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title: "大方廣佛華嚴經 · 之一"
description: "大方廣佛華嚴經，又称华严经，由唐代实叉难陀翻译，是佛教重要经典之一。该经成书于印度，后传入中国，成为华严宗的根本经典。内容主要阐述佛陀证悟的无限境界，强调法界缘起、事事无碍的哲学思想，展现宇宙万物相互融通的华严世界观。经中通过善财童子五十三参的故事，揭示菩萨修行的次第与圆满境界。华严经在大乘佛教中地位崇高，被誉为经中之王，对汉传佛教思想影响深远，尤其为华严宗、禅宗等宗派所重视。其广博深奥的教义，成为研究佛教哲学与修行实践的重要依据。"
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### 十迴向品第二十五之一

> 第二十五品 十回向（一）

爾時，金剛幢菩薩承佛神力，入菩薩智光三昧。入是三昧已，十方各過十萬佛剎微塵數世界外，有十萬佛剎微塵數諸佛，皆同一號，號：金剛幢，而現其前，咸稱讚言：「善哉！善哉！善男子！乃能入此菩薩智光三昧。善男子！此是十方各十萬佛剎微塵數諸佛神力共加於汝，亦是毘盧遮那如來往昔願力、威神之力，及由汝智慧清淨故，諸菩薩善根增勝故，令汝入是三昧而演說法；為令諸菩薩得清淨無畏故，具無礙辯才故，入無礙智地故，住一切智大心故，成就無盡善根故，滿足無礙白法故，入於普門法界故，現一切佛神力故，前際念智不斷故，得一切佛護持諸根故，以無量門廣說眾法故，聞悉解了受持不忘故，攝諸菩薩一切善根故，成辦出世助道故，不斷一切智智故，開發大願故，解釋實義故，了知法界故，令諸菩薩皆悉歡喜故，修一切佛平等善根故，護持一切如來種性故，所謂：演說諸菩薩十迴向。佛子！汝當承佛威神之力而演此法，得佛護念故，安住佛家故，增益出世功德故，得陀羅尼光明故，入無障礙佛法故，大光普照法界故，集無過失淨法故，住廣大智境界故，得無障礙法光故。」

> その時、金剛幢菩薩は、仏の神力により、「菩薩智光三昧」に入られた。この三昧に入ると、十方のそれぞれ十万仏剣の微塵数の世界を超えた先に、十万仏剣の微塵数の諸仏が現れ、皆同じ名「金剛幢」と称され、その前に現れて、共に称賛して言われた。 「善きかな、善きかな。善男子よ、よくぞこの菩薩智光三昧に入った。善男子よ、これは十方のそれぞれ十万仏剣の微塵数の諸仏の神力が共にあなたに加わったものであり、また毘盧遮那如来の過去の願力と威神の力によるものであり、さらにあなたの智慧が清らかであること、諸菩薩の善根が増勝したことにより、あなたをこの三昧に入らせて説法させるためである。これは、諸菩薩に清らかな無畏を得させ、無礙の弁才を具えさせ、無礙の智地に入らせ、一切智の大心に安住させ、尽きることのない善根を成就させ、妨げのない清らかな法を満たし、普門の法界に入り、一切の仏の神力を示現させ、過去の念の智慧を絶えさせず、一切の仏の諸根の護持を得させ、無量の門により広く法を説かせ、聞いてすべてを理解し受持して忘れず、諸菩薩の一切の善根を摂め、出世の助道を成就させ、一切智智を絶やさず、大願を開発し、実義を解明し、法界を了知し、諸菩薩を皆喜ばせ、一切の仏の平等な善根を修行し、一切の如来の種性を護持するためである。すなわち、諸菩薩の十回向を説くためである。 仏子よ、あなたは仏の威神の力を受けてこの法を説きなさい。仏の護念を得、仏の家に安住し、出世の功徳を増益し、陀羅尼の光明を得、障りのない仏法に入り、大いなる光が普く法界を照らし、過失のない清らかな法を集め、広大な智慧の境界に安住し、障りのない法の光を得るためである。」

爾時，諸佛即與金剛幢菩薩無量智慧，與無留礙辯，與分別句義善方便，與無礙法光明，與如來平等身，與無量差別淨音聲，與菩薩不思議善觀察三昧，與不可沮壞一切善根迴向智，與觀察一切法成就巧方便，與一切處說一切法無斷辯。何以故？入此三昧善根力故。

> その時、諸仏は金剛幢菩薩に無量の智慧を与えた。また、滞りのない弁才、句義を分別する巧みな方便、障りのない法の光明、如来の平等な身、無量の差別ある清らかな音声、菩薩の不可思議な善観察三昧、壊されることのない一切の善根を回向する智慧、一切の法を観察して成就する巧みな方便、そして一切処で一切の法を説く断たれることのない弁才を与えたのである。なぜなら、この三昧に入る善根の力によるからである。

