸。霜云。我道半途稍難。僧無語。師代云。三十年後此話大行。又云。臨行一句永劫不忘。

舉生法師云。敲空作響。擊木無聲。師以拄杖空中敲云。阿耶耶。又敲板頭云。作聲麼。僧云作聲。師云。這俗漢。又敲板頭云。喚什麼作聲。

舉僧問石霜。教中還有祖師意麼。霜云有。僧云。如何是教中祖師意。霜云。莫向卷中求。師代云。不得辜負老僧。却向屎坑裏坐地作什麼。

舉石霜云。須知有教外別傳一句。僧問。如何是教外別傳一句。霜云非句。師云。非句始是句。

> 石霜和尚がこう言った。「教外別伝の一句があることを知らねばならない。」僧が問うた。「いったい何が教外別伝の一句でしょうか。」石霜は「句ではない」と答えた。師は言った。「句でないというのが、まさに本当の句なのだ。」

舉洞山云。須知有佛向上事。僧問。如何是佛向上事。山云非佛。師云。名不得。狀不得。所以言非。

> 洞山禅師が言った。「仏より上の事があることを知らねばならない。」僧が問うた。「仏より上の事とは何ですか。」洞山は答えた。「仏ではない。」師（雪峰）が言った。「名付けることもできず、形に表すこともできない。だから『仏ではない』と言うのだ。」

舉洞山云。塵中不染丈夫兒。師云。拄杖但喚作拄杖。一切但喚作一切。

> 洞山が言った。「塵の中にあっても染まらぬ、それが丈夫の子である。」師は言った。「杖はただ杖と呼び、すべてのものはただすべてのものと呼ぶのだ。」

舉法身清淨。一切聲色盡是廉纖語話。不涉廉纖作麼生是清淨。又云。作麼生是法身。師云。六不收。又云。三十三天二十八宿。

舉古云。如我身空諸法空。千品萬類悉皆同。師云。身不可得。一切諸法豈是有也。所以古人道。無情有佛性。又云。無情不喚作法身說法。

師有時云。光不透脫有兩般病。一切處不明面前有物。是一。又透得一切法空。隱隱地似有箇物相似。亦是光不透脫。又法身亦有兩般病。得到法身。為法執不忘。己見猶存坐在法身邊。是一。直饒透得法身去。放過即不可。子細點檢來。有什麼氣息。亦是病。

舉僧問國師。如何是本身盧舍那。國師云。與老僧過淨瓶來。僧取淨瓶至。國師云。却安舊處著。僧送安舊處又來問。如何是本身盧舍那。國師云。古佛過去久矣。師云。無眹跡。

舉僧問灌溪。久嚮灌溪。到來秖見箇漚麻池。溪云。爾秖見漚麻池。且不識灌溪。僧云。如何是灌溪。溪云。劈箭急。師云。何不與第一機秖對。

舉韋監軍見帳子畫牛抵樹。問僧。牛抵樹。樹抵牛。無對。師代云。歸依佛法僧。

舉老宿問僧。聞說雪峯有毬子話。是不。僧云。不見說著。宿云。聞說有。僧云。秖是師僧亂舉。宿云。不亂舉底事作麼生。無對。師代云。某甲新到未曾參堂。

舉佛問外道。汝義以何為宗。師代外道云。者老和尚我識得爾也。外道云。以一切不受為宗。代佛云。放過一著。佛云。汝以一切不受為宗耶。代外道云。者瞿曇莫教失却問。

舉雪峯云。盡大地是爾將謂別更有。師云。不見楞嚴經云。眾生顛倒迷己逐物。若能轉物即同如來。

舉教云。諸法寂滅相不可以言宣。師云。見定如今說話。何處有說不說。不見道。去不到去。來不到來。

> 教えに言う、「諸法の寂滅の相は、言葉で説くことはできない」と。師が言う、「今まさに話しているこの様子を見よ。どこに『説く』や『説かない』があるのか。『去る』も去るに至らず、『来る』も来るに至らない、と言われたのを聞かないか。」

