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title: "紫柏尊者全集 · 護國寺自來佛贊(并序)"
description: "紫柏尊者全集是明代高僧紫柏真可的著作集，由德清（憨山德清）校阅整理。紫柏真可是晚明四大高僧之一，与莲池、憨山、蕅益齐名，活跃于16世纪末至17世纪初，主张禅净双修，对佛教复兴影响深远。全集收录其语录、书信、诗文等，涵盖禅法心要、净土思想、佛教戒律及社会关怀，体现了他融合各宗、注重实修的弘法特色。该书是研究明代佛教思想的重要文献，展现了紫柏尊者革新佛教的实践智慧，在汉传佛教史上具有崇高地位。"
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### 護國寺自來佛贊并序

> 護国寺の自来仏賛〈序を兼ねる〉

夫泥牛耕月。木馬嘶風。眾人聞而駭之。茲像非金非石。眾品合成。解附荊楚之舟。密換蠻夷之骨。達者知而易感。常徒昧而難懷。然其銷我爭於真慈。廓清涼於熱惱。雖不處王侯之位。而德貫象帝之先。梵名佛陀。此言覺者。覺則無物非心。不覺則何心非物。何物非心。一莖草可以為丈六金身。何心非物。丈六金身可以為一莖草。噫。苟非其人。道不虗行。贊曰。

> 泥牛が月を耕し、木馬が風に嘶く。人々はこれを聞いて驚き怪しむ。この像は金でも石でもなく、多くの材料が寄り合って成り立っている。荊楚の舟に託され、密かに蛮夷の地の骨と入れ替えられた。悟れる者は理解して心を動かされるが、凡人は惑いて受け入れ難い。しかしながら、これは我執を真の慈愛によって消し去り、熱悩の中に清涼を広くもたらすものである。たとえ王侯の位にはいなくとも、その徳は万象の主よりも先んじている。梵語で仏陀、これは目覚めた者を意味する。覚れば、あらゆる物が心でないことはない。覚らなければ、いかなる心が物でないことがあろうか。いかなる物が心でないことがあろうか。一本の草が丈六の金身となり得る。いかなる心が物でないことがあろうか。丈六の金身が一本の草となり得る。ああ、もしその人がいなければ、道は虚しく行われない。讃えて言う。

江清先得月。緣熟佛自來。我若心水淨。豁然佛眼開。自心垢未空。怒佛無靈通。病者飲蔗漿。橫疑黃連同。一朝疾病除。菜汁甜何如。禱佛佛不應。佛安有親疎。但將我心審。果乃誠未誠。若使心誠徹。無靈佛不情。

> 水が澄んでいれば、月は先に映る。縁が整えば、仏は自然にやってくる。私の心が水のように清らかであれば、ぱっと仏の目が開かれる。しかし、自分の心の垢がまだ取り除かれていなければ、仏を怒っても何の効き目もない。病気の人が甘いサトウキビの汁を飲んでも、疑いがあれば苦い黄連（おうれん）と同じに感じる。ある日、病気が治れば、野草の汁でさえどこまでも甘い。仏に祈っても仏が応えてくれないとしても、仏にどうして好き嫌いがあるだろうか。ただ、自分の心をよく見つめなさい。本当に誠実かどうかを。もし心の誠実さが徹底しているなら、たとえ仏が応えなくとも、仏が無情なはずはないのだ。