爾時，諸佛各以右手摩金剛幢菩薩頂。金剛幢菩薩得摩頂已，即從定起，告諸菩薩言：

> その時、諸仏はそれぞれ右手で金剛幢菩薩の頭頂を撫でられた。金剛幢菩薩はその撫でられるまれると、たちまち禅定から起ち上がり、諸菩薩に向かって告げられた。

「佛子！菩薩摩訶薩有不可思議大願充滿法界，普能救護一切眾生，所謂：修學去、來、現在一切佛迴向。佛子！菩薩摩訶薩迴向有幾種？佛子！菩薩摩訶薩迴向有十種，三世諸佛咸共演說。何等為十？一者救護一切眾生離眾生相迴向，二者不壞迴向，三者等一切諸佛迴向，四者至一切處迴向，五者無盡功德藏迴向，六者入一切平等善根迴向，七者等隨順一切眾生迴向，八者真如相迴向，九者無縛無著解脫迴向，十者入法界無量迴向。佛子！是為菩薩摩訶薩十種迴向，過去、未來、現在諸佛，已說、當說、今說。

> 仏の子よ！菩薩摩薩埵には、思いもよらぬほど広大な願いが法界全体に満ち溢れており、すべての生きとし生けるものを救い守ることができるのです。すなわち、過去・未来・現在のすべての仏が説かれた回向を学び実践することです。 仏の子よ！菩薩摩薩埵の回向には、いくつの種類があるのでしょうか。仏の子よ！菩薩摩薩埵の回向には十種類あり、三世のすべての仏たちが共に説き示しています。その十種類とは、何でしょうか。 第一に、すべての生きとし生けるものを救い守りながら、その姿への執着を離れる回向。 第二に、壊れることのない回向。 第三に、すべての諸仏と等しくなる回向。 第四に、あらゆる場所に至る回向。 第五に、尽きることのない功徳の宝庫となる回向。 第六に、すべての平等な善の根に入る回向。 第七に、すべての生きとし生けるものに等しく従う回向。 第八に、真実の姿（真如）の相そのままの回向。 第九に、束縛も執着もない解脱の回向。 第十に、法界に入る無量の回向。 仏の子よ！これが菩薩摩薩埵の十種類の回向であり、過去・未来・現在の諸仏が、すでに説き、これから説き、今まさに説いているものなのです。

「佛子！云何為菩薩摩訶薩救護一切眾生離眾生相迴向？

> 「仏子よ。菩薩摩訶薩が『すべての生きとし生けるものを救い守り、しかも生きとし生けるものという概念から離れる』という回向とは、どのようなものでしょうか。

「佛子！此菩薩摩訶薩行檀波羅蜜，淨尸波羅蜜，修羼提波羅蜜，起精進波羅蜜，入禪波羅蜜，住般若波羅蜜，大慈、大悲、大喜、大捨，修如是等無量善根。修善根時，作是念言：『願此善根普能饒益一切眾生，皆使清淨，至於究竟，永離地獄、餓鬼、畜生、閻羅王等無量苦惱。』菩薩摩訶薩種善根時，以己善根如是迴向：『我當為一切眾生作舍，令免一切諸苦事故；為一切眾生作護，悉令解脫諸煩惱故；為一切眾生作歸，皆令得離諸怖畏故；為一切眾生作趣，令得至於一切智故；為一切眾生作安，令得究竟安隱處故；為一切眾生作明，令得智光滅癡暗故；為一切眾生作炬，破彼一切無明闇故；為一切眾生作燈，令住究竟清淨處故；為一切眾生作導師，引其令入真實法故；為一切眾生作大導師，與其無礙大智慧故。』佛子！菩薩摩訶薩以諸善根如是迴向，平等饒益一切眾生，究竟皆令得一切智。

> 仏の子よ！この菩薩摩訶薩は布施の波羅蜜を行じ、戒律の波羅蜜を清め、忍辱の波羅蜜を修め、精進の波羅蜜を起こし、禅定の波羅蜜に入り、智慧の波羅蜜に安住し、大慈・大悲・大喜・大捨をもって、このような無量の善根を修めます。 善根を修める時、こう心に誓います。「どうかこの善根が、あまねくすべての生きとし生けるものを益し、皆を清らかにし、究極の境地に至らせ、地獄・餓鬼・畜生・閻魔の世界などの無量の苦しみから永遠に離れさせたい」と。 菩薩摩訶薩は善根を積む時、自分の善根をこのように廻向します。 「私はすべての生きとし生けるものにとっての家となり、あらゆる苦しみから彼らを救おう。 すべての生きとし生けるものにとっての守護となり、あらゆる煩悩から彼らを解き放とう。 すべての生きとし生けるものにとってのよりどころとなり、あらゆる恐怖から彼らを遠ざけよう。 すべての生きとし生けるものにとっての目的地となり、彼らをすべての智慧へと導こう。 すべての生きとし生けるものにとっての安らぎとなり、究極の平安の境地に至らせよう。 すべての生きとし生けるものにとっての光明となり、智慧の光で無明の闇を滅ぼそう。 すべての生きとし生けるものにとってのたいまつとなり、無明の暗闇を打ち破ろう。 すべての生きとし生けるものにとっての灯りとなり、究極の清らかな境地に住まわせよう。 すべての生きとし生けるものにとっての導師となり、真実の教えへと導こう。 すべての生きとし生けるものにとっての大導師となり、障りのない大いなる智慧を授けよう。」 仏の子よ！菩薩摩訶薩は諸々の善根をこのように廻向し、全ての生きとし生けるものを平等に利益し、究極的には皆をすべての智慧へと至らせるのです。