舉一切真如含一切。師云。喚什麼作山河大地。又云。是諸法空相。不生不滅不垢不淨。

> 一切の真如は一切を含む。師は言った、「何を山河や大地と呼ぶのか。」また言った、「これは諸法の空の相であり、生まれず、滅せず、汚れず、清らかでもない。」

師或拈拄杖示眾云。拄杖子化為龍。吞却乾坤了也。山河大地甚處得來。

> 師が時に拄杖を拈じて衆に示して言った。「この杖が龍と化して、天地をも呑み込んでしまった。山河や大地は、いったいどこから来たというのか。」

師或畫圓相云。還有人出得麼。

舉教云。是法住法位。世間相常住。師云。釋迦老子甚處去也。

舉僧問投子。如何是此經。子云。維摩法華。又問。塵中不染丈夫兒時如何。子云不著。師云。不喚作法身。不喚作第一義。亦為說法亦為說真空。

師因齋次。拈起匙筯云。我不供養南僧。秖供養北僧。時有僧問。為什麼不供養南僧。師云。我要鈍置伊。僧云。為什麼秖供養北僧。師云。一箭兩垛。有僧拈問。秖如前意作麼生。師云。好即同榮。

師或時以拄杖打露柱一下云。三乘十二分教說得著麼。自云。說不著。復云。咄者野狐精。僧問。秖如師意作麼生。師云。張公喫酒李公醉。

舉古云。有驚人之句。僧問。如何是驚人之句。師云響。

舉國師云。語漸也返常合道。論頓也不留眹跡。師云。拈槌竪拂彈指時節。皆撿點來。也未是無眹跡。

師有時拈拄杖云。乾坤大地殺活總在這裏。僧便問。如何是殺。師云。七顛八倒。僧云。如何是活。師云。要作飯頭。僧云。不殺不活時如何。師便起云。摩訶般若波羅蜜。

師有時云。遇人即途中受用乃拈起拄杖云。拄杖不是途。說話不是途。

舉法身喫飯。幻化空身即法身。師云。乾坤大地何處有也。物物不可得。以空噇空。若約點撿來。將謂合有與麼說話。

舉應化非真佛。亦非說法者。師曰。應化之身說即是法身說。亦喚作覿體全真。以法身喫法身。又云。飯不是法身。拄杖不是法身。

師有時云。宗門七縱八橫。殺活臨時。僧便問。如何是殺。師云。冬去春來。僧云。冬去春來時如何。師云。橫擔拄杖東西南北一任打野榸。

> 師が時に言った、「宗門には七縦八横、殺活はその時に臨んで決まる。」 僧が尋ねた、「いったい何が『殺』なのでしょうか。」 師が言った、「冬が去り、春が来る。」 僧が言った、「冬が去り春が来る時、どうすれば良いのでしょうか。」 師が言った、「杖を肩に担ぎ、東西南北、どこへでも行き、ただ野原を歩き回るがよい。」

示眾云。任爾橫說竪說。未是宗門苗裔。若據宗門苗裔。是甚熱椀鳴。三乘十二分教說夢。達磨西來說夢。若有老宿開堂為人說法。將利刀殺却百千萬箇。有什麼過。又云。將謂合有與麼說話底道理。

> 衆に示して云く、汝らが縦に説き横に説くとも、未だ宗門の苗裔にはあらず。若し宗門の苗裔に据うれば、これ何の熱き椀の鳴るか。三乗十二分教は夢を説き、達磨の西来も夢を説く。若し老宿ありて堂を開き人のために法を説かば、利刀をもって百千万箇を殺却せん、何の過あらん。又云く、将に謂う、合に与麼の說話底道理有りと。

師一日云。拈槌竪拂彈指揚眉一問一答。並不當向上宗乘。僧便問。如何是向上宗乘。師云。地下閻浮大家總道得。秖如鬧市裏坐朝時。猪肉案頭茆坑裏蟲子。還有超佛越祖之談麼。僧云。有底不肯。師云。有底不肯。不可商量時便有不商量時便無也。若約那箇語話。體上會事。直言未到。見解偏枯。

