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title: "紫柏尊者全集 · 前五識"
description: "紫柏尊者全集是明代高僧紫柏真可的著作集，由德清（憨山德清）校阅整理。紫柏真可是晚明四大高僧之一，与莲池、憨山、蕅益齐名，活跃于16世纪末至17世纪初，主张禅净双修，对佛教复兴影响深远。全集收录其语录、书信、诗文等，涵盖禅法心要、净土思想、佛教戒律及社会关怀，体现了他融合各宗、注重实修的弘法特色。该书是研究明代佛教思想的重要文献，展现了紫柏尊者革新佛教的实践智慧，在汉传佛教史上具有崇高地位。"
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### 前五識

> 前五識

性境現量通三性。

> 性境は現量であり、三性を通じる。

此言前五識。於三境中。惟緣性境。三量中。惟是現量。三性俱通。

> この言葉は、前五識について述べています。三境の中では、ただ性境のみを縁り、三量の中では、ただ現量のみであり、三性にはすべて通じています。

性境者。謂所緣諸色境。不帶名言。得境自相也。相者。青黃赤白之謂。名者。長短方圓之稱。現量者。謂對境親明。不起分別也。性境屬境。現量屬心。三性者。善性惡性無記性也。三性俱通。以五識性。非恒一故。

> 性境とは、対象となる様々な色の境のことです。言葉の概念を伴わず、境そのもののありのままの姿を捉えることを指します。 「相」とは、青・黄・赤・白といった色そのものを言い、 「名」とは、長短・方円といった言葉による呼称を言います。 現量とは、対象に対して直接的に明らかに知り、分別を起こさない状態を指します。 性境は境に属し、現量は心に属します。 三性とは、善性・悪性・無記性の三つを言います。 この三性はすべて通じます。なぜなら、五識の性質は常に一定ではないからです。

性境若說根塵能所。八法而成。是落小乘。如惟識則無有此境。此境現前。如明鏡照象。湛然明了。不起分別。如云真境也。善惡兩性。在五識雖無分別。而照從是起。故通。

> もし、性境について、根と塵、能と所という八つの要素で成り立つと言うならば、それは小乗の教えに陥る。唯識の立場では、このような境は存在しない。この境が現れるときは、まるで澄んだ鏡が物の姿を映すように、静かに明らかであり、分別を起こさない。これを真境と言う。善悪の二つの性質は、五識においては分別がないが、そこから照らしが生じるため、通じるのである。

眼耳身三二地居。

> 眼・耳・身の三識は、二地に住す。

三界分為九地。自地獄至六欲天。皆欲界也。為一地。四禪。色界也。有四地。四空。無色界也。有四地。共為九地。欲界名五趣襍居地。五識俱全。初禪天。名離生喜樂地。是為二地。止有眼耳身三識。無鼻舌二識。以無段食故。自三地以上。則五識俱無。

> 三界は九つの地に分けられます。地獄から六欲天まではすべて欲界であり、一つの地を成します。四禅は色界であり、四つの地があります。四空は無色界であり、これも四つの地があります。合わせて九つの地となります。 欲界は「五趣雑居地」と呼ばれ、五識（視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚）がすべて備わっています。初禅天は「離生喜楽地」と呼ばれ、これが二番目の地です。ここには眼識・耳識・身識の三識のみがあり、鼻識と舌識の二識はありません。それは、段食（物質的な食物）がないためです。三番目の地から上では、五識はすべてなくなります。

徧行別境善十一。中二大八貪瞋癡。

> 遍く行くもの、別境、善の十一。中二、大八、貪・瞋・癡。

此二句。言五識心所。徧行有五。別境有正。善心所十一。中隨煩惱二。大隨煩惱八。根本煩惱六。今止有貪瞋癡三。共心所三十四。皆任運無分別者。

> この二つの句は、五識の心所について述べています。 遍行は五つ、別境は五つ、善心所は十一、中随煩悩は二つ、大随煩悩は八つ、根本煩悩は六つありますが、ここでは貪・瞋・癡の三つだけが挙げられています。 合わせて三十四の心所が、すべて自然に働き、分別を起こさない状態にあるのです。

五識同依淨色根。

> 五つの感覚は、清らかな色の根に依って働きます。

白淨色根者。指勝義而言。惟天眼能見。葢落形質者。是浮塵根。豈能照物。以有勝義根在。故能緣境。言五個識。同依勝義根而起也。

> 白く清らかな色の根とは、究極の真理を指して言うのです。ただ天眼のみがこれを見ることができます。形と質に落ちたものは、浮塵根であり、どうして物を照らすことができましょうか。勝義根があるからこそ、対象を縁じることができるのです。五つの識は、同じく勝義根を依り所として起こると言います。

九緣七八好相隣。

九緣者。空。明。根。境。作意。分別。依染淨。依根本。依種子也。眼識具九緣而生。耳識惟從八。除明緣故鼻舌身惟七。除空明二緣故。

合三離二觀塵世。

鼻舌身三識。合中取境。眼耳二識。離中取境。觀。即能緣見分。塵世。即所緣相分。

愚者難分識與根。

此言小乘愚法聲聞。不知根之與識。各有種子現行。以為根識互生也。不知根之種現。但能導識之種現。謂根為生識之緣則可。謂生識則不可。以識自有能生之種子故也。小乘未破所知障。於法不了。故難分耳。

變相觀空唯後得。果中猶自不詮真。

佛有根本智。有後得智。根本智。乃實智。能親緣真如。後得智。乃權智。但能了俗。不能親緣真如。果頭佛已破見思惑。能六根互用。變起相分。復觀相空。以不知前五。及七八等識。遂自認為後得智。不知後得智。乃從根本智而得者。小乘雖有如理如量二智。特其名耳。豈真後得智耶。即後得智。在佛果中。猶不詮真。況因中乎。詮。契也。根本智無分別。所以親緣真如。後得智。從色根起。是有分別的。所以不能親緣無分別理。

小乘以無我為真如。斷了六識分別執。便能六根互用。以為能親緣真如。

偈曰。小家果頭佛。理量徒有名。迷名不知義。疑大而起諍。五識同一覺。是以眼可聞。耳不能見色。實非本根咎。咎在分別者。以故見思破。六根即互用。彼小不知此。未究七八五。三者曉然了。橫計渠自破。既破棄舊法。悲哀歸大乘。羅什首初師。疑什亦有辨。一朝悟大理。仍復師羅什。

圓明初發成無漏。三類分身息苦輪。

前五識隨八識轉。佛位中。第八識轉為無漏白淨識。而相應心所。即成大圓鏡智。歘爾現前。故云初發。則前五識即成無漏。三類身者。法報化。三身中之化身也。千丈大化身。被大乘四加行菩薩。丈六小化身。被大乘三資糧位。菩薩及二乘凡夫。隨類化身。則三乘普被。六趣均沾。以止息眾生苦輪也○前八句明有漏。後四句明無漏。