「佛子！菩薩摩訶薩於非親友守護迴向，與其親友等無差別。何以故？菩薩摩訶薩入一切法平等性故，不於眾生而起一念非親友想。設有眾生於菩薩所起怨害心，菩薩亦以慈眼視之，終無恚怒。普為眾生作善知識，演說正法，令其修習。譬如大海，一切眾毒不能變壞。菩薩亦爾，一切愚蒙、無有智慧、不知恩德、瞋很頑毒、憍慢自大、其心盲瞽、不識善法……如是等類諸惡眾生，種種逼惱，無能動亂。譬如日天子出現世間，不以生盲不見故，隱而不現；又復不以乾闥婆城、阿脩羅手、閻浮提樹、崇巖、邃谷、塵霧、煙雲……如是等物之所覆障故，隱而不現；亦復不以時節變改故，隱而不現。菩薩摩訶薩亦復如是，有大福德，其心深廣，正念觀察，無有退屈；為欲究竟功德智慧，於上勝法心生志欲；法光普照，見一切義；於諸法門，智慧自在；常為利益一切眾生而修善法，曾不誤起捨眾生心；不以眾生其性弊惡、邪見、瞋濁、難可調伏，便即棄捨，不修迴向；但以菩薩大願甲冑而自莊嚴，救護眾生，恒無退轉；不以眾生不知報恩，退菩薩行，捨菩提道；不以凡愚共同一處，捨離一切如實善根；不以眾生數起過惡，難可忍受，而於彼所生疲厭心。何以故？譬如日天子，不但為一事故出現世間。菩薩摩訶薩亦復如是，不但為一眾生故，修諸善根，迴向阿耨多羅三藐三菩提；普為救護一切眾生故而修善根，迴向阿耨多羅三藐三菩提。如是，不但為淨一佛剎故，不但為信一佛故，不但為見一佛故，不但為了一法故，起大智願，迴向阿耨多羅三藐三菩提；為普淨一切佛剎故，普信一切諸佛故，普承事供養一切諸佛故，普解一切佛法故，發起大願，修諸善根，迴向阿耨多羅三藐三菩提。

> 「仏子よ！菩薩摩 訶 薩は、親しくない相手に対しても守護の回向を行い、その親しい者と少しも区別しない。なぜか。菩薩摩 訶 薩は、すべての法が平等であるという本性に入っているからであり、衆生に対して一瞬たりとも『親しくない』という思いを起こさないからである。たとえある衆生が菩薩に対して害心を起こしても、菩薩は慈しみの眼でそれを見つめ、決して怒ることがない。あまねく衆生の善き友となり、正しい教えを説き、実践させる。たとえば大海が、あらゆる毒によってその性質を変えられないように、菩薩もまた、愚かで智慧なく、恩を知らず、怒りに満ちて頑なで毒々しく、傲慢で自惚れ、心が盲目で善法を認識できない——そのような類のあらゆる悪しき衆生が様々に悩ませても、心を乱されることはない。たとえば太陽が世に現れる時、生まれつきの盲人が見えないからといって隠れて現れないことがなく、また、蜃気楼、阿修羅の手、閻浮提の樹々、高い山、深い谷、霧、煙、雲などに覆われているからといって隠れて現れず、また、季節の変化によって隠れて現れないように、菩薩摩 訶 薩もまた、大いなる福徳を持ち、その心は深く広く、正しい念で観察し、決して退くことがない。功徳と智慧を究め尽くさんがために、より勝れた法に志と願いを起こし、法の光が普く照らし、すべての意味を見通し、さまざまな法門において智慧が自在であり、常に一切の衆生の利益のために善法を修め、一度として心から衆生を捨てることがなく、衆生がその性質悪く、邪見で、怒りに濁り、調伏し難いからといって捨て去って回向を修めない。ただ菩薩の大誓願の鎧を自らに飾り、衆生を救い護って、常に退くことがなく、衆生が恩を知らないからといって菩薩行を退き、菩提の道を捨てず、凡夫や愚か者と同じ場所にあっても、一切の真実の善根を捨て去らず、衆生が幾度も過ちを起こし耐え難くとも、その者に対して疲れ嫌う心を起こさない。なぜか。たとえば太陽が、ただ一つのために世に現れるのではないように、菩薩摩 訶 薩もまた、ただ一つの衆生のために諸々の善根を修め、阿耨多羅三藐三菩提に回向するのではない。あらゆる衆生を救い護るために善根を修め、阿耨多羅三藐三菩提に回向するのである。このように、ただ一つの仏土を清めるためではなく、ただ一つの仏を信ずるためではなく、ただ一つの仏に見えるためではなく、ただ一つの法を理解するために、大いなる智慧の願いを起こし、阿耨多羅三藐三菩提に回向するのではない。すべての仏土を清め、すべての諸仏を信じ、すべての諸仏に仕え供養し、すべての仏法を理解するために、大願を起こし、諸々の善根を修め、阿耨多羅三藐三菩提に回向するのである。」