師有時云。我尋常道。一切聲是佛聲。一切色是佛色。盡大地是法身。枉作箇佛法中見。如今見拄杖但喚作拄杖。見屋但喚作屋。

師有時云。作而無作。用而無用。乃拈起拄杖云。不是用而無用。喚什麼作拄杖。

> 師が時に言った、「作すれども作すことなく、用いるれども用いることなし。」そこで杖を手に取って言った、「これは『用いて用いることなし』ではない。何を杖と呼ぶのか。」

舉丹霞云。百骸俱潰散。一物鎮長靈。師云。拄杖不可不靈也。喚什麼作百骸。甚處得來。

> 丹霞が言った。「百骸はことごとく潰れ散るが、一つのものは常に霊妙である。」師は言った。「杖も霊妙でなくてはならぬ。何を百骸と呼ぶのか。それはどこから来たのか。」

舉一切賢聖皆以無為法而有差別。師云。拄杖不是無為法。一切不是無為法。

舉誌公云。鷄鳴丑。一顆圓光明已久。師云。腦後即不問爾。三千里外道將一句來。

舉睦州喚僧。趙州喫茶入水之義。雪峯輥毬。歸宗拽石。經頭以字。國師水椀。羅漢書字。諸佛出身處。東山水上行。總是向上時節。

示眾云。直得觸目無滯。達得名身句身一切法空。山河大地是名。名亦不可得。喚作三昧性海俱備。猶是無風匝匝之波。直得忘知於覺。覺即佛性矣。喚作無事人。更須知有向上一竅在。

師有時云。一切處無不是說法。打鐘打鼓時不可不是。若與麼一切處亦不是有。一切處亦不是無。又云。不可說時即有。不說時便無也。若約提唱即未在。為人門中即得。

舉生死涅槃合成一塊。乃拈起扇子云。是什麼不是合成一塊。得與麼不靈利。直饒與麼也是鬼窟裏作活計。

舉僧問南泉。牛頭未見四祖時。為什麼百鳥銜花獻。泉云。步步蹋佛階梯。僧云。見後為什麼不銜花獻。泉云。直饒不來。猶較王老師一線道。師云。南泉秖解步步登高。不解從空放下。僧云。如何是步步登高。師云。香積世界。僧云。如何是從空放下。師云。填溝塞壑。

師有時云。若問佛法兩字。東西南北七縱八橫。朝到西天暮歸唐土。雖然如此。向後不得錯舉。

舉祖師偈云。心隨萬境轉。轉處實能幽。僧問。如何是轉處實能幽。師云。吃嘹舌頭。老僧倒走三千里。又問。如何是隨流認得性。師云。饅頭䭔子。摩訶般若波羅蜜。

舉玄沙與韋監軍茶話次。軍云。占波國人語話稍難辨。何況五天梵語。還有人辨得麼。玄沙提起托子云。識得這箇即辨得。師云。玄沙何用繁辭。又云。適來道什麼。又云。有什麼難辨。

舉古人云。以空名召空色。師云。拄杖不是空名。召得不是空色。喚什麼作拄杖。不是空名。

因南泉示眾云。自小養一頭水牯牛。擬向溪東放。不免食他國王水草。擬向溪西放。不免食他國王水草。不如隨處納些些他總不見。復有僧舉似師。師云。南泉水牯牛隨處納些些。爾道在牛內納牛外納。直饒爾向這裏說得納處分明。我更問爾索牛在。後長慶云。爾道古人前頭為人。後頭為人。

> 南泉が大衆に示して言った、「私は幼い頃から一頭の水牛を飼ってきた。東の川辺に放そうとすれば、どうしても国王の水草を食べてしまう。西の川辺に放そうとすれば、やはりどうしても国王の水草を食べてしまう。それよりも、どこにいても少しばかり納める方がよい。そうすれば誰にも見られないだろう。」またある僧がこの話を我が師に告げた。師は言った、「南泉の水牛は、どこにいても少しばかり納める。お前は、それが牛の内に納まるのか、牛の外に納まるのか、どう言うか。たとえお前がここで納まる所をはっきりと言い当てたとしても、私はさらに牛をどこにやったかと問うであろう。」後に長慶が言った、「古人は前の部分で人を導き、後の部分で人を導いていると、お前はどう言うか。」

舉王大王向雪峯道。擬蓋一所佛殿去如何。峯云。大王何不蓋取一所空王殿。大王云。請師樣子。峯展兩手。師云。一舉四十九。

> 王が雪峰に向かって言った。「一つの仏殿を建てようと思うが、どうだろうか。」雪峰は言った。「王よ、どうして一所の空王殿を建てないのですか。」王が言った。「どうか先生、その形をお示しください。」雪峰は両手を広げた。その時、師（雪峰）は言った。「一挙して四十九を得る。」

舉報慈讚龍牙偈云。日出連山。月圓當戶。不是無身。不欲全露。有僧問。請師全露。龍牙撥開帳子云。還見麼。僧云不見。牙云。將眼來。後報慈聞舉云。龍牙秖道得一半。師令僧舉。我與爾道。其僧便舉。師云。我不妨與爾道。

> 挙報（こちょう）が慈（じ）讚（さん）の龍牙（りゅうげ）の偈を紹介して言うには、「日が昇り山々に連なり、月が丸く戸口に臨む。身がないわけではないが、全てを露わにしたくない。」とありました。ある僧が「どうか和尚様、全てを露わにしてください」と尋ねました。龍牙は帳（とばり）を開け放って、「見えるか？」と言いました。僧は「見えません」と答えました。龍牙は「眼を出しなさい」と言いました。後に報慈（ほうじ）がこの話を聞いて、「龍牙は半分だけしか言っていない」と言いました。師（報慈）は僧に「その話をもう一度挙げてみなさい。私がお前に話してやろう」と言いました。その僧が実際に話を挙げると、師は「私は、お前に話してやれないことはないがね」と言いました。

師有時云。諸方盡向繩墨裏脫出。我者裏即不然。僧問。未審和尚如何。師云。草鞋三十文買。

> 師はある時言った。「諸方の僧侶はみな、規則の枠から抜け出そうとしている。しかし、わしの這裡ではそうではない。」 僧が問うた。「和尚はどのようにされるのですか。」 師は言った。「草鞋は三十文で買うのだ。」

舉攬真成立。色相宛然。一切法不遷。僧便問。作麼生是不遷。師云。還見燈籠麼。僧云見。師云。靜處薩婆訶。

> 真理を手に取って確立すれば、形や姿はそのままに現れている。すべての法は移り変わることがない。僧が尋ねた。「どういうことですか、移り変わらないとは？」師は言った。「灯籠が見えるか？」僧は言った。「見えます」師は言った。「静かな場所で、サバーハ（成就の言葉）を唱えよ。」

示眾云。爾等諸人每日上來下去。問訊即不無。若過水時將什麼過。有久住僧對云步。師深喜之。

舉僧辭大隨。隨問。什麼處去。僧云。峨嵋禮拜普賢去。隨拈起拂子云。文殊普賢總在者裏。其僧畫一圓相。拋向背後。却展兩手。隨云。侍者將一貼茶來與者僧。師舉了云。我即不與麼。有僧云。和尚又如何。師云。西天斬頭截臂。者裏自領出去。

舉黃檗一日舉手作揑勢云。天下老和尚總在者裏。我若放一線道。從汝七縱八橫。若不放過不消一揑。僧問。放一線道時如何。檗云。七縱八橫。又問。不放過不消一揑時如何。檗云普。復有僧問師。如何是七縱八橫。師云。念老僧年老。僧云。如何是普。師云。天光迴照。僧云。如何是天光迴照。師云。骼胔少人知。