「佛子！菩薩摩訶薩以諸佛法而為所緣，起廣大心、不退轉心，無量劫中修集希有難得心寶，與一切諸佛悉皆平等。菩薩如是觀諸善根，信心清淨，大悲堅固，以甚深心、歡喜心、清淨心，最勝心、柔軟心、慈悲心、憐愍心、攝護心、利益心、安樂心，普為眾生真實迴向，非但口言。佛子！菩薩摩訶薩以諸善根迴向之時，作是念言：『以我善根，願一切趣生、一切眾生，皆得清淨；功德圓滿，不可沮壞，無有窮盡；常得尊重，正念不忘；獲決定慧，具無量智；身、口、意業，一切功德，圓滿莊嚴。』又作是念：『以此善根，令一切眾生承事供養一切諸佛，無空過者；於諸佛所，淨信不壞；聽聞正法，斷諸疑惑，憶持不忘，如說修行；於如來所，起恭敬心，身業清淨，安住無量廣大善根；永離貧窮，七財滿足；於諸佛所，常隨修學，成就無量勝妙善根，平等悟解，住一切智，以無礙眼等視眾生；眾相嚴身，無有玷缺；言音淨妙，功德圓滿，諸根調伏，十力成就，善心滿足，無所依住。令一切眾生普得佛樂，得無量住，住佛所住。』

> 仏の子よ。菩薩摩訶薩は、諸仏の教えをよりどころとして、広大な心、退転しない心を起こし、無量の劫の間、希有で得難い心の宝を修め積み、全ての諸仏と完全に等しくなります。菩薩はこのようにして諸々の善根を観察し、信心は清らかで、大悲は堅固です。深い心、歓喜の心、清らかな心、最勝の心、柔らかな心、慈悲の心、憐れみの心、摂受し守る心、利益する心、安楽の心をもって、あまねく衆生のため、真実の回向を行います。ただ口先だけのものではありません。 仏の子よ。菩薩摩訶薩が諸々の善根をもって回向する時、このように心に念じます。「我が善根によって、願わくは、あらゆる生存の境遇、一切の衆生が、みな清らかになり、功徳が円満し、壊されることなく、尽きることがありませんように。常に尊重され、正念を忘れず、決定した智慧を得、無量の智を具え、身・口・意の業、一切の功徳が円満に荘厳されますように。」また、このように心に念じます。「この善根によって、一切の衆生をして、全ての諸仏に奉仕し供養せしめ、空しく過ぎる者がないように。諸仏の御もとで、清らかな信を壊さず、正法を聞いて諸々の疑惑を断ち、憶念して忘れず、説かれたままに修行するように。如来の御もとで、恭敬の心を起こし、身業が清らかで、無量の広大な善根に安住するように。永遠に貧しさを離れ、七つの財を満たすように。諸仏の御もとで、常に従って修学し、無量の勝れた妙なる善根を成就し、平等に悟り解き、一切智に安住し、礙りのない眼で衆生を等しく見るように。衆相が身を荘厳し、欠けや傷がなく、言葉の音声は清らかで妙であり、功徳が円満し、諸々の根は調伏され、十力を成就し、善心が満ち足り、何ものにも依り住しないように。一切の衆生をして、あまねく仏の楽を得させ、無量の住処を得させ、仏の御住処に住せしめん。」と。

「佛子！菩薩摩訶薩見諸眾生，造作惡業，受諸重苦；以是障故，不見佛，不聞法，不識僧。便作是念：『我當於彼諸惡道中，代諸眾生受種種苦，令其解脫。』菩薩如是受苦毒時，轉更精勤，不捨、不避、不驚、不怖、不退、不怯，無有疲厭。何以故？如其所願，決欲荷負一切眾生，令解脫故。菩薩爾時作是念言：『一切眾生在生老病死諸苦難處，隨業流轉，邪見無智，喪諸善法，我應救之，令得出離。』又諸眾生愛網所纏，癡蓋所覆，染著諸有，隨逐不捨，入苦籠檻，作魔業行，福智都盡，常懷疑惑，不見安隱處，不知出離道，在於生死輪轉不息，諸苦淤泥恒所沒溺。菩薩見已，起大悲心、大饒益心，欲令眾生悉得解脫，以一切善根迴向，以廣大心迴向，如三世菩薩所修迴向，如大迴向經所說迴向，願諸眾生普得清淨，究竟成就一切種智。復作是念：『我所修行，欲令眾生皆悉得成無上智王，不為自身而求解脫，但為救濟一切眾生，令其咸得一切智心，度生死流，解脫眾苦。』復作是念：『我當普為一切眾生備受眾苦，令其得出無量生死眾苦大壑。我當普為一切眾生，於一切世界一切惡趣中，盡未來劫，受一切苦，然常為眾生勤修善根。何以故？我寧獨受如是眾苦，不令眾生墮於地獄。我當於彼地獄、畜生、閻羅王等險難之處，以身為質，救贖一切惡道眾生，令得解脫。』復作是念：『我願保護一切眾生終不棄捨，所言誠實，無有虛妄。何以故？我為救度一切眾生發菩提心，不為自身求無上道，亦不為求五欲境界及三有中種種樂故修菩提行。何以故？世間之樂無非是苦。眾魔境界，愚人所貪，諸佛所訶，一切苦患因之而起；地獄、餓鬼及以畜生、閻羅王處，忿恚鬪訟，更相毀辱。如是諸惡，皆因貪著五欲所致。耽著五欲，遠離諸佛，障礙生天，何況得於阿耨多羅三藐三菩提！』菩薩如是觀諸世間貪少欲味受無量苦，終不為彼五欲樂故，求無上菩提，修菩薩行；但為安樂一切眾生，發心修習，成滿大願，斷截眾生諸苦羂索，令得解脫。

> 「仏子よ。菩薩摩薩は、あらゆる衆生が悪業を造り、様々な苦しみを受けているのを見ます。それらの障害のために、仏を見ることができず、法を聞くことができず、僧（僧伽）を識ることができません。そこで、こう考えます。『私は、あの悪道において、衆生に代わって様々な苦しみを受け、彼らを解脱させよう。』菩薩はこのように苦しみを受ける時、さらに精進し、捨てず、避けず、驚かず、怖れず、退かず、臆さず、疲れ嫌がることがありません。なぜなら、自らの誓願の通り、必ずや一切の衆生を担い、解脱させる決意があるからです。 その時、菩薩はこう思います。『一切の衆生は、生・老・病・死の苦しみの難しい場所におり、業に従って流転し、邪見で無知であり、善い法を失っている。私は彼らを救い、そこから出離させなければならない。』また、『衆生は愛の網に絡め取られ、無知の覆いに覆われ、様々な生存に執着し、追い求めて離れず、苦しみの檻に入り、悪魔の業を行い、福徳と智慧を尽くし、常に疑惑を抱き、安らかな場所を見いだせず、出離の道を知らず、生死の中で輪廻し続け、様々な苦しみの泥に常に溺れている。』と。 菩薩はこれを見て、大いなる悲しみの心、大いなる利益の心を起こし、衆生が全て解脱できるように願い、あらゆる善根を回向し、広大な心で回向します。それは、過去・現在・未来の三世の菩薩が修行した回向の如く、大回向経に説かれた回向の如く、衆生が全て清らかになり、究極的に一切種智を成就することを願うものです。 さらに、こう考えます。『私の修行は、衆生を皆、無上の智慧の王たらせんがためであり、自身の解脱を求めるためではない。ただ一切の衆生を救済し、彼らに一切智心を具えさせ、生死の流れを渡り、様々な苦しみから解脱させるためである。』 また、こう考えます。『私は全ての衆生のために、様々な苦しみを一身に受け、彼らが無量の生死という苦しみの大きな谷から出られるようにしよう。私は全ての衆生のために、あらゆる世界、あらゆる悪趣において、未来の劫が尽きるまで、あらゆる苦しみを受けよう。しかし常に、衆生のために善根を精進して修行しよう。なぜなら、私は自らがこのような多くの苦しみを独り受けても、衆生を地獄に堕とすことはしないからだ。私は地獄、畜生、閻魔大王などの危険な場所において、自らの身を質として、あらゆる悪道の衆生を救い贖い、解脱させよう。』 さらに、こう考えます。『私は全ての衆生を保護し、決して見捨てることはしない。私の言葉は誠実であり、虚偽はない。なぜなら、私は一切の衆生を救い度するために菩提心を発したのであり、自身のために無上の道を求めるためではないからだ。また、五欲の境地や三有の中の様々な楽しみを求めて菩提の行を修行するのでもない。なぜなら、世間の楽しみは全て苦しみに他ならないからだ。それらは衆魔の境地であり、愚かな者が貪り、諸仏が呵責するものであり、一切の苦しみや悩みはこれによって生じる。地獄、餓鬼、畜生、閻魔の世界、怒りや争い、互いの誹謗や辱め――これらの諸悪は、皆、五欲に執着することによって生じる。五欲に耽ることは、諸仏から遠ざかり、天に生まれることさえ妨げる。ましてや、無上正等覚を得ることなど望むべくもない。』 菩薩はこのように、世間の者が僅かな欲望の味を貪り、無量の苦しみを受けているのを観じ、決してその五欲の楽しみのために無上の菩提を求め、菩薩の行を修行するのではありません。ただ一切の衆生を安楽にするために、心を発して修行し、大願を成就させ、衆生を縛る苦しみの羂索を断ち切り、解脱させようとするのです。」

「佛子！菩薩摩訶薩復作是念：『我當以善根如是迴向，令一切眾生得究竟樂、利益樂、不受樂、寂靜樂、無依樂、無動樂、無量樂、不捨不退樂、不滅樂、一切智樂。』復作是念：『我當與一切眾生作調御師，作主兵臣，執大智炬，示安隱道，令離險難，以善方便𢔌知實義；又於生死海，作一切智善巧船師，度諸眾生，使到彼岸。』佛子！菩薩摩訶薩以諸善根如是迴向，所謂：『隨宜救護一切眾生，令出生死，承事供養一切諸佛，得無障礙一切智智，捨離眾魔，遠惡知識，親近一切菩薩善友，滅諸過罪，成就淨業，具足菩薩廣大行願、無量善根。』