師有時云。一顆圓光明已久。還有人問麼。僧便問。如何是一顆圓光明已久。師云。西天斬頭截臂。又云。除却須彌山。拈却佛殿脊。

師一日披袈裟云。我抖擻法身也。總無對。師云。汝問我。僧便問。和尚抖擻法身意旨如何。師云。我也知爾親。舉玄沙示眾云。諸方老宿盡道接物利生。忽遇三種病人來。作麼生接。患盲者拈槌竪拂他又不見。患聾者語言三昧他又不聞。患瘂者教伊說又說不得。且作麼生接。若接此人不得。佛法無靈驗。有僧請益師。師云。爾禮拜著。僧禮拜起。師以拄杖便挃。僧退後。師云。爾不是患盲。復喚近前。僧近前。師云。爾不是患聾。乃竪起拄杖云。還會麼。僧云不會。師云。爾不是患瘂。其僧於此有省。

舉古云。一言纔舉大地全收。師云。且道。是什麼言。自云。春鳥啼時西嶺上。遂令僧。爾問我。僧便問。是什麼言。師云噫。

舉馬大師云。一切語言是提婆宗。以此箇為主。師云。好語秖是無人問。僧便問。如何是提婆宗。師云。西天九十六種。爾是最下種。

舉肇法師云。諸法不異者。不可續鳧截鶴夷嶽盈壑。然後為無異者哉。師云。長者天然長。短者天然短。又云。是法住法位。世間相常住。乃拈起拄杖云。拄杖不是常住法。

舉古云。一念劫收一切智。師拈起拄杖云。乾坤大地總在上頭。若透得去。拄杖也不見有。直饒與麼。也是不著便。舉須菩提說法。帝釋雨華。尊者問曰。此華從天得耶。帝曰弗也。從地得耶。帝曰弗也。從人得耶。帝曰弗也。從何得耶。帝釋舉手。尊者云。如是如是。師云。帝釋舉手處作麼生。與爾四大五蘊釋迦老子同別。

舉世尊初生下。一手指天一手指地。周行七步目顧四方云。天上天下唯我獨尊。師云。我當時若見。一棒打殺與狗子喫却。貴圖天下太平。

舉禾山示眾云。有作家戰將麼出來。時有僧出云。未審彼中還有也無。師云格。

舉僧問雪峯。佛未出世時如何。峯橫案拄杖而坐。師云常。

舉德山問維那。有幾人新到那。云八人。山云。喚典座來。一時生按過。師拈云。更說什麼生按過。

舉雪峯勘僧。什麼處去。僧云。識得即知去處。峯云。爾是了事人。亂走作什麼。僧云。莫塗污人好。峯云。我即塗污爾。古人吹布毛作麼生。與我說來看。僧云。殘羹餿飯已有人喫了也。師別前語云。築著便作屎臭氣。代後語云。將謂是鑽天鷂子。元來是死水裏蝦蟇。

舉韶山勘僧云。莫便是多口白頭因麼。因云不敢山云。有多少口。因云。遍身是。山云。大小二事向甚處屙。因云。向韶山口裏屙。山云。有韶山口。即向韶山口裏屙。無韶山口。向甚處屙。因無語。山便打。師代云。這話墮阿師。放爾三十棒。又代云。將謂是師子兒。又云。韶山今日瓦解氷消。

舉僧到曹溪有守衣鉢上座。提起衣云。此是大庾嶺頭提不起底。僧云。為什麼在上座手裏。僧無語。師云。彼彼不了。師代云。遠嚮不如親到。又云。將謂是師子兒。舉睦州問僧。莫便是清華嚴麼。僧云不敢。州云。夢見華嚴麼。僧無語。師云。門前大狼藉生。

舉湖南報慈垂語云。我有一句子。遍大地。僧便問。如何是遍大地底句。慈云。無空缺。師云。不合與麼道。別云。何不庵外問。

舉南泉示眾云。昨夜三更。文殊普賢相打。各與二十棒。貶向二鐵圍山。趙州出眾云。和尚棒教誰喫。泉云。王老師有什麼過。州便禮拜。師代云。深領和尚慈悲。某甲歸衣鉢下。得箇安樂。