> 「仏子よ、菩薩摩訶薩はまた、こう思う。『私は善根をもって、このように回向し、すべての衆生に究極の楽、利益の楽、受けることのない楽、寂静の楽、依り所のない楽、動かない楽、無量の楽、捨てず退かない楽、滅しない楽、一切智の楽を得させよう。』また、こう思う。『私はすべての衆生のために調御師となり、主兵臣となり、大きな智慧の炬火を掲げ、安穏な道を示し、険難を離れさせ、善巧な方便をもって真実の義を悟らせよう。さらに、生死の海において、一切智の巧みな船師として、諸々の衆生を渡し、彼岸に至らせよう。』仏子よ、菩薩摩訶薩は諸々の善根をもって、このように回向する。すなわち、『状況に応じて一切の衆生を救護し、生死を出離させ、諸仏に仕え供養し、障りのない一切智智を得させ、あらゆる魔を捨て離れ、悪知識を遠ざけ、善友であるすべての菩薩に親しみ近づき、諸々の罪過を滅し、清らかな業を成就し、菩薩の広大な行願と無量の善根を具足させる。』」

「佛子！菩薩摩訶薩以諸善根正迴向已，作如是念：『不以四天下眾生多故，多日出現；但一日出，悉能普照一切眾生。又，諸眾生不以自身光明故，知有晝夜，遊行觀察，興造諸業；皆由日天子出，成辦斯事，然彼日輪但一無二。』菩薩摩訶薩亦復如是，修集善根迴向之時，作是念言：『彼諸眾生不能自救，何能救他？唯我一人，志獨無侶，修集善根如是迴向。所謂：為欲廣度一切眾生故，普照一切眾生故，示導一切眾生故，開悟一切眾生故，顧復一切眾生故，攝受一切眾生故，成就一切眾生故，令一切眾生歡喜故，令一切眾生悅樂故，令一切眾生斷疑故。』佛子！菩薩摩訶薩復作是念：『我應如日，普照一切，不求恩報。眾生有惡，悉能容受，終不以此而捨誓願；不以一眾生惡故，捨一切眾生。但勤修習善根迴向，普令眾生皆得安樂；善根雖少，普攝眾生，以歡喜心廣大迴向。若有善根，不欲饒益一切眾生，不名迴向；隨一善根，普以眾生而為所緣，乃名迴向。安置眾生於無所著法性迴向，見眾生自性不動不轉迴向，於迴向無所依、無所取迴向，不取善根相迴向，不分別業報體性迴向，不著五蘊相迴向，不壞五蘊相迴向，不取業迴向，不求報迴向，不染著因緣迴向，不分別因緣所起迴向，不著名稱迴向，不著處所迴向，不著虛妄法迴向，不著眾生相、世界相、心意相迴向，不起心顛倒、想顛倒、見顛倒迴向，不著語言道迴向，觀一切法真實性迴向，觀一切眾生平等相迴向，以法界印印諸善根迴向，觀諸法離貪欲迴向。解一切法無，種植善根亦如是；觀諸法無二、無生、無滅，迴向亦如是。以如是等善根迴向，修行清淨對治之法，所有善根皆悉隨順出世間法。不作二相，非即業修習一切智，非離業迴向一切智，一切智非即是業，然不離業得一切智。以業如光影清淨故，報亦如光影清淨；報如光影清淨故，一切智智亦如光影清淨。離我、我所一切動亂思惟分別，如是了知，以諸善根方便迴向。』

> 「仏子よ。菩薩摩ヒサツは、諸々の善根を正しく回向した後、こう思惟する。『四天下の衆生が多いからといって、複数の太陽が現れるわけではない。ただ一つの太陽が出現すれば、すべての衆生を余すところなく照らすことができる。また、諸々の衆生は、自身の光によって昼夜を知り、遊行し観察し、様々な業を起こすのではない。すべては日天の出現によって成し遂げられることであり、その日輪は一つであって二つではない。』 菩薩摩ヒサツもまた同様に、善根を修め集めて回向する時、こう言って思惟する。『あの諸々の衆生は、自らを救うことすらできないのに、どうして他を救えようか。ただ私一人だけが、志は独りで伴侶なく、善根を修め集めてこのように回向する。すなわち、一切の衆生を広く度するがため、一切の衆生を普く照らすがため、一切の衆生を示し導くがため、一切の衆生を開き悟らせるがため、一切の衆生を顧み育てるがため、一切の衆生を受け摂するがため、一切の衆生を成就させるがため、一切の衆生を喜ばせるがため、一切の衆生を悦楽させるがため、一切の衆生の疑いを断たせるがためである。』 仏子よ。菩薩摩ヒサツはまた、こう思惟する。『私は太陽のように、すべてを普く照らし、恩を報いることを求めない。衆生に悪があっても、すべてを容認し受け入れ、決してそのために誓願を捨てない。一人の衆生の悪があるからといって、すべての衆生を捨てない。ただ勤めて善根を修習し回向して、普く衆生をして皆、安楽を得させよう。善根は少なくとも、広く衆生を摂し、歓喜の心をもって広大に回向する。もし善根があっても、一切の衆生を利益し饒益しようと欲しないならば、それを回向とは呼ばない。一つの善根に随って、普く衆生を縁としてとらえて、初めて回向と名づける。』 『衆生を、執着するところのない法性に安置する回向、衆生の自性が動かず転じないのを見る回向、回向において依るところなく取るところない回向、善根の相を取らない回向、業報の体性を分別しない回向、五蘊の相に執着しない回向、五蘊の相を壊さない回向、業を取らない回向、報いを求めない回向、因縁に染まらない回向、因縁より起こるものを分別しない回向、名称に執着しない回向、処所に執着しない回向、虚妄の法に執着しない回向、衆生の相、世界の相、心意の相に執着しない回向、心の顛倒、想いの顛倒、見解の顛倒を起こさない回向、言葉の道に執着しない回向、一切の法の真実性を観ずる回向、一切の衆生の平等の相を観ずる回向、法界の印をもって諸々の善根に印を押す回向、諸法が貪欲を離れていると観ずる回向。一切の法は無いと了解して、善根を植え付けることもまた同じである。諸法は無二、無生、無滅であると観じて、回向もまた同じである。』 『このように等しい善根をもって回向し、清らかな対治の法を修行すれば、すべての善根は皆、世間を超えた出世間の法に随順する。二つの相を作らず、業そのものが一切智を修習するのでもなく、業を離れて一切智に回向するのでもない。一切智は業そのものではないが、しかし業を離れて一切智を得るのではない。業が影や光のように清らかであるがゆえに、報いもまた影や光のように清らかであり、報いが影や光のように清らかであるがゆえに、一切智智もまた影や光のように清らかである。我と我所を離れ、一切の動乱や思惟や分別を離れて、このように了知し、諸々の善根をもって方便として回向する。』」

「菩薩如是迴向之時，度脫眾生，常無休息，不住法相；雖知諸法無業無報，善能出生一切業報而無違諍，如是方便善修迴向。菩薩摩訶薩如是迴向時，離一切過，諸佛所讚。佛子！是為菩薩摩訶薩第一救護一切眾生離眾生相迴向。」

> 菩薩がこのように廻向する時、衆生を救い導き、常に休むことなく、法の相（形）に執着しません。諸法に業も報いもないと知りながら、巧みにあらゆる業と報いを生み出し、それと争うこともありません。このように方便をもって巧みに廻向を修めるのです。菩薩摩訶薩がこのように廻向する時、一切の過ちを離れ、諸仏より讚えられます。仏子よ、これこそが菩薩摩訶薩の第一の「一切衆生を救護し衆生相を離れる廻向」なのです。

爾時，金剛幢菩薩，觀察十方一切眾會暨于法界，入深句義，以無量心修習勝行，大悲普覆一切眾生，不斷三世諸如來種，入一切佛功德法藏，出生一切諸佛法身，善能分別諸眾生心，知其所種善根成熟，住於法身而為示現清淨色身；承佛神力，即說頌言：

> そのとき、金剛幢菩薩は、十方のすべての会衆と法界を観察し、深遠な句義に入り、無量の心をもって優れた行いを修行し、大悲をもってすべての衆生を覆い、三世の如来の種を断たず、すべての仏の功徳の法蔵に入り、すべての仏の法身を生み出し、よくすべての衆生の心を分別し、その植えた善根が成熟していることを知り、法身にとどまりながら清らかな色身を示現した。仏の神力を受け、即座に偈を説いた。

「不思議劫修行道， 精進堅固心無礙，為欲饒益群生類， 常求諸佛功德法。調御世間無等人， 修治其意甚明潔，發心普救諸含識， 彼能善入迴向藏。勇猛精進力具足， 智慧聰達意清淨，普救一切諸群生， 其心堪忍不傾動。心善安住無與等， 意常清淨大歡悅，如是為物勤修行， 譬如大地普容受。不為自身求快樂， 但欲救護諸眾生，如是發起大悲心， 疾得入於無礙地。十方一切諸世界， 所有眾生皆攝受，為救彼故善住心， 如是修學諸迴向。修行布施大欣悅， 護持淨戒無所犯，勇猛精進心不動， 迴向如來一切智。其心廣大無邊際， 忍力安住不傾動，禪定甚深恒照了， 智慧微妙難思議。十方一切世界中， 具足修治清淨行，如是功德皆迴向， 為欲安樂諸含識。大士勤修諸善業， 無量無邊不可數，如是悉以益眾生， 令住難思無上智。普為一切眾生故， 不思議劫處地獄，如是曾無厭退心， 勇猛決定常迴向。不求色聲香與味， 亦不希求諸妙觸，但為救度諸群生， 常求無上最勝智。智慧清淨如虛空， 修習無邊大士行，如佛所行諸行法， 彼人如是常修學。大士遊行諸世界， 悉能安隱諸群生，普使一切皆歡喜， 修菩薩行無厭足。除滅一切諸心毒， 思惟修習最上智，不為自己求安樂， 但願眾生得離苦。此人迴向得究竟， 心常清淨離眾毒，三世如來所付囑， 住於無上大法城。未曾染著於諸色， 受想行識亦如是，其心永出於三有， 所有功德盡迴向。佛所知見諸眾生， 盡皆攝取無有餘，誓願皆令得解脫， 為彼修行大歡喜。其心念念恒安住， 智慧廣大無與等，離癡正念常寂然， 一切諸業皆清淨。彼諸菩薩處於世， 不著內外一切法，如風無礙行於空， 大士用心亦復然。所有身業皆清淨， 一切語言無過失，心常歸向於如來， 能令諸佛悉歡喜。十方無量諸國土， 所有佛處皆往詣，於中覩見大悲尊， 靡不恭敬而瞻奉。心常清淨離諸失， 普入世間無所畏，已住如來無上道， 復為三有大法池。精勤觀察一切法， 隨順思惟有非有，如是趣於真實理， 得入甚深無諍處。以此修成堅固道， 一切眾生莫能壞，善能了達諸法性， 普於三世無所著。如是迴向到彼岸， 普使群生離眾垢，永離一切諸所依， 得入究竟無依處。一切眾生語言道， 隨其種類各差別，菩薩悉能分別說， 而心無著無所礙。菩薩如是修迴向， 功德方便不可說，能令十方世界中， 一切諸佛皆稱歎。