舉崇壽見僧做餬餅次。隔窓問云。爾還見我麼。僧云不見。壽云。還我餬餅錢來。無語。師代云。和尚禮拜餅鑪好。

舉僧問趙州。如何是妙峯頂。州云。不答爾者話。僧云。為什麼不答。州云。我若答落在平地。師代云。俱胝和尚。舉長慶見僧來云。何得無禮。師代云。某甲罪過。又云。甲辰乙巳。

舉長慶問秀才云。佛教云。眾生日用而不知。儒書亦云。日用而不知。不知箇什麼。秀才云。不知大道。師云。酌然不知。

舉僧問睦州。靈山還有蛇不。州云。者蚯蚓。師代云。白骨連山。

舉長慶拈拄杖云。識得這箇。一生參學事畢。師云。識得這箇。為什麼不住。

舉雲巖掃地次。道吾云。何得太區區生。巖云。須知有不區區者。吾云。與麼則第二月也。巖竪起掃󰆠云。這箇是第幾月。吾拂袖出去。師云。奴見婢殷勤。

舉仰山問俗官云。官居何位。官云推官。山乃竪起拂子云。還推得這箇麼。官無語。師代云。久嚮和尚。

舉僧到翠巖。值巖不在。乃下看主事。主事云。參見和尚也未。僧云未。主事却指狗子云。要見和尚。但禮拜者狗子。僧無語。後翠巖歸聞此語云。作麼生道免得與麼無語。師代云。欲觀其師先觀弟子。

舉座主就華嚴講。請翠巖齋。巖云。山僧有箇問。座主若道得即齋。巖便拈起餬餅云。嚴具法身麼。主云。具法身。巖云。與麼則喫法身也。主無語。本講座主代云。有什麼過。巖不肯。東使云。喏喏。師代云。特謝和尚降重空筵。

舉雪峯示眾云。世界闊一丈。古鏡闊一丈。世界闊一尺。古鏡闊一尺。玄沙指面前火鑪云。火鑪闊多少。峯云。似古鏡闊。沙云。這老漢脚跟未點地在。後東使拈問僧。為復古鏡致火鑪與麼大。火鑪致古鏡與麼大。西院云。與麼問人也未可在。師云。餿飯泥茶鑪。

舉僧問雲居。山河大地從何而有居云。從妄想有。僧云。與某甲想出一鋋金得麼。居便休去。僧不肯。師聞得云。已是葛藤不能折合得。待伊道想出一鋋金得麼。拈拄杖便打。

舉閩中韋監軍尋常見僧云。某甲待官滿出。江西湖南置一問。問殺江西湖南老宿。僧云。監軍作麼生問。軍云。不勞手脚。僧無語師代云。話墮也。又云。伏惟尚饗。舉王太傅問北院云。古人道。普現色身遍行三昧。佛法為什麼不到北俱盧洲。院云。秖為遍行所以不到。師云。如法置一問來。

舉王太尉入佛殿指鉢盂問僧。這箇是什麼鉢。僧云。藥師鉢。尉云。秖聞有降龍鉢。僧云。待有龍即降。尉云。忽遇拏雲擭浪來。又作麼生。僧云。他亦不顧。尉云。話墮也。玄沙云。盡爾神力走。向什麼處去。保福云。歸依佛法僧。百丈作覆鉢勢。師云。他日生天莫辜負老僧。

舉地藏問崇壽。爾久後將什麼利濟於人。壽云。無不利濟。藏云。無一法得利濟。師云。直饒與麼也好喫棒。又云。當時但喚近前來。已後教伊無鵮啄處。

舉泉州王太傅問僧。上座住甚處。僧云。半月山。傅云。忽遇月頭月尾。又作麼生。僧無語。師代云。將謂與麼。更有與麼。

舉龍牙尋常道。雲居師兄得第二句。我得第一句。西院云。秖如龍牙與麼道。還扶得也無。師云。須禮拜雲居始得。西院云。傍觀者哂。

舉崇壽問僧。還見燈籠麼。僧云見。壽云兩箇。師代云。三頭兩面。又云。七箇八箇。