> 不思議の劫を修行し、 精進堅固にして心に障りなし 衆生の類いを益そうと欲して 常に諸仏の功徳の法を求める 世を調御する者、並ぶ者なく その意を修め整え、明らかに清らかに 心を発してすべての衆生を救う 彼はよく廻向の蔵に入る 勇猛精進の力、具足し 智慧は聡達、意は清らか すべての衆生を普く救い その心は堪忍して傾動せず 心は善く安住し、比類なく 意は常に清らかで大いに歓喜す かくのごとく物のために勤め修行す 譬えば大地が普く含み受くるがごとし 自らの身のために快楽を求めず ただ衆生を救護せんと欲す かくのごとく大悲心を発起し 速やかに無礙の地に入るを得 十方の一切の諸世界 すべての衆生を摂受し 彼らを救わんがために心を善く安住す かくのごとく諸の廻向を修学す 修行布施は大いに欣悦し 浄戒を護持して犯すところなし 勇猛精進して心動かず 如来の一切智に廻向す その心は広大にして辺際なく 忍力は安住して傾動せず 禅定は甚深にして常に照了し 智慧は微妙にして思議しがたし 十方の一切の世界の中に 具足して清浄の行を修め整え かくのごとき功徳をみな廻向す 衆生を安楽ならしめんがために 大士は諸の善業を勤修す 無量無辺にして数うるあたわず かくのごとくすべてをもって衆生を益し 難思の無上の智慧に住せしむ 普く一切の衆生のため 思議せざる劫に地獄に処す かくのごとくして曾て厭退の心なく 勇猛決定して常に廻向す 色・声・香・味を求めず また諸の妙触を希求せず ただ衆生を救度せんがため 常に無上の最勝の智慧を求む 智慧清らかにして虚空の如く 無辺の大士の行を修習す 仏の行ずるところの諸の行法の如く 彼の人もかくのごとく常に修学す 大士は諸世界に遊行し よくすべての衆生を安穏ならしめ 普くすべてをして歓喜せしめ 菩薩行を修して厭足なし すべての心の毒を除滅し 思惟修習して最上の智慧を得 自らのために安楽を求めず ただ衆生の苦を離れんことを願う この人の廻向は究竟を得 心は常に清らかで衆毒を離る 三世の如来の付嘱するところ 無上の大法城に住す 未だ曾て諸の色に染著せず 受・想・行・識もまたかくのごとし その心は永く三有を出でて すべての功徳を尽く廻向す 仏の知見するところの諸の衆生 尽く摂取して余らすことなし 誓願してすべてを解脱せしめんと 彼らのために修行して大いに歓喜す その心は念念に恒に安住し 智慧は広大にして比類なし 癡を離れ正念して常に寂然 すべての諸業はみな清らかなり 彼の諸の菩薩は世に処して 内外の一切の法に著せず 風の障りなく虚空を行くがごとく 大士の用心もまたかくのごとし すべての身業はみな清らかに 一切の言語に過失なく 心は常に如来に帰向し 能く諸仏をして悉く歓喜せしむ 十方の無量の諸国土 すべての仏所にみな往詣し 其中に大悲尊を覩見し 恭敬せずして瞻奉することなし 心は常に清らかで諸の失を離れ 普く世間に入って畏るところなし 已に如来の無上道に住し また三有のために大法池となる 精勤して一切の法を観察し 随順して思惟し、有と非有とを弁う かくのごとくして真実の理に趣き 甚深の無諍の処に入るを得 これをもって堅固の道を修成し 一切の衆生も壊すことあたわず 善く諸法の性を了達し 普く三世に於いて著するところなし かくのごとく廻向して彼岸に到り 普く群生をして衆垢を離れしめ 永く一切の依るところを離れて 究竟の無依の処に入るを得 一切の衆生の言語道 その種類に随いて各々差別あり 菩薩は悉く能く分別して説くも 心に著なく障碍なし 菩薩のかくのごとく廻向を修するは 功德方便、説くべからず 能く十方の世界の中に 一切の諸仏をして皆称歎せしむ

## 大方廣佛華嚴經卷第二十三

> 大方広仏華厳経 第二十三巻